All Chapters of 再婚したら、元夫と息子が泣いてるんですが?: Chapter 561 - Chapter 570

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第561話

「彩葉代表がまだ物足りないというなら、あの女を片付ける手段はいくらでもあるよ。一言言ってもらえば……」「北川社長、少し踏み込みすぎじゃないですか」彩葉は眉をひそめ、一歩横にずれて彼の無言の威圧感を逃れるように身を引いた。「林家との因縁は、自分で決着をつけます。男の力を借りる必要はありません。あなたが私のために動いてくれたつもりでいるのはわかっています。でも、あなたのしたことは、私が望んでいたやり方とは違う。だから感謝するつもりもありません」「なるほど、好意の押し売りをしてしまったと」理はのんびりと背筋を伸ばした。「それなら受け取らなければよかっただけだよ。さっさと帰ればよかったじゃないか。でも見ていたよ、かなり楽しそうに言い返してやったじゃないか」彩葉は黙った。確かに、林家への復讐の機会は、かねてより窺っていた。ただ、機会を待っていただけだ。機会がなければ、いつまでも待つつもりだった。だが機会が訪れたなら、最大限に活かすまでのことだ。理はスーツの内ポケットからタバコの箱を取り出し、一本を抜き取ると、ゆっくりとくわえた。「強すぎる女は得をしないんだぞ。弱々しく、かよわく見せる女のほうが、男には好かれる。君の妹さんがいい例じゃないか。彼女はどうしようもない女だが、君の旦那様が溺愛するくらいには魅力的というわけで」彩葉には、その言葉の狙いが透けて見えた。蒼真との間に楔を打ち込もうとしているだけだ。だがこの男は知らない。ふたりの間にはとっくに何も残っていないことを。今さら何を言われても、傷つく余地など残されてはいないのだ。「あなた自身が、雫を『どうしようもない女』と言ったんでしょう。同じように媚びを売って、男に尻尾を振るなんて、私が私でなくなってしまいます」「それはそうだな」理は煙の輪を一つ吐き出し、話の向きを変えた。「ただ、ひとつ言わせてくれ。俺が余計なことをしたと思うかもしれないが、実は俺も、誰かの手の上で踊らされていたようでね」彩葉は警戒心を露わにして彼を見た。「どういうことですか」「山口が俺たちを盗撮したあの件、誰が俺に教えたと思う?」数秒の間を置いて、理の目に静かな鋭さが宿った。「翔だ」彩葉は「翔」という名に心当たりはなかった。だがその名を耳にした瞬間、なぜか心臓の鼓動が速くなった。「ああ
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第562話

理は再び彩葉へと距離を詰め、執着の滲む視線を彼女の紅い唇へと注いだ。「彩葉さんと弟が、ある程度親しくしているのは知ってるぞ。あの子とも仲睦まじいようだな」彩葉の表情が、たちまち凍りついた。「私を調べたんですか」「ただ、一つだけ言っておきたかった。子連れの翔吾に、騙されないように。あいつは底知れない男だ。すべての行動に、動機と目的がある」理は深くタバコを吸い込み、吸い殻を床に落として踵で踏み消した。「もし本当に君のことを思っているなら、今夜君の隣で林家と向き合っていたのは、俺ではなく翔吾のはずだからな」彩葉は目を伏せ、唇を白くなるほど強く噛み締めた。一方その頃、林家の邸宅の裏手では――ライトを消したマイバッハが、夜の闇に溶け込むように静かに停まっていた。窓から一本の手が伸びていた。タバコを挟んだ、骨ばった、白磁のような手だった。タバコの灰が、ほろほろと夜風に散っていく。パーティーが始まる前から、その車はずっとそこにいた。しかし誰も気づかなかった。地面には吸い殻が積もっていた。言葉にならない、静かな孤独を纏って。「なぜ社長は直接、氷室様のために動かなかったんですか」弘明は見ていられなくなり、焦れた様子で問いかけた。「こんな絶好の機会を、なぜ理さんに渡したんですか。あの男は氷室様に、よからぬ下心を抱いています!」翔吾の目には、どこか荒んだ色があった。普段は吸わないタバコの煙が濃すぎて、何度か苦しそうに咳き込んだ。「もし彼が氷室様に格好いいところを見せたら、氷室様が惚れてしまうじゃないですか!これでは、あの男の引き立て役に甘んじるなんて……!」「わかってないな」翔吾は吸い殻を大きな手でぎゅっと握り潰した。掌を焼く熱い痛みが、冷酷な理性を保ち続けるための戒めとなった。「理は筋金入りの狂犬だ。一度暴走し始めれば、周囲の人間を根こそぎ道連れにしようとする。あいつに弱みはない。だが……俺にはある」弘明は言葉を失った。「社長……」「今、理は俺が彩葉に本気だと疑っている」翔吾は吸い殻を指に食い込ませたまま、その目の奥で、抑えきれない何かが暗く揺れていた。「こういうときに俺が近づけば近づくほど、彼女を危険に晒すことになる」……多恵子は処置を受けた後、VIP病棟の個室に移された。浩一郎がそばに付き添
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第563話

