Home / BL / 血と束縛と / Chapter 91 - Chapter 100

All Chapters of 血と束縛と: Chapter 91 - Chapter 100

242 Chapters

第3話(31)

**** 千尋は今日も元気だ――。  犬っころのように目を輝かせ、落ち着きなく食器売り場を行き来するため、いつか食器を割るのではないかと見ているこっちがハラハラする。  実家に戻ってから、明らかに身につけるものの質が上がった千尋が今穿いているのは、あるブランドもののジーンズだ。スタイルがいい千尋にはよく似合っており、足元のレザースニーカーの組み合わせも様になっている。ラフに着ているTシャツも、きっと数万円はするのだろう。  おかげで、一見して育ちのいい好青年ぶりに拍車がかかり、デパートを歩き回っていると、特に目につく女性客から注目を浴びる。しかし当の千尋に自覚はないらしく、何かあるたびに嬉しそうに目を輝かせ、和彦を手招きする。 「――……躾のなってない元気な犬っころを散歩させている気分だ ……」  和彦がため息交じりにぼやくと、荷物持ちに徹している三田村が応じた。 「そのわりには、楽しそうだ」  和彦は振り返り、ニヤリと笑いかける。 「金を気にしなくていい買い物は好きだ」  なるほど、と言いたげに無表情で三田村は頷く。賢吾からカードを預かっている三田村は、和彦の買い物に関しての支払いをすべて担当している。和彦としては、ヤクザに物を買ってもらうことに抵抗がないわけではないのだが、さすがにクリニック用のテナントを用意してもらうと、その感覚が壊れ始めていくのを自覚していた。  それに今日の買い物は、千尋のわがままにつき合っているという大義名分があった。  ようやく和彦の新しい部屋にやってきた千尋は、さんざん寛いで一泊したあと、今日になって、食器を買いに行こうと言い出した。基本的に食事は外で済ませている和彦は、家に滅多に客を呼ばないこともあり、所有している食器は乏しい。それが、長居する気満々の千尋にとっては不満らしい。 『これからはたくさん客も来るんだから、コーヒーカップやグラスもいいの用意しないと』  十歳も年下の千尋にもっともらしい顔で説教までされてしまったので、必要ないとも言えない。それに、客がやってくるというのは本当だ。クリニック開業までに、打ち合わせのためにさまざまな
last updateLast Updated : 2025-10-31
Read more

第3話(32)

 千尋の相手をしながら和彦は、さりげなく視界の隅で三田村を捉えていた。 〈あのこと〉があってからも、三田村とは毎日顔を合わせて、言葉を交わしている。しかし、互いに何も匂わせない。まるで、最初から特別なことなどなかったように。だが空気でわかるのだ。そう装っているだけで、常に意識しているのだと。  ようやく千尋専用の食器や調理器具を買い込み、三田村の片手だけでは足りず、千尋が両手で荷物を持つことになる。三田村が右手を自由にしておきたい理由は――。 「拳銃を持ち歩いているのか?」  地下の食品売り場で、千尋が気に入っているというパンを選んでいるのを待つ間に、小声で和彦が尋ねると、三田村は微苦笑を浮かべる。 「俺を銃刀法違反で逮捕させたいのか」 「ということは、刃物もなしか」 「先生や千尋さんに何かあるときは、俺が体を張る。だからこうしてついているんだ」 「……千尋はともかく、ぼくに何かあるとも思えないが――」  ふいに三田村の手が肩にかかってドキリとする。さりげない動作で体の位置を移動させられ、数人のグループとぶつかりそうになるところを、寸前で躱せた。  驚いて目を丸くする和彦に、三田村は表情も変えずこう言った。 「こういうことでも役に立つつもりだ。先生の身に何かあったら大変だ」  スッと手が離れたが、和彦の肩には、三田村の手の感触がしっかりと残る。 「お待たせっ」  千尋が袋を手に駆け寄ってきたので、まだ何も持たせてもらっていない和彦は、パンが入った袋を取り上げる。どうせ他の荷物を持とうとしても、千尋と三田村に拒まれるのだ。  それから三人は駐車場に移動し、三田村が食器以外の荷物をトランクに詰め込む間に、和彦と千尋は後部座席に乗り込む。 「このあと、オヤジも合流して、三人で晩メシ食うことになってるんだよね?」 「そういう連絡が、三田村さんに入ったみたいだな」 「オヤジがいると、護衛が物々しいんだよなー」 「仕方ないだろ、お前も組長も、そういう立場なんだから」  ここで千尋が、唐突に意味深な笑みを浮かべた。 「……なんだ?」 「他人事みたいに言ってる
last updateLast Updated : 2025-11-01
Read more

