暗殺騎士は、忘却聖女を恋願う のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

40 チャプター

危険だらけの初仕事⑤

 忘却は、悲しい罪だ。なら、忘却を願った人間は大罪人である。 そして自分の意思で忘却を願ったというのに、願い通り忘れてくれた相手に対して八つ当たりをするなど、とんでもない極悪人だ。 そんなヤツどこにいる?ここにいる───ツグミのことである。*「……あーあ、やっちゃった」  闇市場の更に奥。人気のない路地裏でしゃがんだまま、ツグミは頭を抱えている。 引っ込みがつかなかったとはいえ、本当に馬鹿なことをしてしまった。呆れるくらい阿保なことをしてしまった。自己嫌悪で、このまま消えてしまいたい。 (違う、違う!その前に、エルベルトさんに謝らなくっちゃ……) あれだけ失礼な態度を取ってしまった手前、彼の怒り顔をすると身体が震える。ぶっちゃけ、怖い。でも怖さより、謝りたい気持ちの方が強い。 本当は今すぐにでも引き返して、エルベルトに地面に額をこすりつけて謝罪したい。でも、ツグミはそれができないでいる。道に迷ってしまったからだ。 迷子になってしまったら、その場で動かずじっとしているのがセオリーだ。しかしサギルに絡まれたエルベルトが、自分を探しに来てくれるかどうか怪しい。 人に道を聞くのも有効な手段だが、ここは闇市場。フランクに声をかけられそうな人はいない。「……どうしよう」 市場に着いたのは昼前だったけれど、今はだいぶ太陽が西に傾いている。加えてツグミは、所持金ゼロ。「そもそも買い戻すことすらできないじゃん……」 こんな当たり前の事実に今頃になって気づくなんて、我ながら情けない。一人で旅をしていた時は、こんな凡ミスはしなかった。 気を抜きすぎていたと反省する。でも、なんかしっくりこない。気を抜いていたというのは結論で、そうしちゃった理由があるはずだ。それは──(そっか、エルベルトさんに甘えてたんだ、私……え?マジ!?) 自分の出した答えが信じられなくて、ツグミはガバッと顔を上げた。なんか、頬が熱い。 聖女時代にロクに会話をしたこともなく、一緒に住みだしてまだ二か月も経っていないのに、無意識にガッツリ甘えてるだと? いやいやまさかと、ツグミは一度は否定したものの、もう一人の自分は「絶対にそうだ!」と断言している。……認めたくはないが、多分そうだ。 だってエルベルトは、一番辛いときに助けてくれた。しかも二度も、自分を救ってくれた。 そん
last update最終更新日 : 2025-10-17
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危険だらけの初仕事⑥

 はぁ、はぁ……と、荒い息を繰り返していたツグミだが、ごっくんと唾を吞みこんだのを機に、やっと息が整った。 それに気づいたのか黒猫は、無情にもタッと一蹴りで壁に登った。そして、ツグミを誘うように「にゃーん」と鳴く。「……マジですか」 つい胸の内が言葉に出てしまうが、黒猫に「にゃ!」と強めに鳴かれ、ツグミはヘロヘロと歩き始める。 とはいえ、黒猫はもうやみくもに走ったりはしない。チラチラと振り返りながら、ツグミの歩く速度に合わせて足を動かしてくれている。「そ、そんな気遣いができるなら……もっとさ、早くにさ、そうしてほしかったよぅ……」 つい漏らしてしまったツグミのボヤキが気に入らなかったのか、黒猫は振り返って不満げな鳴き声をあげる。 そして耳を横に倒しながら、角を曲がってしまった。 つられて曲がろうとしたツグミだが、寸前のところで足を止める。また暗殺現場を目撃するのは避けたいからだ。 とはいえ、闇市場の奥の奥で一人でいる心細さもかなりのもの。短い時間で葛藤したツグミは、黒猫を追いかけることを選んだ。「……どうか、なにも起こりませんように……お願いです。ほんと、ああいうのは一回きりでいいんで……っ……!!」 ブツブツと呟きながら、そぉっと角を曲がったツグミは、眼前に広がる光景がただの闇市場であることに安堵した。でもすぐに、小さく息を吞んだ。  据えた匂いと、むさくるしい野郎しかいないこの場所で、一人だけ眩い輝きを放つ騎士服姿の女性がいたのだ。「え?リュリーアナ……??」 信じられないと目を見張るツグミだが、二年もの間、ずっと一緒に過ごした護衛騎士を見間違えるわけがない。 ただこんな場所で見かけるとは思わなかったし、サギルやカダンに続いて、同じ日に元護衛騎士たちを目にした偶然に驚いているだけだ。「何してるの?あ……取り締まってる……??」 壁に隠れてコソッとリュリーアナの動向を探っていたら、彼女は闇市場にいる露店の店主を毅然とした態度で撤退するよう命じていた。 無論、店主は訳アリ人ばかりなので、誰もが往生際悪く難癖をつけたり、暴れたりしている。 けれども、リュリーアナは顔色一つ変えずに、持ち前の魔力と剣術で、次々に店主を拘束していく。あまりの手際の良さに、リュリーアナの背後にいる部下の騎士たちは完全にギャラリーと化している。
last update最終更新日 : 2025-10-18
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危険だらけの初仕事⑦

