All Chapters of 縁が結ぶ影 〜神解きの標〜: Chapter 11 - Chapter 20

42 Chapters

第十一話:抜け落ちた記憶

放課後の生ぬるい風が、汗ばんだ首筋を撫でていく。太陽は少しだけ西に傾き、アスファルトに俺たちの長い影を落としていた。遠くからは、運動部の掛け声と、一日中鳴き続けた蝉の、どこか疲れたような声が聞こえてくる。 「ねぇ輝流」 「ん?なんだ穂乃果」 隣を歩く穂乃果が、ふと足を止めた。つられて俺も立ち止まる。 「この辺りがね、秋崎叶さんのお家があった場所なんだよ」 その声は、やけに静かだった。 「……なに?この辺りが?」 視線を巡らせても、見えるのはありふれた住宅街の風景だけだ。穂乃果は俺の返事を待たずに、どこか楽しんですらいるような横顔で続ける。 「うん。詳しい位置までは流石にわからないけど…探してみる? ちなみに、茶色い屋根に三階建ての、昔ながらの大きなお家だって。」 「そうおじいちゃんの資料に書いてあった」 ……やっぱりか。俺が「行く」と返事をすることを、こいつはとっくに見越していたらしい。 そしてなにより、おじいさんの情報力がいちばん怖い。 「……はぁ。助かるよ」 呆れたような、それでいて感心したような息が漏れた。 「えへへ、いいえ!それじゃ、いこ!」 穂乃果は、してやったりとでも言いたげに笑った。 *** 住宅街の細い路地を抜け、視界が拓ける。見渡す限りの青々とした田んぼが、夏の匂いを濃くしていた。 そこに、ぽつんと。まるで世界から忘れられることを望むように、一軒の家が建っていた。黒ずんだ茶色の屋根。三階建ての、古びた家。 「……穂乃果、これじゃないか?」 隣で、穂乃果が息を呑む音が聞こえた。俺のシャツの袖を、小さな手がきゅっと掴む。 一目で、廃墟だと分かった。壁のあちこちに黒い染みのような蔦が絡みつき、割れた窓ガラスが空虚な眼窩のようにこちらを見ている。人の営みが消えた建物は、こんなにも早く朽ちていくものだろうか。鼻につくのは、湿った土と黴の匂い。かつてここにあったはずの、生活の匂いなんてものは、欠片も残っていないようだった。 「…秋崎さんのご両親は?」 俺は、祖父の知恵を借りてすっかり物知りになった穂乃果に尋ねた。 「うーん…」 歯切れの悪い返事。何かを知っている人間のそれだった。 「なんだよ、その反応は」 「…ご家族の方も、不審な亡くなり方をしてるみたいなんだよね」 「それも…お父さんもお母さんも…そのど
last updateLast Updated : 2025-10-06
Read more

第十二話:招かれざる客

俺は、目の前にある古びた玄関のドアノブに手をかけた。ひやりとした、錆の浮いた鉄の感触。 どうせ開かないだろう、という予感はあった。力を込めて捻り、引く。が、がちり、と硬い感触が手に伝わるだけで、扉はびくともしない。 「……まあ、そうだよな」 左腕に、穂乃果の指が食い込むのを感じる。ほとんど全体重を預けられているせいで、少し動きにくいな。 「裏手を見てみるか」 「うん…」 家の側面に回り込み、生い茂った雑草をかき分ける。建物の影になった場所は、ひどく空気が湿っていた。 裏庭へ抜けた瞬間、俺は思わず息を呑んだ。 裏庭の、朽ちかけた縁側の下。そこに、黒く変色した染みが、べったりとこびりついていた。まるで、何か大きな獣でも引きずったかのような、おびただしい量の痕跡。 「なんだ、これは…」 声が、掠れた。隣で、穂乃果が俺の顔を不安そうに見上げる。 「ど、どうしたの…?」 穂乃果が首を傾げる。 「何か見えるの…?」 その言葉に、はっとする。俺の視線を追う穂乃果の瞳には、ただの不審だけが浮かんでいる。 ……まさか。この、おびただしい量の血痕が、こいつには見えていない、というのか? 「……いや、なんでもない」 今余計な事を言っても、こいつを不安にさせるだけだ。そう考えた俺はかぶりを振ると、その禍々しい痕跡から目を逸らし、穂乃果の腕を引いて再び玄関へと戻った。裏手の窓も、雨戸が固く閉ざされていて入れそうになかった。 「やっぱり、戸締りくらいはしてるよな…」 「うん……管理してる人がいるんだろうしね…」 穂乃果がそう呟き、諦めの空気が漂った、その時だった。 ──カチャリ。 乾いた金属音が、やけにクリアに響いた。二人同時に、音のした玄関の方を振り返る。 「今の音は……?」 俺が呟くと、穂乃果がごくりと喉を鳴らす。 「…げ、玄関……だよね」 「ああ、見てみよう」 俺は、まるで何かに引き寄せられるように玄関へ歩み寄ると、もう一度、冷たいドアノブに手をかけた。 さっきと同じように、捻って、引く。 すると、 キィィィィン……、 今までが嘘のように、重く、軋むような音を立てて、扉がゆっくりと開いた。 中から、黴と埃が混じった、淀んだ空気がどっと溢れ出す。 おかしい。さ
last updateLast Updated : 2025-10-07
Read more