雫の顔から血の気が引いた。胸が、ぎゅっと締め付けられる。蒼真の容赦のない手段がどれほどのものかは、誰よりもよくわかっている。だからこそ、最後までシラを切り通すしかなかった。ここまで来るのがどれほど大変だったか。ようやく彼の同情と信頼を勝ち得たのに、今さらそれを崩すわけにはいかない。一度でも化けの皮が剥がれれば、この五年間で母と自分が積み上げてきたすべてが、すべてが水の泡になってしまう。「蒼真さん、違うわ、本当に違うの!私は何も知らなかった!」雫は泣きながら胸元を手で押さえ、体を小刻みに震わせた。「あなたのそばに五年いたのよ。ほかの人に何を言われても、蒼真さんだけは私のことをわかってくれると思っていた。私、あなたのためなら命だって惜しくないのに……」蒼真は黙って彼女を見下ろしていた。その眉間には、静かな苛立ちが滲んでいる。毎度同じセリフを、何度繰り返せば気が済むのか。聞き飽きて耳にタコができそうだ。この五年、彼は心からの恩義として雫を大切にしてきた。彼女が口にしなくても、死ぬまで忘れるつもりはなかった――雫が身を削るような犠牲を払って、自分に第二の命を与えてくれたという事実を。しかし近頃、雫はことあるごとにその話を持ち出すようになっていた。まるで、見えない縄で自分を縛りつけようとするかのように。感謝しているのは本当だ。だが、恩を盾に取られることだけは、蒼真には耐えられなかった。自分が求めているのは、純粋な気持ちだ。雫への思いに打算の影が差すのも、雫がそういう女だったと気づかされるのも、どちらも、彼は望んでいなかった。「蒼真さん、誓うわ!」雫は涙ながらに胸に手を当てた。「もし嘘をついていたら、病気がちのまま一生を終えて、どんな天罰でも受けるわ!」自らを呪うようなその言葉に、蒼真は小さく息を吐き、少しだけ声のトーンを落とした。「そこまでしなくていい。雫、そう興奮するな」雫は涙を拭うふりをしながら、内心でほくそ笑んだ。こんな誓いなど、痛くもかゆくもない。なぜなら彼女は本当は、病気でも何でもないのだから。「恩」と「病」。この二枚のカードさえ手元にある限り、この男を一生縛り続けられる。蒼真が口を開きかけた、ちょうどそのときだった。病室の扉が開き、浩一郎が強張った顔で出てきた。「雫、お母さんが目を覚ました
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第564話

