All Chapters of 唇を濡らす冷めない熱: Chapter 81 - Chapter 90

130 Chapters

揺れない、この意思 12

「へ? あ、の……お姉さん?」 あまりに綺麗で身体が勝手に動いたのかもしれない、私は青年の頬に思わず手を伸ばしかける。特殊なメイクだったのか、まだ少しだけ頬にはり付いているのが気になったから。 ただ、それだけだったのに…… 伸ばしたその手は隣からスッと出てきた腕によって阻止される。それが梨ヶ瀬《なしがせ》さんの腕だと気付いて彼の方を見ると、今まで見たことも無い鋭い眼差しが私に向けられていた。「なしがせ、さん? どうして……」「横井《よこい》さんこそ、それは何の真似? 見惚れただけじゃなく、自分から触りに行くほど彼が気に入ったの?」 もの凄く怒ってる。いつもよりも低いその声に、気付けないほど私だって鈍くない。 だけどそれは、私が梨ヶ瀬さんの特別な相手であれば納得出来ることであって。 少なくとも私達の今の関係は、そうではないはずだ。「気に入って何が悪いんです? そんなことまで、いちいち上司に許可を取る必要がありますか」 ピリピリとした空気が私たちの間に流れる。素直にごめんなさいといえばこうならないと分かってるのに、そう出来ないのが私。 だって私はまだ梨ヶ瀬さんの恋人じゃない、これから先もそうなるか分からない。 ……なのにどうして、こんなに梨ヶ瀬さんに嫉妬されたことが嬉しいのか? 本当に自分の馬鹿さ加減にイライラさせられる、この人に恋なんてしたくないのに。「まあまあまあまあ! ちょっと落ち着いてくださいよ、二人共! まず先に、お姉さんの怪我の手当てをさせて下さい」 私と梨ヶ瀬さんの間に割って入ってきた男性に止められて、私と彼は睨み合いを止める。 それでもまだ納得出来たわけではないので、傷の手当は美形のお兄さんに頼もうとした。 だけどそんな事を梨ヶ瀬さんが納得するはずもなく、どす黒い笑顔で彼から薬箱を取り上げ私の前に跪く。 そんな風にされると王子様みたいで、ちょっとムカつく。「沁みたらごめんね、一応優しくするけど」 そう言うわりには随分楽しそうですね、ここでさっきの仕返しでもする気ですか? 脱脂綿を消毒液で浸しピンセットで摘まんで、私の膝へと触れる。思ったより傷が深かったのか、結構痛い。「これ以上痛くしたら、この足で蹴りますから」「そうやってると女王様みたいだね、横井さん」 何とでも言ってください、梨ヶ瀬さんが好きでこうしてる
last updateLast Updated : 2025-11-01
Read more

揺れない、この意思 13

 大きめの絆創膏を貼られて、手当てが終わり椅子から立ち上がろうとしたところで梨ヶ瀬《なしがせ》さんに止められた。 何かと思って座ったまま見上げてみれば、爽やかな笑顔を浮かべてこちらを見ている。 多くの女性が見惚れるはずの笑顔に私は嫌な予感しかしない、これを見た後はろくなことが起こらないと。「何の真似、ですか?」「痛いでしょ? 俺が抱っこして連れてってあげようと思って」 ……今、なんて? 抱っこで連れて行くって、それは何のためにですか? もしもここで「はい」とでも返事をすれば、きっととんでもないことになる。 こんな人だらけの所で、そんな恥ずかしい事されてたまるか!「心配ないですよ。痛くも無いですし、お姫様抱っこも必要ありません。上手くそういう方に持っていこうとしても、無駄ですよ」 その手には乗りません。私だっていつまでも、梨ヶ瀬さんの思い通りにはなりませんからね。 そんな私たちのやり取りを、従業員の男性はハラハラしたような顔で見ている。早くここから出ていかなければ、彼の胃に穴が開くかもしれない。「ふうん、横井《よこい》さんはお姫様抱っこが好きなんだ?」「な、違います! そんなこと言ってないでしょう、そうやって自分勝手な解釈をするのは止めてさい」 どうしてこの人はこうなのか、私は梨ヶ瀬さんを腕でどかして椅子から立ち上がり扉へと向かう。 美形のお兄さんにお礼を言うと、そのまま梨ヶ瀬さんを無視して先に外に出た。「あ! 横井さん達も、お化け屋敷に来てたんですね!」 外に出たのと同時に偶然同じアトラクションに来てたのか、眞杉《ますぎ》さん達に出会った。 私と梨ヶ瀬さんとは違い、お化け屋敷でお互いの距離を縮めたのだろうか? 眞杉さんは鷹尾《たかお》さんの腕に手を添えている。そんな眞杉さんを、愛おしそうに見つめている鷹尾さん。 ……いいなあ、私もこんな関係が理想なんだけれどな。 私と梨ヶ瀬さんではこんな未来は想像出来ない、それ以前に彼と付き合うつもりもない。「二人ともどうだった? 私は転んで怪我しちゃって、でもすごく美形のお化けに出会えたからラッキーだったかな?」「へえ、そんなお化けがいたんですか? 気が付かなかったですね、鷹尾さん」 仲良さげな二人を見ているとどうしても人恋しくなる、その相手が梨ヶ瀬さんでなければいいのだけど。 彼
last updateLast Updated : 2025-11-01
Read more

