All Chapters of 縁が結ぶ影 〜神解きの標〜: Chapter 31 - Chapter 40

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第三十一話:死後の告白

『そんな……じゃあ……私は……だれを怨めばいいの……』 雪峰の、魂からの叫びだった。 「雪峰…」 その言葉を聞いて、俺は確信した。たとえ、まだ確証はなくとも。 神や霊なんかじゃない。人間こそが、一番恐ろしい。自分たちの都合で、生き物の命を平気で切り捨て、恨みを募らせ、怪異を創り出す。 「雪峰。怨みは、残しちゃダメだ」 俺の直感が、そう強く告げていた。このまま彼女を怨念の塊にしてはいけない……と。 『そんなの……無理だよ……! 私は、死にたくなんて、なかった……!』 当然の反論だった。怨まないと、やっていられないだろう。 でも……だからこそ、俺は、雪峰には怨みを抱いて欲しくなかった。 「きっと……怨みを残すのは、雪峰にとって良くないことだと思うんだ」 俺は、必死に言葉を紡いだ。 「そうじゃないと……きっと……あの世へ、いけない……」 『そんなぁ……じゃあ……じゃあ、私は……どうしたらいいの……』 「自分の未練が何か、わかるか? もちろん、怨み以外でだぞ」 『な、なんだろう……』 「分からないか?」 『う……うん……』 俺は、一度息を吸い、覚悟を決めた。 「雪峰、智哉の事が……好きだったって穂乃果から聞いた」 『えっ…………!!』 葵の霊体が、びくりと大きく揺れる。 「穂乃果は、昔から俺の事が好きでいてくれてるんだ。だから、お前が心配してたみたいに、智哉のことを奪う、だなんて考えは、あいつには一切ない」 『で、で、でも……智哉くんは、好きだから穂乃果ちゃんのそばに居るんじゃないの……?』 「そんなことは無い。あいつは馬鹿だから、何も考えずに絡んでるだけだ」 『あはは……っ、ストレートだね……』 血の涙を流したまま、葵が、ほんの少しだけ笑った。 「だからさ。どういう答えが返ってくるかは、分からないけど」 俺は、彼女の目をまっすぐに見つめた。 「智哉に、雪峰の気持ちを、伝えよう」 それは、智哉にとっても、雪峰にとっても、ある意味で新たな未練を残すことになるかもしれない。 でも、俺の中では、もう答えは固まっていた。 『で、で、でも……! 私、死んじゃってるし……!』 「死んだから、想いを伝えちゃいけないのか?」 俺は、強く言った。 「そんなルール、どこにもないだろ。雪峰、今は、自分がどうしたら『成仏』出
last updateLast Updated : 2025-10-27
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第三十二話:解き放たれた未練

「さぁ、雪峰。覚悟を決めろ」 俺は、隣にいるはずの、見えない友人に、そう囁いた。 「まずは……穂乃果との会話からだな」 「えっ……」 穂乃果が、緊張した面持ちで、俺の隣……何もないはずの空間を、恐る恐る見つめた。 「そこに……葵が、いるの……?」 『うん……ここに……いるよ……』 葵の、か細い声が響く。 「うん、ここにいるって」 「輝流が言うの……すごく違和感あるけど……。……葵、私……葵の気持ち、分かってあげられなくて……ごめんなさい」 穂乃果が、深く頭を下げた。 「本当に、そんなつもりじゃ、なかったの……」 『うん……。今なら……わかるよ……。だって、浅生君って、こんなに素敵なんだって、私も知ることができたから』 「『今ならわかるよ』、だってさ」 『浅生君……! ちゃんと私のセリフ、全部伝えてくれないと……!』 「俺のことはいいんだよ。お前たちの会話が重要なんだ」 俺は、雪峰の抗議をいなす。 「……葵、本当にごめんなさい……。もし、この先も、それが嫌なら……言って……」 「……『それ』っていうのは、葵がお前のことを『智哉の気持ちを軽んじてるかもしれない』って言ってたことだよな?」 俺が補足すると、智哉が素っ頓狂な声を上げた。 「は??? 俺???」 「ほら、見ろよ雪峰。こういうやつだぞ、こいつは」 『あははっ……!』 俺の隣で、雪峰が楽しそうに笑う気配がした。 「こんな奴が軽んじられてるまで考えるもんか」 「おい!! 罵倒に聞こえるんだが!!?」 『……ねぇ、浅生君。穂乃果に伝えてくれるかな』 『穂乃果、私の方こそ……ごめんね』 『三人の仲が、なんだか、すごく羨ましかったんだ』 「穂乃果。雪峰が、『私の方こそごめん』だって。『三人の仲の良さが、羨ましかった』ってさ」 「そ、そんな……。本当は……四人で、こんな風に過ごす事ができたかもしれないのに……」 ……ああ。俺もそう強く思う。 『…………そうだね……。でも、私の命は、もう尽きちゃった。だから……もう、いいんだ』 さっきまでとは違い、雪峰の声は、だいぶ吹っ切れたように聞こえた。 「雪峰の命は尽きてしまったから……もういいんだってさ」 「ねぇ……葵。苦しく、なかった……?」 涙を必死に堪えながら、穂乃果が、そう尋ねる。 『っ……! 苦し
last updateLast Updated : 2025-10-28
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第三十三話:確かな決意

