Tous les chapitres de : Chapitre 451 - Chapitre 460

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第451話

圭吾は決断が早く、容赦のない人物で、若くして白石家を完全に掌握していた。そのため、律人も普段から圭吾に対しては、どこか一目置いているところがあった。もっとも、それは恐怖というより、純粋に能力の高さへの敬意だ。学ぶべきところが多く、尊敬に値する存在だと思っていたのだ。それに、圭吾はこれまでずっと律人に対して、決して悪い扱いをしてこなかった。周囲からは「人を殺すのに瞬き一つしない」「拷問も平気でやる狂人だ」と恐れられていたが、白石家の他の人間と違って、律人が圭吾を恐れたり、怯えたりすることはなかった。だが、圭吾が現れたその瞬間に、律人は握っていた手がかすかに震えたのを感じ取った。彼はそっと視線を落とし、その手の持ち主を見た。星乃は顔色を失い、唇をきつく結んだまま、視線を圭吾から逸らさないでいた。まるで、圭吾が現れたその瞬間から、全神経を張り詰めさせているかのようだ。律人には、彼女の荒くなった呼吸音さえ聞こえた。恐怖。緊張。怯え。前に崖下から目を覚ましたとき以来、こんな星乃の姿を見たのは初めてだ。律人の胸に、言葉にできない感情が広がる。以前、まだ星乃がどんな人なのか知らなかった頃、とある噂話を耳にしたことがある。星乃が余計なことをして、圭吾と沙耶を引き裂いた、という話だった。そのときは思った。人の恋愛に、なぜ首を突っ込む必要があるのか、と。けれど今、緊張でこわばった彼女の横顔を見ていると、胸の奥が針で刺されたように痛む。圭吾に逆らってはいけない。そんなことは誰もが知っている。それでも彼女は、面倒なことになると分かっていながら、沙耶を自由にするために手を差し伸べた。――あまりにも、無鉄砲だ。そして、その愚直さが、たまらなく胸を締めつけた。律人は視線を切り替え、圭吾を見つめる。そして、いつものように穏やかに微笑み、一歩前に出て、星乃を自分の背後にかばうように立った。「お兄さん」圭吾は冷え切った声で、短く言った。「来い」たった二文字。それだけで、言いようのない危険がにじんでいた。律人が一瞬ためらい、前に出ようとしたそのとき、星乃が慌てて彼の手を掴んだ。「行かないで」律人は振り返り、青白い彼女の顔を見ると、落ち着かせるように手の甲を軽く叩いた。「大丈夫だよ。星乃、僕を信じて。僕は君
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第452話

律人は視線を落とし、星乃が銃を握っているその手を見た。「使えるよね?」律人の別荘で過ごしていた間、彼は彼女に撃ち方も、狙いのつけ方も教えていた。怖がらせないよう、これまでは模擬銃を使っていたが、彼女の飲み込みの早さなら問題ないと分かっていた。律人の声は冷静で、まるで取るに足らないことでも話しているかのようだ。けれど星乃は、その場で固まってしまった。一瞬で、恐怖が押し寄せ、全身を飲み込んだ。圭吾が自分を殺そうとしていることは分かっていた。その覚悟もしてきた。怖くはあったが、律人が助けてくれると思えたし、実際ここまで守ってくれたことで、その恐怖は半分ほどに薄れていた。だが今、手の中でずっしりとした重みを持つ拳銃が、これまでにない恐怖をはっきりと突きつけてきた。――律人が、理由もなくこの銃を渡すはずがない。彼が自分を守れる状況なら、生きるかどうかを自分に委ねることはしない。つまり、この銃は「最後の切り札」なのだ。彼は、死を覚悟した上で、この銃を渡した。それは以前、崖の下でのことと同じだ。自分の体調が限界だと悟り、治療手段もない状況ではここから抜け出せないと分かっていたからこそ、彼は自分に「ここを出てくれ」、「君だけでも生き延びてくれ」と言ったのだ。彼自身も、圭吾のもとで生き延びられる自信はない。そう思い至った瞬間、星乃は完全に動揺した。彼女は律人の腕を強く掴み、離させまいとした。「律人……銃がある。なんとかして、ここを抜け出そう」二人にしか聞こえない声で、必死に囁く。ここまで来てしまった以上、圭吾と表面だけの関係を保つ必要なんてない。やるしかない。賭けるしかない。律人は彼女の冷えきった視線を受け止め、すぐにその考えを察した。彼は軽く笑い、周囲のボディーガードに目を向ける。「僕たち二人だけじゃ、突破できない。大丈夫。僕は平気だ。それに、もうお姉さんと遥生に連絡してある。すぐ人を連れて来てくれる」さっき彼女が必死に時間を稼いでいたように、今度は彼の番だった。圭吾と正面からやり合うなら、最低限の戦力が必要だ。でなければ、ただ彼女を連れて死にに行くようなものだ。「まだ話は終わらないのか?」少し離れた場所から、圭吾が冷ややかに催促する。「それとも、俺が直々に迎えに行ったほ
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第453話

