Tous les chapitres de : Chapitre 481 - Chapitre 490

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第481話

郁夫はにっこりと微笑むと、強引に話題を変えた。「さっき調べてみたんだけど、あの権田って男、金回りがいいのは確かだけど、中身は本当にクズだね」彼は真面目な顔つきに戻る。「あの男になじられた女優は数知れないそうだ。しかも相手の足元を見て、有力な後ろ盾のない子ばかり狙ってる。大抵は泣き寝入りするしかないんだけど、鐘山さんは筋金入りの頑固さだからね。……さっき、知り合いを通じて釘を差しておいたよ」つまり、千代の件は彼が手を回してくれたということだ。景凪は戸惑う。「郁夫くん、そこまでしなくても……」「鐘山さんは僕の友達でもあるんだ。友達のために一肌脱ぐことまで、君に断られる筋合いはないだろ?」そう言われてしまうと、景凪も返す言葉がない。それから二時間ほどして郁夫は仕事のトラブルがあったらしく、急な呼び出しですでにホテルを後にしていた。だが、抜かりなくルームサービスを手配してくれており、目覚めたばかりの千代の胃にも優しい、あっさりとした食事が用意されていた。、千代が目を覚ました。郁夫は仕事のトラブルがあったらしく、急な呼び出しですでにホテルを後にしていた。だが、抜かりなくルームサービスを手配してくれており、目覚めたばかりの千代の胃にも優しい、あっさりとした食事が用意されていた。鯛茶漬けをさらさらと流し込みながら、千代がぼそりと呟く。「小池のヤツ、意外と気が利くじゃん」「これからは何かあったら、真っ先に私に相談してよ」メイクを落とした千代の顔は、痛々しいほど痩せこけて見えた。景凪は思わず眉をひそめる。もともと細い体なのに、今回の役作りのためにさらに減量していたのだ。それなのに、結局役を奪われるなんて……「平気平気。ひとしきり泣けばスッキリするから。こんなこと、今に始まった話じゃないし」千代は鼻をすすると、こらえきれなかった涙が一粒、熱々の茶漬けに落ちた。彼女はそれを箸でくるりと混ぜ、塩気の代わりに飲み込んでしまう。顔を上げた千代は、もういつもの眩しい笑顔に戻っていた。「私のことより、あんたよ。……景凪、最近どう?鷹野のクソ野郎と離婚してから、なんか嫌がらせされてない?あの泥棒猫の小林も、相変わらず図々しい顔してんの?」「私のことは大丈夫」景凪の瞳が、ふと静かな光を帯びる。「三日後には、色々なことがはっきりするはずだから」
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第482話

辰希が驚いて振り返る。「え、いつの間に上がってきたの」「いま来たばっかりだよぉ。べつに外をうろうろなんてしてないもん」清音はむちむちの手で人形の髪をむしり取らんばかりに弄りながら、わざとらしく尋ねた。「お兄ちゃん、だれとおしゃべりしてるの?」「ママだよ」辰希は自然に促す。「清音も挨拶する?」清音はもじもじと俯き、ぽんぽこりんのお腹を左右に揺らしている。「だって……ママ、清音とお話ししたくないかもしれないし」この間、どちらか一人のママしか選べないと言われて、清音は答えられなかった。あの日以来、ママから連絡が来ることはなかったのだ……それなのに、お兄ちゃんとはよく楽しそうに電話やメッセージをしている。それを横目に見るたび、清音の胸はずきりと痛んだ。やっぱり、姿月ママが言ってた通りなのかな。ママはもう、清音のことなんかいらないのかな……最愛の娘がそんな風に拗ねているのを、景凪が見抜けないはずがない。不安と強がりがない交ぜになった小さな背中を見て、胸が締め付けられるようだった。「清音。ママ、清音に会いたくてたまらなかったのよ。こっちへ来て顔を見せてくれない?」画面越しに、景凪の慈愛に満ちた声が響く。清音はぱっと顔を上げ、瞳を輝かせた。とことこと歩み寄ると、少し恥ずかしそうにカメラに向かって小さく手を振る。「……はい、ごあいさつしたよ」清音は小さな唇をきゅっと結んでから、精一杯の強がりを言った。「あーあ、らいしゅうの土曜日、観覧車にのりたいなぁ。ゆいなちゃんたちはみんな行ったんだって。もしママが、すっごくすっごくヒマで、どうしても清音に会いたいなら、連れてってあげてもいいけど……」景凪は破顔した。「ママ、清音に会いたくて会いたくて仕方がないの。お願い、ママも一緒に行っていいかしら?」清音の口角がにゅっと上がる。つんと済ましているつもりでも、嬉しさが顔中から溢れ出して止まらない。「んー、いいよぉ」まったく、と辰希は呆れたように首を振る。これだから妹は、まだまだ子供なんだよな。部屋の外、廊下の隅で、深雲は立ち尽くしていた。ドアの向こうから漏れ聞こえる、母と子らの笑い声。景凪はあんなにも優しく、根気強く子供たちをあやしている。深雲の瞳が暗く沈み、奥底に苦いさざ波が広がった。かつて彼女が身ごもって
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第483話

