All Chapters of プライド崩壊の夜~元妻、二人目の妊娠~: Chapter 11 - Chapter 20

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第11話

潤のキスは激しくで熱烈だった。明里は息もできないほどだった。彼女は両腕を潤の首に回し、初めてこれほど積極的に彼に応えた。明里の甘い吐息を聞きながら、潤は口を開いた。「気持ちいいのか?じゃあ、なんで今まで拒んでたんだ?」その言葉に、明里の燃え上がっていた体は、すっと冷めていった。しかし、潤は自分の言葉など意にも介さず、彼女をベッドに抱き寄せると、熱いキスを浴びせ続けた。明里が静かになったことに気づき、潤は眉をひそめ、彼女の腰を掴む手に力を込めた。「おい、何を拗ねてるんだ?いい加減にしろ」明里は彼の首から腕をほどいた。「ごめん、そういう気分じゃ……」潤は歯を食いしばった。「今さら、そんなことを言うのか?」明里は言った。「シャワーを浴びてくるから」潤は彼女をぐいと引き留めた。「明里!」明里は彼を見つめて言った。「潤、私のこと何だと思ってるの?」「何だと?」明里は潤の手を振り払い、バスルームに入っていった。彼女は知っていた。潤は家柄、容姿、能力、そのどれもがずば抜けている。そして、そんな男の自信と傲慢さは、骨の髄まで染みついているものなのだと。彼が少しくらい無神経なことを言ったところで、大して気にする必要もないだろう。少なくとも、彼はこれでも自分に気を配ろうとしてくれているのだから。仕事帰りに迎えに来て、プレゼントをくれて、車の中では優しいキスもしてくれた。翌朝、明里が目を覚ますと、すでに潤の姿はなかった。彼女は身を起こして身支度を整え、階下へと向かった。階段の踊り場まで来たところで、陽菜の笑い声が聞こえてきた。「潤さん、プレゼントしてくれたダイヤモンドのネックレス、すっごくきれい!とっても気に入ったわ、ありがとう!」それを聞いて、明里は全身をこわばらせ、その場で階下を見下ろした。陽菜の首には、キラキラと輝くダイヤモンドのネックレスがかけられていた。真奈美も口を挟んだ。「潤は気が利くわね。でも、確かこのネックレスがオークションに出た時、おまけでピアスがセットで付いてきたはずじゃなかったかしら?どうして陽菜にあげなかったの?セットで着けた方がずっと素敵よ」潤が口を開いた。「ピアスは明里にあげた。陽菜が欲しいなら、彼女に渡すように言っておくから」陽菜は慌てて言った。「潤さん、
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第12話

この瞬間、明里は一つのことをはっきりと悟った。潤は自分に愛情を抱いてはいない。ただ夫として妻に期待すること、そして二宮家の嫁としての務めを求めているだけなのだ。彼は常に雲の上の存在で、決して手の届かない人間だった。そんなことはとっくに分かっていたはずなのに、潤が少し手招きするだけで、自分はすぐに我を忘れてしまうのだ。もし昨夜、明里が離婚について少し心が揺らいでいたとするなら、今の彼女は、階下での彼らの会話を耳にし、言葉では言い表せないほどの痛みを心に感じていた。顔は血の気を失い、指先は震え、まるで目に見えない何かに胸を圧迫され、呼吸すらままならないほどだった。潤が顔を上げると、階段の踊り場に立つ明里の姿が目に入り、口を開いた。「明里、昨日のピアスはどこだ?陽菜に渡してやってくれ」明里の漆黒な瞳が、その蒼白な顔を一層際立たせた。彼女は何も言わず、寝室へ向き直ると、昨日のジュエリーボックスを持って出てきた。階段を下り、一歩、また一歩と彼らに近づいていく。その一歩一歩が、まるで刃の上を歩いているかのようだった。潤が手を差し出すと、明里はジュエリーボックスを渡した。それはまるで、かつて自分の心を彼に明け渡した時のようだった。そして、その心はズタズタに引き裂かれた。だから、これからは、彼女も自分自身を大切にすることを学ばなければならないのだ。「明里さん、なんだか申し訳ない」陽菜は潤からジュエリーを受け取り、得意げな笑みを浮かべた。「そうだ、何日か着けたら返すね!」明里は彼女を冷たい目で見つめ、「あなたにあげたんだから、返してもらわなくて結構よ」と言った。そう言い捨てると、明里は背を向けて歩き去った。潤は眉をひそめ、明里の今の言葉に何か裏があるように感じた。そして、彼は足を速めて彼女を追いかけた。明里はちょうど屋敷の外へ出ようとしていた。彼女は車で来ておらず、潤の車に乗って帰る気も毛頭なかった。顔は血の気がなく、真っ青だった。指先が微かに震え、その足取りはズタズタになった自分の心を踏みしめているかのようだった。彼女は痛みで今にも倒れそうになった。もしこれまでの離婚の考えが、ただの芽生えに過ぎなかったとしたら、今、その決意は確固たるものとなっていた。潤と別れるのだ。だけど、三年
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第13話

