All Chapters of 王子様系御曹司の独占欲に火をつけてしまったようです: Chapter 151 - Chapter 160

180 Chapters

151

【夏帆視点】 痛みと絶望の中、どれくらいの時間が過ぎたのだろうか。森の奥から、茂みをかき分ける音が近づいてきた。「夏帆さん! どこです! 夏帆さん!」 聞いたこともないほど切羽詰まった、湊さんの声だった。 やがて木々の間から、息を切らした彼が姿を現す。いつも整えられている髪は汗で濡れて乱れ、上質なジャケットの袖は枝に引っかけたのか、無残に裂けている。王子様にはとても見えない。 彼はうずくまる私を見つけた瞬間、息をのんで立ち尽くした。 黄昏時の森の中、両の瞳が揺れている。 強い安堵と、同じくらい強い恐怖。 私を逃した恐ろしさと、再び見つけた安心が、同時に彼の中に見えた。(見つかってしまった) 痛む足をかばいながら、私は奥歯を噛む。 あんなに準備を重ねてようやく抜け出したのに、こんなところで失敗するとは。 もう一度連れ戻されてしまえば、今度こそ脱出の隙はなくなる。私とまだ見ぬ我が子の未来が、あの狭い場所に閉じ込められてしまう。「よかった……よかった、ここにいたんですね……」 彼はもつれる足で私のそばまで駆け寄ると、私の前に膝をついた。瞳は赤く充血し、頬には涙の筋が泥と混じって黒く汚れている。「夏帆さん、体は大丈夫ですか? あなたの怪我と、お腹の子は」 途切れ途切れのかすれた声で言って、まるで壊れ物でも確かめるように、私の肩や腕に触れてくる。私を抱きかかえ、立ち上がろうとした。「さあ、帰りましょう。あそこなら、もう大丈夫ですから。安全な場所です。もう二度と、あなたのことを一人にはしません」 その言葉。私を再び鳥かごへ戻そうとする腕。それが、私の最後の覚悟に火をつけた。 私は彼の手を振り払った。支えを失った足が激しく痛んだけれど、歯を食いしばって耐える。「夏帆さん?」 驚きに不可解な顔をする湊さんを、正面からキッとにらみつけた。「湊さん。聞いて」 私は彼から視線を
last updateLast Updated : 2025-12-08
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152

 木々の影が落とされる薄闇の中、見開かれた瞳が揺れている。「たとえ私をあの山荘に閉じ込めても、心までは奪えない。子供だって渡さない。あなたが目を覚ますまで、戦い続けるわ!」 魂からの、血を吐くような叫びだった。 それからどのくらい、見つめ合っていたことだろう。 木々の影に立つ湊さんの体から、ふと、力が抜けた。 彼はふらつき、近くの木に手を添えて体を支えた。「そうだ……そうだった」 漏れたのは、小さな呟き。「僕が好きだったのは、気高いデザイナーの夏帆さん。困難に直面しても諦めず、戦い続ける姿だ……今のように」 彼は力なくうなだれた。足から力が抜けて、ずるずると地面に膝をつく。「……僕が間違っていた。でも、あなたがいなくなると思うと、頭が狂いそうになる。どうしたらいいんだ……」 森の地面にうずくまる彼。 なんて弱くて、愚かな人なんだろう。 おそるおそる見上げる彼の瞳に、もう狂気の色はない。ただ純粋に恐れだけがある。 私を失いたくない、嫌われたくないという恐れが。 なんて愚かで――愛おしい人。 今度は私が、彼の全てを受け止める覚悟を決めた。 痛む足を引きずって、彼の前に立つ。「じゃあ私が、あなたを全部引き受けるわ。いなくならないし、お腹の子だって無事に産んでみせる。あなたに私を全部あげるから、あなたも私に全部ちょうだい。だから安心して、あなたが好きになった私を見守っていて」「……! 夏帆さん、許してくれるのか。こんなにひどいことをした僕を」 彼の必死な様子に、私は苦笑してしまった。「まあね。私も逃げ出そうとしたし。それ以前もプロジェクトが終わったら、あなたの前から去ろうと思っていたから」「え。去る? どうして!?」 どうしてかな。 守られてばかりで嫌だったとか、身分と立場が違うと
last updateLast Updated : 2025-12-09
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153:パートナー