多恵子の顔から、さっと血の気が引いた。だがそれ以上に、雫の顔色はさらに尋常ではなかった。胸の奥の心臓を鷲掴みにされ、同時に首をきつく絞め上げられているようだった。体中の血を搾り取られ、そのまま握り潰されそうで、息ができない。「蒼真、それはどういうことだ!」浩一郎は、蒼真が公の場で離婚を否定し、かつ一切の妥協を見せないのを目の当たりにして、焦りを隠せなかった。「そのままの意味だ。どんなことがあっても、彩葉と離婚するつもりはない、ということだ」蒼真は浩一郎を冷ややかに流し見た。「どうかしたか。林会長は、俺に彩葉と別れてほしいのか。彩葉もあなたの娘だということ、まさか、お忘れになったわけではないでしょうね」雫は唇の内側を噛み、微かな血の味を感じた。浩一郎はその鋭い視線に息を詰め、慌てて言葉を取り繕った。「蒼真、何か勘違いしているぞ。彩葉も雫も、どちらも俺の娘だ。どちらも俺の血を分けた大切な娘だ、どちらかだけを忘れるわけがないだろう。ただ、根拠のない話を信じて、多恵子を悪く思ってほしくないんだ。長年連れ添ってきた妻だ、あいつがどんな人間かは俺が一番よくわかっている」「評判というものは、周りに作られることもある。だが証拠は、そうはいかない」蒼真の黒い瞳が、多恵子へと向いた。その眼差しが放つ冷気が、病室全体を凍えさせるようだった。「林夫人のやり口は見事だったよ。あと少しで彩葉は、人前で顔も上げられない不貞を働く女に仕立て上げられ、氷室家と北川家の両方を引っかき回した張本人に仕立て上げられるところだった。そうなれば婚姻関係の維持も困難になり、北川家も彩葉を許さないでしょう。うちの祖母の耳に入れば、祖母の心労にもなる。一石三鳥とは、よく考えたものだ」その言葉は冷酷な楔となって、小刻みに震える多恵子に突き刺さっていく。雫は何か言い訳しようと口を開きかけたが、すんでのところで思いとどまった。さっき蒼真は、自分のことを強く疑っていた。ここで母をかばえば、またその疑いの目が自分に向いてしまう。ここは母にすべてを背負わせてしまえばいい。実際に薬を用意したのも、パパラッチに連絡したのも、自分ではないのだ。その手は潔白なままだ。蒼真の目には、自分はいつまでも清廉潔白なままでいられる。「多恵子、一体なぜこんな馬鹿な真似をしたん
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第565話

そんなはずはない。あの部屋は何ヶ月も前から施錠されているはずなのに。浩一郎は頭の中がぐるぐると渦を巻きながらも、必死に言い訳を探した。「違う……蒼真、本当に誤解なんだ!彩葉は俺の実の娘だぞ、いつそんなひどい扱いをしたというんだ!」蒼真は片手で冷たく制し、凍えるような声で言い切った。「もういい。あなたたちが彩葉をどう扱ってきたか、俺の中で、すでに答えは出ている」浩一郎には、今度こそ蒼真を本気で怒らせてしまったことがわかった。蒼真の怒りを買った代償は、想像を絶するほど凄惨なものだ。浩一郎は必死に雫へと目配せした。今この男をなだめられるのは、もう彼女しかいないのだから。だが、雫が口を開こうとするより早く、蒼真が先手を打った。「林会長、ウィンドスカイが開発中のAIロボット事業への出資は、氷室グループとして今後一切行いません。次回以降のラウンドは、他所を当たっていただきたい」浩一郎の顔色が急変し、次の瞬間には怒りで真っ赤になった。「そ、蒼真!これはどこまでいっても家の話だろう!なぜ仕事にまで……!」「蒼真さん!お母さんは反省しているの……ちゃんと責任を取るって言っているじゃない!」雫は苦しそうに何度か咳き込み、目に涙を浮かべた。「それでも足りないなら、私がお母さんの代わりにお姉ちゃんに直接謝りに行くわ。土下座だってする!」「決めたことだ」蒼真は涙を流す雫をちらりと見たが、その目に感情は宿っていなかった。ただ、言いようのない嫌悪が胸をよぎっただけだった。踵を返し、ドアへと向かう。「蒼真!氷室社長!お待ちください!」浩一郎は数十億の投資が目の前で消えていくのを感じ、血相を変えて後を追った。「今この時期に撤退されたら、開発が大幅に遅延し会社が多大な損失を被ります!長年のお付き合いじゃないですか、雫はあなたの命の恩人でもあるんですよ。ふたりの娘のことを思って、今だけは出資の引き揚げを見送っていただけませんか!」蒼真は足を止め、背を向けたまま、刃のような声を放った。「『ふたりの娘』のことを思って、林夫人の謝罪と投資の撤回だけで済ませているんだ。そうでなければ、これくらいで終わると思うのか」浩一郎の背筋が凍った。冷や汗が一気に噴き出す。「それに、氷室グループはこれまで十分すぎるほどウィンドスカイを支援して
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第566話

