All Chapters of 七年の恋の終わりに、冷酷な彼は豹変した: Chapter 241 - Chapter 250

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第241話

正直なところ、同じ男として、先ほどの柊也の言葉は耳を疑うものだった。「ただ七年一緒にいただけだ。七年愛し合っていたわけじゃない」……あまりにも残酷すぎる。男の自分でさえ背筋が寒くなるセリフだ。詩織は一体どんな思いで、今の言葉を聞いていたのか。何か声をかけようとした潤だったが、詩織の意識はすでに向こうの男女になど向いていなかった。彼女は手元の腕時計に視線を落とすと、事務的に尋ねてくる。「それで、例の神宮寺さんという方は、いつ頃いらっしゃるの?」潤は慌てて居住まいを正した。「あ、はい。もう間もなく到着されるはずです」詩織は三十分ほど待ってみたが、例の神宮寺氏は一向に姿を見せなかった。しびれを切らした潤が先方のアシスタントに確認を入れると、帰ってきた答えは「急な会食が入ったためキャンセル」という、あまりにぞんざいなものだった。「申し訳ありません……せっかくの投資家をご紹介できると思ったんですが」潤はすまなそうに肩を落とす。だが、ビジネスの世界ではよくある話だ。「急用」というのは単なる口実で、設立間もない『華栄』など相手にする価値もないと足元を見られたのだろう。そんな扱いは今に始まったことではない。「気にしないで。ご縁がなかっただけの話よ」「神宮寺さんはまだ二十三歳で、海外の大学を出たばかりなんです。名家の跡取り息子として甘やかされて育ったせいか、かなり我儘な性格らしくて……ただ、バックの『神宮寺グループ』は国内屈指の資金力を持っています。もし組めれば、資金繰りの悩みなんて一発で吹き飛ぶんですが」「あなたの努力は伝わってるわ。ありがとう」ご縁がないものは仕方がない。無理強いしたところで良い結果にはならないだろう。詩織と潤がラウンジを出ていく姿を、遠目から太一が認めた。一瞬、声を掛けようと足が動いたが、すぐに立ち止まる。かつて彼女との間に作った溝や、浴びせてしまった心無い言葉の数々が脳裏をよぎり、今さら合わせる顔がないと思い直したのだ。彼は無言のまま、その場を立ち去った。資金調達の目途が立たず、詩織の表情は晴れない。密が胃を労わる特製のスープを差し入れながら、心配そうに覗き込んでくる。「詩織さん、眉間のしわがすごいですよ。あと、いくら足りないんです?」「最低でも400億円ね」動かせる金はす
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第242話

柊也と志帆は、まるで連れ立って歩くのが当たり前のような二人だ。むしろ片方しかいない方が据わりが悪い。だから「連れが来る」と聞いた瞬間、詩織は妙に納得してしまった。自分でもおかしいとは思うが、奇妙な強迫観念のようなもので、二人が揃っている方が逆にせいせいするのだ。唯一の遅刻者として現れた志帆は、「道が混んでいて」と言い訳をした。だが、この場にいる全員が車で来ている。渋滞など織り込み済みで早めに行動するのが社会人の常識だ。とはいえ、彼女はあの賀来柊也の連れだ。海雲や柊也の手前、誰も面と向かって文句を言う者はいなかった。志帆の方も、詩織がいることは事前に知っていたようだ。到着しても視線を合わせようとせず、驚く素振りも見せない。春臣が柊也に水を向けた。「おい柊也くん、紹介してくれないのか?」すると、隣の席から茶化すような声が上がる。「坂崎さん、まだ知らなかったんですか?こっちはとっくに耳に入ってますよ、賀来社長の本命彼女だってね」「そうそう、ゴールイン間近って噂じゃないですか。うかうかしてると引き出物をもらい損ねますよ」春臣は目を丸くした。「そいつは知らなんだ。お笑い草だな、親戚みたいな顔をしておいて一番最後とは。柊也くん、お前も水臭いぞ」「今、知ってもらえればそれで十分ですよ」柊也は悪びれもせず答えた。それは、世間の噂通り二人の関係を公に認め、「結婚間近」であることを肯定するに等しい発言だった。「まったく、海雲さんも人が悪い。こんな大事なことを黙ってるなんてなあ。ま、お前もいい歳だ。そろそろ身を固めるには丁度いい頃合いだろうよ」「ええ、確かにそうですね」柊也は淡々と頷いた。志帆は終始、満面の笑みを浮かべていた。喜びが全身から溢れている。柊也に関係を公認されたことはもちろん、彼が自分を商工連合会の会食に連れてきてくれたことが誇らしいのだ。以前は、海雲のコネでこの席に座る詩織を羨ましく思ったこともあった。だが今は違う。詩織など眼中にもない。海雲が詩織を贔屓にし、後ろ盾になっているのは面白くないが、そんなことは些細な問題だ。海雲に無視されようが、柊也さえ自分を見ていてくれればそれでいい。海雲はもう若くない。あとどれだけ生きられるか知れたものではないだろう。最終的に賀来家を継ぐのは柊也
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第243話

