All Chapters of 誘拐され流産しても放置なのに、離婚だけで泣くの？: Chapter 91 - Chapter 100

夕星はタオルを取り、梅代の手と顔を拭いた。梅代の顔の皺は、さらにさらに深くなっていた。拭いているうちに、夕星の涙がこぼれ落ちる。おじいちゃんが亡くなった時、梅代はまだ六十歳にもなっていなかった。正邦夫婦は葬儀を終えた後、息子を連れ去ったが、老いた母親と娘の今後については、一言も尋ねなかった。五十代の未亡人が、まだ幼い女の子を抱えて暮らしていた。お金には困らなくても、生活は決して順調ではなかった。ましてや、この時家庭の責任を負うはずの息子は、二度と戻ってこなかったのだ。夜中にドアがごろつきに叩かれ……泥棒に侵入され……夕星は人身売買の犯人に連れ去られそうになったことさえある。優しい性格の梅代は棒を手に取り、犯人と激しく闘って、孫娘を取り戻した。正邦にかける電話はいつもアシスタントが取り次ぎ、秦社長は多忙だという返事ばかりだった。以前、夕星は理解できなかった。人は一体どれほど忙しければ、老いた母親と娘の面倒さえ見られないのか、と。後になってわかった。それは忙しいのではなく、面倒を見たくなかったのだ。彼らにとって、お金がすべてを代替できると考えていたのだ。「おばあちゃん、ごめんなさい」夕星は梅代の手を握り、嗚咽した。本来なら安らかに暮らすべき時期なのに、自分のせいで苦労させてしまった。その時、凌が入ってきたが、夕星は涙を流しながら座っていた。結婚した三年間、夕星はめったに泣かなかったが、この数か月、涙は絶えなかった。凌は思わず彼女の肩に手をかけ、後ろからそっと抱きしめて慰める。「介護士はおばあちゃんは休めば大丈夫だと言っている。心配しないで」夕星は軽く頷き、凌の抱擁から逃げようとはしなかった。彼に少しだけ感謝していた。「何か食べに行く？」凌は優しく囁く。夕星は首を振った。今はただ、梅代のそばにいたかった。「介護士がここにいる」凌は強引に夕星を立ち上がらせる。「食べ物を届けさせたから、少し食べなさい」傍らに立つ介護士は恭しく言った。「奥様、ご安心ください。御祖母様の面倒はしっかり見ます」夕星は頷く。「ええ」さらに、介護士が先に電話してくらたことを感謝して、お金を振り込もうとする。介護士は慌てて言う。「榊社長からもう頂いていますので、受け取れません」夕星は譲らなかっ

凌の祖父は満足そうに頷く。「相手は君も知っている、彰の妹、珠希だ」彰とは、かつて雲和が想いを寄せていた男性で、凌の親友でもあった。後に、雲和は彰のために婚約を破棄し、二人は海外に渡った。そして凌と彰の関係は、最悪の状態まで陥ってしまった。今度、彰が雲見市に戻ってくるという。「君は彰と一緒に育ったから、妹も知っているだろう。美人で有能で、何よりずっと君に好意を寄せている」凌の祖父は穂谷珠希（ほたに たまき）を非常に気に入っていた。家柄も能力も兼ね備えた、完璧な孫嫁の候補だった。……雲和と彰には過去に恋愛関係があったが、別れたとはいえ、珠希とは仲が良かった。帰国後も二人は頻繁に連絡を取り合っていた。病院を出た後、雲和は珠希から電話を受け、彼女が雲見市に戻ったことを知った。二人は顔を合わせた。「凌ちゃんとお見合いするの？」雲和はグラスを握りしめ、その知らせに驚いた。珠希は妖艶な美貌で、特に艶めかしい瞳が印象的だった。長年凌に想いを寄せていたが、数年海外にいたため、明日の面会には少し不安を感じていた。そして、凌が雲和を好きだということも知っていた。「雲和、怒らない？」と珠希は尋ねた。珠希が帰国したのは凌とお見合いするためだったのか。雲和はそう思った。雲和の顔に喜びの表情が浮かんだ。「もちろん怒らないわ。凌ちゃんが良い相手を見つけることは、私の願いだったの。二人はお似合いよ。ただ……」彼女は言葉を濁した。珠希が慌てて尋ねた。「ただ何？」雲和は憂いを帯びてため息をついた。「私が昔犯した過ちが気がかりなの」彼女は凌と夕星の婚約について、詳細に語った。「お姉ちゃんは田舎育ちで見識が狭く、嫉妬深いの。私と凌ちゃんの過去があるせいで、ずっと私に不満を持ち、凌ちゃんに対しても敬意を払っていない」「今は離婚受理証明がまだ受け取っていないから、彼女が受け取りに行かないかと心配しているの」「考えてみれば、全て私のせいだわ」珠希は夕星について耳にしたことがあり、とても腕の良い調香師だと聞いていた。彼女は彼らが離婚手続きを進めていることを知っていたが、もともと気に留めていなかった。今、雲和の話を聞いて、夕星に興味を持った。……夕星は早起きして家に戻り、梅代のために朝食を作って届け