第十三話:血濡れの老婆

家が、鳴り始めた。 パキ…、と乾いた木材が軋む音。ドンッ、と壁の奥で何かが打ち付けられるような鈍い音。 ドッドッドッドッ…! まるで誰かが焦って階段を駆け上がっていくかのような、性急な足音までが家中から聞こえてくる。 「ひ…、輝流ぅ…これ…」 背後から、穂乃果の引き攣った声が聞こえる。 「大丈夫だ。俺がいる」 俺は、自分に言い聞かせるようにそう答えた。 おかしい。この音は、まるで家が生きているかのようだ。あるいは、今も誰かが、この廃墟で生前と変わらぬ暮らしを続けている、とでもいうように。 ここで時間を無駄にはできない。 窓の外は、もう夕闇に呑まれ始めている。 穂乃果が俺の服を掴む腕が、小刻みに震えているのが分かった。 ……あまり長居はできない。 「穂乃果。俺の背中に隠れて、周りを見るな」 「…うん…」 か細い声で返事をすると、穂乃果が俺の背中に額をこすりつけてくるのが気配で分かった。 俺はスマホのライトを点灯させ、その白い光で闇を切り裂くように前方を照らす。 玄関の壁には、ガラスの割れた家族写真。その先の和室からは、風もないのに、白いレースのカーテンがゆらり、ゆらりと幽霊のように揺れていた。 床に散らばるガラス片を踏まないよう、慎重に足を進める。目指すは、裏庭に面したガラス張りの扉だ。あそこからなら、外に出られるはずだ。 軋む床板に足音を殺しながら、リビングらしき部屋を抜ける。その奥に、目的のガラス戸はあった。薄汚れたガラスの向こうには、月明かりに照らされた、救いのように静かな夜の庭が見える。 「ここだ。ここを破れば…」 俺は、穂乃果を背中に庇ったまま、自分の学生服の上着を右肘に固く巻き付けた。 「少し離れてろ」 ドンッ! 体重を乗せ、ガラスの中心を肘で打つ。骨に響くような鈍い衝撃。だが、ガラスは砕けない。ひび一つ入らなかった。 「…くそっ!」 もう一度、今度はより強く、全体重を乗せて叩きつける。 ガンッ!!と、腕が痺れるほどの衝撃。しかし、ガラスはまるで分厚い鉄板でもあるかのように、沈黙を保っている。 何度、何度叩きつけても結果は同じだった。俺の荒い呼吸と、肉を打つ鈍い音だけが、不気味な家の中に響き渡る。 「輝流、もうやめて…! 無理だよ…!」
last updateLast Updated : 2025-10-08
Read more

