All Chapters of プライド崩壊の夜~元妻、二人目の妊娠~: Chapter 31 - Chapter 40

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第31話

やがて智子からメッセージが届き、明里は余計なことを考えず、試験勉強に専念することにした。研究所の方も、ようやく担当の仕事が終わり、同僚に引き継ぎを済ませると、彼女はその日の午後から借りている部屋に引っ越した。そして、あっという間に時間は過ぎ、明里は試験勉強の傍ら、毎日二時間、化学工場で働いていた。スケジュールはぎっしり詰まっており、感傷に浸る暇などなかった。三連休の前日、明里は玲奈から電話を受け、実家で食事をしないかと誘われた。考えてみれば、もう随分と実家には帰っていなかった。実家の家族が彼女に冷たいわけではない。ただ……もともと、幼い頃から両親は明里にとても優しかったのだ。全てが変わってしまったのは、慎吾の両親が亡くなり、彼が家に住み始めてからのことだった。明里には理解できなかった。自分こそが実の娘であるにもかかわらず、両親はいつでも、どんな時でも慎吾をえこひいきするのだ。玲奈は、慎吾には両親がいないのだから、その分たくさん愛情を注いであげるべきだと明里に説明した。明里とて物分かりが悪いわけではない。彼女もまた、両親を亡くした慎吾を不憫に思っていた。しかし、慎吾という男は、本当に手のかかる厄介者だった。明里が潤と結婚する前、慎吾は喧嘩で相手に重傷を負わせたことがあった。その時、相手側から提示された選択肢は二つ。慎吾を刑務所に入れるか、それとも示談金を払うか。村田家はごく普通の家庭で、そんな大金があるはずもなく、結局は家を売り払って、ようやくこの一件を解決したのだった。明里が潤と結婚した後、彼女の父親の村田哲也(むらた てつや)が病気で手術が必要になった時も、家には手術代すらなく、潤がその費用を支払ってくれた。その後も、明里の知らないうちに、慎吾は潤に家を一軒ねだった。現に数日前にも、また家を買うと言って、潤に金を要求してきたのだ。明里は潤の前で、もともと肩身の狭い思いをしていたのに、慎吾がさらに彼女の足を引っ張るのだ。もし慎吾が実の弟であれば、まだ我慢もできただろう。だが、所詮はいとこ。それに加え、両親は慎吾の言いなりで、明里の心境は複雑だった。だがそれでも、化学工場からの帰り、彼女は直接実家へ向かった。この家は潤が購入したもので、立地、環境、セキュリティ、どれをとっても一
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第32話

「お姉さん、早く!潤さんが、お土産をたくさん持ってきてくれたんだ!それに……」慎吾は興奮した面持ちで言った。しかし、明里はそんな慎吾を冷たく一瞥した。すると彼ははっと息をのみ、言葉を失った。陽菜が立ち上がってこちらを見た。「あら、明里さん、いらしたの?お忙しいから、帰って来られないかと思ってた。明日からお正月でしょ?だから、潤さんと実家に寄った帰りに、ついでにおじさんとおばさんにもご挨拶しようと思って来たの」潤が、陽菜の実家まで付き添って行っただと?隼人はどうしたんだ?それに、陽菜は一体どんなつもりで、自分の実家まで押しかけてきたのだろう?明里にその答えは分からなかったが、陽菜が良からぬことを企んでいることだけは、はっきりと分かっていた。彼女の言葉の端々からは、潤は来たがっていなかったのに自分が連れてきたのだとでも言いたげだった。しかも、「ついで」なんて。なんとも皮肉なことだ。ここは明里の実家だ。潤は婿として、これまで一度も彼女の両親に会いに来ようと言い出したことはなかった。それなのに、今回やっと来たかと思えば、陽菜に引っ張られてきたという始末だ。明里は胸に渦巻く感情をどう表現すればいいのか分からなかったが、とにかく不快でたまらなかった。その上、潤と陽菜を前に、恐縮しきりで媚びへつらう家族の姿が、明里の胸を鋭く突き刺した。自分と潤の家柄が天と地ほど違うことは分かっている。しかし、彼女はお金ですべてを測れるとは思ってなかった。だが現実は、潤の経済力の前に何度も屈服させられ、彼の前では全く頭が上がらないのだった。いつだったか、潤は明里のちっぽけなプライドを「滑稽だ」と言い放ったこともあった。その一言で、彼女のプライドはあっけなく打ち砕かれ、頭が上がらないのだ。そして今度は、あろうことか陽菜を連れて実家に来るとは。見せびらかしか?それとも、侮辱のつもりか?明里は心の奥底に広がる苦みをぐっとこらえ、ゆっくりと背筋を伸ばした。人が愛に盲目になっている時は、相手のためならどこまでも卑屈になれるものだ。だが、その愛がなくなってしまったら?もう潤のどんな言動も、視線も、彼女を少しも傷つけることはできない。二度と同じ過ちは繰り返さない。陽菜のどんな自慢も得意げな態度も、もはや心のさ
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第33話