病院へ戻る道中、凌が何を言おうとも、夕星は黙ったままだった。凌は眉間を押さえ、見合いの話には触れず、有名で経験豊かな漢方医を招いて梅代に診てもらう話を持ち出した。「余村（よむら）先生をお招きした。おばあちゃんの体をしっかり調えてもらおうと思って」夕星が一番大切にしているのは梅代だと知っているからこそ、凌は今回は本気だった。けれども、夕星はその心配を受け入れようとはしなかった。彼女は瞳を上げ、皮肉めいた表情を浮かべて彼を見つめた。病床に青ざめた顔で横たわる梅代の姿を思い浮かべると、感情を抑えることなどできなかった。凌に問いただしたかった――なぜ、この結婚にきっぱり終止符を打たず、彼女と周囲を繰り返し苦しめるのか。だが喉元まで出かかった言葉は、結局は飲み込んだ。もう、どうでもよかった。彼女は静かにこう告げる。「穂谷さんとは、よくお似合いね」あの穂谷さんは高貴な生まれで、華やかで気品もある。凌の奥様として相応しい家柄と気品を備えていた。二人が並んで歩く姿は、まさに絵になる光景だった。もし無事に離婚できれば、彼女こそが次の奥様になるだろう。「おめでとうございます」夕星は心からそう言った。凌の沸き上がる思いは冷めていった、漆黒の瞳で淡々とした夕星の顔をじっと見つめる。「まだ正式に離婚していないのに、もう俺を他の女に押しつけるのか？」声色は穏やかだが、怒りがにじんでいた。彼はすでに自分の本心をさらけ出して、彼女の前に差し出していた。だが彼女はそれをごみくずのように捨て去った。夕星と距離が近づき、互いの呼吸が無理やり絡み合う。その澄んだ瞳は、ただ静かだった。「あとは離婚受理証明だけわ」彼女は淡々と言った。凌が同意さえすれば、離婚受理証明は順調に受け取れるはずだ。「俺は、あの女のことなんて好きじゃない」凌の怒りは溜め息に変わり、夕星を強く抱き寄せて唇の端に口づけを落とした。「好きなのは、お前だ」暗い瞳にはわずかな希望が宿っていた。彼は彼女の返答を待っていた。だが夕星の心には何の波風も立たず、冷ややかに彼を見返すだけだった。好き？それがどうしたというのか。彼女はかつて真心を差し出した。だが、それを踏みにじったのは彼だった。今の彼女にとって、その感情はすでに過

