All Chapters of 悠久の魔女は王子に恋して一夜を捧げ禁忌の子を宿す: Chapter 61 - Chapter 70

90 Chapters

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 アレクの記憶を覗いた時に見えた、黒いローブの闇魔術師の姿が脳裏に浮かぶ。 魂喰いの呪いの恐ろしい作用を思い出して、彼女は慎重に呪いの種類を見極めた。(魂喰いではない。もっと単純な闇魔術によるもの) ほっと息を吐く。 ならば、と彼女は魔力を練り上げる。両手に緑金の魔力光が灯った。「生命魔法で呪いを祓う!」 けれどその光をシルフィに向けた途端、赤子の魂にピシリと亀裂が入るのが視えた。 呪いは深く巧妙に、娘の霊と絡み合っている。そして赤子の魂は小さく繊細すぎるために、魔法の大きな力に耐えられないのだ。 彼女の魔女としての力は、愛する娘を救うには強大すぎる「劇薬」だった。無理に魔法を行使すれば、呪いと一緒にシルフィの魂そのものが砕け散ってしまうだろう。 救えるはずの「力」はあるのに、使えない。 魔女としての力が、完全に封じられてしまった。(どうしたらいい? シルフィ、あなたを助けるためには) エリアーリアは必死で考えを巡らせた。 今、シルフィは呪いと病の双方に蝕まれている。 呪いは魔法で解けるが、魂の強度が足りないために使えない。 では病を先に癒して、シルフィの健康を少しでも取り戻せばどうだろうか。そうすれば魂も強くなり、魔法に耐えられるだけの力を持つのではないだろうか。(魔女の魔法では、この子を助けられない。ならば知恵で、救ってみせる!) エリアーリアはかつて、深緑の魔女だった。魔女として過ごした百年は、森の植物たちとの対話の時間だった。 彼女は誰よりも薬草に詳しい。治療そのものは魔法を使うことが多かったけれど、アレクの呪いを一時的に抑えたように、薬草を用いるのも得意なのだ。「待っていて、シルフィ。お母さまがすぐに、治してあげるから」 魔女としての力で魂を探り、薬草師としての知識で肉体を診る。そうしてエリアーリアは娘の病を診断した。 診断の結果は「陽熱病」。人間の子どもがかかりやすい、高熱を伴う病気だ。しばしば命を落とす危険性の高い病でもある。 なるべく素早く、
last updateLast Updated : 2025-10-16
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62:薬草師の誓い

 夜明け前の緑の小屋は、秋の朝の冷たい空気で満たされていた。 シルフィの呼吸は浅い。時折苦しげに顔を歪めては、弱々しい泣き声を上げている。その隣では泣き疲れたアルトが、妹の手を握ったまま眠っていた。(魔女の『力』では救えない。ならば、魔女の『知恵』で、あなたを救ってみせる!) 絶望的な状況にありながら、エリアーリアは諦めていない。 必要なのは病気を治すための薬。その材料として、月雫草。 深い森の奥、月光の降り注ぐ崖にのみ生えるとされる幻の薬草である。 進むべき道は既に定まっていた。 エリアーリアは両手に淡く灯る魔力の光を見つめて、意識してそれを抑え込んだ。 追放され放浪していた時期に使っていた古い革の鞄を取り出して、採集用のナイフと手袋を詰める。「蔓草たちよ。力を貸して」 呼びかければ、蔓がするすると伸びてきた。引き寄せると蔓は自ら動いて絡み合い、双子を母親の体の前面と背面に固定できる、強靭でしなやかな抱っこ紐へと姿を変えた。 エリアーリアは抱っこ紐を使って、シルフィをお腹側に、アルトを背中側に持っていった。さらに抱っこ紐になった蔓草に守護と保温の魔法をかけて、小さな結界を形作った。「大丈夫よ、二人とも。お母さまが一緒にいますからね。少しだけ、冒険に出かけましょう」 眠る子どもたちに囁いて、エリアーリアは小屋から足を踏み出した。◇ エリアーリアが目指したのは、荒野の隣にある森である。 かつて暮らした深緑の森は、魔女の領域。人の子の母となった彼女では、もはや足を踏み入れるのは難しい。 また、深緑の森は遠すぎた。徒歩で進めば数週間はかかる。それではシルフィの体力が保たない。 深緑の森以外で、近場で、月雫草が生えている可能性が高い場所は、この森だけだったのだ。「こんにちは、見知らぬ森よ。これからあなたの中を通るわ。どうかお手柔らかにね」 森は秋の嵐が通り過ぎたばかりで、爪痕がそこかしこに残っていた。 少し進めば、大きな倒木が行く手を塞いでいる。赤子たち
