暗殺騎士は、忘却聖女を恋願う

暗殺騎士は、忘却聖女を恋願う

last updateLast Updated : 2025-10-10
By:  当麻月菜Updated just now
Language: Japanese
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孤児のツグミは異世界人と白魔導士のハーフ。 戦火で両親を失ったツグミは聖女となり、フォンハール帝国を勝利に導いた。 そんなツグミが皇帝に求めた褒美は【聖女の忘却】 平和になった世界に聖女という存在は災いを蒔く種になると判断したからだ。 望み通り忘却聖女となったツグミは一年後ひょんなことから聖女時代に側近だったエルベルトと再会したけれど、彼はちょうど暗殺中で……。 聖女の存在を忘れたとエルベルトとまさかの同居生活を強いられたツグミは暗殺者の助手をやることに!? 真っ白な聖女衣装を脱ぎ捨てた異世界人二世ツグミと本気を出した暗殺騎士の恋の始まり始まり!

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Chapter 1

prologue 終わりの始まり①

 帝国歴589年。

 雪が解け、若葉が芽吹き、100年続いた戦争が終結した。

 フォンハール帝国の帝都ネルシアでは、勝利に導いた聖女を一目見ようと、帝国民が神殿広場にひしめき合っている。

 式典の主役である聖女ツグミは、神殿の一室で控えている。部屋にはもう一人──皇帝アレクセルが正装姿で腕を組み、窓に目を向けていた。

 時計の針がカチリと鳴ったのを機に、ツグミは皇帝の前に立つ。

 艶やかな黒髪を背に流し、真っ白な聖女の衣装を纏ったツグミは、先月18歳になった。

 アレクセルと出会ったのは、16歳の時。当時の彼は21歳の若き皇帝だったが、2年たった今では頼りなさは消え、威厳に満ちあふれている。

「そろそろ時間なので行ってきます。陛下とはこれでお別れですね。どうかお元気で」

「……なんか、素っ気ないな」

 拗ね顔になったアレクセルは頭をガシガシかく。せっかく整えた陽だまりのような金髪が台無しだ。

「抱き合って泣くような間柄じゃないでしょう?私たち。そんなことより、ちゃんと寝てくださいね。書類を寝室に持ち込んじゃ駄目ですよ。あと櫛、使います?」

「つれないねぇ、君は。まったく、つれない。それと櫛はいらない」

 はぁーっと溜息を吐いたアレクセルに、ツグミはへへっと笑う。

「だって、しんみりしたくないんですもん。最後は笑って終わりにしましょうよ」

 平和の道を歩み始めたフォンハール帝国にとって、聖女は厄介事を産む種でしかない。

 敵国だったヴォルテス国と終結条約を結んで、まだ3ヶ月しか経ってないけれど、ツグミは嫌というほど政治の闇を見てしまった。

 異世界人と白魔導士の間に生まれたツグミは、治癒と浄化の魔法に加え、誰にでも魔力を付与できる能力を持っている。

 戦時中には重宝したその特技は、今では貴族と政治家たちの欲望の対象になり下がった。

 だからツグミは、今日をもって聖女職を引退する。

 大魔法使いでもあるアレクセルの魔術で、大陸全土にいる人々の記憶から聖女ツグミの存在を消し、ただのツグミに戻るのだ。

「それで、これからどうするんだ?」

「そうですねぇ、ちゃんとは考えてないですけど……しばらくは復興していく国中を見て回ります。お手伝いできそうなことがあれば手伝いたいですし。治癒と浄化は、なにかと重宝しますから」

