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All Chapters of 血と束縛と: Chapter 1791 - Chapter 1800

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第49話(12)

**** 和泉家の屋敷での家族揃っての朝食は、ひたすら静かなものだった。和彦は昆布入りのおにぎりを黙々と食べる。正面に座る俊哉は一見いつも通りに見えるが、少し離れた席につく綾香のほうは違う。憔悴しきった様子で、食欲がないのか味噌汁を一口、二口啜っただけで、箸はとまったままだ。 和彦は、昨夜はほとんど夕食が喉を通らなかったが、現金なもので今朝は、大皿にのる大量のおにぎりを見た途端に空腹を自覚した。他の器にはきんぴらごぼうや、牛肉のしぐれ煮、小松菜の卵炒め、ポテトサラダといった総菜が盛られており、好きなものを自分で取り分ける形式になっている。夕方からの通夜の準備で朝から慌ただしくしているため、手が空いている人から朝食をとるよう言われていた。今のところ食堂には和彦たち家族三人の姿しかない。 だからといって家族だけの会話があるわけではなく、俊哉は持ち込んだスマートフォンが点滅するたびに確認している。忙しい身ながら、少なくとも二泊する予定を立てる程度には、和泉家を尊重しているとも言える。 気を使い続けると沈黙したままになるため、和彦はおずおずと口を開く。「……父さん、兄さんから連絡は……?」「夜中にあった。やはり、仕事で身動きが取れないそうだ。子供じゃないんだ。来られるなら来る。無理なら来ない。それぐらい自分で判断するだろう」 俊哉ですらこちらに来ている中、英俊はもしかすると自分と顔を合わせたくないのだろうかと、ふと和彦は考える。わずかながら罪悪感を覚えなくもないが、たった今俊哉から言われたように、判断するのは英俊だ。 食堂の窓の外で、葬儀会社のスタッフたちが慌ただしく何かを運び込んでいる姿がちらちらと映る。通夜はこの屋敷で、葬儀は近所にある和泉家の菩提寺で執り行うことになっている。年明けに、和彦が紗香の墓参りのため訪ねた寺だ。生前の正時の希望だそうだ。 ガタッとイスを引く音がする。振り返ると、綾香が立ち上がったところだった。「少し……、部屋で休むわね。昨夜は全然眠れなくて」「…&hellip
last updateLast Updated : 2026-10-06
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第49話(13)

「まあ、総子さんが出入りを許しているのなら、わたしがとやかく言う権利はないな」 俊哉はスマートフォンにちらりと視線を落としてから、とうとう電源を切ってしまう。目頭を押さえる姿を見て、和彦は声をかけずにはいられなかった。「父さんも少し休んだら。おばあ様の側にはぼくがついているから」「そうだな。お前と総子さんは、相性がいい」 なんと応じればいいかわからず、三人分の食器を洗い場に運ぶ。 一人になった和彦は、ひとまず総子に挨拶をしておこうと広間に行ってみる。思ったとおり、総子は正時の側にいた。「朝食は食べましたか?」 控えめに室内を覗く和彦に気づいて、総子がそう問いかけてくる。頷いてから、総子の傍らに腰を下ろす。「父さんと母さんは、少し休むそうです。昨夜は眠れなかったようなので」「夜、何度か様子を見に来てくれたんですよ。仕事を終えてこちらに移動するだけでも大変だったでしょうに。――でもおかげで、俊哉さんとはいろいろと話すことができました」 視線を伏せ気味だった総子が、ふっと襖のほうに目をやってから声を潜めた。「あなたが預かってきた香典だけど、後日、あなた宛てに香典返しと礼状を送ります。それをあなたから、〈あちら〉に渡してもらえますか? ただし、わたしの名は記しません。礼儀知らずな行為になりますけど、事情は汲んでもらえると思っています」 長嶺組と総和会と直接和泉家が繋がったという証を残す危険性を言っているのだ。それぞれ大きな組織を背負う父子が迂闊なことをするはずもないと信じたいが、全面的に信用するわけにはいかない総子の立場もよくわかる。礼状を送ることが精一杯の誠意なのだろう。「ぼくからきちんと説明しておきます。……大変なときに、おばあ様には面倒をかけてしまって――」「こんなの面倒のうちに入りませんよ」 そう言ってようやく総子が笑みを浮かべる。すぐにでも消えてしまいそうな儚い表情であっても、和彦には救いになる。正時を亡くしたばかりであっても、総子は決して絶望はしていないのだと。** 午後になってから湯灌と納棺
last updateLast Updated : 2026-10-06
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第49話(14)

