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血と束縛と のすべてのチャプター: チャプター 101 - チャプター 110

242 チャプター

第4話(4)

**** 夜からコーディネーターと打ち合わせをして、ファミレスで適当に食事を取ってから部屋に戻ってきたとき、和彦はもう、何もする気力が残っていなかった。ただ、汗をかいた不快さが我慢できず、三田村に頼んでバスタブに湯を溜めてもらう。  こんな生活に入る前までなら、何があっても自分一人ですべてこなさなければならなかったのだから、そういう意味では、ずいぶん優雅になったものだ。  ソファに転がって、夜のニュース番組を眺める。世間で起きていることに、すっかり興味が持てなくなっているが、それでもテレビをつけるのは習慣だ。 「――先生、湯が溜まった」  三田村に声をかけられ、体を起こす。よほど億劫そうに見えたのか、三田村は無表情のまま、それでいて声には気遣いを滲ませながら言った。 「今夜はゆっくり休めばいい。明日は予定が何も入ってないから」 「本当に、予定通りになればいいけどな。犬っころが、目を輝かせて転がり込んできそうな気がする」  三田村にもその可能性が否定できなかったらしく、黙り込まれてしまった。  和彦はちらりと笑って立ち上がると、その場でTシャツを脱ぎ捨てる。上半身裸のまま三田村の横を通り過ぎるとき、互いに緊張したことを感じ取る。  意識して、緊張しながら、何事もなかったように装うのが、二人の間では当たり前のようになっていた。何を意識しているのか、本当は和彦はよくわかっていない。いや、わかっていないふりをしているのだ。  現実から目を背けた、麻薬のように心地よく、何もかもを与えられる生活を送りながら、いまさらわからないものが一つ増えたところで、和彦は困りはしない。引きずり込まれた世界は、いまだに和彦にとってわからないことだらけなのだ。  手早く体を洗って湯に浸かると、クリーム色の天井を見上げる。  そのまま危うく眠りそうになっていた。目が覚めたのは、浴室の扉の向こうから呼びかけられたからだ。 「先生ー、プリン買ってきたから食べようよ。せ・ん・せ・い、聞いてるー?」  パシャッと水音を立てて、和彦は湯の中に完全に沈みかけた体を起こす。もう少しで顔まで湯に浸けるところ
last update最終更新日 : 2025-11-02
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第4話(5)

「実家に戻ってから、お前、子供っぽくなったんじゃないか」 「だったら、俺が本気出しても、先生平気?」  前触れもなく立ち上がった千尋に、いきなり腕を掴まれて壁に体を押し付けられる。目の前に迫ってきたのは、しなやかな体躯を持った若々しい肉食獣だ。さきほどまで、あざといほど子供っぽさを前面に出していたくせに、今はもう、したたかな笑みを浮かべて舌なめずりしていた。  発情している顔だと、和彦は思った。  千尋は、まだ湿りを帯びた和彦の肌に触れてくる。バスローブの紐を結んでいないため、何もかも千尋の前に晒したままなのだ。しずくが伝う首筋をゆっくりと舐め上げながら千尋が言う。 「俺が家に戻った理由を、甘くみないでよ。いつでもこうして大きな顔して、先生に会うためだよ」  和彦が息を呑むと、千尋がそっと唇を吸ってくる。片手で濡れた内腿を撫で上げられ、指先でくすぐられ、和彦は小さく抗議の声を上げた。 「プリンを食べさせてくれるんじゃないのか」 「プリンより先に、俺が先生を食べるってのは、どう?」  こういう発言を聞くと、あの父親にして、この息子だなと痛感させられる。  ため息をついた和彦は、千尋の頬を軽く撫でた。 「――……発情するサイクルが同じなのか、父子揃って」 「あのオヤジと同じってのは複雑だけど、先生が目の前にいて触らないのは勿体ない、と思ってるんだよ、俺は」  ニッと笑った千尋が身を屈め、今度は胸元を伝い落ちるしずくを舐め上げる。 「あっ」  数度胸元を舐めたあと、千尋の舌が突起をくすぐってくる。昼間、賢吾が愛撫してきたのとは反対側の突起だ。  示し合わせているのか、本能で嗅ぎ分けているのだろうかと考えているうちに、凝った突起を柔らかく吸い上げられ、和彦はビクリと体を震わせる。 「千、尋っ……」  いきなり強く吸い上げられ、快感めいたものが和彦の胸元に広がる。思わず顔を背けてから、ドキリとした。廊下に通じるドアが開いたままなのだ。さきほどまでの千尋とのやり取りが、三田村の耳にも届いているのかもしれない。だからどう、というわけではないのだが――。 「千尋、お前早く、下に降りないとい
last update最終更新日 : 2025-11-03
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第4話(6)