ここまで言われてしまっては、景凪も迷わざるを得ない。子供たちは、今この男と繋がっている唯一の、そして最大の弱点だ。彼女は数秒の沈黙の後、渋々ながら応じることにした。「……わかったわ。桐谷先生に連絡しておくから、そっちも弁護士を連れて――」「景凪」深雲が静かに遮る。「今から会えないか。二人きりで」景凪が眉をひそめ、反論しようとした矢先、深雲は言葉を継いだ。「法廷で泥沼の争いを見せる必要はないってことだ。辰希は賢い子だ、どんな手段を使ってでも事の顛末を知るかもしれない。……穏便に解決できるなら、話し合いで済ませたいんだ」一理ある提案に、景凪はわずかに沈黙する。「親権は重大な問題よ。あなたの一存で決められるの?明岳様を説得できるわけ?」かつて愛していた頃は、彼というフィルターを通して世界を見ていた。けれど、その頃からはっきりしていた事実がある。鷹野家の実権を握っているのは、いつだって父親の明岳だ。深雲が父親に本気で逆らえたことなど一度もない。結婚していた二年間、仕事上の大きな決断で親子が対立した時、矢面に立って交渉していたのはいつも景凪だった。彼は昔から弱い人だった。けれど愛していたから、彼の弱さごと全て背負って歩いてきたのだ。だが現実は残酷な教訓を突きつけた――男の成長を待ってはいけない。中には、死んでも大人になれない男もいるのだから。深雲がふっと自嘲気味に笑った気配がした。「親父は今、誰よりもお前を怒らせるのを恐れてるさ」景凪「……」深雲は声を改め、本題に入る。「今そっちへ向かうから、住所を教えてくれないか」「結構よ。外で会いましょう」自分のテリトリーに彼を招き入れるつもりは毛頭ない。深雲はしばらく黙り込んだが、やがて静かに告げた。「わかった。じゃあ、『雲間(くもま)』でどうだ。あそこの料理、好きだっただろ」景凪「……」『雲間』は、深雲が通っていた大学の近くにあるレストランだ。今住んでいる場所からもそう遠くはない。車なら三十分ほどで着くだろう。景凪は事務的に答える。「わかったわ。今から向かう」そして、彼からの返事を待たずに通話を切断した。プツッ、ツーツー……という冷たい電子音を聞きながら、深雲は口の端を歪める。以前なら、景凪はいつだって俺が切るのを待っていた。あの頃当たり前のよ
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第484話

