All Chapters of 鷹野社長、あなたの植物状態だった奥様は子連れで再婚しました: Chapter 771 - Chapter 780

780 Chapters

第771話

潤一は一切否定しなかった。伏し目がちにしばらく沈黙した後、自嘲気味に苦く笑う。「ええ、心から。でも……何の意味もありませんけどね」世界的にも名を馳せる傭兵部隊の最年少幹部という地位。さらに恵まれた家柄と誰もが目を惹く容姿を持ち合わせ、潤一の人生はこれまで文字通り順風満帆だった。景凪に出会うまでは、恋愛においても常に主導権を握っていた。気が向いた時に適当に火遊びを楽しむだけで、相手にはそれなりの見返りを与え、いつも後腐れなく別れてきた。なのに、なぜ景凪に出会って、これまでの遊びの「報い」を受けるかのように、どうしようもなく深く溺れてしまったのか。潤一自身にも、その理由はまったく分からなかった。「子供の頃、祖父から聞いたことがあります。若い頃に愛した女性とは結ばれる縁がなかったからと、厚かましくも孫同士の許婚の約束を取り付けてきたのだと……」 潤一は俊介を見つめ、低く少し掠れた声でゆっくりと語り始めた。「当時の俺は、その話をまったく気に留めていませんでした。もし少しでも真面目に受け取っていたら、すべては違っていたかもしれないのに」言い終えると、病室のベッドで眠る景凪へ視線を向ける。その瞳には痛ましいほどの愛情が満ちていた。もっと早く景凪の前に現れていれば。自分がこれほど人を愛するようになると最初から知っていれば。黒瀬渡はおろか、あの鷹野深雲にすら出会わせなかったはずだ。一生穏やかで幸せな日々を与えてやれたのに。だが、運命というやつはひどく悪趣味だ。ようやく景凪に出会えた時、この人はすでに傷だらけだったのだから。「おじさん」潤一は声を落とした。「俺は長い間、景凪とすれ違ってきました。どうかチャンスをください。俺の『婚約者』を取り戻すための」俊介は黙って潤一の肩を叩いた。「父親である私は、あの子の人生からずっと逃げていた。あの子が受けてきた苦痛の責任は、私にもある。だから、親として君の願いに頷くことも、退けることもできないよ。あの子は一番愛する人を失ったばかりだ。本気で想ってくれているのなら、どうかそばにいてやってほしい。結果がどうなるかは……」「おじさん、俺の最大の長所は、潔く負けを認められるところなんです」あっさりと返したその言葉には、たとえ景凪の心が最終的に自分を向かずとも、すべてを受け入れる覚悟が滲んでいた。俊介は
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第772話

夜もすっかり更け渡った頃。一台の黒塗りの車が霊園の入り口に滑り込むように停まった。俊介は百合の花束を抱えて降車すると、少し緊張した面持ちで自分の襟元を整えた。まるで墓参りではなく、これから愛しい人とのデートに向かうかのような、落ち着かないそぶりだった。潤一の部下が付き添おうとしたが、俊介はそれを柔らかく制した。「送ってくれてありがとう。ここで待っていてくれるかな。彼女には、一人で会いに行きたいんだ」「ですが相葉様、私の任務はあなたを無事にお連れすることですし、夜道はお一人では……」護衛の男は心配そうに食い下がったが、俊介は弱々しく微笑み、その不安を見透かしたように言った。「心配いらないよ。後追い自殺なんてしないから。私には娘がいるし、可愛い孫も二人いるんだ」男がさらに口を開こうとする前に、俊介はすでに霊園の奥へと歩みを進めていた。仕方なく、部下は急いで潤一に電話を入れ、状況を報告した。受話器の向こうで少しの沈黙があった後、潤一の低い声が響いた。「後を追え。だが近づきすぎるな。相葉さんが常に視界に入っている状態を保てばいい」あの親子の情の深さを思えば、亡き妻の墓前で命を絶たないという保証はどこにもない。潤一にも、その確信は持てなかったのだ。亡き妻、長楽の墓石の前に立った俊介は、そこに刻まれた写真を見た瞬間、堪えきれずに堰を切ったように涙をこぼした。酷く痩せ細り、震える手を伸ばして、写真の上の長楽の顔を愛おしむようにそっとなぞる。「長楽……君はあの時のまま、若くて綺麗だ。私はすっかり老いぼれてしまったよ」俊介は声を詰まらせた。「残念だよ。一緒に歳を重ねたかった。……本当に、残念だ」目を閉じると、大粒の涙が頬を伝い落ちた。袖口で無造作に涙を拭い、亡き妻に向かって無理に笑顔を作ってみせる。愛する人の前に立つその表情は、どこか純情な青年のように若々しかった。「君が好きだった、百合の花を持ってきたんだよ」墓石を支えにゆっくりと片膝をつくと、俊介はポケットから古びた指輪のケースを取り出した。アンティーク調のデザインで、表面の模様は数え切れないほど撫でられたせいで、すっかり黄色く変色している。「あの時、任務が終わったら、君にプロポーズしてこれを渡すつもりだったんだ。まさか、そのまま三十年近くも離れ離れになるなん
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第773話