明里はふっと笑った。このような状況でも笑える自分に、彼女自身も驚いていた。そして、潤に視線を向けた。漆黒な瞳には何の感情も宿っておらず、ただ静かに彼を見つめていた。「潤、離婚しよう」潤はさらに眉をひそめた。「なぜまたそんなことを言うんだ?昨夜、もう騒がないと約束したはずだ」昨夜のことなど持ち出されなければよかったのだが、その言葉で明里は彼にキスされた時のことを思い出してしまった。屈辱感に、腸が煮えくり返るような吐き気を催した。彼女は本当に吐きそうだった。だが、潤は平然とした、何でもないような口調で言った。「お前はもう大人だろう。自分の言ったことには責任を持つべきだ。離婚の話はもうしないと俺に約束した以上、その言葉は守るべきだ」明里は彼の手を振り払った。しかしその時、突然、白い影が飛びかかってきて、吠えながら彼女に噛み付こうとした。明里は思わずそれを蹴り飛ばした。蹴られたポメは地面に倒れ、キャンキャンと甲高い悲鳴を上げた。「明里!」潤は鋭い目つきで彼女を怒鳴りつけ、すぐにかがんでポメを抱き上げた。物音を聞きつけた陽菜も出てきた。潤がポメを抱いているのを見ると、彼女は悲鳴を上げて駆け寄ってきた。「モモちゃんがどうしたの?潤さん、彼女、私のモモちゃんを殺す気なの?」陽菜は手を伸ばすと、明里の肩を突き飛ばした。「なんてひどいことをするの!」明里はよろめき、立っていられずに地面に倒れ込んだ。その瞬間、下腹部に鋭い痛みが走り、全身から冷や汗が噴き出した。陽菜は泣きそうな声で言った。「潤さん、モモちゃんは大丈夫?」「大丈夫だ、何ともない」潤は優しく彼女をなだめた。「とりあえず、病院に行こう」言い終わると、彼は無意識に明里を一瞥したが、すぐに陽菜の方を向き直り、ポメを抱いて大股で去って行った。明里は腹を押さえながら、全身の細胞一つ一つが痛みを訴えているように感じた。どれくらいの時間が経ったのか、彼女はそばの花壇の塀に手をついて、ようやく立ち上がることができた。頭のてっぺんから足のつま先まで、どこもかしこも苦しかった。明里は鼻をすすりながらスマホを取り出し、会社に休暇の連絡を入れた。こんな状態では、仕事に行けるはずもなかった。いいだろう、ならば家で待っていよう。彼女は二
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第14話

