All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 571 - Chapter 580

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第571話

隆は彼女を睨みつけ、冷たく笑った。「俺がまだ外にいるの、そんなに意外か?」蒼空は気のない声で返す。「まあ、ゴキブリみたいにしぶといし、死なないのは普通でしょ」隆は今日は機嫌がいいのか、彼女の皮肉にもわざわざ噛みつかず、テーブルの上の紙コップをつかむと、豪快に水を飲み干した。「はっ。せいぜい言っとけ」「蒼空、こっち」廊下の一室から、小春が手を振った。蒼空は軽く会釈して歩み寄る。部屋は広くない。四つのデスクが並び、ほぼ部屋の大半を占領しているせいで通路はかなり狭い。大人が数人立つだけで窮屈だ。デスクや椅子の上には資料が積み上がり、ざっと見ただけでも大半は隆関連のものだった。中に入った途端、蒼空の視線は部屋で一番きちんとした服装の男女へと向かった。瑛司と瑠々。彼女は小春のそばに立ち、小声で尋ねた。「今の状況は?」小春は眉を深く寄せた。「審査局の人が言うには、上から急な指示が出たらしくてさ。今いる連中、全員別の大案件に回されるんだって。だからこの件の捜査は数日中断、手元の仕事も全部ストップ。で、数日後に再開って」小春は低く悪態をつく。「何が『数日後に再開』だ。その頃にはもう手遅れだっての。隆なんてもう国外に飛んでるに決まってる。そしたら全て終わりじゃん」声量は大きくないが、狭い室内では妙に響いた。蒼空が周囲を見渡すと、審査局の職員たちは気まずそうにうつむき、手元の資料をいじくり続けていた。真浩は横で顔を真っ赤にして立っている。すでに一度食ってかかったのだろうが、どう見ても効果はなさそうだ。瑛司と瑠々は部屋の右側に並んで立ち、腕を組み、余裕そのものの表情を浮かべていた。蒼空は目を細め、わざとらしく問う。「あなたたちは何しに?」瑠々は微笑み、目の奥にかすかな陰を宿しながら、柔らかく言った。「ここに来る前に、蒼空と隆さんの件は聞いていたの。詳しい事情までは分からないけれど、本当に偶然が重なってるみたいで......この人たちも手が足りなくて別件に呼ばれてるし、ここは少しだけ待ってあげてもいいんじゃない?」蒼空の目は静かなままだった。「本当にすごい『偶然』だね。隆が入ってきたタイミングで、あなたたちも『偶然』現れたもんね」瑠々の表情が一瞬曇る。「蒼空、
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第572話

瑛司は彼女を見つめて言った。「わかった」二人は廊下の突き当たりまで歩いた。蒼空が口を開く。「あの日、あなたも現場にいたよね。飯田隆が何をしたか、覚えてるはずでしょ?」本当は、彼の答えなんて聞きたくなかった。蒼空は冷たく笑う。「少しでも良心があったら、こんな真似しないはず」蒼空は心底、失望していた。彼女は瑛司が自分を愛していない、拒絶している――そこまでは受け入れていた。他のことに関して、彼は間違えることはないだと思っていた。五年経って、もう未練も期待もないはずだった。それなのに今、目の前の現実を見せつけられて、避けようがなく失望した。「本当に、あの男を助けるつもり?」蒼空がそう問うと、瑛司は言った。「俺や松木家が動かなくても、彼はきっと別の手を使う」「でも、今助けてるのは確実に『あなた』だよね?」蒼空はまっすぐ彼を見た。瑛司は低く言う。「彼は長く商売して、人脈も資源も多い。簡単には崩れない。お前の準備では足りなかった。それが、この結果だ」蒼空の目は徐々に静けさを取り戻す。「つまり、あなたは彼を選ぶってこと」「選んだじゃない」不意に、瑠々の声が割り込んだ。蒼空は気配に眉を動かす。瑠々は歩み寄り、親しげに瑛司の腕に手を絡めながら言った。「今の蒼空の気持ちは分かるよ」彼女は困ったような顔をして続ける。「少し焦りすぎじゃない?もし蒼空の秘書さんの......あの件のためなら、そんなに騒ぎ立てることじゃないと思うの」「どういう意味?」蒼空が静かに問うと、瑠々は淡く笑った。「確かに飯田社長は蒼空の秘書さんに良くないことをした。でも、結局『何もされなかった』でしょ?途中で私たちも止めに入ったし。結果的に、秘書さんは大きな被害を受けてない。だから、そこまで気にする必要ないでしょ?この件で飯田社長を敵に回すのは......得策じゃないと思うの」蒼空は一度も遮らず、静かに聞き続けた。瑠々は続ける。「さっき私たちも飯田社長に話をしたのよ。秘書さんへの補償に応じるって。これですべて丸く収まるでしょ?」蒼空は無言のまま、ずっと瑠々の顔を見ていた。長い沈黙が落ちる。瑠々は不安げに問いかける。「いい案だと思うけど......?」蒼空は淡々
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第573話

