All Chapters of 攻略対象は私じゃない! ~腐女子が神視点で推しカプ見てたら、いつの間にか逆ハーレムの中心にいた件~: Chapter 71 - Chapter 80

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第71話 現れた令嬢

 輝くんが自然な動作で私の隣に並び、私の荷物をひょいと取り上げる。彼の大きな手が私の指先に触れた瞬間、パチリと小さな静電気が走ったような錯覚に陥った。 「あ、うん。いいよ」 「よかった。……栞、今日は髪、下ろしてるんだね。すごく綺麗だよ」  彼は私の耳元に顔を寄せ、甘く、低い声で囁いた。ふわりと漂う、彼特有の爽やかなシトラスの香りが私の理性を優しく溶かしていく。その大きな掌が私の腰に添えられ、自分の方へと引き寄せられる。 「……っ、輝くん。大学だよ?」 「……うん。つい」  腰の手が離れた。少し寂しくなってしまう自分に困りながら、私は代わりに彼の指を握る。輝くんがこちらを見て、笑った。  二人で中庭へと続く大階段を降りようとした、その時だった。  正門の方から、不自然なほどの静寂が広がっていくのが分かった。学生たちのざわめきが波が引くように消え、代わりに一台の黒塗りの高級リムジンが、重厚な音を立てて校舎の前に滑り込んできた。  その圧倒的な存在感に、私も輝くんも足を止める。  運転席から黒いスーツに身を包んだ、いかにも「有能」といった風情の男性が降りてきた。彼は一礼すると、後部座席のドアを恭しく開ける。  そこから現れたのは、一人の女性だった。  カツ、カツ、と石畳を叩くハイヒールの音が、静まり返ったキャンパスに凛として響き渡る。  プラチナブロンドに近い、透き通るような美しい金髪。陶磁器のように白く滑らかな肌。そして、すべてを見下すような、気高くも冷ややかなエメラルドグリーンの瞳。  彼女が纏っているのは、一目で最高級品だと分かるシャネルのスーツ。無駄のない洗練されたシルエットが、彼女の完璧なスタイルを際立たせている。 「(……っ!? なにあの美貌。二次元? 二次元から飛び出してきたの!?)」  私の脳内腐女子センサーが、これまでにないほど激しく警告を発した。これはただの美少女じゃない。物語を根底から揺るがす「最強のライバル」だけが持つ、圧倒的なオーラだ。  彼女は周囲の視線など一顧だにせず、まっすぐに階段の上にいる私たち――正確には、輝くんの方へと歩み寄ってきた。 「あら、こんなところで何をしているの? 輝様」  鈴を転がすような、けれど芯の通った誇り高い声。  その瞬間、私の隣にいた輝くんの空気が、ぴしりと凍りついたのが
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第72話 知らなかった婚約

 召使い。その言葉を、自分に向けられたものとして受け取るのに、少し時間がかかった。  彼女の背後には、白手袋をはめた執事が控えていた。扇子が開かれるのに合わせ、音もなく半歩下がる。物語なら何ページも眺めていたい光景だ。けれど、今日は私の肩に、輝くんの手がある。その指が強張るのを感じた。  私は彼女を見上げた。何か言わなければと思うのに、喉が乾いている。 「エリカ、言葉を慎め。彼女は俺の大切な恋人だ」  輝くんの、低く鋭い声が中庭に響く。  彼は私の肩を強く抱き寄せ、エリカ様を真っ直ぐに射抜いた。その瞳には、かつてないほどの激しい拒絶と、私を守ろうとする強烈な保護欲が宿っている。 「恋人? ……輝様、冗談はやめて。あなたのような方が、このような……特徴のない、どこにでもいるような『平民』を、本気でお選びになるはずがありませんわ」  エリカ様は、不快そうにエメラルドグリーンの瞳を細めた。 「彼女の家柄は? 教養は? 天王寺家の未来に、彼女がどのような利益をもたらすと仰るの? まさか、一時の『遊び』で、私たちの婚約の話を台無しにするつもりではなくて?」  婚約。その二文字だけが、ほかの言葉から離れて耳に残った。 「……婚約、してるの?」  輝くんの顔を見る。彼はすぐに首を振った。 「してない。子供の頃から、親同士がそうしたいと言ってただけだ。俺はずっと断ってる」 「お父様は、いずれ分かると仰っていましたわ」 「俺は、エリカにも断ったよ。栞と付き合う前から」  彼女の扇子が止まった。輝くんは、今度は私へ向き直った。 「終わった話だと思って、話さなかった。こんな形で聞かせて、ごめん」  肩の力が抜けた途端、遅れて腹が立った。終わったと思っているのは彼だけで、目の前の人は、今も続きを持ってきている。 「あとで、ちゃんと聞きたい」 「うん。全部話す」  輝くんが、エリカ様へ向き直った。「遊びなものか。栞は、俺の人生に必要な人だ。家柄や利益なんて、そんなものに彼女を縛り付けるつもりはない」  輝くんの言葉は、熱を帯びて私の心に直接流れ込んでくる。抱き寄せられた肩から伝わる彼の体温。繋がれた手の、力強い握り。愛されている。その圧倒的な事実に、胸が締め付けられるように熱くなった。  後ろの執事さんが、こちらを見た。その表情は読めない。私は招
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第73話 逃げたくない