多恵子はシーツをきつく握りしめ、怯えと動揺が入り混じったまま泣き続けた。これまでは、ちょっと涙を見せるだけで浩一郎が慌てて飛んできた。抱きしめて、優しくなだめて、彼女が望むものは何でも与えてくれたのだ。なのに今は、目が腫れるほど泣きじゃくっても責め続ける。しかも娘の前で。自分が年を取り、女としての魅力が衰えたからなのか。それとも、利益が絡んだ途端、男という生き物はみなこうなるのか。「お前を妻にしたのは、辛抱強くて、穏やかで、察しが良くて、余計なことを考えない女だったからだ!」浩一郎は怒りに任せて言葉を選ばなかった。「もしお前が最初からこんな卑劣な手を使うような女だったなら、決して娶ることなどなかった!」「お父さん、なんてことを!」雫はたまらず声を上げた。その言葉は多恵子の胸に深く突き刺さった。十数年、一度も口論になったことのなかった相手に、今初めて声を荒げて泣き叫んだ。「あなた……これだけ尽くしてきたのに!一言だって逆らわず、不平一つ漏らしたことはなかったのに!なぜそんなひどいことが言えるの!」「妻として当たり前のことだろう!なんのために娶ったと思っている!志乃をそのままにしていたほうがよほどましだった!」浩一郎はまだ怒りが収まらず、口から出てはならない言葉まで吐き出した。今この瞬間、数十億の投資が消えたという事実の前には、どんなことも目の前で愛してきたはずの女の感情でさえもどうでもよかったのだ。志乃――志乃!この名前は、多恵子の喉にずっと刺さったままの棘だった。死んでもなお。そして浩一郎の言葉は、残酷なほど明確に告げていた。この結婚も、林夫人という立場も、すべて盗み取ったものに過ぎないのだと。「ふっ……」多恵子の中で、何かがすっと冷えた。乾いた笑いが口から漏れる。「今さら後悔しても遅いわよ。あの女はもう死んでいる。あなたに気苦労をかけられて、生ける屍のようなものだったわ。今さら後悔しても、時間を巻き戻すことなんてできないのよ」浩一郎は目を剥いた。「お前ッ!」「二人とも、いい加減にして!」雫が怒鳴った。両肩が小刻みに震え、目の奥に冷たい光が灯る。「お父さんもお母さんも、今さら過去をほじくり返して何になるの!それより、林家に裏切り者がいるんじゃないかって、考えたことある?」浩一郎が眉を寄せ
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第567話

誕生日パーティーの騒動で林家は上を下への大騒動に陥っていたが、彩葉の日常は静かな水面のように穏やかだった。三日後、会社での会議を終えた彩葉は、オフィスで瑠璃子と電話をしていた。「ハハハハ!もう笑えるって!あのクズ母娘、今回は完璧にやられたわね。クズ蒼真ももう林家を甘やかさないでしょうし、あなたのお父さんもいつまであの厚かましい後妻を溺愛していられるか、見物だわ!」瑠璃子は本当に爽快そうに笑い転げていた。彩葉はコーヒーを一口飲みながら、淡々と口を動かした。「どうかしら。溺愛は続くと思うわ。あの男はこんなことくらいで妻を手放したりしない。世間に後ろ指を指されるリスクを冒してまで迎えた女だもの」「どうかしらって言うけど、わかんないわよ」瑠璃子が声を潜めた。「光一と秘書が話しているのをたまたま耳にしたんだけど、あなたのクズ父、この頃あちこちで出資してくれる人を探して回っているって話よ」彩葉の動きがわずかに止まった。少し考えてから口を開く。「ウィンドスカイへの出資はずっと氷室グループが担ってきた。いわば林家の生命線ね。しかも蒼真は株も持たず、経営権にも介入しない形で」「うっそ!妻であるあなたには一銭も使わないくせに、林家にはじゃぶじゃぶ使って、あいつ人間なの?!」瑠璃子が怒りで声を荒げた。「命の恩人だから、まあ当然といえば当然ね」彩葉は穏やかに笑った。過去のことはとっくに割り切れている。「自分の命より大切なものなんて、ないでしょう。蒼真と雫はとっくに運命共同体なのよ」「運命共同体ですって!ただの共犯者じゃないの!」瑠璃子は鼻を鳴らした。「ともかく最後まで聞いて。林家がなぜ今、あちこちで出資先を探しているかわかる?クズ蒼真が出資を引き揚げたからよ!」その言葉を聞いた彩葉の目に、複雑な感情がよぎった。「表向きは理由を明かしていないけど、あの誕生日パーティーの一件と絶対関係あるわよ。ねえいろはっち、あいつ、あなたのために林家を締め上げたってことじゃないの?」「ありえない。あの人にそんな気持ちはないわ」彩葉はためらいなく否定した。「出資を引き揚げたのも、あくまで利益上の判断よ。それ以外の理由なんてないわ」「でも、それって今までの気前のいい出資家っていうイメージと全然違うじゃない。そんなに気分屋なの?」「もうあの人の話
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第568話