last updateLast Updated : 2025-10-17
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 次に彼女の前に立ちふさがったのは、増水した川だった。 両岸いっぱいに流れる川は濁流となって、付近に橋など見当たらない。 エリアーリアは対岸の木々に呼びかけて、根を伸ばしてもらった。絡まる根は橋となって、川の上部を覆う。足場の悪さに気をつけながら、彼女は川を渡りきった。 彼女の魔法は以前のような自然との調和に満ちたものではない。エリアーリアの意志で無理矢理に相手をねじ伏せるような、必死で荒々しい力の行使だった。 それはある意味、人間の魔術に近いかもしれない。 そうと気づいて、人の子の母となった彼女は内心で苦笑を漏らした。(別にいいわ。この子たちを助けるためなら、私は何だってする。魔女の力が役に立つのであれば、使ってやる) 魔女だった頃の彼女からは、考えられないほど強かで愛情に満ちた姿だった。◇ 夕方になって、ついに目的の崖にたどり着いた。そこは断崖絶壁という言葉がふさわしい、切り立った崖だった。 残照が崖を赤々と照らし出している。日が沈む前に崖を登らないとならない。 エリアーリアは崖下に小さな岩陰を見つけて、そこに子どもたちを寝かせた。木の葉を集めて布団にする。残り少なくなってきた魔力を削って、強力な守りの結界を張った。「少しだけ待っていてね。必ず戻るから」 むずがって泣く双子の額にキスを落とす。離れがたかったが、何としても月雫草を手に入れなければならない。 切り立った崖の中腹を見上げれば、岩の裂け目に、朝の光を浴びて青白く輝く「月雫草」が数本、凛として咲いていた。(風の魔女に、飛行魔法を教えてもらっておけば良かったわね) 今さら言ってもどうしようもないことを考えながら、エリアーリアは崖に手を伸ばした。 岩肌に自生する蔦を足場に、慎重に、必死に登っていく。 魔力は残り少ない。大きな魔法は使えない。 ようやく薬草に手が届いた、その瞬間。足場にしていた蔦がずるりと滑って、エリアーリアの体は宙に投げ出された。「しまった!」 深緑の魔女であった頃なら、あ
last updateLast Updated : 2025-10-17
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64:人として生きる決意

 ずっと熱が高かったシルフィの体が、ふと気づけば正常な体温に戻っていた。 苦しげな息は安らかに変わり、何日ぶりかの穏やかな寝息が聞こえる。「シルフィ?」 エリアーリアは娘の額に手を当てた。赤ん坊らしい柔らかな、自然な温かさが感じられる。 薬が効いた。病が治ったのだと、エリアーリアは知った。「良かった……! よく、頑張ったね!」 せっかく寝入った娘を起こすわけにはいかない。エリアーリアは小さな声で囁いて、娘と息子の頬を撫でた。 だが、まだ終わりではない。 シルフィの魂にまとわりついた呪いを払わねばならないのだ。(今度こそ確実に、呪いを解く) 眠った娘の魂に、そっと魔力を添わせる。シルフィの病が癒えたことで、魂は健康さと丈夫さを取り戻していた。 赤子らしい繊細さはそのままだが、強度が違う。 エリアーリアの緑金の生命魔法は、シルフィの魂を傷つけることなく呪いを引き剥がしていった。 そうして夜通し魔法を使い続けて、魔力を使い果たしたエリアーリアは、とうとう黒い呪いを完全に打ち消した。 シルフィは完全に健やかさを取り戻して、すやすやと眠っている。「やった。でも、このままでは同じことの繰り返しになるわ」 見知らぬ闇魔術師がどうして的確にシルフィを狙って呪ったのか、エリアーリアはずっと考えていた。 たどりついた結論は、アレクとの血縁。かつてアレクが被っていた呪いは、血族を鍵にする魂喰いの呪いだ。(血の繋がりと魔力を辿って、呪いをかけられたのだと思う。あるいは……アレクの解呪に際して、私の魔力の痕跡を見つけられたのかも) エリアーリアは岩陰で眠る双子を眺めた。これ以上、この子たちを危険にさらすなどできるはずもない。 対策を考える。 方策は二つ思いついた。 一つ、双子に念入りに隠蔽と守護の魔法をかけて目眩ましをすること。 闇魔術師は少なくとも今は、遠隔で呪いを放ってきた。つまり相手もエリアーリアと双子を詳