「たぶん、白石家が普段からお前を甘やかしすぎたんだろう。そのせいで、もう忘れちまったんだな。ヒーロー気取りには、代償が必要だってことを」そう言い終えると、圭吾はそばにいるボディーガードへと視線を流し、淡々と言った。「思い知らせてやれ」「思い知らせる」とは、どういう意味か。言うまでもなかった。ボディーガードは一瞬だけためらったが、すぐに律人へと歩み寄った。誰が最初に手を出したのかは分からない。次の瞬間、数人が一斉に殴りかかり、容赦なく拳と足を叩き込んだ。「やめて!お願い、もうやめて!」星乃はもがきながら、声を張り上げた。意外なことに、圭吾は本当に手を上げ、ボディーガードたちの動きを止めた。律人は異変に気づいた。苦しそうに腫れたまぶたを開き、すぐに圭吾の次の意図を悟った。「……星乃」かすれた声で名前を呼び、彼女に向けて「逃げろ」と口の形だけで告げた。星乃は、動かなかった。彼女は以前、圭吾に関わるすべての厄介事を、律人に任せてしまおうと考えたことがある。圭吾は、律人を殺しはしない。それに、そもそも自分が律人に近づいた理由だって、圭吾に対抗できる力を手に入れるためだった。けれど、たった今、殴られる律人の背中を見つめながら、彼女はふと思い出してしまった。付き合い始めて間もない頃、酒を飲みながら話していたとき、星乃は律人に、もしある日圭吾が自分を消せと命じたらどうするか、と問いかけたことがある。律人は「君を助けるよ」と言った。そして今、彼は本当にそうしている。迷いもなく、命を懸けて。何度も自分を救ってくれた人を、ただの利害関係のパートナーとして見捨てるなんて、できるはずがない。確かに圭吾は、律人が白石家の人間だということで命までは奪わないだろう。だが、沙耶の件で怒りが頂点に達している今、律人は生き地獄を見るに違いない。星乃は目を真っ赤にし、ポケットの縁に手をかけた。「沙耶はどこだ」圭吾が低く問いかける。星乃は唇を強く結んだまま、答えた。「……死んだわ。信じないなら、証拠もある」そう言って、彼女はポケットに手を伸ばし、圭吾から目を逸らさない。沙耶の名を聞いた瞬間、圭吾の警戒はわずかに緩み、氷のような黒い瞳が一瞬揺らいだ。「証拠だと……」バンッ!言葉が終わるより早
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第454話

