All Chapters of 鷹野社長、あなたの植物状態だった奥様は子連れで再婚しました: Chapter 241 - Chapter 250

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第241話

「深雲さん、私が欲しいのは、あなただけ」姿月は涙で濡れた顔を上げ、彼を熱っぽく見つめる。「あなたも、私のことが好きでしょう?私は『特別』だって、そう言ってくれたじゃない……」深雲の喉仏が、ごくりと大きく上下した。理性の糸が、軋む音がする。「姿月、だめだ……」かろうじて、声をしぼりだした。「どうして……?」姿月は大胆に体を寄せ、彼のあごにキスを落とす。深雲の息が、熱く震えた。それに勇気づけられたように、彼女の唇は下へと滑り、彼の喉仏に吸いついた。その瞬間、深雲の中で何かがぷつりと切れた。理性の光が完全に消え失せた瞳。荒い息づかいのまま、彼は姿月を病室のベッドへと、力任せに押し倒した。傷口が引きつれて痛む。だが、姿月の瞳はとろりと熱を宿していた。痛みと快感が同時に、彼女の体を貫いていく。――今夜、私は、完全にこの人のものになる。「深雲さん、本当に愛してる……景凪さんにできることなら、私にも。あの人にはあげられないものだって、私なら……」媚びるような甘い声。男を惑わすため息。姿月は深雲の手を取り、みずからの服の隙間へと誘った。男の熱い掌が、柔らかなふくらみに触れた瞬間、姿月はびくりと体を震わせた。その時、彼女はようやく気づく。今夜の彼は、何かがおかしい。「深雲さん、あなた、すごく熱い……」だが、次の瞬間。ブチブチ、と音を立ててブラウスが引き裂かれ、ボタンが弾け飛んだ。深雲は彼女を組み敷き、いっさいの愛撫も、優しい前戯もなく、ただ焼けつくような手で、あらわになった肌をなぞる。まるで、ひどい熱にうなされ、彼女の肌に冷たさを求めているかのようだ。望んでいたような優しさではなかった。でも、目的は果たせる。姿月は喜んでそれに応じ、彼らのベルトに手をかけた。カチャリ、と金属音が響く。その音を合図にしたかのように、深雲は不意に姿月の首を掴み、ベッドに強く押さえつけた。荒い息づかい。彼は、見下ろした女の、熱に上気した顔をじっと見つめる。恥じらいと期待に濡れた瞳が、まっすぐに彼を見つめ返してくる。「深雲さん……」吐息まじりに、彼女が名を呼んだ。深雲は姿月を見つめながら、脳裏に浮かんだのは別の顔だった。――景凪の顔だ。ベルトを解くなんて、とんでもない。たまに、こっそりキスをするだけで、すぐに顔を真っ赤にしていた。
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第242話

「すまない、医者を呼ぶ」彼は無言で布団を引き上げ、ほとんど裸の姿月の体を隠した。そして、枕元のナースコールを押す。「すぐ誰か来る。俺はもう行く」「待って、深雲さん……」姿月が、すがるように彼の手を掴んだ。その瞳に、深雲の心が揺らぐ。彼は、あやすように彼女の頭をなでた。「また今度、清音を連れて見舞いに来るから」そう言うと、彼はそっとその手を振り払い、二度と振り返ることなく病室を去った。ドアが閉まる、冷たい音が響く。その瞬間、姿月の瞳から弱々しい光が消え、どす黒い憎悪と嫉妬が渦を巻いた。手首に巻かれた、邪魔な包帯を引きちぎる。その下には、傷ひとつない、なめらかな肌があった。姿月は携帯を掴むと、母である雪華に電話をかける。その瞳は、氷のように冷たい光を放っていた。「お母さん、深雲さん、帰っちゃった。全部、あの女のせいよ……穂坂景凪ッ、あいつを、絶対に殺してやる!」……深雲は、近くのホテルに部屋を取った。バスルームに直行し、頭から冷水を浴びる。ようやく、体の熱が少し引いた。彼は両手で顔にかかる水滴をぬぐい、濡れた髪をかき上げる。鏡に映る自分の顔は、まだ熱っぽさを残していた。ここでようやく、深雲は気づく。祖母が出した、あのスープ。あれがおかしかったのだ。……景凪も飲んだはずだ。なぜ、あいつは平気だった?深雲の眉間に、深いしわが刻まれる。ふと、彼女が捨てたハンカチのことを思い出した。薬草に詳しい彼女のことだ。きっと、スープに何か入っていると見抜いたのだろう。だから、飲まなかったのだ。……自分が、薬の入ったスープを飲んだと知っていて、なおかつ、姿月の元へ行くのを止めもしなかったと?深雲の表情が、さらに冷たくなる。嫉妬と欲望、二つの炎が胸の内で燃え盛り、行き場のない怒りがこみ上げてきた。彼は、衝動のままに拳を壁に叩きつける。指の骨が砕けるような衝撃と共に、生々しい血が壁に飛び散った。三十分ほど経って、深雲はバスローブ姿でバスルームから出てきた。ドアの前には、秘書の海舟が用意した新しい服が置かれている。深雲はそれを部屋に持ち込むと、ソファの上に無造作に放り投げた。バルコニーに出て、タバコを取り出す。手で風をよけながら、火をつけた。果てしない夜景が広がる。遠くのネオンを静かに見つめな
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第243話

