All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 41 - Chapter 50

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第41話

とても綺麗だった。このドレスは、彼が高級ブランドの店で時間をかけて選んだもので、生地も仕立ても上等だった。けれど、蒼空がこんなにも美しく着こなすとは、まったく予想していなかった。予想外の美しさだった。オフショルダーデザインのおかげで、華奢で細い肩が柔らかな光を帯びて見える。滑らかな布地は少女のしなやかな身体のラインをなぞり、細い腰を際立たせながら床まで流れ落ちる。高く入ったスリットの隙間から、長く伸びた脚がちらりと覗く。小さな顔に、彼女はほんのりと口角を上げて皆を見渡した。その姿は、見る者の目を奪った。数年後の彼女がどれほど美しく成長するか、容易に想像できる。数秒間、人々のざわめきが消える。「待たせた?」蒼空が静かに口を開く。和人は瞬きをしながら前へ歩み出た。普段の柔らかな笑顔を浮かべて。「いや、ちょうどいいところだ」「それなら良かったです」蒼空は微笑んだ。無邪気で穏やかなその様子を見て、和人の胸の奥にある迷いや後悔がますます大きくなる。言葉を紡ごうとした瞬間、背後から肩を小突かれた。「関水さん、みんな舞台で待ってるぞ。早く上がれよ」声をかけた男は、ふざけた笑みを浮かべ、目の奥に企みを隠そうともしない。蒼空は何も気づかぬふりをして、悪戯っぽくウィンクした。「はい、すぐ行きます」そう言って、くるりと背を向ける。背中一面が露わになる。このドレスは背中が大きく開いたデザインで、両側を一本の紐で結んでいるだけ。細い背筋の上、柔らかな布地の下に浮かぶ美しい肩甲骨が、淡く際立っていた。少女の華奢な体つきが、かえって儚さを際立たせる。少しでも力を加えれば折れてしまいそうな、守りたくなるような柔さ。和人はその背を見つめ、思わず眉根を寄せた。その様子に気づいた隣の男が、からかうように笑う。「和人、みんなあの子の醜態を楽しみにしてるんだぜ。今さら迷うなよ?」「するわけないだろ」和人は苛立ち気味に言い返した。「なら安心だ。にしても......関水、意外といい体してんじゃねぇか。目の保養だな」男は肩を叩き、笑いながら言う。「ほら、早く行けよ。待ってたぜ」和人は歯を食いしばり、蒼空の後を追って舞台へ上がった。舞台の上。蒼空は視線を巡らせる
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第42話

蒼空は小さく返事をし、杯を掲げた。まるで和人が背後にゆっくりと近づいてくるのを気づかないふりをして、微笑みながら言う。「みんな、楽しみにしてたんでしょ?」誰もが予想もしない言葉だった。意味も分からないし、そもそも蒼空の言葉など気にも留めていなかった。「聞きました。私にプレゼントを用意してるって。だから私も、礼には礼を。とびっきりの贈り物を用意しました」会場の視線は蒼空の言葉に向けられることなく、彼女の背後、和人の手元へ注がれていた。彼らの瞳は獲物を待つ獣のように輝き、蒼空のドレスが落ちる瞬間を、息を潜めて待っていた。泣きながら必死に胸元を押さえる蒼空を、嘲笑うために。蒼空の視線がふと横へ逸れ、瑛司の暗く沈んだ瞳とぶつかる。彼女は薄く笑った。蒼空は酒を口にせず、テーブルに置いた。その瞬間、背後から衣の紐が強く引かれた。笑みが、深まる。彼女はこの日のために、その紐を特別に補強しておいた。和人の力では引きちぎれない。かすかに、彼の小さな呟きが聞こえた。「どうして......?」動かないことに気づいた和人は、心底安堵したように息を吐いた。よかった、これで恥をかかずに済む。だが、次の瞬間。蒼空が勢いよく振り返り、真っ直ぐに彼を見据えた。「どうした?」和人の喉がひくりと動く。「引っ張れなかった?」蒼空の声は淡々としていた。「は?」頭の中が真っ白になる。蒼空はにこりと笑い、肩に手を置いた。「大丈夫。あなたの服なら引っ張れますよ」月光の下、白く細い背中が群衆に向けられていた。なめらかな肌が仄かに光を帯び、男たちの目は無意識にそこへ吸い寄せられる。誰もが釘付けになり、目の奥に欲望の色を滲ませた。その光景を、瑛司は黙って見ていた。細めた瞳が徐々に深い色を帯び、喉仏がゆっくりと上下する。二人の声は小さく、観客には何が起きているのか分からなかった。そして、次の瞬間。人々の目が一斉に見開かれる。蒼空の手が和人の肩にかかったかと思うと、一気に引き裂いた。スーツの上着が音を立てて裂け、中の白いシャツも同時に破れる。瞬く間に、彼の上半身はほぼ裸同然となった。無様な姿が、会場にさらされる。観客席がどよめきに包まれた。和人の顔から血
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第43話

