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All Chapters of 白無垢の呪恋唄: Chapter 71 - Chapter 78

78 Chapters

第71話 放たれた矢のように

 乃愛の手が美月の手を握り返してきた。両手で力いっぱい引っ張り上げると、大量の蟲の絨毯の中から乃愛の体を引き起こすことができた。蟲がボタボタと体中から離れていき、美月は新鮮な空気を大きく吸い込んだ。 「乃愛! 行こうっ!」  階段目掛けて乃愛の手を引っ張るもの、|重石《おもし》のように動かない。どう引っ張ろうにも乃愛は体を動かすことができないのか、全く進むことができなかった。 「古塚さん! 先に行ってください!」  二俣が乃愛を後ろから抱き留めた。美月は乃愛を見つめる。暗くて表情までは読み取れないが、首の辺りからかなり血が出ているのはよくわかった。 「そんな! でも──」 「早く祠に人形を! 呪いを終わらせてください!」  掴んだ手を離すことができなかった。乃愛の手は温かい。離してしまえばもう二度とこの温もりを感じることはできないのではないか。そんな予感が頭をよぎった。  もう二度と──乃愛の笑顔を見ることはできないかもしれない。  白無垢の女が再び動き出す。大量の蟲のざわめきが押し寄せてくる。 「行ってください! 今、呪いを止めないと誰も止めることができない! 早く!!」  二俣の言葉に押されて美月は、前を向くと乃愛から手を離した。 (ごめん──乃愛……ごめん……)  弓矢を片手に弓袋をぎゅっとつかんで、美月は急いで祠へと向かった。 『いつも言ってるでしょ。みーちゃんはみーちゃんでいいけど、一人になろうとするのはダメだって。みーちゃん、一人になると何するかわからないんだから』『そう。恋人を作っちゃおう作戦です!
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第72話 永久に先君をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても

 焦げた臭いに腐臭、それに加えて蟲達の臭いが混ざり合い、美月は堪えきることができずに胃の内容物を全部吐き出してしまった。  白無垢の女は、なぜかその様子を見ているかのように微動だにしなかった。手の甲で口を拭うと石段に手をついて美月はよろよろと立ち上がった。  時が静止したように白無垢の女は動きを止めているが、蟲は変わらずに蠢いている。まるでいつでも常闇の底に引きずり込めると主張しているかのように。  迷っているのだろうか。乃愛を襲う前もそうだった。廃寺でもやはり襲う直前で突如動きを止めた。人形を持っているからなのか、それとも狙う順番を図っているのか。  意思が宿っているとは到底思えない。あの人の面影はもうどこにもなく。ただ、呪いの儀式のままに動く化物に成り果てている──そうとしか思えなかった。  なのに迷う。惑う。目の前の白無垢姿を見ていると、美月にはどうしても躊躇っているように見えてしまう。  美月は手元の人形に視線を落とした。白無垢と想い人の紋付袴の人形だ。年月は経ち顔も判別できないほどに色褪せてはいるが、二人の死後婚のために作られた人形。二人が、おそらくは命を落とすその間際まで互いに想い合っていたことが具象化された人形。  認識しているのだろうか。いや、認識とまではっきりとしたものでなくてもいい、ほんの微かにでも反応するものがあれば。 「永久に先君をば待たん暗闇に花の塵ゆく定めとしても」  美月は無意識に唄を口ずさんだ。いつからか白無垢の恋唄と名付けられた短歌は、祝福と呪い、相反する想いを込めた唄。 (だけど、本当にそうなのだろうか)  SNSでは、死ぬとわかっていてもまじないを実行する人達がいた。それはきっと死ぬことによって永久の愛が叶うからだ。祝福は呪いに変わり、また呪いは祝福に転じる。
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第73話 同化する心

 牢の一番奥、過去の記憶の中で白無垢の女が暗闇に消えていった辺りに人形を並べておく。後ろを振り返る間もなく蟲達が美月の体中を包み込み、首筋に激痛が走った。  意識が遠のいていく。暗闇に引きずり込まれていく。全身へと群がる蟲が顔を包み込み、やがて瞳を黒く塗りつぶした。  過去の記憶が流れ込む。突如、村から攫われ、牢に閉じ込められて来る日も来る日も男どもに襲われる地獄のような毎日──場面は変わり、出産を迎えたときには生まれた我が子の首を締め手に掛けようとした。  憎しみが募り、怒りが蓄積し、呪いが溜め込まれていく──。  美月は、指を噛み切った。痺れる痛みだけが地獄の底にいることを忘れさせてくれた。体の中から溢れ出てくる恍惚に身を委ねて、指を壁に擦り付けて文字を刻む。  暗闇に囚われた心は、白無垢の女と同化していた。美月は白無垢の女として想い人に心を馳せ、そしてまた運命に呪いを施す。  美月は、自分を汚した男どもを、無理矢理産まされた子ども達を、そして運命に巻き込まれた自分自身を呪い続ける。──何よりも誰よりも呪いたいのは、汚れたこの体、この心だ。  血が垂れ落ち、木板が吸った。一心不乱に文字を書き綴っていた美月は荒い息を吐きながら格子の前に座り込む。  目を瞑る。色褪せることのない想い人の顔が瞼の裏に蘇り、美月は呻き声を上げながら腕を伸ばした。何もない空だ。匂いも手触りも声も何も感じない。  いつもはそのはずだった。どんなに求めても叶うことはなく、血と皺だらけの手は何も掴むことができないはずだった。  手に何かが当たる。不思議に思ってそれを掴み、目を開いた。2体の人形が手のひらの中にある。白無垢の人形ともう1体は──。  声が上がった。終ぞ出したことのなかった大声だ。しわがれた声が喉を鳴らし、白無垢の女は人形
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第74話 急変と裏切り