 何だかよくわからないものを飲み込んだ瞬間、全身が氷水を浴びたかのように冷たくなった。 身体の内側まで凍えた身体は小刻みに震え、次第に意識が遠くなっていく。(ヤバい、いやこれ本当にヤバい……!) 狭くて暗くて、どこかもわからない小屋の中──ツグミは意識を途切れさせないよう、唇を強く噛む。 戦時中に産まれたツグミにとって、平穏とは遠い世界の言葉だった。 聖女になってからは更に危険と隣り合わせの毎日で、弓矢がこめかみのすぐ横を通り過ぎたり、四方から剣を向けられたことだってあった。 けれどツグミは、大きな怪我をすることもなく生きている。それは運が良かったのではなく、命を賭して護ってくれた人たちがいたからだ。 でも今、ツグミは独りだ。誰も助けてはくれない。(違う。自分から突き放しちゃったんだ……) エルベルトの言う通りにしておけば、今頃、温かいスープを飲んでいたはず。これは自業自得だ。 愚かすぎる自分をせせら笑った途端、喉の奥までしびれが走った。 喘ぐように息を吸い込んでも、ひゅうひゅうと肺の手前で空回りしている。あまりの苦しさに胸に手を当てたくても、拘束されている状態ではそれすらできない。(アレ、やるしかないか) 忘却魔法を発動する際にありったけの魔力を注ぎ込んだせいで、一年以上経った今なお、ツグミの魔力はとても不安定だ。 基礎から学んだ治療魔法は辛うじて人並みに扱えるが、それ以外は成功する自信がない。 何より自分を攫った男を前にして、魔力付与を見せるのはかなり危険な行為だ。 でももう、視界はぐにゃぐにゃになっている。次に瞬きした時、意識を保っているかどうかも定かではない。 このまま気を失って、この男の思い通りになるくらいなら、多少のリスクを冒しても賭けに出るしかない。 覚悟を決めたツグミは、最後の力をふり絞って戦時中に叩き込まれた魔法陣を頭の中で描く。物でも人でもお構いなく魔力を付与できるといっても、図式を理解してなければ魔力は飛散してしまう。 やろうとしていることは至極簡単なことだ。男たちのいる部分の床だけを変形させ、檻っぽいものを作り、自分の拘束を解く。それだけだ。 この二つは戦時中、万が一攫われたときのためにカダンが編み出してくれたもの。とても単純だが、ツグミにしか使えない、ツグミだけのために編まれた術式だ。 ペンだこが
last update最終更新日 : 2025-10-19
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危険だらけの初仕事⑧