その夜、景凪は別荘に残り、二人の子供たちと過ごしていた。彼女が買ってきたケーキに、辰希と清音は大喜びだ。特に辰希は目を輝かせ、うれしい報告をしてくれた。彼のチームが、プログラミングコンテストの予選を通過し、全国大会へ進むことになったのだという。景凪も、心から息子のことを喜んだ。この子は、こんなに小さいのに、すでにその才能を開花させている。昔の自分のように、周りの目を気にして、必死に才能を隠す必要なんてないのだ。「僕、優勝できるかな」自分の作品を景凪に見せた後、辰希が少し不安そうに尋ねた。どんな母親だって、自分の子供が世界で一番だと思うだろう。でも、一歩家の外に出れば、世界は広い。すべてにおいて一番になれる人間なんて、いやしない。景凪は、辰希に「絶対に勝てる」という考えを植え付けたくはなかった。少し考えてから、彼女は真剣な眼差しで答える。「それは、ママにはわからないわ。上には上がいるもの。でもね、ママはあなたに、この大会そのものを楽しんでほしい。強い相手と競い合うことって、それ自体がとても楽しいことなのよ」結果だけを求めるより、その過程を楽しむ方が、ずっと意味がある。辰希は、素直にその言葉を受け入れた。こくりと、真剣な顔でうなずく。「そっか。うん、そうだね。もし今回優勝できなくても、また次があるもんね。それに、いっぱい勉強になるし、新しい友達もできたんだ」「えらいわ、辰希」景凪は、息子のまるい頬を両手で包んだ。愛おしさがこみ上げ、その額にキスを落とす。辰希は、一瞬固まった。キスをされるのは慣れていない。だが、目の前で優しく細められた母の目を見ていると、文句を言う気もなくなってしまう。まあ、たまに、一回くらいなら……別に、いいか。「あ、そうだ」辰希は、もう一つ思い出したことがあるようだ。「もし時間があったらさ、本選で僕たちのチームのアドバイザーになってくれないかな?K君は、自分の叔父さんを呼びたいって言ってるんだ。すごく頭のいい、コンピューターの天才なんだって。……でも、僕は、母さんの方がすごいと思う」実は辰希は、こっそりネットで景凪の経歴を調べてみたことがあった。その内容は、彼が言葉を失うほどすさまじいものだった。今までは、自分の賢さは父さん譲りだと、誰もが言っていたし、辰希自身もそう信じていた。
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第244話