「……それなら聖女のままでいいんじゃない?ツグミは私と同等の権限があるんだから」

 アレクセルからド正論を言われ、ツグミはヘラヘラと笑って誤魔化す。

「まぁ、好きにすればいいさ。今更引き止めたって、無駄でしょ?」

「さすが陛下。私のこと良くわかってくださる!」

「わかりたくなんかないけどね!」

 強く言い返されて、ツグミは胸が痛む。

 勝利に導いた褒美に「聖女の記憶を消してほしい」とアレクセルに伝えた結果、彼は拗ねて拗ねて、拗ねまくった。

 ツグミが話しかけても、無視、無視、無視。皇帝のくせに、大人げない態度を取り続けるアレクセルに、ツグミは根気強く説得し、やっと首を縦に振ってもらえたのだ。

 戦時中とは一味違ったあの苦労は、もう二度と味わいたくない。けれど、アレクセルがツグミの身を案じてくれているのは痛いほどわかった。

 異世界人の母と、白魔導士の父は、もうこの世にはいない。

 聖女ではなくなったツグミが、何の後ろ盾もなく生きていくのは相当厳しい。だからアレクセルは、ずっと庇護下に置いておきたかったのだろう。

「陛下、もう時間だから機嫌直してよ。ね?最後に握手をしてお別れしよ」

 ごめんなさい、と言わないのは、言えば言うほどアレクセルが泣きそうになるからだ。

「握手で終わり?ほんと、つれないねぇ」 

 ツグミの差し出した手に視線を落として、アレクセルは溜息を吐く。

 そうしているうちに、扉の向こうからノックの音が響く。神官が迎えに来たのだろう。

「……陛下」

「ああ、わかったよ」

 何もかも諦めたように肩をすくめたアレクセルは、ツグミの手を取った。しかし握り返すことはせず、ツグミの手を両手で掴むと、そのまま額に押し当てた。 

「これまでありがとう、ツグミ。君にとっては辛く厳しい日々でしかなかったかも知れないが、私は君に出会えて本当に良かった」

 アレクセルの言葉に、ツグミは熱いものが込み上げる。それと同時にイラっとした。

「そんなこと言わないで!私、ぜんぜん辛くなかったよ」

「君のご両親が隠し続けた君の存在を、私は無理矢理表舞台に引きずり出してしまった」

「違う。聖女になることを選んだのは私だよ。私が決めて、選んで、ここにいるんだよ」

「まだ子供の君に汚い大人たちを見せてしまった」

「……私、18だよ?成人したよ?略式だけど、成人の儀をやったじゃん。陛下忘れたの?」

「覚えてる。私は立会人だったのだから、忘れるわけがない。だがツグミ、君は見た目は子供だ。あの日──戦火の中を泣いてさまよっていた子供のままだ」

「ちょっと、それどういう意味!?」

 母親が小柄だったせいか、ツグミは平均以下の身長だ。それをとにかく気にしている。

 逆鱗に触れたツグミが、カッとなった瞬間、アレクセルは声を上げて笑った。

「ははっ。最後に君のこの顔を見れて良かった」

 悪戯が成功したような子供みたいな笑みを見せるアレクセルに、ツグミは頬を膨らます。

 うっかりしていたが、アレクセルは軽いサディストだった。

「もぉー」

「その膨れっ面も好きだった」

「なにそれ」

 ぷっと噴き出したツグミに、アレクセルは何か言いかけて口をつぐむ。

「ん?……陛下」

「私はね、戦時中も戦争が終結してからも、ずっと思い描いていた未来があったんだ」

「……そっか」

「そうなることが必然だと思っていたんだ。でも……」

「でも?」

 ツグミが続きを促せば、アレクセルは顔をくしゃりと歪めて何かの言葉を吞み、違う言葉を紡いだ。

「君と最後に会話できたのが私だから、まぁ良しとするよ」

「……陛下、酔ってます?」

「いっそ、ベロベロに酔いたいねぇー」

 はははっ、と乾いた眼をしたアレクセルは、ツグミの身体を廊下へと続く扉に向けた。

「さ、お行き。民が君のことを待ってるよ。最後の聖女の勤めを果たしておいで」

「うん!行ってきます、陛下」

「行ってらっしゃい、ツグミ」

 手を振り合って廊下に出たツグミは、待機していた神官と共に神殿広場に向かった。

