All Chapters of 王子様系御曹司の独占欲に火をつけてしまったようです: Chapter 171 - Chapter 180

180 Chapters

171

「家柄や体面ばかりを気にして、肝心のあの子の心が、これほどまでにあなたを求めていることを見ようとしていなかった。今のあなたの隣で、本当に幸せそうにしているあの子の顔を見て、ようやく目が覚めました」 黒瀬夫人は私に向かって、初めて心からの微笑みを浮かべた。「息子の、あの愚かでどうしようもなく純粋な心を救ってくださったのは、あなたなのですね。どうかこれからも、湊のことを、よろしくお願いいたします」 彼女は椅子から立ち上がる。私のそばまで歩み寄ると、その場で深々と頭を下げた。 予期せぬ心からの謝罪と、祝福の言葉。張り詰めていた心の糸が、ぷつりと切れる。私の目から、涙がこぼれた。「そんな……私の方こそ、至らないことばかりで。どうか頭を上げてください。こちらこそ未熟者ですが、湊さんと共に歩ませていただければと思います」「ありがとう、夏帆さん。私たちを許してくれて」 隣で湊さんが立ち上がる気配がした。彼の大きな手で、私の肩をしっかりと抱き寄せる。「もう大丈夫だよ」 湊さんの声が頭の上で聞こえた。 ご両親との雪解けは、私の心に大きな温かさを与えてくれた。またあの「査問」になったらどうしようと、自分で思っていた以上に張り詰めていたのだ。 また、黒瀬社長は私をプロフェッショナルだと認めてくれた。単なる息子のパートナーとして以上に、私という人間を見てくれた。 同時に黒瀬夫人の心も聞けた。冷たいように見えた彼女も、息子を案じる一人の母だったのだ。 私は彼らに受け入れてもらえた。ずっと一人だった私が湊さんに出会って、それでもなかなか心を開けなくて。 すれ違いの末に彼は理性をすり減らしてしまった。 でも、もう一度。湊さんは心を取り戻し、こうしてご両親に迎え入れてもらった。 私はようやく一人ではなくなったのだ。 涙が止まらなくなりそうになる。でも、ご両親に心配をかけるわけにはいかない。 少しだけこぼれた涙をぬぐって、私は微笑んでみせた。「これからどうか、よろしくお願いいたします」
last updateLast Updated : 2025-12-18
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172:私たちの家

 黒瀬家との和解から、数ヶ月が過ぎた。季節は巡り、強い日差しと蝉時雨(せみしぐれ)が夏本番を告げる、真夏の午後。 私は大きくなったお腹を抱えて、新居のリビングのソファでくつろいでいた。 ここは以前のペントハウスではない。私たちがこれから生まれてくる子供のために、二人で新しく選んだマンションだ。 日当たりが良くて広々とした部屋は、家族が増えて楽しい笑い声が響くことだろう。 それはもう間近な未来。目を閉じれば浮かんでくるようだった。 部屋のインテリアは、私が選んだ温かみのある無垢材の家具。それから湊さんが好むシャープでモダンなアート作品が、不思議なほど心地よく調和していた。二つの違う系統の家具は、私たちの関係そのものを表しているようだ。 リビングの一番日当たりの良い一角は、私のための小さなアトリエになっている。 そこには、湊さんが贈ってくれた大きな製図用のデスクが置かれていた。壁に貼られているのは、設計図。アトリエ・ブルームから独立して立ち上げる、私自身のデザイン事務所のものだ。 デスクの上には、その事務所の完成模型が置かれている。光がふんだんに入る、ガラス張りの小さなオフィス。私自身が社長として、スタッフたちと生き生きと働く未来を描いている。 誰かに与えられた仕事ではない。私が自分の力で掴み取る、新しい城だった。 私がスケッチブックに集中していると、ふわりと後ろから優しい香りに包まれた。湊さんが私の肩に、薄手のショールをかけてくれたのだ。「少し、休憩しないかい。夢中になるのはいいけど、クーラーで体が冷えてしまうよ」 彼は私の肩を優しくマッサージしながら、耳元でささやいた。愛情のこもった声と指先から伝わる温かさに、私は体の力を抜いてソファの背もたれに身を預ける。「ん、ありがとう。でも、もうちょっとだけ……」 私がそう言うと、湊さんはくすくすと笑う。私の前に回り込んで床に膝をついた。彼の視線は私の目ではなく、大きく膨らんだ私のお腹に向けられている。「こら、お母さんをあまり困らせるんじゃないぞ。君が生まれる前から、ワーカ
last updateLast Updated : 2025-12-19
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173

