All Chapters of ノクスレイン~香りの王国物語~: Chapter 11 - Chapter 20

45 Chapters

獣人と地味バイトⅡ

 包装の状態を観察する。紙の材質は上質——フェンリス高地で採れる山桜の樹皮を加工したもの。折り方は全て同一人物の手によるもので、几帳面な性格が窺える。 包みを一つ開く。すり潰された薬草のペースト。色は茶緑色、質感は……指で軽く触れてみる。 粘性がある。通常の薬草ペーストより、明らかに粘り気が強い。何かを混ぜている証拠だ。「……これは」 まず香り。甘い匂いの下に隠れた、わずかな苦味。この独特の香りは——ホンシンソウ。強壮剤の主成分だ。 次に、ペーストの色調。茶緑色の中に、淡い黄色の斑点が混じっている。これはグレ根を細かく砕いた時の特徴。解熱・鎮静作用がある。 そして、指先に感じる微妙な痺れ。神経系に作用する薬草特有の反応。この感覚は……ヤメミ草だろう。「ホンシンソウが主成分で……それに、グレ根とヤメミ草を混ぜてありますね?」「……全部、当たってる」 青年の瞳が、明らかに驚きの色を示した。耳がぴくりと動き、尻尾の動きも止まった。完全に予想外だったようだ。 雑貨屋の店員が、一目で薬草の成分を分析するとは思わなかったのだろう。まあ、普通はそうだよね。 だが、この組み合わせは妙だった。 ホンシンソウ——体力増強、免疫力向上。 グレ根——解熱、鎮静作用。 ヤメミ草——神経安定、睡眠導入。 通常、強壮剤と鎮静剤を同時に使うことはない。相反する効果だからだ。では、なぜこの組み合わせなのか? 答えは一つ——「熱を下げつつ、体力を維持したい」状況。 しかも、包装の丁寧さを見る限り、これは商売用ではない。紙の折り方、封の仕方——全て同じ人間の手によるもの。そして、その手は…… 青年が薬包みの一つを、親指でそっと撫でた。その指先が、薄く汗ばんでいる。 発汗。しかも手のひらではなく、指先だけ。これは精神的緊張による局所発汗——72時間以内に強いストレスを経験した証拠だ。 さらに、その撫で方。まるで大切な何かを確かめるような、慈愛に満ちた動作。「……誰かが、病気なんですね」 青年の動きが、ぴたりと止まった。 しばらく黙ったまま、視線を落とす。肩が小刻みに震えているのが見えた。「妹だ」 声が掠れていた。「薬が……もう、効かない。この国の王都なら、何か……」 青年の表情に、諦めと僅かな希望が混在していた。 状況が見えてきた。 この青年は、妹
last updateLast Updated : 2025-11-16
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獣人と地味バイトⅢ

 俺はガラクタ棚の最奥から、埃をかぶった古い箱を引っ張り出した。 中から取り出したのは、ぼこぼこした陶器の壺。木のスプーン付き。 蓋には古代文字で刻まれた文字——『果実を入れるべからず』「……なんだ、それは」 青年の眉間に縦じわが3本。困惑の表情だが、完全に見放したわけじゃなさそうだ。耳の角度から判断して、まだ話を聞く姿勢は保っているみたい。「名前は〈グルメ・クラフト〉です。古代の魔道具で……その」 俺は少し言いにくそうに続けた。こういう貴重品の知識があることを、どう説明すればいいのか分からない。「魔力を吸収して、ジャムを作るんです」「……は?」 青年の表情が、困惑から呆れに変わった。尻尾が床を2回叩く——獣人の苛立ちを示すサインなんだろう。当然の反応だった。「あの、冗談をいってる訳じゃないんですよ。えっと……」 俺は慌てて説明を続ける。「必要な魔力は、魔導士10人が一昼夜で注ぎ込む量で……それで大さじ1杯のジャムができるんです」「……馬鹿にしてるのか」 青年の声に、初めて怒りが混じった。拳が僅かに震えている——0.3秒間隔の小刻みな振動。これ以上続けると、本格的に怒鳴られそう。「でも、考えてみてください」俺は急いで続けた。「なぜ『果実を入れるべからず』と書かれているのか」 青年の表情が、僅かに変わった。耳がぴくりと動く——興味を示すサインなのかな。「果実には、天然の糖分が含まれています。それがあると、魔力の糖化変換が正常に働かない。つまり——」「つまり?」「この壺は、純粋な魔力だけを対象にしてるんです。魔力を、緩やかに、自然に吸収する……」 青年の瞳が、鋭く光った。瞳孔が0.5ミリメートル収縮——理解と期待が混じった反応かもしれない。「もし、妹さんの体内で暴走している魔力を、薬で無理に抑え込むのじゃなくて、自然に排出できるとしたら……どうでしょうか」「……それは」 青年の声が掠れた。希望と不安が入り混じっている。「副作用は……」 俺は少しだけ笑った。「美味しいジャムができるだけです。味は、その人の好みに合わせて決まるらしくて」 ――しばらくの沈黙。 青年は、おもむろに手を伸ばし——壺を、そっと受け取った。その手が、僅かに震えている。「……これで、ダメだったら?」「そのときは……また一緒に考えましょう。もっ
last updateLast Updated : 2025-11-17
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受付嬢と香りの扉Ⅰ