「和人、私は聖人じゃない。私だって復讐するよ」掌に隠していた小さなナイフをテーブルの上に放り投げる。金属の刃がガラスのグラスに当たり、甲高い音が響いた。和人の顔色は蒼白に沈み、目の奥は暗く濁る。蒼空はきっぱりと背を向け、群衆を見渡しながら言った。「これが私からの贈り物よ。気に入ってくれたかしら?」会場は一瞬にして静まり返り、皆が恐怖の眼差しで蒼空を見つめる。背後で、和人が慌ただしく立ち去る足音が響いた。蒼空は退屈そうに眉を動かし、踵を返す。ドレスの裾を持ち上げ、足元に気をつけながら階段を下りていく。夜のバーは照明が暗く、足元を見なければ簡単に踏み外してしまいそうだ。背後で足音が近づいた瞬間、蒼空は和人が着替えて追ってきたのだと思った。顔色ひとつ変えずに歩き続ける。そのとき、強い力が手首を掴んだ。一気に身体が引き戻され、振り向かされる。視線の先には、瑛司の瞳。蒼空は嫌悪を隠さず眉を寄せた。「何の用?」彼女は彼もまた絡みに来たのだと思い、声も表情も冷たい。瑛司は少し俯き、低く言った。「たいした度胸だな」蒼空は眉を上げ、唇の端に嘲笑を刻む。「お互い様でしょ」前世でも、瑛司はただの傍観者のひとりだった。瑛司の指先に力がこもる。手首が痛むほど強く引かれ、蒼空は歯を食いしばった。「放して!」細めた瞳が野獣のように彼女の全身をなぞる。「和人が選んだ服か」蒼空は冷ややかに笑う。「知ってるくせに」そのとき、柔らかい声が階段の上から響いた。「瑛司、ここにいたの?探してたよ」瑠々だった。「関水さんも......いたのね」蒼空は視線を動かさず、瑛司が瑠々に顔を向け、そして手を離すのを感じた。瑠々が近づき、隠せない敵意を瞳に宿しながら問いかける。「瑛司、関水さんと......何を話してたの?」蒼空は無言で口角を引き、手首を振りほどいて立ち去ろうとする。が、またもや瑛司に掴まれた。堪えきれず声を荒げる。「松木社長、彼女が見てる前ですよ。いい加減にしてください」瑛司の黒い瞳が深く沈む。「蒼空」瑠々がすかさず彼の腕を取り、甘く囁いた。「瑛司、映画観に行くんでしょ?もう行かないと間に合わないの」蒼空は数歩下がり、冷やや
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第44話

