All Chapters of 縁が結ぶ影 〜神解きの標〜: Chapter 21 - Chapter 30

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第二十一話:消えた同級生

次の日。昨日の出来事が嘘だったかのように、学校という空間はいつも通りの喧騒に満ちていた。廊下を駆け抜けていく足音、教室のあちこちで生まれては弾ける笑い声、窓から差し込む気だるい午前の光。その、ありふれた日常の空気を切り裂いたのは、ホームルームの開始を告げるチャイムと、教室に入ってきた担任の、異様に強張った表情だった。白髪の混じる頭を深々と下げ、重い口を開く。その声には、普段の張りが一切なかった。「……皆に、知らせなければならないことがある」教室のざわめきが、すっと潮が引くように消えていく。生徒たちの視線が、教壇に立つ担任の一挙手一投足に突き刺さった。「昨日から……同じクラスの、雪峰葵さんと、連絡が取れなくなっている」一瞬の沈黙。次いで、空気が爆発したかのように、質問の声が飛び交った。「それって、行方不明ってことですか!?」「警察には!?」「昨日、あの子、どうしてたんですか!?」担任は、押し寄せる不安の波を押し留めるように両手を静かに下げ、全ての問いに、言葉を選びながら丁寧に答えていく。警察には家族から今朝連絡を入れたこと。昨日、特に変わった様子はなかったこと。俺の隣の席では、穂乃果が、信じられない、とでも言うように、両手で口元を固く押さえていた。その瞳が、恐怖に揺れている。(またか……)俺は、奥歯を強く噛み締めた。この町で人が消える。その言葉が意味するものを、俺は、俺たちは、嫌というほど知っている。その時だった。教室の誰かが、ぽつりと呟く声が聞こえた。「また……神鳴山かな……」それは、特定の誰かに向けた言葉ではなかった。しかし、その一言は、教室に満ちていた全ての熱を奪い去るには、十分すぎた。あれほど騒がしかった生徒たちは、誰一人として、もう何も言わなかった。俯く者、窓の外へ視線を逸らす者。まるで、その名を口にすることすら禁忌であるかのように、教室は墓場のような沈黙に支配された。無理もない。この神鳴町に住む人間にとって、あの山の名前は、それほどまでに重い。神鳴山。かつては信仰の対象だったその山を、町の住人は、畏怖と恐怖を込めて、今はこう呼ぶ。――人喰い山、と。***昼休み前の、短い休み時間。次の授業の準備をする生徒たちの喧騒の中、俺は一人、自分の席から穂乃果の姿を目で追っていた。彼女は窓の外を眺めたまま、ぴく
last updateLast Updated : 2025-10-19
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第二十二話:すれ違う心

「昨日……何か、あったのか?」 俺の問いかけに、穂乃果の肩が小さく揺れた。腕の中の子ウサギを抱きしめたまま、その顔は深く俯いてしまう。長いまつ毛が、影を落としていた。 俺は、それ以上の言葉をかけなかった。 ただ、隣で静かに待った。 飼育小屋の穏やかな空気の中、ウサギたちが餌を食む音だけが聞こえる。数分が、まるで数時間のように感じられた。 やがて、穂乃果が、絞り出すような声で口を開いた。 「実はさ……智哉くんの事で…昨日、葵と、喧嘩しちゃって……」 「なに? 智哉のことで?」 思わぬ名前に、俺は聞き返した。穂乃果は、こくりと小さく頷く。そこから先は、堰を切ったように、震える声で言葉を紡ぎ始めた。 「葵ね、智哉くんのことが、好きだったの…。それで、私と智哉くんが、すごく仲良くしてるから…二人はお互いに好きなんだって、不安になっちゃって…」 「だから、私は言ったんだ。そんなことないよって。私には……輝流がいるから。智哉くんのことは、友達として大好きだけど、そういう意味じゃないんだって…」 そこまで言って、穂乃果はぎゅっと唇を噛んだ。 「そしたら、葵が、すごく怒っちゃって…。『穂乃果は輝流のことが好きでも、智哉くんの気持ちは?』って…。『智哉くんの気持ちを軽んじてるんじゃないの?』って……」 詰め寄られた時の恐怖が蘇ったのか、穂乃果の声がひどく掠れていた。 「私、何も言い返せなくて…。怖くて、ただ、ごめんねって謝ることしかできなくて…。そしたら葵、もっと腹を立てて…私のせいだって言って、神鳴山の方へ、走って行っちゃったの…」 「私……止められなかった…!」 最後は、悲鳴のような声だった。 自分のせいだ、と。穂乃果の全身が、そう叫んでいるようだった。 俺は、彼女が吐き出した痛みを全て受け止めてから、空になった肺を満たすように、一つ、大きなため息をついた。 その数秒後、そっと手を伸ばし、震える穂乃果の頭を、優しく撫でた。 「……そうか」 普段の明るさとは裏腹に、穂乃果は昔から、心がガラス細工みたいに弱い所があった。 今回の件だって、穂乃果に悪い所なんて、一つもない。 (かと言って、葵が悪い訳でもないんだろう……) 恋とは、人を鈍感にもするし、過敏にもする。ほんの些細なことで、世界が輝いて見えたり、絶望の淵に沈んだりする。 そ
last updateLast Updated : 2025-10-20
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第二十三話:不自然な矛盾