彼はパソコンの前に駆け寄ると、何か言おうとしていたカイを、わきにぐいと押しやる。「もしもし……」郁夫の声は、緊張に震えていた。「俺は、小池……」言葉は、最後まで続かなかった。相手が、オフラインになったのだ。「叔父さん、すごい汗だよ?」カイは、叔父のただならぬ様子に、少し慌てていた。「もし、嫌なら……辰希のお母さんとの勝負、断るよ……?」「いや、やれ!」郁夫は、片手でカイを椅子に押し戻した。必死に冷静さを装おうとする。「今すぐ、辰希の母親と約束を取り付けろ!直接会って勝負だ!早ければ早いほどいい!」だが、それだけでは足りない。「そうだ。辰希の連絡先を教えろ。俺が、直接連絡する!」そう早口にまくしたてた。「え……?」カイは目を丸くした。……景凪は、そんな騒ぎが起きていることなど、知る由もなかった。彼女は階段の踊り場に身を潜め、裸足でキッチンに駆け込む清音の姿を、そっと見つめていた。ケーキはまだ半分ほど残っていた。景凪はそれを冷蔵庫にしまっておいたのだが、食いしん坊の清音は、小さな椅子を持ってきて、その上に乗り、冷蔵庫を開ける。そして、残りのケーキを取り出した。誰にも見られていないと思っているのだろう。お皿を抱え、夢中でケーキを頬張る。食べ終わると、満足そうに小さなお腹をぽんと叩き、空になった箱を、また元の場所に戻した。娘の愛らしい姿に、景凪の心はとろけそうになった。小さなクリームのかけらが、床に落ちている。清音は椅子からぴょんと飛び降りると、ごく自然にティッシュを取り、床をきれいに拭いた。その様子に、景凪は、思わず足を止める。胸にこみ上げてくるものがあった。目の奥が、じんわりと熱くなる。自分が眠る前にしていた、清音へのしつけ。それは、無駄ではなかったのだ。この子は、悪い子なんかじゃない。ただ、辰希のように天才ではなく、母親の不在がもたらす不安を埋めるだけの、強い精神世界を持っていないだけ。だから、姿月にあれほど依存してしまったのだ。大丈夫。娘と過ごす、十分な時間さえあれば。きっと、この子をまっすぐに、優しく育ててあげられる。自分も、幼い頃に母を亡くした。母を失うつらさは、誰よりもわかる。だからこそ、自分が母となった今、子供たちに、少しでも多くの愛を注いであげたい。「清音」景凪が、そっ
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第245話

「り……離婚!?景凪さんが、深雲さんと!?」思わず、舌を噛みそうになった。あの、何をされても深雲さんに尽くし続けていた、景凪が?離婚だと?西から太陽が昇る方が、まだあり得る話だ。「冗談を言っているつもりはないわ。だから、今後あの人のことで私を呼ばないで。できれば、二度と連絡もしてこないで」深雲の周りにいる、ろくでもない取り巻き連中。もう二度と、誰の顔も見たくない。景凪は一方的にそれだけ告げると、暮翔の返事を待たず、通話を切った。残された暮翔は、その場で石のように固まっていた。しばらくして、ようやくその言葉の意味を理解する。「まだ終わんねえのかよ」研時が、タバコを指に挟んで近寄ってきた。「穂坂、あとどのくらいで着くって?吐き気止め、持ってきてもらえよ。深雲のやつ、さっき吐いたぞ」暮翔は、ゆっくりと振り返る。「……景凪さんは、もう、来ない」「あ?」研時は、聞き取れなかったようだ。暮翔は、ごくりと喉を鳴らした。「あの人、言ってたんだ。深雲さんと、離婚するって」今度は、はっきりと聞こえた。だが、研時の頭に浮かんだのは、別のことだった。ようやく、深雲も決心がついたのか。あの女を、やっと捨てる気になったんだな。研時は、さも当然だというように、吐き捨てた。「あの二人が離婚すんのなんて、時間の問題だっただろ。そもそも、あんな女が深雲に釣り合うわけがねえ。西都製薬との提携は姿月が取ってきたんだ。何の価値もなくなった穂坂が、鷹野家から追い出されるのは当然だ」「……」本当に、そうなのか?暮翔が、反論の言葉を探していると、ふらり、と覚束ない足取りで深雲が個室から出てきた。その手には、半分ほど空になった酒瓶が握られている。途端に、ホットパンツ姿の派手な女が、深雲にねっとりと絡みついた。「ねえ、一杯どう?」なまめかしい声でささやく女を、深雲は、酔ってかすんだ目で一瞥すると、容赦なく突き飛ばした。「失せろ!」「なによ、感じ悪い!」女は、悪態をつきながら去っていく。深雲は、酒の匂いをあたりにまき散らしながら、呂律の回らない口で叫んだ。「景凪はどこだ……?あの女に伝えろ。三十分以内に来ないと……どうなっても知らねえぞ!」「……」その様子を見て、暮翔は複雑な表情を浮かべる。「仕方ないな……もう一回、景凪さんに電
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第246話

