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響きあうカデンツァ のすべてのチャプター: チャプター 21 - チャプター 30

56 チャプター

7-2

 放課後、響は音楽棟の練習室にいた。使い慣れたピアノの前に座り、鍵盤に指を置く。窓の外では、夕陽が紅葉した木々を黄金色に染めている。晴真との約束の時間まで、まだ少しある。一人で作曲に没頭することで、乱れた心を落ち着けようとしていた。 防音室の静寂の中、響は新しい旋律を紡いでいく。短調の、どこか物悲しいメロディー。それは秋の寂しさと、今の自分の心情を映し出しているようだった。高音部では晴真への想いを、低音部では社会からの圧力を表現している。それぞれの旋律が絡み合い、時には調和しながらも、時には不協和音となって響く。まるで、色づいた葉が風に舞い散るように、音符が宙を漂う。 ドアが勢いよく開いた。 防音扉が壁にぶつかる鈍い音が、静寂を破る。「響!」 晴真が息を切らせて入ってきた。髪は乱れ、額には汗が光っている。秋の涼しさの中でも、走ってきたのだろう。その表情は、いつもの太陽のような明るさとは違う、嵐の前の空のような苛立ちを帯びていた。「どうしたの?」 響は振り返り、晴真の異変に気づいて立ち上がった。「鷲尾が、また来た」 晴真の言葉に、響は息を呑んだ。手にしていた楽譜が、音もなく床に落ちる。秋の枯れ葉のように、ひらりと舞いながら。あの時の嫌な記憶——プロデューサーの冷たい視線、容赦ない言葉――が蘇る。「今度は何を?」「正式にプロデュースの契約を持ちかけてきた。条件付きで」 晴真は拳を握りしめた。関節が白くなるほどの力で、震えている。「『前にもいったが、君の歌う曲を変える必要がある』って。お前の曲は『商品として成立しない』『暗すぎて売れない』『素人の自己満足』だと」 一つひとつの言葉が、響の心を抉っていく。前回会った時も似たようなことをいわれたが、今回はより直接的で、残酷な否定だった。自分が心を込めて作った曲が、ただの商品として値踏みされ、価値なしと判断される。その屈辱と悲しさで、目の前が歪んだ。「それに……」 晴真の顔が苦痛に歪む。次の言葉を口にすることさえ、苦痛の
last update最終更新日 : 2025-10-21
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7-3

 二人は黙って大学を出た。秋の夕暮れは早い。もう五時過ぎなのに、空は茜色に染まり始めている。キャンパスの木々の影が長く伸び、歩道に複雑な模様を描いていた。学生たちが笑いながら歩いていく中、響と晴真だけが重い空気を纏っていた。 風が吹くたびに、銀杏の葉が黄金の雨のように降ってくる。その美しさが、かえって二人の心の重さを際立たせた。響は何度も晴真との距離を取ろうとした。でも晴真は、まるで響が逃げ出すのを防ぐように、しっかりと手を握っていた。その手の力は、優しさというより執着に近い。 街灯が一つ、また一つと灯り始める。秋の夕闇は濃く、すぐに街を包み込む。二人の影も長く伸びて、まるで引き裂かれそうに歪んでいく。 響の部屋に着いた時、外はすっかり暗くなっていた。 古いアパートの階段を上る足音が、秋の夜の静寂に響く。階段の隅には枯れ葉が溜まっていて、踏むたびにかさかさと音を立てた。鍵を開ける手が震えて、なかなか鍵穴に入らない。冷たい秋風が、二人の頬を撫でる。晴真が後ろから手を添えて、一緒に鍵を回してくれた。 部屋に入るなり、晴真は響を抱きしめた。 玄関のドアが閉まる音と同時に、晴真の腕が響を包み込む。その力は強く、まるで二度と離さないという意志を示すように。「晴真……」「怖いんだ」 晴真の声が震えていた。響の耳元で囁かれるその声は、普段の晴真からは想像できないほど弱々しい。「響が俺から離れていきそうで、怖い。秋になって、葉が散るみたいに、響も俺から離れていきそうで……」 響は晴真の背中に手を回した。シャツ越しに伝わる体温と、速い鼓動。晴真の体が小刻みに震えている。いつも強気で、自信に満ちた晴真が、こんなに弱さを見せるなんて。その事実が、響の心を激しく揺さぶった。「俺のせいでお前まで傷ついてる」 響が呟くと、晴真は強く首を振った。髪が響の頬を撫でる。「そんなのどうでもいい」「どうでもよくない!」 響が晴真を押し返した。薄暗い部屋の中で、二人は向き合う。窓の外では、秋風
last update最終更新日 : 2025-10-22
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7-4

