All Chapters of 誘拐され流産しても放置なのに、離婚だけで泣くの?: Chapter 101 - Chapter 110

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第101話

梅代は青白い顔で震えながら尋ねた。「あの子をどこへ連れて行くつもりなの?」「深也が刑務所に入っている間、あの女も同じ期間閉じ込めておくんだ」「よくもそんなことができるわね」「俺にできないことなんてこの世にはないんだ」正邦の怒りが爆発した。「深也は俺にとってたった一人の息子だ。その息子を刑務所に入れようというのか。わかっているのか、刑務所だぞ!」正邦はずっと心の中にあった怒りを我慢してきた。なぜ梅代が夕星をひいきするのか、正邦には理解できなかった。かつて凌は夕星の夫だったから、夕星にもまだ存在価値があった。けれど今、凌は夕星と離婚し、穂谷家との結婚を進めている。そうなれば、夕星はもう何の価値もない存在になってしまう。価値のない夕星のために深也を犠牲にするなんて、正邦が正気であればそんなことをするはずがない。「あなた……」梅代は胸を押さえ、体がぐらついた。夕星は胸が引き裂かれるような思いで、かすれた声を上げた。「梅代おばあちゃん……!」「秦正邦」夕星は歯ぎしりしながら、あえてフルネームで正邦のことを呼んだ。「梅代おばあちゃんのことを苦しめたいの?」「母さんをいじめているのは、俺じゃなくてお前という厄介者だ」正邦は大声で夕星に怒鳴った。「逆に聞きたいけど、お前はただ手をこまねいて、母さんが怒りに打ちひしがれて苦しむのを見届けるつもりなのか?」その時、「ドン」と梅代が床に倒れ込む音が重く響いた。「梅代おばあちゃん!」夕星は絶叫した。今まで積み重ねてきた決意も信念も、この一瞬ですべてが無駄になった。「訴訟を取り下げるから、お医者さんを呼んで梅代おばあちゃんを助けてあげなさい」夕星は泣き叫びながら、ついに断念した。正邦は長いため息をつくと、ボディーガードに夕星を解放するよう合図した。夕星は転がるように梅代の元へ駆け寄り、震える手で梅代の華奢な体を抱え上げた。「梅代おばあちゃん」「びっくりさせないでよ」「お医者さんを早く呼んで!」幸いにも、正邦はまだ梅代が目の前で死ぬのを黙って見ていられるほど冷酷ではなかった。正邦はすぐにナースコールを押して医者を呼んだ。夕星は医者に病室から追い出された。夕星は病室のドアの前に立ち、半開きのドアから中をぼんやりと眺めながら号泣していた。梅代おばあちゃん
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第102話

霖之助は無表情で、「結構大きな騒ぎになっているな」と言った。夕星は彼の邪魔をしたと思い、すぐに謝った。夕星は彼が自分に「雲見市を離れて、三年間は帰ってくるな」と言った言葉をまだ覚えている。そして、夕星はまた言った。「離婚届受理証明書を受け取り次第、雲見市から出て行きます」霖之助は首を振り、冷たく厳しい口調で言った。「夕星、君はまだまだダメだ」夕星は黙り込んだ。彼の意図を夕星は理解していた。「これは君への罰だ」霖之助は、病床に横たわっている梅代をチラッと見た。顔の様子ははっきりと見えないが、少なくとも死にかけていることはわかっていた。こんがらがっていた頭が一気にクリアになり、夕星は信じがたいという表情で目を見開き、ようやく真実を悟った。「もしかして、おじいさんだったのですか?」道理でちゃんと門限があるのに、父さんが人を連れて入ってこれたわけね。「なぜですか?」夕星は一歩下がって病床に寄りかかり、無意識に梅代を守る体勢を取った。霖之助の老いた顔には威厳と軽蔑が浮かんでいる。「これが言うことを聞かない代償だ」自分は夕星に言ったはずだ。雲見市から離れて、三年間は戻ってくるなと。しかし、夕星は離れないばかりか、凌とますます親密になっていった。凌は夕星のために、穂谷家の珠希との縁談を断った。夕星はもう一度繰り返した。「離婚届受理証明書を受け取ったら雲見市から離れます」彼女の声は怒りに震えていた。「私が言うことを聞かないと思うのなら、私にだけ罰を与えればいいのに、どうしてあんなことまでするのですか」梅代と同じお年寄りでも、霖之助は恐ろしいほど冷血な人だ。霖之助の表情が冷たくなった。「離婚が正式に完了した途端、凌が離婚届受理証明書を受け取りに行くと思うか?」夕星は言葉に詰まった。今の凌の言動はすべて、凌がこの結婚を取り戻そうとしていることを示している。凌は離婚届受理証明書を取りに行かないだろう。霖之助は夕星をそのように脅すと、病室から去ろうとした。「夕星」病床にいる梅代がかすかに呼びかけた。夕星は涙で顔を濡らし、嬉しそうに振り返った。「目が覚めたのね」霖之助は無表情のまま目を向けたが、次の瞬間、その表情が凍りついた。そしてすぐに、顔には抑えきれない喜びが浮かび上がった。「あー……
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第103話