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last updateLast Updated : 2025-09-27
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 アレクセルに会うために帝都に向かったツグミだが、カダンとの約束も忘れてはいない。  あんな別れ方をしてしまった手前、どの面下げてという思いはあるが、ツグミはカダンとの縁も切りたくはない。 きっと、話しかけても冷たくされるだろう。それでも帝都に近づくにつれ、もう一度護衛騎士に会いたい気持ちは膨らんでいった。  皇室騎士団に所属している護衛騎士たちは、定められた休日がある。そして彼らの行動パターンは、わかりやすい。 酒豪で脳筋のサギルは、武器屋か酒場に行けば必ず会えるし、甘党のリュリーアナのお気に入りの店も把握している。 古書に目がないカダンは、頻繁に帝立図書館に出入りしているはずだ。唯一エルベルトだけは、どう休日を過ごしているのかわからない。多分、サギルに連れまわされているのだろう。 戦場でも、サギルは孤立しているエルベルトにちょっかいかけていた。 そんな風にツグミは、護衛騎士との再会に想像を膨らませていた。 けれど、まさかこんなところで、護衛騎士の一人と再会するなんて誰が想像できただろう。 聖女退職日にエルベルトの顔が見れなかったから、会えたことは嬉しい。でも、今の自分と彼は、赤の他人。それどころか、暗殺者と犯行現場を目撃した通行人。これは笑えない状況だ。 微かに風が吹いて、血の匂いがツグミの鼻を刺す。この匂いだけで、生きているのか死んでいるのかわかってしまうのは、自分が長く戦場にいすぎたせいなのだろうか。 そんなふうに意識を余所に向けるツグミを、エルベルトはじっと見つめている。その手には、小ぶりの剣が握られたままだ。 ポタリ、ポタリ……と、切っ先から血を垂らしながら、エルベルトがツグミに近づく。 一歩、また一歩、エルベルトが近づくたびに、ツグミは後退する。しかし三歩目で背が壁に当たった。退路は完全に絶たれてしまった。「……あ、あの……」 震えながらツグミは口を開いたが、すぐに閉じる。 エルベルトに、殺さないでと懇願したくなかった。 ツグミのことをきれいさっぱり忘れていても、エルベルトはエルベルトだ。ツグミの知ってる彼が消えたわけじゃない。「……私、見なかった。何も……見てない……ことにする。だってあなたがそうしたのは、きっとちゃんとした意味があるはずだから。それがなんなのか、私にはわからないけど。えっと、ごめん。ごめんな
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予想外の再会からの、あれやこれ⑤
 エルベルトに抱えられたまま到着したのは、帝都でもひときわ豪奢な屋敷だった。「……ご自宅?」「ああ、そうだ」 即答したエルベルトは、ツグミを抱いたまま正面玄関の扉を開ける。 ギィ……と、重厚な音を立てて開いた扉の先は、外観と同じく豪華な造りのホールだった。 すぐに、パリッとした燕尾服に身を包んだ男性が姿を現した。おそらく、この屋敷の執事だろう。髪に白いものがチラホラあるが、年を感じさせないキビキビとした動きだ。「おかえりなさいませ、坊ちゃま」「坊ちゃま!?」 思わず突っ込みを入れたツグミを、エルベルトはそっと床に降ろす。次いで脱いだマントを、執事に渡した。 一連の流れの間、執事はツグミに一度も視線を向けなかった。 ただ無視をしているというより、エルベルトの傍にいることが当たり前といった感じだ。 諸々あってボロ雑巾のような格好をしているツグミは、汚いものとして扱われても仕方がない。 それなのに、何も触れずにいてくれるのは執事が優しい人だからなのか。それとも屋敷の主人に、厚い忠誠を誓っているからなのか。(まぁ、どっちでもいいんだけど) それよりも、どうしてエルベルトは、もう一度自分を抱き上げたのだろう。そっちの方が気になる。「ダンデ、こんな時間に悪いが軽めの食事を頼む」「かしこまりました。