All Chapters of 娘が死んだ後、クズ社長と元カノが結ばれた: Chapter 911 - Chapter 920

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第911話

一日中、蒼空と小春はずっと別荘の中で過ごしていた。外では激しい風が唸りを上げ、整然と並んでいた木々はすべて同じ方向へとなぎ倒され、折れた枝が別荘の全面ガラスに叩きつけられて、かなり大きな音を立てている。別荘の中には、ひっきりなしに吹き荒れる風の音が響いていた。蒼空と小春はそれぞれノートパソコンを手に、社員たちとオンライン会議を行っていた。ヘッドセットからは、落ち着いた調子の報告が次々と聞こえてくる。その時、突然、別荘の外で轟音が響いた。蒼空が振り返って見ると、風速があまりに強く、太い木が根こそぎ引き抜かれ、そのまま別荘の全面ガラスの前に倒れ込み、激しく叩きつけられていた。かすかな破裂音が耳に入る。この別荘はメゾネットのような構造で、全面ガラスは一階から三階までの高さがあり、建物の片側一面がすべてガラス張りになっている。もしガラスが割れれば、リビングは完全に無事では済まず、部屋に避難するしかない。しかも今、二人はそのリビングにいた。しばらくして、蒼空の目にも、全面ガラスに走った亀裂がはっきりと見えた。彼女は即座に判断し、マイクを入れて社員の発言を遮り、冷静に会議を中断させた。小春が彼女を見て言う。「どうしたの?」蒼空はパソコンを閉じ、全面ガラスを指さす。「ヒビが入ってる。部屋に戻ろう、早く」小春も亀裂に気づき、ぎょっとする。「そんなに?」そう言いながら、手早く荷物をまとめ、蒼空の後について二階の部屋へ向かった。ドアを開けた瞬間、別荘内の照明がすべて落ちた。次の瞬間、全面ガラスの亀裂が一気に広がり、山崩れのような破砕音が轟いた。暴風と雨が一気に吹き込み、蒼空と小春に叩きつけられる。ガラスは床一面に散らばり、巨大な樹冠がリビングに落ち込み、ソファやフロアランプなどがまとめて押し潰され、辺り一面が惨憺たる有様となった。顔を打つ風の中、蒼空は勢いよくドアを開け、小春を中へ押し込むと、自分もすぐに続いて入り、反対の手でドアを閉めた。部屋の中は真っ暗で、わずかに聞こえるのは、窓の外を吹き抜けていく風の音だけだった。小春は持っていたものを置き、スマホを取り出す。「ヤバいよ。やっぱり圏外じゃん」彼女はベッドの縁に半分しゃがみ込み、ノートパソコンを開いた。しばらく見てから
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第912話

蒼空は呆れたように彼女を見る。「ひどい人なのに、よく一緒に寝られるわね」小春は布団を抱きしめ、満足そうに言った。「今は許してあげる。私も寝るの。寝ちゃえばお腹も空かないし」蒼空は言葉を失った。彼女のスマホには、もともとメッセージが多い。台風がA市に上陸してからは、注意するようにという連絡が友人たちから次々と届き、文香からも何通もメッセージが入っていた。数が多すぎて、彼女は文香にだけ返信し、ほかの人にはまだ返せていなかった。今なら時間はあるが、すでに電波がない。遥樹は出張に出てから、到着したときに無事を知らせる連絡をくれただけで、それ以降は何もなかった。仕事の都合上、外部と頻繁に連絡が取れないことは分かっていたので、蒼空も特に連絡はしていない。すべてのメッセージを確認し終えたあと、彼女は布団をめくって起き上がった。小春が尋ねる。「どこ行くの?」蒼空はスマホを放り出し、「私もお腹空いた。下に行って何か探してくる」と言った。小春は少し驚いて、起き上がり彼女の背中を見る。「本当に大丈夫なの?」二人がいる部屋は蒼空の部屋だった。蒼空は床にしゃがみ込み、雨をしのげそうな服を探しながら言う。「仕方ないよ。食べ物は下にしかないし」リゾートセンターの料理人は、基本的に食事の時間帯にしか別荘エリアへ来ない。今、この別荘にいるのは蒼空と小春の二人だけだった。小春は即決し、布団を跳ね除けてベッドを降り、スリッパを履く。「私も一緒に行く」彼女は素早く蒼空の手から傘を取って言った。「傘は私が持つから」蒼空は上着を一枚差し出す。「雨、かなり強いはずだからちゃんと着てね。レインコートもないから、この上着二枚でなんとか防ぐしかない」二人は上着を着込み、傘を差してドアを開けた。瞬間、激しい風と霧雨が一気に吹きつけ、風の唸りが一段と大きくなり、胸の奥がざわつく。小春はすぐに傘で風を受け止め、二人は首をすくめ、肩をすぼめながら、必死に階段を下りた。リビングに散乱した、風で吹き飛ばされた家具や飾りを慎重に避け、ようやくキッチンへ入る。小春が傘を持ち、蒼空は冷蔵庫を開けて食べ物を探す。しばらく探したが、見つかったのは生のニンジンだけで、ほかは調理しなければ食べられないものばかりだ
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第913話

