All Chapters of 百合な親友と共に双子を育てる離婚妻。元夫とのすれ違い愛には裏があった: Chapter 81 - Chapter 90

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第81章・芽吹きと師匠*蓮

物心ついたのはいつだったろうか。友達は3歳ぐらいだとか、4歳になって幼稚園に入ったころだとか言う。けれど僕の一番古い記憶は、まだ生まれて半年も経たないころのことだ。周りは薄暗い倉庫だった。赤ん坊の僕は、つばの広い帽子をかぶった謎の男に誘拐されてそこにいた。けれどそんな僕を、とあるヒーローが救ってくれたんだ。そのヒーローの名は、sophila――それが、母親である遥花に教えられた名だ。sophilaはかつて遥花のバディであり、僕と妹にとっては師匠だったという。僕の名前は蓮。蓮大道寺。9歳、今年の春で小学4年生になった。双子の妹である菖蒲と、母親の遥花と、父親の悠真と暮らしている。父親――か。悠真は確かに血の繋がりはあるようだけど、本当の父親じゃないと思っている。僕と菖蒲の本当の父親は、どこか別の場所にいるはずだ。それこそ、遥花の語るsophilaこそが僕の本当の父親ではないか。つまり、血の繋がりを超え、魂で繋がった存在ではないか、と。sophilaに抱かれていたときの温もりを、今でもはっきり思い出す。とても温かくて、それでいて柔らかくて……父親なら男性のはずだが、sophilaは性別にとらわれない、何か人智を超えるような、女性的な魅力も兼ねそろえた人物なのではないかと考えている。sophilaを思うと、胸がドキドキする。憧れか、ひょっとしたら恋にも似たような気持ちかもしれない。父親だと思いながら恋までしちゃうなんて冷静に考えれば気色悪いが、とにかく僕の中ではそういう特別な存在なのだ。「見て見てお兄ちゃん、このポーズ! ちゃんと出来てる!?」と、リビングでポーズを取りながら菖蒲が言う。まだ学校から帰ってきたばかりで、ランドセルも床に放り投げたまま。目をキラキラさせながら、いつぞやネットで流行っていたI字バランスをキメている。3歳のころから芸能事務所に所属しており、今現在では大人気子役タレントとして名の知れている妹。最近ではTikTokにも力を入れ、そうやって毎日のように動画用の新しいポーズを練習しているのだ。「ああ、すごいすごい。可愛いし、完璧だよ」僕は適当に返事をする。菖蒲は可愛いけど、毎回見せられると飽きる。「もー、お兄ちゃん、もっと本気で褒めてよ!」菖蒲が膨れる。「本気で褒める必要あるか? 菖蒲はすごいし、可愛いのは事実だろ。それより、早
last updateLast Updated : 2026-01-08
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第82章・Switchと大豆ハンバーグ*菖蒲

「……あ゛あ゛~! また0番に戻ってる……なにこれクソゲーじゃない!?」「ちょ……菖蒲ちゃん。あんまり"クソゲー”なんて言葉使わない方が。楽屋の外に聞こえちゃうかもしてないよ?」ドラマの撮影が終わり、Switchで『8番出口』を遊んでいた私を、マネージャーの奥野がいさめる。私、大道寺菖蒲。9歳、小学4年生。3歳のころから芸能事務所に入り、最近は人気子役タレントとしてドラマにCMに引っ張りだこだ。「だってさぁ、このゲーム難しいんだもん! 奥野もやってごらんよ」「ゲームかぁ……サラリーマンやってた頃はよくやってたんだけどね。最近はあんまりもうやらなくなっちゃって」「ふぅん。趣味の料理のやりすぎで、腕が鈍っちゃったとか? つまんないの。奥野のざあこ」「う、うわ……どこでそんな言葉覚えてきたの? ざあこなんて言っちゃダメだよ」「ふふっ、ざあこ、ざあこ」奥野の反応が面白くてつい連呼してると、急に楽屋の扉が開いた。やばっ、偉い人に聞かれたかも? と思い、自然と背筋が伸びてしまうが――。「あ、なんだ、田中かぁ……お迎え、遅いんだけど」「す、すみませんお嬢様……道路が込んでおりまして」パパである大道寺悠真の専属ドライバー、田中だった。昔は探偵事務所をやってたらしいが、そちらの方は経営が立ち行かず、廃業してしまった。「じゃあ、帰るとしますかー……ちなみに田中、パパも一緒?」「いえ、悠真様はまだお仕事をされています。なんでも最近、会社の経営状況がかんばしくないとかで……」「あ、それお兄ちゃんも言ってた。なんか買収? とかされちゃいそうなんだっけ、パパの会社」「い、いや……! そんなわけないじゃないですか! 買収されそうなのは傘下のユナイトコーポレーションです」「ふうん。まぁ興味ないけど」と、楽屋から駐車場まで移動して車の後部座席に乗り込み、シートベルトを締める。田中の車はシトラス系の匂いがする。「……なんかこの芳香剤、キツイ。鼻にツンと刺さるような感じ」「ありゃ……良くなかったですか。すみません、昼間、車内でハンバーグ弁当を食べたもので……匂いを消そうと思ってこれにしちゃいまして」「ハンバーグ弁当!? オエッ! 私、お弁当の冷えたハンバーグ嫌い! 田中ももう齢なんだから、あんま脂っこいもの食べちゃダメよ!」「は、はぁ……お気遣いいただき、嬉しい
last updateLast Updated : 2026-01-09
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第83章:妊娠と霊の影*遥花