切羽詰まった状況の中で、星乃は一瞬、沙耶がまだ生きているという真実を打ち明け、律人の命を救うことも考えた。けれど、最後にはその選択を捨てた。かつて彼女は、沙耶が生きる気力を失い、抜け殻のようになっていた姿を見ていた。だからこそ、あの地獄のような状況から逃がす手助けをしたのだ。前に会ったときの沙耶の瞳には、すでに未来への希望が宿っていた。久しぶりに見る、心からの笑顔と生気がそこにはあった。自分の手で渡したその希望を、壊したくなかった。圭吾に「沙耶はもう死んだ」と信じさせてしまえば、彼女の悪夢は、そこで終わる。これから先の沙耶は、自由に、まったく新しい自分として生きていけるはずだ。星乃は律人を見つめ、そして圭吾が引き金にかけた指を見た。「律人……ごめんね」赤く滲んだ瞳を閉じ、彼女はかすれた声で呟いた。「……すぐに、そっちへ行くから」彼に対する借りは、もう返しきれない。もし来世があるならどんな形でも償いたい、そう思った。「沙耶は死んでない……まだ生きてる!」圭吾が引き金を引こうとした、その瞬間。背後から、遥生の冷たくも切迫した声が響いた。星乃の身体が、わずかに強張る。必死に振り返ると、眩しい光の中から、遥生と美琴が慌ただしく駆け寄ってくるのが見えた。圭吾の動きが止まり、二人に視線を向ける。遥生の姿を確認した途端、眉を上げ、低く笑った。「遥生。前に見逃してやったのは、沙耶の兄貴だったからだ。まさか、今さらそんな話を信じるとでも?」「今回は嘘じゃない」遥生はまっすぐ彼を見つめ、ポケットから一つの物を取り出して差し出した。「沙耶から預かった。君に渡せって」前に進みながら、遥生は星乃のほうをちらりと見る。その意図に気づいたのか、圭吾は星乃をゴミでも投げ捨てるように後ろへ放り投げ、背後のボディーガードに命じた。「見張っておけ」星乃はよろめき、体勢を立て直す間もなく、両腕を強く押さえつけられ、身動きが取れなくなった。遥生は拳を握りしめたが、やがて力を抜く。そして、持っていた封筒を圭吾に差し出した。封筒の文字を見た瞬間、圭吾ははっきりと動きを止めた。だがすぐに我に返り、焦るように、しかし慎重に封を切り、中の手紙を取り出す。「彼女に手を出さないで」そこに書かれていたのは、たったそれ
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第455話

星乃の顔色は青ざめていた。細い身体は、今にもひと吹きの風で倒れてしまいそうで、立っているのが不思議なくらいだ。遥生がそんな提案を受け入れるはずもない。彼が口を開くより先に、律人が声を上げた。「お兄さん、銃を渡したのは僕だ。お兄さんを撃ったのも、全部僕のせいだ。やるなら、僕に向けてくれ」前に出ようともがいたが、美琴が苛立った様子で彼を押さえつけ、その場から動けなくした。今回の律人の行動は、明らかに圭吾への裏切りだった。しかも、他のことならまだしも、今回は沙耶が絡んでいる。どれだけ可愛がってきた相手でも、圭吾が情けをかけるはずがない。すでにここまで痛めつけられている。この上、もう一発撃たれれば、持ちこたえられるかどうかも分からない。それでも美琴は分かっていた。律人が、星乃が傷つくのを黙って見ていられるはずがないことを。「お兄さん、ひとつだけ、いい考えがあるの」少し考えたあと、美琴が一歩前に出て言った。圭吾は彼女に視線を向ける。「なんだ」美琴はかすかに笑った。「沙耶さんの性格、お兄さんも分かってるでしょ。もし、あなたが彼女の言葉を無視して、わざと星乃を傷つけたって知ったら……きっと恨まれるわ。だったら、この件は『運』に任せたらどう?」そう言いながら、美琴はポケットから小型のリボルバーを取り出した。シリンダーを開き、そこに一発だけ弾を込めてから、圭吾に差し出す。「この銃には弾が一発だけ入ってる。星乃が自分で自分に向けて引き金を引くの。当たったら……それは運が悪かったってこと。当たらなければ、運が良かった。それで、この件は終わりにしよう」そう言ってから、美琴は星乃を見つめた。その目には、どうしようもない無力感が滲んでいる。これ以上、彼女を助けることはできない。圭吾は昔から、極端なほど執着が強い。星乃が沙耶を逃がしたあの一件を、何年経っても忘れられず、復讐することだけを考え続けてきた。誰が何を言っても、彼の考えは変わらない。だが、この提案は効いたようだ。圭吾は反論せず、リボルバーを手に取ったまま、しばらく考え込む。そして、軽く眉を上げた。次の瞬間、彼は星乃が持っていた拳銃から弾を抜き取った。その拳銃の装弾数は五発だ。彼に命中した一発を除けば、残りは四発だ。圭吾は薄く笑い、その四発
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第456話