瑛司は彼女を見つめ、低い声で言った。「必ずケジメをつける。だからもうこの件から降りろ」蒼空は淡々と返す。「ケジメ?久米川さんが言ってたああいうの?結構です」瑛司の目の色がさらに沈む。「こんな形で終わらせるつもりはない。これは約束する」「もう信用できないわ」蒼空は言った。瑛司の眉がわずかに寄る。蒼空は彼の手を見下ろした。「こうして引き留めるのは、もしかして私が瑠々をぶん殴りに行くと思ってる?」「お前は――」瑛司が言いかけた瞬間、蒼空は勢いよく彼の手を振り払った。「松木社長はもう『選んだ』んでしょ。なら、これ以上偽善者みたいなことしないで」瑛司の長い黒い瞳は深く沈み、ただ蒼空を見ていた。「さよなら」蒼空はきっぱりと言い、歩き出した。「え、終わり?あいつ、このまま帰すの?」小春は露骨に嫌そうな顔をした。蒼空は審査局の入口をちらりと見る。「もうどうしようもないでしょ。松木家まで動いてるんだから」「松木と久米川、どこにでも湧くなあ......」「行こう」「ちょっと待った!」真浩が二人を塞いだ。顔は緊張で歪んでいる。「俺はどうするんだよ!今日ここまでやったんだぞ。なのに親父は無事?ふざけるなよ!あいつが出てきたら、俺、終わりだろうが!」彼は歯ぎしりした。「納得できるまで行かせないぞ!」小春は蒼空を見る。「これ......どうする?」「安心して。ここで終わりじゃない」蒼空は平静だった。「松木家まで絡んでるんだぞ。もうどうにもならない!俺はこれからどう生きろってんだ!」「それは君の問題であって、私のじゃないわ」蒼空の声は静かだった。「方法があるのか?」蒼空は答えず、「しばらく大人しくしてて。状況が動いたら知らせる」「教える気はないってこと?」「その態度でどう信じろっての。君はすぐに調子に乗るから、知らないほうがいい」「お前......!本当に手があるならいいが、もし無かったら......絶対許さない」蒼空は無視し、「行こう」と小春に声をかけた。車の中。「で、まだ何か手があるわけ?」小春が問う。蒼空が口を開こうとしたその時、ポケットのスマホが鳴った。遥樹からだった。蒼空は意外そうに電話を取る。
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第574話