【2025年5月】「遥花さん、見て、私のお腹! まるでスイカみたいで笑っちゃう」初夏の陽気が心地よい季節、阿左美さんはカフェのテラス席で、大きくなったお腹を撫でながら言った。吉田さんとの間にできた子を身ごもって、もう臨月だ。私たちは週に一度、こうして会うのが習慣になっていた。蓮と菖蒲の面倒は、奥野さんや田中さんなど、長い付き合いのある大人たちが見てくれている。特に今日は、悠真と吉田さんが、2人を遊園地に連れていくらしい。蓮は自作のアプリを開発したことへの、菖蒲は撮影中のドラマの演技を監督から褒められたことへのご褒美だ。相変わらず忙しい悠真だが、「たまには俺も羽を伸ばさないとな」と時間を作ってくれた。悠真も阿左美さんの妊娠を知ってから、私たちの友情を尊重してくれるようになった。「ところで遥花さん、聞いてよ。ユナイトコーポレーションの買収騒動、ますます深刻みたいで。うちのパパ――信孝社長も毎日頭抱えてるわ」阿左美さんはスマホをいじりながらため息をついた。いつも明るく振る舞っている阿左美さんだけど、最近の彼女の顔色は少し優れなかった。今日は特に、険しい表情をしている。「私の霊能力で何か助けられないかなって思うんだけど……妊娠中は、どうも調子が出なくて」彼女はお腹を撫でながら苦笑いした。阿左美さんの霊感は、事件解決の鍵になったこともある。だがエネルギーを大量に使うため、母体に負担がかかるらしい。出産が近づくにつれてますます使えなくなっていると、前にも言っていた。「無理しちゃダメよ。赤ちゃんが大事なんだから」私は彼女の手を握った。阿左美さんはうなずきながら、でもどこか悔しそうだった。「わかってるけど……パパの会社がなくなったら、私の生活も変わっちゃうかも。悠真さんの会社も影響出るでしょ? 遥花さんだって心配よ」確かに、最近はステアリンググループの株価も成長に陰りが見え始め、悠真にとっては悩みの種とていた。夜遅くまで仕事してきて、やつれた顔で帰ってくる姿を見ると、心が痛む。でも、私は悠真を信じている。彼なら乗り越えられるはずだ。阿左美さんはスマホを置いて、目を閉じた。「……ちょっと、試してみようかな。ユナイトの未来、霊視で覗いてみるわ」「え、でも妊娠中は危ないって……」「大丈夫、少しだけだから」彼女は深呼吸をし、手を組んで集中し始めた。数分後
last updateLast Updated : 2026-01-10
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第84章:後悔と追憶*遥花