「できれば朝から来たかったんだけど、午前中は診療所を開けていてね。案の定診察が長引いて、こんな時間になってしまった」 賀谷の横顔には強い疲労感が漂っている。そこに悲しみも加わっているのは、腫れた両瞼が物語っている。「――……この階段は、和泉家の人しか使わない秘密通路みたいなものでね。下りた先に、正時さんの趣味の道具を仕舞ってある小屋がある。屋敷に持ち込まないのは、総子さんに見つかって小言を言われるのが嫌だって……。けっこう子供みたいなところがあったんだ。まあ、総子さんは全部知ってたんだけどね」「どんな趣味なんですか」「釣りだよ。川釣り。子供の頃から川遊びが好きだったらしい。ときどきぼくも連れて行ってもらってね。残念ながら、正時さんの指導のわりに、ぼくは全然上手くならなかったんだけど」 よく釣りの話をしていたという小屋で、賀谷はひっそりと思い出に浸っていたのだろう。 少しの間、二人の間に沈黙が流れる。それは息が詰まるような重苦しいものではなく、ただなんとなく、互いの存在を空気のように受け入れる自然なものだった。和彦は特別な感情を込めて、改めて賀谷の横顔に視線を向ける。「あの――」「前に君が打ち明けてくれただろう、〈これから〉のことを」 鷹津とログハウスで生活していたときのことだ。和彦は電話で賀谷にある相談をしていた。「君は可能性の一つとして言っていたけど、ぼくはずっと悩んでいたんだ。いままで返事をしなかったことで察しているけど思うけど」「……自分でも、迷惑を顧みないことを言ってしまったと思います。だから、忘れてもらっていたほうが……」「正時さんを看取りながら、ぼくは君のことを考えていた。――独身だったぼくには、父を亡くしてから身内と呼べる人がいなくてね。前にも言ったけど、そんな中、ずっとよくしてくれたのが正時さんと総子さんのご夫妻だ。……紗香さんのこともあるのに、本当によくしてくれた」 総子もずいぶん賀谷を頼りにしているようだったので、この言葉にうそはないとわかる。
last updateLast Updated : 2026-10-07
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第49話(15)

「ぼくは一介の医者だ。立派な家柄でもなく、家族が増えたところで軋轢を生む人間関係もない。何もないからこそ、都合がいい。君にとって」 打算的だと賀谷は責めない。電話で打ち明けたときも同じ態度だった。「ずいぶん前に、総子さんから言われたことがあるんだ。うちの養子に入らないかって。そのときなんとなく感じたよ。将来的にご夫妻は、和泉家に君を迎え入れるつもりなのかもしれないと。たった一人男孫が同じ姓を名乗ってくれるだけで、ずいぶん心強くなる。総子さんは特に今は、君を気にかけているだろうしね」「……どうして断ったんですか。養子のこと」「ぼくは自分の姓にこだわりはなかったんだ。だけど紗香さんと出かけたとき、何かで記帳する機会があってね。そのとき嬉しそうに、〈賀谷紗香〉と書いてくれたんだ。だから、かな。彼女はもういないけど、心の拠り所を残しておきたかった。ぼくにとっても、紗香さんにとっても。結果として、君の力になれるんなら、うん、ぼくの選択は間違ってないはずだ」 賀谷からもっと実母との思い出を聞いてみたかった。同じぐらい、正時や総子との思い出も。「総子さんは、生き抜くための武器を君に与えると言っていた。ぼくの場合は、武器というには頼りないけど、いざというとき君が取れる手段の一つになれれば嬉しい。――紗香さんのようにはならないでくれ。これが、ぼくが〈息子〉に望むたった一つのことだ」 もう行こうかと賀谷に促され、和彦は立ち上がる。先に階段を上がる賀谷の後ろ姿を特別な感慨をもって見つめていた。 これが父の背かと心の中で呟きながら。**** 滞りなく正時の葬儀を終えると、その日のうちに俊哉は慌ただしく帰っていった。消沈と気忙しさから和彦は、俊哉とゆっくりと話せる時間が最後まで持てなかったが、心の半分では安堵もしていた。何もかも見透かしてしまいそうな俊哉と対峙するのは、正直当分は避けたい。 一方の綾香は、せめて初七日を終えるまでは正時の側にいたいと、屋敷に滞在することにしたそうだ。できることなら和彦も付き添いたかったが、連休明けのクリニック再開の準備がある。葬儀の翌日、総子
last updateLast Updated : 2026-10-07
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第49話(16)

