All Chapters of 時空勇者 〜過去に遡ったら宿敵の魔王と旅立つことになりました〜: Chapter 61 - Chapter 70

71 Chapters

第60話「霧の森の地下道」

 昼下がりの鍛冶場は、霧の森の中では珍しく熱気に満ちている。  叩き続けた鉄の匂いと焼けた木材の香りが混じり合い、自身の剣を鍛え直したセリュオスはどこか懐かしい気持ちで剣を見つめていた。 刃の線に沿って布を滑らせ、剣の整備を終わらせる。  ちょうど次の旅に出るための準備を整えたところだった。「おう、セリュオスの旦那」  セリュオスが愛剣を鞘に納めると、その背中を軽く叩かれて振り向いた。  そこには地面を抜け出したガドルが、肩に袋を担いで立っていた。「ガドルって、意外に小さいんだよな……」 「あっしのこと、チビって言うな! 地を這う民は生まれつき、小柄な種族なんだよ! そんなことより! そろそろ行くんだよな、魔王が待つ北へ」「そのつもりだ。……ガドルも道案内、してくれるんだな?」 「ったりめえよぉ! 地下道ならあっしに任しとけ! ここいらの穴なら、全部庭みてえなもんだからよ」 自信満々に胸を張るガドルを見て、セリュオスは少しだけ安堵した。  この男の底抜けの明るさは、行き先の不安を薄めてくれるような感覚があった。 北に向かう話を進めていく中で、ガドルが森を歩くよりも地下道を抜けたほうが遥かに安全だと教えてくれたのだ。  地下道を進むしばらくの間、案内人を務めるのはガドルということになった。「地下道があるってことはさ……霧の森の下って、そんなに広い世界が広がっているのか?」 「広いも何も、あっしら地を這う民が暮らしてるのは、その地下世界なんだぜェ!? ま、狭いけどな」 狭いのかよと心の中でツッコミつつ、セリュオスは苦笑した。  すると、鍛冶場の奥から、控えめな声が聞こえてきた。  それは資料の束を抱えてやって来たシエルハだった。「地を這う民は、昔から地中に“霧逃れの道”を作って住んでいたんですよ。その地下道を移動すれば、たとえ霧が濃くても、その影響は受けにくくなりますね」 「なるほどな。ガドルは説明が足りないから、シエルハがいてくれると助かるな。……まだ時間まで少しあるが、シエルハも準備ができたみたいだな」  セリュオスが視線を向けると、シエルハは小さく頷いた。「はい! 元々身軽にしていたので、持参する資料をまとめるだけで済みました」  とは言いつつ、小柄なシエルハはかなりの荷を
Read more

第61話「風の原野」

 森の民の集落から距離が離れて、罠が減ったことを確かめたセリュオスたちは、地下道から出て地上を歩くことにしていた。  ガドル曰く、目的地に向かうためには一度地上に出なければいけないらしい。 どうせなら、すべての地下道を繋げてくれれば良かったのにと思うセリュオスだが、地下道をすべて繋げてしまうと、もしも外敵に侵入を許した際、地を這う民の村が襲撃される可能性も高まってしまうからなのだとか。 そして、しばらく続いた霧の森を抜けた瞬間、セリュオスは思わず足を止めた。  その場所だけ、先ほどまでと全く異なる世界が広がっていたのだ。 長い間立ち込めていた乳白色の霧が嘘のように晴れ、頭上には雲ひとつない蒼穹が現れた。  霧の森の湿った匂いは薄れ、代わりに冷たく澄んだ風が頬を撫でた。「……ここは“風の原野”と呼ばれる場所です」  シエルハの呟きに応えるように、遠くで草原が騒めいた。  起伏の少ない広大な大地の上を、風が川のように流れていく。「風の、原野……」  草海が波打ち、陽光が反射し、小さな煌めきが走る。 「気持ちのいい場所ね」  エレージアは靡く髪を押さえながら、辺りを見渡していた。「ここまで視界が開ける場所もあったんだな。霧の発生しづらい外縁だと聞いたが……想像以上だ」 「はい。未だにその原理は解明されていませんが、霧流が薄くなる地域ということだけはわかっているそうです」  セリュオスの驚きにシエルハが頷き、旅装のポーチから古地図を取り出した。「それに、古代の遺構が数多く発見されているとも文献に書いてありました。ここも、かつて暮らしていた民がいた、貴重な情報を残している遺跡群ということですよ!」 「煩わしい霧が少なくて、ずっとここに留まりたいくらい」  エレージアは乾いた空気を吸い込み、僅かに目を細める。「それに、何かが“残っている”ような気配を感じるわ」 「その何かが、俺たちを待っているんだな……」  セリュオスもエレージアと同じような感覚を抱いていた。  あのルキシアナたちと共に旅をした、地底世界の懐かしい気配を。 霧の森を彷徨っている間は気づかなかったが、今は目の前の遺跡に何かが潜んでいるような、そんな微細な気配を
Read more