「気になるけど......」蒼空は言った。「でも、彼が話したくないなら無理に聞くつもりもないし、今のままでいいよ」小春が言う。「ここまで信用してるなんてね。殺しでもやってたらどうすんの?」蒼空は笑った。「時友家の御曹司が、そんなことするわけないでしょ」小春は眉を上げた。「でも、絶対とは言い切れないじゃん」蒼空は彼女の肩を軽く叩く。「変な想像しないの。今夜は残業して働くよ」――「松木社長、審査局のほうにはもう連絡しておきました」瑛司は小さく返事をした。アシスタントは少し迷いながら続ける。「審査局は、数日中に飯田隆の案件を再調査する、と。ただ......」瑛司が低く言う。「なんだ」アシスタントの声はさらに小さくなった。「敬一郎様のほうが、もう動きを察しているみたいで......」瑛司は手にしていた書類を渡し、眉間を動かさず言った。「気にするな。自分の仕事をしていればいい」アシスタントが去って間もなく、まるで彼の言葉を証明するように、瑛司のスマホが鳴り響いた。敬一郎からの電話だった。瑛司は出る。「じいさん」敬一郎の声は老いてもなお力があった。「頼んでいた件、どうなってる?」瑛司は目を伏せ、深い黒瞳が読めない影を宿す。「もう知っているはずだが」敬一郎は鼻を鳴らした。「瑛司、前にも言ったが、隆は私の戦友の息子だ。助けられるものなら助けなきゃならん。前回は勝手に動いて警察に連れていかれそうになっただろう?今回は本人が直接頼みに来てるんだ。助けてやれ」瑛司の眉間に、散らすことのできない苛立ちが滲んだ。しばらく沈黙したあと、敬一郎が怒鳴る。「聞こえておるのか!」瑛司は眉心を押さえた。「......はい」返事を聞いた敬一郎の声は少し和らいだ。「審査局に話を通したんだろう?私もさっき電話を入れた。今はあっちも私の言うことを聞く。余計なことは考えるな。隆のやったことは私も知ってる。確かに蒼空の秘書には迷惑をかけた。だから隆に謝らせろ。それでこの件は終わりだ。未遂なんだから大事にはならん。謝罪で済む。蒼空にも、もういちいち気にするなと言っておけ」瑛司は短く答えた。「分かった」電話が切れた。手はまだスマホを耳に当てたまま。
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第575話

オフィスは静まり返っていて、さっきの電話のとき、瑠々も敬一郎の声をしっかり聞いていた。「おじいちゃんの言うことも一理あるよ。蒼空の秘書は実際には大した怪我もしてないし、飯田社長がちゃんと謝れば済む話だよ。それに彼は根の深い企業家なんだから、追及しすぎたら逆に蒼空の立場にも響く。だったら敵に回すより、恩を売っておいたほうが絶対いいよ。あの人に借りを作らせる形になるし」そう言ったあと、瑠々は不安そうに瑛司の表情をうかがった。胸のあたりがざわつき、手のひらにもじんわり汗がにじむ。それでも穏やかな顔を保ったままだった。瑛司はしばらく黙ったまま。瑠々の心はだんだんと締めつけられていく。しばらくして、瑛司がゆっくり腕を上げ、温かく大きな手を彼女の背中に置いた。瑠々の胸にぱっと喜びが広がり、そのまま彼の胸元へ身を預けた。耳元で、瑛司の低い声が落ちる。「そうだな」瑠々はそっと微笑み、彼の腰に腕を回してぎゅっと抱きしめた。――事の流れは、おおよそ蒼空が想像していた通りだった。朝食のとき、蒼空はショート動画アプリを開いた瞬間、隆のニュースを目にした。メディアアカウントが昨晩投稿したもので、八時間を経て、すでに50万以上の「いいね」と8万近いコメントが付いていた。動画は隆の公金流用を強調し、金額も細かく表示している。ショート動画の拡散力は社会ニュースにとって恐ろしいほど強い。ましてや、隆のゲーム会社は誰もが知る有名企業だ。投稿された瞬間に爆発的な勢いで広がっていた。過去十数年、彼に関する悪質なニュースは何度も出ており、今回の炎上は積み重なった火種に火がついたようなものだった。勢いは止まらない。小春が裏で後押ししたこともあり、関連動画は続々とおすすめ入りし、トレンドに入り、まだ伸び続けている。蒼空はコメント欄をざっと眺めた。大半は公式アカウントをタグ付けし、徹底調査を求める声。少数は冷静さを求める意見。とはいえ、流れは完全に「関係部署に説明を求める」方向へ動いていた。数本見てから、蒼空はスマホを置き、ゆっくり食事を続けた。ネットの世論には時間が必要だ。急ぐ必要はない。声が大きくなり、審査局が動かざるを得なくなったタイミングこそ、最適な着地点になる。今日は土曜日。予
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第576話

