Semua Bab 名前のない夜に溶けて~終わりからしか始まらなかった愛がある: Bab 21 - Bab 30

50 Bab

夜の音は、肌の中で

湯上がりの身体のまま、塩屋は畳の上に脱ぎ捨てられた浴衣を指先でつまみ、そっと布団の端に置いた。室内の空気はまだ温泉の湯気と晩秋の冷気が混じり合っていて、ほてった肌を撫でる風がどこか心地よかった。二人分の湿った髪が枕元で絡まり合い、互いの存在をより生々しく際立たせていた。最初は、言葉さえ交わさなかった。須磨は畳に座り込む塩屋の隣にゆっくりと腰を下ろし、灯りを落とした部屋の静けさに耳を澄ませていた。障子越しに虫の声が遠くに響き、宿の廊下を人が行き来する足音も時折聞こえる。けれど、それらはどこか遠い世界の出来事のように思えた。「…今日はよく温まった」塩屋がぽつりと呟く。須磨はそれに頷くだけで、視線を動かさない。そのまま、ふたりの間に沈黙が落ちた。時折、どちらかの呼吸が少し深くなる音が、唯一この場の現実感を強調した。やがて、須磨は塩屋の方に体を向けた。襟元から覗く細い首筋に、湿った髪がさらりとかかっている。須磨は無言でその髪を指先で梳き、次の瞬間、そっと塩屋の襟元に顔を埋めた。浴衣の合わせ目から漏れる塩屋の体温が、鼻先から喉元までじんわりと伝わってくる。塩屋の腕がゆっくりと須磨の背に回り、しっかりと抱き寄せる。お互いの指先が肩や背中、腰や腕を、何度も何度も確かめるように這う。愛撫は激しくも、どこかで「壊れもの」を扱うような、慎重な優しさが混じっていた。唇が唇をなぞる。最初は触れるだけ、次第に須磨の舌が塩屋の奥を探り当て、塩屋がかすかに呻く。吐息が唇を濡らし、すぐにまた重ね合う。塩屋の背中を強く抱きしめながら、須磨はその白い肌にいくつもの痕を刻む。「…あっ、…やだ…」塩屋が喘ぐ。声は苦しげで、だがどこか甘く、須磨をさらに煽る。指先が塩屋の胸元をすくい、乳首の先端を軽く弾けば、塩屋の全身が跳ねる。そのたびに「須磨さん…」と掠れた声で名を呼ぶ。須磨の動きは一瞬も止まらない。手も口も、ひたすら塩屋の体を求めて這い回る。「…本気にならないでくださいね」塩屋がそう囁いた。けれど、その声は震え、今にも涙になりそうだった。須磨は何も言わず、ただ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-10
Baca selengkapnya

朝焼けに溶けた涙

朝の空気は、夜の熱をすっかり冷ましてしまうほど澄んでいた。窓を開け放ったテラスには、昨日までの喧騒や都会の埃などひとつも届かない。代わりに、山の麓から立ち上る朝靄と、乾いた木々の香りが薄く漂っている。露天風呂の縁には露が光り、遠くの稜線は、夜明けの薄紅に静かに染まりつつあった。布団の中で目を覚ました塩屋は、しばらく身じろぎもせず、須磨の寝息を聞いていた。何度か手を伸ばしては、その温もりを確かめるように須磨の腕を撫で、肩の丸みに額を寄せる。けれど、窓の外がじわじわ明るくなるにつれて、自分が「現実」という場所に引き戻されていく感覚が強くなった。やがて、塩屋はゆっくりと布団から身を起こし、寝癖のついた髪を手櫛で整えた。いつものシャツに袖を通しながら、テラスへ出ると、冷たい空気が肌を刺すようだった。小さな湯沸かしポットでコーヒーを淹れ、白い湯気が立ち上るカップを手に持つ。その熱が、指先からじんわりと全身へ沁みていく。須磨もやがて後ろから現れ、無言で隣に立った。ふたりはテラスの手すりにもたれかかり、しばらく朝焼けを見つめていた。まだ眠そうな塩屋の横顔は、昨夜の熱が嘘のように穏やかだった。カップを口元に運びながら、塩屋は小さく息を吐く。湯気が頬にかかり、その一瞬のぬくもりが妙に切なかった。「…こんな朝、初めてかもしれない」ぽつりと塩屋がつぶやく。須磨は何も返さず、ただ黙ってその言葉を受け止めていた。しばらく沈黙が続いた後、塩屋が唐突にカップを持つ手を震わせた。そのまま、目元に涙があふれ、頬を伝って落ちていく。塩屋はカップを両手でしっかりと抱え、涙がこぼれるのを隠そうともせずに、低い声で言葉を絞り出した。「俺、妻を裏切ってるんですよね……」言葉の途中で、声が詰まる。須磨はゆっくりと塩屋の背中に手を回し、温もりを伝えるように、優しく撫でた。「でも…あなたに会ってから、生きてるって感じたんです。ずっと、自分のこと、形だけでしか生きてない気がしてた。仕事も、家庭も、全部“ちゃんとした人間”のふりだけしてきた。でも、あなたに出会ってからは…&hel
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-10
Baca selengkapnya