蒼空の瞳が静かに沈み、両手がゆっくりと握り締められた。このピアノは高価なもので、瑛司がわざわざフランスから空輸させたものだ。そこには多くの思い出が詰まっている。蒼空ははっきりと覚えていた。瑛司がこのピアノを瑠々に贈ったのは、ちょうど自分の誕生日の日だった。去年の誕生日、あの頃の二人の関係は、今のように冷え切ったものではなかった。瑛司は、彼女を本当の妹のように扱い、何事にも気を配り、細やかに世話を焼いてくれていた。彼女が松木家に引き取られて以来、誕生日にはいつも心を尽くして祝ってくれた。九桁を超える価値のこのピアノも、本来は彼女の誕生日プレゼントとして用意されたものだった。あの日、瑛司は彼女をピアノ室の前まで連れて行き、彼女の目には黒い布がかけられ、背後には手を伸ばせば触れられる距離に、広くて温かい胸板と抗いがたい香りがあった。胸がどくどくと高鳴る中、彼に導かれてドアノブに手を伸ばす。「開けてみて」優しい声が耳元に落ちた瞬間、心臓の鼓動はさらに速まった。だが、背後に突然響いたヒールの音が、その空気を断ち切った。手の甲に添えられていた温もりがふっと離れ、蒼空の心に空白が生まれる。そして、瑠々の声。それが初めて彼女の声を聞いた瞬間であり、初めて顔を合わせた瞬間だった。以前から、人づてに瑠々の美しさや、瑛司が彼女に抱いている深い想いについて耳にしたことはあった。けれど蒼空は、それを過去の話だと思っていた。だが、瑠々が涙ぐみながら、少女の秘めた想いの詰まった日記を瑛司に差し出したとき。その日記に書かれた愛の言葉を目にした瞬間、瑛司の穏やかな瞳は暗く沈んだ。そして彼女の目の前で、瑠々は蛇のように絡みつき、哀れさを演出しながら、瑛司に「どちらを選ぶのか」を迫った。結果は、言うまでもない。瑛司は瑠々を選んだ。本来なら自分のものだったはずのピアノは、彼の手によって瑠々へと渡されたのだ。そのとき初めて、蒼空は知った。瑠々は過去形ではなく、現在形であり──そして未来形でもあるのだと。今思い返しても、あの時の胸を裂かれるような痛みや信じられない思いは、すでに遠いものになっていた。目の前のピアノ──それは、これから瑛司と瑠々が連弾する予定のピアノだった。視線を逸らし、台
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第45話

前世、瑛司もまた和人がやろうとしていたことを全て知りながら、無関心のまま冷ややかに見ているだけだった。瑛司は気だるげに瞼を上げ、薄い唇をわずかに引き結ぶ。「不満か?」蒼空は問い返す。「不満じゃない理由、どこにあるの?」瑛司は何故か彼女をじっと見つめ、やがてゆっくり視線を逸らした。それ以上何も言わない彼に、蒼空は奥歯を噛みしめる。「瑛司、私、景花町に帰るって言ったよね」「ああ。そのうち送ってやるさ」目を閉じたまま、彼は淡々と答える。「今すぐ帰りたいの」返事はなかった。二十分後、蒼空は瑛司と共に車を降りた。瑛司は彼女の前を歩き、蒼空はふと策を思いつき、静かに背を向ける。その瞬間、背後から低い声が飛んできた。「どこへ行く」前を歩いていたはずなのに、まるで後頭部にも目があるかのような声音だった。「自分の足元を見てみろ」そう言って近づいてくる彼の黒い瞳は、静かで冷たい。そのまま手首を取られ、強引に敷地内へ引き込まれた。中へ入ると、蒼空は諦めたようにソファへ腰を下ろす。瑛司は無言のまま台所へ行き、一杯の麺を持って戻ってきた。ほのかに湯気が立ち昇っている。「後藤さんが作ったものだ。食べてみろ」蒼空のまつ毛がわずかに震える。後藤さん──瑛司が雇った家政婦で、もう五年近くここで働いている。彼女が瑛司の家に住んでいた頃、ずっと面倒を見てくれていた人だ。まさか、今でも気にかけてくれているとは思わなかった。「後藤さんは?」「孫が熱を出して、今病院だ」蒼空は小さくうなずき、両手で器を包む。掌に伝わる温もりを感じながら、箸で麺をすくって口に運ぶ。次の瞬間、わずかに眉をひそめた。味が以前と違う。少ししょっぱいし、麺にもコシがない。中の野菜も煮すぎている気がした。唇を結び、ふと瑛司の言葉を思い出す。孫が病気なのだから、心ここにあらずだったのだろう。それなら仕方ない。心を尽くしてくれた気持ちは受け取るべきだ。蒼空は何も言わず、静かに麺を食べ進めた。「おいしい?」不意に問う声。「後藤さんの料理だもの。もちろんおいしいわ」自然とそう答える。「そうか......」どこか含みのある声が返った、そのとき、瑠々が突然現れた。
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第46話

