素羽はその一連の出来事を思い返し、瞳の奥に暗い影を宿した。須藤家の人間を信用できなかったからこそ、家を逃げ出した後も一瞬たりとも警戒を緩めなかった。そして、その警戒心こそが彼女の命を救ったのだ。幸雄の冷酷さと薄情さは、須藤家の人間がどれほど残忍な存在かを嫌というほど思い知らせた。そして奏は、彼女が川へ転落してから初めて出会った生身の人間だった。制御を失った救急車が激突し、そのまま川へ転落する寸前、素羽は間一髪で車外へ飛び出した。だが、一歩及ばず、川への転落そのものは避けられなかった。それでも、救急車ごと沈まず、自分だけが川へ投げ出されたのは、不幸中の幸いだった。もし車内に閉じ込められていたら、ほかの乗員たちと同じように、生きたまま水底へ沈み、冷たい亡骸となって引き上げられていたに違いない。命こそ取り留めたものの、その時の彼女は全身が重傷だった。肋骨は三本折れ、左腕と左脚も骨折した状態で、あの底知れぬ暗い川からどうやって岸までたどり着いたのか。何が自分をそこまで突き動かしたのか――今でも素羽には分からない。振り返るたび、自分は踏まれても枯れない雑草のようにしぶとい人間なのだと苦笑してしまう。どれほど過酷な目に遭っても死なず、土壇場になれば必ず絶体絶命の窮地から這い上がり、生き延びる道を切り開いてしまうのだから。奏と出会ったのは、まさにそんな時だった。あの時、彼の車は運悪くエンストを起こし、迎えを呼ぶために連絡を取っている最中だった。そこへ、全身ずぶ濡れの彼女が突然視界へ飛び込んできたのだ。あまりにも唐突な登場に、奏は飛び上がるほど驚いていた。素羽は今でも、初めて会った時に奏が放った第一声を忘れていない。「真夜中に幽霊でも見ちまったのか、俺?」実際、あの時の彼女は幽霊と呼ばれても仕方のない姿だった。ついさっきまで暗い川底から這い上がってきたばかりの、「幽霊」そのものだったのだから。幸雄が自分を殺そうとしていると知った以上、奴らが最後まで息の根を止めに来ることは目に見えていた。だから岸へ這い上がった瞬間も、素羽は一息つくことすらしなかった。傷だらけの身体を引きずりながら、一歩も立ち止まらず、その場から逃げ続けた。見知らぬ人に出会っても足を止める勇気などなく、ただひたすら橋とは反対の方向へ歩き続けた。
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