それは、季節外れで捨てる寸前の服の山に、埋もれるようにして置かれていた。箱の中には、十五歳の夏に作った、蓮の花の標本。十七歳の時に折った、たくさんの願い星。十八歳の時、彼が好きなバンドのコンサートチケット。けなげに貯めたお小遣いをすべてはたき、徹夜で並んで手に入れた、アリーナ最前列の席……そして、彼女が編んだマフラー。――かつて、凍えるような冬の夜。彼はそのマフラーを、小林姿月の首に巻いてやった。景凪はそれらすべてを裏庭に運び、ためらうことなく火をつけた。「奥様、何を燃やしていらっしゃるんですか」通りかかった桃子が、燃え上がる炎に驚いて駆け寄る。景凪は振り向きもせず、何でもないことのように言い放った。「ええ、古いガラクタを少しね」十五年に及んだ想いの残骸。そのすべてを、彼女はひとすじの炎で焼き尽くした。千代の飛行機が到着するのは、午後の五時半。それに合わせて、景凪は午後三時に不動産業者と潮音台ヒルズで落ち合う約束を取り付けた。業者の先導で、彼女はすんなりと中へ入ることができた。道中、業者はここのヴィラがいかに素晴らしいかを、口が乾くほど熱心に語り続ける。「奥様、どこか気になる物件はございましたか」景凪は渡された資料をめくり、あるページで手を止めた。「この78号棟、良さそうね。案内してもらえるかしら」「はい、もちろんです!」業者は二つ返事で承諾した。窓の外を眺める景凪の目に、冷たい光が宿る。78号棟の隣。そこにある79号棟こそが、彼女の本当の目的だった。二棟のヴィラは五百メートルほど離れており、間には植え込みの緑地帯が広がっている。業者が顧客からの電話で席を外した隙に、景凪は緑地帯を抜け、79号棟の門前まで歩み寄った。中からは生活の気配が色濃く漂い、常に人が住んでいることは明らかだった。景凪が様子を窺っていた、その時。一台のシルバーグレーの高級車が、向こうから静かに近づいてくるのが見えた。彼女は瞬時に身を翻し、緑地帯の陰へと隠れる。高級車は79号棟の門の前で停車し、運転手が後部座席のドアを開けた。「奥様、お着きになりました」気品のある、いかにも上流階級といった佇まいの婦人が、車から身をかがめて降りてきた。女の顔をはっきりと認めた瞬間、景凪はそばにあった瑞々しい枝を強く握りしめていた。葉
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第247話

「奥様?」不意に肩を軽く叩かれた。景凪は弾かれたように振り返る。その真っ青な顔と、うっすらと赤く縁どられた瞳に、事情を知らない業者はぎょっとして息をのんだ。「ごめんなさい、急に具合が悪くなってしまって。今日はもう、これで失礼します」景凪は平静を装うのに必死だった。そんな彼女の様子を見て、業者はそれ以上何も言えなかった。次の客との約束も迫っていたため、彼は景凪を駐車場まで送り届ける。その場に立ち尽くし、業者の車が走り去るのをただ見送った。自分の車に戻ると、景凪はハンドルに額を押し当てる。何度か深い呼吸を繰り返し、どうにか荒ぶる気持ちを鎮めた。「景凪、パパを恨んではだめ……約束して。二十五歳になるまでは、あの人に会おうとしないで……」それは、母である長楽が死の間際に遺した言葉だった。あの馬鹿正直な女は、死ぬその瞬間まで、父の克書から贈られた婚約の証――アンティークの指輪を握りしめていた。それをネックレスにして首から下げ、土に還っていったのだ。母の想いは分かっていた。娘が憎しみに人生を支配されることを望んでいなかった。二十五歳になり、物事を自分で判断できる年齢になるまで待ってほしかったのだ。そして今、景凪はもう二十七歳になっている。再び雪華を目の当たりにして、こみ上げてくるのはやはり、骨の髄まで染みついた憎しみだけだった。景凪はゆっくりと顔を上げた。澄んだ瞳は、いっそう静謐さを増している。彼女は頭の中で、今手元にある情報を整理し始めた。――となると、大学三、四年の二年間に、深雲が自分を騙して作らせていたあの薬は、小林姿月を救うためのものだったのだ。はっ。景凪の口から、乾いた冷笑が漏れる。もし今日、潮音台ヒルズ79号棟にいたのが他の女だったなら。彼女はせいぜい、鷹野深雲という男の女遊びの激しさを嘆き、証拠写真を撮るくらいで済ませただろう。単なる、救いようのないクズだと。だが、そこに住んでいたのは、小林姿月だった。そう思うと、景凪は深雲がクズというより、ただのどこまでも愚かな男に思えてならなかった。小林姿月という女一人に、まるで犬のように、何年もの間手玉に取られ続けていたのだから。空港、地下駐車場。景凪は出口に一番近い隅に車を停め、彼女を待った。そう待つこともなく、サングラスと帽子で顔を隠した千代が姿
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第248話

