All Chapters of 悠久の魔女は王子に恋して一夜を捧げ禁忌の子を宿す: Chapter 71 - Chapter 80

88 Chapters

71

(用心しておいてよかった。このまま見つからずに、隠し通さないと……)「シルフィ! シルフィも、騎士ごっこやろうぜ。女騎士もかっこいいじゃん!」 アルトが元気よく叫んで、エリアーリアは物思いから現実に引き戻される。 シルフィはちらりと双子の兄を見た、ぷいと横を向いた。「えー、いいよ。アルトは乱暴だから、嫌。わたし、こ゚本読んでる」「ちぇ。つまんないの!」 穏やかな日々は、エリアーリアの心を幸福で満たしてくれた。 けれど夜、眠る子どもたちの寝顔にアレクの面影を見出すたび、胸にぽっかりと穴の空いたような、甘く切ない寂しさを感じていた。(あなたに会いたい。でもそれは叶わない望み。せめてこの幸せが、なるべく長く続きますように) 内心の寂しさを表に出すことなく、エリアーリアはいつも微笑んでいるのだった。 ◇  エリアーリアと双子たちの穏やかな時間と時を同じくして、王都の地下。 五年前、盗賊ギルドのアジトだった場所は、今では革命軍の地下要塞と化していた。 作戦司令室にはアストレア王国全土の地図が貼られて、各地からの報告を示すピンが刺されている。 アレクは司令室で、右腕として活躍する騎士ヨハンの報告書を読んでいた。『東の領主たちとの交渉は、無事に締結できました。東は魔獣が跋扈する、迷いの山脈があります。魔獣討伐のため、彼らは古くから軍人を多く輩出する家系。南の砦を本拠としていた我が一族と交流がありましたので、好意的に迎えてもらえました。我が父が討ち死にし、一族が皆殺しにされた件で同情を集めており、有利に働いた点も大きいかと』 アレクはしばし目を閉じた。彼をかばって死んだ老将軍と、ガーランド王の命令で皆殺しにされた一族。ヨハンの血族でもある彼らのことは、忘れた日は一日もなかった。 だが、罪悪感はもうアレクの歩みを止めない。罪の意識は責任に変わって、彼を強く支えていた。 アレクは目を開いて、報告書の続きを読む。『反面、北の
last updateLast Updated : 2025-10-21
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 アレクは革命軍の同志を連れて、北の土地へと向かった。 北は春が遅く、夜になれば未だ肌寒い。溶け残った雪が残る道を、彼らは進んだ。 北の拠点となる町には、ガーランド王の手勢も多く配置されている。 アレクは慎重に行動し、町の有力な商人と接触した。 商人はガーランド王――正確には側妃とその一派――が制定した「王室穀物専売法」に苦しめられていた。 この法律は国の主食である麦を、王家が指定した商人にのみ販売の許可を与えるというもの。 北の商人は長年、穀物商を営んでいた。祖父の代から続く真面目な商売人で、周辺農家の信頼も厚い。 それなのに悪法のせいで商売を取り上げられ、苦境にあえいでいた。 新しく指定された穀物商はあくどい人物で、農家から麦を買い叩いて私服を肥やしている。 北の商人は農家の窮状に心を痛めながらも、何もできない自分に落胆していた。「あんな法律、間違っている! 重税で麦の大半を取られ、残り少ない麦をも買い叩かれる。農民の皆さんに飢え死にしろと言っているのと同じです!」 アレクは身分を他地方の商人と偽り、北の商人の話を聞いた。 彼の嘆きは本物で、自分の商売の先行き以上に農民を思いやっているのが見て取れた。「君の気持ちはよく分かった」 アレクはかぶっていたフードを取る。「俺は先王の第二王子、アレク・アストレア。今は兄ガーランドを倒すため、地下に潜って活動を続けている。革命軍の力は王都を中心に、地方にも広がりつつあるんだ。東の領主たちは協力を約束してくれた。兄を打倒した暁には、必ず悪法の撤廃をすると約束しよう」「アレク殿下……!?」 商人は驚きに目を見開いて、跪こうとした。それを制し、アレクは続ける。「王子と名乗ったが、今の俺は革命軍の一戦士にすぎない。堅苦しい礼は不要だ」「恐れ多いことです。革命軍の噂は、わたしも耳にしていました。偽王が倒れて悪法さえなくなれば、わたしも農民たちも救われます。わたしにできることがあれば、協力させてください」「では、農家と
last updateLast Updated : 2025-10-22