第十四話:叶の日記

老婆が消えた後の静寂は、やけに重く、耳に張り付くようだった。 俺は、手の中にあるノートの表紙を、指でなぞる。積もった埃を払うと、その下から現れたのは、何の変哲もない、ただの黒いノートだった。 唾を飲み込み、震える指で、最初のページを開く。 古ぼけた紙の上を、掠れた万年筆のインクが這っていた。 『──この地には古来より、山を鎮める守り神がいた』 「……守り神?」 思わず、声が漏れた。 その言葉に、背後で息を殺していた穂乃果が、びくりと肩を震わせる。恐怖よりも好奇心が勝ったのか、彼女はおそるおそる俺の肩越しに、ノートを覗き込んできた。 「えっ…」 俺たちは、顔を見合わせる。老婆は、これを俺たちに見せるために? 二人きりになったことで、少しだけ冷静さを取り戻した俺は、改めて書庫全体を見渡した。スマホのライトが、無数の本の背表紙を照らし出す。そのほとんどは、色褪せてタイトルも読めない。 光の輪をゆっくりと動かしていくと、いくつかのタイトルが目に飛び込んできた。 『この地の歴史』『桜織市の伝説』…。 なるほど、この家の主は、郷土史家か何かだったのかもしれない。 さらに棚を照らしていくと、俺の指が、ふと止まった。 一冊だけ、他とは明らかに雰囲気の違う、新しい本。 『霊との向き合い方』 その下に書かれた著者名に、俺はなぜか目を奪われた。 『著:櫻井 悠斗』 知らない名前だ。だが、そのタイトルは、今の俺たちにとってあまりに直接的すぎた。 一瞬、その本に手が伸びかける。だが、俺は首を振り、もう一度『この地の歴史』と書かれた、分厚く古びた本へと向き直った。 今は、幽霊と戦う方法じゃない。そもそも、なぜ秋崎叶さんたちが死ななければならなかったのか。その根源を知る必要がある。 俺は、『この地の歴史』を本棚から引き抜いた。 「輝流、守り神なんて話、聞いたことある?」 「いや、初耳だ。神鳴山の神が荒ぶれたって話は、嫌というほど聞かされてきたが…」 「うちのおじいちゃんも、そんな話はしてなかったな…」 どうやら、この町の人間でも知らない、忘れられた歴史らしい。 俺たちは、比較的埃の少ない床に並んで腰を下ろすと、ノートと歴史書をライトの光で照らし、そのページを読み進め始めた。 俺は、分厚
last updateLast Updated : 2025-10-09
Read more

第十五話:指輪

俺は、日記の最後のページから、顔を上げることができなかった。 スマホのライトが照らす小さな文字の上に、ぽたり、と雫が落ちて染みを作る。隣で、穂乃果が鼻をすする音が聞こえた。 「こんな…こんな幸せなことの、すぐ後に…」 「ああ……亡くなるなんてな…」 『明日が、待ち遠しい』。 その、希望に満ちた言葉が、鉛のように重く胸にのしかかる。彼女が待ち望んだ明日は、永遠に来なかった。 脳裏に、あの踏切で見た女の姿が焼き付いている。 血に濡れたワンピース。ぐちゃぐちゃに潰れた顔。 そして…。 不自然なまでに、何もつけていない、白い指。 「……そういえば」 俺は、はっとしたように呟いた。 「…指輪…してなかったな…」 「え…? そ、そんなところまで見てたの…?」 穂乃果が、涙で濡れた瞳を丸くする。 「ああ…。もしかしたら…指輪を返したら、成仏するんじゃないか?」 幽霊が、未練を残した品に執着する。それは、どの世界にも通づるルールの一つだ。彼女にとって、道政から贈られた婚約指輪以上に、大切なものがあっただろうか。 「…怖いけど」 穂乃果が、ごしごしと目元を拭う。 「…返してあげたいね、その指輪」 「ああ。そうだな」 決まれば、早い。俺たちは、叶さんの最期の未練を見つけ出すために、再びこの混沌とした家の中を捜し始めた。 机の引き出し、散らばった本の間、倒れたタンスの裏。考えられる場所は、全て。 *** だが、数十分が経過しても、小さな光を放つはずのそれは、どこからも見つからなかった。時間だけが、無情に過ぎていく。 「どこにも、ないな…」 俺が諦めかけた、その時だった。 まただ。空気が、急速に温度を失っていく。 振り返った廊下の闇の中央に、いつの間にか、あの老婆が立っていた。 そして、初めて、その口が、動いた。 「…ユ……ビ……ワ……は…………」 まるで、喉の奥から空気が無理やり漏れ出てくるような、ひび割れた音。言葉になっていない、ただのノイズの塊。 「……ジ……コ……ノ……バ……ショ……チカク……ニ……」 聞き取れたのは、それだけだった。老婆の姿は、またしても、すぅ…、と闇に溶けて消えていく。 「事故の…場所…?」 俺が、老婆の言葉を反芻していると、隣で穂乃果が、はっと息を呑んだ。 「あっ……!!」 「どうし
last updateLast Updated : 2025-10-10
Read more