夕星が先に折れた。自分とどこか似ている双子の妹を見つめる深也の顔には、意地悪げな表情がにじんでいる。「夕星、それだけじゃ足りないよ」「お前のせいで俺は何日も警察に拘留されたんだ。この借りはどう返すつもりだ?」怒りと恨みで胸がいっぱいの深也にとって、そこに夕星がいる以上、見逃すはずがない。梅代はベッドからすでに起き上がっていた。梅代はもともと足腰が弱く、連日受けたショックで立っているのもやっとだ。それでも、梅代はしっかりと踏ん張りながら、夕星を守るかのように自分の背後に庇った。「深也、最初に悪いのはあなたなのよ」深也は自分が悪いとは思っていない。「夕星、俺に土下座して謝れ。そうすればお前と梅代おばあちゃんを一緒に家に帰してやる」深也は警察署に拘留されていた間、出所したらどうやって夕星に謝罪させるかばかりを考えていた。土下座させるだけでは甘すぎるくらいだ。正邦は眉をひそめたが、何も言わなかった。梅代は正邦に失望し、深也にはさらに失望している。梅代は、夕星の手を強く握りながら自分の体を支えた。「私と夕星は八里町に帰るわ」正邦は冷たく言った。「故郷に帰るなんて考えないで。あの家は必ず売りに出すから」家を売ってしまえば、母さんは帰ることを諦めるだろう。梅代は激怒した。正邦はいつも家を売りたがるけど、あの家こそが秦家のルーツなのに。あそこにはたくさんの思い出が詰まっている。「何度も言ったはずよ。家を売ることは許さないわ。あれは私のものよ。あなたに処分する権利はないわ」梅代は荒い息をしながら、胸の苦しさを感じていた。「だったら土下座して謝れよ」深也は怒鳴り始め、もともと整っていた顔立ちが見るも無惨に歪みきった。深也はまるで猛獣のような目つきで夕星を睨みつけた。「夕星、俺に土下座して謝罪すれば、父さんを説得して家を残してやってもいい」夕星は歯を食いしばった。たとえ土下座しても、深也が本当に正邦を説得するはずがないと夕星はわかっていた。深也の目的は、ただ自分を辱めたいだけ。「だめよ」梅代は涙を流し、顔色も悪く、ひどくやつれて見えた。梅代は決意を固め、震える声で言った。「家を売りたければ売ればいいけど、私の夕星をいじめることは絶対に許さないわ」家を失うのは心が痛むが、夕星を守らな
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第104話