 王都でいちばん胃が重くなる扉ランキング、堂々の第一位……だろうか。 白石の外壁に金の扉。月桂樹のレリーフが左右に刻まれ、開閉のたびに上品な香りが漂う。扉の奥には鏡のように磨き上げられた床、金糸のカーテン、魔導式の照明に照らされたガラス棚。どこを見ても、きらびやかで、完璧で――そして場違いな自分が映り込んでいる。《ベルティエ香水本店》。王都最大の香水専門店にして、王族御用達の『格が違う』店。 そして俺は、その香水棚の裏側で働く、ただの雑貨屋バイト。しかも派遣の。(ここには……床にコーヒー豆が挟まってることも、魔道具の取っ手が取れてることもないんだよなあ) さすがは高級店なんでしょうか。俺が普段いる場所とは、空気の密度からして違うような気がする。 ムーア商店でしか仕入れられない香水の運搬と雑用を仰せつかって、ここに向かったのが二十分前。ちなみにムーア商店からここまで、急ぎ足でも三十分はかかる距離だ。「四分ちょっと遅刻ですわね」 声が氷点下まで下がった。「まあ、五分以内ですから許容範囲として差し上げましょう」 チーフのレイヴィスさんが、今日も絶好調で塩対応してくれる。 銀髪に灰色の瞳、無駄のない立ち居振る舞いに完璧な制服姿。冷静で、ときどき刺してくる言葉に毒があるけれど、それが不思議と似合う美人さんだ。まるで香水瓶そのもののように、近寄りがたくて美しい。「本日もよろしくお願いします、レイヴィスさん。フィンです」「ええ。存じております」 知ってるなら名乗らなくてもよかったのでは……。「今日も香水棚の整理をお願いします。調香室には――」 カラン。 高級感のある鈴の音が、レイヴィスさんの言葉を遮った。ムーア商店の錆びついた鈴とは大違いだ。これが格差社会か。 扉が開き、ひとりの女性が入ってきた。 濡れ羽色の長い髪を後ろで束ね、銀のブローチがあしらわれた深緑のワンピース。肌は陶器のように白く、瞳は翡翠めいた深い緑。整った顔立ちに完璧な笑顔を浮かべながら――店内の香水棚を、まるで地雷原のように避けて歩いている。(この歩き方……) 癖のない接客訓練型。姿勢、目線、所作。高圧対応に慣れている。接客職、それも受付系――そして、胸元には冒険者ギルドの徽章。 なるほど。ギルド受付嬢か。「セリナ・リースさん」 レイヴィスさんの声音が、さらに一段
last updateLast Updated : 2025-11-18
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受付嬢と香りの扉Ⅱ

