All Chapters of 『ふたつの鼓動が気づくまで』 双子の妊娠がわかった日に離婚届を突きつけられました: Chapter 51 - Chapter 60

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第五十一話 彩寧の立場(side:彩寧)

 ───彩寧さんって勤怠が乱れていて……。休みがちで業務が滞るのよね。  ───なんでも宗司社長のお見舞いに毎日いっているんでしょう?  ───やっぱり社長夫人だから?  ───それが彩寧さんは社長夫人じゃないかもって噂なの。  ───そうなの? それじゃあ、なんでお見舞いに?  ───さあ……。とにかくもうちょっとしっかりして欲しいわね。  ───そうね。業務もミスが多くて、フォローが大変なのよ。  ───社長夫人じゃないなら、そうやってフォローしてあげる必要もないんじゃない?  ───それもそうね。なんでこんなに頑張ってあの人のフォローをしていたのかしら。  ───なんだか腹が立ってきたわ。「すみません。営業部に書類を届けに行ってきます」 私は席を立ち上がると、逃げるようにその場を去る。  周囲の声が日増しに大きくなっていた。  注意をしないと……。  周囲が私を社長夫人と勘違いしていたので調子に乗って、思わせぶりな言動をエスカレートさせてしまった。  毎日、宗司先輩のお見舞いに行った為に有給休暇も全て使用してしまったし、業務でもミスが続いてしまっている。  しばらくは大人しく業務に勤しみ、周囲の信頼回復に努めなければ……。 でも、その間、病院では充希が宗司先輩の近くに……。  その事を思うと胸が苦しい程にざわつく。 宗司先輩と再会してわかった。  やっぱり私は宗司先輩が好きだ。  宗司先輩以外に考えられない。  宗司先輩と一緒にいたい。  宗司先輩に私を受け入れてもらいたい。  ましてや宗司先輩を充希になんか奪われたくない。  他の誰にも奪われたくはないけど、特に充希は許せない。  充希にだけは……。充希にだけは負けたくない……。 充希はいつもそう。  何もしていないのに私から全てを奪っていく。  何故? どうして?  私の方が充希より優れていて、努力だって何倍もしているのに。 充希はずるい───。充希は卑怯───。 充希は産みの母である忽那 碧が、父・大和田 毅と結婚できなかったから非嫡出子となったけど、その「可哀想な立場」を利用して周囲の同情を巧みに集め、そして利用するの。
last updateLast Updated : 2025-09-19
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第五十二話 社長室

「社長室はこちらです。私はお茶をお持ちしますので、少々お待ちくださいませ」 私と幸恵は、宗司さんの部屋───つまり社長室に通される。 室内には広めのデスクが一台と、応接用のソファセット、そして壁面収納型の本棚があった。 シンプルながらも高級感があり、シックで落ち着ける執務室となっていた。 幸恵は窓に近づく。「へえ、すごい眺めね。宗司っていつもこんなところで仕事しているんだ。贅沢ね~」 私は率直な幸恵の感想に、クスリと笑みを漏らす。「でも、宗司さんは忙しくて、自分のデスクで落ち着いて仕事をしている時間なんて殆どないって言っていたわよ」「なるほどね。どうやらその言葉は本当のようね。だって机も椅子もピカピカで、使われている感じが全然しないもの」 社長室をあれこれ見渡しながら、幸恵は「もったいない」と呟いた。「それより早く宗司さんが言っていた「私の刺繍に関係するもの」を探しましょう」 私は幸恵を急かしたが、幸恵は「それなら探すまでもなく、これの事じゃない?」と机の上に飾られた写真立てを指さした。 私も机を回り込んで写真を確認する。 そこには三枚の写真が飾られていた。 一枚目の写真は私と宗司さんが結婚をした時の写真だった───。 私たちの結婚は偽装結婚で、三年という期間限定で離婚する白い結婚だったが、それは二人の間での密約で、対外的には国内の大手グループ───大和田グループと杵島グループの絆を深める意義のある結婚だった。 その為、とても盛大な結婚披露パーティーが催されていたのだが、その時に撮られた写真が飾られていた。 パーゴラドーム風のガゼボで、私と宗司さんが手を取り合い、お互いに見つめ合っている写真だった。 私はこの写真を撮る時にとても胸が高鳴り、足の力が抜けて立っていられなくなりそうな程、ときめいていたことを思い出した。 カジュアルウェディング用のダークスーツ姿の宗司さんにエスコートされ、ガゼボに歩みを進める瞬間は、その一歩一歩が幸せの連続で、さらに写真撮影の為とはいえ、宗司さんと手を繋いだり、抱き合ったり、顔を寄せ合ったりすることに、心臓の鼓動がうるさい程に高まったのだ。 写真を見返しただけであの時の胸の高鳴りがよみがえる程で、よく見ると、写真に写る私の顔は、明
last updateLast Updated : 2025-09-20
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第五十三話 三枚目の写真