「バン!」夕星の膝が床に触れようとした瞬間、病室のドアが力強く押し開かれた。凌と霖之助が揃って病室の入り口に現れた。夕星は入り口を見つめながら、目頭が熱くなった。夕星は唇を震わせ、声にならない言葉を紡いだ。「凌……」凌は冷たい表情を浮かべて入ってきて、片手で夕星の腰を支え、強く抱き寄せた。「大丈夫、俺がいるから」凌は怒りに満ちていて、正邦と深也をボコボコにしてやりたいほどだった。夕星は落ち着きを取り戻すと、そっと凌を押しのけ、梅代を支えに行った。凌も手を貸した。梅代はベッドに座り、胸を押さえながら苦しそうに息をしている。視界がかすむ中、それでも梅代は最後の力を振り絞って夕星を守ろうとしていた。正邦は、霖之助の表情をチラッと見た。しかし、霖之助は無表情で、感情を読み取ることができなかった。正邦は言葉を選びながら口を開いた。「霖之助さん、私たちは母さんと夕星を迎えに来たんです」正邦はこの時ばかりは妙に礼儀正しい。凌はゆっくりと体を起こし、その瞳には墨のように重く沈んだ影が宿っていた。深也を見据えながら、低い声で言い放った。「深也さん……ずいぶんと腕を上げたじゃないか」自分が大事に大事にしてきた人が、こんなふうにこいつらにいじめられてるなんて。深也の顔から血の気が引いた。正邦は気まずそうに笑い、ごまかそうとした。「ただの冗談ですよ」凌は正邦を無視し、冷たい声で言った。「土下座するのがそんなに好きなら、梅代お祖母様に土下座しろ」深也は信じられないというような表情をした。凌とはそれなりの付き合いがあると思っていたが、まさか土下座しろとでも言うのか?梅代は夕星はグルだ。梅代に土下座することは、夕星に土下座するのと同じだ。自分にはそんなつもりはない。夕星の目はひどく腫れ上がり赤くなっていた。梅代の手はとても冷たく、顔色も青白くなっていた。夕星はかすれた声で言った。「医者を呼んで」凌は我に返り、ナースコールして医者を呼んだ。医者はすぐに来て梅代のために診察をしたが、相変わらず言うことは同じで、もっと休んで、刺激を与えないようにする必要があるとのことだった。正邦は安堵の息をつき、梅代に対する態度もぐっと丁寧になった。「まず深也を連れて、会社に戻って少し用事を片付けてきます」
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第105話

凌はそっと夕星の肩に手を置き、背筋を伸ばした。目の奥にあった優しい心配は、凛とした気迫に変わっていた。「じゃあこれで決まりだ」「記者会見を開いて、深也さんは正式に謝罪した後、出国する」深也は慌てた。「凌くん、夕星のために俺を追い出すのか?」さらに記者会見を開いて謝罪しないといけないのか?まるで自分の顔を地面に押さえつけて、容赦なく踏みにじるかのようだ。凌は冷たく聞いた。「刑務所に入りたいのか?」夕星は言葉に詰まった。あの件で、スメックスグループも大きな損失を被っており、本当にとことん追及すれば、深也は少なくとも数十年は服役しなければならない。深也を国外に追放することは、かなりの大目に見ているのだ。正邦は焦りだし、霖之助を見て、助け舟を出してくれるよう頼もうとした。霖之助は依然として黙っており、明らかに正邦を助ける気はなさそうだ。正邦は歯を食いしばり、梅代に懇願した。「母さん、これからは深也のことをちゃんと見るから。夕星が辛い思いをしたなら、どんな補償でもするよ」この時、ようやく正邦は頭を下げた。しかし、それはすでに遅かった。梅代は正邦のことをもう信頼していなかった。「きちんと見てれば、こんなふうになるわけじゃないわ。夕星に土下座させろなんて、いったい何様よ」梅代は言えば言うほど腹が立ってきて、これ以上正邦のことを見るのも嫌になってきた。深也はかなり腹を立てていたが、凌がいるので余計なことは言えなかった。深也は歯を噛みしめて、そのまま振り返らずに部屋を出て行った。雲和に助けを求める必要がある。雲和なら、凌の考えを変えさせられる。正邦は慌てて深也の後を追った。霖之助は咳払いをし、何か言おうとした。夕星は無表情で言った。「申し訳ありませんが、お引き取りいただけますか。梅代おばあちゃんは休む必要がありますので」霖之助は梅代の青白い顔色を見て、鼻をこすり、何か言いたそうにしながらも口を開けなかった。結局、霖之助はその場から離れるしかなかった。病室は突然静かになった。凌が静かに言った。「夕星、お前も休んでくれ。看護師に梅代お祖母様の世話をさせるから」夕星は目を閉じて言った。「あなたも出て行って」夕星は複雑な気持ちだった。「夕星……」「出て行って」夕星は
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第106話