第62話「精霊の呼び声」

 壁画の先には、人が一人通れるほどの狭い道が続いていた。  崩れた石壁には長い年月を示す苔が張り付き、天井の裂け目から差し込む淡い光が、床に刻まれた古代の紋様をぼんやりと照らしている。 そこには風はなく、自然の音は感じられなかった。  ただ、時間だけを堆積させたような空間――それだけが広がっているように見えた。 セリュオスたちが進めば進むほどに道は広がっていき、遺跡の奥地と思われる場所まで出ると、そこには広場があった。「さて、吉と出るか、凶と出るか……」  セリュオスたち一行は、広場を前にして立ち尽くした。  そこにあったのは、何かを祀る祭壇のような施設だったのだ。 無音の空間に微かな不安が混じる。  セリュオスは拳を握り締め、静かに息を吐いた。 そこに待ち受けていたのは、見慣れぬ霊体のような存在だった。  外から感じていた悪寒の正体に間違いないだろう。「精霊ね……」  目の前の霊体の正体を暴いたのは、エレージアだ。「あれが、そうなんだな……」  その時、蛍晶鉱石の首飾りが淡く光を放ち、精霊に向かって光の輪を作った。  微かな脈動のように光が揺れる。「オルデリウス。あれを倒せってことか……」  胸の奥が僅かに軋む。  風の原野で感じた警戒よりも、さらに濃密な気配が目前に迫っていた。 セリュオスは即座に剣の柄に手をかける。  その瞬間、ゴゴゴ……という低い音が遺跡全体を震わせた。 床に刻まれた紋様が淡く光を帯び、中央の祭壇跡が軋みながら隆起する。  周囲に散った石片が宙に浮き、まるで意思を持っているかのように精霊のもとに集まり始めた。「――シンニュウシャ、ハイジョ、スル――」  感情の欠片も感じられない無機質な声。  それは空気を震わせ、骨に直接響くようだ。 石片を取り込んだ精霊は人の形を模したように、歪な巨躯を成していく。  その腕には刃のように研がれた鉱石が埋め込まれ、胸部では古代文字に囲まれた光核が脈動していた。「遺跡を守る、精霊ってとこか……」  次の瞬間、精霊は前触れもなく跳躍した。  地を蹴る音すらなく、一気に間合いを詰めてくる。  刃腕が横薙ぎに振るわれ、セリュオスは|咄嗟《と
Read more