 少し離れた位置に長嶺組の組員たちがいて、目が合い軽く会釈を交わす。「わざわざ来てくれたのか……」 歩み寄った和彦の手から、当然のように荷物を受け取りながら、千尋が澄ました顔で頷く。「当然。ちょうど夕方から俺の予定が空いててよかったよ」 和泉家を出発する前に、何時の列車に乗るか知らせておいたが、和彦としては迎えを期待してのものではなく、一人でタクシーで帰るつもりだったのだ。 長嶺の男の過保護ぶりをいまさらながら噛み締めている間に、千尋から組員へと、荷物は渡っていく。「……ずいぶん疲れた顔してる。大丈夫?」「さすがに堪えた……。だけど、平気だ」 とにかくここから移動しようと、千尋の手がそっと背にかかる。待機していた長嶺組の車に乗り込んだとき、思わず和彦は吐息を洩らしていた。だらしなくシートに体を預けていたが、ハッと我に返って姿勢を正す。何事かと、千尋が目を丸くした。「和彦?」「あの……、今回は、ぼくだけじゃなく、祖父母のことまで気遣ってもらって、ありがとう。もちろんあとで、組長や会長にもお礼を――」「和彦は、俺たちの身内。香典を渡すぐらい当然でしょ。なんか、まったく繋がりがないわけでもなかったようだし。和彦のお母さんの実家と、長嶺の家って。じいちゃんもオヤジも意味ありげな様子だけど、俺には教えてくれないんだよなー。上の世代だけで秘匿しておきたいってことなんだろうけど」 口惜しそうに少し唇を尖らせた千尋だが、本気で探りたいわけではないようで、すぐに表情を改めて和彦にこう言った。「とにかく気にしなくていいよ。じいちゃんとオヤジは、きちんと義理が果たせたことに満足してるんだから」 頷いてはおいたが、あとで二人に帰着の報告をしておかなければならない。ずいぶん気をつかってもらったというのは、和泉家に滞在中、一度も様子をうかがう連絡がなかったことからもわかる。つまり、そっとしておいてくれたのだ。 ようやく気を緩めて再びシートにもたれかかった和彦は、自分のことを話すより先に、さきほどから感
last updateLast Updated : 2026-10-07
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第49話(17)

 話を聞きながら和彦の表情は緩む。いまだ会ったことのない稜人の様子を聞くだけでも可愛いが、それを話す千尋も、可愛い。自分から思いついたのか、周囲からのアドバイスに従ったうえでの行動かはわからないが、千尋は確かに稜人との距離を縮めようと努力している。「写真は撮らなかったのか?」 あっ、と声を洩らして目を見開いた千尋の肩を、和彦は軽く叩く。「これから撮る機会はいくらでもあるだろ」 同行する組員に頼んだほうが確実な気もするが、余計な口出しはしないでおく。 他愛ないことを話している最中に、千尋の腹が豪快な音を立てる。自分の腹をさすって、千尋が情けない顔をした。「今日は動き回ったから、腹減った……。和彦、晩メシはどうする?」「途中でどこかに寄ってもらえるとありがたい。買って帰ってもいいし、お前の予定に合わせる」 にんまりとした千尋は、すぐさま前列に座る組員たちと打ち合わせを始める。それを聞きながら和彦は、道路沿いにある回転寿司のチェーン店やファミレスを横目で眺める。手っ取り早くていいと思うのだが、長嶺組の男たちの選択肢には入っていないようだ。 結局連れて行かれたのは、いかにも老舗といった店構えの洋食屋だった。夕食時ということもあって混雑はしていたが、さほど待つことなくテーブルに案内される。家族連れが多いためか店内はずいぶんにぎやかだが、まったく不快ではなかった。楽しげにお子様ランチを食べている隣のテーブルの男の子に、つい目を細める。おそらく稜人と同じ年ぐらいだ。「和彦は何食べる?」 千尋がメニューを開いて見せてくれる。まっさきに目についたメニューの写真を和彦は指さした。「エビフライ」「んじゃ、俺は――」 同じテーブルには長嶺組の組員たちもついている。駐車場で待ってもらうのも悪いからと、和彦が誘ったのだ。「……昼、何を食べたんだ?」 ふっと疑問が口を突いて出る。注文を終えた千尋はきょとんとしたあと、ごそごそとパンツのポケットをまさぐる。「財布にレシートが入ってる。ちょっと待ってね」「あー、そこまでしなくて
last updateLast Updated : 2026-10-07
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第49話(18)