明里は、胸に込み上げてくる苦味と痛みを必死に押し殺し、背筋を伸ばしてまっすぐに立とうと努めた。彼女の視線の先で、潤が階段を上がってくるのが見えた。潤が来たのを見て、陽菜はすぐさま潤に近づいてわざとらしく言った。「明里さんは、きっと口先だけよ。まさか本当にモモちゃんに何かするわけないわよ」すると、真奈美は隣で不機嫌そうに言い放った。「さあ、どうかしらね!モモちゃんは彼女の悪意を感じ取ったから、あんなに嫌がるんじゃないの!」しかし今回、明里は彼女らに構うことなく口を開いた。「潤、話がある」二人は共に寝室へ戻ると、明里は早速本題を切り出した。「離婚の件だけど……」潤はまるで何事もなかったかのように平然としており、彼女の離婚の申し出にはもう慣れっこといった様子だった。「明里、俺はお前とは違う。軽々しく離婚なんて口にできない。俺は何十もの会社を取り仕切っているし、グループも上場している。株価だって常に変動するんだ。俺の結婚は、数え切れないほどの人々の人生を左右する。離婚は、お前が考えているほど簡単なことじゃない」明里はきょとんとした。そんなこと、今まで考えたこともなかったのだ。そういうことだったのか。彼女は数秒間黙り込んだ後、口を開いた。「あなたのものは、何一ついらない。この家の財産もなにもいらない……」それを聞いて、潤は顔を上げ、その端正な顔からは笑みが完全に消えていた。「当たり前だろう?」明里は顔がカッと熱くなるのを感じた。彼女は悲しみをこらえ、淡々と口を開いた。「じゃ、どうすれば離婚できるのか教えて」潤はもう明里を見ようとせず、低い声で言った。「離婚なんて考えたこともない。面倒なだけだ」明里は顔をそむけた。「それでも、私がどうしても離婚したいと言ったら?」「明里、調子に乗るな」潤はすぐに眉をひそめ、苛立ちを隠そうともしない。「昨夜はもうしないと約束しただろう。今日は一体どうしたんだ」また、昨夜の話だった。彼は常に高みから物事を見下ろし、機嫌が良ければ少しばかりの優しさを恵んでくれる。そして明里は、それを藁にもすがる思いで受け止めてしまうのだ。考えれば考えるほど、皮肉な話だった。潤は深く息を吸い込むと、明里の肩を抱き寄せた。「もう拗ねるな。昨日のピアスが気に入らなかったのは分かっている。なら、
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第15話

明里は顔を上げて潤を見た。「ええ、じゃそうして」彼女の瞳に宿る決意の固さを見て、潤はフッと口の端を吊り上げた。「最近は多忙でな。それに、今の会社の状況では離婚はできない」「じゃ、いつになったらできる?」明里がそんなに焦っているのを見て、潤の声はさらに冷たくなった。「おじいさんのことがなければ、お前と結婚することもなかっただろう。だから、焦るな。もしかしたら、俺の方がお前よりこの結婚を終わらせたいと思っているかもしれないからな」彼が部屋を出て行くのを見て、明里はゆっくりと床に崩れ落ち、声もなく涙を流した。昼食の時間になり、湊が彼女を呼んだ。明里は顔を洗ったが、目はまだ赤く腫れていた。階下に降りてみると、湊が一人でいるだけだった。湊は言った。「みんな用事があって出かけてしまったんだ。俺もこれから用事があってな」そう言うと、彼は明里を一瞥し、ため息をついた。「明里、どんなことがあっても、食事はちゃんと取らないとだめだよ」明里は礼を言って、素直に席について食事を始めた。湊はすぐに食事を終えて出て行った。しかし、明里は食事が喉を通らず、何を食べても味気がないように感じた。彼女は箸を置き、部屋に戻ろうとしたが、あの部屋には帰りたくなかった。仕方なく、庭を散歩することにした。今日の庭は静かで、景色も悪くなかった。明里は知らず知らずのうちに三十分以上も過ごしてから、家に戻った。そして彼女は結局、潤との寝室に戻った。明里は心に決めた。博士課程に進学したら大学の寮を申請しよう。そうすれば二宮家を出る口実ができる。離婚のことについては……夫婦が三年から五年、あるいはそれ以上別居すれば、離婚を申し立てることができると聞いたことがある。三年から五年という時間は短くないが、他に方法がなければ、この道を選ぶしかないだろう。明里がベッドに横たわっていると、突然スマホが鳴った。彼女は電話に出ると、「お母さん」と呼びかけた。松井玲奈(まつい れな)の優しい声が聞こえた。「アキ、来月の三連休、潤と一緒にご飯食べに来ない?」滅多にない十二月の三連休だし、今のところ特に予定もなかった。でも、潤と一緒に実家に帰る?ありえない。二宮家は大家族で、このような連休になると、訪ねてくる親戚や友人がどれだけいるかわか
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第16話