第63話「霧と森の戦い」

 濃密な霧が樹海を包み込んでいる。  風の原野を後にしたセリュオスたちは、再び霧の森の中を駆けていた。 光は十分に届かず、木々の間を縫う風がざわめきを運んでくる。  霧は湿り、重く、不穏な気配と共にセリュオスの肌に張り付くように感じられた。 風を裂く矢音や剣戟が徐々に大きくなっていく。  怒号が交錯し、森の奥の方からは、叫びや悲鳴、武器同士の衝突音がひっきりなしに漏れ聞こえてきた。「やっぱりか……」  セリュオスは霧の中を見渡しながら、低く息をついた。  シエルハの情報どおり、森の民と霧の民――二つの勢力が、すでに衝突を始めていたのだ。「ここは大切な遺跡なんです! この遺跡が破壊されてしまったら、過去の歴史を知ることも、僕たちがこれから築いていく未来も、何もかもが変わってしまいます!」  シエルハの声は霧の中に吸い込まれてしまいそうなほどにかぼそく、目の前の戦いに集中している彼らには一切届かない。 少年の群青色の髪が激しく揺れる。  巻物や資料を抱えたまま、必死に遺跡の周囲を駆けるシエルハの姿に、戦の理不尽さと少年の無力さが際立って見えた。「今すぐ戦いをやめろ! なぜ争う必要があるんだ!」  ただ見ているだけでいられなくなったセリュオスは剣を抜き、叫んだ。  だが、その声は矢の軋む音や怒号の奔流に搔き消されてしまう。  森は戦乱の狂気に包まれ、木の葉は裂け、枝は折れ、セリュオスたちの足元に飛んでくる。「誰も聞く耳を持たないわね……」 「おい、旦那……! これは簡単に止まるような戦じゃねえぞ。どうするつもりなんだ?」  ガドルがセリュオスに告げた次の瞬間、セリュオスの視線の先で森の民の一人が弓から矢を放った。  弓矢は遺跡を駆けるシエルハに向かって迫っているように見えた。  セリュオスは一切躊躇することなく、飛び出していた。「シエルハッ! 危ない!!」  不意を突かれてしまったのか、完全に動揺している少年に向かって、セリュオスは飛び込んだ。  間一髪だった。  弓矢はセリュオスの頭の横を通り過ぎて、その先の大樹に突き刺さっていた。「ったく、無茶しやがって……」  ガドルは冷静に周囲を見渡しながら、セリュオスの背を守るように立っている。  低い姿勢で、枝や根の陰から飛来する矢を鋼の拳
Read more

第64話「希望の道」

 霧に覆われた樹海の中、戦乱の臭気は濃く、崩れかけた遺跡の石柱や倒れた祭壇が戦いの悲惨さを物語っていた。「俺が戦い続けるために、みんなの力を貸してもらうぞ……」  そんな中で、セリュオスは自身の剣を空高く掲げた。  フィオラの風、ダルクの大地、ミュリナの影、そしてアベリオンの闇炎の力。  彼らの力を借りて、セリュオスはその手に持った剣を聖剣へと変貌させる。「俺が必ず……止める!」 「その剣ってことは……ようやく、旦那も本気出すってことなんだな!? だったらあっしも、本気出さねえとダメ見てえだなァ!」  ガドルもまた全身に力を込めると、拳だけでなくその身体全体を覆うように金属の流体が溢れ出し、コーティングしていく。  まるで鋼鉄の鎧を纏ったかのように、武骨な重戦士が誕生していた。「セリュオスさん!? ガドルさんも!」  シエルハは驚きつつも、セリュオスの姿を興味深そうに見つめている。 「この大群を相手に、真正面から止めるつもりなのね……」  エレージアの視線はどこか悲しそうである。  まるで未来に起こることをすべて知っているかのように。 霧の森の戦場は、もはや戦場と呼ぶには歪みすぎていた。  霧に包まれた樹海の只中で、森の民と霧の民が互いに刃を向け合い、怒号と憎悪が絡み合って狂気の渦を作り上げている。  血飛沫が舞い、折れた枝が踏み砕かれ、遺跡の石片が無遠慮に蹴散らされていた。 その中心に、セリュオスは立っていた。  聖剣を握る両手は力強く、覚悟が変わることはなかった。  それと同時に、胸の奥には痛みのような重さが沈んでいた。「……もう、やめろ」  セリュオスの声は決して大きくなかった。  しかし、不思議と剣を交える者たちの動きが、一瞬だけ鈍ったように見える。 言葉どおりに止まらなければ、自身の命が危ないかもしれないと本能的に危機を察知したのだろうか。  それでも、結局彼らは戦いを止めなかった。 セリュオスはふっと息を吐いてから、兵団に向かって一気に踏み込んだ。  ガドルもその後ろをついて来ているのがわかった。 セリュオスが振り下ろした刃は、戦士の喉元を外れ、武器を握る手首を正確に打った。  決して骨を砕かぬ角度、それでい
Read more

