Semua Bab 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した: Bab 1171 - Bab 1180

1241 Bab

第1171話

だが、璃々子の「目の不調」というイレギュラーが発生したため、彼はフライトを二日間遅らせる決断を下した。スケジュールが変更になったことで、偶然にも一つ空き時間ができた。それは、北里市で四年に一度開催される『トップテクノロジー・サミット』への出席だった。病室に駆けつけた秘書の美奈子が、白彦にスケジュールの再調整を報告している最中、璃々子はその内容をじっと聞いていた。そして、璃々子と美奈子――この二人は、誰にも気づかれないように一瞬だけ視線を交わした。美奈子はわざとらしく申し訳なさそうな顔を作り、白彦に頭を下げた。「大変申し訳ありません、白彦様。白彦様がサミットには出席されないと伺っておりましたので、私の方で別の外せない案件を入れてしまいまして……今回、私は同行することができそうにありません」「構わない。俺一人で行く」白彦は特に気にする素振りも見せずに答えた。すかさず、美奈子が提案する。「では、代わりに璃々子様にご同行をお願いしてはいかがでしょうか?」「いや、彼女は目が本調子じゃない。休ませるべきだ」白彦が即座に却下した瞬間、璃々子が慌てて身を乗り出した。「待って、私行きたい!さっきお医者様も『問題ない』って言ってたじゃない?」彼女は白彦を見上げ、もっともらしく無垢で可憐な――彼が絶対に拒絶できないと知っている『あの目』で彼を見つめた。「お願い……最近ずっと家に引きこもりきりで、もう息が詰まっちゃいそうだったの。気晴らしも兼ねて、私を連れて行って?」その視線に射抜かれ、白彦は数秒の沈黙の後、小さく息を吐いた。「……わかった。連れて行こう」「ありがとう、白彦兄さん!」璃々子は満面の笑みで、彼に無邪気な感謝を伝えた。……一方、詩織が今回北里市へ飛んできた目的もまた、この『トップテクノロジー・サミット』からの招待を受けてのものだった。ホテルの一室では、アシスタントの密が用意したドレスとジュエリーがベッドの上に並べられていた。それを見たミキは、怪訝そうに顔をしかめた。「ねえ、なんか今回ドレスのデザイン保守的すぎない? 詩織みたいな抜群のプロポーションなら、もっと大胆に出していかないと勿体ないじゃない」「…………」密は気まずそうに目を泳がせた。言えない。最近の詩織さんのドレス
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第1172話

おかげで、喉の奥まで出かかっていた『有給消化』の四文字は、見事に飲み込むハメになった。あぁ、このままじゃ近々開催されるサミットで、またあのニーナと顔を合わせなきゃならない……そう想像しただけで、太一はすっかり生きる希望を失いかけていた。そんな絶望のどん底で死んだ魚のような目をしている太一をよそに、執務デスクで黙々と書類を処理していた柊也が、ふと何かを思いついたように顔を上げた。「今回のサミット、サカザキ・モータースからは誰が参加する?」「譲だよ」太一が気の抜けた声で答えると、柊也は持っていた高級万年筆をコトリと置き、何でもないことのように唐突に言い放った。「なら、今回のサミット、俺がお前の代わりに行ってやる」……は?太一は自分の耳を疑った。思わず柊也の顔を二度見、いや三度見する。こいつ、頭でも打ったのか?それとも、ついに俺の耳がイカれたのか……?……サミットの会場に到着するや否や、篠宮賢の秘書が詩織を応接室へと迎えに来た。「ごめんミキ、ちょっとだけ行ってくるね。後で合流するから、適当に回ってて」ミキはひらひらと手を振り返した。「いいから気にしないで、仕事優先!私だっていい大人なんだし、迷子になんてならないわよ」詩織を送り出した後、ミキは暇つぶしに会場内をぶらぶらと歩き回った。案の定、退屈だった。すれ違う人々が口にしているのは、ミキにはチンプンカンプンなビジネス用語や最新テクノロジーの話題ばかりだ。早々に興味を失った彼女は、人目につかない隅のテーブルに陣取り、ケータリングの軽食をつまみながら詩織を待つことにした。だが、カナッペをふた口ほどかじったところで、不意に声をかけられた。「近藤さん……いや、近藤ミキさんですよね!?まさかこんな所でお会いできるなんて!私、あなたの大ファンなんです!」声の主は、四十代半ばと思われる男だった。身なりこそそれなりのスーツで整えているが、ミキをねめ回すそのネットリとした視線に、思わず鳥肌が立つ。それでもミキは、女優としてのプライドから愛想笑いを浮かべて軽く会釈した。ところが、男は図々しく握手を求めてきたかと思えば、強引にツーショット写真を撮り始めた。ここまではまだ我慢できた。しかし、カメラを構えるフリをして、男の分厚い手がミキの腰に
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第1173話