お二人分でよろしいでしょうか?」「ああ。俺は湯を浴びてくる」「ご用意はすでに整っております」「わかった」 執事ことダンデと短いやり取りを終えたエルベルトは、大股で歩き出す。 慇懃に礼を執るダンデに小さく手を振ったツグミは、首をひねってエルベルトを見上げた。「抱っこしなくても私、逃げませんよ?」「わかってる」「なら降ろして──」「断る。怪我人なんだから、大人しく抱かれてろ」 不毛な会話を終わらせたかったのかツグミを抱く腕に力を込めたエルベルトは、歩く速度を上げる。「……なんでわかったんだろう」「わからないほうがおかしい」「ふぅーん……」 気づかれても困ることではないが、暗殺者に気遣われることも、元護衛騎士に労われるのも、なんというか奇妙な感じだ。 ついさっき人の命を奪ったというのに、自分に触れる手がとても温かいことも。「名前、訊いてなかったな」「……私の?」「お前以外に誰がいる?」「紳士たるもの、女性に名を伺う時は先
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予想外の再会からの、あれやこれ⑥
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last updateLast Updated : 2025-10-05
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予想外の再会からの、あれやこれ⑦
「ごちそうさまでした」 手を合わせて、頭を下げる。フォンハール帝国には無い習慣だが、ツグミの母が毎度そうしていたので、自然に身についてしまった。 初めて目にする人は不思議な顔をするけれど、エルベルトは動じない。 そこに疑問を抱くべきなのだが、ツグミは別のことで頭がいっぱいで気がつかなかった。(……で、これからどうしよう) 知り合いならともかく、エルベルトは暗殺現場に居合わせた自分を見逃してくれ、食事までごちそうしてくれた。 ごちそうを前にしてスープだけしか食べれなかったことに思うところはあるけれど、それでも赤の他人に対してここまで親切にするとは──(なにか、あるよね) ただ憐れに思ったから?それとも殺す価値すらないと判断された?  その可能性は十分ある。なによりエルベルトは、なんだかんだいって優しい。でも見返りのない優しさは、警戒すべきだ。 ツグミはさりげなく周囲を探る。壁際に数人の使用人がいるとはいえ、食堂の出入口には誰もいないし、扉はほんの少しだけ開いている。 まるでエルベルトが、逃げたいなら逃げてもいいよと訴えているようだが──そういうことをされたら、逃げるような真似はしたくない。 ツグミはおもむろに立ち上がると、エルベルトの元に近づいた。「そろそろ、落ち着いた?」「ああ。こんなに笑ったのは、久しぶりだ。おかげで腹筋が痛くてたまらない」「笑うと血行が促進され、免疫力が向上して、ストレスが減って、脳の活性化にも繋がるんです。腹筋痛は残念ですが、トータル的には心と身体にいい効果をもたらしたんで、まぁ良かったですね。で、真面目な話……できますか?」 最後は口調を変えてツグミが尋ねれば、エルベルトも真顔になった。「できる。まずはお前の話を聞こう」 促され、ツグミは気持ちを落ち着かせるために小さく咳ばらいをしてから口を開く。「えっとね、まず……さっきも言ったけど路地裏でのこと……私は何も見てない。何も知らない。誰かに訊かれてもそう答える。あなたにもさっきのことは一生問い詰めない。ここで全部忘れることにする」「ああ」「それとね、これもさっき言ったことだけど、私ちょっと事情があって人から忘れられやすい体質なの。だからこうしてあなたとお話してても、明日の朝にはぼんやりとしか思い出せないと思う。だから、諸々不安かもしれないけど、安心
last updateLast Updated : 2025-10-06
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