だが、潤一がいくら待っても、聞こえてきたのは景凪の弱々しい声だけだった。「お父さん、ちょっと疲れちゃった。……その話は、また今度でいいかな」意味は明白だった。今はまだ、渡の話題すら口にしたくないのだ。潤一は音を立てずに小さく息を吐いた。思い出として語れるようになって初めて、過去になる。景凪は明らかに、まだ渡の死から一歩も前に進めていない。だが、焦る必要はない。俺には、待つ時間だけはいくらでもあるのだから。「おじさん」潤一は長い脚を踏み出し、二人の輪に近づいていった。俊介と景凪が同時に振り返る。今日はよく晴れて陽射しが暖かく、普段着に着替えた潤一の姿は、黒のロングコートがその端正な顔立ちをより一層精悍に引き立てていた。まず俊介に軽く挨拶を交わしてから、潤一は視線を景凪へと移す。「通りかかったんで、ついでに差し入れをと思ってね」俊介は当然、その言葉の裏にある潤一の魂胆を理解していた。目に入れても痛くない大切な娘だ、彼のような若者と接することで、少しでも前を向いてほしいと、俊介自身も願っていたのだ。「私は少し疲れたから、お菓子は遠慮しておくよ。午後からまた検査があるし、少し横になろうかな」「お父さん、それなら私も一緒に……」景凪が言いかけたのを、俊介は優しく制した。「いいんだよ。せっかく外に出たんだ、もう少し陽に当たって、新鮮な空気を吸ってきなさい」そして、視線を潤一に向ける。「潤一くん、すまないが景凪の話し相手になってやってくれないか」そう言い残して、俊介は病棟の方へ歩き出した。少し離れたところに控えていた付き添いの看護師がすぐに駆け寄り、彼を支える。父親の背中が角を曲がって見えなくなるのを見届けてから、景凪は再びゆっくりと歩き出した。潤一は両手を後ろで組みながら、長い脚で悠然とその隣を歩く。二人並んだ長い影が、まるで仲睦まじい恋人同士のように地面に伸びていた。潤一はそれを数秒間見つめてから、ふっと口元を緩めた。「何笑ってるの?」景凪が尋ねる。見られたからといって、潤一に照れた様子は一切ない。むしろ片眉を挑発的に跳ね上げてみせた。「なんだ?俺に興味でも湧いたか?」景凪は少し呆れたようにため息をついた。「……別に、聞かなかったことにする」潤一は持っていた菓子の箱を開け、一つ差し出した。「食
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第774話