「詩織は篠宮局長の秘書さんに呼ばれて、応接室に行ってるわ。すぐに戻るはずよ」「……そうか」澪士は短く相槌を打つと、ふいと視線を外した。だが、その場から立ち去ろうとはしなかった。これほどトップクラスの重鎮が集う重要なサミットだ。彼ほどの地位の人間なら、あちこちで名刺を交換し、ビジネスチャンスを探り、コネクションを広げるために動き回るのが普通だろう。なのに、彼はミキと共に、人目につかない会場の隅に留まり続けていた。時折、ぽつりぽつりと短い言葉を交わすものの、それはどれも差し障りのない世間話にすぎない。よそよそしく、そして互いに何かを押し殺すように抑制された時間だった。ちょうど同じ頃、白彦と璃々子もサミットの会場に到着していた。これほどの規模のビジネスサミットに参加するのは、璃々子にとって初めての経験だった。彼女の目は好奇心と野心でギラギラと輝いている。どこかに美味しいビジネスチャンスは転がっていないか——彼女の頭の中はそればかりだった。去年、スキャンダルによって芸能界を追放されて以来、璃々子はずっと投資家への転身を狙っていた。白彦のコネをフル活用し、条件の良いプロジェクトにいくつか食い込もうとしたものの、なぜかいつも最終段階で話が白紙に戻ってしまう。その結果、今の彼女は未だに何一つ成果を出せず、焦りばかりが募っていた。それに引き換え、あの忌々しい近藤ミキはどうだ。ハイブランドのアンバサダー契約を次々と獲得し、権威ある賞を総なめにしそうな高品質な映画に立て続けに出演している。おまけに、ミキが投資しているスキンケアブランドまでが爆発的な売り上げを記録し、笑いが止まらない状態だという。このままでは、一生かかっても彼女に追いつけなくなる。——冗談じゃないわ。そんな結末、璃々子には到底受け入れられなかった。彼女の腐った価値観の中では、ミキは一生自分の足元にひれ伏し、惨めに施しを受けて生きるべき孤児でなければならなかった。一方、巨大企業『由木グループ』の総帥である白彦が姿を現せば、当然のように多くの業界人が挨拶に群がってくる。その隙を突いて、璃々子はいかにも親しげに白彦の腕に自分の腕を絡ませた。二人の関係が『ただならぬもの』であると周囲にアピールするための、あざとい計算だった。案の定、その親
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第1174話

