対面から聞こえてきた低くて魅力的な声に、星乃は一瞬ぼうっとした。かつて、結婚を理由に将来有望だったキャリアを手放した彼女に、共に歩んできた先輩・水野遥生(みずの はるき)は失望を隠せなかった。そのことで、ふたりは激しくぶつかったことがある。「星乃、本気でそんな結婚のために、自分の力で築いてきた道を捨てるつもりなのか?」「ちゃんと考えたことはあるのか?悠真はお前を本当に愛してるのか?もし離婚することになって、身ひとつで放り出されたら……そのとき、どうするんだ?」「……」「星乃、きっと後悔するぞ」遥生の声には抑えきれない苛立ちと悲しみが滲んでいた。しばらく沈黙した後、彼はそっと彼女を抱きしめ、深く息を吐いた。「もういい……もし、いつか後悔したら、いつでも戻ってこい」あの頃の彼女は、迷いなく悠真との未来を信じていた。悠真の心は、いつかきっと手に入れられる、そう思っていた。――悠真もまったく気持ちがなかったわけじゃない。母を亡くし、十八歳の誕生日を迎えたあの夜。継母と父に家を追い出され、行き場を失い寒空の下で震えていた彼女を、悠真はそのまま自宅に連れて帰った。誕生日だと知ると、遅い時間にもかかわらず、ケーキを買ってきてくれた。ある時期には、街の灯がともる夜、彼女のためだけに灯る明かりがあった。星空の下、煌めく花火の一瞬の光のなかにも、彼女のためだけに咲いたひとひらがあった。だからこそ、あのときは思ってしまった。この人になら、すべてを託してもいいかもしれない――と。けれど、今の彼女はようやく気づいたのだ。キャリアを捨ててまで追いかけた「愛」なんて、所詮は幻想にすぎなかったと。「ちゃんと話したい」星乃は彼がどうして離婚のことを知っているのかを、問いただすこともせず、スマホを握る白い指先を見つめながら静かに言った。「……帰ろうと思ってるの」……華やかな灯りが揺れる高級クラブの個室。悠真はソファにもたれ、片腕で頭を支えながら、もう一方の手でグラスを漫然と揺らしていた。長く伸びた脚をテーブルに投げ出し、その態度はあまりにも退屈そうだった。一言も発していないのに、不機嫌なのは部屋に入ってきたときから明らかだった。その空気を読んで、誰も軽々しく声をかけようとはしなかった。怜司はしばらく黙ったまま様
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