隣の席の人に会釈をして中座し、外の空気を吸いに出た。ついでに密に電話をかけ、迎えを頼む。電話を終えて戻ろうとすると、廊下で志帆と鉢合わせた。いや、どうやら待ち伏せしていたらしい。視線が合った瞬間、詩織はその意図を察した。逃げるつもりはない。その場に立ち止まり、真正面から見据える。志帆はツンと顎を上げ、挑発的に問いかけてきた。「聞いたわよ。『華栄』が港湾再開発プロジェクトに入札するんですって?」「ええ、そうよ。それが何か?」詩織は即答する。志帆は鼻で笑い、哀れむような目を向けた。「身の程知らずもいいとこね。柊也くんのそばで七年も働きながら、一体何を学んできたの?少しは手強いライバルかと思って買い被ってたけど……見当違いだったみたい」「あなたなんて、所詮その程度ね」傲慢そのものだ。最強の後ろ盾を持つ彼女には、そう言い切るだけの自信があるのだろう。「ずいぶん気にしてるみたいね?」詩織は腹を立てることもなく、涼しい顔で微笑み返した。志帆の表情が凍りつく。一瞬の間を置いて、彼女は低い声で告げた。「江崎さん、あなたに勝ち目はないわ。だって、柊也くんはいつだって私の味方だもの。あなたが七年間、どれだけ彼に尽くそうと無駄だったでしょ?あの人にとって、あなたの献身なんて一円の価値もないのよ」「でも私は違う。何もしなくたって、彼は必ず私を選んでくれる」言い捨てて去っていく志帆の背中を見送りながら、詩織の貼り付けた笑顔がゆっくりと崩れ落ちた。今のは効いた。痛いところを正確に突かれた。柊也に軽んじられたことが悲しいのではない。かつて愛のために突っ走ってきた愚かな戦士――過去の自分自身が、あまりに不憫でならないのだ。だからこそ、今回は何としても勝ちたい。勝たなければならない。その執念を理解しているのは、世界で自分一人だけだ。……隣の個室では、神宮寺悠人(じんぐうじ はると)が篠宮賢と食事を共にしていた。二人が顔を合わせるのは久しぶりだ。賢が不思議そうに尋ねる。「お前、懐石料理は量が少なくて性に合わないって言ってなかったか?なんでまたここにしたんだ」悠人は気にした風もなく答えた。「飯が目当てじゃないんで」「じゃあ何が目当てなんだ?」賢は笑いながら問いかける。悠人のことは、弟のような感覚で見守って
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第244話