第65話「我の名はゼルフ、かつてオルデリウスと呼ばれた者」

 霧と森の民の戦場から南の方角。  少し前にセリュオスたちが訪れた森の民の集落があった方向から、それは現れた。 その巨体は樹海を掻き分けるようにして、セリュオスたちの頭上に姿を見せる。  彼の者の正体は、かつての魔王オルデリウスの意識が入り込んだ――ゼルフ78号だった。 木々の間を縫うように微かな光が走り、セリュオスが持つ蛍晶鉱石の首飾りが淡く脈動していた。  蛍晶鉱石の放った光が、森の民の集落で眠っていたゼルフ78号を呼び覚ましたということだろう。「……ゼルフ78号……。いったい彼は、何のために現れたんでしょうか……!?」  シエルハの声が小さな震えを帯びて森に響く。  彼の瞳は、驚きと緊張で大きく見開かれていた。「ちゃんとその目で見ていなさい。これから、セリュオスが何を成し遂げるのかを」 「……セリュオスさんが?」 首飾りの光に誘われるように、セリュオスはいつの間にか足を踏み出していた。  まるでオルデリウスに導かれるかのように、緩やかに霧を抜けて進んでいく。「……ゼルフ78号。俺が、お前を呼んだんだ。今こそ、ゼルフ78号の力が必要だと思ったから……」  低く呟く声に、周囲の霧が一瞬だけ揺らめいた。  その瞬間、空気が変わった。「我を呼びし勇者セリュオスよ。お主は我に、何を望む?」  大地が振動し、瓦礫が不自然に押しのけられるように動き始める。  崩れた石壁や倒木の隙間を縫うように、未知の力が流れる音が森全体に響いた。 まるでゼルフの声に呼応するかのように明滅する蛍晶鉱石の光は、森の奥底から立ち上る巨大な意志そのもののようだった。「セリュオス……あなたが、この戦いを止めるのよ……」  エレージアの声が、霧の向こうで微かに震える。  彼女は腕を組み、周囲を警戒しながらもセリュオスとゼルフの対峙を見守っていた。 苔と錆に覆われた鋼鉄の身体は長い年月を感じさせるが、その瞳は赤く光り、まだ廃れていないと主張するように圧倒的な存在感を放っている。「どうした、セリュオスよ。識別コード――ルキシアナ、またはその継承権を持つ者による命令はまだか?」  機械の声が霧の森に響き渡る。  セリュオスは息を整えてから首飾りを握り締
Read more

第66話「終わりではなく、始まり」

 ミストヴェラールは激しい戦乱を経て、ようやく静けさを取り戻していた。  だが、木々と崩れた遺跡の残骸は、戦による爪痕の深さを無言で物語っている。 地面には散らばった矢尻や折れた槍の柄が点在しており、森全体がまるで深い呼吸をするかのように沈黙していた。「アンタはミストヴェラールに伝わる伝説の宝具を使って、あの鉄の巨体を動かした。……つまり、アンタが魔王を倒すために現れた勇者ってことなんだろ?」  それを聞いた瞬間、セリュオスは目を見開いた。「確かに、俺は勇者だが……」 「だったら話は早いね。この後、霧の民と森の民の代表によって、停戦の会談がおこなわれる。でも、この戦いを終わらせたのはアンタだ。アタイらじゃない。だから、その責任として、アンタには第三者として会談に立ち会ってほしいんだ」 「急に立ち会えって言われても……」 「できることなら、アタイはもう、霧と森の民の戦いをもう起こさせたくない……! アンタに関係ないことは重々承知してるさ! それでも、どうか今だけでいいんだ。アタイらに、協力してくれないか?」 レバザの想いが、本気度が、セリュオスに犇々と伝わってくる。  彼らが争わないでいてくれると言うのなら、セリュオスにも断る理由はなかった。「俺も人間同士の戦いを見るのは嫌だから、その気持ちは痛いほどわかる。もちろん、俺にできることなら、協力させてもらうつもりだ」  セリュオスは戦いの最中に感じた無力感を、今一度胸の奥に抱え込みながらも、目の前のレバザに誠意を示すように微笑んだ。「それでこそ、勇者だ……!」  彼女もまた、深く息を吸い込み、ゆっくりと頷いた。 セリュオスが仲間たちの姿を見渡すと、崩れかけた遺跡の前にシエルハがいた。  生き残った森と霧の民は互いに距離を取りながら、シエルハの指導のもと瓦礫を片づけている。  その付近ではガドルも協力しているようで、荒れてしまった森の正常化が進められていた。 レバザ曰く、今すぐ元に戻ることはないだろうが、森の意志さえはっきりしていれば、また新たな生命が芽吹き始めるのだとか。  誰もが目を合わせることを躊躇い、言葉は少なかったが、それでも自分たちが起こしてしまった争いの責任を取ろうという気概を感じることができた。 森の中央に設けられた仮
Read more