「俺が愚かだと?」凌は骨ばった手で夕星の顎を掴み、冷たい笑いを漏らした。夕星の皮肉に満ちた言葉はまるで鋭い刃のようで、凌の心を深くえぐった。夕星は薄く微笑み、いつになく軽い声で言った。「自分がどれほど愚かなのか、一番よくわかっているでしょ?」凌は怒りで限界に達し、殺気じみた雰囲気を全身にまとっていた。夕星は、次の瞬間に凌が自分を殴るのではないかというような錯覚さえ覚えた。「お前はいつも、俺のまっすぐな気持ちを踏みにじるんだな……そうだよ、俺が愚かだったよ」凌は粗々しく手を振り払い、大股でその場を去っていった。夕星は怒りに満ちた凌の背中を見つめ、大粒の涙をこぼした。額を壁に押し付け、泣き声を必死に押し殺した。凌が戻ってきて自分をかばい、深也に肩入れすることもなかった。自分は、凌の思いやりの気持ちを感じた。自分の気持ちは揺らいでしまった。だが、霖之助が正邦を使って、繰り返し梅代おばあちゃんに嫌がらせをさせ、彼女が危うく追い詰められそうになったことを思い出すと。自分は冷静でいるのが難しくなった。霖之助からの警告は、一度あれば二度目もある。そしてその二度目の代償を、自分は背負うことができない。凌と梅代おばあちゃん、自分は梅代おばあちゃんを選ぶしかなかった。これでいいのよ。これで終わりでいいのよ。最初から歪んでいたこの結婚に、ついに終わりを告げる時が来たのよ。凌は不機嫌そうにエレベーターの前に歩み寄り、ドアが開くと凌の秘書である小金井秀太(こがねい しゅうた)が出てきた。秀太は、お手伝いさんから預かった薬を持っていた。「榊社長」凌はじっと薬を見つめ、脳裏には夕星が嘲るように笑いながら「愚かだね」と彼を罵った光景が繰り返し浮かんでいた。凌は自嘲気味に薄く笑った。自分の償いや努力など、夕星にとっては「愚か」の一言で片づけられるものだったのだ。「直接夕星に送れ」と凌が冷たい声で指示した。秀太はすぐに、凌がまた夕星と喧嘩したのだと察した。「承知しました、榊社長」秀太が薬を病室に届けると、夕星が呆然と椅子に座り、目を赤く腫らしている姿が見えた。秀太は薬のことについて小声で夕星に話した。夕星はぼんやりと頷き、ひどくかすれた声で「分かった」と返事した。秀太は静かに立ち去った。
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第107話

「深也、心配しないで。明日、夕星に真実を話しに行くわ。もし彼女が私を刑務所に送るなり、どんな罰を与えようと構わないわ。それは私が受けるべきことだから」「そのときの記者会見で私も全部はっきりさせて、深也の潔白を証明してあげるわ。お兄ちゃんは何も悪くないよ、ただ私のことを想ってやっただけのことだから」「私はもう深也に迷惑をかけてしまったから、これ以上私の代わりに苦しんでもらうわけにはいかないわ」深也の怒りは、雲和が涙を流しながら泣く姿にすっかり溶けてしまった。深也は雲和の髪を撫でながら、優しい声で言った。「泣かないでくれ。ただ海外で数年過ごすだけだ。修行だと思えばどうってことないさ」兄として、当然我慢強くならなければいけない。雲和の泣き声が少し小さくなった。彼女はぼんやりと涙を浮かべた目で深也を見上げて言った。「私は深也に行ってほしくないの、本来なら私が行くべきだからわ」深也の心は涙でほぐされた。深也もまた目を赤くした。「全部俺が無能だったからだ。お前を守れず、何度も夕星にいじめさせてしまった」「安心しろ。俺が帰ってきたら、必ず夕星をここから追い出すから」雲和は感動して、深也の胸元に飛び込んだ。「お兄ちゃん……」一週間が過ぎた。梅代は頻繁に昏睡状態に陥っていた。薬ももう切らした。医師は遠回しに、梅代はもう高齢で、立て続けに精神的な刺激を受けているから、ゆっくりと休ませることが最善だと伝えた。夕星は秀太に余村先生の住所を尋ね、彼を訪ねることにした。午後4時。夕星は余村先生の家に着いた。余村先生は有名な医者で、診察にくる人が後を絶たないが、彼の体力にも限界があり、半日だけ診察し、それ以外は人に会わないようにしている。夕星はお手伝いさんに門前払いされた。予約なしでは診察を受けられない。夕星はどうすることもできず、明日もう一度病院へ行って運を試すしかないと思った。「夕星」誰かが少し驚いているような声がした。夕星が振り向くと、そこには凌と、彼の腕を組んでいる珠希が見えた。凌は無表情のまま、夕星の姿をちらっと見て素通りし、まったく目を止めなかった。お手伝いさんがドアを開けた。「榊社長、どうぞお入りください」夕星は歯を食いしばりながら言った。「凌」夕星は凌に、余村先生に会わせて
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第108話