そして志帆が気づく直前、何事もなかったかのように平然と視線を逸らした。ここで賢に会うとは予想外だった。詩織は素直に礼を言う。「すみません、助かりました」「あの時の折り畳み傘はどうした?あげただろう」賢は強まる雨脚を見やりながら尋ねた。「バッグに入ってますよ。便利だからいつも持ち歩いてて」詩織は鞄をポンと叩いてみせる。賢は目元を和ませた。「じゃあ、なんで使わないんだ?」「ここなら濡れないと思ってしまって」「油断大敵だよ。冷え込む季節じゃないとはいえ、風邪を引いたら大変だ」言葉を交わすうちに、密の車が到着した。詩織は肩のジャケットを返そうとしたが、賢は手で制する。「いい、着ていきなよ。いつでも返してくれればいいから」後ろに後続車がつかえている。詩織は手短に別れを告げ、助手席へと滑り込んだ。その夜――帰宅してシャワーを浴びるなり、詩織は事業計画書の修正に取り掛かった。先日、沙羅に会いに行った時の失敗が教訓になっている。あの時は準備不足で、危うく出資のチャンスを棒に振るところだった。同じ轍は二度と踏まない。それが詩織の流儀だ。事業計画書の作成には自信がある。とはいえ、最初から上手く書けたわけではない。以前はつい情熱任せの情緒的なストーリーを書いてしまいがちだった。ある投資会議の席で、柊也にこっぴどく批判されたことがある。「これは事業計画書じゃない。ただの笑い話集だ」「そんなに物語が書きたいなら文芸誌に投稿でもしろ。一銭にもならないだろうがな」あまりの屈辱に、その日はトイレに駆け込んで泣き腫らし、しばらく彼を無視し続けたものだ。記憶にある限り、柊也が折れたのはあの時だけかもしれない。彼は手土産を持って、詩織の自宅までやってきた。七年間で彼が彼女のプライベートな空間に足を踏み入れたのは、後にも先にもその一度きりだ。あの夜、彼はいつになく殊勝な態度で機嫌を取り、美味しい食事で彼女の胃袋を満たし、そして身体ごと彼女を満たした。事後、彼は手取り足取り書き方を教えてくれた。「ビジネスで必要なのは感情に訴える物語じゃなく、客観的なデータだ」と……もっとも、その後で「部屋が狭すぎる」「ベッドが硬くて寝心地が悪い」と文句を垂れ、二度と来ることはなかったけれど。夜十時まで作業に没頭していると、密
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第245話

詩織は礼を言い、待合スペースのソファに腰を下ろした。少し冷ましてから飲もうと考えながら、潤に状況確認のメッセージを送る。スマホの画面に集中していて、横から子供が突っ込んでくるのに気づくのが遅れた。躾のなっていない男の子が、猛スピードでこちらへ駆け寄ってきたのだ。とっさに詩織は身をかわそうとする――自分の熱湯がかからないように。カップの中身が大きく揺れ、熱湯が詩織の手の甲にバシャリとかかった。「っつ……!」焼きつくような痛みに息を呑む。それでも彼女は、反射的に空いている方の手で子供の襟首を掴んだ。そのままでは彼が巨大な観葉植物の鉢に激突してしまうからだ。勢いを殺された子供は床に転がり、次の瞬間、火がついたように泣き喚き始めた。「ちょっと、何してんのよ!」血相を変えて飛んできた母親は、我が子の泣き顔と、その襟首を掴んでいる詩織を見るなり鬼の形相になった。「子供相手になんてことすんのよ!綺麗な顔してやってること最低じゃない!恥を知りなさいよ!」一方的な罵倒に、詩織は一瞬呆気にとられた。手の甲の激痛で思考が追いつかなかったのもある。言い返そうと口を開きかけたその時、聞き覚えのある冷ややかな声が横から響いた。「顔が不細工なだけじゃ飽き足らず、目まで腐ってんのか?脳味噌ついてないなら教えてやるが、彼女がお前のガキの命を救ったんだぞ」女は突然現れた男の暴言に、ポカンと口を開けた。柊也は呆然とする女など見向きもせず、強引に詩織の手首を掴み上げ、患部を確認する。詩織はさらに混乱した。何をしているの、この男は。私を庇ったつもり?誰が頼んだというのか。「火傷してる。病院行くぞ」患部を見た柊也の表情が、先ほどよりもさらに険しくなる。有無を言わせぬ命令口調だ。詩織は乱暴に手を振りほどいた。「ほっといて」二人が連れではないと見て取ったのか、女が再び勢いづく。「うちの子は何にもしてないわよ!この女がいきなり服を引っ張ったから転んだんでしょ!」母親の援護射撃を得て、ガキはさらにボリュームを上げてギャン泣きし始めた。ホテルのロビー中に不快な泣き声が響き渡る。「黙れ!」「うるさい!」男女の声が同時に重なった。あまりの剣幕に、ガキはヒッと息を呑んで押し黙った。詩織は柊也を無視し、騒ぎ立てる女に向か
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第246話