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73

 北での活動に一区切りをつけて、アレクが王都に戻ると、盗賊ギルドの長とヨハンが出迎えた。「よう、アレク。その顔だと、上手くいったようだな」「ああ。農民の心は一つにまとまっている。だが貴族の中には、日和見を決め込んでいる者もいる。彼らが敵に傾けば、危険だ」 ギルド長は暗く笑った。「ふん。なら見せしめに、一人二人暗殺してやろう。偽王と側妃の弾圧以上に身近な危険があると思えば、おいそれと寝返ろうとは思わんだろうよ」「…………」「バレないようにやるし、よしんばバレても問題ないさ。これは闘争であり政争でもある。戦いの中で人が死ぬなど、珍しくもない」 ヨハンの複雑そうな視線を受けながら、ギルド長はアレクの肩を叩いた。「任せておけ。いずれ王になるお前の手は汚さなくていい。汚れ仕事は全て俺が引き受ける。お前が王位に登った暁には、盗賊ギルドを切り捨てればいい。正統な王には、暗い部分は似合わないからな」「そんなことはしない。君は同志だ」 アレクはギルド長の腕を取る。ギルド長は苦笑した。「そうかい。それじゃあせいぜい、バレないよう立ち回るとするか」 二人と別れ、自室に戻ったアレクは、懐から父の形見の紋章入り指輪を取り出した。手の内に握り込む。 失った人々への責任と、国民の未来への使命。 それに、エリアーリアとの思い出が今の彼を支える思いだった。◇ ある満月の夜。 辺境町の薬草店の窓辺で、エリアーリアは月を見上げていた。 真円を描く月は、いつの日か深緑の森で彼と見たものと同じ形をしている。(アレク……。どうか、あなたが無事でありますように) 革命軍のまことしやかな噂は、辺境の町にも届き始めている。 五年前のアレクの敗走と、今の状況。 エリアーリアはアレクの生存を信じながらも、彼の苦難を思い遣っていた。◇
last updateLast Updated : 2025-10-22
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74:民の声

 晩春のアストレア王都の中央広場は、人の海で埋め尽くされていた。 建物の屋上から、アレクと盗賊ギルドの長はその光景を見下ろしている。 人々は誰もが困窮し、貧しさの中で不満を抱えていた。 痩せた子を抱いて不安そうにしている母親の隣には、職を失って怒りに顔を赤くする商人がいる。不当に商売を搾取され、やつれた商人がいる。重税に苦しみ、農地を捨てて王都へ出てきた農民もいる。「税を下げろ! もう生活できない!」「食べるものすらない! この子はもう三日、何も食べていないのよ!」「俺は、畑を捨ててきた。重税の上に、麦を買い叩かれるからだ。国は俺たちに死ねと言うのか!」 民たちの怒りの声が、渦を巻いて空に上っていくようだった。(これから多くの血が流れる) 暴発寸前の人々を見て、アレクの心が痛んだ。(だが、もはや後戻りはできない。民たちの怒りは限界に達して、今にも爆発するだろう。何よりも……ヴァレリウス将軍たちの犠牲を無駄にしないために、俺は進む!)「いい熱気だ」 盗賊ギルド長が言った。「うちの連中が流した噂が、いい火種になっているな。『東と北の領主たちが王子に味方した』……民衆には、こういう希望が必要なのさ」◇ 同じ時刻、王宮の玉座の間では。「報告いたします! 中央広場に民衆が集結。それぞれが生活苦の声を上げているとのことです」「ふん、卑しい平民どもめ。大人しく田畑を耕し、税を納めていれば良いものを、声を上げているだと? 厚かましいにもほどがある」 ガーランド王は手にした酒杯をあおった。 彼は最近、昼夜を問わず酒浸りになっている。誰も諌める者はいない。たとえいたとしても、王の怒りに触れて即座に斬り殺されてしまっただろう。 弟を手に掛けた罪悪感と、そうまでして得た王座が窮屈であること。母である側妃は相変わらず強い影響力を発揮して、ガーランドに権力を渡そうとしない。 そうした様々な重圧か
last updateLast Updated : 2025-10-23