哲也は何よりも世間体を気にする男だ。たった今、明里が彼の目の前で潤と陽菜を追い返したことで、顔に泥を塗る形となったから、彼は怒りが収まらなかった。それに、今の村田家の状況では、今後も婿である潤に頼らなければならない場面は多い。明里が潤の顔を少しも立てないような態度をとっていては、今後彼に頼み事もつづらくなるだろう。哲也は考えれば考えるほど腹が立ち、明里を指差して言った。「お前も出ていけ!お前のような娘はうちにはいない!」玲奈が哲也の腕を下ろさせた。「なんてことを言うの!アキがこんなことをするなんて、何か理由があるに決まっているわ」彼女はため息をつくと、明里の手を引いて座らせた。「お母さんに話してごらん。あなたたち夫婦、喧嘩でもしたの?」ここまで来てしまった以上、明里はもう何も隠すつもりはなかった。今ここで話さなければ、慎吾はきっとまた潤にお金をせびりに行くだろう。彼女は単刀直入に言った。「私、潤と離婚するつもりよ」その場にいた全員が衝撃を受けた。部屋は一瞬にして、針一本落としても聞こえるほど静まり返った。最初に我に返った慎吾が口を開いた。「離婚?お姉さん、潤さんが離婚したいって言ってるのか?」明里は答えた。「違う。私の方から離婚したいの」哲也はようやく我に返り、声を荒げた。「馬鹿な!ふざけるのも大概にしろ!」玲奈が慌てて尋ねた。「一体どうしたの?順調だったのに、どうして離婚なんて言い出すの?」「私たちの結婚は、最初から間違いだったのよ」明里は言った。「家柄も性格も合わない。このまま無理に続けても意味がないから」哲也は激昂して何かを言いかけたが、玲奈に腕を引かれ、言葉を飲み込んだ。玲奈は尋ねた。「それで、潤はどうなの?彼も離婚に同意しているの?」全員が固唾を飲んで明里を見つめ、その答えを待っていた。緊張に満ちた三人の視線を受け、明里はふっと笑みを漏らした。家族が自分の離婚を望んでいないことは、明らかだった。明里は頷いた。「ええ、彼も同意してる」哲也は激怒した。「俺が許さん!結婚をなんだと思っているんだ!」玲奈も言った。「明里、あなたはいつも物分かりのいい子だったのに、どうして今回はそんなことを言うの?がっかりしたわ」慎吾も口を挟んだ。「お姉さん、馬鹿だよ。潤さんみたいな好条件の
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第34話