あの日、カフェで無理に霊視を試みたあと、阿左美さんの体調は少しずつ悪くなっていった。お腹の赤ちゃんは元気だけど、阿左美さん自身が疲れやすくなったみたいだ。「遥花さん、ごめんね……また来てもらっちゃって」阿左美さんのマンションで、彼女はベッドに横になりながら言った。吉田さんは仕事で出かけていて、今日は私一人で付き添っている。「いいよ、気にしないで。友達でしょう、私たち」私は彼女の手に触れた。少し冷たい。阿左美さんは弱々しく笑った。「百合子の霊の邪気が、ますます強くなってるの……夜、夢で出てきて、赤ちゃんを睨んでるのよ。怖くて、眠れない日が増えちゃって」「阿左美さん……私には霊というものが本当にいるのかはわからないけれど、きっと今はそれだけじゃなくて、出産前の不安が悪影響を及ぼしているところもあるのかも。私も出産前は不安だったし……」いい機会だ。私が妊娠中、子宮頸管無力症と診断されたことを彼女に告げた。お医者さんにくれぐれもストレスは避けてと伝えられていたけれど、さまざまなトラブルが重なった結果か、早産になってしまったことも。ただ、未熟児のまま生まれてきた蓮と菖蒲も、いまは普通の小学生として立派に成長している。不安な未来もあるけれど、きっといい結果になる、希望を持つことが大事だ――と。「遥花さんにもそんなことが……そうか、思い出したわ。私、前に一度、悠真さんに憑りついている生霊を見たことがあるの。あなたと、あなたのお腹にいる二人の魂だった。私、あなたに出会うより前から、あなた達の生霊に会っていたの」「へっ……そうなの?」阿左美さんが悠真に憑りついている生霊を……どうしてそんな経緯になったのかわからないが、双子がお腹にいる間、生霊を飛ばしていたなんて。しかも双子も一緒になんて、恥ずかしいやら何やら、だ。「とにかく、もう少し休んで。出産まであと少しだよ。きっと無事に生まれてくるよ」私は彼女のお腹を撫でながら言う。でも、心の中では不安が募る。百合子の霊が本当に子を呪っているなら、どうしたらいいの……? ※数日後、阿左美さんから緊急の連絡が入った。「陣痛が来たの……病院に向かうわ」と。私はすぐにタクシーを飛ばし、病院へ駆けつけた。病室で、阿左美さんは汗だくでベッドに横たわっていた。吉田さんが手を握り、励ましている。医師が「もう少しですよ、がんば
last updateLast Updated : 2026-01-11
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第85章: 運命の告白*悠真

「私、思い出した……私も6歳の頃、つばの広い帽子をかぶったおじさんにさらわれていたの。そして、そこで一緒にさらわれていた男の子を助けた記憶がある。名前は――“ユウマ”?」遥花の口から、失われていた過去の記憶の話が語られる。幼い頃の誘拐事件、暗い部屋で出会った少女……それが遥花だった?遥花の手首の傷――誰にも見せないようにリストバンドで隠していたそれは、リストカットでできた傷なんかじゃなかった。俺を助けるためにできたものだった、ということか……。「あれは、遥花だったのか……」目が潤む。遥花の目からも、ポロポロと涙がこぼれる。完全に思い出した。俺は少女に、名を名乗っていた。“僕はダイドウジユウマ。君は?”“私はミドウハルカ”“ミドウ? 初めて聞く苗字だな”“ダイドウジ、って、何かドッシリしてそう……でもあなたは、とっても痩せてるのね”“う、うるせえよ……嫌いな食べ物が多くてさ”“ちゃんと食べなきゃ、大きくなれないわ”暗い部屋で出会った俺たち。恐ろしい場所にいながら、そんな風に子供らしい、他愛もない会話をしていたことまで思い出す。今、すべてが繋がった。隆一は子供の頃から、俺を狙っていた。ステアリンググループの御曹司である俺を。ならば遥花は、何のために狙われたのか……それも、香澄のように洗脳されていたわけではない。俺と同じように捕らえられていた。「御堂」という姓は、いったい何なのか。謎が残る中、俺は遥花を抱きしめる。「遥花は、俺の運命だ……」これまでにない愛しさと、そして後悔が押し寄せる。本当の運命の相手だったのに、一度、遥花を傷つけてしまった。これから一生かけて償っていくつもりではいたが、遥花が運命の人であると知れば、ただの罪滅ぼしでは済まされない。愛しさが大きくなるのに比例して、裏切ってしまった罪悪感も大きくなる。「遥花、ごめん……もっと早く気付くべきだった。俺は今、遥花を愛している……ううん、再婚してからの8年間の間も、ずっと愛していた。これからはもっと……もっと愛させてほしい……」だが、遥花は弱々しげに言う。「悠真……たぶん、ありがとうと言うべきなんでしょうね……」遥花の言葉に冷ややかな感情が含まれているのに気づき、俺は遥花から離れる。「あなたに愛されたかった。いろいろ遠回りしちゃったけど、ようやく願いが叶った……だけど、ごめ
last updateLast Updated : 2026-01-12
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第86章:Slackとジャコウの香水*椿

