**** クリニックが休みの土曜日、いつもより一時間ほど遅い時間に起きた和彦は、パジャマの上からカーディガンを羽織った姿でキッチンに立っていた。 コーヒーを淹れ、パンを焼くついでに、目玉焼きぐらい作ろうかと、冷蔵庫を開ける。ハムかベーコンでも残っていればと思ったが、どうやら甘かったようだ。せっかくなので、あとで食料を買いに出ることにした。「今日は一人で、ゆっくり過ごすからな……」 誰かに聞かせるわけでもないが、本日の目標めいたものを口にする。 たまには、自分のペースで過ごせる休日があってもいいだろうと、いつになく強く願うのは、ここ最近の慌ただしさのせいだ。他人に振り回されるのは、今の環境にあっては仕方ないと半ば許容している和彦だが、中には不本意なことがある。 現実逃避だとしても、一日、二日ぐらい、気が滅入るような悩み事を頭から追い払いたくもなるのだ。 温めたフライパンに卵を落とし入れ、皿などを準備していると、玄関のほうから物音がする。耳を澄まし、落ち着いた足音が近づいてくるのを確認して、誰だろうと考えるまでもなかった。「――いい匂いがしているな、先生」 皮肉なのか本気なのか、忌々しいほど魅力的なバリトンによる開口一番の言葉に、和彦は背を向けたまま応じる。「パンを焼いて、目玉焼きを作っているだけで、大げさな」「残念だ。俺は朝メシは食ってきた」「……誰も、あんたの分もあるとは言ってないだろう……」 和彦は呆れながら振り返り、すぐに目を丸くする。スーツ姿だとばかり思っていた賢吾が、濃いグレーのタートルネックを着ており、その上からラフにチェスターコートを羽織っているのだ。革手袋をスマートに外す姿に、悔しいが少しだけ見惚れてしまった。 すっかり、肩書き込みで長嶺賢吾という男を見てしまうことが自然になっていたが、何もなくても、そこに立っているだけで、極上の男なのだと思い知らされる。とんでもない状況で初めて賢吾と出会ったときも、外見と雰囲気に自分が圧倒されたことを和彦は思い出
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