『エイジア・ハイテック』側との交渉の末、今後は誠意を持って連携するという確約を取り付けることができた。午後、詩織が自社に戻ると、密が弾んだ声で報告に来た。「詩織さん、新居の件、バッチリ決めておきました!」あまりの早業に、詩織も思わず目を丸くする。密は得意げに胸を張った。「詩織さんのことですから、近いうちに絶対引っ越すだろうなと思って、ずっと網を張ってたんです」終業後、早速内見に向かった。案内されたのは、詩織好みの広々としたフラットタイプの高級マンションだ。密の情報によれば、元々はオーナーが息子の新居用にリノベーションした物件らしい。ところが、肝心の息子がカミングアウトしてしまい、結婚話は破談。激怒したオーナーは即座に売りに出したが、あいにくの不動産不況で買い手がつかず、やむなく破格の家賃で賃貸に出したのだとか。以前住んでいた手狭な部屋の倍の家賃で、この眺望と真新しい内装の大邸宅が手に入る。詩織は一目で気に入り、その場で契約を決めた。引越しは、絶好の「断捨離」の機会でもあった。思い出の品々を次々とゴミ袋へ放り込んでいくと、不思議なほど心が軽くなっていくのを感じた。土曜の早朝、密が手配した引越し業者が到着し、荷物の搬出が始まった。トラックへの積み込みが完了すると、詩織は密に先に新居へ向かうよう指示を出す。「ちょっと片付けたいものがあるから、私は後で行くわ」「どこへ行かれるんですか?」「……ちょっとそこまで」密を送り出した後、詩織は一人、マンションの裏手にある人造湖へと向かった。距離にして数分もかからない場所だが、足取りは鉛のように重く、長い長い旅路のように感じられた。空はどんよりと曇り、肌寒い風が吹いている。詩織は湖のほとりに立ち、しばらく水面を見つめていた。やがて、ずっと手の中に握りしめていた「あるもの」を振りかぶり、湖の彼方へ向かって力一杯投げ捨てた。ぽちゃん、と小さな水音がして、波紋が広がる。それは、彼女と賀来柊也を結ぶ、最後の「証」だった。そして、彼が永遠に知ることのない秘密でもあった。……三月も半ばを過ぎ、うららかな春の日差しが街を包み込んでいる。詩織と智也は、行政が主催する第一四半期の経済協議会に招かれ、会場へと足を運んだ。ホールに足を踏み入れるなり、知っ
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