 口に薬を含んだまま、なかなか飲み込めないツグミを、エルベルトは警戒していると思ったのだろう。 横たわるツグミをひょいと抱き上げ、自分の膝に座らせた。「安心しろ、ただの毒消しだ。飲み込めば、すぐに楽になる」 怖がらせぬようぎこちない笑みを浮かべてくれるエルベルトには申し訳ないが、ツグミはただ度を越えた不味さで飲み込めないだけだ。 しかし、そう伝えたくてもちょっとでも口を開いたら薬がこぼれる。取り敢えず「そうじゃなくってさー」という意思表示で首を横に振ったら、エルベルトの眉間に皺が寄った。「早く飲み込めっ。死にたいのか!!」 怒鳴られてビクッと身体が竦みあがったのが功を成し、ツグミはごっくんと勢い良く薬を飲み込んだ。  しかし自分の意思に反して飲んだせいで、気管に入り咽てしまった。せき込む度に喉と肺が痛み、うまく息が吸えない。 まるで陸で溺れてしまったみたいだ。「すまない。俺が急かしてしまったせいで……」 どこまでも勘違いするエルベルトは、ツグミの呼吸が楽になるよう、ゆっくりと背中をさすってくれる。 服越しに彼の手の温もりが伝わり、咳がおさまったツグミは痺れている腕を何とか動かして、太い首に絡ませる。 怖かった。すごく、怖かった。「遅くなって悪かった」 ギュッと抱きしめてくれたエルベルトの腕の中は、ムスクの香りに包まれてとても居心地がいい。たくましい胸は、自分を抱えていてもまだまだ余裕がある。「大丈夫。もう、大丈夫だ……」 エルベルトは何度も同じ言葉を繰り返しながら、ツグミの髪を撫でてくれる。その手つきは、心から愛している恋人に触れているみたいだ。(これは、まずい) ものすごく、まずい。口の中に残った薬の味ではなく、自分の心が。 これ以上踏み込んだら二度と戻れない場所に行ってしまいそうな予感がして、ツグミはわざと場違いな発言をした。「あ……れ……すご……苦かっ……た。あと、め……ちゃ……不味…かっ……た」 うへぇ、と顔を歪めたツグミに、エルベルトは呆れたような、それでいて心底安堵したような息を吐いた。「開口一番、それか。だがそこまで気が回らなくって悪かった」「あ……い、い……いえ……」 まさか謝られるとは思わなかったツグミは、居心地が悪すぎてそっと目を逸らした。でもすぐに、ひっと小さく悲鳴を上げた。 視線の先には、
last update最終更新日 : 2025-10-20
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危険だらけの初仕事⑨

 毒消し薬を飲んでも、ツグミはすぐに体を動かすことができなかった。翌朝も、その次の日も。 一人で体を起こすことすらままならないツグミに、侍女のルインとリビナは必要以上に世話を焼いてくれた。 お陰で、何一つ不便はなかった。でも四六時中、ルインからウルウル涙を浮かべて、どれだけ心配したかを語られ、リビナから闇市場がどれほど危険な場所なのかを聞かされ、ツグミはメンタル的に辛かった。 もう二度と、あんな無鉄砲な真似はしない。ツグミは、そう強く心に誓った。 ただあの場で見聞きしたことは、報告義務がある。 だってツグミは、暗殺者の助手なのだから。初仕事が結局何だったのかはわからないけれど、どう考えても失敗に終わっている。 無駄に責任感があるツグミは、少しでも名誉挽回をしたかった。*  まだ夜が明けきらない早朝。エルベルトの寝室に許可なく入ったツグミは、ベッドに向かう。「おはようございます。エルベルトさん」 ツグミにユサユサ揺さぶられたエルベルトは、薄っすらと目を開けた。 「……まだ……寝てろ……」「もう寝た。嫌っていうほど寝た。ねぇ、起きて。ちょっとだけでいいからさ」 そう言いながら、ツグミはさっきよりも強くエルベルトを揺さぶる。 それでも睡眠を求めているエルベルトは、うつ伏せになって寝続ける。枕に顔をうずめたまま「やめろ」と抗議しているのだろう。くぐもった唸り声が聞こえてきた。「……お前、医者から10日は動くなって言われたの忘れたのか……?」 ツグミがベッドから離れる気がないのがわかったエルベルトは、枕からチラッと顔をのぞかせてそう尋ねる。「治療師の私が大丈夫と判断したから、もう動き回っても平気なの。ねぇ、それより起きて。話したいことがあるの!」「……後にしてくれ……頼む……」 エルベルトの訴えは、最後はほぼ寝息に変わっていた。余程、疲れているのだろう。 領地運営に、皇城での政務。加えて、暗殺業も副業でやっているエルベルトは、下手したら皇帝より忙しい身だ。 そんな彼が、自室のベッドでゆっくり睡眠を取る時間は、とても貴重なのかもしれない。 でも伝えたい案件は急を要することだし、屋敷内でエルベルトと話をする時間は、早朝か夜更けしかない。「エルベルトさん……おーきーてー」「うーん……」 うつ伏せで揺さぶられるのが息苦しかったのか
last update最終更新日 : 2025-11-01
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危険だらけの初仕事⑩