少し前までそれなりに上機嫌だったミキの気分は、一瞬にして氷点下まで急降下した。こんな馬鹿げた男とまともに口論する気すら起きない。さっさと振り払って立ち去ろうとしたが、ミキが抵抗すればするほど、白彦は手首を握る力を強めてくる。骨が軋むほどの痛みに、ミキの中でブチッと何かが切れる音がした。彼女は容赦なく、ピンヒールを履いた足を振り上げた。アクション映画の過酷な撮影で鍛え上げられた身のこなしと、ヒールの鋭利な一撃。その鋭い蹴りが連続で見舞われると、さすがの白彦もたまらず体勢を崩した。極めつけは、股間の急所を狙った躊躇いのないフルスイング。手加減など一切ない。幸い(白彦にとってだが)、間一髪のところで彼が身をよじって避けたため、最悪の事態は免れた。「痛ッ……!」顔をしかめた白彦が、ようやくミキの手首を解放した。「次から家を出る時は、ちゃんと薬を飲んでからにしてよね!外で狂犬みたいに発作を起こさないでちょうだい」赤く鬱血した手首をさすりながら、ミキは忌々しそうに吐き捨てた。「お前、二階堂と一体どういう関係だ……?」痛みに耐えながら、白彦は唸るように問い詰めた。彼が今一番知りたいのは、その答えだけだった。「私たちがどういう関係だろうと、あなたには一切関係ないでしょ」ミキは冷たく言い放ち、背を向けて立ち去ろうとする。だが、白彦は再び腕を伸ばし、彼女の行く手を阻んだ。「お前が俺との離婚にこだわるのは……あいつの存在があるからか?」まただ。またこのウンザリする被害妄想。「……あなたがそう思いたいなら、勝手にすれば?」ミキは心底面倒くさそうに吐き捨てた。もう、この男と茶番を繰り広げている暇はない。そもそも、彼にまともな理屈が通じるなどと期待した自分が馬鹿だったのだ。「あいつがお前に何をくれるって言うんだ!?耳障りのいい言葉に騙されるな!ミキ、俺はお前のために言ってるんだ。二階堂って男は、お前が思っているようなやつじゃ——」「いい加減にして!」ミキは鋭い声で遮った。これ以上、彼の妄言を聞き続けるのは我慢の限界だった。「彼がどういう人間かは知らない。でもね、あなたがどういう人間かは、誰よりもよーく分かってるわ!」白彦の瞳が、暗く沈んだ。「お前……まだ璃々子のことで俺に意地
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第1175話

けれど……あの男、この前の話し合いで『二十パーセント』の株式譲渡に合意してるんだけど?お祖父さんの遺言に記されていた数字よりも、はるかに多い額だ。しかも、他でもない目の前のこの女を救うことを条件にして。その事実を、璃々子は何も知らないらしい。何も知らないくせに、たかだか十五パーセントの遺言を盾にして、ここまでドヤ顔ができるなんて。もし『あなたを助けるために、白彦は二十パーセントも喜んで差し出したわよ』と教えてあげたら、この女、怒り狂ってその場で爆発するんじゃないかしら?「あっそ。分かったから」ミキはシッシッと虫を払うように手を振った。「もう下がっていいわよ」期待していたような絶望の表情を引き出せず、逆に璃々子の方が顔を真っ赤にして逆上した。「ちょっと!私の話、ちゃんと聞いてた!?」「聞いてた聞いてた。はいはい、あっちでお遊びなさいな」ミキは心底面倒くさそうにあしらう。「それか、大好きな白彦兄さんに構ってもらいに行けば?とにかく、私の視界に入らないでちょうだい」そう言い残し、ミキは優雅に踵を返してその場を立ち去った。背後から、璃々子がヒステリックに地団駄を踏む音が聞こえる。「強がっちゃって……!いつまでその余裕ぶった態度が続くか、見ものね!」一方、応接室。篠宮賢が詩織を呼び出したのは、今回のサミットに関する詳細なブリーフィングのためだった。当然、上層部からのいくつかの内密な指示も含まれている。重要な話がひと段落した頃、ノックの音と共に秘書が入室してきた。その手には、可愛らしいピンク色のランチボックスが提げられている。それを見た賢は話を中断し、無言でランチボックスを受け取った。そのままデスクの端に置こうとした賢に、秘書が釘を刺すように言った。「奥様から『時間通りに、きっちり食べさせるように』とキツく申し付かっております」「……分かった」賢が短く応じたが、秘書はまだ何か言いたげに口ごもった。詩織が同席しているのを気遣っているようだ。詩織が空気を読んで席を立とうとした瞬間、賢が先を促した。「まだ何か伝言があるのか?」秘書は観念したように口を開いた。「奥様が……『もし時間通りにご飯を食べなくて、また胃を悪くするようなことがあったら、これからはずっと書斎で寝て
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第1176話