「あっ……」 「オヤジが、今日先生を食い損ねたって言ってたんだ。だから、俺がありがたく、いただいちゃおうって――」  耳をベロリと舐められて、せがまれるまま千尋のほうを見ると、すかさず唇を吸われる。和彦は壁にもたれかかったまま、千尋の背に両腕を回していた。 「先生、少し痩せた?」 「環境の変化のせいでな」 「その変化って、俺とオヤジの存在も込み?」 「込みだ、込み。むしろメインだ」  首をすくめて笑った千尋に唇を舐められ、誘われるように舌を差し出した和彦は、探り合うように舌先を触れ合わせる。甘やかすように千尋の舌を吸ってやると、お礼とばかりに胸の突起を指の腹で押し潰され、次の瞬間には抓るように引っ張られる。 「……先生、もう濡れてきた」  和彦のものを激しく扱き立てていた千尋が、ふいに手の動きを止めて先端を撫でてくる。ヌルリとした感覚は、半ば強引に与えられる快感を和彦が無視できないことを表している。  身を起こした和彦のものの輪郭を、思わせぶりに指先でなぞった千尋が、ふいにイタズラっぽく目を輝かせる。咄嗟に身の危険を感じた和彦は、慌てて体を離そうとしたが、廊下まであと一歩というところで背後から抱きすくめられた。 「千尋っ……」  千尋の片手が両足の間に差し込まれ、柔らかな膨らみをぐっと指で押さえつけられる。ガクッと足元から崩れ込みそうになり、開いたドアになんとかすがりついた。 「あっ、あぁっ」 「ここ、オヤジに仕込まれてるんだよね。弄られただけで、涎垂らしてよがり狂うようにって。確かに、反応いいよね。体がビクビク震えてる」  片腕で腰を抱かれながら、千尋の指にまさぐられる。賢吾ほど慣れていない、力加減がめちゃくちゃの武骨な指に弄られてから、てのひらに包み込まれて、揉まれる。 「ひあっ、うっ、あうっ」 「少し力入れていい?」  その言葉通り、千尋の手にわずかに力が入る。繊細な部分をやや手荒に揉みしだかれ、ドアにすがりついたまま和彦はブルブルと両足を震わせる。反り返ったものを戯れのように握って、耳元で千尋が笑った。 「もしかして、涎って、こっちの涎? すごいよ、先生。どんどん垂
last update最終更新日 : 2025-11-03
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第4話(7)