第3話(33)

「――……なんかいろいろと、大変そうだ。しがらみとか、つき合いとか」 「先生は、そういうの考えないで、医者としての仕事をしてればいいよ。……一番大事なのは、俺とオヤジの、オンナとしての仕事だけど」  一見好青年のような外見で、さらりとこんなことを言えるのが、千尋だ。  和彦が見つめる先で千尋は、今自分が物騒なことを言ったという自覚もない様子で、パンの袋を開けて顔を突っ込んでいる。和彦はちらりと笑って千尋の頭を撫でてやった。 「まだ食べるなよ。肝心の晩メシが入らなくなるぞ」 「……先生、俺のお袋みたい」  千尋の言葉に、和彦は容赦なく千尋の頬を抓り上げてやった。  夕食のあと店を移動し、勧められるままアルコールを飲んだ和彦はしたたか酔ってしまい、歩く足取りがあまりに危ないからと、千尋に体を支えられる事態になっていた。 「悪酔いした……」  エレベーターに乗り込んだところでぼそりと和彦は洩らす。 「珍しいよね、先生がこんなに酔うなんて。けっこう飲んでも、平然としてたと思うんだけど」 「……いい酒を飲ませてもらったけど、面子が悪すぎた。そのせいだろうな」  和彦の言葉に、千尋はきょとんとした顔をする。すると、和彦の反対隣から低い笑い声が聞こえてきた。思わず鋭い視線を向けた先では、賢吾が上機嫌といった様子を見せている。和彦以上に飲んでいたくせに、一切酔いはうかがわせない。千尋の酒豪っぷりは、間違いなく父親譲りだ。 「まあ、俺と飲むなら、それは諦めるんだな」  そう言いながらさりげなく賢吾の手が腰に回され、さらに下がって尻を撫でられた。エレベーター内が、自分の身内と護衛しかいないせいで、やりたい放題だ。一般人も乗っていたのだが、扉が開いてこの顔ぶれを見た途端、顔を背けて逃げるように降りてしまった。  さきほどまで飲んでいたバーでも、一応、和彦とこの父子の三人で飲んでいたのだが、周囲のテーブルをがっちりと長嶺組の護衛が囲んでしまい、気楽にアルコールを楽しめる雰囲気ではなかった。  エレベーターを降り、さりげなく周囲をガードされながら駐車場へと向かう。夜とはいっても、この辺りはまだにぎやかだ。ホテルを
last updateLast Updated : 2025-11-01
Read more

第3話(34)