明里の目はとっくに赤く充血していた。「お父さん、私は何も間違っていない」「離婚したいと思うこと自体が間違いだ!」それを聞いて明里はすかさず、踵を返して去っていった。だが、慎吾が後を追ってきた。彼は明里に続けエレベーターの中まで追いかけてきた。「お姉さん、一体何を考えてるんだ?おじさんは病気だし、おばさんは仕事してないし、これから潤さんに頼らなきゃいけないことがたくさんあるのに……」明里は彼を見つめて言った。「慎吾、大学を卒業してからもうずいぶん経つけど、まだまともな仕事を見つけてないの?」慎吾は途端に気まずそうに言った。「いいのがなくて……」「あなたも私のお父さんは病気で、お母さんは無職だって言ったじゃない。よく平気で彼らのすねをかじってられるわね?」慎吾は一瞬固まった後、カッとなって声を荒げた。「俺だって働きたいさ!金を稼ぎたいよ!でも、今の時代、仕事を見つけるのがどれだけ大変か……」明里は彼を見つめた。「どうしてもっていうなら、フードデリバリーでも宅配便の配達でも、金を稼ぐ方法はいくらでもあるでしょ」「俺にそんな仕事をしろって言うのか?」慎吾はショックを受けたように彼女を見つめた。「マジで言ってるの?」明里は心底疲れ果て、もう彼と一言も話したくなかった。慎吾が卒業して半年以上が経つ。大学時代の生活費は、明里が出していたのだ。しかし卒業した今、仕事を探すでもなく、無一文のくせに家の購入まで考えている。そしてあろうことか、潤にまで金の無心をする始末だ。エレベーターを降りる直前、明里は彼に言い放った。「私は潤と離婚するから。そうなれば、彼とは赤の他人だし、あなたの義理の兄でもなくなる。だから……」そう言いながら彼女が歩き出し、ふと顔を上げると、そこに潤の姿があった。今の話を、どこまで聞かれてしまったのだろうか。しかし、明里は怯まなかった。言ったことはすべて事実なのだから。ただ、なぜ潤がまだここにいるのか、不思議に思った。そして、陽菜はどこにいるのだろう。慎吾も潤に気づき、すぐに、「潤さん」と声をかけた。だが、呼びかけてからさっきの明里の言葉を思い出し、途端に気まずそうな顔になった。潤は明里を深く見つめたが、何も言わずに身を翻して去っていった。慎吾は思わず再び「潤さん」と
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第35話

潤は振り返り、再び明里を見つめた。「言ったはずだ、俺たちはまだ夫婦だと。明里、妻として、こういうことは俺に隠すべきじゃない」明里は彼と視線を合わせた。「隠していたわけじゃないの。ただ、まだ試験も始まっていないし、受かるかどうかもわからないから」潤は眉をひそめた。明らかに、その答えに満足していない様子だった。さらに明里は続けた。「それに、たとえまだ夫婦でも、何から何まで報告する必要はないでしょ?二宮社長、あなたは、自分のことをいつか私に話してくれたことがあったかしら?」彼女の言うことは事実であり、潤は一瞬、どう反論すればいいのか分からなかった。「もう帰らないと。二宮社長、通して……」彼女が他人行儀に「二宮社長」と呼ぶので、潤の表情はさらに険しくなった。そして、数秒黙り込んだ後、「送っていく」と言った。「いえ、大丈夫よ……」しかし潤は一歩も引かなかった。「屋敷には戻らず、実家にも泊まっていない。雲海レジデンスにもいないようだな。明里、お前はまだ俺の妻だ。どこに、誰と住んでいるのか、少なくとも俺に知らせるべきだろう?」なぜ彼が雲海レジデンスに帰っていないことを知っているの?だが、深く考える間もなく、その最後の言葉に明里はカッとなった。「誰と住んでるだって?潤、どういう意味?」「言葉通りの意味だ。お前がどこに住んでいて、一人なのかどうかを確認する必要があるということだ」潤は彼女を冷ややかに見つめた。「お前は今も二宮家の嫁だ。お前の言動は、二宮家を代表している」明里はその言葉の裏にある意味を理解した。要するに、彼女が外でふしだらなことをして、二宮家の名に泥を塗ることを恐れているのだ。心に苦いものがこみ上げてきたが、すぐにそれを抑え込んだ。なるほど、潤は自分のことをそんな風に見ていたのか。品行が悪い、あるいは、貞操観念のない女だとでも?夫婦として、最低限の信頼どころか、彼は自分がどんな人間かすら分かっていないのだ。尊敬など、あるはずもなかった。「行こう」明里はそれ以上抵抗しなかった。「案内する」「俺の車に乗れ」「自分の車があるから」この車は、二人が結婚した時に、村田家が無理をして彼女に買ってあげたものだった。もっとも、二宮家からすれば、こんな車は家の恥でしかないのだろう。しかし、明里自身
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第36話