「もしもしっ」  荒っぽい口調で千尋が応じる間に、和彦は乱れた呼吸を整えながら、肩からずり落ちかけたバスローブを羽織り直し、しっかり紐を結ぶ。腰が疼いて、今にもその場に座り込んでしまいそうだ。 「あー、わかったよっ。すぐに降りる」  電話を切った千尋が、ふて腐れた顔で唇を尖らせる。すっかり格好を整えた和彦を見て、さらに機嫌が悪くなったようだ。和彦は何事もなかった顔をして、千尋の頭を撫でた。 「残念だったな、時間切れだ」 「……先生、なんか嬉しそう……」 「そりゃもう、お前がプリンをお土産にくれたからな」  好き勝手された仕返しとばかりに、ニヤニヤと笑いかけてやると、千尋が珍しく情けない顔となる。 「そんなにイジメないでよ……」 「人聞きの悪いこと言うな。イジメられたのは、むしろこっちだ。お呼びだろ。さっさと帰れ」  和彦は千尋の腕を取り、玄関まで引きずっていくと、ぽんっと押し出す。芝居がかったように肩を落とした千尋がやっと靴を履き、和彦はひらひらと手を振ってやる。 「気をつけて帰れよ」 「……本当に嬉しそうだよね、先生」  そんな一言を残して千尋が玄関を出ていき、ドアが閉まるのを見届けた和彦は、ほっと熱を帯びた吐息を洩らしてから、慌てて鍵をかける。そのままドアが寄りかかり、自分の体を抱き締めるようにして身震いしていた。  まだ、下肢を千尋の手にまさぐられているようで、妖しい感覚が這い上がってくる。  ふと感じるものがあって振り返ると、三田村が廊下に立ってこちらを見ていた。和彦はちらりと笑いかけると、側に歩み寄る。 「今夜はもう、帰ってもらっていい。プリンが食べたいなら、お裾分けするが」 「――大丈夫か、先生」  こちらの言葉など無視しての三田村の発言に、思わず睨みつけてしまう。やはり、脱衣所で和彦と千尋が何をしていたか、聞こえていたのだ。  相変わらずの三田村の無表情を眺めて和彦は、意地の悪い気持ちと、挑発、それに――わずかな期待を込めて、こう言っていた。 「帰る前に、〈後始末〉を手伝ってくれ」  三田村は表情を変えなかったが、即答もしなかった。和彦の真
last update最終更新日 : 2025-11-03
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第4話(8)

** すっかり不精が身につき、最近の和彦はバスローブをパジャマ代わりにして寝ている。寝返りを打っているうちにはだけて、脱げてしまうことが大半だが、広いベッドで手足を思いきり伸ばせる心地よさに裸という解放感も加わり、到底パジャマを着る気にはなれない。  もっとも、このベッドを選んだ相手は、和彦が一人寝で満足することにいい顔はしないだろう。  熟睡というほどではなく、だが目を開けられるほど意識が覚醒しているわけではない、非常に曖昧で、だが、いつまでもこの状態でいたくなるようなまどろみに、和彦はどっぷりと浸っていた。  そこに、さらに心地よさを与えるように髪に触れられた。まるで愛撫するように、髪の付け根から優しく、丁寧に。  体にかけたブランケットが除けられ、エアコンの柔らかな風が控えめに体を撫でていく。  ぼんやりとした意識ながら、さすがに和彦が異変を感じたとき、ベッドが微かに揺れて、和彦以外の誰かの重みも受け止めたことを知らせた。さらに、覆い被さられ、真上から覗き込まれている気配も感じる。  飛び起きて身構えても不思議ではない状況だが、そんな危機感は和彦の中では湧き起こらない。なんといってもこの部屋にはまだ、賢吾の〈忠実な番犬〉が留まっているはずだ。帰っていいと和彦が言っても、その和彦が眠るまで、自分の務めを果たすような男なのだ。だから、今もまだ――。  大きく温かな手に頬を撫でられ、指先で唇をくすぐられる。それから、半ば脱げかけたバスローブの前を完全に開かれていた。覆い被さっている〈誰か〉に、体のすべてを曝け出すことになる。  ゆっくりと押し寄せてこようとする羞恥や戸惑いより先に、相手は和彦にさらなる心地よさを与え始める。腹部から胸元にかけて、慰撫するようにてのひらを這わせてきたのだ。  違和感なく馴染む乾いた手の感触に、完全に警戒心を奪われる。それどころか和彦は、官能を刺激されていた。 「んっ……」  期待に凝っていた胸の突起をてのひらで擦り上げられ、思わず息を吐き出す。一瞬、手は止まりかけたが、すぐに何事もなかったように動き、指で軽く摘まみ上げられる。それどころか、熱い感触が胸元にかかったかと思うと、指で弄られていた
last update最終更新日 : 2025-11-03
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第4話(9)