詩織は眉をひそめ、澪士をじっと見つめた。その鋭い視線に、澪士は居心地が悪そうに身をよじる。「なんだよ、そんなジロジロ見て……」詩織は彼の周りをぐるりと一周歩き、値踏みするような目を向けた。「先輩。まさかとは思うけど……一番身近な『身内』に手を出そうとしてないよね?」「ブッ……!!」横で聞いていたミキが、飲んでいたシャンパンを盛大に噴き出した。慌てて口元を押さえ、ゲホゲホと激しくむせる。澪士も露骨に動揺し、声を荒らげた。「お前、何変なこと考えてんだよ!」「ちょ、詩織!あんた想像力豊かすぎ!」ミキも涙目で息を整えながら、必死に場を取り繕う。「私たちがあり得るわけないじゃない!私たち、やましいことなんてこれっぽっちもないんだからね!」「ふーん、そうなの?」詩織はまだ疑いの眼差しを解かず、再び澪士に視線をやった。澪士は気まずそうに目を逸らす。「俺とミキ、ただの友人だ」「そっか。なら私の考えすぎね」詩織は小さく肩をすくめた。ミキもハハハと引き攣った愛想笑いを浮かべる。だが――なぜだろう。その瞬間、ミキの胸の奥に、理由のない重苦しいモヤモヤが広がった。その後、詩織がメインの会場を歩いていると、不意に譲に声をかけられた。正確に言えば、偶然出会ったのではない。譲がわざわざ詩織を探しにやって来たのだ。本来、彼はこのサミットに参加する予定はなかった。だが、詩織が出席すると聞きつけ、わざわざスケジュールを調整してまで駆けつけたのである。だからこそ、会場に到着するなり、脇目も振らずに彼女の元へ直行してきたのだ。ただ、詩織の傍らにはずっとミキたちがいたため、軽い挨拶を交わすだけで、込み入った話をするには不向きな状況だった。そのため譲は作戦を変更し、サミットが終わった後、食事に行かないかと詩織を誘った。「今後の合同プロジェクトの件で、少し話しておきたいことがあってね」という建前を添えて。仕事の事となれば、詩織は常に真摯に向き合う人間だ。彼女は特に疑うこともなく、その誘いをあっさりと承諾した。お目当ての相手からディナーの約束を取り付けることに成功した譲は、もはやサミットの会場に長居するつもりはなかった。詩織との『デート』の準備をするため、早々に会場を後にする。彼が去って間もなく
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第1177話

背後から声が上がると同時に、誰かの腕が力強く詩織の肩を抱き寄せた。ぐんと体が引き寄せられ、間一髪のところで、バランスを崩して突っ込んできたウェイトレスのワゴンを避けることができた。「あ……」詩織は体勢を立て直すと、自分を助けてくれた相手を振り返った。そこに立っていたのは、切れ長の涼しげな目元をした若い男だった。「お気をつけて」男は短い言葉だけを口にした。「ありがとうございます。助かりました」詩織が礼儀正しく頭を下げると、男は小さく一度だけ頷き、そのまま早足で会場の奥へと去っていった。その背中を見送りながら、ミキが感心したように「へえ」と声を漏らした。「今の彼、すごく整った顔してたわね。まぁ、ちょっと冷たそうな雰囲気だったけど」一方の詩織は、相手の顔立ちよりも、あの目元の方がひどく印象に残っていた。人を惹きつけるような艷やかな目元でありながら、なぜか言葉にできないほどの、ぞっとするような陰冷さを孕んでいたのだ。――気のせい、よね?詩織は内心でそう打ち消した。今日初めて会ったばかりの、名前すら知らない相手なのだから。ただの直感的な思い過ごしに違いない。その些細なハプニングは、詩織の中ですぐに記憶の隅へと追いやられた。メインエントランスを抜け、夜風が吹き抜ける外へ出た瞬間——詩織の視線は、一台の黒塗りのロールスロイス・ファントムに寄りかかるようにして立つ、一人の男に釘付けになった。柊也だった。チャコールグレーのダブルブレストスーツに身を包んだその姿は、息を呑むほどに美しい。一切の無駄がない洗練されたカッティングが彼の広い肩幅と長い脚を際立たせ、内側に秘めた圧倒的な威圧感を、優雅というヴェールで包み込んでいるようだった。詩織が姿を現したその瞬間から、いや、それよりもずっと前から、彼の視線は真っ直ぐに彼女だけを捉えていた。目が合うと、柊也の唇にふっと柔らかい弧が描かれる。名門の御曹司らしい冷たい気品の中に、心を絡めとるような狂おしいほどの甘い熱が潜んでいて、彼が微笑んだだけで、周囲の空気ごと甘美な色に染め上げられたかのようだった。さらにニクいのは、今日詩織が着ているミスティブルーのサテンドレスに合わせて、彼のスーツの胸元に挿されたポケットチーフの縁にも、同じミスティブルーの糸で
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第1178話