「三枚目の写真は……。幾つかの写真がまとめられているけど、この手前に飾られている写真は、随分と子供の頃の写真ね。これっていつの写真なのかしら?」 幸恵は最後の写真を見て小首を傾げる。 確かに、そこに写る宗司さんは、まだ小学生くらいの子供だった。 ───可愛い。 率直にそう思った私は同時に、宗司さんの隣に写る同年代の女の子を見て驚いた。「こ、この女の子は……私だわ……」 私が声を上げると幸恵も大いに驚いた。「え? そうなの? ……確かにそうね。充希にすごく面影がある。へぇ~。充希って子供の頃はこんな感じだったんだ」 幸恵は写真に写る女の子と、私を何度も何度も見比べた。「やめてよ、幸恵。恥ずかしいよ。そんなに今の私と見比べないで」 私は手を振って幸恵に抗議した。「あれ? でもこの時分に充希と宗司が二人で写真に写っているなんて、あなたたち二人ってその頃から面識があったの?」 その事を知らなかった幸恵は本当に驚いた様子で、かつ、それがどういうことかとても聞きたそうだった。「そうなの。実は私たちは子供の頃に出会っていて、お互いに顔見知りの幼馴染でもあったの」 私は幸恵に、当時のことを説明し始めた。 * * * 私は「あるパーティー」に参加している。 それは政治家が主催するパーティー。 いわゆる「政治資金パーティー」というものだった。 こうしたパーティーは、聞いたことはあるが実際に行ったことはないという人が殆どだろう。 それもそのはず。 何故ならこうしたパーティーは、招待を受けたり、紹介された人など、限られた人しか参加できない特別なパーティーだから。 但し、行ってみたいと思う人も殆どいないはず。 でも、もし知り合いが行ったという話しを聞くと「すごい」と思い、どんな所だったのか様子を聞いてみたくなる。 政治資金パーティーとは、そんな風にちょっと変わった興味の惹き方をする魅惑を有している。 会場は一流ホテルで行われることが多く、参加者も企業の社長、地元の有力者、著名人、専門分野の権威など、地位と金、そして権力を着飾った人ばかり。 表向きはとても煌びやか。 そして誰からも羨望される世界───。 ───しかし、その内側はどうなんだろう。 着飾ると云えば聞こえは良いが、実際は地位と金、そして
last updateLast Updated : 2025-09-21
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第五十四話 政治資金パーティー