「わかっているよ。自分のことを最優先にしなさい、私の心配はいいからね」娘を見つめる俊介の眼差しには、痛ましいほどの愛情が溢れていた。「穂坂様」護衛の男が部屋に入ってきて、軽く頭を下げた。「お車はすで下で待機しております。いつでもご出発いただけます」「ありがとう、助かるわ」荷物をまとめ終えたボストンバッグを手に取り、景凪が病室を出ようとした時のことだ。「景凪、ちょっと待ちなさい」俊介が声をかけ、ふらつく足取りで歩み寄ってきた。景凪の服の襟を丁寧に直し、持っていたマフラーを首の周りに二重に巻いて、しっかりと結んでやる。「外は冷えるからね、首元から風を入れちゃ駄目だ」その不器用だけれどひたむきな手つきに、景凪は鼻の奥がツンとし、危うく涙をこぼしそうになった。「お父さんも、ちゃんと体を休めてね。お医者様から退院の許可が出たら、すぐに迎えに来るから。これからは絶対、家族みんなで一緒に暮らすのよ」「ああ、約束しよう」俊介は優しく微笑み、娘の肩を軽く叩いた。景凪の向こう側に、かつて愛した人の面影を重ね見るように。病院のエントランスを出た途端、見覚えのある白いベントレーが真っ先に景凪の視界に飛び込んできた。運転席側のドアに寄りかかっているのは深雲だった。ダークグレーのロングコートを羽織り、首元にはネイビーのマフラー。髪からつま先まで、少しの隙もなく完璧に整えられている。足元にはいくつもの吸い殻が落ちており、ずいぶん前からここで待っていたようだ。自分を待ち伏せしていたのだとすぐに察し、景凪は微かに眉をひそめた。まともに相手をする気にもなれない。振り返り、付き添いの護衛に声をかけた。「……車に乗りましょう」「景凪!」深雲が大きな歩幅で近づいてきた。景凪の細い体を見つめるその目には、隠しきれない心配の色が浮かんでいる。「穂坂の家に、滋養がつくものや新鮮なフルーツ、それに空輸の手配した最上級の肉を送っておいたよ。桃子さんがもう受け取っているはずだ」景凪は不快げに眉を寄せた。「そんなことしてもらわなくて結構よ。自分で買えないわけじゃないし。全部引き取って。じゃないと捨てるわよ」深雲はその拒絶にもまったく動じた様子を見せず、わざとらしく困ったように肩をすくめた。「それは俺にはどうにもできないな」人を食ったような態度に、景凪は本気で
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第775話

「そうだパパ、伊雲おばちゃんはどうしたの?」ふと思い出したように、清音が顔を上げて尋ねた。「もう何日もお電話くれないし、メッセージ送ってもお返事ないんだよ。またこっそり遊びに行っちゃったの?」その名前に、景凪も思わず深雲へと視線を向けた。深雲がどれほど妹を溺愛してきたか、景凪は骨の髄まで思い知らされている。結婚していた頃、伊雲と諍いが起きるたび、この男は例外なく妹の肩を持ってきたのだから。深雲はハンドルを握ったまま数秒ほど沈黙し、やがて静かに口を開いた。「おばちゃんはね……悪いことをしたから、その罰を受けなきゃいけないんだ。だから、しばらくは連絡も取れないよ」清音はパチパチと瞬きをして、分かったような分からないような顔をした。「じゃあ、いつになったら帰ってくるの?」「本当に自分のした悪いことを反省して、心を入れ替えたら、帰ってくるさ」そう答える深雲の視線は、バックミラー越しに景凪に向けられていた。だが、景凪は目を伏せたまま、何の表情も浮かべていない。――少し意外だった。深雲のことだから、あの手この手で伊雲の罪を揉み消そうとするはずだと思っていた。自分に示談を懇願し、子供たちをダシにしてまで情に訴えかけてくるだろうと。それなのに、この男はそのどれも行わなかった。「あ、ママ見て!」突然、清音が窓の外を指さしてはしゃぎ声を出した。「風船がいっぱいある!」景凪が指さす方へ目をやると、歩道で色とりどりの風船の束を握った物売りが立っており、冬の陽射しを浴びてひときわ鮮やかに見えた。「ママ、風船ほしいな……」清音が期待に満ちた目で見上げてくる。景凪が何か言う前に、深雲はすでに車を路肩に寄せて停めていた。「俺が買ってくる」言うなりドアを開け、素早い足取りで物売りの方へ向かっていった。すぐに戻ってきた深雲の片手には、ピンク色の風船が二つ握られていた。一つはママうさぎで、もう一つは赤ちゃんうさぎのデザインだ。景凪があからさまに目を逸らしているのに気づき、受け取ってもらえないと察した深雲は、二つとも清音に手渡した。「ほら、気に入ったかい?」「うんっ!」喜んで受け取った清音だったが、ふと不思議そうな顔をした。「でもパパ、お兄ちゃんうさぎと、パパうさぎがないよ」無邪気な子供の目は、何の裏表もなくそう訴えていた。「
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第776話