 消化不良の顔をしたエルベルトが執務室に顔をのぞかせたのは、かなり時間が経過した後だった。 ツグミはソファから立ち上がり、エルベルトの前に立つ。「遅かったね」「……ああ……まぁ、色々とあってな……」「ん?……色々?」 歯切れの悪い返事に、ツグミは首を傾げる。  だが深く追求するなとエルベルトから目で訴えられ、ツグミは早速手に持っていた紙を見せた。「ねぇ、これに見覚えってある?」「……ずいぶんと芸術が爆発してる力作だな。客間に飾ってやろうか?」「もうっ、感想なんか聞いてない!見覚えあるかどうかを訊いてるの!」「ないから、感想を言ってやったんだ」 ため息を吐くエルベルトは「お前、こんなことで俺を起こしたのか?」と言いたげだ。そうじゃないのに。「これはヘビなの!上が尻尾で、下が頭。舌がにょーんと伸びて、火を吐いてるように見える……そんな刺青を入れてる人って見たことある?」 なぜわざわざ絵を描いたのに、口頭で説明をしないといけないのだろう。少々、腑に落ちない。 そんな気持ちから拗ね顔になったツグミをエルベルトはチラリと見るが、すぐに絵に視線を向ける。 よほど気になるようで、腕を組んだ姿勢で、お世辞にも上手いとは言えない絵を凝視している。「俺が見たことある……と言ったらどうなんだ?」 あえて言葉を濁したのは、見覚えがあると言っているのも同じだ。「私、帝都に来る途中、誘拐されかけたって言ったよね。その人も、この刺青してた」「なんでそれを早く言わないんだ!」 急に声を荒げたエルベルトは、ツグミの肩を強く掴んだ。「痛っ……!」 肩に指が食い込み、ツグミが苦痛で顔を歪めた途端、エルベルトは慌てて手を離した。「すまないっ、悪かった!」「ううん、平気。ちょっとビックリしただけ。刺青のことはごめん……もっと早く伝えなきゃいけなかったね」 自責の念から俯くツグミの頭に、エルベルトの手が乗った。「いや、いいんだ。教えてもらっただけでも十分、感謝する。ただもし、帝都に来る途中にお前が誘拐されていたらと考えたら、つい……無事で良かった。本当に……」 良かったと言いつつも、エルベルトの表情は苦し気だ。「この刺青の人達って、ヤバい人達なの?」「……ああ、かなりな」 少し間を置いて頷いたエルベルトは、この件について触れてほしくなさそうだ。
last update最終更新日 : 2025-11-02
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危険だらけの初仕事⑪

「私は、魔力のないもの……人でも物でも、どんなものにでも魔力を付与できる特技があるの。あの人たちはそれを知ってた。どうして知ったのかはわからないけど、あの人たちは”私”だけを狙って誘拐した。それは間違いない」 恍惚とした声で「これであのお方も喜んでくださる」と言った刺青の男が、脳裏によみがえる。 誘拐され、怪し薬を飲まされた恐怖を思い出して、ツグミは震えが止まらず、ツグミは更に強く自分の手を握り合わせる。 その姿はよほど痛々しかったのだろう。エルベルトは、ツグミの肩にそっと触れる。「……カナ、もういい」「良くない!まだ途中なのっ」 肩に乗せられた手を振り払って、ツグミは息を整える。  今、全部伝えなきゃ、もう二度と口にする勇気は持てないだろう。「あの刺青の人たち、おかしいの。私は人から忘れられやすい体質だって言ったでしょ?でも、刺青の人は何日も経っているのに……私のことを忘れてなかった」 毎日顔を合わせているルインもリビナも、執事のダンデだって、ツグミを何度も忘れかけては思い出している。 それなのにたった一度、わずかな時間しか接していない刺青の男が、ツグミを忘れないなんておかしい。「あの人たちは、きっと魔法を無効化出来る方法を知ってる。あのねエルベルトさん、私はね……」 ツグミの声が、次第に弱くなっていく。 続きの言葉を紡ぐのが怖くて、心臓が鋭く痛む。「い、一年……前まで、ね……わ、たしは……」 震えは最高潮に達し、嫌な汗までかき始めてしまった。 手の甲で額の汗を握って、ツグミは最後の言葉を紡ぐ。「聖──」「やめろ」 遮られると同時に両手を掴まれ、エルベルトの顔が近づく。 あっと思った時には、もうエルベルトから口づけをされていた。「……それ以上は言わなくていい。お前はもう、薄汚い世界に踏み入れなくていい……」 喘ぐようなエルベルトの呟きは、ツグミが聖女だったことを知っていなければ口にできないものだった。 しかしツグミは、それどころじゃなかった。(ちょ、待って。待って!今、キスされた?うん。キス……されたぁーーーーーーー!!) これは口移しで薬を飲ませてもらった系じゃない。完全に、キスだ。チューである。「な、なんで!?」  顔を真っ赤にしてアタフタするツグミに、エルベルトは冷めた視線を向ける。「口づけをする
last update最終更新日 : 2025-11-03
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暗殺騎士と弾丸①

