All Chapters of 百合な親友と共に双子を育てる離婚妻。元夫とのすれ違い愛には裏があった: Chapter 101 - Chapter 110

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第101章:甘えん坊と“親殺し”*蓮

9月の週末、僕は自分の部屋でノートパソコンに向かっていた。外はまだ夏の陽射しが強いが、部屋の中はエアコンが効き、少し肌寒いくらい。菖蒲は今日も撮影で出かけてるし、遥花は買い物に出ている。悠真は、会社で忙しいみたいだ。僕はずっと『Phantom Guard』の運用に没頭していた。このアプリは、ネットの闇から大事な人を守るためのものだ。一般的なアンチウィルスソフトは、敵の攻撃から自分を守るだけ。このアプリが違うのは、攻撃してきた敵に、ごくごく小さなデータを送り返せることだ。データそのものは別に大したデータじゃない。けれど、例えるならそれは小さな植物の種のようなもので、敵が持ち帰った先で芽吹き、そこから養分を吸い取るように敵の情報を収集することができる。かつて僕が作ったアプリ『Sweets Filter AI』も、少しは会社の役に立った。でも、それだけじゃ足りない。もっと強い武器が必要だ。だから、『Phantom Guard』を完成させた。ステアリンググループの機密データにアクセスを試みていたのは、女性社員である“Tsubaki Enjoji”であることはわかっていた。しかし、どうしても違和感があったのだ。彼女は果たしてハッカーなのだろうか。ハッカーであれば、わざわざ自分のフルネームを明確にしながらアクセスしてきた意味がわからなかった。ひょっとしたら他の第三者が、“Tsubaki Enjoji”の端末を経由して、完全に正体を隠しながらアクセスをしかけてきているということもあり得るのではと考えたのだ。そこで『Phantom Guard』の出番だった。一月前からそれが彼女の端末に種を落とし、芽吹いた。再び彼女がアクセスを試みたとき、にょきにょきと伸びた蔓が彼女の腕をとらえ、その手を動かす真の黒幕を探し始めた。 ようやく見つけたのが先週のこと。“Tsubaki Enjoji”の端末に外部からアクセスし、あたかも彼女自身がハッキングしているように見せかけるプログラムが動いていたのだ。このプログラムが何なのか、『Phantom Guard』はさらに追跡をしかける。 そして数日前、ようやくたどり着いたのが、別の企業のものと思われる屈強な門――ファイヤーウォールだった。 何度も突破を試みたが、なかなかガードは堅かった。じきに、敵もこっちの動向に気づいて反撃し
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第102章:筆談とこじつけ*蓮

翌日。朝の陽射しが部屋に差し込んでいた。僕はベッドから起き上がり、すぐにノートパソコンを開いた。昨日の『Phantom Guard』の成果を悠真に報告せねば。リビングへ降りると、遥花が朝食を準備してた。菖蒲はまだ寝てるみたい。悠真は総帥として早朝から出かける日が多いが、今日は休みだと言っていた。「おはよう、蓮。今日はお父さんも一緒に朝ごはんよ」遥花の笑顔は、優しい。彼女に不倫の疑いがあることを思って胸が落ち着かないが、今はそれどころじゃない。悠真がスマホを見ながらリビングに入ってきた。「おはよう、蓮。遥花」「おはよう、悠真――父さん」僕はノートパソコンを抱え、テーブルに座った。悠真がコーヒーを飲みながら僕を見た。「蓮、どうした? 大事な話があるって、昨夜チャットで送ってきてたが」僕は、深呼吸した。「うん。『Phantom Guard』を使って、敵の正体を突き止めた。“Tsubaki Enjoji”は、端末を使われただけだ。彼女の影からネットブロード社が侵入してきて、ステアリンググループの情報を奪っていたんだ」悠真の目が鋭くなった。「本当か? 何を奪われた?」画面を見せた。sophilaが盗み出したステアリンググループの機密情報。株取引の内部データ、プロジェクトの詳細。そして、僕と菖蒲の個人情報。学校の記録、写真、住所……全部。悠真の顔が、青ざめた。「なんてことを……お前、これもしかして……」悠真が遥花を見る。慌てて悠真の手を取ると、再び僕の方を向いた悠真に、ただ首を振った。「ん? どうしたの、今朝はすごく仲良しじゃない」そののほほんとした様子に悠真も気づいたのだろう。スマホの画面に向かい、“ママには何も伝えていないんだな?”とメッセを送ってきた。“そうだよ。このことは僕以外、誰も知らない。今、悠真に初めて打ち明けている”“お前、これは刑事事件だぞ。ネットブロード社を訴えなければ”“そう、これは事件だ。これを訴えれば、反町香澄を止めることができる”悠真は黙ったまま、スマホを持つ手を震わせていた。怒りと、決意。でも、僕は胸が痛かった。“父さん、これで本当にいいのかな”悠真が僕を見た。“どういう意味だ?”“sophilaは僕の魂の父親みたいな人だと思ってた。まだ赤ん坊の頃だから記憶は無いけど、僕を育てて、守ってくれた
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第103章:ザワザワとキスマーク*遥花