「カチッ」リボルバーから、澄んだ音が響いた。遥生はその場に立ったまま、最初から最後まで表情ひとつ変えなかった。恐怖も緊張も一切なく、まるで今引き金を引いたのが自分ではなく、銃口を向けられていたのも自分ではなかったかのようだ。「放せ」遥生が短く言った。圭吾は手を上げ、にやりと笑って軽く二度、拍手をした。「実に感動的だな」そう言って手を振ると、ボディーガードたちは即座に理解し、星乃を解放した。「帰れ」圭吾は声を上げて笑った。その笑い声は豪快だったが、星乃の耳には、どうにも言い表せない不気味さが残った。……本当に、これで終わり?あれほど長年、自分を憎んできた圭吾が、こんなにあっさり見逃すなんて。どこかおかしい。そう思うのに、具体的に何がおかしいのかは分からなかい。「大丈夫か?」遥生の声に、思考を遮られる。星乃は、さきほどの彼の無茶な行動を思い出し、胸がざわついた。心配と後悔が一気に押し寄せる。「私は平気よ。それより遥生、さっきは本当に危なかったわ。もし……」唇を噛んだ瞬間、制御できずに、弾丸が遥生の胸を貫き、血の海に倒れる光景が頭に浮かんだ。全身が一気に冷えた。もし彼が自分のせいで何かあったら、沙耶にどう顔向けすればいいのか。遥生は、彼女の考えを見抜いたように言った。「昔は、そばにいられなくて、守ってやれなかった。でも今は違う。僕がここにいる以上、君を傷つけさせるわけにはいかない。それに、そもそもこれは沙耶の件だ。兄として、やるべきことだろ」二人が話している間、美琴は全身傷だらけの律人をちらりと見て、冷めた口調で言った。「さっき、あなたは彼女のせいで死にかけたのよ。しかも、彼女はあなたを助けるつもりなんて、なかったみたいだけど。あなたは彼女のためなら命を投げ出せる。でも彼女の中で、あなたは一番じゃない。ほら……」美琴は顎で遥生の方を示し、二人にしか聞こえない声で続けた。「彼女の隣にいるあの人のほうが、たぶんあなたより上の存在よ」この言葉は、決して皮肉ではなかった。正直な気持ちだったのだ。もしさっき、自分と遥生が慌てて駆けつけていなければ、圭吾は本気で怒りに任せ、律人に手を下していたかもしれない。だが律人は、怒りもしなかった。口元の血を拭い、少し離れた場所
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第457話

空は重く沈み、さっきまで星乃は彼と少し距離があったため異変に気づかなかったが、近づいた瞬間、律人の顔色が異様に悪いことに気づいた。真っ白で、血の気がなかった。星乃は一気に胸がざわついた。「律人?」「……白石律人?」星乃は必死に彼の名前を呼んだ。けれど、律人はまったく反応しない。「何してるの?早く病院に運んで!」美琴が連れてきたボディーガードたちに、苛立ちを隠さず叫んだ。ボディーガードたちもようやく事態を理解し、慌てて数人がかりで律人を支え、最寄りの病院へと運んだ。律人はすぐに詳しい検査を受け、ほどなく診断結果が出た。体には擦り傷があり、軽い内傷もあるが、どれも命に関わるほどではないという。「そんなに重くないなら、どうして顔色があんなに悪いんですか?それに、どうしてまだ目を覚まさないんですか?」星乃は思わず問い詰めた。不安で胸がいっぱいで、周りを気にする余裕などなかった。声の調子は冷たく、強く響き、医者でさえ一瞬言葉に詰まるほどだった。美琴も何か聞こうとしたが、その口調を聞いて言葉を飲み込み、戸惑ったように星乃を見た。遥生は少し考えてから、医者に向かって言った。「少し前に大きな怪我をしています。今回の件も、その古傷が影響している可能性があります。念のため、さらに詳しく検査してもらえますか」医者は頷いた。「その可能性はありますね。すぐ手配します」医者が去ると、美琴も星乃を一度見てから、人を連れて後を追った。星乃はその場に立ち尽くし、全身がじわじわと冷えていくのを感じていた。次々と、嫌な想像が頭の中に押し寄せる。――古傷。どうして、律人に古傷があることを忘れていたのだろう。ほんの数日前、律人は自分を助けるために、あんな高い崖から転落した。見つけたとき、彼の顔色はすでにひどく悪かった。その後、圭吾の存在もあって、律人は自分たちを人目にさらしたくないと言い、簡単な診察しか受けていなかった。もし、致命的な怪我が見落とされたまま、さらに今回の衝撃を受けていたとしたら……――死んでしまうの?その言葉が頭に浮かんだ瞬間、星乃は全身の血が一気に引いたような感覚に襲われ、顔色が真っ青になった。彼女の考えを察したのか、遥生がそっと肩を抱き、落ち着かせるように言う。「大丈夫。命に関
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第458話

