蒼空の声は静かだった。「我慢して」文香の言う通り、蒼空が借りた家にはエレベーターはなかった。だが二階だったので、荷物はすぐに運べた。古い団地で建物も老朽化していたが、中の設備は一通りそろっており、二部屋とリビングの間取りでそれほど広くはない。ざっと片付けただけで、すぐ住める状態になった。蒼空は慣れた手つきでリュックを開け、教科書を取り出す。大学入試は目前。気を抜くわけにはいかない。松木家。瑛司が玄関に入ると、出入りする使用人たちがベッドサイドテーブルを運び出そうとしていて、入り口が塞がれていた。使用人は汗をにじませ、体を少しずらして道を空ける。「申し訳ありません」瑛司はその場から動かず、玄関口で立ち止まり、運ばれる家具を見つめた。これは蒼空の部屋のベッドサイドテーブルだ。扉には、彼女が貼った可愛いシールがそのまま残っている。眉間にわずかに皺が寄る。低く抑えた声が落ちる。「何があった」使用人は視線をそらし、低く答えた。「敬一郎様のご指示です。直接お尋ねください」瑛司の切れ長の黒い瞳が、無造作に家具へと注がれる。けれどそこには、妙な圧が宿っていた。何を考えているのか分からない。その無表情が、かえって恐ろしい。使用人たちは額に汗を滲ませ、進むべきか退くべきか判断できず、ただ立ち尽くす。長い沈黙の末、瑛司はようやく体をわずかに動かし、通れるだけの隙間を作った。安堵の息をついた使用人が、家具を持ち上げて外に運ぼうとした、その時――「置け」低く響いた声に、全員の心臓が跳ね上がる。「ですが、敬一郎様のご指示で、関水さんの荷物はすべて処分しろと――」「戻せ」さらに低く、重く落ちる声。「二度言わせるな」使用人同士が目を合わせた。お互いの瞳に映るのは、同じ恐怖。慌てて頭を下げ、彼らは来た道を戻り、ベッドサイドテーブルを蒼空の部屋へ戻した。リビングに置かれていたベッドも、急いで元に戻される。空っぽになりかけていた蒼空の部屋が、元通りになった。瑛司は祖父の書斎の前まで歩き、ノックした。「入れ」老いた声が中から聞こえる。扉を開け、瑛司は無表情のまま部屋に入り、書斎の机を一瞥して切り出した。「蒼空はどこに?」祖父は老眼鏡
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