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 ガーランドの命令を受けた兵士たちが、広場に展開された。 衛兵隊が盾を構えて、民衆の最前列に襲いかかる。盾で押され、柄を外した槍の柄で殴られて、人々の悲鳴が上がる。「国王の犬どもが!」 一人の老人が突き飛ばされたのをきっかけに、群衆の中から石が投げられた。 広場はたちまち混乱に陥って、怒号と悲鳴が渦巻く戦場と化す。「どうして兵士が武器を向けるんだ! 兵士は民を守るためにいるんじゃないのか!」「そうだ、そうだ! これほど民が困っているのに、王は贅沢三昧。こんなの間違っている!」 革命軍の者たちが混沌を巧みに利用して、民衆の怒りが王宮へと集中するように誘導していく。 怒りのエネルギーは指向性を持ち、王宮の城門へと矛先を向けた。 時を同じくして。 王都を遠望できる丘の上、ヨハンに率いられた地方連合軍が布陣を完了していた。「今こそ暴虐の偽王を倒す時。狼煙を上げろ!」 ヨハンが剣を天に掲げると、最初の一筋の狼煙が上がる。それに呼応して次々と丘の上に炎が灯った。王都を包囲する「炎の輪」が完成したのだ。その炎が、夕暮れの空を不吉なまでに赤く染め上げていく。 屋上から狼煙を確認したアレクは、ギルドの長に頷いた。「時は来た」◇ 民衆の暴動が兵士たちの目を引き付けている間に、アレクとギルド長は少数の精鋭を連れて、秘密の地下通路を進んでいた。 地下通路は王宮の中庭に繋がっている。盗賊ギルドが探し当てた、アレクたち王族でさえ知らない通路だった。「こいつは三代前の王が、愛人をこっそり城に呼ぶために作った道らしいぜ。まさか、国を取り戻すために使うことになるとはな」 ギルドの長の軽口に、アレクは答えなかった。 かつて絶望の底で過ごした地下通路が、今は希望の道となっている。運命の皮肉と不思議な感慨を覚えていた。◇ 王宮を守る城門は、押し寄せる暴徒に苦戦していた。「何をしている。下劣な平民に高貴な王宮を踏み荒
last updateLast Updated : 2025-10-23
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 無事に秘密通路を抜けたアレクが掲げたのだ。 威風堂々と風にひるがえる旗に、誰もが目を奪われる。誰ともなく声が上がった。「あれは、先王陛下の旗だ……」「まさか、アレク殿下がここに!?」「噂は本当だったのか!」 城門には民衆が殺到し、町の外では多数の狼煙が空を赤く染めている。 そして掲げられた、銀獅子の旗。 あらゆる状況が、ガーランドの敗北を示していた。「城門を開けろ!」 平民出身の衛兵隊長が叫んだ。「我らの役目は民を守ること。ガーランド王の治世はここまでだ。我らは正統なる王、アレク殿下にお味方する!」「オオーッ!」 大きな歓声が上がる。「貴様、国王陛下を裏切るつもりか!」「当然だ! 民を傷つけ搾取する偽王は必要ない!」 貴族出身の騎士が抵抗するが、衛兵たちは問答無用で彼らを斬り伏せた。 やがて重厚な城門が、軋みを上げて内側から開けられていく。民衆は一瞬静まり、次の瞬間、地が揺れるような歓声を上げた。 開かれた門の向こう。 そこには五年という歳月を経て、精悍な青年へと成長したアレクが立っていた。彼の鎧には「青地に銀色の獅子」の紋章が刻まれている。それは民衆が待ち望んだ、正統な王の印だった。 アレクは剣を掲げ、革命の始まりを告げる。「皆の者、我々と共に進め! 偽りの王を打ち、正義を取り戻すのだ!」 その声は城門に、そして王国の未来へと力強く響き渡った。 ◇  王宮の豪華絢爛な廊下は、戦場と化していた。 剣戟の音が大理石の壁に反響し、床に敷き詰められた美しい絨毯は踏み荒らされている。 アレクはギルド長と、合流したヨハンとに左右を固められながら、最後の抵抗を行う近衛騎士たちの防衛戦を切り崩していった。 夕方から始まった戦いは長く続き、既に夜遅くになっている。 それでもアレクたちは確実に進路を確保し
last updateLast Updated : 2025-10-24
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77:兄弟の決着