 和彦が目を開けないとわかったのか、相手の行為がひたむきさと熱を帯びる。  左右の胸の突起を貪るように愛撫されながら、片足ずつ抱えられて左右に開かれる。当然のように大きな手は今度は、和彦の敏感なものを握り締めてきた。 「あっ、あっ……」  はっきりと声を上げ、片手で手繰り寄せたシーツを握り締める。和彦のものは緩やかに上下に扱かれていた。性急でも、焦らすわけでもなく、淡々と快感を送り込んでくるのだ。  最初は身を強張らせて耐えていた和彦だが、括れを強く擦り上げられる一方で、先端をくすぐるように撫でられる頃になると、腰が揺れるのを止められなくなっていた。 「くっ……う、い、ぃ――」  これは淫らな夢だと思い込めと、頭のどこかで声がした。そうすれば、どれだけ恥知らずな反応をしても、〈誰か〉に対して羞恥しなくて済む。それどころか相手は、和彦が乱れることを望んでいるはずだと、自分勝手な想像までしてしまう。  しかし、そう思わせるだけの真摯さが、与えられる愛撫にはあった。  激しさとは無縁の、穏やかで心地いい愛撫を絶えず与えられ、和彦は目を閉じたまま、次第に乱れ始める。  胸元や腹部、腿や膝に丁寧に唇が押し当てられ、熱い舌で舐め上げられる間に、和彦はすっかり、次にどの部分に愛撫が与えられるのか、待ちかねるようになっていた。  反り返り、悦びの涙で濡れそぼったものを軽く扱かれてから、両足を抱え上げられて、大きく左右に開かれる。このとき危うく、目を開けて、〈ある人物〉の名を呼びそうになったが、その前に、熱く濡れた舌に和彦のものは舐め上げられていた。 「うああっ」  抑えきれない声を上げて、和彦は仰け反る。歓喜に震えるものは、相手の口腔深くに含まれ、湿った粘膜に包まれながら吸引される。 「はっ……、あっ、あっ……」  括れを唇で締め付けられながら、一層歓喜のしずくを溢れさせる先端を舌で攻め立てられると、満足に息もできないほど、気持ちよかった。  何度となく賢吾と千尋と体を重ねているが、和彦は自分からこの愛撫を求めたことはない。感じすぎて乱れる自分を見られたくないからだ。裏を返せば、こうされるのが好きだ
last update最終更新日 : 2025-11-03
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第4話(10)

** 体を揺さぶられたとき、和彦の体を支配していたのは、心地いいけだるさだった。誰かにしっかりと包み込まれているようで、ひどく安心もできる。  持て余し気味の広いベッドの上で、こんな感覚を味わえるなんて、と吐息を洩らしたとき、一際激しく体を揺さぶられた。 「――……んせ……、先生」  和彦がやっと目を開けると、三田村が顔を覗き込んでいた。ぼんやりと見上げていたが、すぐに自分の痴態を思い出し、包まったブランケットの下で格好を確かめる。しっかりとバスローブを着込んでいた。まるで、たった今着せられたように。  それどころか、千尋に煽られたせいで体に留まっていた厄介な情欲の熱も、今はもう、溶けてしまったかのようになくなっている。  紐の結び目を指先でまさぐりながら、和彦はあくびを洩らす。 「なんだ……。まだ夜は明けてないだろ。というか、今何時だ」 「午前二時」  正気かと、三田村を軽く睨みつけた和彦だが、少し混乱していた。前髪に指を差し込み、ベッドに入ってから自分の身に起きたことを整理して考える。一方で三田村は、深夜だというのに、昼間と変わらない様子で淡々と言った。 「総和会から、至急の仕事が入った。どうしても先生に頼みたいそうだ」 「……お宅の組長は、総和会からの仕事はセーブすると言っていたぞ。それが、夜中から呼び出されるハメになるのか」 「総和会を構成する十一の組の一つに、昭政組がある。俺たちの認識としては、武闘派で有名なところだ。そこの組長が、総和会に泣きついたらしい。すぐに、美容外科医を連れてきてくれと」  和彦は息を吐き出すと、ブランケットを口元まで引き上げる。 「武闘派って、あれだろ。頭で考えるより先に、とりあえず暴れる人種……」 「本当のことだが、俺の前以外でそれは言わないでくれ。揉め事の火種になる。とにかく、そこの組長が騒いで大変らしい。総和会から、うちの組に連絡がいって、俺に回ってきた」  夜中に美容外科医が必要な事態とはなんだろうかと、頭の半分で考えながら、残りの半分では、さきほどのベッドの上での淫らな行為は、やけにリアルな夢だったのだろうかと考えていた。  
last update最終更新日 : 2025-11-04
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第4話(11)