帰り道。 俺たち三人は、口数も少なく、ただアスファルトを踏みしめる音だけを共有していた。夕日が長く伸ばした俺たちの影が、まるで何か別の生き物のように、静かに後をついてくる。 不意に、俺は立ち止まった。 「……穂乃果、大切な話がある」 「えっ……? なに?」 戸惑う穂乃果の隣で、智哉は、これから俺が何を話すのか、その表情で理解したようだった。 「言いづらいんだが……。穂乃果、お前にはこれから……そう遠くないうちに、幽霊が視えるようになるらしい」 その言葉に、穂乃果が息を呑んで絶句する。 「え……ど、どうして?」 どこまでを話し、どこまでを伏せるべきか。 『巫女に選ばれた』、そこまでは話していい。だが、『生贄』、その一言だけは、絶対に言えない。こんな話をしても、ただ彼女を不安で押しつぶしてしまうだけだ。 俺は、慎重に、言葉を選びながら口を開いた。 「その……なんだ。穂乃果は、山の神に『巫女』として選ばれたらしいんだ」 「えっ……? 山の神……?? 巫女??」 「ああ。巫女と言っても、何かをさせられるわけじゃない。それに、今、櫻井悠斗さんって人と、櫻井美琴さんっていう夫婦が、穂乃果を助ける方法を模索してくれてる」 「櫻井さん……?」 「秋崎邸の跡地で会った、あの二人だ」 「あっ……! あの人たちね!」 穂乃果は、そこで、はっとしたように俺を見つめた。 「輝流……ちょっと待って……。『私を助ける』ってことは、何か良くない事が……私に起きようとしてるって、こと……?」 鋭い指摘に、俺は内心で息を呑んだ。だが、決してそれを悟られないように、平静を装う。 「いや、いきなり霊が視えるようになる、なんて、普通に考えて恐怖を感じるだろ?」 「う、うん」 「その恐怖が日常生活に深く関わると、お前の精神状態も悪くなる可能性がある。だから、それを防ぐ為に、櫻井さん夫婦が、巫女に選ばれたお前を助けようとしてくれてるんだ」 「そ、そうなんだ……! でも……たしかに、そうだよね……。いきなり霊が視えるようになる、なんて、きついかも……」 「だろ?」 俺の言葉に、穂乃果が納得したように頷く。その様子を見ていた智哉が、まるで感心したかのように、うんうんと首を縦に振っていた。 (それやめろ……! 気付かれるかもしれねぇだろ!!) 俺が横目で智哉
last updateLast Updated : 2025-10-28
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第三十四話:智哉の提案