東京のオフィスに異様な空気が流れ始めたのは、ネットブロード社の記者会見の翌日からだった。ユナイトコーポレーションの買収発表は、ステアリンググループの社員たちをざわつかせた。これまで手を取り合って成長を続けてきた傘下の大手IT企業が他所の手に渡れば、グループ全体への影響は避けられない。あたしはその隙を狙った。昼休みの休憩室でわざと周りに聞こえるよう、同僚にぼやいた。「大道寺悠真、ユナイトを切り捨てる気だってよ。買収されてもどうでもええってさ。そしたらあたしらのオフィスだってどうなるか、わからんわいなぁ」同僚たちは顔を見合わせ、ざわめき始めた。「マジ? 大道寺悠真って、大道寺総帥の御曹司でしょ? そんな冷たいこと言う人なの?」「どうもそうなんじゃって。実は彼の経営方針の悪さって、結構前々から話題になっとるらしゅうて。一部じゃもう、株価低迷の責任取らして、悠真を降ろしたらええのにって声も上がっとるらしいよ」噂はあっという間に広がった。社員たちの不満を煽るのは簡単だった。一部の社員は賛同を示し始め、あたしの元に集まってきた。「円城寺さん、私も大道寺家には不満があるわ。地方から上京してきたのに待遇が悪いし……」そんな声が日増しに大きくなっていく。あたしの目的は大道寺家を退けること。隆一様の意志を継ぐためだ。ネットブロード社の台頭は、絶好のチャンスだった。※ある日、半休を取ってネットブロード社の反町香澄社長に連絡した。先月からすでにメールやSlackでやり取りはしていたが、実際に会うのは今回が初めてだ。オフィスの応接室で対面すると、彼女は自信たっぷりに微笑んだ。「可愛らしいお嬢さんね。あなたがハッカーの裏ルートから私にアプローチかけてきたときは、どんな怖い人が来るのかと思っていたけれど。まるで大学上がりの学生さんのよう」もう33なのに"大学上がりの学生さんみたい”なんて。これは若作りだと褒められているのだろうか、それともまるでガキのようだと舐められているのだろうか? 緊張しながらも、できるだけ標準語で自己紹介も兼ねた挨拶を始めた。「円城寺椿と申します。お会いできて光栄です、反町社長――それともsophila様と呼ぶべきでしょうか?」彼女は少し目を細めた。「sophila……懐かしいわ。そんな風に名乗っていることもあった。けれど私は香澄。私こそが
last updateLast Updated : 2026-01-13
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第87章:御堂家の呼び声*悠真

オフィスのデスクでパワポの資料を睨みつけていると、スマホが震えた。佐伯敏夫からのLINEだ。松山支社の支社長として、毎日のように報告が入る。ヤツの仕事ぶりは相変わらず完璧で、俺の秘書だった時代を思い出す。「悠真様、先日のネットブロード社のパフォーマンスにだいぶ振り回されている様子ですね。すぐに何か手を打つべきでは? さもないと、私も大道寺家を排除する側に回らねばならないかもしれません。私も"組織"の人間なのですから、いつまでも肩入れしてくれると思わないでいただきたい」メッセージを読んでため息が出た。佐伯はいつもこうだ。味方でいるうちは忠実だが、別に俺を贔屓したりはしない。グループ全体のバランスを優先する男だ。こちらが何か返事を書こうか悩み始めたとき、もう次のメッセージが送られてきた。「それと、ご存じでしょうか。社内ではすでに、大道寺家を引きずり降ろそうという派閥も生まれています。また一部からは、隆一を早く社会復帰させ、会社に戻すべきとの声も上がっています」隆一。その男の名前が出てくると胸がざわつく。9年前に捕まった犯罪者――殺人、誘拐、性犯罪。そんなやつを会社に戻せだと? すぐに返信を打つ。「馬鹿な。あいつは自分でも人殺しであることを認めてるんだぞ。それに、海外のテロ組織と組んでいたのだって俺らは目の当たりにしている。そんなやつを会社に戻せ、だと? 何も知らないやつらか……一体、誰が言ってやがるんだ」佐伯の返事は素早い。「具体的な名前は明かせません。ただ隆一は、職場においてはカリスマ性を誇る人材でもありました。彼のやってきたことは確かに社会的に認められることではない。しかし経営手腕に関しては確かなものだったんです」佐伯は続ける。どうやら隆一こそが、株取引や不動産投資などで着実に会社のための利益を生み出していたのだということだ。「今回、傘下であるユナイトコーポレーションを守る力が我が社に足りないのも、隆一を失ったツケがようやく今になって回ってきたからという側面もあります」確かに隆一の逮捕後、グループの成長率は鈍化していた。ただの偶然か……いや、偶然じゃないとしても、だ。 「あんな犯罪者にこれからのステアリンググループを任せるわけにはいかない。その経営手腕とやらだって、結局、犯罪まがいのことをして発揮してた可能性も高いだろう。あんなやつの力なん
last updateLast Updated : 2026-01-14
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第88章:Kindleと雨音*椿