もう一人ついてきたスタッフは、背が高く姿勢もよかった。体格は先ほどのスタッフほどがっしりしていないが、強風の中に立っていても特に影響はなさそうだった。レインコートのフードをかぶっていて、蒼空には顔は見えず、すっとした顎のラインだけがはっきりと目に入った。彼は彼女に向かって手を差し出した。蒼空はその手を見つめ、ふと動きを止め、顔を上げて目の前の人物をよく見た。リゾートエリアのロゴ入りレインコートを着ているが、スタッフではない。蒼空は低い声で言った。「少し待ってください。パソコンと荷物を取ってきます」小春が声を聞いて振り返る。「そうだ、忘れてた。蒼空、私のもお願い」蒼空は目の前の人物に軽くうなずき、足早に部屋へ戻った。ノートパソコンを適当にスーツケースに突っ込み、小春と自分の荷物を持って戻ってくる。その人は二つのスーツケースを片手で掴み、もう一方の手を彼女へ差し伸べた。蒼空が手を預けると、温かい掌が包み込み、軽く力を入れて彼女を引き寄せた。そのまま腕が腰に回され、しっかりと支えられる。蒼空の鼻先は、危うく相手の胸元のレインコートに触れそうになる。風雨の匂いと、微かな呼吸音が伝わってきた。支えられながら数歩進む。風が強すぎて、二人はかなり近づかざるを得ず、足早に歩くしかなかった。車に乗り込むと、蒼空は小春とその人の間に座った。小春を支えていたスタッフは助手席へ回り、車はゆっくりと走り出す。蒼空の右隣の人物がフードを外し、予想どおりの顔が現れた。小春は音に気づいて振り向き、口元を引きつらせる。「......松木?」助手席のスタッフが振り返り、説明する。「台風の風が強すぎて、リゾートエリアのあちこちで人手が足りないんです。そこで松木社長が自ら志願してくださって。ちょうど人が足りなかったので、お手伝いしてもらっています」車内から外を見ると、道路脇には確かに多くの障害物があり、だがすでにある程度は片付けられていた。小春は乾いた笑いを浮かべる。「そうなんですね。親切な人で助かりました。ここ、停電も断水もして、電波もなくて、連絡も取れなかったんです。ニンジンしか見つからなくて、中で餓死するかと思いました」スタッフは笑って言った。「ご安心してください。これからリゾート
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第914話