 言葉なく俯いたツグミを、エルベルトはそっと抱き寄せる。「もう少し、休んどけ。な?」「……エルベルトさんは?」 エルベルトの袖を掴んで尋ねると、溜息が降ってきた。「俺も休む……と言いたいところだが仕事だ」「そっか。無理に起こしてごめんなさい」「いや、寝坊せずにすんだ。助かった」「……寝坊しちゃえばいいじゃん。エルベルトさんは働き過ぎなんだから」「なら、明日はそうしよう」「うん」 当たり障りない会話というより、これは無意味な会話だ。 でもツグミもエルベルトも、沈黙を恐れている。ちゃんと話さなければならないことを、意図して避けている。「部屋まで送ろう」 ツグミの肩を抱いて、エルベルトは扉に向かおうとする。「待って。ねぇ待って、エルベルトさん……え?……っ!?」 このまま執務室を出たら、もう真相を確かめられない予感がして、ツグミは足を止めようとした。だが、エルベルトに横抱きにされてしまった。「私、歩けるよ」「わかってる。でも俺が歩かせたくない」   エルベルトが、大切に、壊れ物のように扱ってくれるのは、自分のことを聖女として接したいからなのだろうか。 今からでも、聖女に戻ってほしいと願っているのだろうか。 ツグミを抱いて廊下を歩き出したエルベルトは、ただ真っすぐ前を向き、歩くことだけに専念している。「……エルベルトさん」「なんだ?」 チラリとこちらを見たエルベルトの首に手を回したツグミは、大きな胸に顔をうずめながら口を開く。「……私のこと、恨んでる?」 馬鹿なことを訊いていることはわかっている。どんな答えが欲しいのかもわからない。 そんなツグミの気持ちがわかったのだろう。エルベルトは何も答えず、ツグミを部屋に送り届けると背を向けて去っていった。 一人になった部屋で、ツグミはベッドに仰向けになる。頭の中は、ぐちゃぐちゃだ。 エルベルトは、聖女の記憶を持っている。エルベルトにキスされた。エルベルトは刺青を入れた集団のことを既に知っていた。エルベルトにキスされた。エルベルトは魔法を無効化できる薬のことを既に知っていた。エルベルトにキスされた。エルベルトにチューされた…。理由もないのにキス……された。そう、キスを……「ぅわぁぁぁぁーーーー!!」 ベッドの上でのたうち回るツグミの顔は真っ赤だ。「もぉー……なんで、あん
last update最終更新日 : 2025-11-04
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暗殺騎士と弾丸②