柊也はあくまで病院へ連れて行くつもりらしい。「賀来柊也!痛いってば!」詩織が悲鳴のような声を上げると、彼はハッとして手を緩めた。その隙に詩織は彼から距離を取り、赤くなった手首をさすった。表情を凍らせ、かつての彼のように嘲笑を含んだ口調で言い捨てる。「いつからそんなお節介焼きになったわけ?そんな暇があるなら、大事な本命彼女のご機嫌取りでもしてれば?」彼女はすぐに視線を切り、彼に一秒たりとも関心を割く価値はないとばかりに背を向けた。手の甲がひりひりと焼けるように痛む。確かに病院には行った方がいい。詩織は通りでタクシーを拾おうと手を挙げた。情緒不安定な元カレにかまっている暇などなかった。柊也は運転手の鈴木に電話をかけた。「車を回せ。詩織を病院へ送ってやってくれ」自分と一緒に行くのが嫌なら、鈴木に行かせればいい。とにかく傷の手当をさせるのが最優先だ。だが、鈴木の到着よりも早く、一台のセンチュリーが滑り込んできた。運転席の賢が窓を開け、声を掛けてくる。「江崎さん、どこへ行くの?良かったら送るよ」普段なら遠慮しただろう。だが今は、一刻も早くこの情緒不安定な元カレから逃れたかった。詩織は迷わず彼の車に乗り込む。「すみません、病院までお願いできますか」「病院?」賢は快く引き受けつつも、心配そうに表情を曇らせた。「どうしたんだい、具合でも悪いのか?」「ちょっと火傷しちゃって」賢はそれ以上何も聞かず、すぐに車を発進させた。一秒でも早く治療を受けさせようという気遣いが伝わってくる。柊也はその場に立ち尽くし、彼女が他の男の車で去っていく様を、自虐的なまでに見つめ続けていた。テールランプが見えなくなっても、視線はそこから動かない。半眼に細めた瞳の奥には、どす黒く重たい感情が渦巻いている。心臓を鷲掴みにされたような息苦しさが、胸の奥で燻っていた。遅れて到着した鈴木が、詩織の姿がないことに気づいて尋ねる。「社長、江崎さんは……?」柊也は奥歯を噛み締め、低く押し殺した声で答えた。「他の男と行った」鈴木はそれ以上何も言えず、深く口を閉ざした。幸い、詩織の火傷は軽度で済んだ。医師の処置を受け、塗り薬と抗炎症剤を処方してもらう。その間、賢はずっと付き添ってくれていた。「一人で大丈夫ですから
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第247話

「了解っす」悠人は短く答えて通話を切った。そして即座に別の番号へとかけ直す。相手が出た途端、声のトーンがまるで別人のように柔らかく変化した。「出てきた?」志帆はオフィスの外へ向かっていた。「うん、今エントランスよ」「そこで待ってて」悠人はそう言い残して電話を切り、ドアを開けて車を降りた。傘を掴み、小走りで志帆の元へ向かう。その時、ビルの前にあるロータリーを賢のセンチュリーが通り過ぎていった。志帆の視界に、車中の賢と詩織が楽しげに談笑する姿が飛び込んでくる。志帆の眉間に皺が寄った。だが、雨の中を悠人が駆け寄ってくるのを見つけると、瞬時につややかな笑みを張り付けた。「来てくれたのね」……夕食後、賢は詩織を自宅まで送り届けてくれた。「今日は一日、すっかりお世話になっちゃって」詩織は申し訳なさを滲ませる。だが、賢はきっぱりと首を横に振った。「世話だなんてとんでもない」「むしろ君の力になれて嬉しかったよ。またこういう機会をくれると嬉しいな」賢がいわゆる「直球勝負」のタイプだということは、以前から気づいていた。何しろ会って二回目で、ほとんど告白に等しいアピールをしてきたのだから。今の詩織に恋愛ごとの余裕はない。彼の好意に応えられないのは心苦しいが、こればかりはどうしようもない。賢に別れを告げ、部屋に戻る。時間はまだ早い。これならもうひと仕事できるだろう。入札の最終決定会議は目前だ。気を抜いている暇はない。パソコンを開いた矢先、スマホがチカチカと点滅した。ショートメッセージだ。差出人は、賀来柊也。また亡霊のお出ましか。【LINEのブロック解除しろ】馬鹿馬鹿しい。誰がするものか。詩織はメッセージを開封すらせず、スマホを放り出した。だが向こうも引き下がらない。すぐに次の通知が来る。【早くしろ。用がある】しつこさにうんざりして、電源を切ろうとした時、三通目が届いた。【治療費、いらないのか?】金とあれば話は別だ。それに、元はと言えば自分の治療費だ。みすみす柊也の懐に収めさせてやる謂れはない。受け取るものだけ受け取って、またブロックすればいいだけの話だ。詩織はLINEを開き、柊也をブロックリストから解除すると、即座にメッセージを送りつけた。用件のみ
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第248話

