佐伯雅人(さえき まさと)は、岡田咲良(おかだ さくら)が気まぐれに付き合っていた男性モデルだった。そのしつこさから逃れるため、彼女は遠く離れたヴァルティア帝国へ渡った。別れてから五年。雅人はテック業界の新星となり、資産は国内トップ10に入るまでになっていた。一方、咲良は破産し、すっかり落ちぶれて帰国。さらに骨肉腫の末期と診断され、余命はわずか一か月だった。二人の再会は――お見合いの席だった。……南浜市の街角にあるカフェ。男の声は低く艶やかだったが、氷のように冷たかった。「咲良さんの『サービス』は、一時間いくらだ?」その嘲るような一言に、咲良はまるで氷の底に突き落とされたような感覚に襲われた。背筋に寒気が這い上がり、骨の隙間からせり上がる痛みは一層鋭くなっていく。彼女は無意識にに奥歯を噛み締め、激痛に耐えた。雅人は咲良の正面に座っていた。完璧に仕立てられたチャコールグレーのスーツが、広い肩と引き締まった腰を包み込む。五年の歳月で、彼は青臭さがすっかり消え、全身から気品と冷ややかな鋭さが漂っていた。かつて咲良だけを見つめ、愛情を注いだ深い瞳には、今や冷たい視線と嘲笑しか残っていない。まさか、ただ依頼人の代理として臨時でお見合いを引き受けただけなのに、五年前に自ら捨てた元恋人と出くわすことになるとは――一体誰が想像できただろう。咲良は胸の奥がきゅっと締め付けられ、今すぐ立ち去りたい衝動を必死に押し殺し、心の中で何度も言い聞かせた――咲良と雅人はもう五年前に別れた。今日は依頼人のためにこのお見合いを壊しに来ただけ。これは仕事なのだ、と。こわばった舌がようやく動き、彼女は営業スマイルを作って、乾いた張り詰めた声で口を開いた。「九条紅葉(くじょう もみじ)さんが二千円で、私に代理お見合いを依頼されました。雅人さんが紅葉さんのご両親に性格が合わないとおっしゃってくだされば、私の任務は完了です。どうか紅葉さんを困らせないでください」「困らせる」という言葉を発した瞬間、咲良は自分は言葉を間違えたことに気づく。恐る恐る視線を上げると、案の定、雅人の表情は暗く沈んでいた。かつて咲良は、この言葉で彼を深く傷つけたのだ。五年前、岡田ホールディングスが経営破綻し、国内資産はすべて買収され、さらに咲良は骨肉腫を宣告された。
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