そのあと、ここ数日、まともに眠れていなかった明里は、とうとう耐え切れず、ベッドのヘッドボードに寄りかかったまま眠ってしまった。どれくらい時間が経っただろうか、彼女は甲高い悲鳴で目を覚ました。目を開けると、泣き声や騒がしい声が聞こえるような気がした。そして寝室を出て、階下へと向かった。「明里さん!」明里が階下に降りると、陽菜が彼女に掴みかかった。「モモちゃんは?私のモモちゃんはどこ?」明里は眉をひそめ、ただ陽菜の言動が意味不明だった。「知らない。見ていないもの」陽菜は目を赤くして泣きじゃくった。「知らないわけないでしょ!家にはあなたしかいなかったんだから!私のモモちゃんをどこへやったの?教えてよ!」真奈美もそばから口を挟む。「明里、早くモモちゃんを返してあげなよ。モモちゃんは陽菜にとってかけがえのない存在なのよ」湊も帰宅しており、ため息をつきながら言った。「明里、冗談で済むことじゃない。モモちゃんは我々にとって大切な家族だ。どこにいるのか、正直に言ってくれ」明里の心に、屈辱感と無力感がこみ上げてきた。彼らは口をそろえて、まるで自分が犬を隠したと決めつけているようだった。「そんなの知らない」と彼女は言った。「モモちゃんなんて見てないから」「そんなはずない!」陽菜は明里を引っ張って外へ出ようとした。「家の中は隅々まで探したけど、いなかったの!外にいるんじゃないの?教えてよ!」湊夫婦も後からついてきた。湊が言った。「陽菜、落ち着いて。誰かに探させるから」ちょうどその時、潤が帰ってきた。このただならぬ雰囲気に、彼は眉をひそめて尋ねた。「どうしたんだ?」「私のモモちゃんが……」陽菜は彼を見るなり、わっと泣き出した。「潤さん、モモちゃんがいなくなっちゃったの!家には明里さんしかいなくて、聞いても知らないって……」「明里!」潤は大股で歩み寄り、冷たい視線で明里を射抜いた。「モモちゃんはどこだ?答えろ!」明里は自分の心がもうこれ以上痛むことがないと思っていた。しかし、まさか痛みがさらに増すことなど、思いもよらなかった。明里は背筋を伸ばし、怯むことなく潤を見据えた。「言ったでしょ。知らない」その時、裏庭から突然悲鳴が上がった。一同は同時にそちらに目をやった。まもなく、運転手が横手から走ってき
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第17話

陽菜はひどく取り乱し、泣きじゃくるうちにとうとう気を失ってしまった。潤はすぐに人を呼び彼女を部屋へ運ばせると、明里に意味深な視線を投げかけ、静かにその場を後にした。真奈美は慌てて陽菜の後に続いて部屋へ入った。湊は小さくため息をつき、明里に尋ねた。「立てるか?」彼女は歯を食いしばって痛みに耐えながら立ち上がり、礼を言った。「大丈夫、ありがとう」湊は言った。「今回の件は……いくらなんでもやりすぎだ。明里、こんなことをすべきではなかった」そう言うと、彼は首を横に振り、背を向けて去ってしまった。明里は、「私がやったんじゃない」という言葉が喉まで出かかっていたが、どうしても声にならなかった。誰も自分を信じないだろう。初めて会った時から、ポメは自分に敵意を剥き出しにし、その後も衝突を繰り返し、そして今、ポメは死んでしまった……もともと心優しい明里は、今、この状況にひどく動揺していた。これも一つの小さな命なのだ。もちろん、彼女が殺したわけではない。しかし、運転手の話では、ポメの体にはナイフが刺さっていたという……一体、誰が?明里の心に、ある大胆な推測が芽生えていた。陽菜は自分を陥れるためなら、本当にどんな手段でも使うはずだ。ポメが自分だけを狙って攻撃してきたのも、恐らく陽菜が意図的にそう仕込んだからなのだろう。明里はしばらく庭に佇んで気持ちを落ち着かせていると、下腹部の不快感が徐々に和らいでいった。冷たい嘲笑や棘のある言葉なら、まだ我慢できた。しかし、犬も一つの命だ。こんな重い濡れ衣を着せられるのは、到底耐えられなかった。彼女は屋敷に戻り、監視カメラを確認しようとしたが、その時になって初めて、カメラが壊れていることに気づいた。これで、いよいよ弁解の余地がなくなってしまった。「明里」振り返ると、そこには潤がいた。どんな時でも、潤は気品があり、知的で、そして美しい顔立ちをしていた。そして、明里に対して、彼はいつも冷淡な態度を崩さなかった。数少ない感情を露わにするときも、決まって陽菜が原因だったようだ。潤は明里のことなど全く意に介さず、ただ彼女の前では命令口調で、傲慢に振る舞うだけだった。たとえ離婚するにしても、犬にまで手をかけるほどの冷酷な人間だとは彼に思われたくなかった。
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第18話