「それに、もし本当に瑞原市に戻ってきてるなら、どうして私たちのところに来ないの?」そこも、星乃がどうしても腑に落ちない点だった。遥生は少し考えてから言った。「もしかしたら、誰かがそばで彼女を助けてるのかも」星乃の脳裏に、黎央の顔が浮かぶ。接点はそれほど多くないけれど、黎央という人は本当に信頼できる。もし黎央が沙耶のために動いているのだとしたら、筋は通る。それでも、なぜか胸の奥に引っかかるものがあった。圭吾が、あんなにも簡単に自分を手放すだろうか。あれほど執着が強く、狂気じみた人間だ。沙耶が一日戻らないごとに、彼の憎しみは自分に向かって積み重なっていくはずなのに。五年分の恨みを、沙耶の一通の手紙だけで、そんな簡単に手放せるものだろうか。圭吾が沙耶のために、そこまでするはずがないと思っているわけではない。ただ、彼が抱えてきた憎しみや執念が、あまりにも軽く片づけられすぎている気がしたのだ。星乃は答えを見つけられないまま、ふと律人の顔を思い浮かべた。そして最後に、律人が目を覚ましたら、いろいろ聞いてみようと決めた。沙耶は一度、彼に連絡を取っている。もしかすると、その後も…………高級車は、白石家の屋敷へと向かって走っていた。圭吾は車内で、手紙を手のひらに広げていた。指先で紙の端をつまみ、その文字を穴が開くほど見つめている。司朗が紫外線ライトを取り出し、差し出す。紫色の光が紙に当たると、「S」という英字がはっきりと浮かび上がった。「奥様、白石家にいるんですか?」司朗は思わず声を上げた。白石家で使われている紙は特注品だ。見た目は普通でも、紫外線を当てると特定の透かしが現れる。紙だけでなく、屋敷のあちこちにも施されていて、そのことを知っているのは圭吾のごく限られた側近だけだ。それは、屋敷の中に別の思惑を持つ者が入り込むのを警戒するためのものだ。その白石家の紙に、沙耶自身の手で書かれた手紙。――それはつまり、沙耶が白石家にいるということ。圭吾は何も言わず、ただその紙を見つめたまま、何を考えているのか分からなかった。しばらくして、彼はそっと紙を二つに折り、まるで大切な宝物でも扱うように、丁寧にスーツの胸ポケットへ収めた。「手配しろ。白石家の屋敷を完全に封鎖しろ。蚊一匹たりとも、外へ逃
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第459話