夕星は長い間ドアの前に立ち尽くしていた。携帯の画面には、凌の番号が表示されていた。夕星は電話をかけたが、誰も出なかった。夕星は苦笑いを浮かべた。もし凌に助けを求めることになるとわかっていたなら、あのときあれほどきっぱりとした言い方はしなかったのに。雷が鳴り、いかにも雨が降りそうだ。夕星は仕方なくその場から立ち去ろうとした。振り返って歩き出すと、見慣れた顔がそこにあった。「文弥さん」と夕星が声をかけた。文弥は手に箱を持ちながら夕星を見て驚き、すぐに眉をひそめた。「夕星さん……」数日会わないだけで、夕星は見るからに痩せ、目からも輝きが消えている。文弥は心配そうに尋ねた。「体調が悪いのか?」夕星が梅代の薬を貰いに来たことを話すと、文弥は何も言わずに夕星を中へ招き入れた。夕星の胸の奥に、かすかではあるがぬくもりが差し込んだ。「ありがとうございます」凌は余村先生と話していたが、夕星と文弥が一緒に入ってきたのに気づくと、ふっと視線を落とし、何を思っているのか分からない顔をしていた。夕星は用件を説明した。余村先生はすぐに立ち上がり、梅代の容体について詳しく尋ねた。そして改めて処方箋を書き、薬を用意させて夕星に渡し、梅代の看病をしっかりするようにと念を押した。夕星はほっとした。余村先生に無視されるかと心配していたが、意外にも彼はとても親しみやすい人だった。薬を受け取った夕星は、外に出ようとした。最初から最後まで、夕星は凌のことを見もしなかった。文弥は夕星を出口まで見送り、空がどんどん暗くなっていくのを見ながら、送っていこうかと申し出た。夕星は薬を手にしながら、明るい笑顔を見せた。「大丈夫です。タクシーですぐ帰れますので」文弥は少し黙り込み、離婚届受理証明書のことをまた尋ねた。夕星は軽やかに笑った。「今度こそ手に入れます」あんなことを凌に言ってしまったのだから、彼のプライドを考えれば、今度こそ円満に離婚できるだろう。凌は二階の窓際に立ち、無表情で夕星を見ていた。夕星は薬が入った袋を胸に抱え、路肩でタクシーを待っていた。ほどなくして、夕星は二人のボディガードに行く手を遮られた。「蘭さんがお呼びです」夕星は、少し離れた場所に秦家の車が停まっていることに気づいた。雨が降り始め
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第109話