道中、立ち止まっては進みを繰り返したのは、台風で吹き飛ばされてきた枝や、あれこれ散乱した物を片づけるためだった。瑛司がスタッフと一緒に車を降りて作業を始めると、小春と蒼空も降りようとしたが、座席に押し戻され、「邪魔になるから行かなくていい」と止められた。そうして多少のトラブルはあったものの、なんとかリゾートセンターまで戻ってきた。スタッフにはまだ迎えに行く人がいたため、彼らをリゾートセンターの入口まで送り届けると、そのまま立ち去った。瑛司もそれに続いて去っていった。蒼空と小春はスーツケースを押しながらフロントへ向かう。フロントは二人に説明した。「現在、お部屋が不足しておりまして、お二人で一室のご利用になります」蒼空はうなずき、手を伸ばしてルームキーを受け取った。カードキーで入室すると、小春はスーツケースを脇に押しやり、そのままベッドに倒れ込んだ。用意されていたのはツインルームで、蒼空はもう一方のベッドのそばへ行き、スーツケースからノートパソコンを取り出して電源を入れる。背後から小春が感慨深げに言った。「やっぱり電気も水も電波もあるのが一番だね。気持ちよくスマホいじれるって最高~」蒼空は、雨に濡れたままの服がどうにも気持ち悪く、着替えを手にしてバスルームへ向かった。小春はベッドにうつ伏せになったまま彼女を見て言う。「ねえ、松木って、何のためあんなことをすると思う?まさか、あんたを追ってるとか?スタッフに電話して迎えに来させたり、自分までボランティアで来たり、どう考えても蒼空目当てな気がするんだけど」蒼空は着替えを置き、清潔なタオルを見つけて手に取りながら言った。「本人に聞いてみたら?」「聞いてどうするのさ」小春は鋭い目をして言う。「蒼空って、何か隠してるでしょ。一昨日の夜からずっと様子がおかしいよ。松木に何か言われたんじゃない?」蒼空はバスルームのドアを閉める前に一度だけ彼女を見て、言った。「さあね」小春は目を細め、閉まったドアを睨む。「教えてくれてもいいでしょ。ケチ!」返事はなかった。小春は冷たく鼻を鳴らし、スマホを取り出して仕事のメッセージを返し始めた。さっきまで突然電波が切れて会議も中断され、連絡も取れなかったが、回線が戻った途端、社員からの問い合わせが一
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第915話

小春はぱっと目を輝かせた。「やっぱりそうだったんだ」蒼空は小さく舌打ちし、眉間に苛立ちをにじませる。小春は、蒼空が昔の人や出来事をどれほど嫌っているか分かっているから、すぐに慌てて言った。「ちょ、ちょっと待って。安心しなよ、私は絶対に松木の味方なんてしないし、あっち側に立つこともないから。私に八つ当たりしないでね」蒼空は淡々とした口調で言った。「何言ってるの?」小春は目をくるりと動かした。「考えてみてよ」「何を?」「あいつの動機だよ」蒼空は手を止め、少し興味を示した。「動機?」小春は顎に手を当て、目を細める。「まずさ、久米川が亡くなったばかりでしょ。奥さんを失って、孤独を感じたから、誰かでその寂しさを埋めたくなる......」蒼空は冷ややかに言った。「いい加減なことを――」「話まだ終わってない」小春は真面目な顔で続ける。「悲しみに浸ってるうちに、あんたのことを思い出す。考えれば考えるほど後悔するわけ。どうして昔あんな扱いをしたんだろうって。妻はいなくなって自由になった、でも同時に孤独にもなった。だから昔の関係に戻りたくなった。そもそも彼って、あんたと瑠々の間でずっと揺れてたでしょ。久米川がいる間はそっちを選ぶけど、いなくなると蒼空に戻る。前もそうだった。久米川がいないときはあんたのところに来て、戻ってきた途端に離れていった。きっと今も同じ。久米川が完全に消えたから、残ってるのはあんただけ。だから松木は、あんたのところに来るしかない」小春はまとめるように言った。「要するに、寂しい男が心の空白を埋めるために、妻の代用品を探しに来てるってこと」蒼空はそれを聞いて、しばらく黙り込んだ。タオルを手にしたまま何も言わない蒼空に、小春が顔を近づける。「つまり、松木は明らかに暇つぶしが目的。蒼空をからかってるだけ。だから絶対に、遥樹を捨てて松木を選んだりしないでよ」蒼空は言った。「発想が飛びすぎ。なんでそうなるのよ」小春は眉を上げる。「いや、絶対そうだって。言っとくけど、私は完全に遥樹派だからね。そこは揺るがないから」蒼空は静かに言った。「その前に私がそんなことするわけないでしょ」小春は舌を鳴らし、指を立てて左右に振る。「それが分かってないのよ。松
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第916話