** 途中で三田村と別れ、総和会の迎えの車に乗り換えた和彦が連れて行かれたのは、繁華街近くにある高級マンションだった。  さすがにこの時間ともなると、車の通りは乏しく、人の往来となると皆無に近い。車を降りた男たちの会話も、必然的に小声で交わされる。 「ここに、先生に診てもらいたい患者がいます。昭政組の組長である難波さんの、大事な知人です」  総和会に絡む仕事のとき、和彦が乗る車の運転を毎回担当している中嶋の言葉に頷く。 「必要な道具は至急用意させます。大掛かりな手術じゃない限り、ここから動きたくないという要望があったものですから、多少の不便はご勘弁ください」 「ぼくが我慢して済むならいいが、特別な器具が必要なら、そうも言ってられないと思うが……」 「それは、先生が見立ててから判断しましょう」  車中で会話を交わすことはほとんどないが、和彦を案内する総和会のこの男は、単なる運転手ではないようだった。和彦より少しだけ若く見え、物腰は丁寧ではあるが卑屈さはない。そして、若さに見合わない静かな迫力がありながら、粗野さはない。雰囲気としては、若いビジネスマンそのものだ。  総和会には、二種類の人間がいると聞いた。厄介者として放り込まれた人間と、使える人間として送り込まれた人間。おそらく、中嶋は後者だ。  昭政組の組員らしき男が玄関の前に出迎えとして立っており、スムーズにエントランスへと入ることができる。そこから部屋に上がるまで、会話はなかった。  この空気は苦手だと思いながら、和彦は首筋を撫でる。緊張感というより殺気立っており、ピリピリと神経を刺激してくる。  案内された部屋のリビングには、数人の男たちが待機していた。座っている男は一人だけで、全体に丸みを帯びた体を、寛いだ服で包んでいる。剣呑とした眼差しと、威嚇するような鋭い殺気を隠そうともしておらず、典型的な、和彦の嫌いなヤクザだ。  総和会の仕事を請け負うとき、出向いた先にいる人間の態度は、大抵は落ち着いた物腰で、表面的なものであったとしても和彦に対して紳士的に振る舞う。和彦の身柄を預かっている長嶺組の力のおかげだと思っていたが、どうやらこ
last update最終更新日 : 2025-11-04
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第4話(12)