美紗希の表情が一瞬だけ固まったが、すぐに何事もなかったかのように笑った。「そうですね。今の国内のピアノ界では、久米川さんの位置に並べる人なんていないと思います。彼女の曲が好きな人は多いし、ファンも多い。私もその一人です」蒼空は彼女の顔をじっと見つめ、ふっと微笑んだ。「店長さんも劣らないと思います」美紗希は優しい顔立ちで、くすりと笑う。「どういう意味?」「このピアノ、ずいぶん前からここに置いてあった。なのにほこりが全然ない。隅まできれいだった。大事にされてるのは目に見えるので」美紗希の視線がピアノへ向き、柔らかくなる。「これ、私が持っている唯一のピアノなんです。今まではずっと教室のを借りていたので」蒼空は言った。「この子を弾いたの、もう二回目になります。次は店長さんの番です。ちょうど今はお客さんが少ないですし、店長さんの演奏を聞かせてください」美紗希は少し考えてから、こくりとうなずき笑った。「そうですね。わかりました。下手でも許してくださいね」美紗希が弾いたのも瑠々の曲だった。二年前に発表されたもので、透明感があってリズムも心地よく、リリース後は各SNSでも毎日のように使われ、爆発的に広まった。名は「別離」。その頃、瑠々の名声はさらに跳ね上がり、価値も一気に高まった曲だ。蒼空は気づいた。美紗希は目を閉じたまま弾いている。鍵盤を見ていないのに、両手の動きは迷いなく、まるで鍵盤の位置を指先が覚えているかのように、正確に音を紡いでいく。「別離」に、彼女はよほど慣れている。いや、慣れているどころではない。曲が終わると、店内には先ほど蒼空が弾いたときより、ずっと大きな拍手が響いた。力量の差ははっきりしていた。美紗希の腕前は本当に高い。瑠々と並べて語ってもいいくらい。蒼空は目を細め、そっと観察する。美紗希がゆっくり目を開けたとき、その瞳の奥に少し悲しさが滲んでいた。蒼空は手を上げ、ゆっくりと拍手を送った。「すごく上手ですね」美紗希は謙遜して首を振る。「いえ......」美紗希がピアノ椅子から降りてきたところで、蒼空が尋ねた。「店長さんはこの曲を、何度も弾いてるでしょ?すごく手慣れてる感じだった」美紗希は少しだけ表情をゆるめた。「はい、たくさん弾きまし
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第577話

美紗希の瞳が一瞬だけ陰り、低い声で言った。「見ての通り、普段は忙しいんです。お店を離れられなくて」蒼空は言う。「でもここ、他にもスタッフいます。少し抜けても大丈夫でしょう?店長なんですし」美紗希は慌てて首を振った。「お店だけじゃないんです。家族が病気で......看病しなきゃいけなくて。そっちも離れられないんです」蒼空は「そうですか」と静かに頷き、言葉を続けた。「それは本当に残念ですね。店長さんの実力なら、きっとコンクールで賞がとれますよ。もしかしたら一気に名前が売れちゃうかもしれません」そしてまっすぐ彼女を見る。「もし可能なら......店長さんにはぜひ挑戦してほしいです」美紗希は小さく息を吐いた。「残念とか、そういうのはいいんです。私は、今の生活に十分満足してます。安定した仕事があって、家族の体調も良くなってきてて、時々ピアノも弾ける。それだけで十分です。賞とか、有名になるとか......あんまり興味ないんです」語尾が急ぎ気味になり、必死に強調する。「本当に、今で十分なんです。もし私の演奏が好きなら、いつでも聴きに来てください。時間があれば弾きますから」蒼空は軽く笑って、彼女の肩をぽんと叩いた。「落ち着いてください、ちゃんとわかってます。ちょっとした提案のつもりなんですから、断られても仕方のないことです。どうか気にしないでください」美紗希は照れたように唇をきゅっと結んだ。蒼空が言う。「ここの看板コーヒーを二つでお願いします。持ち帰りで」美紗希はほとんど逃げるように言った。「は、はい!」蒼空がコーヒーを手に店を出ると、外のテーブル越しに、少し離れた場所で立っている小春の姿が目に入った。近づいてコーヒーを差し出す。「飲んでみて。店の新作。美味しかったら、また買いに来る」小春はぱちぱち瞬きをして、ストローを噛みながらもごもご言った。「......『まずい』って言うのは?」蒼空は正直に答えた。「だめ」やっぱりね、と小春は盛大に目を回す。「で?二回通って、彼女どんな感じだった?」蒼空は車に乗り込みながら答える。「どうもこうもないよ。まだ二回だよ?さっきちょっと探っただけで、真っ青になってた」小春は「それじゃダメでしょ」と舌を打つ。蒼空はむっと
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第578話