 応接室に入ると、セリナさんは小さく息を吐いた。 魔導式の空調が効いているこの部屋は、香りの混入がほとんどない。それだけで、彼女の肩からほんの少しだけ緊張が抜けたように見えた。 王都の冒険者ギルドは、一日で百人以上の受付があるはずだ。店にもよく来るけれど、あの人たちは声が大きいし、わがままだし、筋肉が瓶棚に当たるし――それをずっと相手しているなんて、そりゃ疲れるでしょうね。 冒険者ギルド。王都ペルファリアの中央通り沿い、目立つ建物のひとつで、王国各地の依頼や物資流通の拠点にもなっている。粗野な連中から貴族階級の戦闘専門職まで集まる混成組織で、受付嬢の仕事は『あらゆる理不尽を処理する職業』とも呼ばれているらしい。 そんなギルドの『顔』と呼ばれる受付嬢が、今は明らかに何かに怯えている。それだけで、もう十分異常だった。「改めまして」 俺は軽く頭を下げた。「フィン・アルバ・スヴァインといいます。普段は王都四区・西側市街の外れにある『ムーア商店』で働いていて――今日は臨時でこちらに」 高級店の応接室には似合わない自己紹介だけれど、相手の顔が少し和らいだ気がする。「ムーア商店……聞いたことがあります」 セリナさんの声に、わずかに親しみが混じった。「冒険者仲間から、『ちょっと変わった雑貨屋がある』って。『変なものが置いてあって、変なバイトがいる』とも」「否定はしません」 苦笑いしながら続ける。「商売柄香水の知識もありますので、香りのことで何かお悩みなら、お力になれるかもしれませんよ?」 セリナさんが、ふっと微笑んだ。それだけで、さっきよりもずっと話しやすい空気になった。「構いませんので、どうぞ。何があったのか……お話いただけますか?」「香りが」 セリナさんの手が、ぎゅっと膝の上で組まれる。「怖いんです」 香りが怖い? 不思議な言い回しだった。苦手な匂いがある、ではなく怖い。「ある香水の匂いを嗅ぐと、頭が真っ白になって……気づくと、時間が飛んでるような感覚になります」 セリナさんの声が、だんだん小さくなっていく。「最初は疲れているのかなって思ってたんです。でも、繰り返すたびに――怖くなって」「それは、いつ頃から?」「半月くらい前……ギルドでお客様の応対をしていた時に、ふと懐かしい香りがして……」 セリナさんは、おもむろにハンカチ
last updateLast Updated : 2025-11-19
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受付嬢と香りの扉Ⅲ

 その瞬間、応接室の扉が音もなく開いた。「…………」 銀髪に整った制服姿。けれど、レイヴィスさんの瞳が俺を見たとき、ほんの一瞬、動揺の色が混じった。「何故、わかったの?」 その問いには二つの意味が込められていた。何故、扉の前で様子を伺っているのがわかったのか。もう一つは、何故この香水を調香したのが自分だとわかったのか。 レイヴィスさんの目線が、はじめて俺を『見下ろす』のではなく、『探るように』向けられた。「途中から、香りが一つ、増えたんです」 俺はそっと視線を応接室の扉にやった。「店内用のフレグランスとは違う。白茶ベースの、柔らかくて、でも芯のある香り。あれ、レイヴィスさんがいつも身につけてる香水ですよね?」 ほんのわずか、空気の層が変わったのを俺は逃さなかった。「扉の外から、微かに香ってきてました。他の人なら気づかない程度かもしれませんけど……俺、香りにはちょっと敏いので」 肩をすくめてから続ける。「それと、もう一つ。この香水の構成、かなり特徴的だったんです」 俺は頭の中に残っていた香りの層を思い出す。「白木と白花の重ね方、それに柑橘の取り合わせ。少し古い組み合わせでした。でも、香りの揮発層が不安定で、魔力の封入も甘い。完成度でいえば、まだ経験が浅い人の仕事だって、すぐにわかりました」 荒削り。でも、それ以上に、強い意志を感じた。「それでも、芯は通ってたんです。方向性に迷いがなくて、『誰かのためだけに』作られた香りだって、はっきり伝わってきた。だから……プロになってすぐの、はじまりの仕事だろうって思ったんです」 俺は一度だけ、息を整えた。「それと――その香り、ひとつだけ、特徴的な癖があったんです。トップノートの立ち上がりが0.8秒ほど早くて、ラストノートが15%ほど薄く抜ける」 香りの『持ち方』が、不思議なくらい既視感があった。「前にも一度、レイヴィスさんが調香した香水で、同じ揮発の癖を感じたことがあります。だから、確信しました。この香水を作ったのは、あなたです」 俺の言葉に、レイヴィスさんはゆっくりと頷いた。「ベルティエに就職してすぐ、私が初めて任された個人調香でした」 レイヴィスさんの声は、いつもよりほんの少しだけ、遠くを見ていた。銀の睫毛が伏せられ、その眼差しは過去のどこかに結ばれているようだった。「『誰にも
last updateLast Updated : 2025-11-20
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勇者の遺言と、地味バイトⅠ