病院。星乃はうとうとした意識の中で、腕にぬくもりを感じた。誰かにそっと手を握られているようだ。頭がまだはっきりしないまま、ぼんやりと目を開けると、すでに目を覚ましていた律人と、ベッド越しにぱちりと視線がぶつかった。「起きた?」律人はやさしく声をかける。その視線は、彼女の腕に巻かれた包帯に落ち、少しだけ胸を痛めたような表情になる。「痛い?」星乃は、その穏やかでどこか申し訳なさそうな目を見つめ返し、何を言えばいいのか分からない。傷ついたのは彼なのに、心配させているのは自分のほうだなんて。「律人」「うん?」「ごめんね」星乃は彼の病衣姿を見つめた。顔色はまだ青白く、頬にははっきりと擦り傷と腫れが残っている。体も重傷から回復しきっていないせいか、見るからに弱々しい。あれほどの怪我をしているのに、それでもこちらの痛みを気にかけている。律人は一瞬間を置いて、静かに尋ねた。「ほかの男を好きになった?」星乃は突然の質問にぽかんとする。頭が追いつかない。すると律人は続けた。「僕は君の彼氏だよ。君は僕の恋人だ。心変わりして別の男を好きになったとか、そういうことじゃないなら、どんなことがあっても『ごめん』なんて言わなくていい」そう言って、彼はそっと星乃の頬に手を添え、まっすぐ目を合わせた。星乃は唇を動かす。「でも、こんなにひどい怪我……」――あと少しで、命を落とすところだった。その言葉だけは、どうしても口に出せなかった。昨日の律人の様子を思い出すと、今でも胸がざわつく。「死」という言葉は、考えることすら怖かった。けれど律人は、彼女の気持ちを見透かしたように微笑む。「大したことないよ。むしろ、これくらいで済んでよかったって思ってる。君が無事でよかった。僕が守れてよかった。君が……」さらりと軽く言うけれど、星乃は覚えている。昨日、彼は痛みで気を失い、命の危険すらあったことを。医者は言っていた。相手は手加減していなかった、と。体内には軽い内出血もあると。胸がきゅっと締めつけられる。青白い顔。それでも浮かべる優しい笑み。唇のやわらかな弧。星乃はもう堪えきれなかった。立ち上がり、腕を彼の首に回すと、そっと唇を重ねた。律人の言葉は、そのまま途切れる。彼は一瞬きょとんとして、目を瞬かせ
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第460話

逃げ出してから、星乃はようやく何かがおかしいと気づいた。今の自分と律人は、堂々と付き合っている恋人同士だ。律人はあんなに大きなケガをしたのだから、心配や感謝の気持ちからキスのひとつくらいしたって、別に大したことじゃない。それに、ただ軽くキスしただけだ。ほかに何かしたわけでもないのに、どうしてあんなに恥ずかしくなるの?まるでこそこそしているみたいじゃない。そう思うと、さっきまでの気まずさは少し和らいだ。けれど、頬の赤みはまだうっすらと残っていた。そのころ、病院の上階にで。悠真は窓の前に立ち、全身から冷たい空気をまとっていた。頭の中には、昨日星乃が口にした「子ども」という言葉が何度もよみがえる。不安な想像が次々と浮かび、落ち着かない。誠司のほうからは、まだ何の報告もない。だが、星乃が律人の子どもを身ごもっているかもしれない、ただその可能性を考えるだけで、胸がざわつく。しかも、もし本当にそうだったらどうするのか、と考えずにはいられなかった。冬川家が、よその家の血を引く子どもを受け入れるはずがない。自分だって、受け入れられる気がしない。それでも、いつか星乃が子どもを抱いて律人の隣に立ち、律人の妻になる姿を想像すると、それもまた耐えられない。悠真は目を閉じ、グラスの酒をひと口あおる。度数の強い酒が喉を通り、胸の奥を熱く焼く。その刺激が、なんとも言えない感覚を残した。再び目を開けたとき、遠くの視界に、見覚えのある姿が映った。「星乃……?」悠真は思わず息をのむ。星乃は保温ポットを手に提げ、こちらの棟へ向かって歩いてくる。頬はほんのり赤く、足取りも軽い。なんだか機嫌がよさそうだ。――病院に来たということは……もしかして、自分の様子を見に来たのか?そう思った瞬間、さっきまでの苛立ちが嘘のようにすっと消えた。悠真は自分の病衣に目を落とす。それから手にしていた酒を見下ろすと、ほのかな酒の匂いが空気に漂っている。時間を見計らい、カーテンを閉めると、手早くスーツに着替えた。病室に香水はない。悠真はボディーガードに頼んで一本借りてきてもらい、軽くひと吹きする。最後に鏡の前で何度も姿を確認し、不自然なところがないと確かめてから、ベッドに腰を下ろし、病室のドアを開けた。ちょうどそのとき、星乃もエ
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