 私は父に大切にされていたが、父の言い付けは絶対だった。 立ち振る舞い、服装、髪型、話し方、笑い方、食事の仕方、飲み物の飲み方───。  進学する学校も、父が決めた中高一貫校に入学することがすでに決まっていた。  そこでどんな勉強をするかも、どんな遊びをするかも、どんな友人と交友するかも全ては父が決める。 その事に不満や疑問は特にない。  それが当り前というのが私の世界。  不自由だとは感じはしなかったが、とにかく父の言い付けは絶対だった。 いずれ私は父が有益と認めた相手と結婚をさせられるだろう。  時間的猶予は長くても大学卒業までだろうか。  もちろんその間も自由恋愛など許されるはずなどない。  それが私の運命。 私は父の背中を追って、パーティー会場を歩く。  これからも、この背中の後に付き従い、命令を聞くことが私の人生。  それが私の中での「絶対」。 ふとそんなことを思いながら父の背中に目を向けると、その時───。  父が不意に向きを変えた。  まるで私の視線を躱すかのように。 私は驚き、そして慌てて後に続く。  父はどうしたのか?  不思議に思いながら後を歩くと、誰かを見つけ、そこに向かっていることがわかった。 それは珍しいことだった───。 何故なら父は、いつも相手から足を運ばれる存在だから。  そんな父が自ら赴こうとする相手はかなりの権力者に違いない。  私は少し緊張した。「やあ、どうも。杵島社長。珍しいですね。社長がこういったパーティーに出席されるなんて」 父が挨拶をし、会話が始まった。  私は黙って父の合図を待つ。「大和田社長、これは良い所でお会いしました。実は今日、このパーティーに参加したのは私の息子を紹介するためなんです。  宗司、挨拶をしなさい。こちらは大和田グループの社長様だ」「はじめまして。大和田社長。僕は杵島 巧三の息子、杵島 宗司です」 凛とした子どもの声。でも、同年代の子どもに比べ、遥かに大人びた声───。  私は興味を惹かれ、父の背中から顔を出す。  そこには私と同じ、小学生の男の子がいた。 この場に私と同年代がいることは珍しい。私は少なからず驚いた。 でも、それ以上に私が驚い
last updateLast Updated : 2025-09-22
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第五十五話 幼馴染

私は写真に写る子どもだった頃の自分と宗司さんを見て、当時のことを懐かしく思った。「へぇ。充希と宗司は子どもの頃に、そんな出逢いをすでにしていたのね。私は中高一貫校に入ってから知り合ったものだとばかり思っていたわ」 幸恵も一緒に写真を見つつ、意外だったと驚いた。「他の写真は、その中高一貫校時代の写真ね。これは体育祭や文化祭の写真じゃない? 懐かしいわね」 幸恵と私は、しげしげと写真を眺める。 確かにこれらの写真は私と幸恵、宗司さんの中高一貫校時代の写真で、青春の一ページが切り取られた写真だった。「これは中学三年生の頃の体育祭ね。バトンリレーの競技だと思うけど、宗司が追い抜いているのって、これって充希じゃない?」 それは驚きの写真だった。 懸命に走る宗司さんの奥に私が写っていた。「確かに、これは私ね……。宗司さんとは別のチームだったけど、私たちは周回遅れだったのよ。確かに宗司さんに追い抜かれたのは覚えているけど、まさか写真に撮られていたなんて……」 私はこんな決定的瞬間が写真に収められている事に驚いた。「これは高校二年生の時の文化祭ね。私たちが「たこ焼き屋さん」と「手作り餃子」の販売店をした時の写真じゃない」 その写真には幸恵がたこ焼きを焼く横で、餃子を包んでいる私の姿が写っていた。「宗司さんは、この時の私たちの出し物を見に来てくれていたのね。知らなかった……」「でもなんだか、ちょっと怖くない? こんな写真を飾るなんて、宗司って……」 幸恵の目が懐疑的になったが、私は素直に嬉しかった。 ひょっとすると、宗司さんも、子どもの頃に出会っていた私を気にしてくれていたのではないか? この時分は、一年だけ同じクラスになったこともあったけど、お互いにあまり話をすることはなかった。 でも私は宗司さんの存在を、いつも付かず離れずで感じていた。 宗司さんも同じく、そういった距離感で私を意識してくれていたのだとすると、それは素直に喜ばしかった。 写真立てを持ち上げた私は、何かが零れるように落ちたのに気付く。 どうやら写真立てに添えるように置かれている物があったようだ。 それが何であったか、私と幸恵はすぐに気付いた。 それは私が───正確には手芸部全員が───宗司さんに───正確には剣道部全員に─
last updateLast Updated : 2025-09-23
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第五十六話 社長室で一悶着