【2025年6月】天から落ちてくる雨が、開いた傘にポツポツと音を立てて砕ける。大道寺悠真の屋敷の前で、ため息をついた。"次はもっと大胆にいくわよ。あなたの本気を見せて”反町社長に指示された言葉が重くのしかかる。ひるむな、隆一様の仇を取るためなら何だってやると決めたはずじゃないかと自分に言い聞かせた。でも、こんな直接的な方法でいいのか……心のどこかでは違和感も募る。今日は妻の遥花が、娘の撮影現場に付き添いで行っているはずだ。反・大道寺家の派閥にいるメンバーから情報は集めている。とはいえそこまでプライベートな情報が得られるとは……屋敷に盗聴器でも仕掛けたのか? やや半信半疑なところはあった。その情報さえ正しければだが、今日が絶好のタイミングだ。屋敷に一人でいる悠真を誘惑するチャンス。ジャコウの香水を首筋に振りかけ、深呼吸する。今度こそ、悠真を落としてみせる。玄関まで進み、傘を閉じてインターホンを押す。が、聞こえたのは、女性の声だった。「え……会社の方? どうしたの?」驚いた顔でドアを開けたのは、社報などでよく見た顔だ。悠真の妻で、グループの危機を乗り越えてきた女性――遥花さんだ。確か数年前に、悠真に連れられて松山支社にも訪問してきたことがあると思うが、間近で見ると、やはり美しい。柔らかい笑顔が胸に刺さる。やはり情報はデタラメじゃないか……慌てて取り繕う。「す、すみません……急に訪ねてきて。あの、悠真さんはいらっしゃいますか? 大事な話があって……」遥花さんは柔和な笑みを浮かべ、うなずいた。「夫は今、子供たちを連れて映画に行ってるの。本当は娘の撮影で私が外出する予定だったけれど……今日はあいにくの天気でしょう。撮影は中止になって、私の方が留守番よ。どうぞ、中へ」警戒心が無いのか、プライベートな話をぺらぺらと喋る彼女。どうやら情報自体は間違っていなかったらしい。間違えたのは天気のことまで考慮できなかったあたし自身か……詰めの甘さに自己嫌悪に陥る。屋敷のリビングは広くて、豪華だった。ソファに座り、遥花さんが淹れてくれたお茶をいただく。彼女の穏やかな雰囲気に、なんだか落ち着かない。 「あなた、お名前は?」 と聞かれ、 「円城寺椿と言います……」 とバカ正直に答えてしまう。とは言えあたしの場合、ヘタに偽名を使う方が墓穴を掘りそうだが。
last updateLast Updated : 2026-01-15
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第89章: 閃きと難題*蓮