last updateLast Updated : 2025-10-18
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 ならば、魔力さえ抑えておけば追われる率はぐっと低くなる。 魔力は抑え込むだけで、失うわけではない。とっさに大きな魔法は使いにくくなるだろうが、身の危険を考えれば選ぶまでもなかった。(魔法に未練は……ない。今だってシルフィの病を癒したのは、薬草学の知識だった。人間の世界でこの子たちを育てるなら、かえって好都合だわ) 魔女だった頃は、呼吸と同じ自然さで魔法を操っていた。森の全ては彼女のものであり、また、彼女も森そのものだった。 けれど今日の出来事で思い知ったのだ。たとえ魔力がどれほどあろうとも、もはや魔女には戻れない、と。「シルフィ、アルト。安心してね。あなたたちが大人になるまで、お母さまがちゃんと見守ってあげるわ。――魔女ではなく、人の母として」 なけなしの魔力で、子どもたちにもう一度守護の魔法をかけ直す。 完全に魔力を使い切った彼女は、気絶するように倒れた。 一日眠って回復したら、計画通りに動こうと心に決めながら。◇ アストレア王国、王宮の地下にて。 闇魔術師ダリウスは、自らの呪いが霧散したのを感じ取った。「ふん。未知の魔女め、あの程度の呪いは通用しないということか。せっかく脆弱な赤ん坊を狙ったというのに、やりがいのないことだ」 彼は机の上の水晶に歩み寄り、手をかざす。(まあいい。次はもっと強い呪いを使って、魔女とガキどもの正体を暴いてやろう。殺すためではなく、絡め取るための呪いは、どれがいいか……) ダリウスの思考は、だがすぐに中断された。「なんだ、これは! 魔力の痕跡が消えている。子どもも、母親も……。馬鹿な! 巧妙すぎる! 魔女の魔力の扱いとは、これほど巧緻なものなのか!?」 人間ではあり得ない見事さで、エリアーリアは魔力の痕跡を消し去っていた。 ダリウスは歯噛みして、次いで笑い始めた。「ククッ……いくら隠れようと、決して逃しはしない。その
last updateLast Updated : 2025-10-18
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66:影との同盟

 王都の地下、光の差さない水路の底。 アレクの心は、希望を見いだせないままでいた。かつては月光のように輝いていた銀の髪も、今では薄汚れて灰色になってしまっている。 霧の谷間の敗戦から約一ヶ月、生き残った者たちも心身ともに限界だった。傷が悪化して死亡したものも少なくない。 今も負傷した騎士の一人が傷の痛みからか、浅い息の下で呻いている。騎士ヨハンが、汚れた布を絞って彼の額を拭っていた。 ガーランド王に反逆者の汚名を着せられ、地下潜伏を余儀なくされている彼らには、治療はもちろん、死者を弔うすべすらない。「殿下……」 ヨハンの声には深い疲労が窺える。 彼は父であるヴァレリウス将軍を戦いで亡くし、さらにガーランド王に反逆罪に問われて、一族を皆殺しにされた。 それでもなお付き従ってくれる彼に、アレクは答える言葉を持たない。(俺が剣を振るえば、また誰かが死ぬ。俺が言葉を発すれば、誰かの運命を狂わせる……) アレクは歯を食いしばる。 立ち上がりたいという意志を罪悪感と無力感が苛んで、身動きが取れなくなっていた。(俺はどうすればいい? 死者の犠牲を無駄にしたくない。しかしこれ以上の被害を出していいのか? 俺は彼らの命に責任を取れるのか? だが一体、どうやって?) いくら考えても答えは出ない。堂々巡りの迷路に入り込んでしまったようだった。 と。 その時、彼らが潜んでいた水路の奥から、複数の松明の光が音もなく近づいてきた。 現れたのは黒装束に身を包んだ一団である。彼らは一言も言葉を発せず、あっという間に距離を詰めてきた。「何者だ、追手か!?」「殿下をお守りしろ!」 ヨハンが叫んで剣を抜くが、現れた賊たちは手慣れていた。投げられた網にヨハンが絡め取られ、他の騎士たちも、疲弊しきった体では抵抗もできず、次々と無力化されていく。(騎士たちを助けなければ。身を守らなければ!) アレクは剣の柄を握りしめた。だが、かつて見た村人たちの憎悪