教えない、その願い 1

『へえ、ダブルデートを? それも相手は新しい課長なんて、アンタも意外とやるんだな』 「なんでそうなるんですか、私はただ会社の同僚の恋を応援するためにですね……」  遊園地から帰ってきて、お風呂を済ませてのんびりしているところにかかってきた電話。無視しようと思ったのに、あまりにしつこくてつい出てしまった。  そんなスマホの向こうでは、ある人物がムキになる私を楽しそうに笑ってる。 「そうやって私を揶揄うために電話をかけてきたんですか、伊藤《いとう》さんは。特に用が無いのなら切りますよ?」  電話の相手は親友の紗綾《さや》の元恋人の伊藤さん、何だかんだと問題を起こして今は海外の企業に勤めていると聞いている。そんな彼がこうやって頻繁に電話をかけてくるのは謎なのだけど。 『用が無い訳じゃない、ところで紗綾はあの男と今も上手くいってるのか?』  ほおら、やっぱり心配なのは元カノの紗綾の事。  だいたい分かっていたけれど、私からそうやって彼女の事を聞くほどまだ未練があるのだろうか? 「上手くいってますよ、もう伊藤さんの入り込む隙間は一ミリもありません。早く新しい恋でも探すといいですよ」 『嫌な言い方するな、アンタも。まあいい、二週間後に一度帰国する予定なんだ。せっかくだし、一緒に飲みに行こうぜ』  ……? 飲みに行く、誰と誰が?  いやでも、私と伊藤さんがそんな事をする必要があるとは思えないのだけど。 「帰国って伊藤さんがですか? いったい何のために……」 『俺の他に、誰の帰国をアンタに話す必要があるんだよ? いいか、二週間後の金曜の夜の便でそっちに着く。八時に××空港まで迎えに来い』  はあ!?  なんで伊藤さんを迎えになんていかなきゃならないの、それも私が!  もともと我儘な人だとは分かっていたけれど、最近は少し良い所のあるのかもなんて思い始めてたのに。  どうやら全部、私の気のせいでしかなかったみたい。馬鹿馬鹿しくて通話を切ってしまおうかとスマホのディスプレイに指を伸ばした、その時…… 『……紗綾に渡してもらいたいものがある、あんたにしか頼めないんだよ』  少しトーンを落として呟くように言われたその言葉の意味を、私は何となく理解した。  紗綾と御堂《みどう》さんは、もう結婚について考えている、多分そう遠くない未来にその日は来るだろう
last updateLast Updated : 2025-11-03
Read more