翌日の夜。学校から帰宅した俺は、制服のまま、ベッドに身体を投げ出していた。ここ数日、あまりにも多くの事を知りすぎた。頭が、心が、その情報量に追いついていない。重い疲労感だけが、全身にまとわりついていた。そんな時、枕元に置いていたスマホが、けたたましい着信音を鳴らした。画面に表示された名前は、『浅生智哉』。俺は、気怠げにそれを手に取り、通話ボタンをスライドさせた。「……はい、もしもし」『よっ! 輝流、おつかれ〜!』スマホのスピーカーが割れんばかりの、相変わらず元気な声が鼓膜を叩く。「……なんか用か?」『輝流に、最高の提案があるんだ!』智哉の声が、やけに弾んでいる。『ここんところさ、気が滅入る事ばっかりだっただろ? それに、もうすぐ夏休みだ。だからさ、四人で旅行に行かないか?』「……悪くないけどな。四人って、あと一人、誰だよ?」『実はさ、そんな気の利いた事を考えたのは……燈子(とうこ)なんだよな…』―――燈子。その名前に、俺は一瞬、思考を停止させた。そういえば、智哉に妹がいた、という事実さえ、絡みがすっかり無くなっていたせいで忘れかけていた。ただ、一つだけ、問題があって……。それは、あいつの行動が、常軌を逸しているほど、はちゃめちゃなのだ。本当に、あの物静かな和正さんの娘で、この寺育ちか…?と、疑いたくなるほどに。「なる…ほどな…」俺は、なんとも言えない、絶妙な反応しか返せなかった。『まぁ…そんな反応になるよな…』智哉が、電話の向こうで苦笑しているのが分かった。『相変わらず、ぶっ飛んでてさ。つい先日も、朝方にふらっと帰ってきたんだよ。「お前どこ行ってたんだ?」って聞いたらさ、「県外の、割と有名な心霊スポットでキャンプ建てて、泊まり込んできた」って言うんだぜ!?』「そ、そうかぁ」『さらによ、「死んだ皆が、寂しくないように」って、線香代わりに花火を持ち出して、夜通し打ち上げてきた、とか』論理的には、ともかく。その優しさは、本物……なのか?「お、おう」『それになんか昨日、通販でヘンなもん頼んだらしくてさ、「それも使いたいし、旅行行こう!」って話だ』「使いたい…? それで旅行???」『俺にも、あいつの事がよくわかんねぇんだよな』「ま、まぁ、話はわかった。今から穂乃果にも電話で聞いてみる」『おう! 頼んだぜー!』
last updateLast Updated : 2025-10-29
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第三十五話:燈子

いつも通り、学校の教室の扉を開けると、そこには、いつもの騒がしい朝の空気感が漂っていた。 重苦しかった数日間の雰囲気を振り払うように、誰もが、必死に日常を取り戻そうとしているかのようだ。 「おはー!!!」 そんな空気をさらに加速させるように、智哉が教室のドアを勢いよく開けて入ってきた。 「おはよう」 俺の隣の席で、穂乃果が笑う。 「よっ! 輝流は相変わらずだるそうな顔してんな!! よきよき!」 「……お前、俺をなんだと思ってるんだ?」 「あはは、やっぱりこの感じが一番だよね!」 俺と智哉のやり取りに、穂乃果が鈴のような声で笑った。 「そうだ、穂乃果ちゃん! 輝流から聞いた?」 「うん! 旅行の事だよね?」 「そうそう! 俺の妹……すっごい変わってるんだけどさ、よろしくな!」 「うん! それも輝流からなんとなく聞いたよ!」 「じゃあ、八月になったら行こうぜ!」 智哉が、太陽のような笑みを振りまく。 「ああ」「うん!」と、俺と穂乃果の声が重なった。 *** そして、時間は流れ、夏休み当日。 待ち合わせ場所の駅の改札前は、大きな荷物を持った人々でごった返していた。夏の高い空、蝉の声、発車を告げるアナウンス。その全てが、これから始まる非日常への期待を煽っているようだった。 そんな喧騒の中で、俺は、内心、ワクワクしながら仲間を待っていた。 なんだかんだで、一番乗りだった。 次に現れたのは、穂乃果だった。 「お! おはよー! 輝流、早いね〜!」 白いワンピースが、夏の光によく映えている。 「ま、まぁな。早く着いておく分には、いいだろ?」 俺は、高鳴る気持ちを悟られないよう、あくまで平常心を装った。 「あはは。そうだね」 (本当は、すごく楽しみにしてるんだよねっ) そんな穂乃果の心の声が、その楽しそうな笑顔からはっきりと読み取れた。俺がそれに気づいていないと思っているところも、含めて。 それから数分後。 「おーい! 待たせたなー!」 智哉と、その隣に見覚えのある少女が、人混みをかき分けて現れた。 「輝流さん! お久しぶりです!」 快活な声でそう言ったのは、智哉に似て、人懐っこい笑顔が印象的な、ロングヘアーの少女。智哉の妹、燈子だ。 「燈子。久しぶりだな」 智哉に連れられてきた少女――燈子が、人懐っこい笑顔
last updateLast Updated : 2025-10-30
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第三十六話:海の家