珠希の言葉は凌の逆鱗に触れた。彼は無表情のまま、相手の青ざめた顔を冷ややかに見据えた。「穂谷さんは、俺のことに口を挟む気か？」珠希は悔しさを噛みしめ、歯を食いしばって言った。「秦さん、ここには監視カメラがあるのよ。そんな嘘をつけるものなら、ついてみなさい」凌が調べさえすれば、自分があの言葉を口にしていないことなどすぐに分かるはずだ。夕星は顔を上げ、凌を見つめながら普段と変わらぬ静かな声で言った。「あなたは、彼女を信じるの？それとも私？」「お前を信じる」凌は一瞬の迷いもなく答えた。珠希は顔を引きつらせた。どうしても夕星に劣っているとは信じられない。「彼女は嘘をついているのよ！」夕星は淡々と珠希を見返す。「ええ、私が嘘をついているわ。だから何？」彼女はあっさりと認めた。珠希は呆然とした。夕星は凌の手を振りほどき、そのまま病室へ入っていった。本当は凌の前であんな言葉を言うつもりはなかった。けれど珠希が「幸せを守る力がなかった」などと言ったから。それにどうしても我慢できなかったのだ。珠希は凌に近づき、目に涙を浮かべて訴えた。「凌、本当に彼女は嘘をついているのよ」「俺の子供に幸運がないって言ったのも嘘だと？」凌の整った顔立ちには、深い怒りが影を落としていた。「私……」「穂谷さん。俺の妻は夕星だけだ。彼女の生まれや、私の子どものことを侮辱するなら、おじさまに会って穂谷家のしつけを聞かせてもらおう」凌は踵を返し、病室へ歩み去った。珠希は感情が制御できなくなりそうになり、背中に向かって叫んだ。「あなたのために帰ってきたのに！」返ってきたのは、冷たく扉が閉まる音だけだった。珠希の頬を涙が伝う。わざわざ彼に会うために戻ってきたのに、彼の心にあるのは離婚したあの妻ただ一人。病室の中。凌が連れてきた医者、余村先生が、梅代の脈を診ていた。夕星は傍らに立ち、息をひそめて結果を待つ。梅代はむしろ穏やかだった。生死にはとうに覚悟ができていた。ただ一つ心残りがあるとすれば、良縁にまだ恵まれない夕星のことだけだった。診察を終えた余村先生は、しばらく梅代の顔を見つめ、思案深げに口を開いた。「ご老体は、どこかでお会いしたことがあるような、昔の知人に似ておられます」梅代は平然と答えた。「年を取れば皆、

凌は出張中だが、わざわざ電話をかけて夕星に薬を時間通りに飲むよう念を押した。夕星はお腹を撫でながら、自分も子供が欲しいと思っていたので、当然のように薬を時間通りに飲んだ。気分も悪くなく、凌の注意に対して反感を抱くこともなかった。「うん、わかった」凌は三人家族の様子を想像し、胸が少し熱くなった。「夕星、帰るまで待ってて」彼は待ちきれなかった。今すぐにでも彼女を抱きしめ、大切にしたい気持ちでいっぱいだった。しかし今回のプロジェクトは非常に重要で、どうしても行かねばならなかった。夕星はスマホを握りながらぼんやりし、凌への感情がまた少し複雑になるのを感じた。凌の変化や、過去の傷を補おうとする努力を感じ取った。しかし、一度受けた傷は簡単には癒えない。彼をまだ信じられるかどうか、彼女にはわからなかった。それに、幼馴染の雲和もいる。雲和を思うと、夕星は深也のことを思い出した。夕星はすでに弁護士を通じて深也を正式に起訴しており、裁判は間もなく始まる。これは、彼女と秦家の関係が完全に決裂することを意味していた。夕星は寝ている梅代の方を見た。梅代は何度も「やりたいようにやれ」と言ったが、その奥底の悲しみは彼女に伝わっていた。一夜が過ぎた。使用人が薬を届けに来て、梅代の分もあった。二人は顔を見合わせ、互いの目に平穏な日々を見出した。薬を飲み終えると、夕星はコップを洗った。出てきたばかりの時、病室のドアが突然開かれた。正邦が数人を無理やり侵入してきた。夕星は表情を変えた。「どうやって入ってきたの？」言葉が終わらないうちに、彼女は正邦たちに肩を押さえられ、病床の脇に引きずられた。梅代は怒りで心臓が締め付けられるようで、布団を叩きながら叫んだ。「正邦、何をするつもりたい？」正邦は一瞬ためらったが、深也のことを思い出すと心を鬼にした。「母さん、俺もこんなことはしたくないが、息子は深也しかいないんだ。夕星を説得して、起訴を取り下げさせてくれ」梅代は怒鳴りつける。「あの子は本当に大事なことは何もしないで、夕星を陥れようとした。親として教育もしないで、夕星を捕まえるとは何事だ。夕星を離しなさい」彼女は病床から降り、震えながら立ち、息子への失望を目に満たしていた。「深也はあなたの息子だ