それにパパが姿月ママと一緒になったら、ママだってきっと誰か別の人と結婚しちゃう。そうしたら、清音のことなんかいらなくなっちゃうんだ。想像しただけで胸が押しつぶされそうになり、清音の瞳から大粒の涙がぽろぽろとこぼれ落ちた。深雲は、清音が泣き出したのは「早く姿月ママと結婚してほしいからだ」と勘違いした。彼は慌てて娘の背中をさすり、甘い声でなだめる。「大丈夫だ、姿月ママならいつでも会いに来てくれるよ。だから泣かないで。……パパはこれから出かけるけど、桃子さんに来てもらうからな」その言葉に、清音はいっそう声を張り上げて泣きじゃくった。見かねた辰希が、妹の腕を引いて深雲から離す。「パパ、行ってあげて。桃子さんもいるし、僕がちゃんと清音のこと見てるから」深雲は辰希の頭を撫でてやり、時計を確認した。もういい時間だ。彼は部屋に戻って手早く着替えると、車に乗り込んで家を出た。ハンドルを握ってまもなく、姿月から着信が入った。ディスプレイに表示された名前を見て、深雲は小さく息を吸い、そのまま無視した。だがすぐに二回目のコールが鳴る。再び無視しても、姿月は諦めるつもりがないらしい。執拗に鳴り続ける着信音は、まるで彼女の叫び声のようだ。深雲は眉間に深いしわを刻んだ。――あいつがこれほど粘着質で、鬱陶しい女だったとは。六回目のコールが鳴り響いたとき、彼は渋々Bluetoothイヤホンの通話ボタンを押した。「もしもし」「深雲さん、どうして電話に出てくれないのっ?江島さんに聞いたら会社には行ってないって言うし……今、家にいるの?私、今からそっち行く!」間髪入れずに浴びせられる姿月の声は、切羽詰まっていて耳障りだ。深雲はハンドルを握り直し、努めて平静を装って答える。「いや、来なくていい。野暮用で出てるんだ。マナーモードにしてたから気づかなかった」「野暮用って何よ?」姿月が鋭く問い詰めてくる。仕事であれプライベートであれ、彼の行動は全て把握していないと気が済まないのだ。深雲の中に、明確な苛立ちが湧き上がった。「……いちいちお前に、俺の行動すべてを報告する義務があるのか?」深雲の声に滲む不機嫌さを敏感に察知したのか、姿月はすぐさま猫なで声に切り替えた。「ごめんなさい……私、ただ怖かったの。お昼に児玉家であんなことがあった
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第485話

深雲が『雲間』に到着した時、景凪の姿はまだなかった。彼女が遅れているわけではない。彼が十五分も早く着いてしまったのだ。彼はかつて二人で座っていた、お決まりの窓際の席に腰を下ろした。街にはネオンが灯り始め、夜の帳が下りようとしている。窓の外を行き交う人々の中には学生カップルも多く、楽しげに談笑しながら寄り添って歩いている。――こうして俺が先に着いて、景凪を待つのは初めてかもしれない。あの頃はいつも、彼女の方が俺を待っていた……「あら、鷹野さんじゃない!」恰幅の良い中年女性の店主が、深雲の姿を見つけて驚いたように近寄ってきた。その笑顔には親しみが溢れている。この店の価格帯は決して安くはないが、落ち着いた雰囲気と、何より深雲好みの数品があるため、彼は時間さえあれば足繁く通っていたのだ。常連であることに加え、その目を引く容姿ゆえに、店主も彼のことをよく覚えていた。「鷹野さん、あれから彼女さん――穂坂さんと結婚されたんでしょう?」店主が目を細めて尋ねてくる。「ええ……卒業してすぐに」離婚した事実は伏せたまま、深雲は答えた。「素敵ねぇ。うちの店に、お二人の当時の写真がまだ残ってるのよ!」店主は羨ましそうに溜息をつき、壁一面の『カップルボード』を指差した。深雲は一瞬動きを止め、やおら立ち上がってその場所へ歩み寄る。数多の写真の中に、彼と景凪の一枚があった。当時は二人ともまだ青さが残っているが、その並び立つ姿は群を抜いて美しく、ボードの中でもひときわ目を引く存在感だ。深雲の記憶が蘇る。あれは大学三年のクリスマスだった。『カップル写真を撮ればお会計二割引』というキャンペーンをやっていたのだ。たかだかその程度の割引など、彼にはどうでもよかった。むしろ、金のために写真を晒すなんて恥でしかないと思っていた。だが、普段は大人しい景凪が珍しく頑固だった。「お金は少しでも節約しなきゃ」「それに私たち、まともなツーショットが一枚もないじゃない」と、彼の袖を引いて懇願したのだ。彼女の声は決して大きくなかったが、静かな店内にはよく響いた。周囲の客からの視線が集まり、深雲はいたたまれなさで顔から火が出そうだった。本心から、景凪のことを「恥ずかしい女だ」と軽蔑さえした。結局、しぶしぶ撮影に応じたのがこの一枚だ。写真の中の彼は露
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第486話