日常の輪郭が、ゆらぎはじめる

バイクでの逃避行から戻った午後、秋の光はすでに角度を変え、家々の窓辺に淡く射し込んでいた。都内の住宅街は、旅先の非日常とは対照的なほど穏やかで、塩屋が帰宅したとき、瑞希はいつも通りキッチンで手を動かしていた。「おかえりなさい」その声に、塩屋はわずかに肩をすくめ、すぐに微笑みを作った。旅行カバンを玄関に下ろすと、コートを脱いでリビングへ向かう。けれど、瑞希の視線がまっすぐ自分を捉えているのを、塩屋は無意識に避けていた。ふと、カバンの取っ手を握る手に力が入る。「どうだった?無事帰ってきて何より」「うん、特に問題なく。ただ…山の空気が冷たかった」短い会話が、どこかぎこちなく続く。塩屋の声は普段と変わらぬ穏やかさを保っていたが、その奥で何かが震えていた。瑞希はその様子を見逃さなかった。だが、「何かあったの?」と聞くことはしない。ただ、視線だけで夫の輪郭を探ろうとする。夕食の支度の前に、瑞希は洗面所で洗濯物を片付けていた。塩屋のバスタオルを手に取ったとき、ふと鼻腔をかすめる“知らない石鹸”の匂いに気づいた。それは自宅で使っているものとは明らかに違う、微かな花の香りだった。どこか遠くの宿の空気が染み付いたような、不意打ちの匂いだった。ほんの一瞬、瑞希の心に小さな棘が刺さる。だが、その理由を深く考えるのをやめてしまう。「きっと温泉宿の備え付けだろう」と自分に言い聞かせる。洗面台の鏡に映る自分の顔が、思いのほか冷静で、それがかえって瑞希を不安にさせた。塩屋はリビングのソファに腰を下ろし、パソコンを開くふりをして、何度も深呼吸を繰り返していた。頭の中では須磨のことが離れず、旅の景色や、朝焼けのなかで流した涙の感触までが、何度もフラッシュバックする。それでも、日常に戻らなければならない。その事実だけが、じわじわと胸を締めつけていく。一方、須磨もまた、自宅へと帰っていた。玄関の扉を開けると、志乃がキッチンから顔を出す。表情は穏やかで、どこかほっとしたような笑みを浮かべていた。「おかえり。どうだった?楽しかった?」その問いに、須磨は一瞬だけ返事に迷う。ほんの一秒ほど沈黙が流
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-11
Baca selengkapnya