なるほど、そういうことだったのか。蒼空は箸を置き、胸の奥でまた感情が波立つのを感じた。どうりで瑛司が突然、良心に目覚めたかのように誕生日を祝うと言い出したわけだ。すべては瑠々の「謝罪」のためだった。手の中の甘い蜜が、急に毒に変わった気がした。もう、食欲なんて一欠片も残っていなかった。蒼空の唇がわずかに吊り上がる。冷ややかで、皮肉な笑み。「そう」瑠々は少し照れたように笑い、唇を結ぶ。「ええ。欲しいものがあれば言って。瑛司に買わせるわ。私たちからの気持ちだと思って」「結構です」蒼空は碗と箸を置き、すっと立ち上がる。瑠々と瑛司に向き合い、声は不気味なほど平静だった。「謝罪なんて必要ありません」瑛司に視線を向ける。「松木社長の謝罪は重すぎて、私には背負えない。この一杯の麺だって、私には贅沢すぎて、食べたくもない。もう遅いから、帰るわ。二人きりの時間を楽しんで」瑛司の眉がわずかに動く。「送らせる」蒼空は何も聞こえなかったように、部屋の扉を開け、足早に去った。帰り道、彼女は心の中で瑛司を延々と罵り続けた。学園祭の前日。ようやく優奈が病院から出て登校してきた。だが、戻ってきたその日のうちに、蒼空は教室の入口で彼女に行く手を塞がれた。挑発的な笑みを浮かべた優奈が口を開く。「蒼空、聞いたわよ。おじいちゃんに追い出されたんだって?」蒼空は背筋を伸ばし、冷静に言い放つ。「どいて」取り巻きと共に、優奈は嘲るように笑った。「あんたのこと、本当に家族として見てくれてるのかと思ってたけど......私がまだ退院もしてないうちに追い出されたんだ?ほんと笑えるわ。無理して平気なふりしなくていいのよ。ホントは傷ついてるんでしょ?」蒼空は冷たい目で彼女を見つめ、そして鼻で笑った。「もっと笑えるのは、優奈さんのお兄さんが私に人前で服を剥がされたこと。動画、見ました?見てないなら送ってあげましょうか?」優奈の顔色が一気に変わる。「私、まだあんたとケリつけてないのよ。よくも挑発できたわね!」蒼空は淡く笑う。「で?見るの?見ないの?見ないなら他の人に送りますけど?」「関水蒼空っ!」怒りに震える声。蒼空の口元には、冷ややかな笑みが残ったままだ。
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第47話

優奈はまだ何か言いたげだったが、風見先生がいる手前、それ以上は口を挟めなかった。廊下を並んで歩きながら、風見先生は蒼空を見やり、瞳に憂いを宿していた。「状況が、これほど厳しいだとは思わなかった。何か助けが必要なときは、いつでも先生に言いなさい」蒼空は唇を動かし、かすかに声を漏らした。「大丈夫です。気にしてませんから」風見先生の眉間がさらに深く寄る。「気にしていいのよ。怒ったっていい。それは蒼空さんの権利だから」蒼空の表情が一瞬だけ空白になった。今まで、誰もそんなことを言ってくれたことがなかった。昔の彼女は、怒ることも気にすることもできなかった。誰も、自分の気持ちを大事にしてくれなかったからだ。けれど、今は本当に気にしていない。蒼空はわずかに唇を上げ、静かな瞳で風見先生を見つめた。「先生、本当に大丈夫です」彼女は風見先生をこの騒動に巻き込みたくなかった。松木家は巨大な権力を持ち、この街で空を覆うほどの影響力がある。その重さを、高校の教師が背負えるはずもない。風見先生は小さくため息をついた。蒼空と松木家のことは、噂程度には耳にしていた。だが、彼女は噂を信じない。自分が授業で数回接した、この生徒の目だけを信じていた。蒼空の瞳には、澄み切った光があった。その光の清らかさを信じるからこそ分かる。松木家の人間が、彼女の心をどれほど傷つけ、ここまで追い詰めたのか。それでも彼女は、わずかな声で「気にしない」と言うしかなかったのだ。学園祭の日はすぐに訪れた。リハーサルの翌日、蒼空は風見先生が用意したドレスに着替え、長い髪をアップにまとめる。細く白い首筋と鎖骨が露わになり、照明に映えて輝いていた。舞台用の濃い化粧が施され、紅を差した唇は炎のように艶やかだ。だがその派手さは彼女の顔に重くは乗らず、むしろ普段のあどけなさを消し去り、一人の洗練された美人として立っていた。手にした司会用バインダーを見つめながら、外の喧騒に耳を澄ます。心は、不思議なほど静まり返っていた。「蒼空、すごく綺麗だね......」「瑠々姉、すごく綺麗だね!」二つの声が同時に響く。一人はもう一人の女性司会者、もう一人は優奈だった。蒼空は淡く笑みを浮かべたまま、振り返らずに言う。
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第48話