改札を抜け、ホームに滑り込んできた電車に乗り込む。平日の午前中ということもあってか、車内は空席が目立っていた。俺たちは、ボックス席に陣取る。俺の隣には穂乃果が、向かいには智哉と燈子の兄妹が座った。ガタン、ゴトン。心地よいリズムを刻みながら、電車はゆっくりと走り出す。窓の外を流れていく景色が、見慣れた町の風景から、次第に緑の多い田園へと変わっていく。数日間の重苦しい空気を振り払うように、四人の間には穏やかな時間が流れていた。「わぁ……!」隣に座る穂乃果が、子供のようにはしゃいだ声を上げた。その視線の先、木々の切れ間から、夏の強い日差しを反射してきらきらと輝く海が、一瞬だけ見えた。「いいね、やっぱり海は!」「ああ。最高だな」心からの穂乃果の笑顔に、俺も自然と口元が緩む。その時だった。向かいの席に座る智哉が、なぜかふんぞり返って、腕を組みながら高らかに宣言した。「お前ら、よく聞けよ! 海に着いたらまず何をするか、俺はもう完璧なシミュレーションを脳内で終えている!」「へぇ、どんな?」穂乃果が、楽しそうに智哉の言葉に乗っかる。「決まってんだろ! 燦々と輝く太陽の下、この俺が『浜辺の王』になる瞬間を見せてやるよ!」「はまべのおう……?」俺が呆気にとられていると、智哉はさらに得意げに続けた。「ああ! 誰よりも速く泳ぎ、誰よりもデカい魚を釣り上げ、そして、誰よりも高くスイカを叩き割る! 俺の独壇場だぜ!」その、あまりにも中身のない宣言に、俺と穂乃果が顔を見合わせて苦笑する。智哉らしいと言えば、それまでだが。すると、それまで静かにスマホを眺めていた燈子が、ふぅ、と小さく息を吐いた。そして、顔も上げないまま、静かに、しかし、芯の通った声で呟いた。「お兄ちゃん」「ん? なんだ燈子! お前も、兄の勇姿に期待してるだろ!」「去年、夜の肝試しで『浜辺に幽霊が出たー!』って女の子みたいな悲鳴あげて、一人で宿に逃げ帰ってきたこと、もう忘れたの?」「…………ぶふっ!?」「あ……」俺と穂乃果の動きが、完全に固まる。智哉はといえば、時が止まったかのように静止している。燈子は、そんな兄の様子を気にも留めず、追撃の一言を放った。「結局それ、海の家の前に置いてあった、日焼けで色褪せたマネキンだったけど」「「あはははははは!!!!」」俺と穂乃果の笑い声
last updateLast Updated : 2025-10-30
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第三十七話:夏の海で

 「よし、部屋も確認したしな! 俺たちはとっとと着替えるぞぉぉ!!」 『千鳥』の間に荷物を置くやいなや、智哉がバンザイをするように大きく伸びをしながら言った。俺も頷き、早速Tシャツに手をかける。男子二人の着替えなど、あっという間だ。 「おーし、準備万端! って、女子はまだかー! 海が俺を呼んでるぜー!」 襖の向こうで着替えている穂乃果と燈子に向かって、智哉が急かすように呼びかける。その声が、どこか弾んでいる。 それから、数分後。 「ごめんごめん、お待たせ!」 という穂乃果の声と共に、襖がすっと開かれた。 その瞬間、俺は、思わず息を呑んだ。 「どう?? 似合うでしょ?」 少しだけ恥ずかしそうに、はにかみながら立っていたのは穂乃果だった。 鮮やかな黄色のビキニ。その上から、少し大きめなのだろう、真っ白なワイシャツをさらりと羽織り、夏の日差しによく映える麦わら帽子を目深に被っている。潮風に吹かれてふわりと揺れるシャツの隙間から覗く素肌が、やけに眩しく見えた。 「ああ……似合ってるよ」 我ながら、あまりに素っ気ない返事しかできなかった。高鳴る心臓の音を悟られないように、咄嗟に視線を窓の外へ逃がすのが精一杯だった。そんな俺の様子に、穂乃果が「そ、そっか。よかった!」と、嬉しそうに微笑む気配がした。 「はいはい、惚気てないで行きますよっ」 呆れたような声と共に、穂乃果の後ろから燈子が現れる。彼女は、黒のラッシュガードにショートパンツという、スポーティーで活動的な格好だった。それもまた、彼女によく似っている。 四人で部屋を飛び出し、灼熱の砂浜へ。 どこまでも続く青い空と、白い砂。耳に届くのは、力強い波の音と、カモメの鳴き声だけ。 「うおおおおお! 俺は帰ってきたァァァ!!」 もはやお約束のように、智哉が一番に海へと突っ込んでいく。まるで子供のようにはしゃぐその背中を見送り、俺たちも後に続いた。 穂乃果は、浜辺で麦わら帽子とシャツを脱ぐと、きゃっきゃと楽しそうな声を上げながら、波打ち際を走り始めた。太陽の光を浴びて輝くその笑顔は、ここ数日の間に俺が見た、どの表情よりも、ずっと晴れやかだった。 山の神も、呪いも、幽霊も。 今は、遠いどこか別の世界の出来事のように感じられた。この瞬間だけは、何もかもを忘れて、ただ、この解放感に身を委ねていた
last updateLast Updated : 2025-10-31
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第三十八話:市場への買い出し