――さっき話したことと違うじゃない、と呆れた視線が突き刺さる。どういうこと?嘘をついてたの?だが商売柄、客の事情に深く立ち入るわけにもいかない。店主は気まずさを隠し、改めてオーダーを取る体勢に入った。深雲がメニューを差し出すと、景凪は自分の一人前のコースだけを淡々と注文し、すぐにメニューを突き返した。彼女はレモン水の入ったグラスを両手で包み込むように持ち、気のない様子で窓の外を眺めている。その冷ややかな横顔は、まるで目の前に座っているのが、ただの顔見知りの他人であるかのような扱いだった。深雲もすぐに自分の分を注文した。店主が去ると、深雲は正面に座る景凪に視線を戻した。その薄い唇は固く引き結ばれ、瞳には確かに微かな罪悪感が滲んでいる。「今日の児玉家でのことだが……俺がお前を庇わなかったのには、その……やむを得ない理由があったんだ。この間、お前が斯礼と裏で取引したせいで、グループ内での俺の立場がかなり危うくなっててな、下手に動けなかったんだよ……」まだ言い訳をするつもりなのか。自分の弱さを、あろうことか彼女のせいにしようとしている。「弁解は結構よ」景凪は吐き気を催すほどの嫌悪感を覚えた。「あなたにはもう、何も期待していないから。ねぇ深雲、卑怯者なら卑怯者らしく、いっそ堂々としてたら?その方がまだ軽蔑せずに済むかもしれないわ」図星を突かれ、深雲の顔色が青ざめる。景凪はこれ以上、彼との無駄話に付き合う気はなかった。単刀直入に本題を切り出す。「辰希の親権は絶対に私がもらう。清音のことだけど……」娘の顔を思い浮かべると、胸が締め付けられるように痛んだ。清音が自分についてきてくれるかどうか、確信が持てないのだ。もし姿月がただの愛人で、清音を我が子のように愛してくれているなら、まだ諦めもついたかもしれない。だが、よりによって姿月は、あの小林克書と雪華の娘なのだ。それでも、もし清音がどうしても姿月がいいと言うのなら、身を切られる思いだとしても、私はあの子を諦めるしかないのかもしれない……「辰希の親権は譲歩してもいい。だが一つだけ条件がある。あいつが成人するまで、鷹野家が定めた進学プランに従わせることだ。インターナショナルスクールから、世界トップ3の大学へ進学させる。あいつにとって、これが最高のエリートコースなんだ」「
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第487話

運転席の渡は、顔の半分を闇に沈めていたが、その瞳は深く暗い光を宿し、店先で景凪の腕を掴む深雲を氷のような視線で貫いていた。彼女が言っていた「急用」というのは、元夫と会うことだったのか?景凪は深雲の手を強く振りほどこうとしたが、彼はさらに力を込めてくる。「離して。友達が迎えに来てるの」彼女の声は冷え切っていた。「友達だと?」深雲はさらに強く腕を掴み、思わず口を滑らせた。「お前に、こんな高級車を乗り回すような友人がいたかよ」言ってしまってから、深雲は己の失言に気づいた。景凪は冷笑を浮かべる。「やっぱりあなた、昔とちっとも変わってないわね」その蔑むような瞳に見つめられ、深雲は珍しく狼狽し、不器用に言い訳を始めた。「景凪、違うんだ、そういう意味じゃ……俺は……」「離さないなら警察を呼ぶわよ」「景凪……」「手を離せと言っているのが聞こえんのか」殺気すら滲む渡の声が、鋭い刃物のようにその場を切り裂いた。空気が一瞬で凍りつく。逆光の中を歩いてくる渡の姿を認め、深雲は眉をしかめた。「お前は……」その隙を突いて、景凪は深雲の手を振りほどき、小走りで渡の方へと駆け寄った。ヘッドライトの逆光のせいかもしれないが、渡はその一瞬、彼女の瞳に安堵と喜びの色が浮かんだような気がした。深雲のためではなく、自分を見て――渡の瞳の奥で、感情の色が一段濃くなった。「渡……」景凪が何かを言いかけたが、渡がそれを遮るように問うた。「俺と行くか、それともここに残るか」感情を押し殺した淡々とした口調だったが、その実、渡の心臓は見えざる手に掴まれ、断崖絶壁に吊るされているような心境だった。彼は今、判決を待つ囚人と同じだ。彼女こそが、彼の生殺与奪の権を握る絶対的な裁判官なのだ。「あなたと行くわ」景凪は迷いなく即答した。崖っぷちで震えていた心臓が、ふわりと温かい場所に受け止められ、暴れ出しそうだった破壊的な衝動が、波が引くように静まっていく。彼女は知らない。その一言が、どれほど彼を救ったのかを。「車に乗って待ってろ」渡はドアを開け、一歩踏み出そうとした深雲を冷徹な眼差しで牽制した。その瞳には強烈な警告の色が宿っている。景凪が素直に車に乗り込むと、渡は静かにドアを閉めた。そして、ゆっくりと深雲の方へ歩み寄る。その全身から
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第488話