傍で聞いていた夢は、思わずサムズアップした。。氷室代表、最高!電話の向こうで、蒼真の顔が一瞬固まった。あの自分の後ろをついてまわるだけだった大人しい女が、人を追い詰める手腕がこれほど容赦ないとは、思ってもみなかったのだ。相手が黙り込んでいるのを見て、彩葉は眼下を見おろしながらくすりと笑った。「どうしたの?林夫人が不憫になったかしら?」「白昼堂々、しかも今にも大雨が降りそうな外で人を跪かせるとは、随分と容赦ないことをするな」蒼真は冷ややかな失笑を漏らした。声を落として話しているつもりだったが、林家の母娘にはしっかり聞こえてしまった。ふたりの顔が同時に引きつる。「まさか……彩葉は私に外で土下座して謝れって言うの!?こんな屈辱を受けるくらいなら、死んだほうがましよ!」多恵子は胸を押さえてがくりと沈み込んだ。残っていた貴夫人の体裁がなければ、地面に突っ伏してわめき散らしていたに違いない。「いっそあの会社の前で首でも吊ってやるわ!」その瞬間、空が低く唸り、雷鳴とともに滝のような大雨が降り始めた。あたりに白い水煙が立ち込める。まるで天が、この腹黒い女の言葉に怒ったかのように。「蒼真さん!外は嵐よ!お母さんは体だって弱いのに……お姉ちゃん、どうしてそんなにひどいことができるの!」雫は多恵子に寄り添い、ふたり並んで今にも消えそうなほど哀れな姿を見せた。「お母さんは自分の非を認めて、心から謝ろうとしているのよ。何か償えることがあるなら言ってくれればいいじゃない。なんでこんな陰湿なやり方で苦しめなきゃいけないの?お姉ちゃんは人が跪くのが見たいんでしょう……なら私が代わりに土下座するわ!どうせ本当は、私に跪かせたいんでしょう!」言うが早いか、雫は泣き濡れた目のまま、扉に向かって走り出そうとした。「雫、やめて!あなたは体が弱いのよ!」多恵子が悲鳴を上げた。その瞬間、蒼真が無言で雫の細い手首をつかみ、引き戻した。雫は勢いのまま男の胸元に倒れ込み、計算し尽くしたようなタイミングで、ぽろぽろと涙をこぼした。それを見た者なら誰でも胸を締めつけられるほどの、儚げな姿だった。折しも、社員の一団が入口から入ってきた。男女が寄り添うその親密な光景を目にして、あちこちで囁き声が上がる。「あれって氷室グループの蒼真社長じゃないですか?胸に
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第569話