 湊さんの腕の中で、私は彼の心臓の音を聞いていた。 私の耳に押し付けられた胸の中から、ドクン、ドクンと、不規則で激しい鼓動が響いてくる。 私を失うことへの恐怖と、ようやく見つけ出した安堵。その二つの感情が、彼の体の中でまだせめぎ合っているのが、その音だけで分かった。 彼の体は小刻みに震えている。乱れた呼吸が、私の髪を揺らした。 夜の冷気が肌を刺す。けれど彼と体が触れ合っている部分は、じんわりとした温かさが伝わってきた。 しばらくして、彼は名残を惜しむように体を離した。だが私の肩を掴む手は、まだ震えている。 彼は一度何かを言おうとしてためらい、また口を開いた。ようやく絞り出された声はひどく掠れいる。ほとんど吐息のようだった。「すまなかった。君を、傷つけてしまった」 彼は視線を彷徨わせる。どうやら私の目をまっすぐに見ることができないようだ。その瞳にはもう狂信的な光はない。ただ、どうしようもないほどの深い後悔の色だけが浮かんでいた。「本当に……すまなかった」 今の彼は完璧な王子様でも、狂った支配者でもない。ただ傷つき過ちを犯した、一人の男の顔だった。 彼は私の足元に視線を落とす。包帯が巻かれた足首を、痛ましげに見つめた。「触れても、いいだろうか」 私が小さく頷くと、彼はためらいがちにそっと手を伸ばす。 力強いはずの彼の指が、今はわずかに震えている。私を支配し閉じ込めた、あの傲慢な力はどこにもない。壊れ物を前にした時のような、臆病なほどの優しさだけが伝わってきた。 彼は私を傷つけまいと、細心の注意を払って立ち上がった。「動かないで。すぐに、人を呼ぶから」 湊さんはスマートフォンを取り出すと、どこかへ通話を繋いだ。聞こえてくるのは彼の声だけだ。「僕だ。状況が変わった」 彼の声は低く、有無を言わせぬ強さがある。だがその声色には、以前のような狂気はない。「相沢さんが足を負傷した。場所は北側の外周塀から、アクセス路を約200メートル下った地点。&hellip
last updateLast Updated : 2025-12-09
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154

 車が別荘の正面玄関に着くと、待機していた医師や看護師長たちが、蒼白な顔で駆け寄ってきた。彼らの目には主人の怒りを恐れる色が浮かんでいる。 湊さんは車から私を抱きかかえて降ろすと、看護師長に冷静な声で命じた。「リビングのソファに、毛布とクッションを。彼女の寝室では、気が休まらないだろう」「は、はい! しかし、お部屋の方が監視用の機材はありませんが……」 看護師長が以前の命令との違いに戸惑い、口ごもる。湊さんはその言葉を遮った。「そんなものは、もう必要ない。それから先生、すぐに診察を。痛み止めと、胎児への影響がないか、最優先で確認してください」 スタッフたちは、互いに驚きの表情で顔を見合わせた。だが湊さんの真剣な眼差しと、私に向けられる心からの気遣いの色を見て、彼らも理解したようだった。この家の主人の狂気が終わったのだと。 彼らの動きから、私を囚人として扱う緊張感は消る。ただ一人の怪我人を労わる、プロフェッショナルな空気に入れ替わっていた。 リビングのソファに横たわる私のそばに、医師が膝をついた。これまで私を「管理」するだけだった彼の目が、今は純粋な医療従事者のものになっている。 彼は慎重な手つきで応急処置の包帯を解き、腫れ上がった私の足首の状態を確かめる。「相沢さん、少し押さえます。痛みがあれば、おっしゃってください」「先生、骨は大丈夫なのでしょうか」 私の返事より先に、そばで立ち尽くしていた湊さんがかすれた声で尋ねた。医師は、湊さんの方を一度だけ振り返ると、はっきりとした口調で言った。「黒瀬様、ご心配は分かりますが、今は私が診ています。少しだけ、お静かにお願いできますか」 その言葉に、湊さんは歩後ろへ下がった。 全てを支配していた彼は、今は何もできない。ただ痛ましげに私の足首を見つめているだけだった。 手当てが終わると湊さんはインカムに触れた。彼はこの別荘の執事長であろう、初老の男性を呼び出した。「菊池か。僕だ」 その声は静かだが、先ほどまでの弱々しい響きはどこに
last updateLast Updated : 2025-12-10
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155