深雲は挑発的な潤一の視線を受け止めながら、奥歯をギリッと噛み締めた。縁があるだと?ふざけるな。こいつが厚かましくも、家族三人の後をずっとつけ回していただけじゃないか!だが、子供たちや景凪の手前、ここで怒りを爆発させるわけにはいかなかった。必死に感情を押し殺す。景凪はしゃがみ込み、飛びついてきた珠希をしっかりと抱き止めた。あどけなく愛らしいその顔を見つめていると、自然と顔がほころんでいく。「珠希ちゃん、久しぶりね」自分も母親だからだろうか。誰からも疎まれていた「弥生」というただの捨て子から、今や児玉家の全員に溺愛される「珠希」へと変わっていく姿を見守ってきただけに、景凪はこの子が不憫でもあり、また愛おしくてたまらなかった。そんな愛情に満ちた眼差しをよその子供に向ける景凪を見て、深雲は怒りでどうにかなりそうだった。児玉潤一のクソ野郎、自分と同じように子供をダシに使いやがって……!深雲は険しい表情のまま、冷ややかな声で牽制した。「児玉さんはずいぶんお暇なようですね。今日は平日だったと記憶していますが?」潤一は悪びれる様子もなく、平然と笑って見せた。「休暇中なんですよ。それも、かなり長めのね」そう言って、足元の珠希に目を落とす。「珠希ちゃんがここの店のご飯を食べたいって言うもんでね。まさかお会いできるとは。今日はなかなかツイてる」深雲の顔色がいっそう険しくなり、何か言い返そうと口を開きかけたその時、潤一が先手を打って景凪に話を振った。「せっかく会えたんだし、もしよかったら一緒にどうだ?……邪魔じゃなければ、だけど」景凪が口を開くより先に、清音が嬉しそうに飛び跳ねた。「いいよいいよっ!珠希ちゃん、一緒に座ろう!」二人の小さな女の子はすっかりはしゃぎ出し、仲良く手を繋いで楽しそうにくるくると回り始めている。清音が景凪を見上げた。「ママ、みんなで一緒に食べてもいいよね?」景凪は最初から断るつもりなどなかった。「もちろんいいわよ」潤一が、してやったりというように片方の口角を上げた。「鷹野さんは、文句ないですよね?」「……」深雲は一つ深呼吸をし、腹の底で煮え繰り返る怒りを無理やり喉の奥で飲み込んだ。どうにか表面上の余裕を取り繕い、吐き捨てるように言った。「……ええ、ご一緒にどうぞ」一行がレスト
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第777話

当然ながら、どちらの隣にも座る気など起きない。景凪は二人の向かい側にある椅子を自ら引き、「私はここでいいわ」とだけ言ってさっさと腰を下ろした。すると、清音と珠希もピョンピョンと跳ねながら駆け寄ってきて、景凪の左右を陣取るように座り込む。結果として、二人の男たちはそれぞれ子供の隣に押しやられる形となった。子供たちは幼稚園での出来事をキャッキャと楽しげに話し続け、景凪は相槌を打ちながら時折優しく微笑んでいた。「景凪おばちゃん」珠希がふと小さな手を伸ばし、景凪の目尻をそっと撫でた。そして、キュッと眉を寄せる。「楽しくないの?」景一瞬言葉に詰まったが、すぐに笑って見せた。「ううん、そんなことないわよ」「でも、笑ってるのに、なんだかとっても悲しそうだよ」珠希はさらに眉をひそめた。幼い頃に両親を亡くし、他人の庇護下で育ったこの小さな少女は、同年代の子供よりもずっと他人の感情に敏感なのだ。景凪は答えに窮し、思わず唇を噛み締めた。その様子にいち早く気づいた潤一が、すかさず助け舟を出す。「珠希ちゃん、景凪おばちゃんを笑顔にしてあげたいなら、この前新しく覚えた歌を歌ってあげたらどうかな?」子供の意識はあっという間に切り替わる。「うん!」と元気に立ち上がった珠希は、可愛らしい声で堂々と歌い始めた。ホッと胸を撫で下ろし、景凪が感謝の視線を向けると、潤一もそれを受け止め、手元のグラスを軽く持ち上げて悪戯っぽく眉を上げてみせた。すぐ横で繰り広げられたその阿吽の呼吸を、深雲は顔に暗い影を落としながら見せつけられるしかなかった。膝の上に置かれた拳が、白くなるほど強く握りしめられていた。やがて、注文した料理が次々とテーブルに運ばれてきた。 最初に提供されたのは牛ホホ肉の赤ワイン煮込みだった。深雲は取り分け用のナイフとフォークを手にすると、一番柔らかそうな部位を選んで丁寧に小さく切り分け、小皿に乗せて景凪の前に差し出した。「景凪、昔からこの料理、好きだったよな」その声にはご機嫌を窺うような響きが微かに混じり、潤んだ瞳で真っ直ぐに見つめてくる。景凪が口を開くより先に、清音がひょいと首を傾げて顔を寄せた。「パパ、私もお肉食べたいな」「よし、パパが切ってあげよう」深雲はもう一つ肉を切り分けて清音の皿に乗せたが、視線はすぐに景凪へと戻り、
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第778話