 朝のムーア商店は、まだ静かだった。 街の中心からやや離れた西区の外れにあるこの小さな店には、今日も微かな埃と香りが混ざった空気が漂っている。時間帯的に来るのは常連ばかり……のはずだった。「フィンさん? 私のこと覚えてらっしゃいます?」 聞き覚えのある声に顔を上げると、セリナさんが店先に立っていた。 ――この前高級香水店を手伝ってた時に、ちょっと色々あった冒険者ギルドの受付嬢さん。「はい、もちろんですよ、セリナさん」「良かった……今日は少し、お願いがありまして」 前と違って今日は明るい笑顔だ。 でも、つくっている笑顔だね、これは。 その証拠に、彼女の手は今日はスカートの裾を固く握りしめている。「少し変わったお客さんを連れてきたんですけど……」 彼女が言葉を探すように視線を泳がせる。「ここには色々なアイテムや魔導具があると聞きまして、フィンさんなら対応できるかと」 セリナさんの表情が曇る。 嫌な予感が脳裏をよぎった。セリナさんがこんな表情をするなんて、相当だ。(また面倒事が俺のところに回ってきた)「わかりました。俺でよければ」 そう言った直後、店の扉の鈴が鳴る。 入ってきたのは、三人の冒険者だった。(うわ、この歩き方……) 年齢も体格もまるでバラバラなのに、三人の歩幅が完璧に合っている。長年連携してきた証拠だ。でも、なんで今更こんな雑貨屋に? 一人目:鋼の盾を背負った大柄の男。腕には戦場の古傷が残る。無口そうだが、商品を手に取る仕草が異様に丁寧。 二人目:薄手のローブをまとった魔導士風の女性。黒髪に琥珀の瞳、口調は軽そうだが、その目は常に仲間二人の様子を気遣っている。 三人目:素手で戦いそうな軽装の青年。見るからに武闘派なのに、なぜか背中が寂しげに見える。(この組み合わせ、どこかで見覚えが……) その時、カウンター奥からムーアさんが一歩前に出た。「……あれは、勇者パーティじゃねぇか。鉄壁のエルド、氷雪のナナ、それに豪拳のビル……」 小声で呟く店主の目が、珍しく真剣だった。「十年前、魔族連合の将……魔王を討ち取った。勇者が死んでからは、普通に冒険者として活動してるって聞いたけどな……」(勇者のパーティーが雑貨屋で買い物? しかも妙に暗い雰囲気で?)「このお店なら、皆さんのご希望のものがあるかと思います。それで
last updateLast Updated : 2025-11-21
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勇者の遺言と、地味バイトⅡ

 彼女――ナナさんはカウンターの木目を見つめるように視線を落とし、口を開いた。「……古い神々の遺跡だったの」 彼女の声は静かだったけれど、その奥にある何かは、ひりつくほど濃かった。「遺跡の奥に、呪印の罠があったの。……あの子が、うっかり触れてしまって」 ビルさんが言葉を継いだ。あくまで淡々とした口調で、でも目の奥が揺れていた。「反応は一瞬だった。床に埋まってた呪刻印が全部、光って……」 その場面を思い出しているのだろう。ビルさんの拳が、無意識にわずかに握られていた。 光――呪いの起動と同時に走った、死の予感。 誰より先に動いたのが、この男だったのかもしれない。「結界が閉じかけた瞬間、三人でリオンを突き飛ばした。外に出せば、結界は遮断されると読んで」 声のトーンは変わらなかったが、喉の奥が震えていた。 言いながらも、彼自身がその瞬間を何度も思い返してきたのだと、すぐにわかった。 きっと他に選択肢はなかったんだろう。 誰が何を言う前に、三人とも同じ行動を取った――そういう、絆だったのだ。 エルドさんが、ぽつりと呟いた。「……賭けだった」 ナナさんは、わずかに肩を震わせた。 それは寒さでも怒りでもなく、こらえきれない悲しみが形になったような震えだった。「賭けに勝った。でも、代償は……あの子に知られちゃいけなかった」 言葉を絞り出すように、彼女は続けた。「私たちが受けたのは、古い神々の呪いよ。今の魔術じゃ、どうやっても解けないの」 呟く声は静かだったが、その内容は重かった。「ゆっくりと時間をかけて、体を蝕んでいくの。魔力に染み込むように。……この体に魔力がある限りは、絶対に消えない呪い」 彼女は自分の左手の甲を見た。そこに浮かぶ淡い刻印が、皮膚の奥でかすかに光っていた。「命がある限り、魔力は体に宿る。だから……どうしようもないのよ」 その声に、誰も言葉を返せなかった。 静けさが、まるで呪いの証明のように店の中に満ちていった。「リオンは、真面目だからな」 ビルさんの声が、少しだけ笑っていた。「自分のせいで呪われたって知ったら、あいつ、絶対に後悔まみれの一生を送ることになるんだぜ」「それが一番怖かったの」 ナナさんの目に、光が滲んでいた。「だから、追放した。……自分のせいで、あの人の仲間が呪われたなんて、あの子に
last updateLast Updated : 2025-11-22
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ハクアレポートⅠ

