ガラス越しに外を見れば、薄曇りの空がぼんやりと陽を透かしていた。風はなく、じっとりとした湿気が街を包んでいる。夏の始まりを告げるような、重たい空気だった。志乃はカフェ併設のフラワーアトリエの扉の前で立ち止まり、薄く息を吸った。大学時代の親友が運営している店舗である。十年ぶりの再会というものに、少しばかりの緊張と、ほんのわずかなときめきが混じっていた。ドアのガラスに映った自分の顔を見て、志乃は小さく姿勢を整えた。肩にかかる髪を撫で、軽くリップを確かめる。こんなふうに誰かに会う前に、鏡を気にするなんて、いつ以来だろうと思った。ドアに手をかけた瞬間、内側から鈴の音が鳴った。「いらっしゃいませ…あ」振り返った瑞希の声は、あの頃のままだった。けれど、声の張りが少しだけ丸くなっていた。語尾に柔らかさが増していて、それが不思議と心に残った。志乃は思わず笑みをこぼし、ふたりの間の距離が一気に縮まったように感じた。「志乃…久しぶり」「瑞希、変わってないね」お互いの名を口にした瞬間、学生時代の記憶が一気に甦る。講義の合間にカフェでしゃべり込んだ午後、卒論の締切前に泣きながらプリンタを奪い合った夜、真夜中に無意味に外を歩きながら交わした恋の話。たしかにすべて、あったはずの記憶だった。アトリエの奥、カフェスペースに案内されて、二人は向かい合って座った。瑞希の頬には自然な紅がさしていて、白いブラウスの襟元からはほのかにラベンダーの香りが漂っていた。志乃は無意識のうちに、瑞希の左手を見た。薬指には、細いゴールドのリングが光っていた。「素敵な指輪だね」志乃が言うと、瑞希は照れたように笑って指を隠した。「ありがとう。もう三年かな。結婚して」「早いね。大学卒業してから、どんなふうに過ごしてたの?」「いろいろあったよ。実家に戻った時期もあったし…でも、今はやっと、落ち着いたかな」志乃は頷いた。瑞希の服の色は、昔よりも淡くなっていた。かつては黒や深い赤を好んでいた彼女が、今日はラベンダーグレーのワンピースを着ている。そういう変化に、年月の流れを思い知る。「志乃は? 結婚してるって、聞いたけど」「うん。もう三年目。彼はフリーで建築の仕事してて。わりと自由人だけど、まあ、合ってるのかも」「へえ。なんか、想像つくな。志乃って昔から、自分の世界を大事にする人だったもんね」「
Last Updated : 2025-07-01 Read more