「ほう」潤一は片眉を上げた。「俺を追い出そうってわけか?」「言いたいことは分かっているはずだ」景凪に聞こえないよう、深雲は声を押し殺した。「今の景凪には、気持ちを整理する時間が必要なんだ。なぜこのタイミングで無理やり割り込んでくる?」「へえ?」潤一は皮肉げに笑う。「時間が必要だと言うなら、なぜお前は大人しく待てない?退院したばかりのところを、わざわざ病院の出入り口で待ち伏せしていたのはどこのどいつだ?」図星を突かれた深雲は一瞬言葉に詰まったが、すぐに冷笑を浮かべて反撃した。「俺と景凪のことに、部外者が口出しするな」「部外者ねえ」潤一は背もたれに深く寄りかかり、まるで自分のリビングにいるかのようにくつろいだ態度を見せた。「俺は命の恩人であり、生死を共にした仲だぜ。そういうお前は景凪の何だ?たかが『元夫』だろう?」『元夫』という言葉をわざと強調してみせると、深雲の顔色は見る間にどす黒く沈んでいった。「……児玉潤一。どうしても俺から景凪を奪うつもりか」その言葉に、潤一は思わず吹き出した。「魅力的な女性に惹かれるのは男の性だろう?景凪は独身で、俺も独身だ。アプローチして何が悪い?……神様はちゃんとお前にもチャンスを与えていた。だが自分からそれをドブに捨て、宝石を石ころだと思い込んで手放したのは、お前自身じゃないか」深雲は怒りでギリッと歯を食いしばった。「よく聞け。景凪は必ず俺の元に戻ってくる!」負け惜しみに等しい宣言に、潤一は「ふっ」と嘲笑をこぼす。もはや言い争う価値もないとばかりに席を立ち、景凪たちのいる遊び場へと歩き出した。ちょうどその頃、遊び場では珠希が手を汚してしまい、ひどく顔をしかめていた。元々少し潔癖なところがある珠希は、歩み寄る潤一の姿を見つけると、すがるような目で訴えかける。「潤一おじさん……」言いたいことを即座に察した潤一は、優しく微笑んだ。「よし、手を洗いに行こうか。景凪おばちゃんと清音ちゃんには、ここで待っててもらおう」「私が連れて行くわ。その方が早いし」と景凪が言った。 「じゃあ、一緒に行こう」潤一はこれ幸いとばかりに相槌を打ち、歩み寄ってくる深雲をさりげなく一瞥した。清音はまだ遊び場で夢中になっており、深雲がここを離れられないのは明白だった。「鷹野さん、悪いが清音ちゃんとここで少し
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第779話