椿さんはいつも全力で私を愛してくれた。「遥花さん、あなたのすべてが欲しい」と、涙を流しながらキスをする。彼女の愛は、貪欲で、幼くて、痛いほど純粋だった。「あたしじゃだめですか……あたしじゃ、遥花さんを癒せませんか? かつての、あなたの恋人みたいに」椿さんの告白は突然だった。6月、悠真や子供たちが不在の大道寺家の屋敷で、彼女は私の手を握り、涙を浮かべて言った。あの瞬間、私の心は大きく揺れた。香澄のことを思い出した。あの温かさ、あの切なさ。椿さんの手は香澄の手に似ていた。それから3か月。私は罪悪感に苛まれていた。悠真は今、総帥として会社を必死に守っている。蓮と菖蒲のためにも、私が支えなきゃいけないのに。私は裏切っている。そして蓮も悠真を支えようと、アプリ開発で必死だ。今朝はどうやら、敵のネットブロード社へのアクセスに成功したようだ。それって違法行為では? と心配もしたが、先に不正アクセスしてきたのはネットブロード社らしい。ネットブロード社から反町香澄社長の動画が送られてきたときには、心臓が止まるかと思った。かつて愛した遠藤香澄の面影を持つ彼女。しかし今はまったくの別人だ。「私こそが、真の香澄よ。“過去の香澄”は戻らない。私が、完全な香澄。あなたたちの敵。そして“過去の香澄”は、私だけの物。もう誰にも渡さない、触れさせない」彼女がそう言い放つのを聞いて、悠真は逆にこう言った。「この言い方だとまるで、今でも“渡せるし、触れられる”ものであるような言い方に聞こえないか?」彼は香澄が戻ることを信じて、香澄を目覚めさせる方法を探す方向にシフトした。もしかしたら元の香澄が戻る可能性もあるのかもしれない。けれど私はいまだ半信半疑だ。もう香澄を失ってから9年も経っているのだ。何度も諦めようとしたものにいまだ「希望を持て」という方が馬鹿げている気もしている。私も歳を取った。いつまでも悠真や蓮のように、希望を持って生きることはできない。その生き方に疲れてしまった。「ママ、今日もお疲れ様!」その日の夕食の席で、菖蒲が笑顔で言う。蓮はパソコンをいじりながら、「遥花、今日の夕飯美味しいよ」と褒めてくれる。悠真は遅い帰宅だけど、帰ってくると必ず私を抱きしめてくれる。今は、変な希望に心踊らされたくない。この家族を、壊したくない。そして同時に、椿さんを傷つけたくもない。椿さ
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第104章:蘇る霊視*阿左美