彩寧は数人の警備員を連れて社長室に乗り込んできた。 その後ろに、私たちを社長室に通した受付の女性がいたが、状況を見てオロオロとした様子だった。 私は御守りを胸の前で握り締める。 そんな私の前に、幸恵が割って入り、私を庇うように身を挺てくれた。「私たちは宗司から社長室にあるものを取ってくるように頼まれてきたのよ。なんのやましいこともしていないわ」 幸恵は毅然とした態度で、彩寧に対峙した。「宗司先輩から……? そんなの嘘に決まっている! それに充希は、自分が社長夫人と立場を偽って侵入していますよね? 充希は離婚届にサインをしたんだから、もう宗司先輩の妻じゃありません! 身分を偽るなんて、それは偽証罪ですよ! それに部外者が社長室に入るなんて、不法侵入じゃないですか!」 不法侵入という言葉に、私たちを案内した受付の女性は身を強張らせる。 自分が、とんでもないことをしてしまったと後悔し、恐れている様子だった。 私は彼女を巻き込んでしまったことを申し訳なく思った。 それと同時に私はあることに違和感を覚えた。 ───おかしい。これはどういうこと? そんなこと、ありえないはずなのに……。 私はゆっくりと彩寧に問い質す。「───まって、彩寧。どうして? どうしてなの? どうして彩寧は私が離婚届にサインをしたことを知っているの?」 確かに私は離婚届にサインをした。 しかし、そのことを知っているのは私と宗司さん、そして幸恵と母の碧だけのはずだった。 ───まさか宗司さんが彩寧に……? ───宗司さんは私が離婚届にサインをしたことを周囲に漏らしているの? 私は幸恵と母・碧にはそのことを伝えたが、それは相談の為だった。 他の人には誰にも漏らしていない。 なぜならそれは、私にとっては「不名誉」で「人に言いたくない悲しい出来事」だったからだ。 ───でも宗司さんは違ったの? ───宗司さんにとっては「不名誉」でも「悲しい出来事」でもなく、誰にでも言って回れる「なんでもないこと」だったの? 私は胸を締め付けられたように、急に息ができなくなった。 耳の奥に甲高い金属音が鳴り響き始めた。 その音は酷く不快で、頭の奥を震わすような頭痛を引き起こした。 そして
last updateLast Updated : 2025-09-24
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第五十七話 社長室での危機

「充希! あなたがその手に持っているものはなに!? 放しなさい! 宗司先輩の部屋の物を勝手に持ち出させたりしないわよ!」 彩寧は私に詰め寄ると、私が手に握っている御守りを強引に奪い取ろうと手を掴んだ。「やめなさい、彩寧! 充希に乱暴をしないで!」 幸恵が私と彩寧の間に割って入り、彩寧を突き放してくれたが、私も身体を押されて、危うく転びそうになってしまった。  かろうじて机に手をついて難を逃れたが、急に力んだことで、私はお腹の痛みがさらに増してしまった。「警備員! 何をしているの! 早くこの二人を捕まえて! この二人は宗司先輩となんの関係もない部外者なんだから!」 彩寧が叫ぶと、警備員の二人は顔を見合わせたが、私たち二人を取り押さえようと迫ってきた。「近寄らないで! 私たちは怪しい者じゃないわ! 宗司に連絡をしてちょうだい! そうすれば私たちの身の潔白を説明してくれるはずだから!」 幸恵は勇敢にも警備員の前に立ちはだかると、私には指一本触れさせないと両手を広げて庇ってくれた。「そうやって時間を稼ぐつもりですね、幸恵部長。そんなことはさせませんよ。警備員さん、二人を連行してください。警備室に閉じ込めて、そこでゆっくり話を聞けばいいだけです」 彩寧は不敵な笑みを浮かべて私と幸恵を見下した。 警備員の二人は、一瞬、どうするべきか迷ったようだが、自らの職責を全うする為、意を決して私と幸恵に迫った。 ───その時。「待ってください! その二人は部外者なんかじゃありません!」 一人の男性が大慌てで社長室に飛び込んできた。  それは先日、病院を退院した宗司さんの秘書の方だった。  退院した時と同じく、事故で痛めた首は、がっちりとコルセットで固定されたままだった。  そんな状態で勢いよく走ったようなので、秘書さんはまたもや「いてててて……」と首をかばった。  彩寧も急に飛び込んできた秘書さんの姿に驚いたようだった。「そこにおられる方は───充希さんは、部外者ではありません! 正真正銘、宗司社長の奥様です! 我が社の社長の社長夫人です!」 息を切らせて秘書さんは私を社長夫人だと説明してくれた。  そう説明して私の身の潔白を証明しようとしてくれたことは嬉しかったが、私は秘書さんに申し訳ないと思った
last updateLast Updated : 2025-09-25
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第五十八話 充希は社長夫人 1