 美月はしばらく茫然と立ち尽くしていた。閑寂とした暗闇の中、風の音と足音だけが上の方から聞こえてくる。  ずっと握り締めていた手のひらを開くと、顔の前で何度か指を動かした。 (……私の体だ)  五本の指は欠けることなくしっかりと付いたままなのに、指先に痺れる感覚が残っている。指先で文字を書いた感触も、人形を抱き締めた感触も残っている。  だからか、目尻から涙が出てくるのを止めることができなかった。長い年月を経てようやく、呪いは解かれ祝福が訪れたのだ。  美月は涙を拭いて人形を牢の奥に並べて置くと、弓矢を弓袋に入れて、乃愛のところへ戻るために格子を開けて外へ向かった。歩く度に噛まれた首が痛むが、血はほとんど出ていない。  バタバタと走る足音が止まり、階段を降りてくる。 「古塚さんっ!」  美月の姿を見て二俣が声を張り上げた。急いで走り寄ると、首の傷に目を向け大きな手で美月の首を覆う。 (……え) 「応急処置をしないと! 今、圧迫してますから!」  いきなり首を触られたことにびっくりしたが、美月は言われるがままに大人しくしていた。それより気になるのは、乃愛の容態だ。 「先生、乃愛は?」 「如月さんは無事です! 車の中で言ったでしょう。古塚さんはもっと自分を大事にした方がいいって。今は自分の傷の心配をしなさい」 「無事……?」  無事なわけがない。白無垢の女に襲われて動けなくなるほどだった。すぐに治療できない今の状態で、無事なはずがない。  胸騒ぎがした。乃愛のこともそうだが、何かがおかしい。不意に二俣と視
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第75話 妄執

(なんで、なんでこんなこと──)  「そんなに怖がる必要はない。やっと二人きりになったんだ。もう、気持ちを隠す必要はないんだよ」  二俣の手が美月の腰に触れた。美月は声を上げて体を捻り逃れたが、すぐに両腕を掴まれて壁に顔を押し付けられる。 「やめてっ! 先生──なんでっ!」 「──なんで? 白無垢の恋唄だよ。名前を書けば誰でも結ばれるんだよね」  愕然とする。二俣の手がまた弄るように腰を撫でた。虫唾が走るような怖気に美月は唇を噛んだ。 「このまじないを知ったとき。絶対に、馬鹿な男子生徒が君の名前を書くと思った。だから、半信半疑で僕が先に書いたんだ。びっくりしたよ。そしたら、すぐに君から連絡が来るんだから。まさか呪いもついてくるとは思わなかったから、そこは予想外だったけどね。まあ、でも障害を乗り越えて二人は結ばれる──そういう運命だったのかもしれない」  二俣は下卑た笑い声を上げた。指先がTシャツの下に侵入してきて、美月は大声を上げながら抵抗した。  思えばトンネルで白無垢の女に襲われたときからおかしかった。恋唄を詠んだ者とその想い人だけが襲われるはずなのに、最初に襲われたのは自分と二俣だった。乃愛は一人で車の中にいたのに。 (最初からそういう目的だったの? 励ましの言葉も全部が全部、このために?) 「もっと早く結ばれるはずだったのにね。でも、仕方ない。君はずっと如月さんと一緒だったから。なんでか知らないけど、一人になっちゃダメとか余計なことを……でも、ほらもう君と僕の二人しかいない。もう演技する必要はないんだよ、美月」  名前を呼ばれただけで汚された気持ちになる。体全体が拒否しているのにも関わらず、二俣は妄執していた。  白無垢の恋唄の力
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第76話 母