「しょうがないでしょ。社長になるんだから、格好悪いところは見せられないもの。この子のためにもね」 彼の手の上に私の手を重ねる。湊さんは私の指先に、一本ずつキスを落とした。「僕の奥さんは、世界一格好いい社長になるよ。でも僕の前では、世界一の甘えん坊でいてほしいな」 湊さんは膝をついたまま、私のお腹に視線を落とした。 彼が手を伸ばしかけ、ためらう。 私はその手を取って、自分のお腹に当てさせた。  湊さんの大きな手のひらが服の上から置かれる。 彼はそこに顔を寄せて、額を押し当てた。「僕たちの大事な宝物。早く会いたいな」 しばらくそうしていた後、やがて彼は顔を上げた。明るい部屋の日差しが、彼の瞳の中できらめいている。 湊さんの手がお腹から離れて、私の頬に添えられた。 「夏帆さん……」 親指が私の唇の輪郭をそっとたどる。その感触に、私は目を閉じた。 訪れるのは、柔らかな感触。 幸福な気持ちに満たされて、私たちは長いこと抱き合ったままでいた。◇ 出産を間近に控えた、ある晴れた日の夕暮れ。湊さんは、「行きたい場所があるんだ」と言って、私をインペリアル・クラウン・ホテルへと連れてきた。 案内されたのは、全ての始まりの場所。私たちが完成させた、あのスイートルームだった。 部屋は完成した時と変わらず、完璧な美しさを保っている。西日が差し込み、空間を金色に染めていた。「このスイートルームは、今日から正式に『オーナーズスイート』として登録したんだ」 湊さんは言って、一枚の、特別なデザインが施されたゴールドのカードキーを私の手に乗せた。「僕たち黒瀬家の人間と、僕が認めた特別なゲストだけが利用できる、特別な部屋だ。これは、その全ての権限を持つ君のための、マスターキーだよ」 彼は続ける。「もちろん、他のゲストが利用することもあるだろう。でもこの部屋の所有者は、君だ。いつでも好きな時に、君が帰ってこられるように。ここは僕たちの
last updateLast Updated : 2025-12-19
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174

 その夜。私たちは完成したスイートルームのソファに、二人並んで座っていた。 日が完全に沈んで、壁一面の窓の外には宝石のような東京の夜景が広がっている。部屋の中では私の『光の心臓』が、夜の光に呼応するように、静かで温かい光を放っていた。 私は湊さんの肩に頭を預ける。大きくなった自分のお腹を撫でていた。 ここに新しい命がある。私と彼の愛の結晶が。 この部屋が完成した時、「未来の礎」だと思った。その未来が今、ここで温かい鼓動を始めている。その実感が私の胸を幸福感で満たしていた。「ねえ、湊さん」 私は切り出した。「この子の名前、そろそろ本当に決めないとね」 この子は少し前の検診で、女の子だと判明している。性別が分かるまで保留にしていた名付けも、もう決めてもいい頃だ。 湊さんは私のお腹に手を重ねた。彼は一瞬、何かをためらうような表情を見せる。やがて意を決したように口を開いた。「僕はやはり『帆波(ほなみ)』という名前がいいと、思っているんだ」 私はその名前に息をのむ。それはあの山荘で、彼が狂気の中で口にした名前と同じだったからだ。私は彼の真意を確かめるようと、尋ねた。「その名前、覚えてるの?」 湊さんは私から視線を逸らさずに、こくりと頷く。「ああ。あの時の僕は、正気ではなかった。君を傷つけ、閉じ込めた。その記憶は、消えない罰だ。でもね、夏帆さん。あの狂気の中で、たった一つだけ、本物があったんだ。君を心の底から愛しているという想いと……『君の帆が、いつでも幸せな波に乗っていられるように』と願った、この名前だけは。――けれども、もし君が辛い記憶を思い出すなら、別の名前にしよう」 彼は自分の過ちから逃げずに、話してくれた。その愛情が本物なのだということが、よく分かる。 私は彼の言葉に頷いた。「ううん。それがいい。それが、この子の名前よ」 私は彼の過去の狂気ごと、その愛情を全て受け入れる。その覚悟はとうにできている。「帆波。素敵な名前ね」 私は幸せに満たされ
last updateLast Updated : 2025-12-20
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175:未来のためのデザイン