【2025年10月】死産してから無くなっていた私の霊感が、最近、少しずつ回復してきた気がする。夫であるコーちゃんの支えも大きい。彼は仕事から帰ってくるといつも、疲れた顔でも笑って、「あ~ちゃん、今日も可愛いな」と言ってくれる。妊娠中は体調が悪くて、ほとんどできなかった夜の営みも、少しずつ再開している。優しく、ゆっくり、私の体を気遣いながら。「無理しなくていいよ。俺は、あ~ちゃんが元気でいてくれるだけで幸せっスから」コーちゃんの言葉に涙が出そうになる。あの死産のショックで、私は自分を責め続けた。百合子さんの霊を現世に引き留めてしまったせいだ。彼女の恨みが、私の子を奪ったんだと。でも、コーちゃんはそんな私をいつも抱きしめ、慰めてくれた。 「あ~ちゃんのせいじゃない……きっとあの子も、そんな風にあ~ちゃんに苦しんでほしいなんて思ってないっス。あの子がお腹にいる間、俺も幸せで、あ~ちゃんのこともずっと大切に思えて、仕事だって必死になって頑張れたっス。短くても、その命にちゃんと意味があったって思いたくないっスか? だって、元気に産まれてくることは叶わなくても、俺とあ~ちゃんの自慢の子だったことは間違いないんスから」 彼のその言葉が救いだった。霊視の感覚は、最初はぼんやりとしたものだった。百合子さんの霊が、まだ近くにいる気がする。成仏したと思っていた。今日もコーちゃんが出かけた後、私はベッドで目を閉じ、霊視を試してみる。無理は禁物だけど、少しだけ。深呼吸して集中する。部屋の空気が重くなる。冷たい風が、頬を撫でるような感覚。「……百合子さん?」呼びかけてみる。すると、ぼんやりとした影が現れた。百合子さんの霊だ。彼女の目は悲しげで、でも強い光を宿している。“阿左美……ごめんなさい。あなたの赤ちゃんを……”百合子さんの声が、頭の中に響く。「百合子さん、あなた、私の子供を道連れにして成仏したんじゃなかったの?」声に出して尋ねると、こう返ってきた。“ええ。恨みに満たされた魂の一部は、成仏したわ。今残っているのは罪悪感だけ。あなたに対して申し訳なく思う気持ちだけが、現世に残ってしまったの”そうだ。人間の魂は、1つの体に必ず1つというわけじゃない。例えばかつての香澄さんみたいに、1つの体に複数の魂がある場合もあれば、感情の分散によって元々1つから別れてし
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第105章:涙の告白と路線情報*遥花

阿左美さんのマンションを訪ねたのは、秋の陽射しが少し寂しく感じられる午後だった。ドアを開けると、阿左美さんは笑顔で迎えてくれた。 「遥花さん、来てくれてありがとう」 リビングに通され、ソファに並んで座る。阿左美さんはハーブティーを淹れてくれた。彼女の表情は穏やかだったが、目には少し疲れが見えた。 「阿左美さん、大事な話って何? あんまり楽しそうな雰囲気じゃなさそうだけど」 尋ねると、彼女は少し目を伏せた。 「ええ。実は私、霊感が戻ってきたの」 「え? 良かったじゃないの。それって、阿左美さんが望んでいたことでしょう?」 だが、相変わらず阿左美さんは少し困ったような表情のままだ。 「そうね。ありがたい話だと思う……でもそれによって、普通じゃ知っちゃいけないようなことまで知ってしまった。遥花さん、あなたが隠していた秘密の話とか」 言葉に詰まる。私の秘密……間違いなく、あのことだろう。 「遥花さん、円城寺椿という女性と付き合っているんでしょう」 やっぱり。私は目を閉じる。 それが阿左美さんには、また私が誤魔化そうとしているように見えたのだろうか。やや咎めるように、語気を強めて言葉を続けた。 「ダメよ、遥花さん。椿は反町香澄が寄越してきた罠なの。大道寺家を崩壊させるための」 彼女の言葉に、私は首を振った。 「警告ありがとう、阿左美さん……あなたの言う通り、私は不倫している。だけど、相手の素性もぜんぶ知っていたわ。彼女の本来の目的もわかった上で付き合っていたの」 阿左美さんは驚いた顔をした。 「知ってて……? どうして、そんな……」 私は続けた。 「私、自分でも何をしたいのかよくわからなくなってしまった。蓮と菖蒲がお腹の中にいたころは、あの子たちのために頑張れた。だけどあの子たちは今、大道寺家のために頑張っている。私なんかもう必要じゃなくなったみたいに」 最後の方で、少しだけ声が震えた。阿左美さんは慌てて言う。 「何を言ってるの、遥花さん……あなたは大道寺家にとって必要な人間でしょう? 悠真さんも、蓮君も菖蒲ちゃんも、遥花さんがいないとダメよ」 その言葉に、私はまた首を振って返す。 「ううん……でも私、香澄のことを忘れられなくて。彼女が反町香澄という敵になってしまっても、私の中の香澄はまだ生きてる気がするの。椿さんにも、香澄の面影
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第106章:対峙の果て*sophila