「明里は自分が悪かったと分かっている。わざとじゃないんだ、後でちゃんと謝らせるから」潤は陽菜を見て言った。「だからもう泣くな、落ち着いて」真奈美は言った。「謝って何になるのよ!モモちゃんはもう死んだのよ!」潤は数秒黙り込んだ後、「じゃあ、新しいのを買いに行こう」と言った。陽菜は泣きながら首を横に振った。「いらない、モモちゃんは唯一無二だもの……もし新しいのを買っても、また彼女に殺されたらどうするの?」潤の後を追って玄関に来た明里は、もう我慢できずに口を開いた。「モモちゃんは、私が殺したんじゃない」その場にいた全員が、一斉に彼女の方を振り返った。明里は必死に背筋を伸ばした。「死刑囚に罪を宣告するにも証拠が必要でしょ?証拠もないのに、どうして私が殺したなんて言えるの?」陽菜は彼女の姿を見ると、また泣き出し、肩を震わせて潤の胸に倒れ込もうとした。潤はすっと立ち上がると、明里の方を向いた。「明里、いい加減にしろ」明里はふらつき、倒れそうになった。潤が言った「いい加減にしろ」という言葉が、離婚騒ぎのことを指しているのか、それともこの一件を指しているのか、彼女には分からなかった。だが、どちらでも同じことだ。今この瞬間、明里は悟ったのだ。この家では、潤の言葉が絶対であると。彼が言ったことが、真実となるのだ。証拠など、必要ないのだ。陽菜の一言で、潤は無条件に彼女を信じるのだから。これ以上、どんな証拠があっても役に立たないのだ。同じように、陽菜にどれだけ濡れ衣を着せられても、明里は何とも思わなかった。どうでもいい人間に、傷つけられることはないからだ。しかし、潤は違う。彼の一瞥だけで、彼女は完膚なきまでに打ちのめされてしまうのだ。そこて弁明も反論も、すべてが滑稽なものに成り下がってしまう。潤はただ黙って、冷たい視線を向けるだけで、明里は完全に打ち負かされてしまうのだ。かつて互いを尊重し合っていた日々など、もう思い出すことも、思い出したくもなかった。下腹部に、何か重いものが引きずり下ろされるような感覚があった。明里は、力が抜けたように口角を上げた。自分は一体、何を争っていたのだろうか。何を弁解する必要があるのだろうか。たとえ潤の目に、自分が冷酷非情な人間だと映ったとしても、それがど
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第19話

