「……湊さん?」 呼びかける声は、広すぎるリビングに吸い込まれて消える。 壁一面の窓の向こうには東京の景色が広がっているが、部屋の中は薄暗く、静まり返っていた。(ここは……) 私は絶句した。あの海辺の別荘とは、何もかもが違っていた。 別荘は彼のデザイン哲学が息づく、温かくパーソナルな「隠れ家」だった。厳選された家具の一つひとつに、彼の美意識とそこで過ごす時間への愛情が感じられた。 だが、このペントハウスは違う。最高級の家具が、まるでモデルルームのようにぽつりぽつりと置かれているだけ。それは完璧な空間ではあるけれど、そこに「暮らす」という人の営みの温かさや、彼個人の歴史を感じさせるものは何もない。 ここは「黒瀬湊」という一人の男性の住まいではない。「インペリアル・クラウン・ホテルズ副社長」という公的な人間のための、機能的で孤独な城なのだと、私は直感で理解した。 廊下の突き当たりにある寝室のドアを、おそるおそる開ける。 キングサイズを超える巨大なベッドの中央で、彼が一人、苦しそうに息をしながら眠っていた。シーツは乱れ、いつも完璧に整えられている髪は汗で額に張り付いている。頬は熱で赤く上気していた。 私をいつも守ってくれた強い人の、無防備で痛々しい姿。寝顔は普段の底知れなさとは程遠く、どこか幼くて頼りない。 胸が、母性にも似た強い感情で締め付けられた。この人を私が支えなければ。その思いが、理屈を超えて湧き上がってきた。◇ 何か食べさせなければ。そう思いキッチンへ向かうと、そこは最新鋭の調理器具が並ぶだけで、食材がほとんどなかった。冷蔵庫の中には、ミネラルウォーターと白ワインのボトルしかない。 棚の奥からようやく米と塩を見つけ出す。慣れない高機能な調理器具に戸惑いながらも、私はおかゆを作った。 トレイと水のボトルを手に寝室へ戻り、湊さんの体を優しく揺する。「湊さん、少しだけ、食べられますか?」 熱にうなされていた彼が、ゆっくりと目を開けた
Huling Na-update : 2025-11-21 Magbasa pa