だからこそ、その一言の重みを、千代は痛いほど理解していた。目頭が、じんと熱くなる。「景凪……私にとっても、あんたはたった一人の親友だよ。いつもの言葉を繰り返すけどさ、私はいつでも、あなたのそばにいるから」景凪は微笑んだ。「ええ、わかってるわ」そして、話題を変える。「今夜はどこに遊びに行くの?」「いいとこがあるのよ!」千代はにんまりと笑った。「私に任せときなって」そして景凪は、千代のナビゲートで車を走らせ、いかにも高級そうなサロンの前にたどり着いた。一階はブティック、二階がヘアメイクスタジオになっている。壁一面に掛けられているのは、肌を大胆に露出するキャミソールドレスやミニスカート。その布地の少なさに、景凪は内心ため息をつく。どれもこれも、古くなったら裁断すらせずに雑巾として使えそうだ。景凪は遠回しに言った。「千代、こういうスタイルは、私にはあまり似合わないと思うんだけど……」しかし、彼女が言い終わる前に、千代はすでに二着のドレスを選び、景凪に放り投げていた。「いいから試してみてって!今日は私の言うことを聞くの!」景凪が着替えに行っている間に、千代はバーのオーナーに電話をかけ、個室の予約を入れた。しかし、彼女はふと思いついて、考えを変える。「マスター、個室やめてオープンなボックス席にしてくれる?それと、イケメン七、八人お願い!とびっきりので、気の利くやつね!」個室でこそこそ遊んで何が楽しいものか。今夜は、私の大事な景凪を、フロア中の誰よりも輝かせてやるのだ。一時間後。千代がソファでマネージャーからのメッセージに返信していると、少し戸惑ったような景凪の声が聞こえた。「千代」顔を上げた千代は、こちらへ歩いてくる景凪の姿を見て、息をのんだ。その瞳には、あからさまな驚きと感嘆の色が浮かんでいる。景凪が美しいことは、ずっと前から知っていた。どんなにくたびれた格好をしていても、研究室の白衣を着てさえ、その清らかな美しさは隠しきれなかった。だが、彼女が本気で着飾ったら、これほどまでに化けるとは。だが、彼女が本気で着飾ったら、これほどまでに化けるとは。千代は目を丸くし、思わず感嘆の声を漏らした。「うっそ……景凪、あんた、綺麗すぎない!?」赤いキャミソールドレスが、景凪の肌をいっそう白く輝かせている。胸元はドレープ
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第249話