ネットブロード社の社長室は、いつも通り静かだ。窓の外には東京湾が広がっている。私の会社、私の王国。ここから、すべてを支配する。 ドアがノックされた。秘書が「大道寺遥花様がお見えです」と告げる。私は微笑んだ。 「通して」 遥花が入ってきた。彼女は少しやつれた顔をしていた。でも、目には強い光が宿っている。かつての恋人。私の体を共有していた“過去の香澄”が愛した女性。 「あなたは……香澄? sophila? それとも、“反町香澄”という新しい人格なの?」 遥花の声は震えていた。私はデスクから立ち上がり、彼女に近づく。 「私は反町香澄、ネットブロード社の社長よ。ただ、“sophila”……それがかつて私が呼ばれていた名であることは認めてあげる。少なくともあなたが求めている“過去の香澄”は、表には出てきていない。私の心の奥底で、今も眠りについている。私だけのためにね」 遥花の目が揺れた。 「やっぱりsophilaだったのね……だけど、私と短い間だけ共に過ごしていたsophilaとは違うわ。今のあなたは、まるで隆一に洗脳されていたときみたい」 その言葉に、私は笑った。 「隆一? あの男の洗脳? 遥花、あなたはまだそんな古い話に囚われているの? 隆一は、私を道具として作ったつもりかもしれない。でも、私はもう彼の影響なんて受けていない。すべて私の意思よ」 遥花は一歩近づいた。 「嘘よ。あなたは隆一の意志を継いで、大道寺家を崩壊させようとしている。その自覚がないのかもしれないけど、それこそが洗脳されている証拠でしょ?」 言葉に詰まる。いや、違うなら違うとすぐに言い返せばいい。けれどそれができないでいる間に、追い打ちをかけるように彼女は言う。 「あなたは今、ステアリンググループを内側から壊そうとしている。だけどそんなことして、あなたにとって何のメリットがあるの? 確かにsophilaは、私のために敵を殺そうとするような、怖いことをする人格だった。けれど、意味もなく相手を傷つけるようなことはしなかったはず」 ようやく私は首を振って否定した。 「遥花……あなたは、私を“過去の香澄”や、かつての“sophila”としてしか見ていないのね。確かに“過去の香澄”はあなたを愛していたし、“sophila”だった私もあなたを愛そうとした。双子を守り、あなたを支えた」
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第107章:GPSとじゃがりこ*菖蒲

撮影が終わってマネージャーの奥野と一緒に帰ったら、家が静かすぎた。いつもならママの遥花が「おかえり、菖蒲。今日も可愛いい!」とギュ~ッて抱きついてくるのに、今日は誰もいない。お兄ちゃんは……部屋に近づくと、パソコンのカタカタ音が聞こえた。「ねえ、ざあこお兄ちゃん! ママどこよ!?」部屋のドアをバーンって開けて入る。お兄ちゃんはチラッとだけこっちを見て、「知らないよ。今朝方“ママ、ちょっとお出かけ”って言って出ていったっきりじゃないか」って、あとはパソコンを見ながら超つまんなそうに言う。「はぁ? この時間まで帰ってきてないなんて“ちょっとお出かけ”のレベルじゃないでしょ!? ざあこのお兄ちゃんのクセに、ママ帰ってこなかったらどうするの! 早くお得意のハッキングでも何でもやって確かめなさいよ、ざあこ!」私に付いてきた奥野も、不安そうな顔をし出した。「遥花さんが行方不明なんて……ど、どうしよう。まずは悠真さんに連絡を……」お兄ちゃんはため息ついて、「菖蒲、奥野さん、遥花は大人だよ。たまには一人で出かけたくなることだってあるさ」って、いつものマジメ顔で言う。「違うもん! ママ、最近変だったもん。笑ってるけど、目が泣いてるみたいだった。菖蒲、気づいてたんだから! お兄ちゃんのざあこ目は気づかないんだねー。パソコンばっか見てるから目が腐ってるんだよ!」お兄ちゃんの顔がちょっと青くなる。ふふん、当たりー!「菖蒲も、気づいてたのか……」「当たり前じゃん! 菖蒲は天才子役だもん。人の気持ちとか、演技でわかるんだから! お兄ちゃんみたいにパソコンにばっか張り付いてるざあこじゃないもん。ママ、きっと寂しかったんだよ。パパは仕事ばっかだし、お兄ちゃんはパソコンばっか。ママの相手をしてあげるのなんて、菖蒲しか……」そこでハッとした。最近主演のドラマの撮影が忙しくて、ママの相手をしてあげていない。ってことは……菖蒲のせいじゃん……。涙がこぼれそうになる。と、急に泣きそうになっているのを察して、奥野が私の頭を撫でてくれた。「菖蒲ちゃんのせいじゃないよ。とりあえず悠真さんにはLINEしておいた。会議中なのか、まだ既読にはならないけど……とりあえず僕たちで、できる限りのことをしよう」奥野の声、優しかった。でもお兄ちゃんは相変わらずパソコンをいじっている。「……ちょっと
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第108章:一人きりの夜*遥花