※ここからは番外編になります。 黒瀬家との和解から少しの時間が経った。目にまぶしいほどの若葉が萌える、春も終わりの頃である。 私たちの新しい住まいは、公園の深い緑を見下ろせる高層マンションの角部屋だった。 大きく開け放たれたリビングの窓からは、若葉の匂いを乗せた心地よい風が吹き抜けていく。子供たちの遊ぶ声が遠い喧騒として、かすかに響いている。 この明るく開かれた空間は、私が閉じ込められていた、あの静かすぎる山荘とは別世界だった。 まだ家具の少ないがらんとした部屋も多い。けれどここには、これから始まる暮らしと幸せがある。 湊さんと私と、お腹の子と。これからの未来を考えるとわくわくしてしまう。 ある週末の午後、ソファで一緒に本を読んでいた湊さんがふと顔を上げた。「夏帆さん、ちょっと来て」「なあに?」 彼は少し笑うと、私の手を引いて立ち上がらせた。二人で廊下を進んで、まだ何も置かれていない一番奥の部屋の前に立つ。 ドアを開けると、磨かれたばかりのフローリングに午後の柔らかな日差しがたっぷりと降り注いでいた。新しい木の匂いが部屋中に満ちている。南向きの大きな窓からは、公園の豊かな緑とどこまでも続く青い空が見えた。 湊さんはその部屋の真ん中で、私の手を握ったまま言った。「この部屋が、この家で一番明るい。だからここを、僕たちの子供の部屋にしたいんだ」 優しく告げると、湊さんは部屋に置いてあった箱のふたを開けた。 中に入っていたのは、スケッチブック。私がいつも仕事で愛用しているメーカーの、真新しいスケッチブックだった。 彼は少し照れたように、ふいと視線を逸らす。「君の才能を僕とこの子のために、貸してほしい。僕たちの最初の共同プロジェクトとして、この部屋のデザインを君と一緒にやらせてくれないかな?」 私は差し出されたスケッチブックと彼の顔を、交互に見つめた。 ただ私に仕事を依頼しているのではない。この子のための世界を作る。二人で対等なパートナーとして、ゼロから一緒に創り上げていこう。そう言
last updateLast Updated : 2025-12-20
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 私たちは床に大きな画用紙を広げて、子供部屋のデザインについて話し始めた。世界で一番幸せな、デザインの打ち合わせだった。 私はサンプルの一つを指さした。「壁紙は、この天然素材のものがいいと思うの。子供の肌に触れても安全だし、このクリーム色が、光を柔らかく見せてくれるから」「いい考えだね。じゃあ、部屋の角は、全てこの丸いR巾木(はばき)で仕上げよう。万が一、転んで頭をぶつけても、怪我をしないように。そういう加工が得意な職人を知っているんだ」 私はスケッチブックに、柔らかなタッチでベビーベッドの絵を描いた。「ベッドは塗装をしていない、天然の木材がいいと思う。例えば、この白樺(しらかば)とか。角は全部丸くして。赤ちゃんが初めて触れる世界だから、どこを触っても優しくて温かいものがいい」 湊さんは、私のスケッチを真剣な表情で覗き込む。「いい考えだね。そのデザインなら、僕が知っている職人に頼もう。子供用の家具専門で、木材の角を滑らかに仕上げる技術は、日本一なんだ。塗料を使わずに、米ぬか由来の自然なワックスで仕上げてくれる」「へえ、いいわね。ぜひお願いするわ」 彼は私のアイデアを、さらに完璧なものへと引き上げてくれる。「それから壁際には、授乳の時に使える、ロッキングチェアを置きたいの。体を優しく包んでくれるような、座り心地の良いものを」「じゃあ、椅子の生地は、アレルギーテストで最高の評価を得ている、オーガニックコットンにしよう。汚れてもすぐに交換できるように、カバーは三色、夏帆さんの好きな色で用意させるよ」「わあ、楽しみ。何色にしようかしら。青と、水色と……オレンジがいいかな?」 二人の専門知識とお腹の子への愛情が、少しずつ一つの形になっていく。その共同作業に、私はこれ以上ないほどの幸福感を感じていた。◇ 私がデザイン画に没頭していると、ふと背後から人の気配がした。振り返るより先に、クーラーの冷気から私を守るように、ふわりと薄手のショールが肩にかけられる。「一度、休憩しないか
last updateLast Updated : 2025-12-21
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176