 向かいの建物の屋上から、私はムーア商店を見下ろしていた。 午前の陽射しが店の窓に差し込み、フィンが棚整理をする姿が見える。いつもと変わらない、穏やかな朝の風景。監視任務としては、退屈と言ってもいいほど平穏な日々が続いている。 ――そこへ、冒険者ギルドの受付嬢セリナ・リースが現れた。 彼女の後ろには、見覚えのある三人の冒険者。元勇者パーティーのメンバーたちだった。私でも知っている有名な顔ぶれ。(なぜあの人たちが雑貨屋に?) 興味深い。セリナがわざわざ案内しているということは、何か特別な用事があるのだろう。 双眼鏡越しに店内の様子を観察する。フィンは客を迎え、いつものように接客を始めた。だが――やはり、この男は普通ではない。 診断魔導具を自然に提示し、三人の体調を瞬時に判定。その手際の良さ、判断の的確さ。一般的な雑貨屋の店員にしては、あまりにも専門的すぎる。(あの観察眼、やはり訓練の産物か) 三人が店を出るまで、私は静かに見守っていた。その後しばらくして、一人の少年が店に現れ、何かを受け取って立ち去る。全て、フィンの想定内の出来事のようだった。 ――今日も、興味深い一日だった。 ◆ アジトに戻った私は、いつものように監視報告の整理を始めた。 フィンの行動記録、来店客の詳細、会話の内容――全てを几帳面にファイルに纏める。組織の決まりだし、何より私の性分でもある。 だが今日は、少し気になることがあった。 勇者パーティーの元メンバーたちが、なぜフィンのもとを訪れたのか。セリナが案内したということは、何か特別な理由があったはず。(もう少し、フィンの過去を調べないと) 私は古い資料の束を取り出した。王都ギルドから入手した、過去の冒険者登録記録。普段はほとんど目を通さない、埃っぽい書類の山。 フィン・アルバ=スヴァイン――その名前をひたすらに探し続ける。 該当記録が見つかった。 ほぼ三日かかったが。無駄に疲れて目が痛い。 そして、ようやく見つけた記録に目を通す。 約五年前の登録。パーティー名『暁の剣』メンバーは二名―― フィン・アルバ=スヴァイン、当時十代前半。 そして、相方の名前を見た瞬間、私は息を呑んだ。「……カティア?」 声に出してしまった。 『烈火の英雄』カティア。生涯、誰ともパーティを組まないだろうと言われた孤高の
last updateLast Updated : 2025-11-23
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「害虫騒ぎと寮への避難Ⅰ」