「構いませんか?」  和彦は声をかけてからベッドの傍らに腰掛けると、女の顔から濡れタオルを除ける。一目見て、顔をしかめた。愛らしい顔立ちをした女の両瞼が腫れ上がり、満足に目も開けられないようだった。 「……こうなる原因に心当たりはありますか?」 「昨日まで、海外に行ってたんだ。行った先で、整形手術が安く簡単に受けられるといって、二重瞼の手術をしたそうだ。……バカが。そんなもの必要ないだろうに」  難波が女の頬を撫でてやり、女のほうが甘えたような声を出す。思わず和彦は視線を逸らしていた。ベッドに横たわっている女の立場が、男の自分と大差ないことに気づいたからだ。  組長に飼われた〈オンナ〉――。  夜中に叩き起こされた挙げ句、こんな形で自分の立場を見せつけられないといけないのかと思いながら、和彦は両瞼を診察する。 「技術的に問題があるところで手術されたようですね。このままの状態で放置しておくと、眼球が傷ついて、視力をどんどん落としますよ」 「どういうことだ?」 「瞼を二重にするなんて、ちょっと糸で縫うだけの簡単な手術だと思うかもしれませんが、技術の差が如実に出るんです。上手い医者だと、手術後もほとんど腫れない。これは……腫れるどころじゃない。縫った糸が、瞼の裏を突き抜けて眼球に触れている」  女が小さく悲鳴を上げ、難波の手にすがりつく。そんな女の華奢な肩を、難波は抱き寄せた。  舌の上に広がる苦いものをぐっと呑み込んでから、和彦は立ち上がる。中嶋に小声で話しかけた。 「どこか、手術が出来る場所はないか?」 「やはりここじゃダメですか」 「無理だ。一度、マンションの部屋で手術させられたが、腹の穴を塞ぐより、感染症のほうが怖くてヒヤヒヤした。この間の歯科クリニックだった場所は使えないのか? あそこはきれいにしてあったはずだ」 「……聞いてみます」  中嶋が部屋の隅に移動し、素早く携帯電話を取り出してどこかと連絡を取り始める。すぐに話は決まり、場所を移動して処置をすることになる。だが、難波の説得にはてこずった。  どうしてこの部屋ではダメなのだと言い始めたのだ。女のほうも、難波の言い分に乗る形で、動きた
last update最終更新日 : 2025-11-04
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第4話(13)

「普段生活している場所だと、どんな雑菌がいるかわからないんです。その雑菌が傷に入ったら、大変なことになりますよ。それに処置するにしても、もっと明るい照明が必要です。瞼を少し切って、糸をすべて取り除くことになりますから」 「それで、お前が上手くできるという保証はあるのか? もしかすると、もっとひどいことになることもあるんだろう。場所を変える云々も、自分の腕に自信がないからだろう。だいたい、こんな若い医者の言うことが信用できるか」  さてどうしたものかと、和彦は中嶋と顔を見合わせる。聞き分けの悪い患者の相手は慣れているが、クリニックの仕事とはわけが違う。組の事情などというものを背負わされているため、慎重にならざるをえない。何より、女の両瞼の状態は、このままにしておけない。本人もかなり痛いはずだ。  和彦が説明を再開しようとすると、難波が蔑んだような眼差しを向け、こう言い放った。 「――お前、男のくせに、長嶺組の組長のオンナらしいな。手術の腕より、男のものを咥え込むほうが上手くて、そっちの経験ばかり積んでるんじゃないか。だいたい、総和会に入ったのも、長嶺のごり押しで、医者としての経験は関係ないんだろ。総和会も、こんな人間を寄越すなんて、何を考えてるんだ」  和彦は一切の感情を表に出さなかった。全身の血が凍りついたようになり、反応できなかったのだ。おかげで、無様に動揺する姿を晒さなくて済んだともいえる。 「難波さん、それぐらいにしておいてください。総和会は、どうしてもという難波さんの頼みがあったから、佐伯先生に無理を聞いていただいたんです。それなのに佐伯先生は嫌だとおっしゃるなら、長嶺組さんだけでなく――、総和会の面子に泥を塗る行為だと判断せざるをえませんよ」  こういう場面で、まだ若い中嶋の冷ややかさと皮肉の混じった口調は痛烈だ。言葉によって、難波の顔をしたたか打ち据えたのだ。  憎々しげに睨みつける難波と、それを涼しげな顔で受け止める中嶋との間に、和彦は割って入る。 「この場は、組長さんの感情の問題よりも、まずは彼女の痛みを和らげることを優先しましょう。若くてきれいなお嬢さんの顔に、取り返しのつかない傷は残したくありません。処置は早ければ早いほどいいし、より最善の環境を整えら
last update最終更新日 : 2025-11-04
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