last updateLast Updated : 2025-10-19
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 アレクたちが連行された先は、古い水道施設を改造した巨大で機能的な地下施設だった。武器庫、食料庫、酒場まであり、多くの人々がそこで生活している。ものものしい雰囲気だったが、意外に活気があった。 最奥に部屋があり、玉座のような椅子が据えられている。座っているのは、筋肉質な体に鋭い瞳を持つ男だった。「ようこそ、王子様。我が盗賊ギルドのアジトへ」 男が口を開いた。低く聞く者の耳を打つような声だった。「反乱軍のリーダーというからには、どれほど気骨のある若者かと思えば。死にかけのネズミのような顔ではないか」 ギルド長の嘲笑も、アレクの心には響かなかった。「俺を捕らえて、どうするつもりだ? 兄に突き出して報奨金でももらうのか?」「ははっ、まさか! そのような馬鹿馬鹿しい真似をするものか」「では、なぜ。俺は多くの部下と、民の信頼を失った。もはや王を名乗る資格はない。価値はないんだ」 ギルド長は立ち上がってアレクに近寄り、瞳を覗き込んだ。「いいや、価値ならあるね。あんたには、俺たちにはない『王家の血』と『大義名分』がある。俺たちには、あんたにはない『王都の地下を網羅する情報網』と『怒れる民の力』がある。……どうだ、第二王子殿下。俺たちと組まないか?」◇ 盗賊ギルドと手を組む。 予想外の提案に、絶望に呑まれていたアレクの心が揺れた。「一つ、昔話をしてやろう」 ギルド長は語り始めた。「今は盗賊ギルドなどやっているが、俺も以前は真っ当な商人でね。王室の離宮に出入りして、先代の王妃陛下に目をかけてもらっていた」 アレクは目を見開く。王妃とは彼の生母のことだ。「しかしガーランド王の政変があって以来、風向きが変わった。知っての通り、ガーランド王の母親は側妃。息子が王位に就いた途端、自分たちの派閥以外の者を――特に王妃の一派に与する者を、徹底的に弾圧し始めた。その対象は貴族だけではなく、俺のような商人にも及んだ」 ギルド長は部屋の後ろに目をやる
last updateLast Updated : 2025-10-19
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「俺は店と家族を守ろうとしたが、無駄だったよ。有無を言わさず投獄され、家族の消息も知れない。牢の警備兵に賄賂を渡し、どうにか外と連絡を取ってみれば、店の財産は全て没収。妻と娘は行方不明だという……」 ギルド長はぎり、と奥歯を噛み締めた。「俺は外部の伝を頼って、どうにか脱獄を果たした。妻と娘を探したが、憲兵に連れ去られた以外の情報がない。恐らく秘密裏に殺されたのだろう。俺はたった一日で、全てを失った! 分かるか、王子様!? 大切なものを理不尽に奪われる、この怒りが!」「……それは」「その後の俺は地下に潜り、盗賊ギルドと接触して長の地位を譲り受けた。今の盗賊ギルドはかつてのような犯罪集団ではない。俺と同じように理不尽な目に遭った、市民たちの受け皿だ。怒れる民たちが集まる場なんだよ」 彼の両目には、消えることのない怒りと悲しみの炎が燃えている。「俺にまだ、戦う資格があるだろうか。王都に来てからずっと、そればかりを考えていた」 アレクは目を閉じて言う。まぶたの裏には死んでいったヴァレリウス将軍や、数多くの兵士たちの姿が見える。「だが……お前たちもまた、同じなのだな。失った者のために戦い続けている」 罪悪感は未だ強く、新たな犠牲への恐怖もある。 しかし、とアレクは思った。(立ち止まったままでは、エリアーリアに合わせる顔がない。そして何より……)「ここで俺が何もしなければ、犠牲になった者たちの思いが無駄になってしまう!」 アレクは目を開けた。夏の空を思わせる青い瞳が、正面からギルド長を捉える。 そうしてアレクは手を差し出した。同じ怒りと悲しみを持つ者へ。 これ以上、同じ悲しみを増やさないために。「いい覚悟だ」 ギルド長がその手を取って、にやりと笑う。 王子と盗賊が、一つの目的のために手を組んだ瞬間だった。「いいか、王子殿下。これからの戦は、軍隊で城を攻め落すんじゃねえ。俺たちが民
last updateLast Updated : 2025-10-20
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69:5年という時間