神鳴山の麓に立つ鳥居は、夜の闇の中だと、世界の入り口というよりは、冥界への入り口のようだった。昼間とは全く違う、生命を拒絶するような濃密な気配。俺は町の灯りを背に、躊躇なくその鳥居をくぐった。 空気が、変わった。 鳥居の内と外で、明確に何かの境界線が引かれている。あれほど騒がしかった虫の声が完全に消え、支配的なまでの静寂が耳を圧迫する。聞こえるのは、砂利を踏みしめる自分の足音だけ。目的の遂行を妨げる、不快な静けさだった。 「……雪峰っ!」 手にしたライトで暗闇を切り裂きながら、俺は叫んだ。 「雪峰! いるなら返事をしろ!」 俺の声は、幾重にも重なる木々に吸い込まれ、何の反響もなく消えていく。まるで、この山自体が、俺という異物を黙殺しているかのようだった。 (穂乃果の、あの顔を思い出せ) 思考をクリアにする。感傷や憶測は、探索の邪魔になるだけだ。やるべきことは一つ。雪峰葵を見つけ出し、穂乃果の元へ帰す。それだけだ。 獣道とも呼べないような踏み跡を頼りに、山の中腹を目指す。ライトの光が、奇怪な形にねじくれた木々の幹や、濡れて光る苔むした岩を無感情に照らし出す。風が木々を揺らす音ですら、この山では何か意図を持ったノイズのように感じられた。 その時だった。 バキッ、とすぐ近くの茂みで、乾いた枝が折れる音がした。 「……っ」 俺は即座に動きを止め、音のした方へライトを向けた。思考は冷静だった。小動物か、あるいは、この山の「何か」か。光の円が闇の中を滑り、音の発生源を正確に捉えようとする。だが、そこには風に揺れる下草があるだけ。 (……見られている) それは、勘や恐怖といった曖昧な感覚ではなかった。複数の明確な「意識」が、俺の一挙手一投足を観察している。冷徹な事実として、それを認識した。だが、それがどうした。姿を見せない相手に構っている時間はない。 俺は一度立ち止まり、意識を聴覚に集中させる。手掛かりになるような音は……。 ―――……さぁ……………。 微かに、水の流れる音が聞こえる。 川だ。この山の東側には、麓へと続く沢がある。道に迷った人間が、沢沿いに下りようとするのは定石だ。 俺は、その音を頼りに、道なき道へと足を踏み入れた。急な斜面を、木の幹に掴まりながら、最短距離で下っていく。次第に、水の音は大きくなり、空気もひときわ冷たくな
last updateLast Updated : 2025-10-21
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第二十四話:山姥