蒼空は背筋を伸ばし、両手を腹の前で組む。その笑みは浅く、瞳にはほとんど笑意が宿っていなかった。彼女が立ち上がったことで、周囲はようやく彼女のドレスをはっきりと目にする。確かに瑠々のドレスとは比べものにならない。けれど蒼空が纏えば、それだけで十分に眩しく、堂々と張り合える存在感を放っていた。人は服装次第。しかし彼女は、衣服を輝かせる存在そのものだった。蒼空を踏みつけにしたいと常に思っていた優奈ですら、彼女の全身を目にした瞬間、言葉を失い、珍しく喉を詰まらせた。ここは学園祭用の控え室。出演者たちが一斉に化粧や準備をする場所だ。だが瑠々はすでに化粧を済ませており、化粧のために来たのではないのは明らかだった。そして優奈も今夜は出演しない。目的は一つ。蒼空を、ここで追い詰めるため。蒼空は優奈を見やり、唇に皮肉な笑みを浮かべた。「優奈さんは、長和町とお似合いですよ」優奈は、その住所に聞き覚えがあるようで、眉をひそめた。「なにそれ」蒼空はもともと優奈より背が高い。8センチのハイヒールを履いた今は、頭ひとつ分も差があった。彼女は首を傾けもせず、見下ろすこともせず、ただ冷たい視線だけを落とす。「教えてあげましょう。あそこはこの街の精神病院ですよ。優奈さんの同類がたくさんいる場所」そのまま、瑛司の視線と交わる。まだ何も言わぬうちに、瑠々がドレスの裾を持ち上げ、花が咲くように歩み寄った。白い腕を瑛司の腕に絡め、柔らかな笑みを浮かべながら言う。「関水さん、ごめんなさいね。優奈ちゃんは少し衝動的なところがあるの、気にしないであげて」瑠々は小首を傾げ、恥じらうように微笑む。「優奈ちゃんは、私のために考えているだけだから」典型的なぶりっ子。まるで、「優奈の言い分は正しい」と裏で告げているかのようだった。蒼空は口元をゆるめ、冷淡な声を返す。「久米川さん。本当に悪いと思ってるなら、きちんと頭を下げて謝ったらどうです?表向きと裏で態度が違うなんて......見てるだけで疲れます」瑠々の笑みが、一瞬だけ止まった。すぐに彼女は唇を噛み、伏し目がちに、か弱さを装う。目を潤ませながら、言いたげに瑛司を見上げた。案の定、瑛司は彼女を庇う。腕を回して瑠々の肩を抱き寄せ
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第49話