女の子のスタッフは気にも留めず笑った。「あんた、世の中の美人みんなに見覚えあるって言うタイプじゃん」男性スタッフは頬を赤らめ、むきになって言う。「ほんとなんだって。本当に見たことある気がするんだけど、思い出せなくて」「何の話?」不意に、店長の声が背後から落ちた。男性スタッフは即座に言った。「店長、さっきのあのお客さん、どこかで見た気がするんです」美紗希は彼を一瞥して、淡々と返す。「そのナンパみたいな言い訳、ちょっと古いよ」男性スタッフは慌てた。「ち、違います!本当に見覚えがあるんです!」美紗希は取り合わず、ため息まじりに言った。「はいはい。それより仕事して」男性スタッフは口をつぐみ、「......はい」と縮こまった声を出した。――ネットがどれだけ騒いでいようと、蒼空は特に様子を見に行かず、ただ静かに世論が最高潮に達するのを待っていた。蒼空のショート動画アプリに引っ張られ、隆の過去の黒い噂が次々と暴かれ、ネット民は目を剥いた。ここ数日、ゴシップの勢いは増すばかりだった。ただし蒼空は、隆と夏凛の件についてだけは徹底的に封じ、ひと言も外に漏らさなかった。「企業家って、やっぱり色々あるんだな。金の流れヤバすぎ」「なんで誰も調べないの?全然情報出てこないじゃん」「飯田、前からやり方が真っ黒だよ。早く調べろって。どう見ても大物じゃん」一方、真浩は落ち着かない様子で何度もSSテクノロジーに押しかけてきたが、毎回蒼空と小春に言葉で軽くいなされ、肩透かしを食らって帰っていった。二人は怒りながら出ていく真浩の背中を見つつ、小春が言う。「そろそろじゃない?どのプラットフォームもトレンド1位ほぼ全部あいつの件だよ。上の方も気づき始めてる」蒼空は落ち着いた声で答える。「もう少し待とう。審査局から向こうから電話してくるまで」その言葉が終わった瞬間、蒼空のスマホが鳴った。知らない番号だ。二人は視線を交わし、蒼空がゆっくり電話に出る。だが電話の相手は審査局ではなく、短気そうな中年男の怒号だった。スマホの受話口越しに響く隆の怒鳴り声に、蒼空は反射的にスマホを耳から離す。「関水蒼空!ネットのあれ、お前だろうな!」蒼空はのんびりした声。「飯田社長、何の話か分かりません」
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第579話