第十六話:成仏

俺たちの手のひらの上で、泥にまみれた指輪が、鈍く、けれど確かに輝いていた。 俺は、震える穂乃果の肩をそっと叩く。 「穂乃果、良くやったぞ……!」 「え、えへへ…」 穂乃果は、泥だらけの手で顔を拭って、力なく、けれど誇らしげに笑った。 俺はスマホを取り出し、時刻を確認する。液晶の光が、[21:13]という無機質な数字を映し出していた。もう、そんな時間か……。 「穂乃果、急ぐぞ」 「うん!」 俺たちは、彼女の元へ、全ての始まりとなったあの場所へと、夜道を急いで戻った。 *** 風が、ざわざわと田んぼの稲を揺らしている。 あの場所に戻ってきてから、もうどれくらい経っただろうか。俺たちが指輪を携えて待てども、彼女は現れない。ただ、虫の声だけが、俺たちの焦りを煽るように鳴り響いていた。 その時だった。 ふと、空気が揺らめいた。目の前の空間が、陽炎のように歪み、そこから、じわりと、赤い影が滲み出してくる。 空気が急速に冷えていく。虫の声が、ぴたりと止んだ。 やがて、影は、一体の女の姿になった。 血に濡れた赤い服。人間が本来、曲がってはならない方向に四肢が折れ曲がり、いくつかの場所では、皮膚を突き破って白く鋭利な骨の先端が覗いている。顔は、判別できないほどに潰れていた。あまりに痛々しい、絶望の形。 (指輪は持った。きっと大丈夫だ) 俺は、ごくりと喉を鳴らすと、一歩、前に出た。 「秋崎叶さん」 俺がその名を呼ぶと、女の体が、ビクッと大きく跳ねた。 「俺は、浅井輝流といいます」 俺は、できるだけ優しい声色を意識しながら、ゆっくりと彼女に歩み寄る。 「あなたの声が聞こえた。あなたが、何か大事なものを探しているんじゃないかって、そう感じたんです。」 「あなたの住んでいた家にも行きました。そこで、何かを訴えるお婆さんの姿があったんです」 「きっと…あなたのお母さんですよね?彼女が、あなたの大切な物を見つける手助けをしてくれました」 「だから…これを」 俺は、手のひらに握りしめていた指輪を、彼女の前にそっと差し出した。 「…指を、出してください」 その言葉に、叶さんはおどおどと、壊れた人形のようにぎこちなく、自身の左手を差し出した。指はあり得ない方向に折れ曲がり、痛々しく震えている。 俺は、その冷たい指をとり、泥を拭った指輪を、
last updateLast Updated : 2025-10-12
Read more

第十七話:百貌様

翌日。 じりじりと照りつける太陽が、アスファルトを白く光らせる。教室の窓から吹き込んでくる風は熱を帯びて、昨日までの出来事がまるで遠い夢だったかのように、退屈な日常を運んできた。 昼休み、俺たちは、三人で屋上にいた。 金網のフェンスに寄りかかりながら、買ってきたパンを齧る。目の前では、まだ少しだけ顔色の悪い智哉が、必死に焼きそばパンを頬張っていた。 「……で、マジで大丈夫なのか? お前」 「お、おう! もうへっちゃらだって! 昨日一日寝たら、スッキリしたぜ!」 空元気なのは、見え見えだった。だが、無理にでもそう振る舞おうとするのが、こいつのいいところでもある。 俺は、昨夜の出来事を、掻い摘んで智哉に話して聞かせた。廃墟で見つけた日記のこと。婚約指輪の在処。そして、秋崎叶さんの魂を、俺たちが解放したことを。 話が進むにつれて、智哉の口の動きが止まっていく。やがて、あんぐりと口を開けたまま、焼きそばパンを持つ手も忘れて、俺と穂乃果の顔を交互に見つめた。 「まじかよ……。それで、輝流と穂乃果ちゃんは、二人きりで、あの赤い服の女を成仏させたってのか……」 智哉は、信じられない、といった様子で呟いた。 「ああ。話してみれば、ただ悲しんでるだけの人だった。やっぱり幽霊は、ただ怖いだけのものじゃない。俺はそう思ったな」 俺がそう言うと、隣に立つ穂乃果が、どこか遠い目をして、苦笑いを浮かべた。 「私は…まだ輝流みたいに割り切れないけど…うん。忘れられない思い出には、なったかも……」 その言葉に、智哉が悔しそうに唇を噛む。 「なんか……俺がダウンしてる間に、そんな大事になってるなんてな……」 俯いてしまった智哉の肩を、俺は軽く叩いた。 「お前が気を失ってくれたおかげで、逆にスイッチが入ったようなもんだ。礼を言うぞ」 「そ、そうか…? なら、いいんだけどよ…」 そうだ。だからこそ、話さなければならない。 「智哉。お前に、相談したいことがある」 「へ?」 「昨日、秋崎叶さんの家で見つけた本に、気になることが書いてあったんだ。…あの神様のことだ」 「神様…」と智哉が呟いた途端、屋上の空気が少しだけ重くなった気がした。 俺は、慎重に言葉を選ぶ。 「なあ、智哉。お前んちも、この町じゃ一番の古株だろ。昔、この神鳴山に『山坐神(やまいますかみ)
last updateLast Updated : 2025-10-13
Read more