教えない、その願い 2

「横井《よこい》さん、金曜の夜が暇なら一緒に飲みに行きませんか? 眞杉《ますぎ》さんやコイツもくるんで」 水曜の昼休み、一緒に昼食を取っていた鷹尾《たかお》さんからそう言われ私はふと思い出す。確かその日は伊藤《いとう》さんが帰国する日で、私は彼を迎えに行かなくてはならない。 眞杉さんがいれば私が参加すると思ってるのか、梨ヶ瀬《なしがせ》さんは笑顔でこっちを見ている。そういう何でも分かってます、って顔が好きじゃない。だから……「ごめんなさい、その日は予定が入ってるの。私にどうしても迎えに来て欲しいって、うるさい人がいて」「……へえ、それじゃあ仕方ないね」 そういう鷹尾さんの顔は引きつっている。 隣にいる梨ヶ瀬さんの纏うオーラが、一気に妖しいものへと変わったからだろう。さわやかな笑顔を浮かべていても付き合いが深くなると分かる、梨ヶ瀬さんの不機嫌。「そのうるさい人って女性、それとも男性?」「男性ですよ、結構カッコいい感じの」 そう返せば眉をピクリと跳ね上げる梨ヶ瀬さん、分かりやすい反応ですね。この前の遊園地の一件以来、彼は私にに対する嫉妬を隠すのは止めたらしい。 でも、それっておかしいですよね? 私達は上司と部下の関係でしかないはずなんですから。「ふうん、気を付けてね?」「ええ、ありがとうございます」 梨ヶ瀬さんはそれきり黙り込んで、私とは目も合わせようとはしなかった。 少しやり過ぎたのかもしれない。「遅い、ちゃんと時間は教えておいたのに」「私は時間の通りに来ました! ウロウロしてどこにいるか連絡がつかない、伊藤さんが悪いんです」 なんだかんだと文句を言いながら私と伊藤さんはそのままタクシーに乗り込む。荷物もあるし先に一度ホテルにチェックインしたいという伊藤さんの言う事を聞いた。 駅前のビジネスホテル、私はロビーで待たせてもらい伊藤さんはチェックインを済ませて戻ってくる。さっきまでスーツ姿だったが、私服姿の伊藤さんは結構お洒落でカッコよく見える。「意外ですね、伊藤さんってそうしてればイケメンなんだ」「意外は余計だろ、俺だってそれなりにモテてるんだからな?」 私が揶揄えば、伊藤さんはそうやって軽口で返してくる。 なんとなくそんな関係が悪くないと思ってしまうなんて、紗綾《さや》や御堂《みどう》さんに言ったら怒られるだろうか? 
last updateLast Updated : 2025-11-03
Read more

教えない、その願い 3

「私からすれば伊藤《いとう》さんは恋愛対象じゃないので、正直な所どうでもいいです」「ハッキリ言うよな、あんたは。じゃあ、新しい課長みたいなのが好みなのか?」 そう言われた瞬間、梨ヶ瀬《なしがせ》さんの顔を思い浮かべて吹き出しそうになる。なんでそうなるのよ、という気持ちで伊籐さんを睨めば彼はにやにやと笑っている。「誰もそんなこと言ってませんし? そんな事に関心があるなんて、もしかして伊藤さんこそ私に興味でもあるんですか?」 ただやられっぱなしでいる気はない、伊藤さんがそう来るのならこっちもそれなりの返事をしてやるわ。私の言葉で伊藤さんがどれだけ嫌な顔をするのか、そんなことを期待してたのに……「さあ、それはあんたの想像に任せようかな。麗奈《れな》が新しい課長に興味が無いのなら、俺にもチャンスはあるのかもしれないし?」「ちょ、勝手に呼び捨てにしないで! それに……思ってもいないでしょ、そんな事」 伊藤さんの思わせぶりな言葉に、私の方が焦らなければならなくなる。こんな時に名前で呼ぶなんて、この人もかなり狡い男なのかもしれない。 それでも私は伊藤さんがまだ紗綾《さや》の事を引きずっていると思ってたから、冗談だと分かってるつもりだった。「どうだろな、案外俺は切り替えの早いタイプかもしれないし。失恋を癒すのは次の恋を見つけることだって、よく言うだろう?」 ああ言えばこう言う、紗綾はこの男のどこが良かったのかしら。 彼女が御堂《みどう》さんと想い合えて、本当に良かったと思う。まだこうして、紗綾に未練を残したままの伊藤さんには悪いけれど!「伊藤さんのそんな揶揄いを本気にとるほど、可愛い女のつもりはありません。私を玩具にしようなんて、十年は早いですよ?」「は、あんたのそういうとこ俺は嫌いじゃないんだけどな?」 そういう回りくどい言い方をするの、ちょっと面倒臭い。自分は好きか嫌いかがはっきりしているせいか、伊藤さんが本気じゃないことくらいすぐ分かる。 もちろん私だって彼に恋愛感情なんて全くないし、これから先も私たちがどうにかなるなんてことは無いと思う。 でもそれは私と伊藤さんにしか分からない事、それを忘れてたのが問題だった。「ほら、あそこですよ。魚が美味しいお店、ちゃんと調べたんだから感謝してくださいよ?」 話題を変えるように店を指して、マイペースに
last updateLast Updated : 2025-11-05
Read more

