薄曇りの午後だった。大学の図書館には冷房の微かな風が流れていて、棚の間に篭もる埃っぽさだけが、空調の無機質さを際立たせていた。長机に並ぶ学生のノートパソコンのタイピング音が、周期的な雨音のように断続的に響く。湊は一番奥の窓際、壁を背にした席に腰を下ろし、目の前のモニターとにらめっこを続けていた。画面には、Wordの文書ファイル。仮タイトルには『離婚男性の生活再建支援に関する考察』と打ち込まれていた。文章はすでに三千字ほど進んでいて、「司法制度における支援の在り方」や「家庭裁判所調停制度の限界点」など、それらしい見出しが整然と並んでいた。中には、自分でも「よく書けてる」と思える段落もある。だが、カーソルが点滅するそのすぐ下にある言葉が、湊の目に違和感を残していた。「社会的孤立の指標」誰が決めた指標だろう。数字で定義された孤独を、本当に人は生きているのか。湊は背もたれに体を預け、静かに息を吐いた。目を閉じてみても、頭の中には図表や調停件数の年次変化グラフばかりが浮かんでくる。自分が書いているのは“文章”だ。けれど、どこまでいっても“人の生活”にはなっていない気がする。支援の理論も、制度の仕組みも、文献にあたればいくらでも出てくる。だが、それで何が再構築されるのだろう。孤独な人間が、再び立ち上がって暮らしていけるようになるとは…本当に、誰かが思っているのだろうか。「再構築って、なんだよ…」独りごとのように、唇が動いた。周囲に気づかれないように小さな声で呟いたつもりだったが、自分の耳には妙に反響して聞こえた。カタカナで定義された制度用語が、途端に手触りのないものに変わっていく。湊は手元の文献に視線を戻した。『家族法における離婚後の父親支援―事例分析を通して―』。ページの余白に鉛筆で「当事者インタビュー不足」と書かれたメモが、かつての自分の筆跡で残っていた。事例不足。そう書いたとき、自分は何を「不足」だと感じていたのか。再構築された生活とは、支援された“結果”なのか、それとも“過程”なのか。法律的に正しく離婚し、調停を経て子どもとの面会が調整されたとて…生活は、再構築されたといえるのか。湊は再び文書ファイルを開いた。カーソルの位置を調整しながら、何度も何度も読み返してきた一節に視線を移す。「社会的孤立の指標としては、地域活動への参加頻度、交友関係の範囲
Terakhir Diperbarui : 2025-06-29 Baca selengkapnya