 私の震える声に、エリカ様は勝ち誇ったような笑みを深くした。 「ええ。天王寺家に関わる政財界の重鎮たちが一堂に会する、一年で最も華やかで、そして最も残酷な社交の場。そこで、わたくしと輝様の婚約についても、正式な発表があるはずでしたのよ。本来であればね」  彼女の視線が、再び私を頭の先からつま先まで、値踏みするように舐めていく。その瞳に宿るのは、明確な蔑みと、それ以上の――揺るぎない自信。 「輝様がそこまで仰るのなら、わたくしも無粋なことは致しませんわ。この泥棒猫さんが、どのような覚悟で輝様のお隣にいらっしゃるのか……その『格』というものを、わたくしが直々に拝見して差し上げますわ」 「エリカ、いい加減に――」  輝くんがさらに一歩踏み出し、私の前に立ちはだかるようにして遮った。彼の背中から伝わってくる怒気は、もはや抑えきれないほどに膨らんでいる。 「栞を君のくだらない遊びに巻き込むな。彼女にそんな場所へ行く義務はない」 「あら、逃がして差し上げるつもり? 輝様。愛し合っているのでしょう? 一生を共にすると誓い合ったのでしょう? でしたら、彼女もいつかは通らなければならない道ではありませんか。それとも、わたくしたちの世界の空気に触れた途端に、息が止まってしまうような弱々しい小鳥さんだと、輝様も心の底では分かっていらっしゃるの?」  エリカ様の言葉は、氷の矢のように正確に輝くんの痛いところを突いていく。輝くんの握りしめた拳が、微かに震えているのが見えた。  その光景を見ながら、私の脳内では別の回路がフル稼働していた。 「(……っ! これよ、これだわ! 『身分差』の恋における最大の障壁、超名門家のパーティー! 場違いな一般人ヒロインが、豪華絢爛なドレスに身を包んだセレブたちに冷たい視線を浴びせられ、シャンパンをかけられるあの大定番のやつ!! まさか私の人生で、この『獅子の穴』に放り込まれるイベントが発生するなんて……!)」  恐怖がないわけじゃない。胃の奥がキュッとなるような、冷たい緊張感は確かにある。  けれど、それを上回るほどの「物語の主人公」としての高揚感、そして何より――目の前のエリカ様と、その背後に控える執事さんの、あまりにも完璧な「悪役令嬢とその懐刀」という構図への萌えが、私の心拍数を跳ね上げていた。  エリカ様が私を追い詰めれば追い詰
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第74話 借りたドレス