** せっかく送ってくれたのだから部屋に寄るかと千尋に問うと、断られた。決して儀礼的な気持ちからの誘いではなかったのだが、疲れている和彦を慮ってくれたようだ。 和彦の正直な気持ちとしては、部屋で一人となるのがなんとなく寂しかったのだ。移動の列車内では一人だと気が抜けていいと思っていたのに勝手なものだと、自嘲して唇を歪める。 自宅マンションに帰り着いた和彦は、テーブルに荷物を置いてしまうと、すぐには動く気力が湧かなかった。何もかも後回しにして、ひとまずベッドに倒れ込みたい衝動がないわけではないが、抑え込むのは容易い。まず最初に俊哉へ、帰宅したことをメールで知らせておく。きっといまごろは仕事中だ。次に総子には電話を。 ここで一息つくため、コーヒーを淹れる。和泉家ではなんとなく日本茶ばかり飲んでいたため、数日ぶりに嗅いだコーヒーの香りが体の隅々まで行き渡る。少し甘めのカフェオレにして、それを味わってからいよいよ長嶺の男たちに電話をかける。残念ながら守光は会食中ということで、電話を預かっている側近の一人が応対した。取り次いでもかまわないと言ってくれたが、祖父の葬儀を終えて戻ってきた報告と、気遣いの礼を託けておくに留めた。 最後は賢吾だ。こちらは留守電に切り替わったため、用件を吹き込んでおいたが、数分後に折り返し電話がかかってきた。「――……忙しいなら、明日でもかまわなかったのに……」 和彦の言葉に、低い笑い声が応える。『少しでも早く、俺の声が聞きたいかと思ったんだが』「まあ……、それは否定しないけど」 意地を張っても仕方ない。鼓膜にじわりと浸み込むバリトンの響きは魅力的であると同時に、安心感もある。砕けた会話を始める前にまずは、さきほど守光宛てに託けたものと同じ内容を口にする。香典返しと礼状について、総子から言われた通りに伝えると、苦い声音で賢吾が言った。「お前の祖母君には、大変なときにかえって手間を取らせることになったな。よくよく、礼と謝罪を言っておいてもらえないか。オヤジのほうは詫びに何か贈ると言い出しかねないが、俺がしっかり止めて
last updateLast Updated : 2026-10-07
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第49話(19)

** 悪夢を見そうだからという理由で安定剤を飲まなかったことを、半分覚醒した頭で和彦は後悔していた。疲れきった状態ならすぐに熟睡できるだろうと考えていたのだが、一度寝入ってすぐに目が覚めた。そこからウトウトしては意識が引き戻されるということを繰り返している。 和泉の屋敷では気を張っていたせいか、眠りが浅くてもさほど問題なかったが、緊張から解き放たれた今は、どうも具合が悪い。 暗い天井をぼんやりと見上げる。今頃、総子や綾香も眠れない夜を過ごしているのだろうかと、ふと考える。正時の思い出を語り合っているとも思えず、誰か緩衝材的な存在がいればいいのだがと、都合のいい願いを抱く。 ここで、九鬼にも連絡しておいたほうがよかっただろうかと、突如気になった。トラブルなく帰着したことは総子の口から伝わっているだろうと安易に考えていたのだが、何かと世話になり、気にもかけてくれている男にそれは少々礼を欠いていたかもしれない。 和彦は寝返りを打った拍子に大きくため息をつく。あらゆることが気になり、不安になってくるこの状態には身に覚えがある。ログハウスでの静かな暮らしから一転、短期間であまりにいろいろありすぎたせいだろうなと見当をつけ、安眠を諦めて起き上がる。少し寝酒をしたくなった。 賢吾が持ち込んだ高価な洋酒を舐める程度に――。よたよたとした足取りで薄暗いキッチンに向かった和彦は、食器棚からグラスを取り出す。さらに、並んだ酒瓶の中からどれにしようかと選んでいると、前触れもなくダイニングで物音がした。ハッと視線を向けた先で、人影が動く。 短く声を上げた瞬間に、手からグラスが滑り落ちた。床の上で派手な音がしたが、和彦がもう一度上げた声に重なるように、傍らで慌てた声が上がった。「うわーっ、和彦、ストップっ。動かないでっ」 千尋の声だ。状況が呑み込めないまま和彦が動けないでいる間に、キッチンの電気がつけられる。別れたときと同じ服装をした千尋が、必死の形相でこちらにてのひらを向けてくる。「動かないでよっ。今、掃除機持ってくるから」 ぎこちなく足元に視線を向ければ、グラスが割れて砕けている。スリッパを履いていなければ、破片が当たっていたかもしれ
last updateLast Updated : 2026-10-08
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第49話(20)