 私は果物ならだいたい好きだが、イチゴが特に好きなのだ。「わ、おいしそう」「糖分補給も、大事な仕事のうちだよ」 彼はそう言うと、小さなフォークでイチゴを一つ刺す。私の口元へと運んできた。「やあね。一人で食べられるって」「でも、今は手がふさがっているだろう。スケッチが汚れてしまうといけない」 湊さんに食べさせてもらう(食べさせられる)のは、あの山荘の食事を思い出して苦笑してしまう。 あの時の彼は正気を失っていたが、それでも本質は変わらなかった。 湊さんは私の世話を何くれと焼きたがるのだ。 手がふさがっているのは本当だった。私は諦めてぱくりと苺を食べる。 甘酸っぱい果汁が口の中にあふれてくる。思わず笑顔になった。「んっ。ありがとう、美味しい」「それはよかった」 彼は満足そうに微笑んでいる。 苺を食べ終わった私は立ち上がる。本棚の少し高い位置にあるサンプルブックを取ろうと手を伸ばすと、すぐに彼が代わりに取ってくれた。「無理はしないで。僕をもっと頼ってほしい」「十分頼っているわ。たくさん助けられているもの」 本を受け取りながら言うと、湊さんは少し困ったように眉尻を下げた。「君が自立心旺盛な強い人だと、分かっているんだけどね。今は身重の体だから。危ないことはしてほしくないんだ」「危ないこと? たとえば、山荘の三階からカーテンのロープで伝い降りたり?」 私が意地悪く言うと、彼はますます困った顔になった。「そうだよ! 閉じ込めたのは完全に僕が悪かったけど、夏帆さんも無茶しすぎだから」「うん。無茶したのは反省している」 たとえ正気に戻っても、過保護なところは変わらない。不器用で愛情に満ちているところも。 私は笑って、再びスケッチブックに向き合った。 スケッチブックにデザイン画を描いていると、ふと隣の気配が消えた。(湊さん、また私の飲み物でも取りに行ったのかしら) そう思っ
last updateLast Updated : 2025-12-21
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 湊さんの視線が、床に広げられた壁紙のサンプルへと落ちた。次に私のスケッチブックへ。最後は鉛筆を走らせる私の手に留まる。「君の手から世界が生まれる瞬間を、こうして見ていられるのが、好きなんだ。幸せな光景だな、と思って」 その声は、心からの満足に満ちていた。◇ ベビーベッドの最後のディテールをスケッチブックに描き込んだところで、私はペンを置いた。 からん、と。乾いた音が静かな部屋に響く。 いつの間にか、西の空は茜色に染まっていた。午後の柔らかな日差しは、今はもう蜂蜜を煮詰めたような濃いオレンジ色の光に変わっている。その光がまだ何もない部屋の床に、窓の形の四角形を描き出していた。 私たちの足元には、何枚ものデザイン画や壁紙のサンプルが散らばっている。 私たちは言葉もなく、床に広げられたそれらの紙を並んで眺めていた。まだ線と色でしかない未来の断片。 けれど私たちの目には、もう見えていた。 このがらんとした部屋に、あの白樺のベビーベッドが置かれる。壁には優しいクリーム色の壁紙が貼られて、柔らかな光の中で小さな命が笑う風景が。 湊さんが私の隣に座ると、そっと私のお腹に手を当てた。「よかったな。君の世界は、世界一のデザイナーが作ってくれるそうだ」 お腹の子に、誇らしげに語りかける。私は彼の手の上に自分の手を重ねた。「ううん。世界一のデザイナーと、世界一心配性で優しいパパと、二人で作るのよ」 湊さんの指先が、私の頬にかかった髪をそっと耳にかけてくれた。その優しい手つきに、私はゆっくりと目を閉じる。 唇に柔らかく温かいものが触れる。 全てを許し受け入れ合うような、慈しみと愛情に満ちたキス。 唇が離れた後も私たちはしばらくの間、互いの額を寄せ合ったままだった。 彼の息遣いを感じる。触れ合った額が温かい。 やがて私が目を開ける。目の前には夕日でオレンジ色に染まる、がらんとした部屋が広がっている。 けれどもう、その部屋は空っぽには見えなかった。 こ
last updateLast Updated : 2025-12-22
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178:真夜中のイチゴ