6月上旬のある日、悠真、奥野、そして菖蒲と4人で映画を見に行くことになった。本来は菖蒲のドラマ撮影の予定だったが、雨のせいでバラシになったのがそもそもの原因だ。菖蒲はウキウキで「やったー! 楽しみー!」と飛び跳ねているが、僕まで半ばムリヤリ連れて来られて、正直焦っていた。「今日は家でアプリ開発をしようと思ってたのに……映画は菖蒲が行きたがってたんだから、僕まで連れてくることないでしょ」「蓮、そうやっていつも部屋にこもってばっかりだろう。子供は外に出て、いろいろ吸収しないとな。それに、たまにはママにも一人きりの時間を過ごさせてあげないと。蓮がいると気を遣わせるだろう」「そんなこと……あるかもしれないけど」確かに僕が部屋にこもっていると、しょっちゅう遥花は「リンゴむいたわよ」「何か飲む? ホットココアでもいれようかしら」と、何かと気を遣ってくる。それが母親というものなのかもしれないが、最近は何やら塞ぎがちな気がするし、遥花もたまには一人で、ゆっくり過ごす時間を作ってあげることも大事なのだろう。ただ、それなら菖蒲のマネージャーである奥野を保護者として、3人でも良いはずだ。わざわざ悠真まで来ていいのか。会社の危機は深刻だ。ネットブロード社の買収発表以来、株価は下がりっぱなし。毎日疲れた顔をしているし、遥花にも心配をかけている。映画を楽しむ余裕なんてないハズでは……。映画館のシートに座って、悠真に小声で言った。「悠真、こんなことしている場合なのか? 会社ピンチなのに」悠真は少し笑って、僕の頭を撫でた。「“悠真”じゃなくて、“お父さん”だろ……。それに、焦るときこそ平常心だぞ。ピンチを切り抜けるためのアイデアは、色んなところに転がってる。常に視野を広く持つことが大事だ」……そういうものだろうか? 僕の質問には答えてくれたが、何やら抽象的だ。「“お父さん”もそうやってピンチを乗り越えてきたの?」追加で訊くと、「俺は……周りに助けられてばっかだったからな……仲間こそが大事だ」また、さっきとはぜんぜん違うことを言われて呆れた。やっぱり悠真って、どこかいい加減なんだよな……。一方で菖蒲は、まだ映画も始まっていないうちからポップコーンをムシャムシャ食べつつ、「パパの仲間ってどんな人?」と尋ねた。悠真は少し思い出しながら答えた。「そうだな、霊感の強い社
last updateLast Updated : 2026-01-18
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第90章:正しさの檻*遥花

夏の陽射しがジリジリと肌を焼くような日だった。7月の東京は、蝉も鳴くのを控えるほどの暑さなのに、私の心はざわざわとうるさかった。悠真は朝から会社で、蓮と菖蒲はそれぞれの予定で外出中。今日は、私一人で家にいるはずだった。 でも、私は外に出ていた。椿さんと会う約束があったから。カフェで待ち合わせをして軽くお茶をするはずだったのに、椿さんは「今日は特別な場所に行きたい」と言い、私の手を引いた。 「遥花さん、ちょっとドキドキするかもやけど……ついてきてくれますか?」 椿さんの声は少し照れくさそうで、でも期待に満ちていた。彼女の笑顔に、胸が落ち着かない。不安か、期待か。 椿さんはいつも全力で私を愛してくれる。最初は香澄の面影を重ねていただけだったのに、今は椿さん自身に惹かれ始めている。 「ええ、いいわよ」 私はうなずいた。椿さんの手は温かくて、少し汗ばんでいる。彼女の緊張が伝わってくる。 街を歩き、彼女が連れて行ってくれたのは、派手な看板のラブホテルだった。ピンクのネオンが光る入り口を見て、 「ここ……?」 と言い、生唾を飲む。 「ええ……遥花さん、嫌ですか?」 椿さんの目が、不安げに揺れる。私は罪悪感を感じながらも、首を振った。 「ううん、いいわ。椿さんが選んでくれた場所なら」 心の中に悠真の顔が浮かぶ。家族の顔が浮かぶ。でも、椿さんの純粋な瞳を見ると、拒否できない。彼女の愛は、幼くて、激しくて、私の心の隙間を埋めてくれる。 部屋に入ると、柔らかい照明が私たちを照らす。ベッドは広く、鏡が壁に張られていて、少し恥ずかしい。椿さんはドアを閉めると、私を抱きしめた。 「遥花さん……来てくれて、ありがとう」 彼女の声は、震えていた。椿さんの体温が、伝わってくる。胸がドキドキする。鏡には、抱き合う私たちの姿が映っている。罪悪感が胸を刺すが、椿さんの温かさがそれを少し溶かしてくれる。 「椿さん……私、こんなことしちゃいけないのに」 ポツリと呟いた。椿さんは、私の肩を優しく撫でた。 「あたしも、わかってるけん。でも、あたし……遥花さんのこと、本当に好きなんよ。初めて会ったときから、胸がざわついて……」 椿さんの言葉に心が揺らぐ。彼女の目には、涙が浮かんでいる。純粋で幼い愛。 「椿さん……」 彼女の頬に手を触れた。柔らかい肌。椿さんは目を
last updateLast Updated : 2026-02-18
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