――今夜は徹夜の体力勝負になる。詩織はそう覚悟していた。だが、その予想すらもはるかに超える激しさになるなんて……!エントランスでの熱烈な交わりなど、柊也にとってはほんの食前酒(アペリティフ)にすぎなかったのだ。事後。彼に抱き上げられてバスルームへ運ばれた時、詩織はすでに指一本動かせないほど疲労困憊だった。まぶたが鉛のように重い。シャワーを浴びさせ、体を洗ってくれたのはすべて柊也だった。詩織にはもう抵抗する気力もなく、されるがままに彼に身を委ねる。少し熱めのお湯が、火照った肌をさらに上気させた。首筋からデコルテ、そしてその下へと、至る所に彼が刻み込んだ赤い痕が咲き乱れている。まったく、この男は。まるで自分の縄張りを主張する独占欲の強い大型犬みたいに、こうして噛み付いてマーキングを残すのが大好きなのだから。「――詩織」耳元で、低く掠れた声が鼓膜を震わせた。詩織は気怠げに薄くまぶたを開け、「ん……?」と弱々しく応じる。湯気が立ち込めるバスルームの中。見上げた彼の漆黒の瞳の奥に、またしても危険な熱が赤く揺らめいているのが見えた。「もう一回」詩織が返事をする間も与えず、反論の言葉は甘く蕩けた嬌声へとすり替えられてしまった。ようやくベッドに戻された頃には、詩織は限界を超えて完全に意識を手放しかけていた。夢現(ゆめうつつ)の中、柊也が優しく丁寧に髪を乾かしてくれているのを感じる。普段ならうるさく感じるドライヤーの風音も、今は心地よい子守唄のホワイトノイズのように響き、彼女を深い眠りの底へと誘っていく。眠る前にその日の出来事を頭の中で復習するのが彼女のルーティンだったが、今日ばかりは脳も体も完全にストライキを起こしていた。あれ……?私、何か大事な用事を忘れているような……?微かな違和感が脳裏を掠めたが、疲れ果てた思考はそれ以上働くことを拒否した。もういい。何も、考えられない……......一方、高級レストランのテーブル席。ギャルソンが三度目の水をグラスに注ぎに訪れ、「お食事はいつお持ちしましょうか?」と控えめに尋ねてきた。譲は手元で動かしていたペンの動きを止め、腕時計に視線を落とした。約束の時間を、すでに一時間半も過ぎている。だが、詩織が現れる気配はない。おそ
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第1179話