蒼空は、小春の真剣そのものの表情を見つめ、しばらく言葉を失った。「......小説の読みすぎよ。早めにやめたほうがいいよ、ちょっと知能に影響出てるかも」小春は信じられないといった様子で、怒りをあらわにしつつ、きっぱり言い切った。「私は本気で言ってるの。冗談じゃない!」蒼空は視線を落とし、髪を拭き続けながら言った。「どう見ても考えすぎよ。瑛司のこと、私はそんな風に考えてないし、私は恋人に後ろめたいことはしない。全部小春の想像よ」小春は明らかに納得していない様子で、目を細めた。「想像かどうか、いずれわかるよ」蒼空は髪を拭き終え、ドライヤーを手に取って乾かし始めた。ふと小春が思い出したように言う。「そういえば、松木と食事行くの、いつにするの?」蒼空は一瞬手を止め、車の中で瑛司にご飯を奢ると約束したことを思い出した。首を振って答える。「それは瑛司に任せるよ」小春は唇を引き結んだ。この食事がただの食事で終わらないことは分かっていたが、蒼空が自分の仮説を全力で否定する以上、これ以上は口を出さないことにした。「はいはい。じゃあ私、お風呂入ってくる。上がったらレストラン行ってご飯食べよ?もうお腹ぺこぺこ」二人が食事をしているレストランの一面も、壁一面のガラス窓だった。外を見ると、リゾートセンターのスタッフたちが、まだ別荘エリアの人員を移動させているのが見える。下では、黄色いレインコートを着たスタッフやボランティアが忙しく動き回っており、その中に、ひときわ背が高く、すらりとした姿があった。瑛司だった。彼は言ったことは必ずやる人間で、ボランティアを引き受けた以上、最後まで手を抜かず、今もなお動き回っている。小春もその視線を追い、ぼやいた。「完全に想定外。A市の交通、いつ復旧するの?会社に仕事が山ほど残ってるんだけど」蒼空は言った。「台風の進路次第だけど、たぶん明日には飛行機で帰れると思う」小春は不満そうに麺を一口すすった。「ほんとツイてない。出張で来たのにこんな目に遭うなんて。せめて今夜は無事に過ぎてほしいよ。もう停電とか勘弁してよ」その瞬間、視界が一気に暗転した。レストランには他にも人がいて、小さなどよめきが起こる。小春、沈黙。蒼空「......」蒼空はスマ
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第917話

蒼空は歯ブラシをくわえ、口いっぱいの泡のまま、鏡越しに小春の手にあるモバイルバッテリーを見た。視線を戻し、泡を吐き出してうがいをした。「スタッフが持ってきたの」小春は推測する。「たぶん、昨日私が借りに行ったから覚えててくれたんじゃない?ここのサービス、ほんと行き届いてるね」蒼空は濡れたタオルで顔を拭き、鏡に映る自分の黒く澄んだ瞳を見る。そこには特に感情の揺れはなかった。「確かに、行き届いてる」一晩明けて、リゾートセンターでは電力設備の修理が終わり、停電していた電気も復旧した。モバイルバッテリーはもう用済みだ。蒼空はフロントへ行き、モバイルバッテリーを返却した。フロント係はそれを受け取りながら、蒼空を何度も見た。彼女の整った顔立ちが、まだ記憶に残っている様子だ。「確か昨夜、モバイルバッテリーが全部貸し出されていて......ほかの方から借りたんですか?」蒼空は一瞬言葉に詰まった。「......そう、ですね」――「ですね」?フロント係は内心首をかしげたが、深くは追及しなかった。バッテリーにはリゾートセンターのロゴが付いており、返却処理を済ませると、そのまま蒼空を送り出した。小春はレストランで彼女を待っている。蒼空は部屋には戻らず、そのままレストランへ向かった。エレベーター前で待ちながら、スマホで仕事のメッセージに返信する。扉がゆっくり開き、中に数人立っているのが視界の端に入ったが、顔を上げずにそのまま乗り込み、扉のほうを向いた。ボタンを見ると、すでにレストランの階が点灯している。特に触ることもなく、スマホを下ろす。エレベーターの中は電波がなく、壁はつるりと光沢があり、鏡ではないが、ぼんやりと姿が映る。ふと顔を上げた瞬間、隣に立っている瑛司が目に入った。蒼空は一瞬視線を止めた。「おはようございます」瑛司は彼女を見下ろし、低い声で返す。「おはよう」少し迷ってから、蒼空は言った。「モバイルバッテリーの件だけと......ありがとう、助かった」瑛司は手をポケットに入れたまま。「気にしなくていい」レストランの階に着き、扉が開く。蒼空は手を振った。「私、ここなので。では」瑛司は眉を上げ、彼女より先にエレベーターを降りた。蒼空は一
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第918話