 真夜中の二時。私はふと、喉の渇きで目を覚ました。 同じベッドの隣では、湊さんが穏やかな寝息を立てている。その静かな寝顔を見ていると、私の心までが安らいでいく。(よく眠っているわ。起こさないようにしないと) そっとベッドを抜け出して、キッチンで水を一杯飲んだ。けれどどうにも、渇きは癒えない。何かがものが足りないような、不思議な物足りなさがあった。 その時。一つの強烈な欲求が湧き上がって、私の頭を支配した。(イチゴが食べたい!) それもただのイチゴではない。北海道の「さちのか」という品種の、完熟した大粒のイチゴである。宝石のような見た目と、甘酸っぱい香り。口いっぱいに広がる瑞々しい果汁。その記憶があまりにも鮮明に蘇ってきた。 今の季節は真夏。さちのかの旬は春で、もうとっくに終わっている。ましてや東京の、この真夜中に手に入るはずもなかった。 念のためにスマートフォンで検索してみるが、どのサイトでも「売り切れ」の表示が出ている。(はぁ……。諦めなければ) 妊娠中特有の理不尽な食欲なのだと、自分に言い聞かせる。隣で眠る彼を起こすのは、あまりにも申し訳ない。私はでベッドに戻ると、イチゴの衝動が過ぎ去るのを待った。◇ 私が何度目かの寝返りを打った時のこと。「……どうしたの、夏帆さん。どこか痛むのかい?」 隣から、ささやくような声がした。心配に満ちた声。私が身じろぎしたわずかな気配で、湊さんは目を覚ましたのだ。「ううん、何でもないの。ごめんなさい、起こしちゃって」 私がそう誤魔化そうとすると、彼は私の額にそっと手を当てた。熱がないことを確かめて、今度は私の頬を優しく撫でる。「何でもなくはない顔をしているよ。何か、我慢しているんだろう? 教えてほしい」 彼にかかれば何でもお見通しだ。下手に心配させるより、話してしまおう。私は観念して口を開いた。「あのね、馬鹿みたいなんだけど……」
last updateLast Updated : 2025-12-22
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179

 ――魔法をかけてあげる。 湊さんはそう言うと、ベッドを抜け出した。リビングへと向かう。「……魔法って、何のこと?」 私は呆気にとられて、彼の後ろ姿を見送る。一体、何をどうするというのだろう。 リビングから彼の話し声がかすかに聞こえてくる。だが、内容は全く聞き取れない。 しばらくして、湊さんは寝室に戻ってきた。「もう大丈夫だよ。あとは、サンタクロースを待つ子供みたいに、いい子で眠って待っているだけでいい」「何をしたの?」「それは、朝になってのお楽しみ。さあ、今はぐっすり眠って」 彼は私の目を、その大きな手のひらで優しく覆った。その温かさに、私は子供のように素直に目を閉じる。彼の言う通りにしていれば、本当に何か素敵なことが起こるのかもしれない。 そんな不思議な安心感に包まれて、私はいつの間にか再び眠りに落ちていた。◇【湊視点】 夏帆さんの言葉を聞いて、僕はリビングで電話をかけた。「僕だ。夜分にすまない」 相手は、インペリアル・クラウン・ホテル札幌支社の総支配人。夜中にもかかわらず、すぐに電話に出てくれた。「すぐに、懇意にしているイチゴ農家を探してほしい。そうだ、ハウス栽培で「さちのか」を夏にも出荷しているところだ。……ああ、今すぐに頼む。これから、僕のプライベートジェットをそちらへ向かわせる。日の出までに最高の苺を、一粒も傷つけずに東京へ運んでほしいと、そう伝えてくれ」「かしこまりました」 次に電話するのは、プライベートジェットのパイロットだ。「羽田から、札幌へ。悪天候も予想されるが、必ず夜明けまでに、荷物を東京へ届けてくれ」「お任せください」(また過保護だと叱られてしまうかな) 電話を終えて、僕は苦笑する。でも、あの我慢強い夏帆さんが珍しくほしいと言ったものなのだ。できるかぎりの力を使って届けてあげたい。 贅沢かもしれない。だが、僕には
last updateLast Updated : 2025-12-23
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