 ぐちゅっと皮膚が潰れるような音がした。二俣の指と腰の動きが急に止まり、そして体が後ろへと倒れていく。贅肉のついた重い体が床に倒れ、激突する音が響き渡る。 (え……)  床に落ちた矢が消えていた。恐る恐る振り返ると、予想もしていなかった人物が美月の矢を片手に持ってたたずんでいた。  美月をしっかりと見据えた瞳は輝いており、口元には気づくか気づかないかくらいの微笑が作られていた。 「母、さん?」  古塚しのぶ──美月の母親だった。母は微かに頷くと、倒れている二俣の足を持って暗闇の奥まで引きずっていく。 「待って! 母さん何してるの? 今までどこにいて!? なんで、なんで──こんなことになってるの!?」  これまでの思いを全てぶち撒けるような美月の訴えに母の足が止まった。ゆっくりと振り返る。暗くて表情は読めないが、美月には確かに母の顔が笑顔になっていると感じられた。 「……今までもこれからも、ごめんね、美月……そしてありがとう」  それだけだった。たった一言、消え入りそうな声でそれだけを言うと、それきり美月の母は二俣を連れて暗闇のなかへ消えていった。 「母さん、待っ──」  伸ばした手を慌てて引っ込める。追いかけて行くことはもちろんできただろう。でも、美月はそれを選択せずに母親に背を向けると階段を登っていく。  走る美月の脳裏にはこれまでの思い出がまるで走馬灯のように駆け巡っていった。  外へ出る。永遠に続くかと思われた夜の闇は薄らぎ白み始めていた。  ボッと地下室から炎が上がる。美月は一瞥しただけでその場を去ると、階段のところで倒れたままの乃愛の所へと急いだ。 
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第77話 病室にて

 ライトグリーンのカーテンを閉める。気がつけばもう夜になっていた。  美月は予想よりも長くまだ眠ったままの兄、弓弦の顔を覗き込むと満足そうに微笑み、今座っていた丸椅子に座った。  スマホを開く。SNSは今日も、政治やアニメ、ドラマ、芸能など様々な話題が行き交っている。その中に白無垢の女の話題はなくなっていた。  もちろん検索をかければ出てくるだろうが、パッと目に付くところにはもうワードは挙げられていない。他の全ての事象と同様に次から次へと湯水のように溢れ出てくる話題に呑まれて消えていったのだろう。 (それでいい……これが一番いいんだ)  白無垢の女が消えてからおよそ2日が経った。美月が乃愛とともに病院へ運ばれて治療を受けたあと、警察からの事情聴取を受けて丸一日泥のように眠った。  警察には真実を伝えたが、どう受け止められたのかはわからない。美月が白無垢の女の話題を出すと、「ああ、例の……」と知っている素振りを見せていたが、信じているかどうかはわからない。それに、とにかくもう怪異は終わったのだ。事件は永遠に闇の中だ。 「兄さん」  美月は布団から出ている弓弦の手を握った。前のときのように過去の映像を見せられることはなかった。  兄は動かない。栄養は点滴から取れてはいるが、体は少し痩せてしまっている。  看護師にはすぐに目覚めると言われていたが、起きる気配はない。体が疲れ切ってしまっているのか、心が目覚めを拒否しているのか。どちらにしても美月は、もう一度呼びかける。 「兄さん、もう終わったよ」  終わったのだ。本当に。どれくらいの犠牲者が出たのかわからなかったが、白無垢の呪いはなくなり、やがて世間からは忘れられていく。そして、誰も思い出せなくなり、呪いも古塚家の闇もひっ
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第78話 終わりと、始まり

 弓弦の顔を見る。酸素マスクが外された顔は、穏やかにともすれば微笑んでいるようにも見えた。 「不思議と母さんが死んだことにショックはないんだ。ずっと関係は疎遠だったし、それに母さんはああなる運命だったのかもしれないって。あの『遠い目』も、咎人も、白無垢の女も全てを繫ぎ合わせれば、きっと母さんは最初からあそこで死ぬつもりだったんじゃないかって思う」  返事はもちろん返ってこない。それでも、美月は話を続けた。自分の心情を吐露するように。  唯一同じ境遇の兄──これからもそう呼べるのかは不確かではあるが──ならわかってくれるだろうと。 「母さんは、私たちを自分の子どもとして引き取ったときに考えたのかもしれない。将来、儀式が必要になるときが来るんじゃないかって。だから、幼い頃に一度だけ私たちみんなを古塚家へ連れていった」  気まぐれで動くような人ではない。兄と美月の対応は終始一貫していた。兄を溺愛し、妹には厳しくするという対応が。 「いつか儀式が必要なら、兄さんは巻き込まれる運命だった。それを変えるために母さんはあのとき、私を連れていったんじゃないかって。兄さんを助けて呪いを終わらせるために私を連れて、そして以後おじいちゃんやおばあちゃんに関わらせることはしなかったんじゃないかって、そう思うんだ」  母の顔を思い出す。最後に見せた表情はやっぱり笑顔だったのではないだろうか。美月に向けたものなのか、自分に対するものなのかはわからないが。 「だって、儀式に必要なのは18歳の男性だけ。私を引き取る理由はないはず。母さんの『ごめんなさい』という言葉は、きっとそのことを指していると思うんだよね」  違うかもしれない。思い込みたいだけかもしれない。それでも、取り残された美月には何かこの先に繋がる理由が必要だった。 「兄さん。目覚めたら、どんな関係性になっちゃうのかわか
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