その頃、もう一方では。アシスタントはちらりと瑛司を見上げ、次に彼の手元のスマホへ視線を移した。スマホのスピーカーから流れていたのは、最近ずっと話題になっている「飯田隆の噂」のショート動画の音声だった。アシスタント自身もその関連動画を何本も目にしており、あまりの熱度に、「あの男は本当にヤバい相手を怒らせたんだな......」と内心でため息をつくしかなかった。同じ動画が何度もループし、アシスタントはとうとう我慢できずに口を開いた。「社長、何か指示を?」瑛司はゆっくりとまぶたを上げ、画面を閉じながら言った。「ここまで騒ぎになって、審査局はまだ動かないのか」アシスタントは首を振る。「はい。敬一郎様の命令が絶対で、向こうも手が出せないみたいです。熱度が落ちるのを待って、当たり障りのない声明でも出すつもりなんじゃないかと」瑛司は短く「そうか」と返した。「長野局長にアポを。今日の夜六時で」「長野局長、ですか?」アシスタントは一瞬ためらった。「でも......敬一郎様のほうが......」瑛司の声は低く、抗いようのない調子だった。「気にするな。アポを取れ」「分かりました」アシスタントは退出しながら、背中に冷たい汗が伝うのを感じた。――夜六時。瑛司は向かいの中年男性に手を差し出した。落ち着いた姿勢で、声は軽やかだった。「長野さん、お久しぶりです」長野は笑顔で握手を返す。「松木社長はお忙しいですからね。やっと会えたんだ、今夜はゆっくり話しましょう」瑛司は口元をわずかに上げた。「もちろん」彼はワイングラスを取り、軽く掲げた。長野も慌ててグラスを手にする。二人は一息に飲み干した。瑛司はすぐ本題に入る。「長野さん、飯田隆の件はよろしくお願いします」長野は「うっ」と声を漏らし、困ったようにグラスを置いた。「気持ちは分かります。ですが......」しばし黙り込んだあと、難しそうに首を振った。「敬一郎様からもすでに話が来ています。この件は......正直、私には無理かと」瑛司は黙って聞き終え、静かに返した。「分かってます」長野はその表情を探るように見つめ、声を潜めて続けた。「僭越ですが......松木社長と敬一郎様は家族でしょう。若い者なら
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第580話

長野の頬がうっすら赤くなり、興奮で目尻の細かい皺まで震えていた。「まさかこんなことが......!」瑛司が落ち着いた声で問う。「ご意向を聞かせても?」長野は書類をぎゅっと握り、喉を上下させた。「ありがたい提案なんですが......私が動いたとなると、敬一郎様の方にどう説明すればいいか......」瑛司の声は低く、揺らぎがなかった。「祖父の方は俺から話をつけましょう。長野さんは気にせずやってください。うまくいけば、これは長野さんのもの。やらない、もしくは失敗したなら......この書類は長野さんとは無関係になるだけです」長野の顔は苦渋でいっぱいになり、何度も唾を飲み込む。視線が右へ左へ揺れ続けた。しばらくして、彼はまるで覚悟を決めたように顔を上げた。「敬一郎様の方から私に矛先が向くことは絶対にない、と保証してくれますか?」瑛司は短く頷いた。「約束します。思い切ってやってください」長野は歯を食いしばる。「松木社長、ひとつだけ聞かせてください......どうしてここまで?」瑛司は目を伏せ、数秒沈黙した。「......見ていられないだけだ」長野は明らかに誤解し、笑い出した。「なるほど、松木社長は不正を見逃せないタイプなんですね。この手の社会の害になる企業は、確かに徹底的に調べるべきです。わかりました、必ず満足いただける結果を出します」瑛司は誤解されているとわかっていながら、特に否定せず、静かに頷いた。「では、よろしく頼みます」――翌朝、目覚めたばかりの蒼空のスマホが、小春の怒涛の着信で鳴り響いた。「蒼空、ネット見て!」まだ頭のぼんやりしたまま、SSテクノロジーの動画アプリを開く。最初に表示されたのは、隆に関する最新の動画だった。記者が現場から送った映像らしい。多くの記者や近所の人たちが、ある別荘の前に押し寄せている。蒼空には、それが隆の別荘だとわかった。記者がマイクを掲げて話す。「皆さんこんにちは、ニュース第一線です。審査局はすでに飯田隆に関する世論を把握しており、調査の結果、公金横領・企業秘密の窃取といった容疑が事実である可能性が高いとのことです。現在、審査局は飯田隆を連行し、事情聴取を行っています」動画の中盤で、蒼空の目が細めた。寝巻き姿の
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