第67話「魔王領を目指して」

 霧の民と森の民が戦場を去るのを見届けたセリュオスたちは、シエルハたちが修復してくれていた遺跡の前に集まった。  まだ修復が完全とは言えないが、最低限の補強はすることができたらしい。  ふと上を見上げると、そこにはオルデリウスの姿もあった。「我の体も、相当燃費が悪くなっているらしい。それに、この地は肌に合わぬ。ルキシアナの子孫たちを守るためにも、一度南に帰らせてもらおう」  機械じみた声ではあるが、その中には確かな意思が宿っていた。  オルデリウスに頼ることがあるとすれば、あと一度だろうか。  確証はないが、そんな予感がセリュオスの頭をよぎった。「ああ。力を借りたい時は、またこの首飾りで呼び出させてもらうからな」  セリュオスが首飾りを見せると、オルデリウスの瞳が揺らぐように、微かな反応を示した。  金属の体に刻まれた苔や傷跡は、長い年月と補修されていないことを示している。  1000年も朽ちずに残っているということは、それだけルキシアナの技術が優れているということでもあった。「勘弁してくれないか。その光がどれほど騒々しいか、お主は知っておるのか? 人間からすれば、これぐらいであろう?」  とオルデリウスは自らの腹部を叩き、短く金属音を立てた。「確かに、うるさいな」  耳を塞ぎながら、セリュオスは微笑みを返した。  戦いの熱気を残していた霧の森に、静かで穏やかな空気が戻っていく。「冗談である。いつでも、お主の呼び出しを待っておるぞ」 「ありがとう……オルデリウス。お前がいてくれて、本当に助かった。ちゃんと休んでくれ」  オルデリウスの瞳が淡く光り、僅かに頭を下げたように見えた。  そして、巨体が一歩大きく踏み出すと、その脚部はすぐに大樹で見えなくなる。  やがて金属の巨人の後ろ姿も、霧の中へと消えていった。「改めて、勇者セリュオス、調停者としての立ち会い、感謝する」  レバザの言葉に、セリュオスは軽く頷き返す。  彼女は普段の冷静さを取り戻したのか、霧の民の未来を思いやる優しさを湛えた眼差しに変わっていた。「……いや、俺は今自分にできることをしただけだ。それに、俺たちにはまだやらなければならないことがある。魔王ドライシュトラを倒すためには、北を目指さなけ
Read more