教えない、その願い 4

 後ろから聞き慣れた女性の声、私はその場でピタリと足を止めた。もしかして、これって私のとってあまり良くない展開になる感じかもしれない。 今日、鷹尾《たかお》さんは眞杉《ますぎ》さんと飲みに行くと言った。そう確か、梨ヶ瀬《なしがせ》さんも一緒に。「おい、もしかしてあんたの知り合いか?」 こんな時に全くというほど空気を読めないのは何故ですか、伊藤《いとう》さん。後ろを振り向いて私の方をなれなれしく叩く伊藤さんにムカつきながらも、私はまだ声の主を確認する勇気が出なかった。「あ、本当だ。横井《よこい》さんだよね、こんなところで何してるの?」 鷹尾さんもそういうタイプですよね、分かってます。でもここに鷹尾さんがいるということはやっぱり……「偶然だね、横井さん。で、その人が例の彼なんだ?」 ほーら、やっぱりいた。それも凄くさわやかな笑顔で私達を見ているはずなのに、その視線は刺さるように痛い。「こんばんは、本当に偶然ですね……」 すごく嫌な偶然に、自分の運の無さを恨みたくなる。昼間言いたいことを言ってしまった所為か余計に気まずくて、一秒でも早くここから立ち去りたかった。 それなのに……「横井さんのお友達ですか? もし良かったら、これから俺達と一緒に飲みません?」 そんな余計な事を言い出す、空気を読まない鷹尾さんをどっかに連れて行って欲しい。その隣にいる眞杉さんは何かを察したのか、青い顔でオロオロしている。 そして一番の問題である梨ヶ瀬さんは、何を考えているのか全く読めない笑みだけ浮かべて私を見ている。こんな状況で楽しく飲めるわけがない、さっさと断ろうと思ってたのにそれを邪魔する人物の存在を忘れていた。「それはいいですね、俺もぜひご一緒させてもらおうかな? なんだか、もの凄く楽しいことになりそうだし?」 私の隣にいるのもどうやら悪魔だったらしく、それはもう嬉々とした様子で勝手に話しを進めだす。そうだった、伊藤さんも性格がメチャクチャ悪かったんだ。 きっと伊藤さんはここにいる梨ヶ瀬さんが、私がいつも悪口
last updateLast Updated : 2025-11-05
Read more

教えない、その願い 5

「カンパーイ」 ビールのジョッキを軽くあてて、カオスな飲み会が始まった。 奥の座席に、眞杉《ますぎ》さんと鷹尾《たかお》さんが並んで座っている。つまり私の左隣に梨ヶ瀬《なしがせ》さんで、右隣りは伊藤《いとう》さん。 どこかに逃げたくても、挟まれていて逃げようがない。「へえ。じゃあ梨ヶ瀬さんは、あの御堂《みどう》さんの代わりに本社から? よく恋人に反対されませんでしたね」「まさか、恋人なんていなかったよ。仕事ばっかりで、休日は寝てばかりだったし」 私を挟んで会話を弾ませる二人。どちらも微妙に棘が含まれているように聞こえるのは、きっと気のせいじゃない。 よりにもよって、最悪な二人が出会ってしまったんじゃないかと思う。 十分スペースは空いているのに、私にぴったりとくっつく二人に心底うんざりする。少なくとも伊藤さんは、梨ヶ瀬さんの反応を楽しんでいるだけのはずだ。「そんな、嘘でしょう? そのルックスで、モテないなんてありえない。女性が放っておかないから、絶対困らないはずですよね」 ……二股かけて紗綾《さや》にフラれた、そんな伊藤さんと一緒にしないでくれません? 少なくとも梨ヶ瀬さんはそのあたりの事はきちっとしてて、笑顔を見せながらちゃんと距離を取っている。 って! なんで私が、梨ヶ瀬さんの事でムカつかなくちゃいけないの?「うーん、でもね。俺はけっこう好みにうるさくて、タイプの女性になかなか出会えなかったんだ」 ……へえ、そうですか。 なんで私をじっと見つめるんですかとか、いちいち聞いてあげませんからね?「梨ヶ瀬さんの理想は高そうですね。そこらの女の子じゃ、とても相手にされないんじゃないかな? 俺はどちらかというとちょっと気の強い普通っぽい子が良いかな、麗奈《れな》みたいに」 そう言って私を抱き寄せようとする、伊藤さんだったが。みんなに見えないような角度で、彼にエルボーをかまして黙らせる。 普通っぽい女ですみませんね、どうせ私じゃあ梨ヶ瀬さんには不釣り合いですよ。 でも伊藤さんの言いたいことは分かってる。 生半可な気持ちで梨ヶ瀬さんのアプローチに応えれば、傷付くのは私になるんでしょうから。「そうかな? 横井《よこい》さんの本当の魅力が分からない伊籐さんには、彼女は勿体ないと思うよ。横井さんが普通っぽく見えるなんて、伊藤さんは眼球を取り
last updateLast Updated : 2025-11-06
Read more