 ――もう監視は必要ない。 その命令を聞いた時、私のそばに立っていた看護師長の肩がかすかに震えた。彼女は隣に立つ医師と、視線を交わす。 その目元が安心したように緩むのを、私は見た。彼女の口元に浮かんだのは、職務から解放される安堵ではない。長年仕えてきたであろう主人が正気に戻ったことへの、喜びなのだと分かった。 彼の「完璧な牢獄」が、彼自身の手によって解体されていく。部屋に満ちていた緊張感が、和らいでいくのを感じた。◇ リビングの暖炉の火は、もうほとんど消えかかっている。赤い熾火(おきび)が、時折かすかな光を放つだけだ。部屋の中は、夜の冷気が静かに満ちていた。 私はソファの上に横たえられて、カシミアの毛布の温かさに包まれていた。巻き直された足首の包帯が、清潔な感触と共に鈍い痛みを主張している。 ふと視線を動かすと、湊さんがソファの前の床に膝をついていた。彼は森から戻った時の汚れた服と乱れた髪のままで、ただじっと私を見上げている。 その瞳には後悔が満ちている。彼は何も言わなかった。判決を待つ罪人のように、黙って私の言葉を待っていた。 大きな窓の外の空が、いつの間にか色合いを変え始めていた。 夜の闇が溶けたような深い藍色の空。その東の端が一本の線のように、ごく淡く白んでいく。その光は空の低い場所からにじむように広がって、それまで黒い影でしかなかった山々の稜線を、柔らかな輪郭線で描き出した。 やがてその白い光に、かすかな金色と薄い茜色が混じり始める。それは新しい一日が――私たちの新しい時間が、始まろうとしている合図のようだった。 長い沈黙の後、床に膝をついたままの湊さんが、絞り出すように語り始めた。「あの時。エレベーターの事故で、君がストレッチャーで運ばれていくのを見た時。僕は何も考えられなくなった。頭の中が真っ白になって……君を失う、そのことだけで目の前が埋め尽くされた」 彼は言葉を選びながら、途切れ途切れに続ける。「病院で、夏帆さんが妊娠していると聞かされた。僕たちの子供がいると&hellip
last updateLast Updated : 2025-12-10
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156

「それで、分からなくなったんだ。どうすれば君たちを守れるのか。世界そのものが、君たちを脅かす敵に見えた。だから僕が完璧な世界を作るしかない、と……。馬鹿な考えだと、今なら分かる。でもあの時の僕には、それしか方法が思いつかなかったんだ」 言い訳ではない。彼の心が恐怖にいかにして支配され、壊れていったか。湊さんは正直に、私に告白していた。 彼は私の手を握る。「君の言う通りだった。僕は、君の強さと気高さを愛したはずなのに、それを自分の手で壊そうとしていた。……もう二度と、君を支配しようとはしない。君の隣に立ち、君を支えるパートナーになりたい。その資格を、もう一度僕にくれないだろうか」 私は思う。完璧な王子様だと思っていた、周囲に思われていたこの人は、弱い人だった。 地位も権力も、財力も。能力も全て持っていたはずなのに、何かが決定的に足りなかった。 あの夜、私たちは愛し合って……心に抱えていた寂しさを、埋め合ったっけ。 私は元夫の裏切りにあって、一人ぼっちになっていた。 この人もまた、人を信じられず孤独のうちに過ごしていた。 私たちは似た者同士で、だからお似合いなのだ。 私は湊さんのいいところも、悪いところもちゃんと知っている。全部受け止める覚悟は決めた。 だから今度は、私が告白しないといけない。「私も間違っていた。プロジェクトが終わったら、あなたに何も言わずに、去ろうとしていたから」「……どうしてと、聞いていいかい?」 おずおずと言う彼に、私は苦笑を返した。「ただの思い込みよ。こんなに愛されていると信じられなくて、私があなたの負担になっていると思ってしまったの」「負担などあるものか。もし君がいなくなったら、地の果てまでも探しに行くよ」 湊さんは当たり前のように頷いた。「地の果てまでは探してほしくないかなぁ」 私が笑うと、彼もやっと笑みを返してくれた。「君を支配し
last updateLast Updated : 2025-12-11
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157:2人の決断