 苛立つ気持ちを持て余したツグミは、再びベッドでごろんと仰向けになる。 エルベルトと再会してから、どうも自分は変だ。感情に振り回されてばかりいる。「……どうしちゃったんだろ……私」 聖女の時は生死ギリギリのところにいたし、その後も復興途中の一人旅は危険と隣り合わせだったから、気を張り続けていた。 でもエルベルトの屋敷で過ごす毎日は、とても穏やかだ。そのせいで、こんなふうに余計なことまで考えてしまう。(しっかりしろ、私!いつかは終わりが来るんだからっ) この世に絶対はない。両親の死をきっかけに、ツグミは未来に期待することをやめた。 達観しているとも違う投げやりな感情は、褒められたものではない。でも、そのお陰で聖女職を全うすることができたので、得るものはあった。 しかし戦争が終わった今、未来に期待しないという誓いはツグミを苦しめている。「はぁーーー、もぉーーいーやー」 エルベルトが意味なくキスしたというなら、これ以上考えたって仕方がない。 それより刺青を入れた人達のことの方が重要だ。エルベルトには内緒で、何か自分で調べられないだろうか。少しでも、彼の役に立ちたい。 そんなことを考え始めたツグミだが、ここで違和感を覚えた。 起きてから、かなり時間が経過している。いつもなら、とっくにルインとリビナが部屋に顔を出してる時刻だ。 それなのに今日に限って、二人が顔を出さないということは……寝坊でもした? などと呑気なことを考えたツグミだが、すぐにベッドから身を起こした。(──何か……来る!) 頭の中で警鐘が鳴り、ツグミはベッドの横のサイドボードから短剣を取り出した。 ──ガシャン!! ツグミが短剣の鞘に触れたと同時に、ガラスが割れる独特の破砕音が聞こえ、部屋を踏み荒らす複数の足音と黒い影が飛び込んできた。「ちょ、ちょっと!だ、だ、誰!?」 乱入してきたのは、口元に布を覆った複数の男達だった。もちろんツグミが「誰」と訊いたところで、名を告げるはずがない。「カナ様!お逃げください!!」「こっちです!早く!」 ツグミを視界にとらえた覆面の男たちが、ベッドに近づこうとした瞬間、ルインとリビナが部屋に顔に飛び込んできた。二人とも、手には剣を持っている。 メイド服に剣という組み合わせは、戦闘力が低いと思われたのだろう。先に邪魔者を始末しよう
last update最終更新日 : 2025-11-06
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暗殺騎士と弾丸③

 ツグミが意識を取り戻したのは、傷の痛みからだった。  身体を起こそうとしたけれど、上手く身体が動かない。両手が縛られているというのもあるが、意識を失っている間に、また薬を飲まされてしまったのかもしれない。 幸か不幸かわからないが、両手は前側で縛られている。もぞもぞと動いて、壁を背に感じたツグミは、それを利用して身体を起こす。 やっと、この空間の全貌が見えた。倉庫のようなガランとした広い建物の中は、ぽつぽつとランプがあるだけで他のものは一切ない。少し動くだけでホコリが舞うから、長い期間、使われていないのだろう。 更に状況を探ろうと、ツグミは顔を少し動かす。途端に、頭に稲妻が落ちたかのような痛みが走った。 これは間違いなく、後頭部を殴られたせいだ。ちょっと動かしただけなのに、頭がぐわんぐわんする。耳鳴りも、わんわん鳴っている。「……最悪っ」 痛みに耐え切れなくて、ツグミは思わず悪態を吐く。 ガランとした空間に無駄に響いた呟きは、倉庫の端に控えていた者たちの耳にも届いてしまった。 ゆらりと複数の影が動いたかと思えば、覆面男たちがツグミに近づいてきた。少なくとも、10名以上はいる。「……手荒な真似をしてしまい申し訳ありません」 先頭に立つ覆面男はツグミの前に立つと、胸に手を当てて小さく頭を下げた。後ろに立つ者たちも、次々と頭を下げる。 予想外の男たちの言動に、ツグミは言葉を失ってしまう。「すぐに快適な場所に移動します。あなた様は、とても大切なお方ですから……どうか安心してください。これ以上、傷つけないことをお約束します」 穏やかな口調の覆面男の声が、逆に怖い。安心しろと言いわれても、安心できる要素は何一つない。「そ……そんなの……信用できるわけない」 ツグミが思ったままを口にすれば、覆面男は肩をすくめた。「そう思われるのは当然です。ですがわたくしたちは、傷つけないと約束しました。約束は守るためにあるということを、あなたならわかるでしょう?名を捨て、忘却を選んだ尊き人よ」 そこで言葉を止めた先頭に立つ男は、おもむろに覆面を取った。 薄明かりでも男の顔がはっきりと見え、ツグミのつぶらな瞳は限界まで開いた。「どうして……?」 この人は、ここにいちゃいけない人だ。いてほしくない人だ。 そんなツグミの悲痛な思いを感じ取った男は、目を細め
last update最終更新日 : 2025-11-07
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