その瞬間、会社の外から重厚なエンジン音が響き渡った。蒼真を含む全員が音のするほうへ目を向けると、漆黒のマイバッハが、正面玄関の前に横付けされた。助手席から、長身で引き締まった体躯の男が降りてきた。バシッという鋭い音を立てて、大きな黒い傘を開く。その顔を認識した瞬間、蒼真の表情が険しくなった。翔吾の秘書、弘明だった。弘明は後部ドアを開けると、ぴんと背筋を伸ばして脇に立ち、ドアの上へ傘を差し掛けた。自分自身は顔色ひとつ変えないまま容赦ない雨の中に身をさらし、わずか数秒でずぶ濡れになった。次の瞬間、すらりと伸びた長い足が車から降り立ち、磨き上げられたオーダーメイドの革靴が水たまりを踏んで、飛沫を散らした。翔吾が悠然と車を降りた。その長身は、激しい風雨の中でも微塵も揺るがない。透き通るように白い整った顔立ちは、見る者を圧倒する静謐さを湛えていた。「うわあ!なんて格好いい方!どちら様かしら!」「蒼真社長に負けないくらいのイケメン!今日はお天気が悪いから休もうかと思ったけど、出勤して大正解だったわ!」自動ドアが開くと、翔吾は大股で歩み入った。弘明はすぐ後ろで傘を手際よく畳み、ずぶ濡れのままそれをガードマンに手渡した。翔吾は靴の底以外、頭の天辺から足の先まで、一滴も濡れていなかった。生まれ持った王者の風格とは、こういうことか。「北川翔吾」蒼真は鋭い目を翔吾に据え、見えない重圧に息を詰まらせた。「氷室社長にお会いするとは、奇遇だね」翔吾は黒い瞳を僅かに細め、片手をポケットに突っ込んだままだった。もう一方の手も、蒼真と握手を交わす気などさらさらないようだった。「何しに来た」蒼真の目に、強い警戒の色が滲んだ。「彩葉代表に用があって」翔吾は泣き腫らした林家の母娘をちらりと見やり、口の端をかすかに上げた。「氷室社長はご家族でお揃いとは奇遇ですね。しかし、家族の団欒にしては、少々騒がしいようですが……」蒼真は顎の筋をきつく張り詰めさせた。オーラを放つ二人の男が真正面から向かい合い、張り詰めた空気が抜き身の刀のように場を満たした。雫は口を開きかけたが、すぐにやめた。今この場に口を挟めば逆効果になると、本能で感じ取っていた。翔吾はむきになって男と睨み合う気もなく、さりげなく弘明へと目を向けた。ちょうどそのとき
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第570話

その場にいた全員が、ぽかんと口を開けた。とりわけ蒼真の顔はるみるうちに険しいものになり、どす黒い怒りに染まった。胸の中に苦虫を噛み潰したような、耐え難い屈辱が込み上げる。二、三歩で夢の前に詰め寄り、声を絞り出した。「今、何と言った。もう一度言ってみろ」夢は穏やかに微笑んだ。その笑顔は、相手を充分に苛立たせる種類のものだった。「氷室代表は、北川社長だけお通しするようにとおっしゃっています。それ以外の方は、一切お通ししないようにとのことです」蒼真の瞳の奥にどす黒い殺意が宿った。全身から冷気が溢れ出し、こめかみがぴくぴくと脈打つ。足が動いた――直接上へ乗り込もうとした瞬間、弘明が凄まじい反射神経で前へ進み出て、夢の前に壁のように立ちはだかり、蒼真を真っすぐに見据えた。「氷室社長、あなたほどの方が、若い女性を困らせるのは、さすがに見苦しいと思いませんか」夢は目の前に立つ男の、どっしりとした頼もしい背中を見て、ふっくらとした頬が、ぽっと赤らみが差し、胸が高鳴るのを感じた。「三好、行こう」蒼真の背後から、翔吾の澄んだ声が聞こえた。次の瞬間、翔吾が無造作に蒼真の左肩に強くぶつかりながら、その横をすり抜けていった。蒼真は体勢を崩しこそしなかったが、左肩にじんわりとした痛みが走り、目の奥に、さらにどす黒い怒りが渦巻いた。夢に案内されて翔吾と弘明が去っていくのを目にして、蒼真はまだ諦めきれずに後を追おうとした。だが、雫がしっかりとその腕を掴んだ。「蒼真さん、行かないで!わかっているでしょう?お姉ちゃんが会いたいのは彼であって、あなたじゃないのよ!行ったって、恥をかくだけだわ!」恥をかく?その言葉が、蒼真の怒りにさらに油を注いだ。血管の中で何かが弾けそうだった。自分の妻が、夫である自分を拒絶しておきながら、堂々と他の男を迎え入れる。それがすなわち、自分が恥をかくということなのか。「やってられるかよ!」光一が苛立たしげに眉を寄せ、不機嫌そうに吐き捨てた。「俺たちは全員、関係のない外野扱いか。だったらなんで恥をかかされないといけないんだ?蒼真、帰ろうぜ。こんなちっぽけな会社、来るべきじゃなかったんだ」だが蒼真は、彩葉に会うまで帰るつもりなど毛頭なかった。何があろうとも。林家の母娘を先に帰し、蒼真はターナルテッ
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