宣言通りだ。柊也からの送金通知が来るや否や、詩織は秒速で金を受け取り、即ブロックした。躊躇も遅延も一切なしだ。奴のスパイ行為のおかげで、逆に闘志に火がついた。詩織はアドレナリン全開で、より一層プロジェクトに没頭していく。それから一週間、彼女はまさに東奔西走の日々を送った。『華栄』、『ココロ』の開発室、そして役所。その三拠点をひたすら往復する毎日だ。当然、行く先々で志帆と顔を合わせることもあったが、互いに完全に無視を決め込んだ。まるでそこに誰もいないかのように、徹底的に空気扱いする。何度か柊也の姿も見かけた。決まって志帆を迎えに来ている時だ。詩織自身は気づかなかったのだが、潤が目聡く発見して教えてくれた。「柏木志帆、あのプロジェクトに相当入れ込んでるみたいですよ。連日残業して進捗を詰めたり、あちこちで接待してるって噂です」「賀来社長も彼女に付きっきりだそうで。残業続きの彼女を気遣って、『エイジア』にある自分の仮眠室を使わせてるらしいですよ」それを聞いて、詩織は心の中で嘲笑った。仮眠室で寝てるだって?寝ているのはベッドじゃなくて、男の方じゃないの。『エイジア』の残業王として七年も尽くした詩織ですら、あの部屋には一度も入れてもらえなかった。あの時、彼はなんと言ったか。「社員の手前、示しがつかない」よく言うよ。単に自分の「一途な男」というイメージを守りたかっただけでしょ。今頃はさぞかし気分がいいだろう。「この部屋を使った女は、今までお前だけだ」なんて、いかにも俺様社長な台詞を吐いて。志帆あたりは感激して涙でも流してるんじゃない?そこまで想像して、詩織は思わず吹き出してしまった。あまりにもベタな三流ドラマすぎて笑える。不審に思った潤が尋ねる。「何か面白いことでもありました?」「ううん。ちょっと汚いものを想像してたら、あまりに滑稽で」「……はあ?」潤は首をかしげた。汚いもので笑う?社長、過労でおかしくなったんじゃないだろうか。「そういえば今朝、エレベーターで柏木志帆に会いましたよ。『アーク』にデューデリジェンスに来てたみたいです」『アーク・インタラクティブ』と『華栄』は同じオフィスビルに入っている。鉢合わせるのも無理はない。「あの案件、以前は社長が担当されてま
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第249話