「潤一おじさん、ここで何してるの?」背後から声が聞こえた。振り返ると、景凪が珠希と手をつないで歩いてくる。潤一は珠希に笑顔を向けた後、視線を景凪へと移した。その瞳の奥に深い色を宿らせながら。やはり、違う。仕草や表情、服装をいくら真似しようと、本物は本物、偽物は偽物だ。ほんのわずかな違いが、決定的な差を生み出す。「どうしたの?」じっと見つめられ、不思議そうに景凪が無意識に自分の顔に触れた。潤一はふっと笑みをこぼす。「いや、なんでもない。さ、戻るか」個室に戻ると、珠希はすぐに跳ねるように清音の元へ駆け寄っていった。景凪は遊び場で二人の子供を見守り、そして二人の男たちは、まるで競い合うように少し離れた場所からスマートフォンを構え、時折シャッターを切っていた。もちろん、互いの姿を写真に収める気など毛頭ない。しばらくして遊び疲れた子供たちを引き上げさせると、それぞれの保護者が連れて帰る流れになった。「ママ、おトイレ行きたい」清音が景凪の手を握って揺らした。「分かったわ、一緒に行こうね」深雲は、ようやく訪れた絶好の機会を見逃さなかった。「児玉さん、珠希ちゃんを連れて先に帰って休ませてやってくれ。後は俺が二人を待っているからな。なにしろ……『俺の娘』と『娘の母親』だからね」最後の言葉をことさら強調し、意味ありげに言い放つ。結局のところ、俺の優位は揺るがないんだよ!勝者の余裕すら漂う深雲の挑発的な視線を受け、潤一は「ふっ」と鼻で笑った。「それじゃあ、失礼するよ。鷹野さん」一生会わずに済むならそれに越したことはないがなと、深雲は心中で冷たく吐き捨てた。大人たちの間でバチバチと飛び交う火花など知るよしもない珠希は、小さな手を上げて律儀に挨拶をした。「鷹野おじさん、バイバイ」「バイバイ、珠希ちゃん」深雲も穏やかな笑顔を返す。いくら潤一が目障りでも、無実の子供にまであからさまな態度をとるほど器が小さくはないのだ。レストランを出て、駐車場へ向かう。潤一の黒いベンツGクラスは、深雲の車のちょうど向かい側に停めてあった。そのため、深雲の車のそばに立っている人物に、潤一はすぐさま気がついた。――先ほど廊下で見かけた、あの女だ。潤一は目を細めた。なるほど……面白い。彼はスマートフォンを取り出すと、その
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第780話

黒いマイバッハは夜の闇へと滑り込んだ。交差点の赤信号で停車した際、悠斗はルームミラー越しに後部座席を一瞥した。景凪は窓の外を見ることもなく、隣の空席をぼんやりと見つめ、そっと手を伸ばしてシートを撫でていた。まるで、そこにまだ渡が座っているかのように。冬の霧のように透き通った横顔には、一切の感情が抜け落ちていた。そのあまりにも静かで痛々しい佇まいに、悠斗は思わず鼻の奥がツンとなり、慌てて視線を逸らした。「影山さん」不意に、景凪が口を開いた。「会いに行きたいの」誰に、とは言わなかった。微かに震える声だったが、悠斗にはそれだけで十分に伝わった。彼は無言で頷く。青信号に変わると同時に、マイバッハは穂坂家とは正反対の方向へと走り出した。山の麓に車を停めると、悠斗はあえて後を追わず、その場に残った。景凪はたった一人で石段を登っていく。頭上には重苦しい夜空が広がり、今にも泣き出しそうな暗雲が立ち込めていた。冷たい風が吹きつける中、景凪は腕の中にある黄色い薔薇の束をきつく抱きしめた。時間をかけて、一番美しい咲き頃のものを自ら念入りに選び抜いた花束だった。渡の墓は霊園の一番奥、山を背にし、海を見下ろす場所にある。生前の遺言に従い、景舟が遺灰を海へ散骨したため、ここは遺骨のない空の墓だ。墓石には写真すらなく、ただ名前だけが彫られている。遺影の一枚すら、残そうとはしなかった。葬儀が終わって以来、景凪がここを訪れるのは初めてだった。墓石の前にしゃがみ込み、花を手向ける。指先で冷たい文字の窪みをなぞると、その凍てつくような感触が指の腹から心臓へと一気に伝わり、鋭い痛みが胸を刺した。「渡……」絞り出した声は、ひどく掠れていた。「会いに来たよ」冷たい風が吹き抜け、霊園の木々がざわざわと葉を揺らしている。景凪は墓石の傍らに座り込むと、その冷たい石にそっと頭を預けた。「あの時、庭いっぱいに黄色い薔薇が咲いているのを見た時は、本当にびっくりしたんだから」過去の思い出を語りかけながら、うつむき加減で小さく微笑む。だがその笑みはひどく儚く、形になる前にふっと消え失せてしまった。「本当のところ、あなたが薔薇を好きだったのかどうか、私には分からない。一度もそんなこと、口にしなかったものね。ただ、私が好きだと言ったから……それだけの理由で、あん
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