蒼空は動くのも億劫で、ベッドに転がったままスマホを眺めていた。「小春が行きたいならどうぞ。私はちょっと休憩しようかな」小春は無理に誘わなかった。「分かった。じゃあ先に行くね。空港に向かう前には戻ってくる。もし時間忘れてたら5階に探しに来て」蒼空はスマホから目を離さず、どこか上の空でうなずく。「分かった」小春はスマホを掴んでドアへ向かい、ドアノブに手をかけたところでふと止まり、振り返った。「蒼空、今日、瑛司に会った?」蒼空は表情を変えずに言う。「今度は何を考えてる?」小春は眉を上げ、不満そうに。「何その言い方」蒼空は肩をすくめる。「本音よ」小春は戻ってきてベッドの端に腰掛け、彼女を見た。「ここ数日ずっと元気ないでしょ。今日もそう。合理的に考えて、また松木が原因だと思うんだけど」蒼空はしばらく言葉を失った。「その元気、仕事か遊びに使ったら?人の恋バナに使うのは少し刺激が強すぎる」小春は言う。「ごまかさないで。私が気づかないと思ってる?」「何に?」「モバイルバッテリー、スタッフが持ってきたんじゃないでしょ?」蒼空はゆっくり顔を上げる。小春は鋭い視線で彼女を見つめ、目を細めた。「松木が持ってきたんでしょ?」小春は詰め寄る。「違う?」蒼空はスマホを握る手に少し力が入ったが、表情は変えなかった。別に隠す必要のある話でもない。「どうして分かったの?」小春は大きく息を吐き、眉を吊り上げて得意げに言った。「レストランで聞いたの。昨夜はみんなモバイルバッテリー欲しがってたけど、ほとんど手に入らなかった。なのに、どうして私たちだけ?って思えば、答えはもう一つしかないでしょ」蒼空は言う。「それで?」「昨夜、二人で何を話したの?」蒼空は微笑み、落ち着いた声で言った。「スタッフ経由よ。直接会ってもいない。だからこれ以上聞いても何も出てこないわよ」小春は彼女を見つめ、手を肩に置いて真剣に言う。「松木の攻めは強烈のようだね。蒼空、踏ん張るんだよ」蒼空はその手を払いのける。「はいはい、わかったよ」小春は笑いながら立ち上がり、部屋を飛び出していった。部屋には蒼空一人だけが残り、静まり返った。昨夜から今朝にかけては風の音が激しかった分
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第919話