あれから、俺たちは時間を忘れて遊び尽くした。燦々と輝いていた太陽が、少しだけ西に傾き始めた午後二時。遊び疲れた俺たちは、パラソルの下で、心地よい疲労感に身を委ねていた。肌に残る塩の感覚と、じりじりと照りつける日差しが、夢現つの狭間へと意識を誘う。「……はぁ〜……腹減った……」静寂を破ったのは、レジャーシートの上で大の字になっていた智哉の、気の抜けた声だった。「もう動けねぇ……。なぁ、夜飯、カレーにしないか? 俺、無性にカレーが食いたい」「いいね、カレー! みんなで作ったら絶対美味しいよ!」智哉の提案に、穂乃果がぱっと顔を輝かせて賛成する。その言葉に、俺たちの間ですっかり共通認識となっていた「夕食はカレー」という事実が、正式に決定した。「よし、じゃあ決まりだな! 腹が減っては戦はできぬ、だ! 早速、買い出しに行くぞ!」言うが早いか、智哉が砂浜から勢いよく立ち上がる。その言葉に、俺も燈子も頷いたが、穂乃果だけが、少し戸惑ったようにその場で動きを止めた。「えっ……! 水着のまま行くの?」穂乃果が、きょとんとした顔で、智哉と俺たちを交互に見る。確かに、水着姿のまま町へ買い出しに行くというのは、慣れない感覚では考えられないことだろう。だが、智哉は「何を今さら」とでも言いたげに、ニカッと笑って胸を張った。「おう! この辺りは海が目と鼻の先だからな。海の家から買い出しに行く時は、みんな水着のままが普通なんだぜ!」「そ、そうなんだ……」智哉の説明に、燈子も「着替えるより、その方が合理的」と静かに頷いている。穂乃果は、まだ少し恥ずかしさが残っているのか、頬をほのかに染めながらも、「……わかった」とこくりと頷いた。そして、羽織っていたワイシャツのボタンを、胸元から一つ、二つと、丁寧に留めていく。麦わら帽子を目深に被り直し、きっちりと前を閉じたシャツの裾を、少しだけ不安そうに握りしめる。その姿が、なんだか妙に、庇護欲をそそった。「よし、準備OK!」穂乃果が、意を決したように顔を上げる。俺たち四人は、砂浜に置いていたサンダルに足を通し、近くの市場を目指して、ゆっくりと歩き始めた。***市場は、地元の人々と観光客で賑わっていた。潮の香りと、新鮮な野菜の土の匂いが混じり合う、活気に満ちた空間。俺たちは、その中の一軒である八百屋の店先で足を止めた。今
last updateLast Updated : 2025-11-02
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第三十九話:輝流の想い

