*** 俺はゆっくりと瞼を開けた。カーテンの隙間から朝の光が差し込み、薄く揺れる白いレース越しに、金色の光が部屋を淡く染めている。とても爽やかな朝――まだ誰も動き出していない、時間が止まっているような気配がする。 隣には眠っている司の横顔。昨日と同じ部屋、同じ距離――けれどその空気は、どこか少しだけ柔らかい。 司は静かに呼吸を続ける。閉じた瞼の奥で、彼はどんな夢を見ているのだろうか。 そんなことを考えながら、音をたてないようにソファベッドから抜け出し、起こさないように忍び足でキッチンへ向かう。 コーヒーの香りが漂いはじめた頃、背後から気配が近づいた。「……おはよう、陽」 司の声はどこか穏やかで、少しだけ照れているようにも感じられた。「おはようございます。眠れましたか?」「うん……悪夢を見ずに眠れたの、すごく久しぶりだと思う」 それだけの言葉で、昨日までの彼との違いが伝わった。俺は微笑みながら、カップを差し出す。「俺、朝の音が好きです。夜と違って、前に進めそうな感じがして」 「……そうだね。朝の音か……とてもいい表現だ」 司は、ゆっくりとカップに口をつける。唇に触れた熱を確かめるように一口含み、ふと窓の方を見やった。「まだ少し怖いけど……ピアノに触れてみようかな」 その言葉に、俺の胸が僅かに高鳴る。「弾きたくなったんですか?」 「わからない。ただ君がここにいて、音が……ちゃんと待っててくれる気がした」 朝の光の中、司の指がゆっくりとピアノの蓋を撫でた。鍵盤の蓋を開ける音が、部屋の静けさと混じり合い緩やかに溶ける。 司の指先が、鍵盤に触れようとして止まる。そこには“音”ではなく、“過去”が貼りついているようだった。 彼の手が微かに震えているのを見、俺はなにも言わず、そっと椅子を引いて、彼の背中から少し離れた場所に座る。この空間に余計な雑音を入れないように、呼吸ひとつさえ丁寧に整えた。「……変だな。手が……言うことを聞かない」 ぽつりと落ちた声は、自嘲と焦りに揺れ動く。 それでもひとつ鍵盤を叩く。けれどその音は、まるで浮き足立っているように響いた。美しい音だったはずのそれが、彼の耳には届かない。 間違えた音がひとつ、またひとつ。たったそれだけのことで、司の肩が見る間にぎゅっと縮こまる。 俺は立ち上がって、体を強張らせる彼
Última atualização : 2026-08-03 Ler mais