深雲は言葉を失った。スマホが持ち主の手に戻ったのか、清音の甘えるような声が聞こえてくる。「パパ、もう帰ってくるの?焼き鳥の手羽先食べたいな。最近お菓子とか全然食べてないもん……それにね、お兄ちゃんと姿月ママも、焼き鳥食べたいって」「……」深雲は眉間を揉みほぐした。「晩飯は食べたんだろ」「うん……」「桃子さんに夜食を作ってもらえ。その方が体にいい」「はーい」「今から帰る」「うん〜じゃあ先にお風呂入ってくるね。パパ大好き」「ああ、パパも愛してるよ」通話を切った後も、深雲は数秒間その場に立ち尽くしていた。やがて、重い足取りで自分の車へと向かった。一方、黒塗りのマイバッハは、滑るように、かつ猛スピードで夜の道を疾走していた。景凪は助手席で、ちらりと何度も渡を盗み見た。車に乗ってからというもの、彼は一言も発していない。何を考えているのかは分からないが、その顔色を見る限り、機嫌が良いとは言えなさそうだ。景凪は唇を引き結んだ。下手に口を開いて火に油を注ぐのも気が引ける。彼女は当面、黙っていることにした。車内は、互いの呼吸音だけが響く静寂に包まれていた。渡は音もなく口角を歪めた。視界の端には、いつものように静まり返って黙り込む女の横顔が映っている。そうだ、景凪は昔からこうだった。煮え切らないというか、とにかく大人しい。忍耐比べに関しては、いつだって彼女の勝ちだ。キッ――車は不意に交通量の少ない並木道へと滑り込み、路肩に停車した。窓から差し込む月明かりが、渡の彫りの深い顔立ちを照らし出し、落ちる影さえも美しく浮かび上がらせる。「景凪」彼は横目で彼女を見つめた。その瞳はどこまでも深く、底が見えない。「話があるんじゃなかったのか」「あなた、夕食は食べた?」景凪が唐突にそんなことを言い出した。渡は怪訝な顔をしたが、とりあえず答えた。「いや」「じゃあ、食べながら話しましょう。じゃないと、せっかくテイクアウトした料理が冷めちゃうわ」景凪は大真面目に提案した。渡は黙り込んだ。これこそが、まさしく景凪の思考回路だ。「分かった」結局のところ、彼女の言うことには逆らえないのだ。渡は彼女が弁当の箱を持っていて身動きが取りづらそうなのを見て、シートベルトを外してやろうと、単純な親切心
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第489話