山の禁忌が孕む、論理的ではない矛盾。 そんな思考に意識を沈めたまま、俺は神域のさらに奥深くへと足を進めていた。霧は濃くなり、ライトの光さえも、数メートル先にはもう届かない。 その、光の輪の境界線に、ふと、何かが映り込んだ。 白く、細長い「何か」。 俺が足を止めると、それは、ゆらり、と柳のように揺れた。人間…? ライトの焦点を絞る。 照らし出されたのは、見慣れた制服の背中だった。間違いない。 「……雪峰…!」 雪峰葵が、そこにいた。 まるで、最初からそこに根を張っていたかのように、ただ、うなだれて立っている。その身体は、振り子のように、ゆらゆらと左右へ意味もなく揺れ続けていた。 俺は彼女の元へ駆け寄り、その華奢な肩を掴んで強く揺さぶった。 「おい! 雪峰! 大丈夫か!?」 呼びかけに、反応はない。俺は彼女の正面に回り込み、ライトで顔を照らした。 そして、その光景に、強烈な違和感を覚えた。 彼女の瞳は、どこにも焦点を結んでいなかった。ただ虚空を見つめ、半開きの口からは、一筋、だらしなく涎が垂れている。生きている人間の、それではない。魂が抜き取られた、ただの人形のようだった。 (……おかしい) 思考している暇はない。ともかく、連れ帰るのが先決だ。 俺は背負っていたリュックを一度下ろして邪魔にならないように身体の前に回し、雪峰の身体を背負い上げた。ずしり、と。見た目よりも遥かに重く感じられる。 「……っ」 彼女を見つけたのなら、長居は無用だ。 そう判断し、俺は来た道を引き返し始めた。もうすぐ、あの渡瀬川にたどり着く。 その時だった。 背後から、岩石で殴りつけられたかのような、凄まじい衝撃。 「うっ……!!」 俺の身体は、数メートル先まで、いとも容易く吹き飛ばされた。受け身も取れず、地面に叩きつけられる。 何が起きたのか理解できないまま、ばっと起き上がり、背負っていたはずの雪峰の方を見つめた。 雪峰が、そこに、独りで、立っていた。 さっきまでの虚ろな人形のような姿ではない。その瞳は、明確な殺意に濁り、俺という獲物を、はっきりと捉えていた。 「お、おい! 雪峰、どうした!?」 俺の問いかけへの答えは、絶叫だった。 「ァ"ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”ァ”!!!」
last updateLast Updated : 2025-10-22
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第二十五話:渡瀬川の朝

次の日。 学校に充満していたのは、昨日までの比ではない、鉛のような重い空気だった。誰もが口を閉ざし、何かが起こるのを、あるいは、何も起こらないでくれと祈るように、ただ息を潜めていた。 そして、ホームルームの時間。教壇に立った担任の顔は、死人のように青白かった。 「……皆に、伝えなければならない事が、ある」 絞り出すような声が、震えている。 「昨日から行方不明だった、雪峰葵さんが……今朝、渡瀬川の下流で、発見された……」 発見、という言葉に、クラスが凍り付く。 「遺体、で、発見された」 担任は、そこまで言うと、一度言葉を切り、何かを堪えるように強く唇を噛んだ。 「……その、発見された時の状態が……」 担任は、そこから先を、どうしても言葉に出来なかった。顔を覆い、ただ、嗚咽を漏らす。 だが、その絶望的な沈黙だけで、俺には全てが分かってしまった。昨夜、雪峰の身に何が起きたのか。あの山が、彼女の身体をどうしたのか。 俺は、なにもできなかった。 守ることも、助けることも、間に合うことすら、できなかった。 腹の底から、どうしようもない喪失感がせり上がってくる。そして、それはすぐに、出口を見つけられないまま、どす黒い怒りへと変わっていった。 だが、それよりも。 俺は、隣の席に座る穂乃果の顔を、見ることができなかった。 彼女の息を呑む気配、小さく震える肩を、ただ視界の端で感じるだけ。 怖い、という感情ではない。だが、これは、限りなくそれに近い。大切な人間が、自分の一言で、その希望が、絶望へと変わる瞬間を目の当たりにする事への、どうしようもないためらい。俺の心が、穂乃果の顔を見ることを、強く拒絶していた。 思考が、現実から逃避するように、昨夜の出来事を反芻し始める。 あの老婆は、一体なんだったんだ? 血のように赤い肌、腐り落ちたかのような肉。強烈な腐敗臭。 まるで、怪談噺に出てくる『山姥』そのものだった。 そして、脳に直接響いた、あの憎悪。 ―――許さない。 アレは……一体、何に、誰に、あれほどの憎悪を向けているんだ? 答えの見つからない問いだけが、次から次へと頭の中に浮かんでくる。 そんな思考の渦の中で、その日一日の学校生活は、何の味もしないまま終わっていった。 *** 放課後。ほとんどの生徒が帰宅し、夕日が差し込む教室
last updateLast Updated : 2025-10-23
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第二十六話:良くない風習