 私が素っ頓狂な声を上げると、陽翔くんがキラキラした笑顔で靴を脱ぎながら答えた。 「なんでって、乃亜さんに呼ばれたんですよ。『栞がピンチだから、男の手が必要だ』って」 「俺は断ろうと思ったんだが……君が恥をかけば、同じゼミの俺まで恥をかくことになるからな」  奏くんはツンとした態度で言い訳をしているけれど、その手には何やら高級そうな紙袋が握られている。そして陽翔くんの手にも、大きなメイクボックスのようなものが。 「ちょ、ちょっと待って! ここは女子の部屋だよ!? しかもこれから着替えとか……」 「安心しろ。着替えを覗くような趣味はない」 「そうそう! 俺たちはあくまで『仕上げ』の手伝いに来ただけですから!」  二人はズカズカと部屋に入り込み、私の生活感あふれる部屋(※同人誌は隠蔽済み)に鎮座した。  六畳一間に、美女一人とイケメン二人。酸素が薄い。 「さあ、時間がないわ。オペレーション・シンデレラ、開始よ!」  乃亜が司令官のように手を叩く。  こうして、私を「完璧なレディ」に仕立て上げるための、地獄の特訓(ブートキャンプ)が幕を開けた。◇「痛い痛い痛い! 乃亜、コルセット締めすぎ!」 「うるさい! くびれを作るのよ! エリカのあのスタイルに対抗するには、内臓の位置をずらすくらいの気概が必要なの!」  洗面所から悲鳴が上がる。乃亜による容赦ない下着の補正とベースメイクが施され、私はマネキンのように弄ばれていた。 「よし、ベースはこんなもんね。次はドレス……の前に、ヘアメイク!」  乃亜の指示でリビングに戻ると、今度は陽翔くんが待ち構えていた。  彼は袖を捲り上げ、プロのような手つきでコームとヘアピンを構えている。 「え、陽翔くん、髪いじれるの?」 「俺、実家が美容室なんですよ。小さい頃から手伝わされてたんで、ヘアセットはお手のものです!」  彼はウィンクを一つ飛ばすと、私の背後に回り込んだ。  温かい手が髪に触れ、優しく梳かされていく。 「先輩の髪、綺麗ですね。……黒髪が艶やかで、すごくいい」  耳元で囁かれる甘い声と、頭皮をマッサージする指先の絶妙な力加減。  わんこ系だと思っていた彼の、意外な「職人」の一面。鏡越しに真剣な眼差しで見つめられ、心臓がトクンと跳ねる。 「……陽翔くん、すごい」 「へへ、惚れ直しま
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第75話 彼の腕に並ぶ

 不安になって尋ねると、彼はハッとして、それから、今まで見たことがないくらい情熱的な、とろけるような笑顔を見せた。 「変なわけないだろ。……綺麗すぎて、誰にも見せたくないくらいだ」  彼は私の手を取り、その甲にうやうやしく口づけた。  その仕草があまりにも自然で、様になっていて、周りの景色が一気に色褪せて見える。 「行こう、栞。……俺の自慢の恋人を、みんなに見せつけてやるんだ」  差し出された腕に、自分の手を添える。  彼の腕の筋肉が、タキシード越しに硬く緊張しているのが伝わってきた。  彼もまた、戦場へ向かう騎士のように気を張っているのだ。 「うん……!」  私は顔を上げ、しっかりと前を見据えた。  もう、逃げない。  私は彼の隣に立つために、ここに来たのだから。  巨大な扉が、重々しい音を立てて開かれる。  溢れ出す光と音楽、そして数百人の視線。  私の、一世一代の逆転劇が、今、幕を開ける。  会場に一歩足を踏み入れた瞬間、私は光の洪水に飲み込まれた。  天井には、巨大なシャンデリアが幾千もの星のように煌めいている。床は大理石で磨き上げられ、壁には名画が飾られ、会場の隅々まで芳醇な花の香りと、弦楽四重奏の生演奏が満ちていた。  集まっているのは、テレビや雑誌でしか見たことのないような政財界の大物や、煌びやかなドレスに身を包んだ淑女たち。  (……空気が、違う)  酸素の濃度まで違うんじゃないかと思うほどの、圧倒的な「上流階級」のオーラ。  普段の私なら、この場違い感に押しつぶされて、即座にUターンして逃げ出していただろう。  けれど、今は違う。 「大丈夫。堂々としていて」  隣を歩く輝くんが、私の腰に手を回し、力強く支えてくれている。  タキシード越しの彼の体温と、耳元で囁かれる落ち着いた声。それが、震えそうになる私の足を地面に繋ぎ止めてくれる。  それに、私には強力な味方がついている。  乃亜が締めてくれたコルセット、陽翔くんが結ってくれた髪、そして奏くんが選んでくれたドレス。  彼らの想いが込められたこの姿は、今の私にとって最強の鎧だった。  私たちが会場の中央へと進むにつれ、ざわめきが波紋のように静まっていくのが分かった。  視線が集まる。  一つ、また一つ。やがて、会場中の視線が私たち二人に注が
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第76話 見違えた恋人

