私の足取りは重かった。それはこの急勾配の石畳の坂のせいでもなく、夏の終わりの疲れでもなかった。いつだったか、右京がドラキュラ伯爵に扮してこの坂を一緒に歩いたあの夜、街灯に照らされた石畳がきらめき、月が輝き、まるで夢の中を漂うように心は軽かった。「この坂がずっと続けばいい」とさえ思ったあの時の甘く切ない記憶が、今は胸を締め付け、足を鉛のように重くしていた。右京の笑顔、冗談交じりの低い声、肩に触れる指先の温もりが、坂の冷たい石畳と対照的に脳裏に蘇った。 坂を上り切った右手には、緑の木々に囲まれた石川県立美術館が静かに佇む。新進気鋭の若手作家や奇抜なモダニズムの展示品ではなく、石川県の伝統工芸品がガラスケースに収められた、静寂に満ちた空間。九谷焼の繊細な色合いや加賀友禅の流れるような模様が、時の流れを閉じ込めたように並ぶ。カツカツとヒールの音を響かせるのも憚られ、今日はノーヒールの黒いサンダルを選んだ。足音は石畳に吸い込まれ、まるで私の存在を消すかのようだった。 待ち合わせの場所は、美術館を金沢店とする、地元出身のパティシエが手掛けるパティスリーカフェ。白い壁と木の温もりが調和し、ショーケースには色とりどりのケーキが並ぶ。そこは、静かな空気の中で相手の言葉に耳を傾け、心を鎮めるのに最適な場所かもしれない。坂の向こうに広がる金沢の街並みが、秋の柔らかな陽光に照らされ、過去と現在の交錯をそっと見守っているようだった。
Last Updated : 2025-10-20 Read more