 晴真は響をベッドに押し倒した。 スプリングが軋む音がして、響の体が沈み込む。晴真は響の手首を掴み、頭の上で押さえつける。まるで獲物を捕らえた肉食獣のように、晴真は響を見下ろしていた。「離さない」 その声は低く、脅迫じみていた。「晴真、落ち着いて……」「落ち着けるか」 晴真の息が荒い。額に汗が浮かび、髪が濡れて額に張り付いている。「響を失うかもしれないって考えたら、頭がおかしくなりそうだ。秋になって、すべてが終わっていくような気がして」 その言葉と共に、晴真は再び響にキスをした。今度はさらに激しく、まるで響のすべてを奪い取ろうとするように。舌が乱暴に口内を蹂躙し、響は息をすることも忘れた。唾液が混じり合い、淫猥な水音が部屋に響く。「んん……っ」 酸欠で頭がぼんやりしてくる。でも、晴真は離してくれない。まるで、このまま響を自分の中に取り込んでしまいたいかのように。 晴真の手が響の体を這い回る。優しさよりも、所有欲が勝った愛撫。指先が肌を引っ掻き、響の白い肌に次々と赤い痕が刻まれていく。まるで秋の紅葉のように、晴真の欲望の軌跡が響の体に記されていく。「はぁ……晴真……」 響は理性では拒絶しようとしているのに、体は晴真を求めていた。乳首を摘ままれると電流のような快感が走り、下腹部はすでに熱く疼いていた。この心と体の矛盾に、響は混乱した。心と体がバラバラで、自分が自分でなくなっていくような感覚。まるで、秋風に舞う落ち葉のように、自分の意志とは関係なく流されていく。 晴真は響のベルトを外し、一気にズボンを引き下ろした。下着も同時に取り去られ、響は羞恥で顔を赤くする。冷たい秋の空気が敏感な部分に触れて、響は身を震わせた。「恥ずかしい……」 響は手で隠そうとする。「隠すな」 晴真が響の手を押さえたまま、その体を貪るように見つめた。まるで獲物を品定めするよ
last update最終更新日 : 2025-10-23
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7-5

 汗ばんだ体を寄せ合いながら、二人は黙っていた。窓の外では、いつの間にか秋雨が降り始めていた。窓ガラスを叩く雨音が、不規則なリズムを刻む。激しい行為の後の虚脱感と、言葉にできない感情が、雨の音と共に部屋を満たしている。「……ごめん」 長い沈黙の後、晴真が小さく呟いた。「乱暴だった」「……」 響は答えなかった。体のあちこちに残る鈍い痛みが、今夜の激しさを物語っている。首筋には噛み跡が残り、腰は鈍く痛む。でも、それ以上に心が痛かった。「怖かった」 晴真が響を抱きしめた。今度は優しく、壊れ物を扱うように。「響が俺を拒絶するんじゃないかって。俺を捨てて、一人で殻に閉じこもってしまうんじゃないかって。秋になって、すべてが終わっていくみたいで」「晴真……」 響は晴真の髪を撫でた。汗で湿った髪が、指に絡みつく。「でも、これじゃ逆効果だよな」 自嘲的な笑みを浮かべる晴真を見て、響は胸が痛んだ。晴真も傷ついている。自分と同じように、いやそれ以上に。 二人とも不安なのだ。社会にこの関係が受け入れられないことも、いつか終わりが来るかもしれないことも分かっている。秋が深まれば冬が来て、すべてが凍りついてしまうかもしれない。だからこそ必死で繋がろうとするが、どうすればいいのか分からず、結果的に傷つけ合ってしまう。まるで棘だらけの蔦が絡み合うように、近づこうとすればするほど互いに傷ついてしまう。「俺、どうすればいいか分からない」 響が呟くと、晴真も頷いた。「俺も」 二人は見つめ合い、そして同時に視線を逸らした。見つめ合うことさえ、今は辛い。 晴真は響の隣に横になった。肌は触れ合っているのに、心の距離は離れている。すれ違いの感覚が、じわじわと広がっていく。まるで、少しずつ秋の冷気に包まれていくような感覚。「晴真、プロデューサーの話……」 響が口を開きかけた。
last update最終更新日 : 2025-10-24
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第八章 孤独の再来