安ホテルの部屋は、狭くて、古くて、でもどこか懐かしい匂いがした。10年前によく利用していたころと内装も何も変わっていない。数年前に世界的なパンデミックがあって、さまざまな飲食店やら旅館やらが経営の危機にさらされたが、このホテルだけは変わらず営業を続けていた。高級な店や旅館はどんどん潰れていったのに、こういうホテルこそ案外、強かさを備えているものなのかもしれない。ベッドに腰を下ろす。シーツは少し黄ばんでいる。壁にはタバコのヤニが染みついていて、かすかに煙草の匂いが残っている。私は深く息を吸った。嫌な匂いのはずなのに、それさえ懐かしい。窓の外は、もう真っ暗。ネオンがチカチカと点滅している。スマホの電源は切った。蓮のアプリで追跡されるかもしれないと思ったから。家族に心配をかけたくない。でも本当は、追ってきてほしいのかもしれない。私は不倫をした。悠真を裏切った。蓮と菖蒲の母親として、失格だ。香澄の面影を追いかけながら、結局は自分の弱さに負けた。椿さんの優しさに甘えて……そして、家族を傷つけた。「もう大道寺家には戻れない……」独り言が部屋に響く。誰もいない。返事もない。10年前に大道寺家を飛び出してきたときには、お腹に蓮と菖蒲がいた。今は、本当にただの一人ぼっちだ。ベッドに横になる。天井のシミを見つめ、涙がこぼれた。「ごめんね、悠真……蓮、菖蒲……」嗚咽が漏れる。枕に顔を埋めて、声を殺す。どれだけ時間が経ったかわからない。涙が乾いて、目が腫れて、喉が痛くなった頃、部屋のドアをノックする音がした。「……誰?」声が震える。ホテルの人かなと思った。でも、返事は幼い声だった。「ママ……いるんでしょ? 開けて」菖蒲……?私は飛び起きた。ドアに駆け寄り、チェーンをかけたまま少しだけ開ける。そこに、菖蒲が立っていた。奥野さんが後ろにいて、蓮がスマホを握りしめている。「菖蒲……どうしてここに……」菖蒲の目が赤い。泣いていた。「ママを探したの。お兄ちゃんがSuicaの履歴を調べて、最後に降りた駅まではわかったから。田中さんが車を出してくれて、あとは奥野が、付近のホテルに片っ端から連絡してくれて、ようやくたどり着いたの」蓮が静かに言った。「遥花……GPSオフにしてたから、本当に苦労したよ。まさかこんなボロいホテルに泊ってるなんて思わなかったから。
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第109章:忠誠心と自己矛盾*椿