明里は以前、大輔に二度ほど会ったことがあるが、彼はその度に違うスポーツカーに乗り、助手席には違う女性を乗せていた。そんな男に、明里はできるだけ関わりたくなかった。そのため、大輔を見かけても、明里は努めて背筋を伸ばし、普段と変わらない素振りを装った。「村田さん、どうしてこんなところに一人で?もしかして泣いていたのか?」大輔は眉を上げ、からかうような視線を送った。「どうした、二宮にいじめられたか?」明里は彼を相手にする気は毛頭なく、彼がなぜこんな訳の分からないことを言ってくるのか、さっぱり理解できなかった。彼女は口を開いた。「他に用があるので、これで失礼します」二宮家には戻りたくなかったため、明里はただ外へと足を向けるしかなかった。「どこへ行くんだ?ついでに乗せていってやるよ!」明里が歩いているとまさか、それから間もなくして、大輔が車で追いかけてくるとは思ってもみなかった。明里も取り繕う気力を失い、彼を完全に無視して歩き続け、すぐにタクシーを捕まえた。大輔は車を道端に停め、タバコに火をつけた。そして、紫煙をくゆらせながら、口の端を吊り上げた。結局、明里は研究所に戻った。他に行く当てもなく、心身ともに疲れ果てていた彼女は、ただ心安らげる場所を求めていたのだ。その上、どういうわけか下腹部が何度か痛んだため、時間を見つけて病院で検査を受けたいとも考えていた。しかし、最近はあまりに多忙で、研究所の仕事は立て込んでいる上に、博士課程の勉強も疎かにはできないから、余裕がなかったのだ。しかし研究所に戻り、ようやく一息つこうとした矢先、スマホが鳴った。電話の相手は玲奈だった。明里は電話に出た。電話の向こうから、玲奈が焦った声で切り出した。「ねぇ、アキ、今すぐ使えるお金ってある?」明里は心臓が跳ね上がった。「お母さん、どうしたの?お父さんの具合でも悪いの?」「それがね……」玲奈はため息をついた。「昔、うちがお金を借りていた人がいるんだけど、その人が引っ越しちゃって、連絡が取れなくなってたの。それが最近戻ってきたから、お金を返そうと思って」明里はほっと胸をなでおろした。「いくらなの?」「……1000万円よ」明里は眉をひそめた。「うちにそんな借金があったの?」玲奈は言った。「あなたがまだ小さかった
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第20話

明里は夜8時過ぎまで研究所に残っていた。凪が異動になったため、いくつかのデータについて確認が取れず、二人は一時間以上も音声通話をしていた。そして通話を終えて初めて、潤からメッセージが来ていることに気づいた。そこにはただ一言、【家へ戻ってこい】とだけ書かれていた。家?家とは、安らぎの場で、温かく、和やかで、幸せな場所であるはずだ。だが、そこは彼女の家なのだろうか。かつて明里は、潤のいる場所こそが自分の家だと思っていた。しかし今、潤が彼女にもたらすのは、苦痛と傷だけだった。もう、帰る家などなかったのだ。荷物をまとめて階下へ降りると、そこにはまた潤の姿があった。今の明里は彼を見ても、喜びはなく、ただ胸が痛むだけだった。前回、潤が迎えに来て、プレゼントを渡し、甘い言葉で自分をなだめた。そして家に帰れば、自分は彼の求めるままに情熱的に応じてしまった。潤はきっと、自分のことを扱いやすい女だと思っているのだろう。扱いやすいどころか、安っぽい女だと。だから、彼はまた来たのだ。だが今回は、明里は脇目もふらず、まっすぐ自分の車に乗り込んだ。潤は彼女の車の横に立ち、窓を叩いた。「降りろ!」明里はためらうことなく、エンジンをかけた。バックミラーには、潤が固く唇を結び、眉をひそめているのが見えた。それはいつもと変わらない、冷たく冷ややかな表情だった。まるで、明里の理不尽な振る舞いを無言で非難しているかのようだった。明里が車を走らせてからしばらくして、潤の車がすぐ後ろについてきていることに気づいた。彼女は力が抜けたように笑った。胸の奥からこみ上げる切なさに、押しつぶされそうだった。それでも、明里は二宮家へと戻った。この時間、湊夫婦と隼人夫婦も在宅していた。明里が車を停めるとすぐに、潤の車も入ってきた。彼女が車をロックして家に入ると、潤もすぐ後ろにいた。明里は振り返りもせず、口も利かず、玄関で黙って靴を履き替えた。真奈美は潤の姿を見ると、いくらか声のトーンを落とした。「よくもまあ、戻ってこれたものね。悪いことをしたっていうのに、反省の色もなし。村田家ではそういうふうに教わったのかしら?」明里は真奈美の言葉には応えず、潤を振り返った。「私に謝罪させるために連れ戻しに来たの?わ
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