声にならない気配

アトリエの窓辺に、薄い午後の光が差し込んでいる。外は曇り空、建物の影が柔らかく伸び、部屋のなかには秋の冷気がじわじわと染み込んでいた。瑞希はフラワーアレンジメントの前で手を止め、机の上に塩屋のジャケットが掛けてあるのに気づいた。彼が急ぎ足で出ていった朝、いつものように忘れていった上着。何の気なしに手に取ってみると、柔らかいウールの生地の手触りが、どこか遠い日の記憶と重なる。ジャケットを畳もうとしたとき、内ポケットが少し膨らんでいるのに気がついた。瑞希は無意識のうちに指を差し入れ、紙片を取り出す。レシートだった。淡いインクで印刷された店名が目に入り、思わず眉を寄せる。それは見覚えのない喫茶店の名前で、場所も塩屋が「仕事で寄った」と話していた街とは違うエリアだった。一瞬、心の奥で何かが波立つ。「たまたま近くを通りかかっただけかもしれない」と自分に言い聞かせながら、レシートをそっと戻した。けれど、指の動きがわずかに鈍くなった。背広の柔らかい生地が、今は妙に重く感じられた。自分の手がいつもより冷えている気がする。アトリエには、誰もいない。換気のために少しだけ開けた窓から、ビル風がカーテンを揺らす。静けさが瑞希の耳の奥まで入り込み、胸の内側でじわじわと膨らむざわめきだけが、呼吸を浅くしていった。午後の仕事を終え、夕方にはもう外が暗くなっていた。瑞希は家に戻り、塩屋の帰りを待つ。部屋の灯りをつけ、食卓の上に二人分の皿を並べた。塩屋が玄関のドアを開ける音がして、瑞希は笑顔を作る。「おかえり」と声をかけると、塩屋は「ただいま」といつもの調子で返してきた。けれど、どこか声が遠い。目を合わせたくないように、視線が泳いでいる。食事のあいだ、瑞希は自分の中の違和感をやり過ごそうとした。仕事のことやアトリエの話を振ってみても、塩屋は「うん」「そうだね」と短い返事を繰り返すだけ。どんなに話しかけても、夫の輪郭が遠ざかっていくような気がした。塩屋の箸の動きは、どこかぎこちない。笑顔も作れるけれど、その表情の端にかすかな焦りがにじむ。ほんの一瞬、眉根を寄せて何かを考えているような顔。そのたび、瑞希の胸の中でざわざわと何かが騒ぎ出す。食事が終わり、片付けも手早く済ませてしまうと、塩屋はリビングのソフ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-11
Baca selengkapnya

女友達の午後

薄曇りの午後、アトリエ併設のカフェは静けさに包まれていた。ガラス越しに差し込む淡い光が、テーブルの上のマグカップに反射し、ふたりの間に小さな円を描いている。カウンターの奥では機械が静かに唸り、他の客の姿はほとんどなかった。週末のこの時間は、たいてい志乃と瑞希の“おしゃべりタイム”として暗黙のうちに決まっていた。けれど今日は、瑞希の横顔にどこか硬さがあった。瞳がマグカップの縁をなぞり、何度も口を開きかけては閉じる。その仕草を見て、志乃は最初、何気ない冗談でも言おうと思っていた。しかし瑞希がなかなか切り出さないのを感じると、自然と自分の背筋も伸びていく。「ねえ、志乃」カップを持ち上げた瑞希の指がかすかに震えていた。志乃はその手元に視線を落としながら、「どうしたの?」と促す。瑞希はしばらく視線を下に落とし、慎重に言葉を選ぶように口を開く。「最近…塩屋の様子が、ちょっと変なの」一瞬、店内の空気が固まる。志乃は笑顔を作り、「あら、なに?また仕事忙しすぎ?」と軽く返す。だが、その声に以前ほどの無邪気さはない。瑞希は、カップの取っ手を持つ親指を何度も撫でていた。「ううん…そういうことじゃなくて。もちろん仕事も大変なんだけど、それだけじゃない気がするの。前より家で話さなくなったし、夜もずっと背中を向けて寝てる。前だったら、何でもないことでも相談してきたのに、この頃は私が声をかけないと、ほとんど会話が生まれない」志乃は相槌を打ちながら、自分自身の生活を振り返っていた。須磨もまた、家ではどこか別の場所に意識を置いているようなことが増えた気がする。だが、そんな気配を口にしたくなくて、「考えすぎよ。男の人って、ちょっと悩みごとがあるとすぐに黙っちゃうものよ」と明るく言ってみせる。それでも瑞希の表情は、晴れない。言葉を選ぶ間、唇の端が固くなり、視線が落ち着きなくカップを泳ぐ。「私、別に疑ってるわけじゃないの。ただ、今まで一度も“隠し事”みたいな雰囲気を感じたことがなくて…。だから逆に怖いの。“家にいるのに、いないみたい”で」志乃はカ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-12
Baca selengkapnya