手から滑り落ちるようにスマホを下ろし、夜空を見上げる。さっきまで穏やかだった彼の心情は、今や目の前に広がる夜の闇と同じように――どこまでも重く、光の差さない鉛色へと沈み込んでいた。深夜二時。アルコールのきつい匂いを漂わせながら、譲はふらつく足取りでホテルの廊下を歩いていた。彼が通り過ぎるたびにセンサーライトが次々と消え、暗闇の中、頼りない影だけが彼の足元に付き従っている。タイを乱暴に引き緩めるが、脳内では不快な耳鳴りがガンガンと鳴り響いていた。足元がおぼつかないまま、なんとか自室のドアの前に辿り着き、カードキーを取り出そうと手間取っていると——ふと、透き通るように白い手が伸びてきて、彼の手からキーを奪い、代わりにドアのロックを解除した。ドアが開いた瞬間の揺らぐ視界の中、譲の目に飛び込んできたのは、見覚えのあるミスティブルーのドレスの色彩だった。「……しおり」彼の中から、甘く切実な声が漏れた。アルコールでドロドロになった脳は、すでに現実と夢の境界線を完全に見失っていた。彼は無意識のうちに、目の前に立つその体を強く抱き寄せ、取り憑かれたように同じ名前を何度も何度も囁いた。「しおり」「しおり……」そして抗いがたい引力に引き寄せられるように顔を伏せ、その柔らかい唇を塞いだ。汐莉の体が、ビクリと大きく跳ねた。——勝った。その瞬間、彼女は確信した。だからこそ、彼女は熱狂的に彼のキスに応えた。溺れる者がすがるように、彼の首元の襟に指を深く食い込ませ、荒々しく、貪欲にその舌を絡め取っていく。「ええ、私よ」彼女は喘ぐように応えた。例え彼が自分を江崎詩織と重ね合わせていたとしても、そんなことはどうでもよかった。今夜このまま既成事実を作ってしまえば、彼との冷え切った関係を一気に修復できる。それこそが、彼女がわざわざこの北里市まで彼を尾行してきた最大の目的なのだから。しかし。彼女が『応えた』その瞬間——譲の脳天に、一本の冷たい氷の刃が突き刺さった。彼の動きがピタリと止まる。そして次の瞬間、まるで熱湯にでも触れたかのように、バッと彼女の体を激しく突き飛ばした。「きゃっ……!」無防備だった汐莉は、そのまま廊下の絨毯の上に無様に尻餅をついた。肘を打つ鈍い音が響く。赤く腫れた唇か
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第1180話

一方、ミキからの容赦ないツッコミはまだ続いていた。【昔はずっとお預け食らって欲求不満だったのに、今度は欲求過多になっちゃったわね。どうせ声も枯れてるんでしょ?】【だから電話じゃなくてメッセージなわけね。納得】詩織:【……】ミキ:【でも、ほどほどにさせなさいよ。柊也のやつ、腎臓を一つ失ってる上に、もう若くないんだから。初恵さんに頼んで、また精のつく料理でも作ってもらいなさい!】詩織:【今、栄養補給が必要なのは間違いなく私の方なんだけど】スマホを置き、柊也に甲斐甲斐しく食事を口まで運んでもらう。少しお腹が満たされると、ようやく身体の奥に気力が戻ってくるのを感じた。ふとスマホの着信履歴に目をやると、昨夜の十一時過ぎに譲からの着信が残っていることに気がついた。通話時間は五十八秒。その時間、詩織は限界を迎えて意識を失うように眠っていたため、まったく着信音に気づかなかった。つまり、この電話に出たのは――詩織がじろりと恨めしげな視線を向けると、柊也は悪びれる様子もなく、あっさりと自白した。「ああ、言おうと思ってたんだが。昨夜、譲から電話があってな。『彼女なら疲れてもう寝た。用があるなら明日にしてくれ』と伝えておいた」詩織は絶句した。『もう寝た』だけならいい。『疲れている』だけだってもういい。――でも、どうしてわざわざその二つをくっつけて、『疲れて寝た』なんて言うの!?夜中の十一時に、男が恋人のスマホに出て「彼女は疲れて寝た」と告げる。そんなの、直前まで二人で『何をしていたか』を態々(わざわざ)言いふらしているようなものではないか!腹黒い。圧倒的に腹黒すぎる。ミキの言う通りだ。彼のような独占欲の塊は、少しでも自分に好意を寄せてくる男に対して、マウントと牽制を絶対に欠かさないのだ。詩織のお腹を満たしてやると、柊也はご機嫌な様子で尋ねた。「少し外を歩くか?」詩織の北里市での仕事が終わっており、時間が空いていることを知っての提案だった。詩織だって気分転換に出かけたい気持ちはある。だが、腰は痛いし、足に力は入らないし、そもそも立ち上がるのすら億劫なのだ。どうやって歩けと言うのか。詩織はふるふると力なく首を振って、彼の提案を拒否した。すると、柊也は待ってましたとばかりに目を細めた。
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