蒼空は壇上に立ち、すべてを見渡していた。かなりの人数が、瑠々を象徴するピンク色のペンライトを掲げている。その歓声は耳をつんざき、ホール全体がピンクに染まったようだった。「瑠々!瑠々!」多くは瑠々を目当てに、あるいは瑠々と瑛司のためにここへ来ているのだろう。しかし、蒼空が壇上に立った瞬間、呼び声はぴたりと止んだ。代わりに、低く歯噛みするような罵声があがる。「なんであの女?縁起でもない!」「さっさと降りろよ、瑠々の舞台を汚すな、目障りなんだよ!」「くたばれ、不倫女!」隠すこともなく、堂々と口にされる罵り。隣に立つ司会者たちは気まずそうに何度も蒼空を伺ったが、彼女は顔色一つ変えず、淡々と開口した。「皆さま、本日はようこそ......」瑠々と瑛司の四手連弾は、トリの演目だった。長時間立ち続け、脚が痺れそうになった頃──ようやく彼らの名を呼ぶ時が来た。「続いての演目は、本校の卒業生・瑛司さんと瑠々さんによる四手連弾『恋』。盛大な拍手でお迎えください!」言葉が終わるや否や、再び轟く歓声。「瑠々!瑠々!」その中には瑛司の名も交じっていた。蒼空は司会者たちと共に壇を降り、瑛司と瑠々とすれ違う。俯いたまま、一瞥すらしなかった。だが、立ち止まった瞬間、視線を上げる。舞台に上がったのは、瑠々ひとりだった。瑛司は舞台袖に留まり、彼女を見送っている。蒼空は眉をひそめ、思わず口を開いた。「瑛司は出ないんですか?」他の司会者たちや学園祭担当の教師たちは呆気に取られたような顔をしている。教師が慌てて近づき、恐る恐る尋ねた。「松木社長......出られないのは、何か理由が?」蒼空は彼の背中をじっと見つめた。瑛司は片手をポケットに突っ込み、わずかに顔を横に向けて、冷ややかに言う。「彼女の曲だ。ひとりで弾けばいい。俺がその栄誉を分け合う必要はない」教師は一瞬戸惑ったあと、はっと理解したように頷いた。「つまり、久米川さんに独りで演奏させて、彼女の曲として輝かせたい、ということですね」瑠々に拍手と栄誉を独占させ、自分はただその背後に立つ男でいる。それほどの想いがなければ、できないことだ。瑛司は黙したまま、それを肯定するように立っていた。教師は感慨深げに息を吐
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第50話

蒼空は荒く息を吐き、目を閉じて胸の奥の激しい憎しみを押し殺した。その瞬間、瑠々が奏でるピアノ曲がスピーカーから流れ出し、客席の人々は息をひそめるように口を閉ざし、静かにその音色に耳を傾けた。幕の裏側で、蒼空は遠くから瑠々の背中を見つめていた。何度繰り返しても、どんな覚悟を持っても、自分はいつもこうして舞台の下から、舞台の上で輝く瑠々を見ている。優雅な姿勢、細く力強い指が鍵盤を叩き、流麗でしなやかな旋律が静かに溢れ出していく。瑛司もまた、同じように舞台下から瑠々を見つめていた。だが彼は真摯で深い眼差しで、まるで対を成すように美しく、それに比べ、自分はただの陰の鼠のようだ。二人は、あまりにもお似合いだった。時間が過ぎ、蒼空はうつむきながら、かすかに笑った。瑠々は、隠すということを知らないのか。原曲とほとんど同じじゃないか。大胆なのか、それとも瑛司という後ろ盾があるから恐れ知らずなのか。瑠々の演奏が終わると、客席から大きな拍手が巻き起こった。全演目の中で、最も歓声が大きく、人気が高いのは瑠々の演目だった。演奏後も、ファンの歓声が再び沸き起こる。普段は生徒の「推し活」を快く思わない教師でさえ認めざるを得なかった。「久米川さんの人気はすごい。ほとんどアイドル並みですね」「でも、彼女なら納得です」瑛司の拍手は、観客よりも早かった。蒼空はスカートを持ち上げ、拍手する瑛司の横を通り過ぎ、ゆっくりと舞台へ上がった。降りてくる瑠々と肩が触れ合う。二人とも目を逸らし、相手を無視するように通り過ぎる。そして蒼空の口元に、今夜もっとも真摯な笑みが浮かんだ。彼女が観客の前で原曲の名を告げた、その瞬間──その笑みは今夜一番、眩しいほどに輝いていた。「これにて学園祭の演目は終了です。最後にお届けするのはピアノ曲『渇望』。これは天満菫(てんま すみれ)さんの遺作で、三年前に発表された曲です」言葉が終わると同時に、音響から「渇望」が流れ始めた。蒼空が舞台に立っているため、客席は静まり返り、その旋律が一層はっきりと響き渡る。隣の司会者が、早く降りるようにと視線で合図を送るが、蒼空は微動だにせず、舞台に立ち続けた。やがて客席の一部がざわめき始める。瑠々のファンの多くはピアノに詳しい者
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