明里は無意識に身を寄せた。「おかしいわね、ここにあるはずなんだけど……」しかしその体勢を取ってみると、自分が潤の胸にすっぽりと収まってしまっていることに、彼女は後から気づいた。彼の呼吸が、すぐ耳元で聞こえる。雪山の頂に立つ松のような、冷涼でありながら人を寄せ付けない潤の香りは、心地よいものがあった。明里は、彼の香りに抗うことができなかった。以前、二人が体を重ね合わせていた頃、彼女は潤の首筋に顔を埋め、その香りを貪るように吸い込むのが好きだった。今思えば、あの頃の自分はまるで変質者のようだった。いや、今もそうだ。彼に近づき、その香りを嗅ぐだけで、まるで馬鹿になったかのように思考が停止してしまうのだ。潤は明里を見下ろし、落ち着いた視線で言った。「シートを調整するんじゃなかったのか?」明里ははっと我に返り、顔を真っ赤にしながら慌ててシートを後ろに倒した。そして、体を起こそうとした。しかし、彼女の腰を彼は大きな手でがっしりと掴んだ。明里は抵抗する間もなく、再び潤の体へと押し付けられた。先ほどまでは少し距離があったが、今や彼女は完全に彼の胸の上に覆いかぶさっていた。恥ずかしさと気まずさで、明里はすぐに体を起こそうとした。だが、顔を上げると、潤の視線とぶつかった。彼の目は美しい。切れ長の目尻がわずかに上がり、どこか涼しげで、冷たい雰囲気を漂わせていた。しかし、この時の彼の瞳は、まるで星屑を散りばめたかのように輝いていた。そもそも一目惚れなんていうのは、容姿に惹かれたというだけのことなのだ。明里が初めて潤に会った時も、その美しい容姿に目を奪われたのがすべての始まりなのだった。もっとも、その時は彼が将来自分の夫になるとは知る由もなかったが。それでも、一目見た瞬間から、彼女は潤のその美貌に完全に心を奪われていたのだ。そして三年経った今でも、明里は彼のその美しい容姿を抗うことができずにいるのだ。潤にそんな風に見つめられ、明里の胸は思わず激しく高鳴った。我に返った明里は、意気地のない自分を心の中で罵った。もう潤に心を奪われたくない、そう固く決心したはずだ。ならばまずは、彼の容姿に惑わされないようにしないと。そう思いながら、明里は目を閉じ、潤を見ないように自分に言い聞かせた。「何
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第37話

しかし、片や感情的にはキスぐらいどうってことないでしょ?別に損するわけでもないし、今までそれ以上のことだってしてきたのだから。それに、潤はキスが上手じゃないか。しかし、すぐに心の中のせめぎ合いは収まった。息もできないほどの快感が頭を支配し、他のことは何も考えられなくなった。どれくらいの時間が経っただろうか、潤がようやくそのキスを終えた。明里は彼の首筋に顔をうずめ、息を弾ませていた。全身の力が抜け、ぐったりとしていた。潤は彼女を強く抱きしめ、二人の体は隙間なく密着していた。「明里、動くな」彼の大きな手が明里の腰を掴み、その手のひらの温度は焼けつくように熱かった。そして、服越しにも、触れられた部分が焼けるように熱いのが明里にも分かった。明里は潤の首筋に顔を寄せたまま、彼の形の良い喉仏がごくりと大きく動くのを見つめた。彼女が身を起こして離れようとしたが、再び潤に強く抱きしめられた。視線が絡み合った瞬間、明里は彼の瞳の中に、意外にも恋しさと欲望の色が浮かんでいるのを読み取った。彼女はもがき始めた。「離して、ここは車の中よ」「ん、車の中がなんだって?」潤は明里のうなじに手を回し、その柔らかな肉を揉みしだきながら、低く笑った。「そう言えば、こういうところではまだ試したことがなかったな……」それを聞いて明里は心を震わせた。彼女はうなじを掴まれ、まるで彼に完全に支配されているかのようなだった。どんな時でも、潤はこういう男だった。彼はいつだって、絶対的な主導権を範疇に収めておきたがるのだ。しかし、どうしていつも彼の言いなりにならなければならないのだろうか。そう思うと明里の眼差しが冷たくなった。「潤、離して」その言葉に、潤はさして躊躇することもなく手の動きを止めると、次の瞬間には彼女を解放した。明里は慌てて身を起こし、運転席に戻った。ついさっきまで車内に充満していた甘い空気は、すっかり消え失せていた。明里は一息ついてから、エンジンをかけた。道中、二人は一言も口をきかなかった。赤信号で停車した隙に、明里はこっそりと横目で潤の様子を窺った。彼は助手席で目を閉じ、無表情のままだった。まるで先ほど彼女と激しくキスを交わしたのが、別人であるかのようだ。明里が視線を戻すと、胸の奥から切ない痛みが
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第38話