第十八話:博物館での調査

あれから、数日が過ぎた。 智哉の親父さんからの返事はまだなく、俺たちの日常は、まるで何もなかったかのように過ぎていく。 今日は、学校の社会科見学で、町の郷土博物館に来ていた。 大型バスに揺られている時から騒がしかったクラスメイトたちは、解放されたように館内にはしゃぎ声を響かせている。高い天井に反響するその喧騒と、周りの浮かれた空気から、俺だけが切り離されているような感覚があった。 「うおー! 鎧、カッケー!」 「見て見て、この刀すごくない!?」 展示された武具の前で、数人の男子生徒がガラスケースを叩かんばかりの勢いで騒いでいる。 俺は、静かにそいつらの背後へと近づき、低く、けれど芯の通る声で告げた。 「おい。ここは博物館だぞ。周りの迷惑になるから、静かにしろ」 びくり、と肩を揺らして振り返った連中は、俺の顔を見ると、バツが悪そうに「…お、おう」と呟いて、そそくさとその場を離れていった。 「やれやれ…」 一つため息をつくと、俺は人混みを避け、館内の奥へと足を進めた。 自由時間。他の連中が土産物屋や体験コーナーへと向かう中、俺の目的は一つだけだった。 この土地の神について、何か手掛かりはないか。 脳裏には、智哉が見たという、あの化け物の姿が脳裏に焼き付いている。百貌様と呼ばれる神。その正体に、俺は言い知れぬ不安を感じていた。 やがて、俺は「郷土史・民間伝承」と書かれたコーナーにたどり着く。そこに、一つの展示パネルがあった。 > 【神鳴の地に在りし、八百万の神々】 > 古来より、ここ神鳴の地は、豊かな自然と共に、数多の神々が息づく場所として記録されている。山には山の、川には川の、森には森の神が宿り、人々はそれを時に敬い、時に畏れた。 > 中でも、人々の暮らしに深く関わったのは、荒ぶる性質を持つ神々であった。日照りが続けば山の神の怒りとし、川が氾濫すれば龍神の嘆きとした。人々は、そうした強大な自然の力を持つ神々に供物を捧げ、その怒りを鎮めることで、かろうじてこの地での営みを続けてきたのである。 > 『桜織市古文書』には、そうした荒ぶる神々の名が、いくつも記されている…。 > 俺は、その説明文を、食い入るように読んだ。 書かれているのは、人々の恐怖の対象であった、荒々しい神々の話ばかり。俺たちが叶の家で見つけた、あの慈悲深き守
last updateLast Updated : 2025-10-14
Read more

