「千秋、どうしてそんな悲しそうな顔をしているんだい? お蔭で、手が出せなくなってしまったじゃないか」「だって……だってこれは、悲しいんじゃなくて――っ」 自分の感情をうまく伝えられなかった俺は、ちょっとだけ起き上がって目の前にある穂高さんの肩口に、はぐっと咬みついてみた。「くっ!?」 穂高さんみたいに綺麗な痕はつけられないけれど、いつもより強く咬む行為を黙って受け入れてくれる。言葉にしなくても伝わる想いがあるのなら、今こうしているだけで伝わるといいな。「はぁはあ……。ごめんな、さい。痛かったでしょ?」 そこにはくっきりとした咬み痕が、皮膚の上に残っていた。「全然。千秋の気持ちが、じわじわ伝わってきているよ」 すごく痛いはずなのに、柔らかい笑みを浮かべる。つられて笑いかけてしまった。 はじめて彼に咬まれたときの痛みを、今でもはっきりと覚えている。だからこそ手加減しようと思ったのに、そんな余裕はなかった。 もどかしいな。穂高さんを想う気持ちを何とかして伝えたいのに、こんなことでしか伝えられないなんて。 目の前にある穂高さんの顔をじっと見つめていたら、唐突に左手を掴んで薬指にしている指輪にキスを落とした。「君が俺のことを強く想ってくれるから、ここに戻ってこられたんだ。こうして抱きしめることやキスすることができるのは、千秋のお蔭なんだよ」「穂高さん?」「海に落ちて、異変にすぐ気がついた。いつものように這い上がろうとしたのに、身体が鉛のように重くてね。苦しくてもがいたとき目に留まったのは、この薬指につけた指輪だった」 瞳を細めながら、愛おしそうに俺の左手に頬擦りする。「船からの灯りが反射して偶然光り輝いただけなのに、それがやけに目に焼き付いた。だから瞬時に思ったんだ、千秋のもとに何としてでも帰らなきゃって」「うん……」「その後、意識をなくした俺が自力で戻ってきたのを船長から聞いたときは、とてもびっくりはしたけどでも――火事場の馬鹿力というのだろうか」「何か、分かるような分からないような」 穂高さんの言葉にクスクス笑い出してしまったのは、しょうがないと思う。彼らしい表現だと分かっていても、笑わずにはいられない。「ん……。そうやって笑っている顔が見たいと思ったのと、悲しませてはいけないという気持ちと、いつもの日常を過ごさなければという、
Last Updated : 2026-01-02 Read more