蘭はこの件に対してずっと根に持っている。生活費は渡しているのだから、夕星を放置しているわけではない。夕星は呆れたように首を振った。蘭とは話が通じないし、これ以上彼女も話す気がなかった。夕星はドアを開けて車から降りようとした。蘭は怒りで頭が真っ白になり、心の中は夕星への恨みでいっぱいだった。梅代のために雨の中でも薬を求めて奔走し、これほど親孝行なのに。自分のことは適当にあしらうだけ。夕星への敵意が、蘭の心の中で湧き上がった。蘭は冷たい声で言った。「車を停めて」車は路肩に停まった。雨はますます激しくなり、車窓を叩く雨の音がパラパラと響いた。「降りなさい」蘭は無表情で夕星を追い出そうとした。夕星は数秒沈黙し、ドアを開けて降りた。しかし次の瞬間、蘭は夕星が抱えていた薬の袋を奪い、その直後に夕星の背中を思いっきり押した。夕星は不意を突かれて雨の中に倒れ込んだ。とどめとして、蘭は片足で夕星を車外へ蹴り飛ばした。そして、薬をその場に投げ捨てた。薬は袋から転がり出て散らばり、たちまち雨に濡れた。これは梅代おばあちゃんの薬なのに……夕星は這いずり回るようにして薬を拾い集めた。薬はすっかり激しい雨によって濡れてしまった。夕星は薬の袋を抱えて雨の中に立っていた。雨が彼女の目を濡らし、かすんだ視界の中には、蘭の冷たい視線が映っていた。憎しみに満ちた表情だ。「薬なんか飲まずに、早く死んで楽になればいいのよ」蘭は激しい憎しみを込めて呪いの言葉を吐き、車の窓を閉めた。そして、車が走り去った。夕星は怒りで全身が震えていた。まさか自分が車から降りる際に、母さんが後ろから自分のことを押して、さらに梅代おばあちゃんの薬まで捨てるとは思わなかった。滝のような大雨が降り注ぎ、あたり一面を灰色の闇で覆い尽くしている。夕星は全身びしょ濡れになっている。幸い、すぐ先にお店らしき場所がある。夕星はお店に向かって急いで走り出したが、何かにつまずいて転んでしまった。腕に激痛が走った。夕星はすっかり濡れてしまった薬を見つめ、頭の中で張り詰めていた糸が完全に切れてしまった。夕星は呆然としながら地面に座り込み、全ての力を失ったように、しばらくの間そこから立ち上がれなかった。涙が雨と一緒に流れ落ちてい
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第110話

夕星は動かずに窓にもたれ、目を閉じてじっとしていた。ただ早く病院に着いてほしいと願っていた。次の瞬間、夕星は腕を引っ張られると、男性の胸元に押し倒された。夏は服が薄いせいで、夕星はすぐに凌の火照った体温を感じた。凌のシャツも濡れていることに気づいた。夕星は珠希のことを思い出し、腹立たしさを感じながら凌の肩を叩いた。「放して」次の瞬間、夕星は全身が硬直した。青ざめていた頬が、恥ずかしさと苛立ちでほんのり赤く染まった。凌の体の変化を、夕星は誰よりも理解している。凌はずっと自制した生活をしていたが、今抱いている夕星は全身びしょ濡れで、白いシャツワンピースが体に張りつき、下着まで透けて見えそうだった。目を落とすと、その魅力的な体のラインが否応なしに目に飛び込んできた。みすぼらしいながらも、女性の色気に溢れていた。凌は手を伸ばしてスイッチを押し、仕切りが上がると同時に、夕星の淡い唇にそっと口づけた。夕星はもがきながら、冷たく言い放った。「凌、私たちはもう離婚したのよ」「離婚が正式に完了するまで、まだ時間がある」「あと三日ね」「言ったはずだ。たとえあと一日だけだとしても、お前は俺の妻だ」たとえあと一日だけでも、夕星は凌の妻なのだ。夕星の体は小さく震え、凌の腕に爪を立てながら、恥ずかしい声を出さないように必死で唇を噛みしめていた。北上市(きたがみし)にある別荘に着くと、運転手は顔を真っ赤にして車からすぐに降りた。夕星の身なりが乱れていた。凌はお手伝いさんに毛布を持ってこさせ、夕星を車から抱き下ろした。夕星は毛布が滑り落ちて醜態を晒すのを恐れ、もがくことをしなかった。寝室に足を踏み入れた瞬間、凌はずっと抑えていた男としての本能を解き放ち、荒々しく燃え上がった。貪るように。床には衣服が散乱していた。夕星は目の周りが赤く腫れていて、抵抗しながらもつい喘ぎ声を上げてしまった。「こんなことしちゃダメだわ」夕星は確かにあれほど冷たい言葉を凌に投げかけたのに、なぜ今また二人は絡み合っているのだろうか。これは間違っている。でも夕星にはもう抗う力もない。結局、夕星はその白く細い腕で、激しい暴風雨の中でただ凌を抱きしめることを選んだ。気持ちが高まった二人は、手と手をしっかりと握
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