 十月の朝の光が、カーテンの隙間から差し込んでいた。 秋の朝日特有の、少し力の弱い光。それは部屋の中を斜めに伸びて、舞っている埃を金色に照らしていた。響は目を覚まし、ゆっくりと隣を見た。晴真はまだ眠っている。その寝顔は一見穏やかに見えたが、眉間にうっすらと刻まれた皺が、昨夜の苦悩を物語っていた。昨夜の出来事が夢でないことを、体の各所に残る鈍い痛みが教えてくれた。 響はそっとベッドから抜け出し、素足で冷たい床を踏みしめた。秋の朝の冷気が、裸足から這い上がってくる。鏡の前に立つと、そこにはこれまで見たことのない自分が映っていた。首筋には、晴真がつけた赤い痕がいくつも残っている。まるで秋の木の実のように点々と広がるその痕跡を見て、「シャツで隠せるだろうか」と考える自分が、ひどく惨めに思えた。それが愛の証なのか傷なのか、答えは出せなかった。 キッチンでコーヒーを淹れる。いつもの朝の儀式だが、今日はどこか違う。コーヒー豆を挽く音が、静寂の中で異様に大きく響く。湯を注ぐと、立ち上がる湯気が秋の朝の冷気の中で白く漂った。コーヒーの香りが部屋中に広がるが、それさえも今は重く感じられる。 背後で床板が軋む音がした。「響……」 晴真が起きてきたらしい。振り返ると、晴真は申し訳なさそうな表情で立っていた。寝癖のついた髪、少し腫れぼったい目。いつもの輝くような姿とは程遠い、疲れ切った顔。「おはよう」 響は努めて普通に挨拶をした。でも、声が少し震えている。喉の奥が詰まったような感覚。「昨日の夜は……」 晴真がいいかけた言葉は、秋風が窓を打つ音にかき消された。「いいよ」 響は晴真の言葉を遮った。これ以上聞きたくなかった。「もう済んだことだから」 「済んだこと」そう口にした瞬間、自分自身でその言葉が残酷に響いた。晴真の顔にも、まるで打たれたかのような苦しそうな表情が浮かぶ。彼の瞳が一瞬うるんだように見えたが、すぐに視線を外した。響は気づかないふりをして、手の震えを抑えながらコーヒーをカップに注いだ。少しだけコーヒー
last update最終更新日 : 2025-10-25
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8-2

 日曜日。 響は実家の前に立っていた。見慣れた家の前で、深呼吸をする。秋の空気が肺を満たす。庭の金木犀が香っている。この香りは、子供の頃から変わらない。久しぶりに見る家は、何も変わっていないのに、どこか違って見えた。自分が変わってしまったからだろうか。「響!」 玄関で母の玲子が笑顔で迎えてくれた。エプロンをつけた母は、いつもと変わらない温かさで響を包んでくれる。「久しぶりね。痩せた?」 母の観察眼は鋭い。確かに、最近食欲がなくて、体重が落ちていた。「そうかな」 響は曖昧に笑った。無理に作った笑顔だと、自分でも分かる。 リビングでは父も待っていた。相変わらず新聞を読みながら、でも響が入ってくると顔を上げて微笑んだ。その優しい笑顔が、今は辛い。「元気にしてたか?」「うん」 嘘だった。全然元気じゃない。でも、心配をかけたくなかった。 母が用意してくれた昼食を食べながら、響は両親と他愛ない話をした。秋刀魚の塩焼き、茄子の煮浸し、そして約束通りの栗ご飯。どれも美味しいはずなのに、味がよく分からない。大学のこと、音楽のこと。でも、晴真のことは一言も出さなかった。その名前を口にすることすら、今は辛い。「そういえば」 食後のお茶を飲みながら、玲子がいった。湯呑みから立ち上る湯気が、秋の午後の光に白く光る。「響、誰か好きな人はいないの?」 響の手が止まった。湯呑みを持つ手が、微かに震える。「急にどうしたの」 努めて平静を装う。「だって、もう二十歳でしょ? そろそろ彼女の一人くらいいてもいい頃じゃない」 彼女。その言葉が、鋭い刃のように胸を刺した。母は当然のように「彼女」という。息子が女性と付き合うことが、当たり前だと思っている。「いないよ」 声が震えないように注意して答えた。「本当? お母さんの友達の娘さんで、とても素敵な子がいるのよ。今度紹介しようか?」「いい」 響の拒絶は即座だった
last update最終更新日 : 2025-10-26
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8-3