「……輝様」  人垣が割れ、その向こうから凛とした声が響いた。  その声を聞いた瞬間、輝くんの表情から甘さが消え、スッと鋭い「次期当主」の顔になる。  現れたのは、西園寺エリカ様だった。  今日の彼女は、真紅のドレスに身を包んでいた。燃えるような赤は、彼女の激しい気性を表しているようで、息を呑むほど美しい。  首元には大粒のダイヤモンドが輝き、その存在感はまさに「女王」の風格だ。  そして、その斜め後ろには――例の彼。  漆黒の燕尾服を着こなし、影のように控える冷徹な執事さんがいる。 「(ひっ……! 今日も今日とて、主従の完成度が高すぎる……!)」  緊張感マックスの場面だというのに、私の脳内フィルターは一瞬で彼らにロックオンしてしまった。  赤と黒。女王と従僕。このコントラスト、計算され尽くしているとしか思えない。 「エリカ。……来ていたのか」 「当然ですわ。わたくしは、このパーティーの華となるべき存在なのですから」  エリカ様は扇子を優雅に広げ、口元を隠して微笑んだ。その瞳は、輝くんだけを見つめていて、隣にいる私のことなど視界にも入っていないようだった。 「それに、今日は楽しみにしておりましたのよ。輝様が連れていらっしゃるという、可愛らしい『お客様』を拝見するのを」  彼女の言葉には、隠しきれない嘲りの響きがあった。  どうせ、みすぼらしい格好で縮こまっているに違いない。そんな確信に満ちた目で、彼女はようやく私の方へと視線を向けた。 「さあ、ご紹介いただけますか? その、場違いな……」  言葉が、止まった。  エリカ様のエメラルドグリーンの瞳が、大きく見開かれる。  扇子を持つ手が、ピタリと空中で静止した。  彼女の視線は、私の頭の先から、パールのネックレス、ボディラインを美しく見せるドレス、そして足元のハイヒールまでを、信じられないものを見るように凝視している。 「……え?」  小さな、間の抜けた声が彼女の唇から漏れた。  そこにいたのは、彼女が予想していた「地味でパッとしない平民」ではなかった。  夜会にふさわしい品格と、輝くんの隣に立つに足る美しさを纏った、一人のレディだったからだ。 「……どうしたの、エリカ。そんなに驚いた顔をして」  輝くんが、余裕たっぷりの笑みを浮かべて追い打ちをかける。 「紹介
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第77話 総帥の登場

 輝くんは私の腰を抱き寄せ、見せつけるように髪にキスを落とした。  きゃあ!と会場の女性たちから悲鳴が上がる。 「(ちょ、輝くん! 公衆の面前で! 執事さんが見てる! 執事さんの冷ややかな視線が突き刺さってるよおおお!)」  私は心の中で絶叫しながら、表面上はなんとか淑女の微笑みを保った。  エリカ様の悔しそうな顔。  それはまさに、悪役令嬢がヒロインに一杯食わされた時の表情そのものだった。 「くっ……! 衣装くらいで、誤魔化されると思って!? 中身は所詮、マナーも知らない平民でしょう!」  エリカ様が声を荒らげる。  すると、すかさず背後の執事さんが一歩前に出て、彼女を諫めるように小さく咳払いをした。 「お嬢様。……周囲の目が」  低く、抑揚のない声。  その一言で、エリカ様はハッとして周囲を見渡した。  周りの招待客たちは、取り乱す彼女を冷ややかな目で見ている。逆に、堂々と微笑んでいる私と輝くんには、好意的な視線が向けられていた。  勝負あり、だ。 「……覚えてらっしゃい!」  エリカ様は顔を真っ赤にして、捨て台詞を残して踵を返した。  ドレスの裾を翻して去っていく彼女を、執事さんは一礼してから、静かに追従していく。  その去り際。  執事さんが、ふとこちらを振り返った。  その視線が、私と……そして会場の隅にある柱の陰を一瞬だけ捉えた気がした。  え?  思わずそちらを見ると、巨大な大理石の柱の陰から、見覚えのある二つの影がこちらを覗いているのが見えた。  ウェイターの制服を着て、トレイを持ったままサムズアップしている茶髪の青年。  そして、黒いスーツを着て、満足げに腕を組んでいる眼鏡の青年。 「(……陽翔くん!? それに奏くん!?)」  陽翔くんは「やったね!」と口パクで伝え、奏くんはフッと小さく笑って頷いてみせた。  やっぱり、来てくれていたんだ。  奏くんは教授の代理として招待され、陽翔くんは店長の紹介で臨時の給仕に入ると聞いていた。支度を手伝ってくれた二人が、ここにもいる。柱一本を隔てた距離が、ずいぶん心強かった。  私の晴れ姿を見届けるために。そして、私が不当な扱いを受けないように、見守ってくれていたんだ。  胸がいっぱいになる。  彼氏の輝くん、そしてライバルの二人。みんなが私を支えてくれ
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第78話 値段をつけないで