なんとも仰々しい登場だった。大名行列のように大勢の取り巻きを引き連れている。その中には太一の姿もあった。前回のように、また気の早い勝利のシャンパンでも冷やしているのだろうか。あまりの騒々しさに、詩織は思わず視線を向けた。彼らの余裕綽々といった表情を見るに、志帆の勝利を微塵も疑っていないらしい。それも当然だろう。絶対的な権力を持つ賀来柊也という後ろ盾がいるのだから。詩織はふいと視線を外すと、興味なさげに踵を返し、潤たちと共に一足先に会場へと足を踏み入れた。今回は、志帆の母である佳乃も帯同していた。先日の『飛鳥』リリースの祝賀会での騒動以来、しばらく鳴りを潜めていた彼女だが、志帆から「柊也くんが数兆円規模のプロジェクトを任せてくれた」「絶対に勝てる」と聞き、再び社交界に顔を出すようになったのだ。志帆に付き添いを頼まれた美穂は、ここぞとばかりに佳乃へゴシップを吹き込んでいた。「叔母様、さっきの女が江崎詩織ですよ」佳乃にとって詩織は、AI『ココロ』の投資家であり、娘の晴れ舞台に泥を塗った憎き相手でしかなかった。柊也との深い関わりについては、何も聞かされていない。志帆が帰国して以来、柊也の態度は献身的そのもので、元カノの影など微塵も感じさせなかったからだ。だが、『エイジア』で働いていた美穂は事情に通じている。彼女は自分が知る限りの情報を佳乃に耳打ちした。それを聞いた佳乃の顔色が、さっと変わる。「……なんですって?柊也くんがあの女を、七年も囲っていたと言うの」美穂は大きく頷いた。「ええ、そうなんです。でも安心していいですよ。柊也さんはあの女のことなんて何とも思ってませんから。ただの便利な道具扱いでしたし、志帆お姉ちゃんが戻ってきた途端、ゴミみたいに『エイジア』から追い出したんですもの」そう軽んじる美穂とは対照的に、人生経験の豊富な佳乃の眼差しは険しかった。「七年……それは決して短い時間じゃないわ」一人の男が、一人の女を七年もの間、手元に置いていた。そこに何の意味もないはずがない――それは決して侮れない事実だと、佳乃の本能が告げていた。受付を済ませた志帆と柊也が、佳乃を伴って会場に入ってきた。座席は到着順に指定されている。詩織たち『華栄』と、柊也率いる『エイジア』一行の間には、別の応札業者
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第250話

化粧直しを完璧に済ませた志帆は、非の打ち所がない淑女の笑みを浮かべて席に戻った。着席するなり、スマホが震える。悠人からだ。【祝勝会のシャンパン、手配済みだよ】という気の早いメッセージだった。志帆はすぐに返信する。「気が早いわね。そんな無駄遣いして」【もう昔の『貧乏学生』じゃないからね。僕に遠慮は無用だよ】かつての彼を思い出し、志帆はくすりと笑う。【誰のせいで騙されてたと思ってるの】【隠してなきゃ、先輩が損得勘定なしの優しい人だって分からなかったでしょ】志帆は満更でもない笑みを浮かべると、スマホをしまい、入札の結果発表に意識を集中させた。一方、隣の席では智也が詩織に小声で問いかけていた。「……緊張、してる?」「少しだけね。でも、私はあなたを信じてるから」詩織たちの役割分担は明確だ。智也が革新的な技術開発と実装を担い、詩織が資金調達からリソースの統合、商業化への道筋、そして勝てる市場戦略を構築する。互いが得意分野に特化し、背中を預け合うことで、最強のシナジーを生み出しているのだ。会場の空気は、すでに勝負ありといった様相を呈していた。他の競合他社は最初から白旗を上げているようなものだ。「記念受験」ならぬ「記念入札」といった風情である。江ノ本市において、巨大財閥『エイジア』に喧嘩を売って勝てる者などいない――それが業界の不文律だからだ。すでに多くの参加者が、おこぼれに預かろうと柊也や志帆の元へ挨拶に群がっている。下請けでも何でもいいから食い込みたいのだろう。対して、詩織たちの周りには――誰も寄り付かない。まるでそこだけ真空地帯のようだ。その光景を見て、志帆は勝ち誇った笑みを漏らす。以前のAI対決では不覚を取った。確かにあの時は落ち込んだが、柊也は見捨てなかったどころか、さらに巨大なプロジェクトを与えて再起のチャンスをくれたのだ。一度勝ったくらいで図に乗らないでほしい。あれはただのビギナーズラック。幸運の女神が、いつまでもあの女の味方をすると思ったら大間違いだわ。志帆は傲慢な流し目で詩織を一瞥すると、隣に座る佳乃に耳打ちした。「お母さん、お父さんはいつ来るの」「もう向かってるわよ。結果が出る頃には着くはず。こんな大事な日だもの、あの子煩悩なお父さんが来ないわけないじゃない」
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