 似合わないことを語るヤクザの組長と、思いきり顔をしかめているその息子を交互に見てから、たまらず和彦は噴き出す。肩を震わせて笑っていた。 「……本当に酔ってるな、先生。こんなに楽しそうに笑えるなんて、初めて知った」  賢吾がしみじみと洩らした言葉に対して、千尋が余計な茶々を入れた。 「俺なんて、先生と何回もバカ笑いし合ってるぜ。やっぱり先生の感性は、おっさんより、若者と一緒にいるほうが合ってるんだよ」 「はいはい、子守りしてもらってよかったな」  同じレベルでやり合っている父子は放って、和彦はふらつきながらも先を歩き、駐車場に停められた一台の車に近づく。有能な〈番犬〉は、和彦や長嶺父子の姿を認めてから車を降りるようなマネはしない。  ずっとそうしているかのように、三田村は車の傍らに静かに佇んでいた。三田村だけは、どの店にも同行せず、こうして車で待機していたのだ。車の周囲に、いつ、誰が潜むかもわからない、ということだが、和彦にしてみればなんとも寂しいことだと思う。  もっとも、三田村が同行していたところで、影のように黙って付き従っているだけなのだろうが――。  言葉を交わさずとも、三田村がスマートな動作で後部座席のドアを開ける。和彦は父子を振り返ると、軽く手をあげた。 「今夜はご馳走さま。それじゃあ、ぼくはこれで」  そう言って車に乗り込み、ドアを閉めてもらう。和彦はほっと息を吐き出し、アルコールで熱くなった頬をてのひらで擦る。さきほどは悪酔いしたなどと言ったが、本当は気分はよかった。  何日か前まで、底が見えない憂鬱な気持ちに苛まれていたのがウソみたいだが、この気分のよさも一過性だろうなと和彦にはわかっている。日によって、どうしようもない自分の現状を痛感して打ちひしがれ、別の日には、それでも生きていくのだからと、妙に前向きな気持ちになるのだ。  したたかになるとは、この日々と上手く折り合いをつけていくことでもあるのかもしれない。  アルコール臭いため息をついて、和彦がシートに深くもたれかかろうとしたそのとき、急に後部座席の左右のドアが開き、同時に人が乗り込んできた。 「なっ……」  ついさきほど別れたはずの賢吾と
last updateLast Updated : 2025-11-01
Read more

第3話(35)

「――……いらない」  和彦が身構えながら答えると、さきほどの仕返しとばかりに千尋が爆笑する。一方の賢吾も、怒った様子もなく苦笑を洩らした。 「まあ、そう言うな」  賢吾の大きな手が後頭部にかかり、引き寄せられる。間近からじっと目を覗き込まれ、さすがに和彦も息を呑んだ。  賢吾の目には、大蛇が潜んでいる。普段はじっと身を潜め、大抵のことには身じろぎもしないが、それが何かの拍子にぞろりと蠢き、巨体をしならせる。たったそれだけで、小さな生き物は簡単に吹っ飛び、もしくは押し潰される。和彦もそれは例外ではない。 「――今回は、よく耐えた」  ふいに言われた言葉に、眉をひそめる。 「何?」 「総和会のことだ。あと、うちの組とのことも。いざとなれば、お前の片手を掴んで、無理やりにでも加入書は書かせるつもりだったが、それは最後の手段だ。できることなら、暴力込みでのお前に対する無理強いは、拉致したときのあの一度きりにしたかったからな」  うなじを指で撫でられながら、賢吾に優しく唇を吸われる。すると千尋には片手を取られ、指に唇が押し当てられた。和彦が思わず千尋のほうを見ると、犬っころのように目を輝かせて無邪気に笑いかけてくるので、つい千尋の頬を撫でてやる。すると今度は、千尋が顔を寄せてきて、柔らかく二度、三度と唇を触れ合わせていた。 「……先生は本当に、うちのバカ息子には甘いな」  からかうようにそう言って、賢吾の顔が首筋に寄せられる。熱い舌で首筋を舐められて、背筋にゾクリとするような疼きが駆け抜けた。  和彦は、千尋と額を合わせながら言った。 「あんたみたいなヤクザに目をつけられたのは、千尋が原因だと思っている。当の千尋も、自分をヤクザだと言い出すし……。だけど、この状況から抜け出さないのは、自分が原因だ。いざとなれば警察に駆け込めばいいのに、ぼくはそうしていない。あんたたちに報復されるのが怖いというのもあるが――、結局、自分の問題だ」 「そういう結論を出せるんだから、見た目より、さらに男前だよね、先生」  そう言って千尋が笑い、和彦の唇に掠めるようなキスをしてくる。 「今の生活に息が詰まって、頭がどうにかなりそうなこ
last updateLast Updated : 2025-11-01
Read more

第3話(36)