 天王寺総帥の声は、決して大きくはなかった。  怒鳴っているわけでも、威嚇しているわけでもない。  ただ、そこに存在するだけで周囲の空気を支配し、重力さえも捻じ曲げてしまうような、絶対的な強制力を持った「王」の声。 「父さん……」  輝くんの喉仏が、ごくりと動くのが見えた。  私の腰を抱く腕に、痛いほど力が込められる。それは私を守ろうとする意思表示であると同時に、彼自身が恐怖と戦っている証のようにも思えた。  (……この人が、ラスボス)  天王寺グループの頂点に立つ男。  輝くんが逃れようとしても逃れられない、血の呪縛の源。  総帥は背筋を真っ直ぐに伸ばしたまま、輝くんの返事を待っていた。  その沈黙に耐えかねて俯きそうになるたび、腰を支える輝くんの腕を意識した。  彼の後ろには、黒いスーツに身を包んだ屈強な男たち――警護スタッフ(SP)が数名、影のように付き従っている。彼らの耳にはインカム、懐にはおそらく護身用具。その一糸乱れぬ動きは、総帥という存在がいかに重要人物であるかを物語っていた。 「……久しぶりだな、輝」  総帥が、ようやく次の言葉を口にした。  その視線は、輝くんだけを捉えている。隣にいる私など、路傍の石ころか、あるいは壁のシミであるかのように、完全に無視されていた。 「誕生日の祝いに来たわけではなさそうだ。……そのふざけた格好と、隣の『異物』を見る限りではな」  異物。  私に向けられた言葉だと理解するのに、数秒かかった。  人間扱いすらされていない。 「言葉を慎んでください、父さん」  輝くんが、低い唸り声を上げるような声で反論した。  彼は一歩前に出て、私を背に庇う。 「彼女は異物じゃない。俺が……天王寺輝という人間が選んだ、唯一のパートナーです」  会場中が息を呑んだ。  父親に対し、これほど明確に牙を剥く息子。  それは、社交界のタブーを犯す行為であり、同時に、親子の決別を意味する宣戦布告でもあった。  総帥は眉一つ動かさず、ただ冷徹な瞳で輝くんを見下ろした。 「パートナー、か。……まだ学生気分が抜けないようだな。お前の伴侶となる人間は、天王寺家の繁栄に寄与する者でなければならない。家柄、教養、人脈……それらを持たぬ者を、私は認めん」 「俺は、家のために結婚するんじゃない! 俺自身の幸せ
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第79話 私が言いたいこと