 週明けは秋晴れの朝だった。でも、響の心は曇ったままだった。 音楽棟の廊下で、響は久しぶりに晴真と顔を合わせた。偶然出くわしたのだ。お互い立ち止まり、見つめ合う。時間が止まったような感覚。廊下の窓から差し込む朝日が、二人を照らす。でも、言葉が出なかった。 晴真はやつれて見えた。目の下にクマができていて、頬も少しこけたように見える。数日見ないうちに、別人のようになってしまった。響は胸が痛んだ。自分のせいだと分かっていたから。「……元気?」 晴真が先に口を開いた。声が掠れている。「うん」 響は小さく答えた。嘘だと、お互い分かっている。「そっちも」「まあね」 ぎこちない会話。以前のような自然な雰囲気はもうない。まるで、初めて会った他人のような距離感。「響、あの……」 晴真が何かいいかける。その瞳には、必死な色が浮かんでいた。「用事があるから」 響は晴真の言葉を遮って、歩き出そうとした。でも、晴真に腕を掴まれた。温かい手。覚えのある感触。「待ってくれ」「離して」 響の声は冷たかった。でも、心は熱い。「話がしたい」「今更何を」 響の声が震えた。「もう遅いよ」「遅くない」 晴真の手に力が込められた。必死さが伝わってくる。「俺たち、まだやり直せる」「やり直す?」 響は晴真の手を振り払った。触れられていた部分が、熱く疼く。「何を? 最初から間違ってたんだよ、俺たちは」「間違ってない」 晴真の声は確信に満ちていた。「間違ってる」 響の目に涙が浮かんだ。もう隠せない。「きっと、俺たちが一緒にいることで、みんなが不幸になってしまう。晴真の家族も、俺の家族も、そして俺たち自身さえ……」「それは&he
last update最終更新日 : 2025-10-27
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8-4

 そんなある日、響のもとに一通の手紙が届いた。 見慣れない筆跡の、丁寧な文字。差出人は、藤堂と書かれていた。晴真の苗字だ。でも、筆跡は晴真のものではない。 震える手で封を開けると、便箋に女性らしい文字が並んでいた。『突然のお手紙、失礼いたします。 晴真の母です。 息子のことで、一度お会いしてお話ししたいことがあります。 ご都合がよろしければ、お時間をいただけないでしょうか』 丁寧な文字で書かれた手紙を見つめ、響は迷った。晴真の母が何を話したいのか。もしかしたら、別れろといわれるのかもしれない。息子を「普通」の道に戻してくれと、懇願されるのかもしれない。 でも、断る理由もなかった。もう終わったことだから。響はそう自分にいい聞かせて、返事を書いた。  当日、指定されたカフェで、響は晴真の母を待った。 静かなカフェ。窓際の席。秋の午後の光が、テーブルを柔らかく照らしている。コーヒーを注文したが、緊張で喉を通らない。 優しそうな女性が入ってきた。晴真に少し似た面影がある。同じような瞳の形、同じような髪の色。でも、晴真よりも穏やかな雰囲気。響は立ち上がって、軽く頭を下げた。「篠原さん?」「はい」「晴真の母です。お忙しいところ、ありがとうございます」 晴真の母は響の向かいに座った。注文したコーヒーが運ばれてくる。湯気が、二人の間でゆらゆらと立ち上る。「単刀直入に聞きます。あなたは、晴真のことをどう思っていますか?」 響は驚いた。反対されると思っていたのに。責められると思っていたのに。「……もう、終わったことです」 声が震えた。「終わった?」「はい。晴真さんとは、もう関わらないつもりです」 晴真の母は響を見つめた。その瞳は、晴真と同じ色。でも、もっと深い何かを宿している。「本心ですか?」「……」 響は
last update最終更新日 : 2025-10-28
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第九章 告白と決意