優しすぎる無関心

夜のリビングに、薄い光が広がっている。天井の照明は少しだけ暗くしてあり、代わりにテレビの画面が部屋の奥まで淡い青色を投げていた。須磨はソファの端に深く腰掛けて、リモコンを手に持ち、無表情でバラエティ番組を眺めていた。テレビの向こう側からは賑やかな音と笑い声が絶えず流れ込んでくるが、それはこの部屋の静けさとはまるで別の世界の出来事のように響く。志乃はその少し離れたソファのもう一方の端に座っていた。湯上がりの髪はまだ半乾きで、薄手のカーディガンを羽織った肩に冷たい空気が触れる。夜風が窓のすき間から忍び込み、ふと鳥肌が立つ。その感覚に自分でも驚き、両腕で体を抱きしめるようにして、須磨の横顔を見つめた。最近、こうしてふたりで過ごす時間が増えたはずなのに、心の距離は逆に遠のいている気がした。須磨は変わらず優しい。家事を手伝ってくれるし、体調を気にかけてくれるし、仕事で遅くなるときも必ず一報を入れてくれる。だがそのどれもが、どこか「表面」をなぞるだけのように感じられてならなかった。志乃はそっと体を寄せ、須磨の肩に自分の頭を預けてみた。須磨は何も言わず、動きもせず、そのままテレビの画面を見つめている。拒絶されたわけではない。けれど、その無反応が逆に自分の存在を浮き上がらせてしまう。志乃は、小さくため息をついた。須磨の頬にテレビの光が揺れている。その青白い色は、どこか冷たく、彼の表情からあたたかみを奪っていた。須磨の指がリモコンを動かす音が、不自然なほど大きく聞こえる。志乃は、肩にかかる自分の髪が彼のシャツにふれる音までが気になった。隣にいるはずなのに、まるで透明な壁に阻まれているかのようだ。昔なら、この距離感の中に安らぎがあった。今は、少しでも近づくと、その壁の存在を強く意識させられてしまう。「今日、瑞希さんに会ったの」声をかけてみた。須磨は一瞬だけ志乃に視線を向けて、軽く微笑む。「そうなんだ。元気そうだった?」「うん。いろいろ話したよ。……あなたも、最近は塩屋さんとよく会ってるよね」須磨は、少しだけ首を傾げた。「まあ、仕事の相談が多くて。塩屋くん、頼りになるから」それだけ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-12
Baca selengkapnya

帳簿の裏で、熱は燃える

仕事部屋の窓には、秋の終わりを告げるような冷たい雨が静かに降りつづけている。外の音はほとんど届かず、白いカーテンの向こうに揺れる街灯だけが、夜が深まったことをさりげなく告げていた。ノートパソコンの画面は、半分閉じかけのままデスクに放置されている。その隣には乱雑に脱ぎ捨てられたシャツと、帳簿のファイル。誰がどう見ても、この部屋で「仕事」が行われていた痕跡など、どこにもなかった。ベッドの上では、塩屋が仰向けになり、荒い呼吸を何とか落ち着かせようと胸に手を当てていた。髪は汗でしっとりと額に張りつき、頬も赤い。須磨はその隣で片肘をつき、じっと塩屋を見下ろしている。枕元に落ちた塩屋の眼鏡が、白いシーツの上でひときわ無防備に転がっていた。塩屋はしばらく黙ったまま天井を見ていた。室内の静けさは、ふたりの呼吸だけを際立たせていた。シーツの間にこもる熱が、まだお互いの肌から離れていかない。須磨は、ゆっくりと手を伸ばし、塩屋の濡れた髪を指で梳いた。根元から毛先へ、ひと筋ずつ撫でるたび、塩屋の瞼が微かに震える。けれどその表情には、快楽のあとの満ち足りた余韻というより、何かを抑え込むような張りつめたものがあった。「こういうの……いつか、壊れますよね」塩屋がぽつりと呟く。声は低く、消え入りそうで、それでも耳の奥まで深く染み渡る。須磨はしばらく答えず、塩屋の髪を撫でる手だけを止めなかった。その動きはどこまでも緩慢で、まるで何かにすがるようだった。「俺、時々考えるんです」塩屋はそう続けて、須磨のほうを見た。潤んだ瞳は、もうすぐ涙をこぼす寸前のようだったが、それでも泣こうとはしない。堪えるような微笑を浮かべ、視線をそらす。「このまま何もかも無かったことにして、全部終わればいいのにって。でも……」須磨は塩屋の髪をそっとかきあげ、その額に唇を押し当てた。塩屋の体が、ほんのわずかに震える。そのまま、須磨の手がゆっくりと頬を撫で、もう片方の手が彼の肩を包む。「いつか全部失うことになっても、いいって思ってる」その言葉は、どこか静かな確信に満ちていた。須磨の声は低く、感情の色を押し殺している
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-13
Baca selengkapnya