 頭を殴られたような衝撃だった。  お金? 画策?  違う。私はただ、輝くんのことが好きで……。 「父さんッ!!」  輝くんが激昂して掴みかかろうとするのを、背後のSPたちが素早く制止しようと動く。  その殺伐とした空気の中で。  私の心の中に、ふつふつと何かが湧き上がってきた。  恐怖? もちろんある。  悲しみ? それもある。  でも、それ以上に――。  (……バカにしないでよ)  私の大好きな人たちを。  私を綺麗にしてくれた乃亜を。ドレスを貸してくれた奏くんを。髪を結ってくれた陽翔くんを。  そして何より、私を選んでくれた輝くんの想いを。 「ただの遊び」だなんて、「金目当て」だなんて。  そんな安っぽい言葉で、私たちの関係を汚されてたまるか。  私は、震える膝に力を込めた。  乃亜が締めてくれたコルセットが、背筋を支えてくれる。  奏くんが選んでくれたドレスが、私に勇気をくれる。  陽翔くんが整えてくれた髪が、私に自信をくれる。  私は輝くんの背中から、一歩踏み出した。 「……失礼ですが、お父様」 「栞!?」  輝くんが驚いて振り返る。  私は彼の手をぎゅっと握り返し、まっすぐに総帥を見上げた。 「私は、お金なんてもらっていません。画策もしていません。……私がここにいるのは、輝さんが望んでくれたからです」  声が震える。でも、止めない。 「私は、家柄も教養もない、ただの平凡な大学生です。天王寺家にふさわしくないかもしれません。でも……」  私は大きく息を吸い込んだ。 「輝さんのことを大切に思う気持ちだけは、誰にも負けません。……彼が辛い時に支え、彼が笑う時に共に笑う。それだけは、自信を持って言えます」  言い切った。  会場が、しんと静まり返る。  あの地味な娘が、総帥に口答えをした。誰もが信じられないものを見るような目で私を見ている。  総帥は、目を細めた。  怒り狂うか、あるいは鼻で笑うか。  しかし、彼が取った行動は、そのどちらでもなかった。  彼はゆっくりと私に近づき、至近距離で私の顔を覗き込んだ。  その目には、相変わらず温度がない。  けれど、先ほどまでの「無視」とは違う、明確な「敵意」が宿っていた。 「……口の減らない娘だ」  総帥は低く呟くと、興味を失ったように踵
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第80話 テラスの誓い

「(……あのSPさん、なんか……)」  いつもなら、あの立ち姿だけで勝手な物語を考えていたと思う。けれど、私を支える輝くんの手が、まだ強張っていた。  私はその手に自分の手を重ね、彼と一緒に会場の隅へ移動した。  パーティー会場の隅、少し人目が避けられるテラスへの出入り口付近。  そこへ避難した私たちは、しばらくの間、言葉もなく寄り添っていた。  夜風が、火照った頬と震える体を冷やしていく。  総帥が去った後の会場は、何事もなかったかのように再び談笑と音楽に包まれている。けれど、私たちに向けられる視線の質が変わったことは明らかだった。  好奇心、同情、あるいは「終わったな」という冷ややかな嘲笑。  輝くんの手が、私の肩を抱く力を強めた。 「……ごめん」  絞り出すような声だった。 「せっかく綺麗にしてきてもらったのに。……こんな、最悪な夜にしてしまって」  彼は悔しげに唇を噛み締め、俯いた。  その表情は、傷ついた子供のように脆く見えた。いつも私を守ってくれる「王子様」の、痛々しい素顔。  私は、彼の胸にそっと額を預けた。  タキシードの滑らかな生地の向こうから、彼もまた震えているのが伝わってくる。 「謝らないで、輝くん」 「でも……父さんの言葉は、君を傷つけた」 「うん。……悔しかったよ。悲しかった」  正直に言う。強がっても仕方がない。あの冷徹な瞳に見下ろされた時の恐怖は、まだ指先の震えとして残っている。 「でもね」  私は顔を上げ、彼の瞳をまっすぐに見つめた。 「私、来てよかったと思ってる」 「え……?」 「だって、輝くんがどれだけ大変な場所で戦ってるのか、少しだけ分かったから。……それに」  私は、彼の頬に手を添えた。 「輝くんが、お父さんに逆らってまで私を守ろうとしてくれたこと。……一生、忘れないよ」 「栞……」 「だから、後悔なんてしてない。……私、輝くんの彼女でよかった」  精一杯の笑顔を作って見せると、彼の瞳が潤み、揺れた。  次の瞬間、私は壊れ物を扱うように優しく、けれど強く抱きしめられていた。 「……ありがとう。愛してる」  耳元で囁かれる言葉の重みが、胸の奥深くまで染み渡る。  ただの甘い言葉じゃない。それは、これから待ち受けるであろう困難な道に対する、誓いの言葉のようだった。
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