市場で買った食材の入った袋を、それぞれが手に提げて。俺たち四人は、じりじりと肌を焼く西日を浴びながら、海の家への帰り道を歩いていた。先ほどの市場での出来事が嘘のように、気まずいような、それでいてどこか心地よいような、奇妙な沈黙が続いていた。その空気を、けたたましい声で破壊したのは、やはり智哉だった。「くっそー!!! まじで輝流と穂乃果お似合いだからしょうがねぇけど、羨ましー!!!」空に向かって、彼は叫んだ。その声には、嫉妬よりも、親友の恋路を応援したい気持ちの方が、強く滲んでいるように聞こえた。「はぁ……。お兄ちゃんなんかと恋人に間違われる、私の気持ちも考えてよ」隣を歩く燈子が、心底うんざりしたように、辛辣な一言を付け加える。穂乃果はといえば、二人のやり取りに、ただただ苦笑いを浮かべるだけだった。そんな空気の中、智哉がくるりとこちらを振り返り、ニヤニヤしながら俺に尋ねてきた。「で、実際のところどうなんだよ。輝流は、穂乃果ちゃんのこと好きなんだろ?」 「ちょ、ちょっとぉ……!」智哉のあまりに直接的な質問に、穂乃果の肩がびくりと跳ねる。その顔はみるみるうちに赤く染まり、助けを求めるように、潤んだ瞳で俺のことを見つめてきた。(こいつ、俺がどう思ってるか、さっきの市場でのやり取りで確信した上で、わざと聞いてるな…?)俺がどう答えるべきか、思考を巡らせた、その時だった。「はぁ…お兄ちゃん……。流石に今ここで聞くことじゃないでしょ。ノンデリカシーにも程がある」燈子が、呆れ果てた声で兄を諌める。その言葉が言い終わるのを待ってから、俺は、まっすぐに智哉の目を見て、そして、隣にいる穂乃果に聞こえるように、はっきりと口にした。「好きに決まってるだろ。じゃないと、こんなに一緒にいないさ」しん、と辺りが静まり返る。俺の、あまりにきっぱりとした返答に、智哉と燈子は一瞬、思考を停止させたようだった。「お、おお……」「……さすが」やがて、兄妹はほとんど同時に、感嘆とも畏怖ともつかない声を漏らした。俺は、隣に立つ穂乃果へと視線を移す。彼女は、俯いたまま、耳まで真っ赤に染め上げて、完全に固まってしまっていた。その姿を見ていると、俺の中に眠っていた悪戯心が、さらに燃え上がってくるのを感じた。「結婚するって、言ったもんな?」ダメ押しとばかりに、俺はそう言
last updateLast Updated : 2025-11-03
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第四十話:智哉の以外な一面

海の家の炊事場は、どこか懐かしい匂いがした。使い込まれた調理器具と、ほんの少しだけ残る、前の宿泊客が作ったであろう料理の香り。俺たちは、買ってきた食材を広げ、早速、夕食の準備に取り掛かった。「よし! 力仕事は俺たちに任せろ!」智哉の号令で、自然と役割分担が決まる。大きな鍋を運んだり、野菜の皮を剥いたりするのは、俺と智哉。食材を洗ったり、食べやすい大きさに切ったりするのは、穂乃果と燈子だ。「うっわ、智哉、お前の剥いたじゃがいも、元の半分くらいの大きさになってねぇか?」「バカ言え! これは、食中毒を防ぐための、完璧な皮むき術だ!」ピーラーを片手に意味不明な言い訳をする智哉の横で、俺は黙々と作業を進める。女子チームの方に目をやると、穂乃果が楽しそうに鼻歌を歌いながら、リズミカルに人参を切っていた。その隣では、燈子もまた、静かに、しかしどこか楽しげに、慣れた手つきで玉ねぎを刻んでいる。時折、穂乃果と顔を見合わせては、小さく微笑み合っていた。(……なんだか、いい雰囲気だな)そして……ここまでは、いつも通りの智哉だった。だが、本当の見せ場は、ここからだった。全ての食材が鍋の中に投入され、ぐつぐつと煮込まれていく。そして、仕上げのルーを入れる段階。「よし、火、少し弱めるぞ。穂乃果ちゃん、ルー入れてくれ」先ほどまでのガサツな様子が嘘のように、智哉が的確な指示を出す。大きな木べらを手に、鍋の底が焦げ付かないよう、ゆっくりと、しかし絶え間なくかき混ぜ始めた。その手つきは、明らかに料理をやり慣れている者のそれだった。(……そういえば、こいつ、昔から料理は上手かったな)普段の姿からは想像もつかないが、智哉の母親は、夜遅くまで働くことが多い。だから、昔から夜食や簡単な食事を作るのは、自然と智哉の役目だったと、前に聞いたことがある。普段はあんなに大雑把なくせに、こういうところは妙に手際がいい。そのギャップに、俺は思わず感心してしまった。「わ、智哉くん、すごい! とっても手際がいいね!」穂乃果が、素直に賞賛の声を上げる。その隣で、燈子は「ふふん」と、どこか誇らしげに鼻を鳴らした。その表情は、「うちのお兄ちゃん、これくらいできて当然でしょ」と、雄弁に物語っていた。……普段、あれだけ智哉に対して辛辣な言葉を並べるくせに。こういう、兄が誰かに褒められた瞬
last updateLast Updated : 2025-11-04
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