明里が借りたのはワンルームマンションだった。誇張ではなく、部屋全体の広さは二宮家のバスルーム一つ分にも満たないだろう。潤は玄関に立ったまま、中に入ろうとする素振りも見せなかった。それもそのはず、この狭さでは部屋の隅々まで一目で見渡せてしまうのだ。ドアを開けるとすぐ右手に洗面所があり、中に入らずとも洗面用具が目に入った。さらにリビングにはシンプルな二人掛けのソファが一つ、その上にはクッションが二つ置かれていた。ベッドには明里のネグリジェが置かれ、枕の一つはヘッドボードに、もう一つはベッドの真ん中に横たえられていた。スリッパさえも、一足しかなかった。だから当然のようにここには、明里以外の誰かが生活している痕跡は全く見当たらなかった。明里は潤が動かないのを見ても、中に招き入れるつもりはなかった。彼女はただ、「これで気が済んだ?安心した?」と尋ねた。その言葉が終わらないかのうちに、潤のスマホが鳴った。彼はすぐに電話に出た。その声は優しく、先ほどまでの冷たい眼差しは消え、笑みさえ浮かべていたのだ。「陽菜か、うん、すぐ戻るよ……」電話の向こうで相手が何を言っているのか、明里には聞こえなかった。しかし、潤はスマホを握ったままくるりと背を向けると、エレベーターのボタンを押した。その背中を見つめる明里の口元が歪み、この上なくやるせない笑みが浮かんだ。やがて彼女は息を深く吸い込み、ゆっくりと吐き出した。「明里、頑張れ!」明里はそう自分を奮い立たせた。潤を忘れること、もはやこの男に対する思いをこれ以上抱いていくわけにはいかない。そして年末が近づいてきた来たこともあり、明里はこの日湊に電話をかけ、しばらくは家には戻らないと伝えた。連絡をもらった湊は特に何も言わなかった。一方、慎吾はその日何度もラインを送って来ていたが、明里は一切返信しなかった。午後になると、拓海から電話がかかってきた。「アキ、元気にしてる?」「はい、元気ですよ」拓海は笑いながら言った。「これから化学工場に行くんだけど、あなたは今日行くのかい?」それを聞くと、明里は慌てて言った。「ちょうど今から行こうと思ってました」「じゃあ、ついてで迎えに行くよ、一緒に行こう」「いえ、そんな……」「すぐ近くだから。着いたら連絡
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第39話