 その少し前のこと。玉座の間では、ガーランドが深酒に溺れていた。 城門から聞こえてくる民衆の歓声に、少しずつ迫ってくる戦闘の音に、側近たちは狼狽を隠せない。 そこへ一人の女が血相を変えて駆け込んできた。ガーランドの母、先王の側妃である。 側妃は息子のもとへと駆け寄ると、ヒステリックに怒鳴り始めた。「ガーランド! 何をしているのですか! お前がしっかりと統治をしないから、アレクのような亡霊が蘇るのです!」「俺のせい……?」 ガーランドは酔いに曇った目を上げた。焦点の合わない視線で、罵りの声を上げる母を眺める。 狂気の灯る瞳に、側妃はようやく言葉を切った。「全て俺だけのせいだと? あなたが望んだのだろう、この玉座を!」 彼とて理解している。母だけが元凶ではないと。 ガーランドにも理想はあった。弟を手にかけてまで奪った王位で、せめて良い国を作りたかった。 母と派閥の抵抗に屈し、孤独を深めて、最後には酒と享楽に溺れた。その自分のなんと情けないことか。 ガーランドは立ち上がり、剣を抜いた。「母上、本当に俺だけの責任だというのですか? もはや俺にできるのは、もろともに地獄に落ちることだけ」 側妃の悲鳴が、玉座の間に響き渡った。◇ アレクたちが最後の扉を蹴破ると、玉座の間は静まり返っていた。 最初に感じたのは鼻を突く血の鉄錆の匂いと、ぶちまけられた酒の甘い香りが混じり合った、むせ返るような空気だった。 兵士たちが絶句する。 玉座の前には、血溜まりに倒れ伏す側妃の姿があった。 そしてその傍らには、血塗れの剣を手に、ただ立ち尽くすガーランドがいた。 アレクの心に燃えていた復讐の炎が、急速に冷えていく。 彼が倒すべき敵は、既にそこにいなかった。 いるのは、罪の意識で壊れてしまった兄の残骸。「来たか、亡霊め……!」 ガーランドが、狂ったように笑う。
last updateLast Updated : 2025-10-24
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 ガーランドも剣を構える。しかしもう何年も鍛錬を怠り、深酒に侵された彼の体はふらついていた。 一合、二合とアレクと打ち合うが、あっという間に態勢を崩してしまった。(兄上……) 少年の頃、ガーランドはアレクの憧れだった。聡明で優しい兄はアレクの自慢で、いつか追いつきたいと思っていた。 裏切られて殺されかけた時は、大きな衝撃を受けた。すぐには信じられず、ようやく飲み込んだ時には憎しみが燃え上がった。 それでもせめて王として正しく在ってくれればと思っていたのに、その思いも踏みにじられた。 たくさんの犠牲を出し、多くの人の血を流して、アレクはここに立っている。 終わりにしなければならない。「……っ!」 ガーランドの剣を、アレクは弾き飛ばした。同時に剣の柄で兄の腹を打てば、ガーランドは崩れ落ちる。 膝をついたガーランドは、虚ろな瞳でアレクを見つめた。「お前の勝ちだ。殺せばいい。かつて俺が、お前を殺そうとしたように」 アレクはそんな兄を見下ろして、静かに首を振った。「あなたに、殉教者となる栄誉は与えない。犯した罪の重さを背負いながら、一生かけて償い続けるのだ」 アレクは、ガーランドを王国の北の果てにある幽閉塔へ送るよう、ヨハンに命じる。 何もかも失ったガーランドにとって、ただ死ぬよりも重い罰となるだろう。 玉座の間のステンドガラスに光が灯った。夜が明けたのだ。 長く続いた血の惨劇と、アストレア王国の暗い夜がついに終わりを告げた。◇ 王宮を制圧した革命軍は、地下にある一室を見つけた。 そこは魔術師の住処だったようで、魔法の水晶や書物などが乱雑に散らばっている。「なんだ? ここは」「分からん。とにかく誰もない。他を探すぞ」 既に無人だったので、兵士たちは近衛兵の残党を捕らえるために部屋を出て行った。 だから彼らは知らない。 その部屋がガーランドの腹心である闇魔術師ダリウスのものであると。 偽王の敗北を予見したダリウスは、自分だけ逃げていたのだ。 身を隠したダリウスは、魔女とその子どもたちへの執着を失うはずもなく、未だ闇の中で動き続けている。◇ 革命から少しの時が過ぎて、季節は初夏へと移り変わった。 王都では若葉の緑と咲き誇る花々に彩られている中、アレクの戴冠式が華やかに執り行われた。 当初彼は、困窮する国の現状を思って
last updateLast Updated : 2025-10-25
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79:孤独な玉座