 季節は巡り、年月は流れる。 エリアーリアとアレクとの別れから、五年の月日が流れた。 辺境の町の外れにある「緑の小屋」は、今は美しい蔦と薬草の庭に囲まれた、町の人々が訪れる温かい場所になっている。エリアーリアは「エリア」と名乗り腕利きの薬草師として、町の人々から頼られる存在になっていた。 荒れ地だった周囲はすっかり緑が広がって、ちょっとしたオアシスのようだ。 地下に潜った革命軍の噂は、この辺境では遠く伝え聞くだけ。人々は噂話をしながらも、どこか遠い場所の話だと思っている。 税が上げられて人々の暮らしは苦しくなりつつも、この地方は比較的穏やかな時間が流れていた。「エリアさん! うちの子の咳が止まらないんです!」 ある日の午後、町の母親が息を切らして駆け込んできた。「慌てなくて大丈夫よ。様子を見せてね」 エリアーリアは微笑みを浮かべて親子を安心させた後、子どもを診察していく。「咳はいつから始まりましたか? 喉の痛みは? うーん、喉が腫れているようですね」 症状をよく見た後、彼女は立ち上がって薬草棚に向かう。いくつかの薬草を取り出して、手際よく調合した。 出来上がった薬は少々苦い味。子どもには飲みにくいだろうと考えたエリアーリアは、甘い味のする草の根とハチミツを少々加えてシロップにした。「このシロップを一日三回、食事の後に飲ませてください。数日で良くなりますよ」「ありがとうございます、ありがとうございます……」 母親は何度も頭を下げながら帰っていった。 小屋の外では、春の温かな風の中、アルトと村の子どもたちが遊んでいる。 アルトはまだ五歳と小さいのに、年上の子まで従えるガキ大将になっていた。高いリーダーシップを発揮して、子どもたち皆に慕われている。 今もわんぱくに木の棒を振り回して、「騎士ごっこ」で遊んでいた。「突撃ぃー!」 アルトを先頭に、子どもたちがひとかたまりになって走っていく。アルトの金の髪が、お日様の光を弾いてきらきらと輝いていた。
last updateLast Updated : 2025-10-20
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70

「やめるんだ!」 アルトが大きな声で言った。たちまち子どもたちは静になる。「君も、もう泣くな。騎士の傷は、えっと、なんだっけ?」 アルトが振り向くと、少し年上の子が助け舟を出した。「名誉だよ、アルト!」「そうだった。騎士の傷は名誉のあかしだ。大丈夫だから、こっちに来て」 アルトが泣いている子の頭を撫でれば、その子は涙に濡れた目を上げた。わんぱくなアレクだったが、相手を思いやる優しさも持っている。 アルトは泣き止んだ子の手を引いて、エリアーリアの元へと連れて行った。「かあさま! こいつ、名誉のケガをしたんだよ。薬ちょうだい!」「まあまあ。痛かったね、もう大丈夫よ。アルト、井戸から水を汲んできて。薬の前に、きれいな水で傷を洗うの」「はーい!」 アルトは井戸へと走っていく。その小さな後ろ姿を、エリアーリアは愛情深い瞳で見つめた。 一方で小屋の横では、シルフィは地面にしゃがみ込んでいる。 彼女の目の前には、アレクたちが騎士ごっこで踏んでしまった花があった。花はすっかりしおれて地面に倒れていた。「かわいそうに」 シルフィが小さな指で花を撫でると、微かな魔力があふれ出した。彼女の心に応えるように、花はまた瑞々しさを取り戻す。 元気になった花を見て、シルフィはにっこりと微笑んだ。「シルフィ」 娘の魔力を感じ取り、転んだ子の治療を終えたエリアーリアが顔を出した。 風に揺れる花を見て、地面に膝をつく。娘と同じ視線の高さで言い含めた。「魔力を使う時は、慎重にね。あなたの魔力は、人間としてはとても高い。悪い人に見つかったら、大変なの」「うん、かあさま。気をつける」 シルフィは素直に頷いた。 エリアーリアは娘を抱きしめてから、隠蔽の魔法が有効であると再確認する。 この五年で、彼女は闇魔術師の悪意のかけらに何度か触れた。 例えば三年前、町にガーランド王直属の部隊がやって来て、小さな子どもを探していると知った時。
last updateLast Updated : 2025-10-21
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