名前のない不安

夜の街は、すでに冬の気配を纏い始めていた。ガラス越しに漏れるカフェの灯りは、歩道の落ち葉を淡く照らしている。瑞希と志乃は窓際のテーブル席に向かい合って座り、グラスを指でゆっくり回していた。店内にはほかにも何組かの客がいたが、ふたりの周囲だけ、なぜか空気が張り詰めているような静けさがあった。「最近、夜は冷えるよね」瑞希がそう口にすると、志乃は微笑みを返す。「ほんと、急に寒くなったよね」と言いながらも、どこか遠い場所を見るような目だった。ふたりとも、互いの顔をじっくり見ることを避けていた。グラスの中の赤ワインが、テーブルの灯りを受けてゆるく揺れる。瑞希はその縁を爪でなぞるように撫でていた。ワインの香りがほのかに立ち上り、喉の奥をくすぐる。志乃もまた、手元のグラスをゆっくり傾けながら、その液面をぼんやり眺めている。「仕事のほうは?アトリエの展示、そろそろだったよね」「うん。来月が山場かな。最近は徹夜続きで、家にいる時間が減っちゃってる。塩屋も心配してるみたいだけど…」「須磨もそう。最近、家で仕事する日が少なくて、帰るのも遅い。夜中に帰ってきて、すぐにシャワー浴びて…あっという間に寝ちゃう。なんか、会話らしい会話をしたの、いつが最後だろうって思っちゃう」志乃の言葉に、瑞希は思わず目を伏せた。カウンターから流れてくるピアノのBGMが、ふたりの沈黙を余計に強調する。「夫婦って、こういうものなのかな…」瑞希がぽつりと呟く。志乃は苦笑して、「たぶん、そういう時期があるんだよ」と慰めるように言った。けれど、その声にはどこか空白が混じっていた。グラスを持つ志乃の指先が、かすかに震えている。まぶたがふっと下がり、すぐにまた持ち直す。瑞希はその様子に気づきながらも、何も言わなかった。自分のなかの不安が、言葉にならないまま膨らんでいく。「塩屋は、最近“疲れてる”って言うことが増えた。私も同じだから、無理に詮索しないようにしてるけど、本当は…たまにすごく寂しくなる」「須磨も似てる。優しいけど、どこか“触れちゃ
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-13
Baca selengkapnya