「いいよ、なんだって。先生が、こうして俺の側にいてくれるなら」 「〈俺〉じゃない、〈俺たち〉だ」  賢吾にあごを掴み寄せられ、また唇を吸われる。和彦は賢吾の頬をてのひらで撫でると、そっと唇を吸い返していた。満足そうに賢吾が目を細めて言った。 「――ヤクザの扱いに慣れてきたな、先生」  内心で和彦はドキリとする。したたかになると決めた和彦は、自分の立ち位置を探り始めていた。決してこの父子に媚びないが、決定的な反抗はしない。今の和彦の話は、ウソではないが、すべて本当とはいえなかった。  ヤクザにさまざまなものを与えられながら、従うことを求められている和彦の感情は、そう簡単なものではない。  千尋はともかく、賢吾はそんな和彦の内心を汲み取っているようだった。だが、完全な恭順までは求めてこない。その理由は――。 「根っからのヤクザじゃない先生に、俺たちの組織や考え方に心酔しろってのは無理な話だからな。だったら、損得の話で従わせるほうがいい。こちらが与え続ける限り、裏切られることも、離れることもない」  賢吾の指に頬をくすぐられ、求められるままにしっとりと唇を重ね、吸い合う。その合間に囁かれた。 「欲しいものがあったら、なんでも言え。金や、俺の力で手に入るものなら、なんでも与えてやる」  大蛇を潜ませた目は本気で言っていた。つまり、それ相応のものを和彦にも求めるということだ。 「……オヤジばかりズルイだろ。先生は、俺のものでもあるんだ」  そう言って千尋に頭を引き寄せられ、唇を貪られる。賢吾の息遣いをうなじに感じたときには、そっと唇が押し当てられ、喉元に手をかけられて撫で上げられる。縊り殺されそうだという危惧は、一方で甘美でもある。  千尋と舌を触れ合わせながら、賢吾にはうなじを柔らかく吸われていた。 「――ヤクザなりに、先生のことは大事にしてるんだぜ。ガサツな男が揃って、色男のお前の機嫌を取ろうとしてる。そう考えたら、滑稽だろ? だが、本当だ」  あごを掬い上げられて振り向かされると、すかさず賢吾の舌に唇を割り開かれ、和彦は熱い吐息を洩らして受け入れていた。首筋に、今度は千尋の唇と舌が這わされ、和彦は賢吾とゆったりと舌を
last updateLast Updated : 2025-11-01
Read more

第3話(37)

 和彦自身がそうだから、わかっている。だが、それでも――。  粗末に扱われるぐらいなら、永遠に続くものではないとしても、やはり大事にされるほうがいい。  この考えが、いつか和彦自身を傷つけることになるとしても。  賢吾にきつく抱き締められ、千尋には甘えられるまま抱き締めてやり、長い別れの挨拶を終える。  どうせ明日には、どちらかとまた顔を合わせるのだが。** 「――さっきのやり取り、どう思った?」  対向車線を走る車の流れをぼんやりと眺めていた和彦だが、ふと思い立って三田村に問いかける。運転に集中しているのか、三田村はすぐには返事をせず、それを和彦は辛抱強く待つ。 「……さっきのやり取りって、組長と千尋さんとのことか?」  ようやく応じた三田村に、バックミラーを通して目を合わせ、頷く。 「どう答えてほしいんだ」 「ぼくがそれを言ったら、わざわざあんたに聞いた意味がないだろ」  ここで一分ほど沈黙が続き、やっと三田村はまた口を開いた。 「先生が、そういうことを俺に聞くのは初めてだ」 「やっぱり気になるだろ。あんたの大事な組長や、オマケのその息子が、男のぼくをちやほやしているんだ。内心で、男のくせにと罵倒しているのか、今だけのことだとバカにしているのか、それとも……まったくの無関心なのか。この先、長いのか短いのかわからないが、あんたには、ぼくの番犬も務めてもらわないといけない。相互理解は大事だ」  もっともらしいことを言っているが、これは和彦の好奇心だ。これまで三田村は、番犬であり観察者だった。それだけだったともいえる。賢吾や千尋とのどんな行為を目にしても、三田村は目を逸らさないし、感情を表にも出さなかった。  だがこの何日か、和彦と三田村の間には、なんらかの繋がりが芽生え始めていた。それに伴い、特別な感情も。  カラオケボックスで抱き締められたとき、三田村がただ見ているだけの無感情な男ではないと知り、自分たちの行為を賢吾に報告しなかったことで、通じ合うものを感じた。決定的だったのは、三田村が生身の手で、和彦の体に触れてきたことだ。  賢吾の忠実な番犬であるはずの男
last updateLast Updated : 2025-11-02
Read more