 ソファの上で、私はいつの間にか眠ってしまっていたらしい。 目を覚ますとリビングではなく、見慣れた寝室のベッドの上だった。 誰かが私をここまで運んでくれたのだ。誰かといっても、湊さん以外に考えられない。  自動で開くカーテンではなく、自分の意思で窓を開ける。ひんやりとした山の空気が部屋を満たした。監視の気配はもうどこにもない。   リビングへ行くと、テーブルの上に温かい朝食が一人分だけ用意されていた。私のプライバシーを尊重し、一人で過ごす時間を与えてくれているのだと分かった。 食事が終わる頃、部屋のドアが控えめに二度、ノックされた。「夏帆さん、入ってもいいかな?」 湊さんの少しだけ緊張したような声がする。私が「どうぞ」と答えると、彼はほっとしたしたように部屋に入ってきた。「よく眠れた? 体は、痛まないかい?」 心配そうに尋ねる。「うん、ぐっすり。湊さんのおかげ。足首もそこまで痛くないわ」「それはよかった。朝食は口に合ったかな。シェフには、君の好きなものを用意するように、とだけ伝えたんだけど」「すごく美味しかった。ありがとう。それに一人で静かに食べられたのも、嬉しかったかな。久しぶりだったから」 私の言葉に、彼は一瞬ばつが悪そうな顔をする。が、すぐに小さく頷いた。「そうだね。すまなかった」 短い沈黙の後、彼は意を決したように私に向き直った。「それでね、夏帆さん。もし君の体が無理じゃないなら、なんだけど……。今日、東京に戻らないか。もちろん君がまだここにいたいなら、それでも構わないんだ」 私の判断を尊重してくれている。命令ではない。その変化が私の心を温かくする。「私も一度、東京に戻りたい。プロジェクトの様子も確かめたいしね」 私が微笑むと、彼は心から嬉しそうに笑みを返してくれた。◇ 東京へ戻る車の中は、静かだった。 けれど以前この空間を支配していた、息の詰まるような緊
last updateLast Updated : 2025-12-11
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 狂気と、それを押さえつけるための仮面。その両方が剥がれ落ちた後に残ったのは、私が今まで知らなかった、素顔の湊さんなのかもしれない。 彼が私の視線に気づいたのか、ふとこちらを向いた。その眼差しには私を射抜くような鋭さも、所有するような熱もない。ただ、私の体調を気遣う、優しい色が浮かんでいるだけだった。 彼は小さく微笑むと、すぐにまた運転へと意識を戻した。私も窓の外の景色へと視線を戻した。 彼が隣にいる。その事実が、以前とは全く違う意味を持って私の心に落ちてきた。 これまでは、彼の隣は緊張を強いられる場所だった。 エレベーターの事故以前は対等になれなくて、悩んでいた。事故以降は、いつ穏やかな仮面の下から底知れない独占欲が顔を出すかと、常に身構えていた。 だが今は違う。隣にあるのは湊さんという一人の男性の存在だけだ。支配とは違う。安心感がそこにはあった。 私たちは、あの森で確かに心を通わせた。 けれどその先は? 私たちはこれから、どういう関係になるのだろう。クライアントとデザイナー? それとも恋人? そしてこのお腹の子の父親と母親に……? 分からないことだらけだった。でももう一人で考えて、勝手に決めて、逃げ出すのはやめよう。新しい関係はここから始めるのだから。 私は意を決して、彼の横顔に声をかけた。「湊さん」「ん? どうしたの、夏帆さん」 彼は前を見ながらも、優しい目をしている。私はその目をまっすぐに見つめ返して、尋ねた。「これから私たちは、どうなるのかな」◇ 私の問いかけに、湊さんはすぐには答えなかった。彼は一度前方の道路に視線を戻して、言葉を選ぶように口を開いた。「まず何よりも先に、君が休むことだ。心も体も。君が本当の意味で安心できるまで、何も急ぐ必要はないよ」 そう言うと、湊さんはウインカーを出して車を路肩に寄せた。エンジンが切られると、車内は山の静寂に包まれる。 彼はシートベルトをしたまま、私の方へと体を向けた。改めて私の手を、そっと両手
last updateLast Updated : 2025-12-12
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「弁護士の桐咲先生のチームが、今回の件を少し深く調べてくれてね。どうやら、氷山の一角だったみたいだ」「氷山の一角?」「ああ。監査官の戸樫との癒着だけじゃない。彼はグラン・レジスの他のプロジェクトでも、複数の下請け業者から不正なリベートを受け取っていた。その金の流れを、先生たちが突き止めたんだ」 彼は淡々と、事実だけを告げていく。「もっと悪質なのは、ベイエリアの開発計画だ。計画が公表される前に、彼は親族名義で周辺の土地を安く買い占め、グラン・レジスに高値で売却していた。完全なインサイダー取引だよ。つまり彼は、君を攻撃しただけじゃない。自分の会社そのものを、私腹を肥やすために食い物にしてきたんだ」「ひどい……」 私は手口の巧妙さと強欲さに、言葉を失った。 一通りの説明を終えると、湊さんは一度言葉を切った。そして私の方へと体を向け直し、握っていた私の手にもう片方の手をそっと重ねた。「僕個人の考えを言えば、この証拠を検察に提出して、彼が法の下で裁かれるべきだと思ってる」 彼の瞳は真剣だった。「けれどこれは何よりもまず、君が被害者となった事件だ。君がもうこれ以上、辛い思いをしたくない、関わりたくないと思うなら、僕はその気持ちを尊重する。別の方法、例えば法的な手段ではなく、業界内で彼を完全に終わらせるやり方も、なくはないんだ」 以前の湊さんならばきっと一人で全てを決めて、私には「心配いらない」とだけ告げたはずだ。 だが今の彼は違う。選択肢を示し、その上で私の本当の気持ちを尋ねてくれている。「夏帆さん、君はどうしたい?」 この重大な決断の最終判断を私に委ねるという、彼の覚悟の表れだった。私を守られるだけの存在ではなく、共に未来を決める対等なパートナーとして認めてくれている、何よりの証だった。◇ 湊さんの問いに胸の奥が温かくなる。彼は本当に、変わってくれたのだ。私に未来を選ぶ権利を委ねてくれている。 私は目を閉じた。脳裏に、あの瞬間の恐怖が鮮明に蘇る。
last updateLast Updated : 2025-12-12
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160