 私がサインした離婚届は受理されていない?  宗司さんが離婚届を破棄した?  なぜ? どうして?「充希夫人、これをどうぞ」 秘書さんは私に封筒に入った一通の書類を差し出す。  私が中を確認すると、そこには私がサインをした離婚届が入っていた。「どうしてこれを秘書さんが……?」 私は震える手で離婚届を受け取りながら、秘書さんに尋ねた。「宗司社長は、その書類を持たれ、時折、取り出しては何かを考え、深いため息をつくとまたしまわれるといった日々を数日間、繰り返していました。  私は、これがなんの書類であるかはわかりませんでしたが、重要な書類であることはすぐに理解できました。  しかし、そこで疑問が生じました。  何故なら、宗司社長は決断が早く、どんなに重要な事案でも、即断即決でご判断をされていたからです。  そんな宗司社長が、これ程までに判断を迷われるなんて……。  私は、この書類がなんであるか、とても興味を覚えました。  そんなある日のことです。  もう何度目かわかりませんが、また、宗司社長がこの書類を取り出して、深く思い悩んでおられました。  しかし、ついに宗司社長は決断をされました。  この書類をゴミ箱に叩きつけるように捨てられたのです。  私はいけないことだとは思いつつ、ゴミ箱を処分する名目で書類を拾い、そして中身を拝見したのです。  この書類がなんであるかわかった私は、宗司社長の判断に喜びました。  ───宗司社長! よくぞこの書類を破棄してくれました!と。  そしてこの書類は跡形もなく消し去るべきだと思いました。  しかし、その消し去り方は、私がシュレッダーにかけて処分したり、焼却炉で燃やしたりする方法ではいけません。この書類は、充希夫人にお渡しして、充希夫人がご自身で破棄しなければならない。  そうでなければ……充希夫人が自らの意思で破棄しなければ、離婚するという考えや意思を撤回することができない。本当の意味でこの書類はなくならない。私はそう思い、この書類を懐に忍ばせていたのです」 私は自分がサインをしてしまった離婚届を改めて確認する。  そこには確かに私の名前がサインされていた。  このサインをしたのは間違いなく私だった。  でも、今、改めて見返してみると、これが自分のサインとは思
last updateLast Updated : 2025-09-26
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第五十九話 充希は社長夫人 2