教えない、その願い 6

「うん……なにが?」 そう言ってニコリと微笑むのはいつもと同じように見えるのだけど、なんだかちょっと違う。少し、ほんの少しだけ可愛い様な気がしたの。「あ!? もしかして優磨《ゆうま》のやつ飲み過ぎてる? そいつ、ジョッキ三杯が限界なんだよ」「ええ、本当ですか!?」 鷹尾《たかお》さんにそう言われて、私はもう一度梨ヶ瀬さんをみる。確かに、何だか笑顔がほわほわしているような……?「あの、梨ヶ瀬《なしがせ》さん……?」「なに、横井《よこい》さん?」 ふわっとした笑顔で、私を嬉しそうに見つめる梨ヶ瀬さん。ちょっと胸がうるさい気もするが、それは置いておいて。 うん、この人は間違いなく酔ってるわ。 妙に伊藤《いとう》さんに攻撃的なのも納得出来たけど、これはどうしたらいいのだろう?「酔っぱらってんの、梨ヶ瀬さん? まあ、結構ピッチ早かったからなあ」「何吞気な事言ってるんですか、伊藤さんの所為でもあるんですよ?」 私の横から身を乗り出して梨ヶ瀬さんを覗く伊藤さんに、私の方がイラっとする。余計な事ばかり言って彼の飲むペースを狂わせたのは、間違いなく伊藤さんのはずだから。 それにしても、梨ヶ瀬さんがそんなことで飲み過ぎるなんて……「鷹尾さん、梨ヶ瀬さんはこういう時どうすれば……」「ああ、多分寝ちゃうだろうからなあ。それじゃあ俺が、そこら辺のホテルにでも連れて行こうか?」 明日は休みだしそれでもいいかもしれないけれど、私は梨ヶ瀬さんのマンションの場所を知っている。 それに鷹尾さんにはきちんと眞杉《ますぎ》さんを送って行って欲しいし。 そう悩んでいると……「そんなの、麗奈《れな》が送って行けばいいだろ? 梨ヶ瀬さんの免許証でも確認すれば、タクシーで連れて行けるだろうし」「伊藤さん? でも、それじゃあ……」 彼は紗綾《さや》に渡したいものがあると言っていた。今この状態で梨ヶ瀬さんを送って行った場合、それはどうするつもりなんだろう?「俺は一週間はあのホテ
last updateLast Updated : 2025-11-06
Read more