その日の夜。 食卓には、久しぶりに親子三人が揃っていた。湯気の立つ味噌汁、焼き魚、白いご飯。いつもと変わらないはずの夕食。 だが、俺には、その味が全くしなかった。 箸を持つ手は、まるで鉛のように重い。 目を閉じれば、今も脳裏に焼き付いて離れない。闇の中、抗うこともできず、得体の知れない強い力に引き摺られていく葵の姿が。 「……輝流、大丈夫か?」 俺の様子を見兼ねた親父が、箸を止めて声をかけてきた。 「……ああ」 俺は、生返事を返すので精一杯だった。 「聞いたわよ、輝流…。あなたのクラスの子が……」 今度は、おふくろが、痛ましげな、優しい声でそう言った。その言葉が、鈍器のように俺の胸を抉る。 「……っ」 言葉に詰まる。何と返せばいいのか、分からなかった。 親父が、俺たちの間の重い空気を断ち切るように、続けた。 「辛いかもしれんが……何かあった時は、ちゃんと言うんだぞ。一人で抱え込むな」 その言葉に、俺はただ、小さく頷いた。 そして、ずっと頭の中で渦巻いていた、あの疑問を口にした。 「……なぁ、親父」 「ん?」 「歴史の本とかには載ってないんだけどさ、神鳴山あるだろ? なんで、あれは『禁忌』って言われてるのに、誰でも入れるようになってるんだ?」 その言葉を境に、食卓の空気が、ぴたりと凍り付いた。おふくろが、心配そうに親父の顔を見ている。 親父は、気まずそうに一度視線を泳がせた。 「……俺も、詳しい事は知らんのだ。なんせ、俺の実家は隣の風穂県だからな……」 「そう……だったな」 親父がバツの悪そうな顔をする。だが、次の瞬間、声を潜めて口を開いた。 「だが……少しだけ、噂を聞いた事がある」 「噂?」 「ああ。ここ、霞沢県の神鳴山には、酷く荒れた神がいた、と。その神を鎮めるためか、あるいは、その神を利用するためか……とにかく、何か、良くない風習があったらしい」 「良くない風習……それって、なんなんだ?」 俺が食い気味に尋ねると、親父は首を横に振った。 「俺も、この県に住んでる人間からすりゃ部外者だ。そこまでは、誰も教えてはくれんかった」 親父は、そこで一度言葉を切ると、さらに声を低くした。 「だけどな……どうも、その話はあまり語られないように、この町が率先して動いている、という話だ」 その衝撃的な言葉が、俺
last updateLast Updated : 2025-10-24
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第二十七話:和正との面会

週の始まり、月曜日の朝。 教室に足を踏み入れた俺は、すぐに異変に気づいた。 俺の隣、いつも当たり前のようにそこにあった笑顔がない。がらんとした空席だけが、朝日を浴びている。 穂乃果が、学校に来ていなかった。 ここ数日、あまりにも多くの事が起きすぎた。葵の死、神鳴山の闇、そして、絶望に沈む穂乃果の顔。それらが、じわじわと俺の心を蝕んでいたらしい。 (あいつ……大丈夫か…?) らしくもなく、胸の内で心配が膨れ上がっていく。 (……しっかりしろ。こんなのは、俺らしくない) 俺は、心の中で自らに喝を入れた。 そこに、教室の扉が勢いよく開き、智哉が駆け込んできた。 「おっすー! おはよう!」 その声は、この重苦しい空気を吹き飛ばすかのように、底抜けに明るい。 「……朝から元気だな、お前は」 「おうよ! やっぱり、いろいろな事が起きてるからな……。せめて俺が、皆を励ませるくらいにならねぇと!」 そう言って、智哉はニカッと笑った。 その屈託のない笑顔を見て、俺の胸が、ちくりと痛んだ。 (雪峰は……そんなお前だから、きっと、好きになったんだろうな……) そのまっすぐさを、葵は、どんな想いで見ていたのだろう。 急に、智哉に対して、言いようのない申し訳なさが膨らんでいくのを感じ、俺は慌ててその考えを振り払った。 「なぁ輝流、明日の葵の葬式、出るよな?」 智哉が、真面目な顔で尋ねてくる。 「ああ。クラスメイトだから、もちろん出る」 「じゃあさ、明日、葬式に行く前に、俺ん家(ち)寄ってくれよ」 「別にいいけど、なんでだよ?」 「百貌様について、知りたがってたろ?」 その言葉に、はっとする。そうだ。雪峰の件ですっかり飛んでいたが、そもそも、俺たちの目的はそこから始まっていた。 「ああ……そういえば、そうだったな」 「じゃあ明日、とりあえずいつもより早めに玄関開けとくからよ。勝手に俺の部屋上がってきてくれ」 「おう、わかった」 *** そして、次の日の朝。 雪峰の葬式当日。 俺は、約束通りにいつもより早く家を出て、智哉の家の前に立っていた。 「お邪魔します」 誰に言うでもなく呟き、玄関の引き戸を開ける。ふわりと、この寺特有の、心が落ち着くような、それでいて少しだけ物悲しい線香の匂いが鼻腔をくすぐった。 ギシ、ギシ、と鳴る廊
last updateLast Updated : 2025-10-25
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第二十八話:神の所有物

