そんなことがあったから、マリッサはこれまで自分たちの契約結婚を隠さなければならない相手は“身近に仕える侍女”たちだと思っていた。 彼女たちの目をごまかしつつ、心配や疑念を抱かせないようにすること、それが何より大切なのだと。 だが現実は違った。 侍女よりも先に“王宮に集う人々”の好奇の目をどう躱すか、それこそが新たな課題となっていたのだ。 それを思い知ったのは晩餐会のときのこと。 王宮の広間では楽師が竪琴を奏で、その澄んだ旋律に人々が酔いしれていた。拍手が鳴りやまぬ中、一人の貴婦人がわざとらしい笑みを浮かべて言葉を投げかける。「そういえば王太子妃殿下が竪琴を持って歩く姿を拝見したものがおりますのよ」 確かにマリッサは竪琴を持って庭園の東屋へ出かけていた。人々に知られるのも時間の問題だろうと覚悟はしていた。「ぜひお聞きしたいですわ。王太子妃殿下のお手による竪琴なら、楽団のものよりずっと素晴らしいのではないかと思いますもの」「ご期待に沿えれば光栄なのですけれど」 話し相手は一人の貴婦人だが、周囲の人々が興味深そうに耳を傾けているのをマリッサは気づいている。「私の奏でる音色はあくまで素人の手によるもの。楽師の方々が奏でる麗しい調べに混ぜてしまうにはまだ稚拙にすぎるのです。今宵はどうか、妙なる調べに身をゆだねていただければと存じます」「まあ! 王太子妃殿下ともあろう方が、ずいぶんなご謙遜をなさるのね!」 貴婦人は扇で口元を隠しながら、くすりと笑う。「殿下がお生まれになったのは我がグリージアではなく、遥かな大陸にある国シーブルームですもの。私どもがまだ知らぬ美しさを秘めた曲があるのではないかしら、と期待しておりますのに」「確かに」 言葉に重なるように、別の貴族が軽く杯を掲げる。「楽師の腕は見事ですが、妃殿下の竪琴を耳にする機会など、そう滅多にあるものではありますまい。ここにいるものたちにとっては、何よりの贅沢となりましょう」 期待に満ちた視線がマリッサに注がれる。場の熱は柔らかな微笑に包まれながらも、断りきれぬ圧力となって彼女の肩にのしかかってくる。「光栄なお言葉を頂戴し、身に余る思いでございます。けれど私はまず、真に聞いていただきたい方が耳を傾けてくださるまで、竪琴を人前で奏でることはありません」 大勢の人がいるというのに大広間は不
Last Updated : 2025-09-22 Read more