 私個人の復讐心だけではない。こんな思いをする人間が、二度と現れてはならない。これから生まれてくる私たちの子供のために。この子が生きる世界から、ああいう理不尽な悪意を一つでも取り除いておきたい。母親としての私の祈りであり、責任だった。 私は彼の手を、今度は私から強く握り返した。彼の目をまっすぐに見つめて、はっきりと告げる。「湊さんの考えに、賛成。佐藤がしたことの責任は、きちんと取ってもらうべきだと思う」 私はそっと自分のお腹に手を当てた。「私のために、だけじゃない。私たちの子供のためにもね」 私たちの子供。 その言葉を口にした瞬間、この子が、本当に「私たち」の子供になったのだと、実感した。 湊さんの目が、大きく見開かれる。彼の瞳に驚きと、痛いほどの愛おしさがこみ上げてくるのが、手に取るように分かった。 彼は言葉にならない声で何かを呟くと、私の手を額に押し当てるようにして、深く一度だけ息を吸った。 湊さんは顔を上げて、頷いた。「分かった。じゃあ、そうしよう」 彼はその場で桐咲先生に電話を入れる。「先生。予定通り、進めてください」 その声には、もう迷いはなかった。 二人の共同の決断として、佐藤を断罪するための最後の一手が打たれた。 ◇  山荘から東京に戻って以来、私は湊さんのペントハウスで過ごしている。 もちろん、私には一人で暮らしていたマンションがあった。東京に戻る車の中で、彼はまず、私をそこへ送り届けようとしてくれた。だが同時に、こう提案したのだ。「君さえよければ……君の体が完全に回復して、僕たちの子供が安全に生まれてくれるまで、僕の家で一緒に暮らさないか」 湊さんの瞳は、真剣だった。「君のマンションは、もう安全な場所とは言えない。佐藤は事故を起こしてまで、君を傷つけようとした。あいつがどのくらい、夏帆さんの個人情報を把握しているか分からない。僕の家なら、最高のセキュリティがある
last updateLast Updated : 2025-12-13
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