「秘書さん、ありがとうございます。離婚届を私に返してくださるという判断は、秘書さんのおっしゃる通りです。  この離婚届は、私が自らの手で破棄しないといけません。私が自らの意思で撤回しないといけません。そうしなければ、一生、私の心に残り続け、私の胸に暗い影を落とし続けたでしょう」 私は、離婚届を、まるで奪われた大切な宝物を取り返したかのように胸に抱いた。  その瞬間、私の胸には安堵の気持ちが広がった。 ───よかった。この書類が受理されていなくて本当によかった。  受理されていたら、本当に手の届かない所にこの離婚届は行ってしまっていた。  取り返しがつかなくなってしまっていた。  でも、私はこの離婚届を取り戻すことができた。  撤回できる。過去の誤った判断を正すことができる。やり直せる。後悔を消し去ることができる。 ───本当によかった……。 私は、ただただそのことが嬉しくて、目に涙が溢れ始めた。「秘書さん、私を離婚届という呪縛から解放してくださって本当に───本当にありがとうございます。  もう二度とこのようなことはしません。離婚届にサインなんかしません。  私は強くなります。今この瞬間に、私は過去の弱い自分と決別します。自分が強くなると誓います」 私が決意を述べると、秘書さんは満足そうに頷きました。「そうしてください、充希夫人。宗司社長にはあなたが必要です。恐らく宗司社長は充希夫人におっしゃっておられないと思いますのでお伝えしますが、宗司社長は社内で大変な苦労をされています。社内に「強大な敵」がいるのです。  その強敵との戦いに勝つためにも、充希夫人の存在が───支えが必要です。  ですからどうか───どうかこれからも宗司社長のことを宜しくお願い致します」 秘書さんは事故で痛めた首を省みず、深く頭を下げて私に懇願をしてくれた。  その姿に、私はこの秘書さんが本当に宗司さんの為に尽くしてくれていることを理解した。  宗司さんがこの秘書さんを「有能な男で失いたくない」と言った理由がとてもよくわかる。 私は秘書さんの誠意に精一杯答える為にも、自らが強くなる決意を新たにした。「一度は離婚届にサインをしておきながら、それでも自分が宗司先輩の妻だと言い張るなんて厚かましいにも程があるわ!  充希!
last updateLast Updated : 2025-09-27
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第六十話 宗司さんに御守りを 1

 病院に戻った私と幸恵は、宗司さんの病室に駆け込む。  そこにはベッドで眠る宗司さんと、そんな宗司さんを見守る母・碧がいた。「充希、それに幸恵さんも。無事、帰ってきてくれて何よりだわ。宗司くんが言っていたものは何かわかった? そしてそれを見つけることはできた?」 母は、その事をとても心配してくれていた。  私と幸恵は自信ありげにしっかりと頷くことで返事をした。  その様子に母も満足そうに頷き返してくれた。「さすが充希。私の娘ね。充希ならどんな困難にも打ち勝ち、やり遂げてくれると信じていたわ」 母はそういうと、そっと私を抱き締めてくれた。「ごめんね、充希。私が一緒にいてあげられなくて」 私も母の背中に手を回しつつ、母が何について謝っているのかを考えた。  今の母は、宗司さんの会社に行く際、自分が一緒でなかったことについて謝っているのではない。  母は、私の父・大和田 毅と相思相愛だったが、周囲の反対で父との結婚を許されなかった。  その為、母は私を身ごもり、産んだ後に、私と一緒に過ごすことができず、一歩引いた距離から見守るしかできなかった。  我が娘の傍に母親としていてあげられなかったこと。  今、母はそのことについて謝っているのだと私は気付いた。  我が子の為に愛情を思う存分に注げない母の歯がゆさ、そして自らの無力への忸怩たる思いは、私には計り知れない。  恐らく母は、これまでの人生で一日たりともそうした思いから解放されることなく、後悔を抱えながら過ごし続けていたのだろう。  母が仕事に打ち込み、救急救命士として多忙な日々に身を置く理由は、そうした悩みからの解放と、自らに罰を課すという意味もあったかもしれない。  私は優しく、しかしそれでいて力強く包むように私を抱き締める母の姿に、母のそうした思いがいかに大きいものであったかを、改めて理解できた。「大丈夫だよ、お母さん。お母さんが一緒にいなくても、私はずっとお母さんの温かさを感じていたよ。一日だって───いえ、片時だってそのことを忘れたことはなかったよ。だから安心してね。自分を責めないでね。お母さんは私にとって最高の母親だから。私を産んでくれてありがとう。私を育ててくれてありがとう。私を見守ってくれてありがと
last updateLast Updated : 2025-09-28
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