「ど、どうしてそれを……」 俺の口から、やっとのことで絞り出されたのは、そんな間抜けな質問だった。 和正さんは、その落ち着いた表情を崩さないまま、静かに説明を始めた。 「君から流れている気配が、普通の人とは違うんだよ。なんて言うのかな…私たち人間には『気』と呼ばれるものが存在していてね。なんとなくではあるが、視える人と視えない人とでは、その雰囲気が違うことが分かるんだ」 和正さんは、そこで一度言葉を切り、ふっと息をついた。 「まぁ……それは本当なんだが、一番の理由は、私の知り合いがね、君と穂乃果ちゃんにこれから起きるであろう出来事を、予測して話してくれたからなんだ」 知り合い…? 俺の頭の中に、疑問符が浮かび上がる。 「ほら、前にさ、秋崎さん? の家の前にいた、男女の二人組が声を掛けてきただろ?」 隣にいた智哉の言葉に、俺ははっとした。 「ああ…! あの不思議な人たちか」 「ふふ、そうそう。櫻井悠斗さんと櫻井美琴さんというご夫婦でね。あのお二人は、特異な御方なんだ。私らなんかとは比べ物にならんくらいの、本物の霊能力者だよ」 その言葉に、すとん、と胸の内で何かが繋がった。 「なるほど……失礼かもしれませんが、何となく、わかりました」 そうか。だからあの二人は、在ったはずの家が消え、無かったはずの家が在ったことに、何の動揺も見せなかったのか。あれは、彼らにとっての日常だったんだ。 「その悠斗さんからの伝言なんだが……驚かないで、聞いてくれるかい?」 和正さんの声が、一段と低くなる。 「はい」 俺は頷いた。今更、何を驚けというのか。この数週間で、これ以上ないほどの異常を、この目で見てきたつもりだ。 「君は、呪われてしまっている」 その言葉を、俺の脳が、意味のある文章として理解するのに、十秒ほどかかってしまった。 「ちょ、ちょっと待ってくれよ!父ちゃん!」 俺より先に、智哉が声を荒らげた。 「輝流が呪われてるって、どういう事だよ!?」 「悠斗さんが言うには、『輝流君からは、強力な呪いの気配がした』と。……それで、輝流君。これも、隠さずに話して欲しい」 和正さんが、俺の目をまっすぐに射抜く。 「君は……涙型の、黒い石を知っているかい?」 今も、右のポケットに入っている、あの石。 「……はい。今も、持ってます」 俺は、
last updateLast Updated : 2025-10-26
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第二十九話:変わり果てたクラスメイト