渡は景凪を乗せて霊園へと車を走らせた。ナビなど必要ない。この五年間、何度も通い詰めた道だからだ。途中、まだ明かりのついている花屋の近くに車を停めると、彼は景凪を車内に待たせ、供花を二束買いに降りた。店主の女性は彼の顔を見るなり、ぱっと笑顔を浮かべた。「黒瀬さん、またいらしたのね」ふと、開いたままの窓越しに助手席の女性が目に入ったようだ。「あら、奥様?」店主は興味津々といった様子で声を弾ませた。「とってもお綺麗ね。お似合いのご夫婦だわ」渡はそれを聞き、微かに笑みをこぼした。支払いのコードを読み取りながら、こう答える。「今はまだな」花屋から霊園までは目と鼻の先だった。すぐに霊園の入り口に到着し、二人が車を降りて中へ入ろうとしたその時だ。突然、一台の高級車が反対方向から猛スピードで突っ込んできて、渡たちの十メートル手前で急停車した。勢いよくドアを開け、怒りに満ちた表情で降りてきたのは、小松原茜だった。「渡兄さん!」彼女は忌々しげに景凪を睨みつけると、声を荒らげた。「やっぱりこの女と一緒かと思ってた!私をホテルに置き去りにして、こそこそ会いに来るなんてひどくない?もういい、今すぐ一緒に帰ってよ!じゃないと、渡兄さんが全然面倒見てくれないって、パパに言いつけるからね」渡は眉をひそめ、持っていた花を景凪に手渡した。彼が何か言う前に、景凪が口を開いた。「大丈夫よ。小松原さんと一緒に帰ってあげて。お参りは私一人で済ませるから、あなたの分も伝えておくわ」小松原茜の正体はすでに知っている。正真正銘、深窓の令嬢だ。渡は黒瀬家の私生児という立場上、彼女の機嫌を損ねるわけにはいかないのだろう。事情は理解できる。影でこんなにも支えてくれた彼に、これ以上迷惑はかけたくなかった。そう言い残して踵を返そうとした景凪だったが、不意に腕を掴まれた。その力は痛いほど強い。何事かと振り返ると、男の昏い瞳が真っ直ぐに彼女を射抜いていた。そこには明らかに、ある感情が渦巻いている。彼……怒ってる?渡は苛立ちを押し殺し、冷たい表情で告げた。「そこで待ってろ。二分で済ませる」そう言い残して手を離すと、彼は茜の方へと歩き出した。茜は勝ち誇ったような顔をしている。渡が自分を選んだと勘違いしているのだ。「渡兄さん……きゃっ」渡は無言
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第490話

深雲は子供部屋に入った。足を踏み入れた瞬間、どこか懐かしい香りに包まれる。清音の枕元に、アロマディフューザーが置かれているのが目に入った。清音はすでに夢の中だ。寝る前に読書をする習慣のある辰希も、今は大きなあくびをしている。「パパ、おかえり」「ああ。このアロマ、姿月おばさんが持ってきてくれたのか」「うん」辰希は目を擦りながら答えた。「清音が最近よく悪夢を見るからって。これがあるとよく眠れるらしいよ。けっこう効いてるみたい」確かに、清音は深く眠り込んでいるようだ。深雲の記憶が蘇る。先日の病院で、姿月の病室で目覚めた時にも、同じ香りが漂っていたのを思い出した。「ママとは連絡取ったか」深雲はさりげなく探りを入れた。辰希は首を横に振る。「ううん、まだ。でもママ、寝る前には必ずおやすみってメールくれるよ」深雲は少しの間沈黙してから言った。「辰希、もう遅い時間だ。ママに電話して、ちゃんと家に着いたか聞いてみてくれないか」景凪は俺の電話には出ないが、辰希からの電話なら必ず出るはずだ。辰希は不思議に思いつつも、パパがママを心配しているのだろうと素直に解釈し、自分のキッズ携帯から発信した。コール音が二回鳴ると、すぐに繋がった。「辰希」景凪の優しい声が聞こえてくる。「ママ、もうお家着いた?」「ううん、まだ帰り道よ」傍に立っている深雲の耳にも、その会話ははっきりと届いていた。まだ帰宅途中なのか。黒瀬渡と一緒にか?まさか今夜、あいつは景凪の家に泊まるつもりじゃないだろうな。「そっか。ママ、僕今日すっごく眠いの」辰希は大きなあくびを噛み殺した。「だから先におやすみ言おうと思って」「おやすみ、辰希くん。土曜日に会いましょうね」「うん」辰希が電話を切ろうとしたその時、スマホが横から深雲に取り上げられた。深雲は端末を耳に当てたまま、窓際へと数歩移動する。「景凪」深雲の声だと分かった途端、景凪の声色が氷のように冷たく変わった。「話は全部済んだはずよ。今度は何の用?」「土曜のことだが、俺が辰希と清音をお前のところまで送っていく。住所を送ってくれ」彼女が今どこに住んでいるのかすら、まだ知らないのだ……景凪は冷ややかに拒絶した。「結構よ。私が迎えに行くから」深雲が何か言い返す
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