繰り返される、逃げ場

夜の雨は、窓ガラスを淡く打ち続けていた。外の世界がどれほど冷たく濡れているのか、部屋の中からはもうわからない。ただ、白いカーテン越しにぼやける街灯の光と、遠い車のタイヤが濡れたアスファルトを滑る音だけが、現実と非現実の境界を曖昧にしている。須磨の仕事部屋は、時計の針が夜の深い時刻を指してもなお、じっとりとした熱を残していた。ベッドのシーツはふたりの汗と体温で湿り、脱ぎ捨てられた服が無造作に足元で重なり合っている。ノートパソコンの画面だけが、仄かに青白く光っていたが、すぐに暗い闇へと溶けていった。塩屋は須磨の胸の上で、荒い息をつきながら腕を回していた。首筋にはうっすらと汗が滲み、頬が上気している。シーツの摩擦と肌の熱が、まだ全身を包んで離さない。唇を重ねたまま、須磨は塩屋の背に回した手に力を込めた。その指先が震えている。自分の体も呼吸も、すでに限界まで高ぶっていた。「…あ、あっ…」塩屋の吐息は乱れ、低い声が喉の奥からもれる。快楽の震えは、もはや理性を壊すような強さを持っている。だが、須磨の瞳に映るのは欲望だけではない。もっと深い、決して満たされることのない渇きと、塩屋への渇望――いや、依存に近い感情が、隠しようもなくあらわになっていた。唇と唇が重なる寸前、須磨は一瞬だけ躊躇う。だがすぐに、そのすべてを投げ出すように塩屋を強く抱き寄せる。唇が深く重なり、舌が絡まり合う。塩屋の背中が小さく反る。目を閉じた塩屋の頬を、ひとすじの涙が滑り落ちる。その涙の熱さも、もう自分のもののように感じるしかなかった。「…須磨さん…」震える声が、やっと絞り出された。須磨は唇を首筋に這わせ、耳たぶを甘く噛む。塩屋の手がシーツを掴み、喘ぎとすすり泣きが混じった声をあげる。「これが全部壊れる日が来てもいい、塩屋に会えてよかった」須磨の声は低く、苦しげにさえ響く。その言葉に塩屋は身体を強張らせ、しかし逃れようとはしない。ただ、今にも壊れそうな声で「俺はもう、誰にも戻れない」と囁く。涙が次々と溢れ、須磨の肩に落ちていく。ふたりの身体は、何度も何度も激しく重なり合う。官能の絶頂はもはや
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-14
Baca selengkapnya

飾りつけと乾杯の声

リビングの窓の外には澄んだ冬の夜空が広がり、街路樹の先に小さな星がちらちらと瞬いていた。室内は暖かな灯りと、ところどころに飾られたオーナメントの反射でやさしい輝きに包まれている。壁際には小さなクリスマスツリーが置かれ、銀色のリボンとオレンジ色のイルミネーションが淡く光っていた。キッチンからはローストチキンと甘いワインの香りがただよい、どこを見ても「幸せな夜」の光景が整えられていた。志乃はエプロン姿で、最後のオーナメントをツリーに結びつける。その横では瑞希がプレゼント用の小箱をラッピングしていた。ふたりは時折目を合わせて微笑み、テーブルに並べる料理の配置について意見を交わす。ほんの短い沈黙が生まれても、それを楽しむ余裕を互いに装う。「クリスマスって、やっぱりちょっと浮かれるよね」志乃が明るく言うと、瑞希は「準備は毎年疲れるけど、こうして集まれるのが一番のプレゼントかも」と返す。言葉はやわらかく、けれどその笑顔には一瞬だけ翳りが走った。ほどなくして、須磨と塩屋がワインの瓶を抱えてリビングに現れる。須磨はネイビーのニット、塩屋は少し明るめのグレーのシャツを着ていて、二人とも普段より少しだけよそいきの顔をしていた。志乃がグラスを並べて「せっかくだから、乾杯しよう」と声をあげる。「メリークリスマス」と須磨が明るく言い、グラスを掲げる。塩屋もそれに続き、少しぎこちなく笑みを浮かべて乾杯の声を重ねる。グラスが静かに鳴り合う。その音はどこか頼りなく、冬の空気の中に吸い込まれていった。テーブルを囲んで食事が始まると、最初は賑やかな談笑が続いた。志乃が「今年は仕事も忙しかったし、こうして集まれてよかった」と言えば、瑞希も「うちは来月また確定申告だから、塩屋も戦々恐々だよね」と冗談めかす。須磨が「その点、うちは塩屋くんがいろいろ見てくれて助かってるよ」と笑い、塩屋は「おふたりとも家計がしっかりしてて、僕なんてほとんど出番ないですよ」と続ける。その場には穏やかな空気が流れているように見える。だが、会話の合間に微妙な沈黙が落ちることがあった。須磨はワイングラスの脚をやたらと指で弄んでいたし、塩屋の笑い声の後ろには、どこか緊張した響きがあった。瑞希の笑顔はよく見ると、端がわずかにひきつり、長く笑い続けられない
last updateTerakhir Diperbarui : 2025-07-14
Baca selengkapnya
Sebelumnya
12345
Pindai kode untuk membaca di Aplikasi
DMCA.com Protection Status