第4話(1)

 窓を開けると、川を渡ってくる風がすうっと室内に流れ込んでくる。まだ何もない部屋を風が駆け抜け、空気を入れ替える。もっとも、室温はそんなに変わらないだろう。  梅雨明けはまだだというのに、盛夏のような暑さが連日続いており、外の陽射しは強い。たっぷりの熱気を孕んだ風は、ほんの一瞬の爽やかさのあと、ムッとする暑さを運んできた。 「……エアコンの取り付け工事を急がせましょうかね」  背後から声をかけられ、髪を掻き上げて和彦は振り返る。クリニックの内装を任せている設計士だ。今日は工事の具体的な打ち合わせのため、施工業者とともにビルに集まっていた。  ハンカチで忙しく汗を拭く設計士の姿に、苦笑を浮かべて和彦は頷く。 「そうですね。このフロアは空調の操作が面倒なことになってるらしくて。改装工事のときに、なんとかしてもらおうと思っていたんですよ」 「でしたら、どういうユニットにするか、今日決めてしまいましょう。カタログは持ってきているんで」  お願いしますと言って和彦は、診察室となる部屋を見回す。この部屋と、隣の部屋を区切る壁は取り払うことになっている。  これまで何度かの打ち合わせは行っており、すでにクリニックとしてのレイアウトは決まっている。現在は、設計図を元に具体的な工程表を作成してもらっている最中だ。今の調子なら、梅雨明けを待たずして工事に取り掛かれるだろう。  工事に入れば入ったで、一応の施工主である和彦は、作業の確認のために頻繁にここを訪れなければならない。そのため、医療機器や備品の選定も急いだのだ。  体が一つしかないのに、和彦が負わされた役目は多すぎて、毎日目が回るような忙しさだ。  ストレス解消にジム通いを再開したいと考えていると、開けたままのドアをノックする音がした。ハッとしてそちらを見ると、いつからそこにいたのか、薄い笑みを浮かべた賢吾が立っていた。 「様子を見に来た。順調か?」  賢吾の問いかけに、和彦ではなく、恐縮した様子で設計士が頭を下げて答える。この設計士を紹介してくれたのは、長嶺組なのだ。  設計士から説明を聞いている賢吾を、和彦はその場に立ち尽くしたまま眺める。  さすがに暑くなってくると、賢
last updateLast Updated : 2025-11-02
Read more

第4話(2)