第十九話:消えた邸宅

博物館からの帰りのバスの中は、行きと同じように、生徒たちのはしゃぎ声で満ちていた。 俺は、揺れる車体の後部座席で、窓の外を流れていく景色を、ぼんやりと眺めていた。 (結局、博物館にあったのは、バラバラの伝承だけ。山坐神と百貌様を繋ぐ、肝心な部分は、何も分からなかった) 手掛かりが増えるどころか、謎ばかりが深まっていく。焦りと、もどかしさ。 俺の頭の中は、一つの考えで占められていた。 もう一度、あの家へ行くしかない。秋崎叶の家に。 「ねぇ、輝流」 「どうしたん? なにか考え事か?」 不意に、隣から声がした。 見ると、隣に座っていた穂乃果と智哉が、俺の顔を覗き込んでいる。 「……いや、なんでもない」 俺は、視線を窓の外に戻したまま、短く答えた。だが、こいつらにそんな誤魔化しが通用するはずもなかった。 「あっ! 今の間! 絶対なにか隠したでしょ!」 「そうだそうだ! 水臭いぞ、輝流!」 穂乃果が、楽しそうに俺の脇腹をつつく。智哉も、穂乃果の隣の座席から身を乗り出して囃し立てた。 こいつらの、こういう距離感の近さが、時々ひどく面倒になる。 「はぁ……」 俺は、観念して、一つ大きなため息をついた。 「博物館で、結局俺が知りたかった『答え』は、得られなかったんだ」 その言葉に、二人はきょとんとした顔で、顔を見合わせた。 (…こいつは、自分が神鳴町の神…百貌様を見てしまったという可能性をまだ知らない。俺の考えすぎ……という事もあるかもしれないが……) (念の為、調べておくべきだろう……この能天気にも困ったもんだ) 俺は内心で毒づきながら、言葉を続けた。 「まぁ……そのなんだ。秋崎さんの家に、もう一度行こうと思ってな」 その瞬間、二人の表情から、楽しげな色がすっと消えた。 バスが、がくん、と揺れる。 「次、停まります」というアナウンスだけが、俺たちの間に生まれた重い沈黙の中を、滑っていった。 「…ほんとに、行くの…?」 先に口を開いたのは、穂乃果だった。その声は、不安そうに揺れている。 智哉は、何も言わない。さっきまでのはしゃぎっぷりが嘘のように、穂乃果の隣の座席に座り直し、ただ黙って、俯いている。 あの時の……霊を見てしまったと言う出来事が、またこいつの脳裏に蘇っているのかもしれない。 俺は、そんな二人の反応に、た
last updateLast Updated : 2025-10-15
Read more

第二十話:不思議な二人組

雑草の匂いと、夕暮れの湿った空気が、俺たちの間に重く沈んでいた。家があったはずの空間だけがぽっかりと切り取られ、世界の理がそこだけ歪んでしまったかのようだ。呆然と立ち尽くす俺たちの表情が、ここであった出来事が冗談や見間違いなどではないと、雄弁に物語ってしまっていたのだろう。隣で息を呑む穂乃果の顔から血の気が引き、智哉が俺たちの顔を見比べて、さらに顔を青ざめさせていくのが分かった。その、誰も言葉を発せない沈黙を破ったのは、まるで最初からそこにいたかのように自然な、穏やかな声だった。「君達、どうしたんだい?」振り返ると、いつの間にか、俺たちのすぐ後ろに二人の男女が立っていた。声の主は、背の高い男だった。夕闇に溶け込みそうな黒いスーツを着こなし、その佇まいには奇妙なほどの落ち着きがある。低く、どこか陰りを帯びているのに、不思議と耳に心地よい、暖かい声だった。隣には、快活そうな雰囲気の女性が、結い上げた茶色いポニーテールを揺らしながら、心配そうにこちらを見つめている。「あっ……いえ……」俺は咄嗟に言葉を濁した。この異常な状況を、どう説明すればいいのか分からない。だが、男は何もかもお見通しだ、とでも言うように、静かな瞳で俺と穂乃果をじっと見つめると、静かにこう切り出した。「私は、ここにあった家を定期的に様子を見に来ていてね」その言葉に、俺の心臓が、どくん、と嫌な音を立てた。全身の血が逆流するような感覚。男は、俺の動揺など意にも介さず、淡々と続ける。「数年前に、この家は建て壊しになった筈だけど……君達は、一体どうしてここへ?」「ここに、あった家に入った筈なんですが無くなってるんです……」穂乃果が声を震わせてそう言うと、男は、俺たちの混乱を見透かすように、続けた。「詳しく聞かせてくれるかな?」俺は目の前の男を警戒しながらも、他に術がないことを悟っていた。この間のこと…確かにここに家があったこと、中を探索したこと、そして血濡れの老婆の霊がいたことを、かいつまんで話した。俺の話を黙って聞いていた男は、静かに頷いた。「なるほど。つまり君たちは、ここに『在ったはずのない家』を見た、と」俺は、こくりと唾を飲み込み、頷いた。「きっと、あの人の強い未練が現実にはない幻を創り出したのだろうね」男は独り言のように呟き、空き地の中心に視線を向けた。「それに
last updateLast Updated : 2025-10-16
Read more
PREV
12345
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status