「秋崎さんたちの命を奪ったのも……百貌様……」 俺は、和正さんの言葉を、ただ繰り返すことしかできなかった。 「そうだ。百貌様を見たもの、選ばれたものは、例外なく死ぬ」 その言葉が、俺の記憶の引き金を引いた。踏切で、絶望に濡れた瞳で俺を見ていた、秋崎叶さんの姿。彼女が遺した、悲痛な叫び。 『なんで……私が……』 あの言葉の意味が、今、ようやく分かった。 叶さんは、自ら望んで踏切に飛び込んだんじゃない。百貌様という悪神に唆され……あるいは、抗えぬ力で、自殺させられたんだ。 その、あまりにも理不尽な答えを知った瞬間、俺の頭を埋め尽くしたのは、一人の少女の顔だった。 「っ……穂乃果……!」 そうだ、穂乃果も、選ばれてしまった。 俺の焦りを読み取ったように、和正さんが重い口を開く。 「……悠斗さん曰く、そのうち穂乃果ちゃんにも、死んだものたちが見えるようになるはずだ、と。そこから、一年間が、巫女としての刻限だそうだ」 「……止めるには、どうすれば?」 「すまない……それは、まだ私にも分からんのだ。だが、必ず悠斗さんと美琴さんが、君たちを助ける手立てを見つけてくれるはずだ。なんといっても、彼らは『結び屋』という、その世界ではかなり有名な霊能力者だからね」 『結び屋』。 その言葉に、ほんの少しだけ、俺は胸を撫で下ろした。 だが、それと同時に、腹の底から、新たな決意が湧き上がってくる。 (でも……俺にも、出来ることがあるはずだ。あの人たちに、頼ってばかりではいられない) 「さて、私から話せるのは、これくらいだ。なにせ、百貌様という神については、情報があまりにも少なすぎる」 「そうだ……和正さん、『山坐神(やますわるのかみ)』って、ご存知ですか?」 「山坐神? それはまた、どこで知ったんだい?」 「秋崎さんの家で見つけた、古い手記に」 「なるほど……山坐神、か」 和正さんは、少し考えるように天井を見上げた。 「確か……慈悲深い神だと、言い伝えられていたみたいです」 「ふむ。神鳴山には、もともと人を守る神がいた、とされている。だが、それはあくまで御伽噺だ。私がより信用している古文書には、あの山の神は、もともと酷く荒ぶる神だったと記されている。だから、その山坐神自体が、後世の人間が作り出した、願望の産物……つまり、作り話である可能性も
last updateLast Updated : 2025-10-26
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第三十話:口減らし

『いやぁぁぁぁぁ……いやぁぁぁああぁぁ……!』 (雪峰……!!) 俺は、声にならない叫びを、心の中で上げた。 『なんで……なんでぇ……智哉くん……なんで、私……』 その声は、ひどく不安定で、嗚咽が混じっている。俺だけしかいないはずの空間で、少女のすすり泣く声が反響していた。 (ごめん……ごめん……!!) 唐突すぎる事態に、俺はただ、俯いてそう心の中で唱えることしかできない。 『嫌だ……嫌だよぉ……お父さん……お母さん……なんで、私……死んじゃったのぉ……』 『伝えたい事だって……まだまだいっぱいあったのに……ぃ……』 『なんで……どうしてぇ……』 不意に、声がすぐ側で途切れた。 俺が、はっとして顔を上げる。 そこには、恐ろしい形相をした雪峰が、俺の顔をすぐ目の前で覗き込んでいた。 川の水でぐっしょりと濡れた髪。原型を留めないほど切り離された身体の断面からは、絶えずどす黒い血が滴り落ちている。 そして、その瞳からは、血の涙が、止めどなく流れていた。 『なんで、私が死なないといけなかったの……』 目と目が、合う。 さすがの俺も、この状況には、ひゅっと息を呑んだ。 (雪峰……!) 俺は、覚悟を決めた。 「っ……すみません……ちょっと、御手洗に」 周囲に聞こえないよう、心の中で続ける。 (こっちへ、来てくれ) 俺は、静かに席を立つと、会場を出て御手洗へと向かった。 誰もいないことを確認し、鏡の前に立つと、背後の空間が、すっと揺らぐ。 『浅生君……あなたには、私の姿が見えてるのね……』 「ああ……しっかり見えてるよ」 『……なんで……なんでぇぇぇぇ……っ』 雪峰の霊が、再び感情を爆発させる。 「すまない……雪峰……。俺、雪峰を助けるつもりで……神鳴山へ入ったんだ」 『…………』 「だけど……間に合わなかった…。俺の力が足りなくて、間に合わなかったんだ」 それは、心からの声だった。 本当は、助けたかった。一緒に下山して、智哉と雪峰の、有り得たかもしれない未来を、この目で見たかった。 だけど、現実は……そう甘くはなかった。 『うん……。あなたが私の名前を呼んで、探しに来てくれてたこと、ちゃんと、わかってる……』 「すまない……本当に、すまない……」 あまりの悔しさと、無力感から、俺の瞳から、ぽろりと涙が
last updateLast Updated : 2025-10-27
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