第68話「地を這う民の隧道」

 レバザとガドルの案内で霧の森を抜け、セリュオスたちは地を這う民の隧道へと足を踏み入れた瞬間、ようやく安全地帯に来ることができたと胸を撫で下ろした――はずだった。 湿り気を帯びた空気が、肌に纏わりつく。  霧の森で感じていた刺すような冷たさとは違う、土と岩が混じった、どこか懐かしい匂いを感じる。 壁に刻まれた無数の掘削跡が、この道が自然に生まれたものではなく、長い年月をかけて人の手で作られてきたものであることを物語っていた。 ——隧道は安全だ。  ガドルはそう言っていた。 地を這う民にとって、この地中の道は生活で使われるものであり、そこを行き交うのは同じ民の仲間だけなのである。  外的である魔物が侵入することなど、滅多にないのだと。 だからこそ、隧道に入った瞬間にそれが現れることなどあり得ない。  ……そのはずだったというのに。「……いや、待て。おかしいよな?」  必死に走りながら、セリュオスは思わず疑問を口にしていた。  自分でも驚くほど、声が硬くなったような気がする。 その背後からは、確かに追跡者たちの音が聞こえていたのだ。  岩盤を引っ掻くような鋭い音。  くぐもった荒い呼吸音。 低く、粘ついた唸り声。  それは霧の森でも、何度も耳にしたものに似ている。  獲物を狩ろうとする獣たちが響かせる音だ。「なぜ俺たちは、地を這う民の隧道を――逃げるために走っているんだ?」  セリュオスが言葉にした瞬間、胸の奥に冷たいものが落ちた。  エレージアが僅かに息を切らせながら振り返る。  額に浮かんだ汗が、隧道の中を照らす鉱石の光を反射していた。「ねえ、ガドル。あなたの口は、隧道が安全だと言っていなかったかしら?」  明らかにガドルを責める目的で言っている。  彼女の問いは重いものだった。「……本来は、な……」  ガドルの声は低く、歯切れが悪い。  いつもなら軽口の一つでも叩いているであろう男が、言葉を探すように口を噤んでいる。「……」  レバザは何も言わない。  斧槍をその手に握ったまま、ただ仲間たちの一歩後ろに位置取り、背後の闇へと鋭い視線を向けていた。  彼女の肩越しに、魔物たちの影が揺れ
Read more

第69話「母の味」

 魔物たちの群れが、背後から現れたその存在に怯えていた。  広場に散らばる魔物たちの死骸。  砕けた顎、引き裂かれた胴。  それらをいとも簡単に踏み砕いてしまう巨脚。「あれは、グランデラ・ボース……」  その威容さに、シエルハは呆然としている。  一応、エレージアが傍にいるからには大丈夫だとは思う。「なるほど、親玉の登場というわけか」  セリュオスがようやく剣を抜いた。  だが、レバザが手で制止する。「勇者は下がってろって言っただろ?」  親玉はその言葉を嘲笑うかのように、隧道の闇の向こうから完全に姿を現した。  通路に収まっていることすら驚くほど巨大な体躯。 背中には歪に結晶化した岩殻が張り付き、全身を覆う霧は、他の魔物の倍以上に濃い。  頭部には割れた仮面のような角質が重なり、その隙間から、濁った光が覗いている。 ズン……ズドン……。  それは足音というには、あまりにも低く、重い振動が伝わってきた。  まるで岩盤そのものが、呻いているようだ。「……さあ、来るよ」  レバザが低く呟いたその瞬間、 親玉が咆哮を上げた。  空気が震え、広場の壁から細かな岩片が剥がれ落ちる。  残っていた魔物たちが、一斉に色めき立っていた。「……親玉だろうが何だろうが、あっしらには関係ねェ!」  ガドルが拳を鳴らしながら、待ち構えている。  戦う気は満々のようだ。「マズいわ……!」  だが、エレージアが声を上げる。「このグランデラは……さっきまでのと格が違うわよ!」  親玉が前脚を振り上げ、地面を叩きつける。  衝撃波が走り、セリュオスの足元の岩が砕けた。「散るんだッ!」  セリュオスが回避するように叫んだが、それよりもほんの僅かだけ早く、レバザが一歩前に出ていた。「いいや」  彼女は斧槍を深く構えたまま、大地を蹴り上げる。「ここは――」  斧槍が大きく弧を描き、渦を巻くように振り抜かれた。「アタイが通さないよ!」  レバザの斬撃が、空気ごと切り裂いた。  グランデラ・ボースが纏う霧が引き裂かれ、斧槍の刃が親玉の岩殻を直撃する。 地下道内にガギ
Read more
PREV
1
...
345678
SCAN CODE TO READ ON APP
DMCA.com Protection Status