 また指で呼ばれ、和彦は賢吾のあとについていく。工事後は待合室となるホールでは、施工業者の人間が集まって持ち込む機材について話し合っている。その様子を一瞥した賢吾は、奥の部屋へと向かう。 「……護衛の人間は?」  ホールを見て、賢吾が一人でこのフロアにやってきたのは確認した。 「物騒なツラした人間を、一般の業者がいる場所に連れてくるわけにはいかないだろ。設計士は前からの馴染みだが、業者のほうはそうじゃないんだ。クリニックを始める前に、妙な噂は立てたくない」 「自分は物騒なツラじゃない、と言いたいんだな」  皮肉でもなんでもなく、思ったままを口にした和彦を、賢吾が肩越しに振り返る。澄ました顔で言われた。 「俺は、紳士だろ?」  見た目だけ、と和彦は心の中で答えておく。  さほど広くない奥の部屋に入ってドアを閉めた途端、賢吾に腕を掴まれて壁に押し付けられ、あごを掴み上げられた。 「……あまり強く掴まれると、跡がつく」  和彦がこう言うと、あごから指は退けられたが、首筋に顔が埋められた。 「お前の汗の匂いだ」  賢吾に低く囁かれてから、ベロリと首筋を舐め上げられ、咄嗟に唇を引き結ぶ。柔らかく肌を吸い上げられ、耳朶を唇で挟まれると、とっくに慣らされた体の奥から疼きが湧き起こる。  大胆にTシャツをたくし上げられると、脇腹から胸元へと汗ばんだ肌を撫でられる。もう一方の手は両足の中心へと這わされ、ジーンズの上からゆっくりと押し上げてきた。 「んっ……」 「先生、少し痩せたな」  指で擦られ、簡単に硬く凝った胸の突起を、身を屈めた賢吾が舌先でくすぐってくる。和彦は賢吾の肩に手を置き、微かに震えを帯びた吐息を吐き出す。 「俺は、あまり細いのは好みじゃない。男でも、女でも。――初めてお前を抱いたときの体が理想的だった。適度に筋肉がついて、多少無茶をしても壊れそうにないぐらいしなやかだった」  賢吾の熱い口腔に突起を含まれ、和彦は小さく声を洩らす。こんなことをするために、わざわざやってきたのかと罵倒する気力も失せていた。悪いか、と一言で返されるのは目に見えている。  執拗に片方の突起だけを愛撫
last updateLast Updated : 2025-11-02
Read more

第4話(3)

「佐伯先生、ちょっとご相談したいことがあるんですが、かまいませんか?」  素早く頭を引いた和彦は、即座に答える。 「はいっ、今行きますっ」  ヤクザの組長という肩書きに似つかわしくなく、賢吾が大仰に顔をしかめる。和彦はたくし上げられていたTシャツを下ろしてから、苦笑しながらも賢吾の腕の中から抜け出そうとしたが、反対にきつく抱き締められた。  抗議の声を上げる前に、賢吾に耳元で囁かれる。 「――千尋が、先生が相手してくれないと拗ねてたぞ。あと、長嶺組の組長も」 「長嶺組の組長って、あんたのことじゃないか……」 「そうだ」  唇の端にキスされ、そのまましっとりと唇を重ね、和彦は賢吾の口腔に舌を差し込む。舌を甘噛みされて小さく声を洩らすと、そのまま性急に絡め合っていた。 「どんどんヤクザの扱いが上手くなってきてるな、先生。今のキスなんて、俺の好みそのものだ」 「……そうなるよう、仕込んだのはあんただ」  賢吾の太い指に、唾液で塗れた唇を拭われた。さりげなく片腕で腰を抱き寄せられそうになったが、また何をされるかわかったものではないので、和彦は露骨に逃げる。 「あんたが、自分のペースで物事を進めるから、おかげでこっちは忙しいんだ。少しぐらい時間が取れなくても、我慢してくれ――と、千尋に言っておいてくれ」 「俺の相手をして、すぐに千尋にバトンタッチしたら、そう時間も取らないだろ。何もベッドの上だけでできることでもないんだから」  本気で言っているから、このヤクザは性質が悪い。和彦はキッと鋭い視線を向けた。 「この間みたいなことを二人続けてされたら、ぼくが壊れる」 「この間……。あれか、立ったまま、三田村に掴まって――」 「それ以上言うなっ」  焦った和彦が声を荒らげると、おもしろがるような表情で賢吾があごに手をやる。睨まれているわけでもないのに凄みを感じさせる目に、心に隠したものをすべて暴かれそうで、和彦はスッと視線を逸らした。 「とにかく、こっちは忙しい。ぼくをどうこうしたかったら、そっちでスケジュールをどうにかしてくれ。どうせぼくは、あんたたちの所有物なんだから」 「そう
last updateLast Updated : 2025-11-02
Read more
PREV
1
...
89101112
...
25
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status