** ぐふふ、とやや気持ちの悪い笑い声が、隣から聞こえてくる。一緒のベッドに入っただけで何が嬉しいのか、さきほどから千尋はこの調子だ。照明を完全に消そうとして止められたので、千尋は夜更かしする気満々なのかもしれない。「……お前、明日仕事があるんじゃないのか。早く寝ろよ」「気にしないでよ。仕事は昼からだから。和彦のほうはどうなの?」「ぼくは……どうだろ。クリニックのことで、打ち合わせの予定を組み直さないと。組で上手くやってくれているだろうけど」「うんうん。和彦はドンとかまえていればいいよ」 それはそれで、肩書きだけとはいえ経営者としてどうだろうと思わなくもない。 さきほどは一人で見上げていた寝室の天井を、今は千尋と二人並んで見上げている。肩先から、子供の体温に近い千尋のぬくもりがじんわりと伝わってくる。「――和彦のお母さんの実家って、どんなところか聞いていい?」 自然な口調で千尋が問いかけてくる。これは何かを探ろうとしているのだろうかと一瞬身構えた和彦だが、守光はとっくに知っているだろうし、賢吾は調べているはずだ。一方の千尋は、無邪気な口調からして本当に何も知らされていないようだ。そこで差し障りのないことを話す。「大きい屋敷だ。それと土地が広くて、塀に囲まれてるんだけど、その塀の内側に畑や、いくつも蔵や建物があるんだ。昔、すごい農家だったらしくて、その名残りみたいだな。それで――」「それで?」「猫をたくさん飼ってる」 意外なことに、千尋の興味を惹いたようだ。ガバッと起き上がり、顔を近づけてきた。「何匹っ?」「お前が気になるのはそこか……。何匹かな。ぼくも全員と顔を合わせられたわけじゃないと思う。確か、白猫二匹にトラ猫と黒猫、あと灰色の猫がいて、三毛猫の子猫もいたな。屋敷のあちこちで、ちらちらと尻尾が見えてたから、ぼくから逃げ回ってる他の猫もいたはずだ」「すっげー、楽しそう――っと、ごめん」 気を使いすぎだと、肘で軽く千尋の腕を小突く。「人懐こい子に
last updateLast Updated : 2026-10-08
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第49話(21)

「ありがたいけど、お前が若いうちにできる経験を奪ってるんじゃないかと、申し訳なくもなってくる……。言っておくが、今のぼくはとても後ろ向きになってるからな。あれこれといろんなことが心配になって、不安なんだ。それで眠れなくて寝酒しようとしてたところに、お前が忍び込んできた。鬱陶しくてもつき合えよ」「三十過ぎてもそんな感じの和彦が、可愛いくてたまんない」 腕にしがみついてくる千尋に、ただ苦笑が洩れる。半日前まで沈鬱な気持ちに支配されていたというのに、今はこうして能天気な会話を交わしているのだ。日々を生きていくというとはこういうことだろうなと、妙に感慨深い。「――和彦が考え込む前に言っておくけど、俺、稜人が本宅に住むようになっても、和彦とはいままで通りつき合うから」「それはいいけど、大事なのは稜人に対する配慮だからな? 一般的な価値観とか道徳とか、そういうのがしっかりしてくるまでは、あまり刺激が強いのは……」「ヤクザの組長の自宅で暮らすのに、刺激云々は無茶じゃない?」「日常的に抗争してたり、血まみれの組員が出入りしてるわけじゃないだろっ。……ぼくはたまに本宅で接待を受けてる、よくわからない人扱いでいいよ。稜人が大きくなるまでは」 必死に考えながら話しているというのに、なぜか千尋の手が和彦の体を這い回る。「おい」「今のところ、一般的じゃない家庭で育った男が三世代揃っているから、稜人のことは任せて」「そういえばそうだったな。いや、でも、その三世代を見ているからこそ、不安なんだが」 話している間にも千尋の手は、パジャマ代わりのTシャツの下に入り込んでくる。軽く睨みつけると、あざとい上目遣いで見つめ返された。「心配してくれてる和彦が可愛くて……」「お前、そう言えばぼくを丸め込めると思ってるだろ」 悪びれもせず頷かれた。和彦がふっと息を吐いて力を抜くと、さっそく千尋にTシャツを脱がされた。千尋は最初から上半身裸だ。 ぐいっと頭を引き寄せられ、抱き締められる。本当に体温が高いなと思いながら和彦
last updateLast Updated : 2026-10-08
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