 王宮のバルコニーに立った新王アレクに、広場を埋め尽くした民衆から盛大な拍手と歓声が送られる。祝福を告げる鐘の音が鳴り響けば、人々が投げる色とりどりの花びらが、夏の青空に舞っていた。 アレクの姿を見た民の一人が、声を上げた。「見てよ、きれいな青空! 夏はこうでなくっちゃね。前の王様の時は、毎日灰色の空の気分でさ!」「王様の目の色にそっくりだ。天気も王様を祝福しているんだ」「賢王、夏空の王、アレク陛下。万歳!」「万歳ー!」「これからきっと、いい時代になるぞ!」 そんな民たちの声が聞こえてくる。  アレクの傍らには、宰相となった騎士ヨハンが誇らしげな顔で立っている。反対側には、新設された民生大臣の地位についた元盗賊ギルドの長が、腕を組んで満足げに頷いていた。(……初夏か。六年前、森の小屋で彼女と過ごしたのと同じ季節だ) 大きな歓声が、彼にはどこか遠い音のように聞こえる。 アレクは全てを取り戻した。身分も、名誉も。だが本当にこの喜びを分ち合いたい、たった一人の女性はここにいない。 栄光が大きければ大きいほど、彼の心の中の孤独は深まっていく。 彼は完璧な「賢王」として振る舞う。民衆に手を振り、微笑みかける。その仮面の奥にある本当の心を、誰にも見せることはない。 アレクの内心と裏腹に、王宮前の広場では、民たちの喜びの声が長いこと響いていた。◇ 同じ頃、南の辺境の町。 エリアーリアは薬草師の「エリア」として、双子と共に穏やかな日常を送っていた。 彼女の「緑の小屋」の薬草畑では、暖かな日差しの下、子供たちが遊んでいる。 もうすぐ六歳になる双子は日々すくすくと成長して、背もずいぶん伸びた。幼子の成長は目まぐるしい。毎日元気いっぱいに過ごしていた。「かあさま! この雑草どもは、ぼくが退治するからね!」 活発なアルトは、すっかり騎士気取りだ。木剣を構えて雑草を払う真似をしている。「アルト、そんなに乱
last updateLast Updated : 2025-10-25
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 新王の戴冠式が終わった、玉座の間。夕暮れの光が床に長い影を落としている。 貴族たちは思い思いに談笑したり、今後の方針を話し合ったりしていた。 彼らは新王側として戦った者たちだ。これからは政権の中核を担う。誰もがやる気に満ちて、玉座の間は明るい空気が漂っていた。 そのうちの一人、側近となった老貴族が、にこやかな笑顔でアレクに話しかけてきた。「賢王陛下、即位おめでとうございます。あとは王妃様を娶り、跡継ぎが誕生すれば、この国は安泰ですな」 老貴族に悪気はない。一般の感覚からすれば、ごく当たり前のことだ。「即位したばかりだ。結婚など、今は考えられない」 けれどアレクは冷たく答えた。その口調に、王の内心を知るはずもない貴族たちは顔を見合わせる。(俺が求めるのは、森の魔女ただ一人。彼女でなければ駄目なんだ) 側近が去った後、アレクはゆっくりと玉座に歩み寄った。石造りの肘掛けに触れると、冷たい感触がする。一つ息を吐いて、深く腰を下ろした。  そこは彼が想像していたよりもずっと大きく硬く、孤独な場所だった。(ここに座って父上は……兄上は、何を思っていたのだろう) もはや知るすべはない。父も兄も、ここを去ってしまった。 広い玉座の間に、ふと、初夏の夜風が吹き込んできた。宵闇の星明かりがステンドグラスを照らして、静かな光の模様を描き出している。それはまるで、いつか見た木漏れ日のようで。  ここは玉座の間。深緑の森ではなく、傍らに愛しい魔女はいない。(俺は王になった。だが、本当に取り戻したかったのは、玉座ではなかったんだ) 心から望むのは、あの初夏の日々。  彼がただの青年で、恋する人の隣で笑っていられた日々だった。 その日々はもう過ぎ去った。  アレクは王になり、エリアーリアの行方は知れない。王になった以上は国を背負う責任が生じる。  それでも……。(俺は君を諦める気はないよ、エリアーリア) ◇  翌日、初めての朝議を開いたアレクは今後の方針を述べた。「まずは国を安定させる。ガーランドの治世、六年でアストレア王国は荒廃してしまった。農民を田畑に呼び戻し、安定した食料供給を目指す。悪法は撤廃し公正な正義の元に法律の運用を行う」 臣下たちは頷いている。「国が安定次第、私は王国全土を巡る、大規模な民情視察を行う予定だ。民草の事情を汲み
last updateLast Updated : 2025-10-26
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