教えない、その願い 7

「梨ヶ瀬《なしがせ》さん、私の事分かりますか? 今からマンションまで送っていきますからね」「んん~? 横井《よこい》さんでしょ、ちゃんと分ってるよ」 分かっていると言うわりにはぽわぽわとした喋り方、いつもの彼からは考えられない可愛さだ。 どこからともなくやってくる『キュン』をタクシーの窓から外に放り投げて、私は梨ヶ瀬さんを睨んで問いかける。「どうしてこんなになるまで飲んだんですか? 自分でジョッキ三杯しか飲めないって、ちゃんと分かってるんでしょう?」「……だって、それは横井さんが」「それは、何なんです?」 珍しく口籠る梨ヶ瀬さんの言葉の続きが気になって、先を早く言えとばかりに顔を寄せた。 私のその行動に梨ヶ瀬さんの方が驚いたのか、彼は背中を逸らして私から距離を取る。 ……なんなの? いつもは近寄るなって言っても、勝手にベタベタ触ってくるくせに。「横井さんが俺の目の前で、伊藤《いとう》さんとイチャイチャするから。そうやって俺に見せつけて、嫉妬させて楽しいの?」「……嫉妬? 梨ヶ瀬さんが伊藤さんに?」 あの人が私に本当は興味ないことぐらい梨ヶ瀬さんにはわかるはずなのに、どうして嫉妬なんてするの? 飲めないお酒を飲んでこうなるのは分かってたはずなのに、そんなことでムキになっちゃうなんて。 ……どうしよう、なんだか梨ヶ瀬さんがすごく可愛い。 普段の梨ヶ瀬さんのアプローチなら、適当にあしらえる自信があった。それなのにこんな弱いとこを見せられると、どうしようもなく自分が何とかしてあげたくなってしまう。 この性格が災いして、私はいつも付き合っている相手をダメな男にしてしまうのに。 こんな理由で、梨ヶ瀬さんの好意に応えることが出来ないでいる。この事を知ったらきっと彼は笑うだろうけれど、私はもう好きな人をダメンズにはしたくない。「横井さんはいつもそう、俺をみっともなく慌てさせてそれを楽しんでる」「楽しんでなんか……っ!」 まさか梨ヶ瀬さんがそんな風に考えていたなんて、思いもしなかった。いつも余裕ばかり見せて、私を振り回してるのは彼の方なのに。 いつ慌ててみっともない姿なんて見せてくれました? これが最初じゃないですか、そう文句を言ってやりたいのに……「本当に意地悪だ、麗奈《れな》は」 意地悪も狡いのも全部梨ヶ瀬さんの方なのに、そんな
last updateLast Updated : 2025-11-07
Read more

教えない、その願い 8

「梨ヶ瀬《なしがせ》さん、さっきから分かっててやってるでしょう?」「ん、何が?」 何がじゃない、絶対こんなに素直に私を相手にして弱音を吐くとは思えないもの。私の弱点を見事に突かれてしまって、少しだけムカついてもいる。 それなのに……そんな事がどうでも良くなるくらいには、梨ヶ瀬さんに気持ちを持っていかれてしまっているみたいだ。「逃げられなくなったら、本当にどうしてくれるんですか?」「最初から逃がす気なんて無いから、早く諦めればいいのに」「……それでもお断りです」 でも、この気持ちに素直になるのはもう少し先でいい。今はまだこの二人の距離で。「ほら、着きましたよ。さっさと降りて部屋に帰って寝てください」 マンションの入り口にタクシーを止め、梨ヶ瀬さんを降ろそうとするのに彼はなかなか動こうとしない。まだ酔いがさめないのか、随分眠そうな顔で目を擦っている。 ああもう、そんな姿が可愛いと思ってしまうのが心底悔しい。「部屋まで連れて行ってはくれないの?」 酔っぱらってるからって、気軽に甘えるのは止めて欲しい。せっかくここで梨ヶ瀬さんと離れて頭を冷やそうと思ってるのに、そうさせてくれない気なのか。 もう少しくらい一緒に居てもいいじゃないかと、私の中で悪魔が囁いてくる。 そんな事をして引き返せなくなるのは私の方なのに、揺れる心が怨めしい。「そこまでしてあげる必要ありますか? 面倒だし、タクシーの料金上がるから嫌ですよ」「……そんなの俺が払うから。お願い、ついて来て?」 そう言って財布から御札を取り出してドライバーに渡してしまう梨ヶ瀬さん、本当に狡いんだから。諦めて私がタクシーを降りると、彼はドライバーに何か声をかけている。 私と梨ヶ瀬さんが車から離れると同時に、タクシーはドアを閉めてそのまま走り去っていってしまう。「……やっぱり騙しましたね?」 酔っぱらっていても、やはり梨ヶ瀬さんは梨ヶ瀬さんだと理解した瞬間だった。「ほら、ちゃんと歩いてください! 本当
last updateLast Updated : 2025-11-07
Read more
PREV
1
...
7891011
...
13
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status