しばらくしてから、蒼空はようやくベッドからゆっくりと起き上がり、縁に腰を下ろしてスリッパを履いた。布団を出た途端、また寒気を覚え、まとめてあったスーツケースを開けて、パーカーを一枚取り出し、羽織る。スマホとルームキーを手に取り、部屋を出た。ドアの前に立ったまま、しばらく茫然とし、額を軽く叩く。医務室がどこにあるのか、分からなかった。少し考えた末、まずはフロントで聞くことにする。自分が何度まで熱を出しているのかは分からないが、ひどいめまいがして、歩くにも壁に手をつかなければならなかった。数歩進むだけで何度も息をつき、呼吸も苦しく、いっそその場に崩れ落ちて眠ってしまいたいほど辛かった。壁にもたれてエレベーターを待ち、到着すると、支えを頼りに中へ入る。顔色があまりにも悪かったのか、中にいた人が一瞬ぎょっとした。「大丈夫ですか?お手伝いしましょうか」蒼空は他人に迷惑をかけたくなくて、首を振った。「いえ、大丈夫です」少し間を置いてから、ふと思い出したように尋ねる。「医務室がどこか、ご存じですか?」「分かりませんね......探すのを手伝いましょうか?」「いえ、大丈夫です」エレベーターの中でしばらく待ち、ようやく止まった。外に出ようとして、ここがフロントの階ではないことに気づく。そこでようやく、乗るときに階数を押し忘れていたことを思い出した。仕方なくもう一度エレベーターに戻り、フロント階を押す。フロントで医務室の場所を聞き、再び壁に寄りかかってエレベーターを待った。案内すると言われたが、それも断った。壁にもたれ、表示板の数字がゆっくりと動くのをぼんやり眺める。まだ少し時間がかかりそうだった。目を閉じて、しばし休む。足音が近づいてきたが、目は開けなかった。次の瞬間、聞き覚えのある声がした。「蒼空、どうした?」その声を聞いた瞬間、頭の奥が一瞬痺れた。驚いたというより、高熱のせいで起きた反応だった。目を開けると、瑛司がすぐ近くに立っていて、少し俯き、眉をひそめて彼女を見ていた。黒い瞳には、かすかな心配が滲んでいる。距離が近すぎて、蒼空は反射的に一歩引いた。「私は、大丈夫......」そう言った瞬間、視界が影に覆われる。次いで、ひんやりとした彼
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第920話

布団にくるまったまま、蒼空の声がくぐもって弱々しく聞こえた。「松木社長......ありがとうございます」小春はもっとあれこれ聞きたかったが、蒼空は高熱で、今はとにかく休ませる必要がある。それ以上は口を閉ざした。瑛司の方を見て、手のひらを差し出す。「蒼空を送ってくれてありがとうございます。薬は私が預かりますね。ちゃんと飲ませますから」瑛司は、顔を布団に埋めたままの蒼空を一瞥し、ふわふわした後頭部をしばらく見つめてから、薬袋を小春に渡した。「医師の指示が書いてある。確認してから飲ませるんだ」小春は薬袋を受け取る。「分かりました。もう大丈夫です、松木社長。ここは私に任せてください」瑛司は片手をポケットに入れ、低く落ち着いた声で言った。「目が覚めたあと、熱が下がっていなくても、必ず連絡を」小春は数秒、彼の目を見てから頷いた。「わかりました」瑛司はそのまま部屋を出ていった。ドアを閉める音は、驚くほど静かだった。そのかすかな音を聞きながら、小春は瞬きをし、なんとも言えない気持ちになる。蒼空を叩き起こして詳細を聞きたい気もしたが、今の蒼空は病人だ。無理はさせられないと思い、結局何も言わず、他で暇を潰すこともしなかった。蒼空はすぐに眠りに落ちたようで、身動きひとつせず、呼吸も穏やかだった。時刻は午後3時近く。蒼空はまだ目を覚まさなかったが、飛行機の出発まで1時間を切っている。小春は、頬を赤くしたまま眠る蒼空を起こすことにした。「蒼空、蒼空、起きて」声を落とし、少し脅すように続ける。「遅れちゃうよ。クライアント、逃げちゃうかも......」蒼空はぼんやりと目を開け、眠たげな視線で小春を見る。体は重く、手足に力が入らない。呼吸は荒く、吐く息も吸う息も熱を帯びていて、体温は明らかに異常だった。頭の中はどろどろで、しばらくしてからようやく、今どこにいるのか理解する。「熱、まだ下がってない?」小春は手を伸ばし、蒼空の額に触れた。手のひらに伝わる熱は、さっきとほとんど変わらない。小春は少し不安そうになる。「下がってないね。もうすぐ飛行機だけど、大丈夫?」蒼空は腕に力を入れて起き上がり、前かがみになって何度か息を整え、弱々しく頷いた。「大丈夫。行こう」
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