 それは、読書中の午後のことだった。 静まり返った私の部屋には、紅茶の残り香と、古書のかすかな埃っぽさが漂っていた。  けれど、そのなかに——まったく別種の匂いが、紛れ込んでいる気がした。「……ん?」 ページをめくる手を止めて、鼻をひくつかせる。  どこか甘ったるい、けれど不自然な重さのある香り。  花のようでいて花でなく、香水のようでいて調和を欠く。 なにかこう……胸がムカムカするというか…… 読書を続けようとしても、気が散って文字が入ってこない。  香りの由来が気になって仕方ない。「……ううっ、不吉な気配ですわ……?」 乙女ゲーム的勘がざわつく。  こんなふうに日常に小さな違和感が忍び寄るときって——大体、バッドイベント前なんだよね……!◆「ひゃあっ!? で、出ましたわっ、また羽虫が!」「奥の廊下で白蟻が! まさかこんな時期に……っ」 部屋の外から、使用人たちの悲鳴混じりの声が聞こえてくる。  クラリスの声も混じっていて、状況はどうやら尋常ではない様子。 ほどなくして部屋の扉がノックもそこそこに開き、クラリスが慌てて飛び込んできた。「お嬢様っ、大丈夫ですか!? ご気分は……」「ええ、なんとか……。でもこの香り、やっぱり妙ですわ」 わたしの言葉にクラリスは目を伏せ、困ったように言葉を継いだ。「……実は、屋敷のあちこちで虫の異常発生が報告されておりまして。私どもも原因を突き止めきれず……」「やはり……! これは、ますます"フラグ感"が濃厚になってきましたわね……!」「ふ、フラグ……?」「ええ、この展開……乙女ゲームでは定番の"ルート分岐直前イベント"なんですの!」 クラリスが不思議そうに首をかしげる。 ふふふ……これだから庶民は、"構造化された運命"に疎いのよね。 私はすっくと立ち上がり、まだぼんやりと漂う甘い香りの残る空気を見渡す。「これは、いよいよ大きな物語の転換点が近づいている気がしますの……!」 やる気に満ちた笑みを浮かべながら、私は謎の虫騒動の中へ一歩踏み出す—— 次なる"出会い"と"波乱"の幕開けを、すでに確信しながら。◆「……構造上の問題かと存じます。屋敷の土台に湿気が溜まりやすく、どうやらそれが原因で虫の発生が促されているようです」 家令のクライストは、淡々とそう告げた。
last updateLast Updated : 2025-11-24
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「害虫騒ぎと寮への避難Ⅱ」

 馬車が学園の敷地に入ったとき、私は窓の外をじっと見つめていた。 改めて思い返してみても、この学園——フレグラントール学園は、本当に規模が大きい。 魔導、調香、教養、対人応対……多岐にわたる学科が並び、いずれも王都きっての才女たちが集まっている。学問のレベルも高いけれど、実技系の授業も充実していて、実習室や調香室、さらには温室や図書館、中庭まである。 まるで、ひとつの小さな街みたいだ……! 学園内には、教員の居住区や男子寮、複数の女子寮まで整備されている。私が今回入寮するのは、その中でも"高等貴族向け"とされるスピカ寮。少人数制で、部屋も基本は一人か二人。特別待遇、というほどではないけれど、確かに静かで落ち着いた雰囲気がある。 ふふ……新章にふさわしい舞台が整ってるじゃない! スピカ寮は、荘厳というよりは——清楚な雰囲気を纏っていた。 外壁は白く塗られ、レンガ造りのアーチと蔦の絡まる窓辺。屋敷とはまるで違うその佇まいに、私はほんの少しだけ息を呑む。 学園にはいくつかの女子寮があると聞いていたけれど、どうやらここはその中でも比較的落ち着いた"高等貴族向け"の寮らしい。少人数制で、部屋割りも一人か二人。……こういうの、意外と嫌いじゃない。 スピカ寮の扉が、静かに開かれる。 中に一歩足を踏み入れた瞬間、思わずその場に立ち止まってしまった。 床は上質なカーペットが敷かれ、足音すら吸い込まれていくような静けさ。壁には繊細な花模様のタペストリーが飾られ、明るすぎず、かといって薄暗くもない、柔らかな光が空間を満たしていた。 空気が、違う。 漂ってきたのは、ごく控えめに調香された——ミントと白花の香り。清潔感と落ち着き、それにほんの少しの甘さが混ざったような、心を静めるブレンドだ。 ふわぁ……これは、"帰ってきたくなる"香りじゃない…… 高級感を押しつけるでもなく、華美に飾り立てるでもなく。けれど確かに、整えられている。気品と実用が両立した、"良い寮"の香りがした。 案内してくれたのは、銀青色の髪を肩で切り揃えた少女だった。「案内役を仰せつかっております。リュシア=フェンリル、寮長を務めて……ってエレナ?」 リュシアちゃん!? 寮長だったの? さすがは優等生! 珍しくビックリ顔のリュシアに、わたしは思わず吹き出し——いえ、咳払いでごまかした。
last updateLast Updated : 2025-11-25
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