景凪の体がびくりと震える。深雲が触れたのは、彼女の太ももにある、あの傷痕だった。かつて彼を庇って残った、十数センチにも及ぶ、消えない傷痕。彼は耳元に唇を寄せ、熱い息を吹きかけながら、掠れた声で囁いた。「それに、この傷痕だ。見えたらみっともない。他人に笑われるぞ。もうミニスカートは穿かないって、約束したじゃないか?」彼女はまだ、言い返そうとした。「でも、家には私たち二人しかいないじゃない……」「しーっ」深雲は親指で彼女の唇をそっと押さえる。その一見優しげな眼差しには、抗えない重圧が宿っていた。彼は言った。「ケーナ、俺も、好きじゃない」なんて馬鹿げているのだろう。彼を救うためにできた傷を、当の本人から、厭われるだなんて。今、景凪は鏡の前に立ち、太ももにある、肌色になった傷痕を見つめている。もはや、それを恥じる気持ちも、醜いと思う心もなかった。これは、かつて自分が命を懸けてでも人を愛せた、勇敢さの証。鷹野深雲は安っぽいクズ男かもしれない。けれど、自分が捧げた愛は、永遠に気高いのだ。千代は、景凪が自分の脚の傷痕を見つめて、上の空になっているのに気づいた。「景凪、その傷、もし隠したいなら……」「ううん、隠さなくていい」景凪はその傷痕をそっと撫で、微笑んだ。「自分の体、好きよ。この傷もね、好き」景凪と千代が二人並んで店から出てくると、そのあまりの美しさに、道行く誰もが振り返った。道路の向かい側。買い物を終えて商業ビルから出てきた郁夫は、ふと顔を上げた。そして、目に飛び込んできた鮮やかな赤い影に、思わず足を止める。夜の闇が迫る空の下で、その色はひときわ輝いて見えた。女が何気なく横顔を見せ、風に乱れた髪をかきあげる。その瞬間に現れた、息をのむほどに美しい顔。郁夫の瞳が、ぐっと収縮した。「穂坂景凪!」車の往来が激しい雑踏の中では、彼の声が届くはずもなかった。あっという間に、景凪は車に乗り込んでしまう。郁夫はいてもたってもいられず、自分の車に駆け込むと、焦る気持ちでそのあとを追った。今度こそ、絶対に目の前から消えさせはしない!バー・イリュージョン。夜の帳が下り、街にネオンが灯り始める頃。A市でも指折りのこの巨大なクラブは、営業開始と同時に、享楽を求める若者たちで溢れかえっていた。深雲は個室から出てき
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第250話

深雲はダンスフロアの方へ、もう一度目をやった。今夜の客の多くは、思い思いの仮面をつけている。そういえば、暮翔が言っていたのを、ぼんやりと思い出した。今夜のバーのテーマは、仮面舞踏会だと。深雲は、そういった趣向をますます鼻で笑った。孤独で寂しい男女が最後にたどり着くのは、見つめ合って、ホテルへ向かうという結末。所詮は一夜限りの関係だ。バニーガールの格好をしたウェイトレスたちが、トレーを手に人混みを縫って歩いていく。尻につけられた尻尾が、挑発的に揺れていた。ミニスカート、黒いストッキング、ハイヒール。男の獣性を最も煽る服装だ。どういうわけか、深雲は景凪のことを思い浮かべた。あんなに素直で真面目な女だ。こんな場所、一生足を踏み入れることすらないだろう……深雲はじくじくと痛む胃をこらえながら、スマートフォンを取り出して画面を見た。メッセージアプリから、SMS、通話履歴まで。どこを探しても、景凪からの連絡は一件もなかった。深雲は無意識に眉をひそめる。あるのは、姿月からの不在着信が二件と、つい先ほど届いた数件のメッセージ。もう退院して家に戻ったから、心配しないで、と。そしてそこには一枚の写真が添付されていた。姿月が鏡に向かって撮った、背中が半分だけ写った写真だ。美しく引き締まった白い背中。その肩甲骨のあたりに、いくつもの深く、あるいは浅いキスマークが残っている。それがやけに目を引いた。【深雲さん、昨日の夜につけられた跡、私ぜんぜん気づかなくて。さっき着替える時にお母さんが見つけて、どうしたのって聞かれて、初めて知ったの。トレーニングでできたって言っといたから、深雲さんも口裏合わせてね】昨夜の甘美な光景が、脳裏に蘇る。深雲の喉仏が、かすかに上下した。確かに昨日、病室で、彼はもう少しで……だが、あれは祖母がわざわざ用意した、妙な特製スープのせいだ!深雲は強く頭を振った。最後の最後で踏みとどまったのだから、景凪を裏切ったことにはならない。俺に疚しいところなど、何もない!深雲は、伊雲に注文させておいたバッグが届いているはずだと思い出した。彼は妹に電話をかける。「あのバッグ、ヴィラに配送させろ。直接な。ドアはノックせず、玄関の前に置いておけ。俺が帰ってから受け取る」伊雲は兄の言葉に、心底驚いた様子だっ
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