この時、時刻はもう夜の10時を過ぎている。こんな夜更けに一人暮らしの女は、当然、身の安全に気をつけなければならないのだ。しかし、ドアの向こうから返事はなく、ただ再びドアが数回ノックされた。明里はさらに警戒を強め、靴箱の上にあったスマホを手に取り、いつでも警察に通報できるよう、電話帳を開いた。「返事をしないなら、通報しますから!」すると、数秒間沈黙が続いたあと、外から声がした。「俺だ。開けろ」潤……明里は警戒を解き、ドアを細く開けると、怪訝な顔で尋ねた。「どうしてここに……」彼女が言い終わる前に、潤はドアを押し開けて、ずかずかと中に入ってきた。脇に追いやられた明里は、眉をひそめた。「一体、何しに来たの?」潤は片手でドアを閉めると、もう片方の腕でそのまま明里の腰を抱き寄せた。明里はとっさに身を引こうとしたが、潤にドアに押し付けられていた。その時になって初めて、明里は潤が酒を飲んでいることに気がついた。潤の体から漂う酒の匂いが、彼本来の涼やかな香りと混じり合い、独特な匂いを醸し出していた。だが、それは嫌な匂いではなかった。一方で、潤は何も言わず、ただその冷ややかな瞳で明里を見下ろしていた。明里は彼を押し返そうとした。「取り合えず、離して……」明里が言い終わるのを待たずに、潤は顔を傾け、彼女の唇を塞いだ。明里が一瞬呆気に取られた隙に、潤は深く、執拗に舌を絡めてきた。明里は必死にもがいたが、男の拘束から逃れることはできなかった。入ってきてから今まで、彼は一言も発していない。しかし、明里はなぜか潤が怒っているのを感じ取っていた。一体、何に怒っているというのだろうか。また自分に八つ当たりしているのだろうか。しかし、すぐに明里はそんな余計なことを考える余裕を失ってしまった。愛情のない性行為など、獣の交わりと何ら変わりはない。明里はずっとそう思っていた。皮肉なことに、潤はその手のことに関してとくに長けているようで、自身の才能を存分に発揮するタイプなのだ。そのため、明里は毎回体力ではかなわず、ことを終えると力が抜け、ぐったりとしてしまうのだった。片や潤は日頃からトレーニングを欠かさないうえ、十代から特別な訓練を受けてきたこともあり、格闘技の腕も立っていた。そんな男を前にして、明里
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第40話

なぜなら、これからはもう、潤の考えや態度なんて気にするつもりがないのだから。それに二度と、彼に触れさせはしないでおこう。そう明里が心の中で密かに誓っていると、「腹、減ったか?」男は彼女に続けて尋ねながら、起き上がろうとした。だが、明里はただ、潤がベッドから降りるのを見つめていた。その女性が思わず声を上げてしまいそうなほど引き締まった体。厚い胸板と割れた腹筋、そして腰へと続くラインは、実にセクシーで美しかった。そんな彼は今真っ裸の姿で、明里の目の前に立っているのだから。何度も肌を重ねてきた仲とはいえ、それでも、潤の身体を前にすると、明里はどうしても照れてしまうのだ。片や潤は服を着ていないことにまるで気にする様子もなく、明里にコップを差し出しながら言った。「少し水を飲め。昨夜は……随分と長い時間、啼いてたからな」明里は恥ずかしさともどかしさで顔を赤らめた。「それはあなたのせいでしょ……」しかし、彼女は最後まで言うことなく口を噤んだ。そしてコップを受け取ると明里は半分ほど飲んで、口を開いた。「潤、あなたが私のことをどう思っているのか分からないけど、でも……」「どう思っているかだと?」潤は彼女の言葉を遮った。「お前は俺の妻だ。それ以外に何がある?」「妻?ただの性処理の道具じゃなくて?何かをする前に、私の意見を聞いたことがあった?」すると潤は言った。「お前も、かなり気持ちよさそうだったじゃないか」そう言われて、明里は言葉に詰まった。たしかに、最初は嫌がっていたとしても、潤の恵まれた身体と巧みな手練手管、そして芸術の域に達したテクニックには抗えなかった。というより。これに抗える女性がいるほうがおかしいだろう。「何が食いたい?」潤は視線を落として彼女に尋ねた。「冷蔵庫に何かあるか?」明里が何か言う前に、潤はそばにあったバスタオルを手に取り、無造作に腰に巻いた。そして、上半身は裸のままキッチンへと向かった。キッチンは狭く、彼のたくましい身体が入ると、空間がさらに窮屈に感じられた。潤は冷蔵庫を開けて中をちらりと確認すると、明里を振り返って言った。「うどんでも作るか?」明里は頭が混乱し、コップを持ったまま、呆然と彼を見ていた。潤は一体何を考えているのだろうか。彼が料理を?自分のために
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