10月の暮れ。東京の空は、秋の終わりを告げるように灰色に染まっていた。 あたしは、ネットブロード社の社長室の前に立ち、深呼吸を繰り返していた。ドアの向こうにいるのは反町香澄――あたしが「隆一様の意志を継ぐ者」として仕えてきた女。彼女の命令はいつも絶対だった。でも、今日だけは違う。 ドアをノックする手が震える。入室を許されると、香澄はデスクに座ったまま、冷たい目でこちらを見上げた。黒いスーツが、彼女の肌をより白く見せている。美人だけど、どこか壊れそうな脆さがある。 「椿。報告を」 香澄の声は、いつものように感情が薄い。あたしは、喉に詰まった言葉を無理やり押し出した。 「遥花さんとの関係……順調です。彼女は、あたしを……本気で愛してくれています」 香澄の唇が、わずかに歪んだ。笑みなのか、嘲りなのか。 「順調? それは良かったわ。でも彼女、先日、私のところに来たわよ。“過去の香澄”を取り戻そうとして。まったく、どうして人間って、そんなに過去に縋りつきたがるのかしら」 まるで自分が、人間を超越した上位の存在にでもなったように言う。いや、ある意味そうかもしれない。彼女はあらゆるところが超越している。隆一様の洗脳によって作られた存在。まるで人の心が欠落している。 「遥花との関係が順調だというのなら、彼女に離婚を迫りなさい。すでに悠真にはそれを迫って、失敗したようだけど。遥花ならうまくいくんじゃないかしら。あれだけ人から傷つけられた経験を持つ彼女なら、悠真のことも傷つけまいと、あなたに従うんじゃないかしら。今度こそ大道寺家は崩壊よ。そしてそれが、ステアリンググループの崩壊の引き金になる」 だから、平気でこんな血も涙もない提案ができるんだ。あたしは拳を握った。爪が掌に食い込む。 「……できません」 香澄の目が、細くなる。 「できない? なぜ?」 「あたし……遥花さん、本気で愛してしもうたけん。隆一様の仇取るためやのうて、あたし自身のために、遥花さん幸せにしたいって……ほうじゃけんもう、彼女惑わせるようなことはしとうないし、ええとう(言いたく)ない」 部屋に、重い沈黙が落ちた。香澄はゆっくり立ち上がり、あたしに近づいてきた。冷たい指が、あたしの顎を掴む 「椿。あなたは、私の道具よ。愛なんて幻想にすぎない」 「違う……! あたしは遥花さん愛しとるけん!
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第110章:暗闇と頭痛*sophila

オフィスの社長室はいつも通り静かで、冷たい。窓の外、東京湾の景色が広がっているけど、今日は霧がかかってぼんやりしている。私の気分みたいだ。デスクの上で、スマホが震えた。円城寺椿からの報告。開くと、予想外の言葉が並んでいた。「ごめんなさい、社長。私はもう、あなたの命令には従えません。遥花さんを愛してしまったんです。本気で。隆一様の仇を取るためじゃなく、私自身のために、彼女を幸せにしたいと思います」……裏切り? 椿が? あの忠実だった椿が、私の計画を捨てる?胸がざわついた。スマホを握る手が、わずかに震える。椿は、私の指示で悠真を誘惑するはずだった。遥花を巻き込んで、大道寺家を内側から崩壊させるための道具だったのに。彼女の愛が本物になってしまった……?「ふん……愚かな子ね」独り言のように呟く。部屋に誰もいない。秘書も、社員も、今日は呼びたくなかった。一人になりたかった。椿の裏切りで、急に孤独が押し寄せてきた。立ち上がり、窓辺に近づいた。ガラスに映る自分の顔。反町香澄。ネットブロード社の社長として、すべてを手に入れたはずなのに、何かが足りない。隆一の影はもうない。私は自分の意思で動いている。ステアリンググループを崩壊させるのも、大道寺家を潰すのも、私の復讐のため。私の人生を歪めたすべてに、報いを与えるため。デスクに戻り、パソコンを開く。ステアリンググループの株価をチェック。まだ下がり続けている。ユナイトコーポレーションの買収は着々と進んでいる。社内のハッカーたちに指示を出す。Slackで、グループチャットにメッセージを打つ。「ステアリンググループの機密データをさらに引き抜け。株価をさらに下げろ。内部の不信を煽るためのフェイクニュースも散布しなさい」 返事はすぐ来た。「了解しました、社長」。 これでいい。椿がいなくても、計画は進む。遥花……あなたも、悠真も、苦しめばいい。あなたが愛した“過去の香澄”は、もう私だけのもの。 でも、頭の奥がズキズキ痛む。鎮痛剤を飲む。最近、頭痛が激しい。医者は「脳腫瘍の可能性が高い」って言うけど、手術なんて受けない。腫瘍は、“過去の香澄”の残滓。彼女を切除すれば、私は一人になる。それが怖い。 “遥花を……傷つけないで……” また、幻聴が聞こえた。“過去の香澄”の声。苛立つ。頭を振って、声を追い払う。 「あなたは、弱い私
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