 響は走っていた。 息が切れ、心臓が激しく鼓動を打つ。晴真の母から聞いた実家の住所が書かれたメモを握りしめ、電車を乗り継いで、見知らぬ街を走っていた。靴の底が舗装道路を蹴るたびに、鈍い音が響く。息が白く霧となって消えていく晩秋の空気が、頬を刺すように冷たかった。 それでも足を止めることはできなかった。晴真に会いたい。その想いだけが、疲労した体を突き動かしていた。 住宅街の静かな通りを抜け、角を曲がる。古い桜並木が続く道の先に、晴真の実家はあった。二階建ての落ち着いた佇まいの家。白い壁に茶色い瓦屋根、小さな庭には手入れされた植木が並んでいる。どこか温かみのある、家族の歴史を感じさせる家だった。 門の前で、響は立ち止まった。急に足が重くなる。 今更なにをいえばいいのか。別れを告げた自分が、どんな顔をして会えばいいのか。「普通じゃなくてもいい」――そう決意したはずなのに、いざ晴真を前にすると、また怖くなってしまう気がした。不安が胸を締め付け、呼吸が浅くなった。 でも、このまま帰ることはできなかった。晴真の母の言葉が、背中を押してくれる。『大切なのは、あなたたちがどう生きたいか』――その言葉が、響の心に深く刻まれていた。 震える指でインターホンを押した。チャイムの音が、静かな住宅街に響く。「はい」 すぐに晴真の母の声が聞こえてきた。優しく、温かい声。「篠原です」 響は緊張しすぎて、声が今にも掠れてしまいそうになりながら答えた。「まあ、来てくださったのね」 晴真の母の声に安堵の響きがあった。まるで響が来ることを待っていたかのように。「どうぞ、お入りになって」 門が開き、響は玄関へ向かった。歩くたびに砂利が音を立てる。玄関の扉が開き、晴真の母が笑顔で迎えてくれた。エプロン姿の彼女には、どこか晴真の面影があった。「よく来てくださいました」「突然お邪魔してすみません」 響は深く頭を下げた。「いいえ、待っていたんですよ。晴真があなたのことばかり話すものだから」 晴
last update最終更新日 : 2025-10-29
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9-2

 晴真が響をベッドに座らせた。ベッドは少し軋んだ音を立てる。そして自分も隣に腰を下ろす。夕方の光が窓から差し込み、二人を柔らかく照らしていた。「なあ、響」「ん?」「もう一度聞かせてくれ。本当に、俺と一緒にいてくれるのか?」 晴真の不安そうな声に、響は晴真の顔を両手で包んだ。頬はまだ涙の跡が残っていて、響はそっと親指で拭った。「何度でもいうよ。俺は晴真と一緒にいる。もう離れない」「でも、大変だぞ。周りの目とか、家族の反対とか。就職だって難しくなるかもしれない」 晴真の現実的な心配に、響は優しく微笑んだ。「分かってる」 響は晴真の額に自分の額を合わせた。お互いの呼吸が混ざり合う。「でも、晴真となら乗り越えられる。一人じゃないから」「響……」「それに」 響は少し照れたように笑った。「俺、晴真のためじゃなきゃ曲が書けない」「は?」 晴真が目を丸くした。「晴真の歌声を思い浮かべないと、曲が書けなくなっちゃった。メロディーは浮かぶんだけど、晴真の声で歌われることを想像しないと、完成しない」 その告白に、晴真は息を呑んだ。「本当?」「うん。晴真と離れてた間、なにも書けなかった。頭の中で晴真の声が聞こえてきて、でも晴真はもういないんだって思うと、音が消えていく」 響の目に涙が浮かんだ。「怖かった。もう二度と曲が書けないんじゃないかって」「俺も」 晴真が響の手を強く握った。「響の曲じゃなきゃ歌えない。他の曲を歌おうとしても、声が出ないんだ。カラオケで適当に歌おうとしても、喉が締め付けられるように」「困ったね」 響が涙混じりに笑った。「ああ、困った」 晴真も笑った。「完全に依存症だ」 二人は顔を見合わせて、そして笑い出した。涙でぐちゃぐちゃの顔で、それでも心から笑っ
last update最終更新日 : 2025-10-30
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