今日もマリッサは竪琴を携え、部屋を出た。 季節は冬になっているが、このグリージアの陽射しはずいぶんとあたたかい。 マリッサの生まれ故郷であるシーブルームは、夏の気温が高く、冬の気温は低いのが常だった。 対してグリージアは一年を通じてさほど気温の変動がないのだとあらかじめ学んではいたものの、「本当のことなのかしら」と半ば疑いの気持ちを持っていた。 実際に過ごしてみると、この国は確かに冬でもシーブルームのように凍えることはない。 今も庭園の中を歩いていると、風に乗ってあちこちから花の甘い香りが届く。 シーブルームでも寒さに耐えながら咲く花はあるけれど、このグリージアの庭園のように多くの花が咲き競うさまは春まで待たないと見られない。あるいは温室の中へ行くか、そのどちらかになるのだった。 こうした積み重ねが、マリッサの心に少しずつ、遠くの国へ来た実感を与えている。 鳥の声を聞きながら白い石畳を行き、いつもの東屋で腰を下ろしたマリッサは竪琴に指を滑らせる。 けれど、今日の旋律はいつものように澄み渡らない。調べは途切れ途切れになるし、爪弾く音も頼りなさげだ。 ――心の迷いが音色にも表れている。 マリッサは肩を落とし、ため息をひとつ吐いた。 指先を竪琴から離して青く澄んだ池へと目を向ける。きらきらとした水面を見つめているとつい、一人の男性を思い浮かべてしまう。 数日前に出会った貴公子、灰色の瞳を明るく輝かせていた、あの彼だ。(誰だったのかしら……) 彼はハロルドに似ていた。だからかもしれない。あの微笑みが心から離れない。(……どうかしてるわ) 小さく首を振ったマリッサは、気持ちを振り払うように立ち上がる。だがその瞬間、自分の目を疑うことになった。 まさにその青年が、こちらへ向かってくるのだ。 しかも今日は他の誰とも一緒にいない。彼だけだ。 マリッサは声を出すことも忘れて立ち尽くした。 気づくと青年はすぐ近くまで来ていた。穏やかな微笑みを浮かべ、ゆるやかに頭を下げる。「良いお天気ですね、王太子妃殿下」「……ええ。そうね。ごきげんよう」 先日会ったとはいえ、マリッサが彼が誰なのかは分からない。ハロルドたちと一緒にいたのだから身分高い男性だろう。そう考えて儀礼的に挨拶を返すと、彼はわずかに目を丸くした。「……不躾に失礼します。もしか
Last Updated : 2025-09-11 Read more